風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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28話後編 火は墜ち、風が残る

 

 ヴァルドリックの声が、広場に響く。

 

「おい! 仕掛けてこいよ! 楽しくなってきたじゃねぇか」

 

 その言葉に返す必要はなかった。

 返す理由も、意味も見当たらない。

 

 ただ、静かに杖を持つ手をわずかに持ち上げ、掌を差し出すようにして示す。

 どうぞ、と。

 

 その所作だけで十分だった。

 

「じゃあ、心置きなくさせてもらう」

 

 ヴァルドリックの周囲に漂っていた火球が、ゆっくりと変質を始める。

 

 個別に散っていた炎が、溶け合うように一つへと収束していく。

 周囲を巡っていた火の粉も、逃げ道を塞ぐように配置された火の輪も、すべてが彼のそばへと吸い寄せられていく。

 

 やがてそれは、一つの巨大な火球へと姿を変えた。

 

 ただ眺める。

 

 爆風で頬を叩いた、髪が跳ねている。

 それを片手で掻き上げ、何事もないようにこめかみを撫でて耳へと流す。

 

 熱が空間ごと塗り替えられていく。

 残り火が引き寄せられ、視界の端で空気が歪む。

 

 杖を握り直し、視線を上げる。

 

 その火球の中で、何かが形を持ちはじめていた。

 

 翼。

 嘴のように尖った頭部。

 そして全体を包む、鳥のような輪郭。

 

 まるで卵から生まれ出る瞬間を再現するかのように、巨大な火の鳥が姿を成していく。

 

「鳥、か」

 

 思わず、心の中でだけそう呟く。

 

 猛獣のような荒々しさを選ぶかと思っていた。

 だが彼は、より見せることを選んだ。

 

 宮廷魔術師としては正しい。

 むしろ完成度が高いと言っていい。

 

 火の鳥は羽ばたくたびに、熱と光と歓声を撒き散らす。

 そして、闘技場の石畳がパキパキと乾いた音を立ててひび割れる。

 

 前列の観客が思わず顔を庇い、熱に耐えるように身を引いた。

 

 空気が重い。

 呼吸をする度に肺の奥が焼けるようだった。

 

 観客席が沸き立ち、空気そのものが興奮に染まっていく。

 歓声は頂点へ向かって積み上がっていた。

 

 セレナはその全てを横目で観測する。

 

 魔力の注ぎ込み方、制御の密度、持続性。

 いずれもこれまでとは比べ物にならない。

 

 単独制御。

 完全な自己完結型の魔術構築。

 

 風で逸らすだけでは足りない。

 上昇する熱流を利用している以上、単純な干渉では崩れない。

 

 物理的に叩き落とすには密度が足りず、部分破壊では再構築される。

 

 つまり、これは――

 

 壊すこと前提で成立している魔法。

 

 それでもなお。

 

 私の中に焦りはない。

 ただ、評価が一つ増えるだけだ。

 

 過剰火力。

 過剰演出。

 そして、過剰な自己表現。

 

(追い込んだ、というより……勝手に追い込まれているだけ)

 

 火の鳥が視線を持ったように見えた瞬間、こちらへ飛びかかる。

 

 迫る赤。橙。黄色。

 視界が火で埋まる。

 

 セレナは杖を構える。

 

「ウインドシア」

 

 振り下ろしは一度。

 

 それだけで、空気が変わった。

 

 ふゅぉおお、と低く歪んだ風音。

 上空から押し潰すような圧力が落ちる。

 

 火の鳥の飛翔軌道が歪み、その巨体が地面へ叩き落とされる。

 

 さらに追撃のように、風の塊が圧となり分割され降り注ぐ。

 

「なっ……!!」

 

 ヴァルドリックの声が途切れる。

 

 地面に落ちた火の鳥は爆ぜることもなく、崩れるように熱の塊へ戻り、ゆっくりと散っていった。

 

「おわりね」

 それだけを告げ、炎の残滓を眺める。

 崩れた炎は、結局ただの火に戻っていく。

 

 ……やっぱり、最後はそうなる。

 

 ほんの少しだけ、息を吐いた。

 

 観客席が一拍遅れて爆発するように沸き上がる。

 

 拍手。歓声。叫び。

 

「すげぇ!」

「火の鳥を落としたぞ!」

「あれが宮廷魔術師……!」

 

 飛び交う歓声。

 けれど、そのどれもが妙に遠かった。

 

 誰も、あの魔法がどう崩されたのかを見ていない。

 見えているのは、ただ派手な結果だけ。

 

「素晴らしい魔法の応酬でした! 両名の魔術の妙技に、盛大な拍手を!」

 

 式典の進行役の声が場を締める。

 

「セレナ様、ヴァルドリック様。両名の御活躍により、この国の安寧は示されました。魔術の力は、今もなお我らの象徴であります!」

 

 観客の熱は収まらない。

 称賛も、興奮も、理解も混ざらないまま渦を巻いている。

 

 セレナは観客へ向けて、小さく手を振る。

 形式としての動作。意味はない。

 

 視線を巡らせると、貴族席の一角に目が留まる。

 

 宮廷魔術師ローレンス。

 重要な場面であるはずなのに、老人はうたた寝をしている。

 

 その隣には馭者のエドガー。

 場違いなほど軽く、こちらへ手を振っていた。

 

(まぁ、いつものこと)

 

 この場は、王の意向とローレンスの気まぐれが混ざった見せ場だった。

 そのために呼ばれ、そのために立っている。

 

 杖を収める。

 

 ふと視線を戻すと、ヴァルドリックがまだこちらを見ていた。

 

 その目だけが、まだ戦いの続きのように残っていた。

 

 演武が終わった後も、会場の熱はまだ死んでいなかった。

 

 石畳に残る焦げ跡。

 焼けた空気。

 舞い上がった砂埃。

 興奮冷めやらぬ観客たちの声。

 

 勝敗を語る貴族たち。

 派手だった魔法を誇張して話す学生たち。

 宮廷魔術師の技量を称賛する声。

 

 歓声は未だ渦を巻き、会場の中心では司会者が余韻を引き延ばすように声を張っている。

 けれど、そのどれもが遠かった。

 

 まるで厚い膜を一枚隔てた向こう側。

 

 焼けた空気の流れを、僅かに風が押し流していく。

 火の残滓がまだ鼻についた。

 

 聞こえてはいる。

 けれど意味を持たない。

 

 会場裏の通路を静かに歩いていた。

 

 宮廷魔術師の帽子を被り直し、短杖を腰へ戻す。

 長く息を吐く。

 

 疲労感はない。

 ただ――面倒だった。

 

 演武そのものは大した問題ではない。

 あれくらい、別に難しくもない。

 

 問題なのは、その後だ。

 

 視線。

 評価。

 探り。

 媚び。

 警戒。

 

 強い者には、必ず人が寄ってくる。

 

 憧れ、恐れ、利用価値を測りながら。

 

 それが嫌いだった。

 

 通路の窓から夕焼けが差し込む。

 石壁が赤く染まり、細く長い影を床へ落としていた。

 

 早く席へ戻ろう。

 そう思った時だった。

 

「あー、待て待て」

 

 後ろから声。

 

 熱の残った男の声だった。

 聞き覚えがある。

 

 振り返る前から、誰なのか分かっていた。

 

「……何?」

 

 億劫そうに返すと、背後で笑う気配。

 

「随分つれねぇな」

 

 ヴァルドリックだった。

 

 帽子を片手で外し、乱暴に赤髪を掻き上げながら近付いてくる。

 演武直後だというのに、不思議と機嫌が良さそうだった。

 

 敗者の顔ではない。

 悔しさはあるのだろう。

 だがそれ以上に――面白がっている。

 

 ようやく退屈を壊す何かを見つけた人間の顔。

 

「いやぁ、参ったわ。あそこまで綺麗に落とされるとは思わなかった」

 

「そう?」

 

「そう?、で終わらせるなよ。少しは会話しろ」

 

「必要?」

 

「ねぇな」

 

 即答だった。

 

 私は少しだけ目を細め、可笑しいと思った。

 この男は妙に正直だ。

 

 打算を隠そうとしない。

 自信を隠そうとしない。

 敵意すら半分見せたまま話す。

 

 だから逆に読みやすい。

 

 彼は前へ回り込み、通路の壁へ肩を預けた。

 進路を塞ぐ形。

 

「……お前、いつもそんな感じなのか?」

 

「そんな感じって?」

 

「人を見てんのか見てねぇのかわからねぇ感じ」

 

「見てるわよ」

 

「怖ぇこと言うな」

 

 軽口だった。

 けれど、その目だけは違った。

 

 演武中と同じ目。

 熱を帯びた獣のような目ではない。

 今はもっと静かだ。

 

 測っている。

 

 こちらの輪郭を。

 深さを。

 どこまで踏み込めるかを。

 

 面倒だな、と思う。

 こういう人間は勘がいい。

 

「エドガーから聞いた」

 

 唐突に、彼の口から放たれる。

 

 その瞬間だけ、足が止まる。

 

「……何を?」

 

「妹がいるんだろ」

 

 空気が静かに冷えた。

 

 ほんの一瞬。

 眉間に微かな皺が寄る。

 

 指先が止まり、帽子の鍔へ触れていた手が、わずかに力を込めた。

 

 呼吸が一拍だけ遅れる。

 

 それだけ。

 それだけの変化だった。

 

「やっと反応したな」

 

「エドガー、余計なことを……」

 

 小さく吐き捨てる。

 あの馭者は妙なところで口が軽い。

 

「別に悪ぃ話じゃねぇよ」

 

 ヴァルドリックは肩を竦めた。

 

「俺にも妹がいる。魔術学院にな。年も近い。たしか……お前の妹の一つ下くらいだったか」

 

 返事をしなかった。

 だがヴァルドリックは気にせず続ける。

 

「学院の出だ。まぁ出来も悪くねぇ。少しませてるが、自信家でな。お前と違って愛想はある」

 

「そう」

 

「年近いなら知り合いになるのも悪くねぇだろ。妹経由ならお前とも多少話しやすくなる」

 

 そこで少し笑う。

 

「……で、妹さんはどんなやつなんだ?」

 

 黙って彼を見る。

 

 怒っているわけではない。

 値踏みしているわけでもない。

 

 ただ見ている。

 この男が、どこまで踏み込むつもりなのか。

 

「あなたに何の関係があるの?」

 

「警戒しすぎだろ」

 

「質問に答えて」

 

 少し間。

 ヴァルドリックは小さく息を吐いた。

 

「……ただの興味だ」

 

「嘘ね」

 

 即答。

 彼は苦笑しながら両手を上げた。

 

「まぁ、打算込みだ。お前、宮廷でも浮いてるだろ。敵に回すより、多少繋がり持っといた方が利口だ」

 

「正直でよろしい」

 

「だろ?」

 

 薄暗い夕焼けが通路へ差し込む。

 赤い光が石壁を染め、二人の影を長く引き延ばしていた。

 

 窓へ視線を向ける。

 

「……妹は学院には行ってない」

 

「学院には行かせなかったのか?」

 

 ヴァルドリックが何気なく聞く。

 

 少しだけ黙った。

 

「……行かせたくなかったのよ」

 

「あの子、昔から冒険者に憧れてたわ。兄さんの影響でね」

 

 小さく息を吐く。

 

「止めても無駄だと思った」

 

 あれは憧れではない。

 もっと厄介なものだ。

 一度行くと決めたら、自分で傷付いてでも進む。

 

 誰に似たのか。

 

 ……考えるまでもない。

 

「だから事前に調べたの」

 

 ローデニカ。

 大都市から離れた農業街。

 荒れすぎてもいない。平和すぎもしない。

 

 冒険者が生きるには、まだ現実的な場所。

 

「兄さんからも話を聞いていたわ。もし"冒険者になるなら、ある男のところへ行け"って」

 

 ヴァルドリックが少し眉を上げる。

 

「男?」

 

「ええ。ローデニカの冒険者」

 

 セレナは淡々と続ける。

 

「万年Dランク。愛想もない。金にも夢にも執着が薄い」

 

 そこまで言ってから、ほんの少しだけ視線を伏せた。

 

「……でも、そうね。死ぬべき場所を知ってる人」

 

 通路に沈黙が落ちる。

 

「兄さんは、あの人なら最低限、"無茶を止める側"には回るって言ってた」

 

 遠く、夕焼けの向こう。

 ローデニカの街並みを思い出すように。

 

「だから行かせた」

 

 諦めと最低限生き残ってほしいという願い。

 

「……まぁ、あの子の場合。安全なんて意味を持たないけれど」

 

 彼は少し意外そうに眉を上げた。

 

 そうだろう。

 宮廷魔術師の妹。

 当然、学院側の人間だと思っての価値。

 そういう計算をする人間の顔。

 

 ゆっくり彼を見る。

 

「先に言っておくけど」

 

 声が、ほんの少し低くなる。

 

「余計なことを考えないで」

 

 ヴァルドリックが目を細める。

 

「余計ってのは?」

 

「街。ギルド。冒険者」

 

 一拍。

 

「あの子に敵意を向けるなら」

 

 そこで言葉を切る。

 空気が止まる。

 

「容赦はしない」

 

 淡々とした声で、怒気もない。威圧もない。

 脅しのつもりで言ったわけでもない。

 

 その言葉にヴァルドリックは反射的に息を止めたようだった。

 

 数秒遅れてから、ヴァルドリックはようやく乾いた笑みを浮かべた。

 

「……怖ぇ姉貴だな」

 

 答えない。

 

「ただの妹自慢じゃ済まねぇか」

 

「済ませる気もないわ」

 

「なるほどなぁ……」

 

 ヴァルドリックは頭を掻きながら天井を見上げた。

 

 そして小さく笑う。

 

「ますます、わけわかんねぇ女だ」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

「褒めてねぇよ」

 

 短い沈黙。

 

 やがてヴァルドリックは壁から身体を起こした。

 

「……まぁ安心しろ。別に喧嘩売る気はねぇ」

 

 そう言いながら、口元だけ少し笑う。

 

「むしろ逆だ。お前の妹、ちょっと興味出てきた」

 

「やめておきなさい」

 

「なんでだ?」

 

 少しだけ目を伏せた。

 本当に、ほんの少し。

 

 だが確かに。

 そこには微かな疲労が滲んでいた。

 

「……あの子、あなたが思ってるより面倒だから」

 

 その言葉だけを残して、歩き出す。

 

 夕焼けの通路。

 赤黒く染まる石壁。

 遠くから響く歓声。

 

 その背中を、ヴァルドリックは黙って見送っていた。

 

「面倒、ねぇ……」

 

 小さく呟く。

 その声音は、どこか楽しそうだった。

 

 まるで。

 

 危険だと知りながら、火へ近付こうとする人間のように。

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