風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

49 / 49
第29話前編 触れていいもの

 

 

 次の日は、晴れていた。

 

 昨日まで降り続いていた雨の名残が、まだ街のあちこちに残っている。

 

 湿った石畳。

 軒先から落ちる水滴。

 水溜まりを揺らす、小さな波紋。

 

 ぽちゃん。

 ぽちゃん。

 

 どこかで、水の落ちる音が響いていた。

 

 朝はまだ早い。

 街も完全には起ききっていない。

 

 荷運びの音。

 パンを焼く匂い。

 遠くで誰かが桶をひっくり返した音。

 

 静かな朝だった。

 

 私はいつもの服へ袖を通し、レザー装備を身につける。

 

 おばさんから借りた服じゃない。

 雑貨屋で買った間に合わせでもない。

 

 腰のポーチ。

 短剣。

 杖。

 

 少し擦れた革の感触。

 ちゃんと、自分のものだった。

 

 ギルド前へ辿り着く。

 

 昨日、おじさんが言っていた通り。

 晴れた朝。

 

 そこには、大きなキャリッジが停まっていた。

 

 二頭立て。

 ……けれど、馬じゃない。

 

 思わず立ち止まる。

 

 大きい。

 

 見上げるほど背が高い。

 羽毛に覆われた身体。

 鋭い黄色の嘴。

 鷲のような顔つき。

 

 けれど鷲より遥かに大きい。

 

 その生き物が、荷車を引いていた。

 

「お嬢ちゃんも待ち人かい?」

 

 不意に声を掛けられる。

 

 振り向くと、キャリッジ脇に立っていた男性がこちらを見ていた。

 

 日に焼けた肌。

 無精髭。

 どこか陽気そうな顔。

 

 この人が馭者だろうか。

 

「はい」

 

「もしかして、ガルドさん待ちか?」

 

 一瞬、返事に詰まる。

 

 どうして分かったんだろう。

 

「……どうして、分かったんですか?」

 

 男は笑う。

 

「そりゃ簡単だ。俺もガルドさん待ちだからな」

 

 そう言って、大きな鳥の首筋を撫でた。

 

「俺はレイブン」

 

「リュシア、です。Eランクの冒険者の……」

 

 最後だけ、少し声が小さくなる。

 

 けれど、ちゃんと言えた。

 

 レイブンは特に気にした様子もなく頷く。

 

「じゃあ、ガルドさん来るまで俺達は待ちぼうけだな」

 

 彼はキャリッジの方を親指で示した。

 

「良かったら客室で待っててもいいぞ?」

 

 私はキャビンを見る。

 

 森へ向かう足。

 たぶん、これを使うんだろう。

 

 一歩、前へ出る。

 

 けれど。

 

 そこで足が止まった。

 

 もし。

 乗った瞬間に走り出したら。

 

 もし。

 中に誰か隠れていたら。

 

 もし。

 扉を閉められたら。

 

 背中を冷たいものが這う。

 

 彼の声は自然だった。

 笑顔も自然だった。

 

 不自然なくらいに。

 

 キャビンを覗く。

 

 人影はない。

 荷物も少ない。

 

 隠れている様子もない。

 

 けれど。

 

 信用していいかは別だった。

 

 私は曖昧に視線を逸らす。

 

「……大丈夫です」

 

「そうか?」

 

 レイブンは特に気分を害した様子もなく肩を竦めた。

 

 その時だった。

 

 ふと、視線が鳥へ向く。

 

 大きな羽毛。

 爪。

 筋肉の盛り上がった脚。

 

 見たことのない生き物。

 そちらの方が、少し気になった。

 

 私はゆっくり近付く。

 

「お前さん、こいつ気になるのか?」

 

「……魔物、ですか?」

 

「まぁな」

 

「こういうのって、普通は馬とかじゃないんですか?」

 

 一瞬。

 

 レイブンがぽかんとしたあと。

 

「普通だぁ!? ハハハハッ!」

 

 大きく笑った。

 

 私は少し困る。

 

 何か変なことを言ったんだろうか。

 

「いや悪ぃ悪ぃ。まぁ、そうだな。運搬なんざ、走れて運べりゃ何でもいい。馬力があって頑丈で病気知らずならなおさらだ」

 

 彼は鳥の首を軽く叩く。

 その度に羽毛が揺れた。

 

「触ってもいいんですか?」

 

 気付けば聞いていた。

 

 彼はニヤリと笑う。

 

「ああ、いいぞ。ただし気を付けろよ」

 

「……?」

 

「そのまま触ると急に怒り出して、頭かち割って脳をすすり始める」

 

 思わず手が引っ込む。

 

「えっ」

 

 レイブンが吹き出した。

 

「冗談だよ冗談。まぁ嘴で突かれるのは本当だ」

 

 怖い。

 本当なのか冗談なのか分からない。

 

「こいつらな、自分で触らせる相手選ぶんだ。妙にプライド高ぇから」

 

 鳥はこちらを見ていた。

 

 鋭い眼。

 

 獲物を見るみたいな目。

 

「知らないやつに急に触られたら嫌だろ?」

 

 その言葉。

 

 その瞬間だった。

 

 昨日の感触が脳裏を掠める。

 

 男の手。

 強引に引き寄せられた身体。

 抱き締められた感触。

 

 ドクン、と心臓が鳴る。

 

「あ……」

 

 違う。

 そんな意味じゃ。

 

 レイブンは少しだけ目を細めた。

 けれど、それ以上は何も聞かなかった。

 

「まぁ安心しろ。ちゃんと挨拶すりゃ、こいつら案外気がいい」

 

 彼は手招きする。

 

「前に立ってみな」

 

 私は恐る恐る鳥の前へ立つ。

 

 近い。

 

 大きい。

 

 視線が合う。

 

 黄色い嘴。

 鋭い瞳。

 僅かに揺れる羽毛。

 

 後ろから声を掛ける。

 

「ゆっくり頭下げろ。腰からだ」

 

 私は言われた通りにする。

 

 頭を下げる。

 視界から鳥が消える。

 

 息を呑んだ。

 

 今なら頭を突かれるかもしれない。

 脳を啜られるかもしれない。

 

 心臓の音だけが耳に響いた。

 

「……もういいぞ」

 

 ゆっくり顔を上げる。

 

 その先。

 鳥が、こちらへ頭を下げていた。

 

「これで挨拶終わりだ」

 

 彼が笑う。

 

「もう触っても平気だぞ」

 

 私は恐る恐る手を伸ばす。

 

 嘴へ触れる。

 

 ひやりとして、滑らかだった。

 ツルツルしている。

 

 その瞬間。

 

 ぱくり。

 

「ひゃっ!?」

 

 嘴に手を咥えられ、尻もちをつく。

 

 レイブンが腹を抱えて笑った。

 

「ハハハ! 気に入られたな!」

 

 鳥は頭を下げて、こちらへ擦り寄せてくる。

 

「驚かせて悪かったってよ」

 

 本当にそうなのかは分からない。

 

 けれど。

 どこか、そんな風にも見えた。

 

 私はもう一度近付く。

 すると鳥は身体を寄せてきた。

 

 ぐい、と押される。

 

「あ、えっ……」

 

 頭を擦りつけてくる。

 温かい。

 羽毛が頬へ触れる。

 

 柔らかい。

 獣の匂い。

 熱。

 生き物の体温。

 

 私は恐る恐る両腕を回した。

 

 抱きつく。

 

 ふわりと羽毛が沈む。

 柔らかかった。

 

 安心する。

 包まれるみたいだった。

 

「あの……この鳥、なんて名前なんですか?」

 

 レイブンは笑う。

 

「バッククリフだ」

 

 鳥は満足そうに鼻を鳴らした。

 

「心地良いだろ?」

 

 ……うん。

 

 少しだけ。

 

 本当に。

 

 そうしているうちに、ギルドの扉が軋みながら開いた。

 

 朝の湿った空気が流れ、それと同時に、聞き慣れた男の声が響く。

 

「なんだ、もう集まってたのか」

 

 ガルドだった。

 

 寝起きのように頭を掻きながら、大きくあくびをしている。

 緊張感なんて欠片もない。

 

 まるで近所へ散歩にでも行くみたいな顔だった。

 

 レイブンが御者席から振り返る。

 

「お疲れさまです。いつでも出れますよ。すぐ出るかい?」

 

「じゃあ頼む」

 

 ガルドはそう言うと、こちらへ視線を向けた。

 

「ほら、じゃれ合ってないで乗れ乗れ」

 

 私は少しだけ名残惜しく、バッククリフの羽毛から身体を離した。

 

 柔らかかった。

 温かかった。

 

 あの大きな鳥の体温が、まだ腕に残っている気がした。

 

 ガルドはキャビンの扉を開けたまま待っている。

 

「お嬢さんは、キャビン乗るのに手ぇ繋いだほうがいいか?」

 

「……平気です。要らないです」

 

 即答して、手を掛けて乗り込む。

 

「じゃ、さっさと乗れ」

 

 ぶっきらぼうに言いながら、自分も後から荷物を持って乗り込んできた。

 

 ギッ、と椅子が軋む。

 

 ガルドは足を広げ、背もたれへ深く身体を預けた。

 

「まぁ、気張るな。気楽にな」

 

 そう言った直後だった。

 

 ガタン、と揺れが来る。

 

 キャリッジが動き出した。

 

 石畳を転がる車輪の音。

 バッククリフの足音。

 時折鳴る金具の擦れる音。

 

 窓の外を、街並みがゆっくり流れていく。

 

 私は窓へ寄り、外を眺めた。

 

 人々。

 店。

 濡れた石畳。

 朝の市場。

 まだ完全には目覚めきっていない街。

 

 ここへ来た時も、こうして外を見ていた。

 

 あの時は、胸が高鳴っていた。

 

 冒険者になる。

 冒険が始まる。

 物語が始まる。

 

 本気で、そう思っていた。

 

 でも実際はどうだった。

 

 仮の冒険者証を受け取り、ダンジョンへ行き。

 依頼も受けず。

 ゴブリンに囲まれて。

 

 死にかけた。

 

 窓へ頭を預ける。

 

 エルネの顔が浮かぶ。

 

 あの時。

 もし、ほんの少し違っていたら。

 私は、そこで終わっていたんじゃないかと思う。

 

『運が良かったな』

 

 ガルドはそう言った。

 それだけだった。

 

 慰めでもなく。

 説教でもなく。

 

 ただ、事実みたいに。

 

 グゴゴ……。

 

 奇妙な音が隣から聞こえた。

 

 視線を向ける。

 

 ガルドが眠っていた。

 顔を上へ向け、口を少し開けている。

 

 今から依頼へ向かう人間とは思えない。

 

(……大丈夫なの、この人)

 

 不安になる。

 

 けれど、あの時助けてくれたのも、この人だった。

 

 キャリッジは街を抜け、平原へ出る。

 

 遠くまで伸びる草原。

 風に揺れる木々。

 時折見える冒険者たちの姿。

 

 さらに進むと、森へ入った。

 

 街道を外れた瞬間、揺れが大きくなり、ガタガタと身体が跳ねる。

 

 いつの間にか、鳥の鳴き声が減っていた。

 

 街道沿いでは聞こえていた羽音も、小動物の気配も薄い。

 

 木々が増えるたびに、空気が重くなる。

 

 湿っているのに、妙に乾いた匂い。

 

 窓の外を流れる森は、どこも同じように見えた。

 

 なのに。

 奥へ進むほど、何かに見られているような感覚だけが残る。

 

 私は無意識に窓から顔を離した。

 

 その瞬間だった。

 前方のバッククリフが、小さく喉を鳴らした。

 

 レイブンが手綱を軽く引く。

 

「……あんまり奥は好きじゃないんだよな、こいつら」

 

「魔物がいるからですか?」

 

「いや」

 

 レイブンは少しだけ笑った。

 

「森が嫌いなんだよ」

 

 意味が分からなかった。

 そして、しばらくして。

 

 キャリッジが止まった。

 

 ガルドはまだ寝ていた。

 私は少し迷ってから、杖の先で彼の頬を押す。

 

「おじさん。止まりました」

 

「んが……あ?」

 

「着いたみたいです」

 

「ああ……」

 

 呻き声みたいな返事をして、ガルドは身体を起こした。

 

 扉が開く。

 レイブンだった。

 

「ここまでですね。ギルドに言われたのはここまでです。帰りは自分の足でお願いします」

 

「ああ、助かった」

 

 ガルドは片手を軽く上げる。

 

 私も少し迷ってから口を開いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 これで合っているはずだった。

 

 レイブンは笑う。

 

「どういたしまして。またバッククリフと仲良くしてやってくれ」

 

「はい」

 

 扉が閉まる。

 

 バッククリフが向きを変え、キャリッジがゆっくりと戻っていく。

 

 その後ろ姿を見送った。

 

「じゃあ行くか」

 

 ガルドが森の奥を見ながら言う。

 

「どこまで行くんですか?」

 

「もっと奥だ」

 

 短い返事。

 

「ギルドが立ち入り制限してる場所がある。そこまでだな」

 

 思わず眉を寄せた。

 

「……そこまで奥なら、人に被害出ないんじゃないですか?」

 

「ん? ああ……」

 

 一度だけこちらを見る。

 

「この奥にも住んでる奴らがいる」

 

「会えば分かる」

 

 もったいぶるような言い方だった。

 

(言ってくれればいいのに……)

 

 そんなことを思っていると、ガルドが足を止めた。

 

「そうだ。言っとかなきゃならねぇことがあった」

 

 横目でこちらを見る。

 

「この依頼、俺がリーダーだ」

 

 少しだけ空気が変わる。

 

「五つ、俺の言うことを聞け」

 

 条件。

 

 そう言われた瞬間、不思議と少し安心してしまった。

 

 命令なら従えばいい。

 

 全部自分で決めて、失敗するよりは。

 

「一つ目。森に入ったら俺より前に出るな」

 

 反射的に口を開きかけて、閉じた。

 

 前に出るな。

 

 つまり。

 

「前に出た奴から死ぬ」

 

 その言葉のあとだけだった。

 ガルドの目が、こちらを見ていなかった。

 

 もっと遠く。

 今ここじゃない何かを見るみたいに、暗い森の奥へ視線を向けている。

 

 ただ脅しているわけじゃない。

 本当に、前に出て死んだ誰かを見てきたような目だった。

 

 私は無意識に喉を鳴らしていた。

 

 軽く言っているはずなのに。

 冗談みたいに聞こえない。

 

「二つ目。最初に逃げ道を作れ」

 

 討伐なのに?

 疑問は浮かぶ。

 

 でも、口には出さなかった。

 

 逃げ場を失って、周りが見えなくなった。

 あの時みたいに。

 

(……逃げる準備から始める戦い)

 

 姉さまから教わった事には、そんな考え方はなかった。

 

「三つ目。一撃で仕留めようとするな」

 

 違う。

 そうじゃない。

 心のどこかで、そう思ってしまった。

 

 強い人は、一撃で終わらせる。

 

 姉さまも。

 私が憧れてきたものは、全部そうだ。

 

 速く。

 綺麗で。

 圧倒的で。

 

 だからこそ、ガルドの言葉が理解しきれなかった。

 

 決められる時に決めないなんて、

 そんな戦い方で、本当に強くなれるんだろうか。

 

 ――でも。

 

 ゴブリンに囲まれた時の光景が脳裏を過ぎる。

 

 杖を握る手へ、じわりと汗が滲んだ。

 

 胸がちくりと痛む。

 図星だった。

 

 私はいつも、決めたくなる。

 

 ここだと思った瞬間、全部を賭けたくなる。

 

「新人がよく死ぬ理由だ」

 

 背中が冷える。

 何も言えなかった。

 

「四つ目。俺が引くぞって言ったら理由を聞くな」

 

 逃げる。

 それを恥だと思っていた。

 

「死ぬのが負けだ」

 

 その言葉だけが、胸へ深く残る。

 

 負けたくない。

 でも。

 死にたくない。

 

 その順番を、私は間違えていたのかもしれない。

 

「五つ目」

 

 ガルドは少しだけ振り返った。

 

「自分が強いと思うな」

 

 心臓を掴まれた気がした。

 

 ドクン、と胸が鳴る。

 

「運が良かった日と、本当に強くなった日は――」

 

 その続きを、聞くのが怖かった。

 

 私は杖を握る。

 

「……全部、守ります」

 

 気づけば、そう言っていた。

 

 約束というより。

 すがるみたいに。

 

「守れ」

 

 ガルドは前を向く。

 

「ただ、生きて帰れるかどうかだ」

 

 その背中が森の奥へ入っていく。

 

「守れたら、帰り道で六つ目を教えてやる」

 

 六つ目。

 

 それが何なのか。

 今はまだ、聞いてはいけない気がした。

 

 私はその背中を追う。

 

 湿った森の匂い。

 揺れる木々。

 薄暗い獣道。

 

(……生きて帰る)

 

 それだけを胸の中で繰り返しながら、私は森へ足を踏み入れた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。