風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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5話 掴めた銀貨と掴めない杖

《別視点》

 

 

 

 ギルドの出入り口側。

 壁際の隅に置かれた椅子に、ガルドは腰を下ろしていた。

 

 

 ここがいい。

 

 

 全体が見渡せる。

 そのくせ、目立たない。

 

 人の流れ、受付の様子、掲示板の前で立ち止まる冒険者たち。

 誰が来て、誰が出ていくのか。

 誰が浮き足立ち、誰が地に足をつけているのか。

 

 

 長年、ここから眺めてきた。

 

 

 新人だ、初心者だ、ひよっこ冒険者だ――

 そういう連中は、動きを見ればすぐに分かる。

 

 

 

 態度。

 口調。

 視線の置き方。

 一歩踏み出すときの、間。

 

 

 人混みの中でも、死にそうなやつは浮き上がって見える。

 それが勘なのか、経験なのか、もはや区別はつかない。

 

 

 そして、そいつらがこのギルドを出ていく瞬間までを見る。

 

 

 ――帰ってくるかどうか。

 

 

 それも含めてだ。

 

 だが、今日のガルドの視線は、新人冒険者には向いていなかった。

 

 

 視線の先にいるのは、最近、頭角を現し始めたCランクの男二人組。

 

 

 

 どちらも剣を携え、装備は実用本位。

 派手さはないが、無駄がない。

 

 

 悪くない冒険者だ。

 少なくとも、表向きは。

 

 

 ガルドは、じっと二人を観察する。

 

 

 

 ――大金貨二枚。

 

 

 少し前、このギルドでそんな話題があった。

 

 

 拾っただの、掘り当てただの、運が良かっただの。

 Dランクの二人組が、酒場で自慢していた。

 

 

 だが、その二人を、最近まったく見かけない。

 

 いなくなったきっかけは、はっきりしている。

 

 あのCランクの二人と組んで、依頼に出た日からだ。

 

 Cランクが付き添えば、DランクでもC相当の依頼を受けられる。

 規則上、何の問題もない。

 

 

 人数合わせだ。

 よくある話だ。

 

 

 そして、帰ってきたのは――Cランクの二人だけ。

 

 

 Dランクの連中が、別の依頼を受けた可能性も考えた。

 途中で別れたのかもしれない。

 事故に遭ったのかもしれない。

 

 

 冒険者の世界じゃ、どれも珍しい話じゃない。

 

 

 だが。

 

 それ以降、あの二人を、このギルドで一度も見ていない。

 

 

 

 受付嬢に詮索させた。

 依頼は未達成のまま。

 

 救助依頼として、ガルド自身が受けた。

 指定された場所を、くまなく探した。

 

 

 結果は――

 

 人っ子一人、いや、

 死体一つ、装備の欠片一つ、出やしねぇ。

 

 

 出迎えてくれるのは、魔物だけ。

 

 

 ……きな臭い。

 

 

 嫌な予感が、腹の底に沈殿する。

 

 わざわざ口に出して問うことでもない。

 

 

 冒険者が、いつ、どこで、どう死んだか。

 そんなことを、いちいち気にするやつはいない。

 

 

 死ぬのが当たり前だ。

 

 ただ、それだけの話だ。

 

 

 ――本当は。

 

 あんまり考えたくなかった。

 

 同業者に対する、追い剥ぎ行為。

 

 

 規則違反。

 御法度。

 発覚すれば、重い処罰。

 

 

 だが、単純な依頼をこなすより、

 はるかに儲けが出る。

 

 

 ガルドの頭に、真っ先に浮かんだのは、それだった。

 

 そして、その考えを、心の奥に押し込めた。

 

 

 

 その瞬間――

 

 視界が、ふっと遮られる。

 

 

 

「ガルドさん」

 

 

 ギルドの受付嬢が、目の前に立っていた。

 

 

 名は、ルーナ。

 まだ若いが、仕事は手堅い。

 書類を抱え、にっこりと愛嬌のある笑みを浮かべている。

 

 

 

「ランクの昇格試験、受けませんか?」

 

 突然の話に、ガルドは眉をひそめる。

 

「わたし的にもですね、ガルドさんなら、もっと上を目指せると思うんです」

 

 

 まっすぐな視線。

 

 こいつは、やけにしつこい。

 

 軽く手を振って、いつものようにあしらう。

 

 

「興味ねぇよ」

 

「もう……!」

 

 

 ルーナは、少し頬を膨らませる。

 

「そうやって、ずっとここに居座る気ですか?」

 

 

 そのやり取りの間に。

 

 ガルドは、ふと視線を元に戻す。

 

 ――Cランクの二人組が、いない。

 

 ついさっきまで、そこにいたはずなのに。

 

 もう、ギルドの外へ出たのか。

 それとも、人混みに紛れたのか。

 

 分からない。

 

 ガルドは、背もたれに体を預け、深く息を吐いた。

 

 

 ……考えすぎかもしれねぇ。

 

 だが、

 嫌な予感だけは、消えなかった。

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、ギルドの受付では別の話が進んでいた。

 

 

 

 ミアレが討伐依頼の完了報告を済ませていた。

 革袋の口が開かれ、中からオオカミの尾がいくつか取り出される。受付嬢は慣れた手つきで数を確かめ、軽く頷いた。

 

 

「確かに。依頼完了です」

 

 

 その言葉と引き換えに、カウンターの上へ銀貨が置かれる。

 銀貨五枚。加えて、魔石の追加報酬として銅貨が六枚。

 

 ――これが、冒険者の報酬。

 

 ぼんやりと見つめていると、ミアレがそのうちの銀貨を三枚、私の方へ差し出した。

 

 

「手伝ってくれてありがと。はい、これ」

 

「……え?」

 

 

 一瞬、意味がわからなかった。

 受け取るべきものだと頭が理解するより先に、声が出てしまう。

 

「いいの?」

 

 

 ミアレは一度目を丸くして、それから少し間を置き、なぜか可笑しそうに笑った。

 

「あ、違うの。リュシアちゃんって、ちょっと変わってるなって思って」

 

 

 そう言って、柔らかく肩をすくめる。

 

 

「手伝ってもらったんだから、報酬を分けるのは当たり前でしょ」

 

 促されるまま、私は銀貨を受け取った。

 掌の上で三枚の銀貨を広げる。

 

 ――ちゃり、と小さな音が鳴った。

 

 それは、これまで私が触れてきたどんなお金とも違う音だった。

 

 家から持たされたお金じゃない。

 

 私が。

 ミアレと一緒に、危険な場所へ行って、無事に帰ってきて――手に入れたお金。

 

 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 

 また一歩。

 冒険者としての一歩を、確かに踏みしめた感覚。

 

 

「……」

 

 

 思わず、銀貨をぎゅっと握りしめてしまう。

 

 

 姉様。

 兄様。

 

 

 私、冒険者になりました。

 

 その証明が、今、手の中にある。

 

 

 

「ふふ、嬉しそう」

 

 

 ミアレの声に、はっと顔を上げる。

 

「……ミアレさんって、何でも知ってるんですね」

 

「え?」

 

「冒険者のこととか。ちゃんとしてるというか……」

 

 

 ミアレは少し照れたように笑った。

 

「ううん。お父さんが冒険者だったからね。生活の中で色々教えてもらっただけ」

 

 

「弓の扱い方とか、獲物の捌き方とか……そういうの」

 

「すごい……本当に何でも知ってるんですね」

 

「何でもじゃないよ〜」

 

 

 そう言って笑う、その様子が自然で、温かくて。

 私はこの人と一緒にいられることが、素直に嬉しかった。

 

 

 少しして、ミアレが思い出したように言う。

 

 

「ねえ、もし時間があるなら――魔道具店、行ってみない?」

 

「魔道具店?」

 

「うん。リュシアちゃんの杖、探してみようよ」

 

 

 ――あ。

 

 胸の奥が、すとんと落ちる。

 

 ぽっかりと穴が空いたような感覚。

 忘れかけていた感情が、急に蘇った。

 

 

 そうだ。

 杖。

 

 ダンジョンの前で、ミアレが話してくれたこと。

 私の杖が、誰かに売られたかもしれないという話。

 

 私は、それを信じた。

 

「……いいんですか? 私のことなのに」

 

「いいよ。気にしないで」

 

 

 ミアレは屈託なく笑う。

 

 

「私、リュシアちゃんのこと、もっと知りたいし」

 

 一瞬の間。

 

 

「それに、次もパーティー組みたいし。……でしょ?」

 

 胸の奥で、何かがぱっと弾けた。

 

 

 楽しい。

 そう思うこと自体が、まだ少し新鮮だった。

 

 

 

「……うん」

 

 そう。

 見つかりさえすればいい。

 

 

 お金だって、今はある。

 買えばいいんだ。

 

 私たちはテーブル席を離れ、ギルドの出口へ向かう。

 

 その途中、ふと視界の端に、隅の席が映った。

 

 

 

 そこに座っていたのは――くたびれた身なりの中年の冒険者。

 

 

 名前を思い出すのに一瞬かかる。

 

 

 ガルド。

 確か、Dランクだと聞いた。

 

 

 ダンジョンで、たまたま助けられた。

 でも、それは本当に、ただの偶然。

 

 

 私は、ああはならない。

 

 年を重ね、実力もなく、落ちこぼれたままの冒険者に。

 私はすぐにDランクになって、その先へ行くんだから。

 

 

 兄様のように。

 毅然として、強くて、格好いい冒険者に――。

 

 だから。

 彼と話すことも、関わることも、きっとない。

 

 

 

 ギィ、と音を立てて扉が開く。

 

 

 

 私たちは外へ出て、扉が閉まる音を背に、私は胸の奥に残った違和感を振り払うように歩き出した。

 今は考えるより、杖を見つけることだけに集中しよう。

 

 

 慣れない街を、私はミアレと付かず離れず並んで歩いていた。

 

 

 

 石畳を踏みしめる足音。

 人々の話し声と呼び込みの声が重なり合う、落ち着かない喧騒。

 

 

「ほら、はぐれちゃう。手、つなご?」

 

 そう言って、ミアレは何のためらいもなく私の手を取った。

 一瞬だけ迷ってから、指を絡める。

 

 

 

 人の体温が、思ったよりもはっきり伝わってくる。

 

 

 

 大通りに面した魔道具店。

 「人目がある場所なら、まずここだと思う」と彼女は言った。

 

 

 磨かれた木枠の扉。

 大きなガラス窓。

 中がよく見える、堂々とした店構え。

 

 

 

 以前訪れた、あのおばあさんの魔道具屋――

 埃と時間の匂いが染みついた、あの小さな店とはまるで違う。

 

 

「私、魔道具店って初めて」

 

 ミアレは少しだけ弾んだ声でそう言い、先に中へ入る。

 

 

 白木の杖。

 水晶に噛みつく蛇を象ったもの。

 過剰な装飾の杖が、整然と並んでいた。

 

 

 視線を流しながら、私は店員の男性に近づく。

 

 

 探しているのは、片手杖。

 

 短く、扱いやすく、宝石の位置まで覚えている一本。

 

 

「この形の杖を探しているんですが」

 

 店員は顎に手を当て、少し考えてから首を振った。

 

 

「悪いが、うちでは見てないな」

 

 

 短く、はっきりとした答えだった。

 期待が入る余地すらない。

 

 二件目。

 三件目。

 

 結果は同じ。

 

 ギルドで騒ぎになったという話も、ほとんど知られていない。

 似た形の杖はある。けれど、どれも違う。

 

 ――これは、私のじゃない。

 

 そう思うたび、胸の奥が冷えていく。

 

 最後に辿り着いたのは、冒険者ギルドの隣にある、ギルド系列の魔道具店だった。

 

 扉を開けた瞬間。

 

 ――あ。

 

 呼吸が止まった。

 

 壁に飾られている。

 装飾、宝石、柄の長さ。

 

 間違えようがない。

 

 あれは、私の杖だ。

 

 

 一瞬、胸の奥が熱くなる。

 見つけた。

 ちゃんと、ここにあった。

 

 けれど、その視線が自然と下に落ちた。

 

 

 値札。

 

 ──大金貨七枚──

 

 数字が、感情を切り離す。

 

 ミアレが小さく息を呑んだ。

 

 

「……すごい値段」

 

 

 それは、欲しいではなく届かないものを見た反応だった。

 

 

 今すぐ取り返したい。

 そう思って、私は背伸びをして手を伸ばす。

 

 

 

 指先が、空を掴む。

 

 届かなかった。

 

 たったそれだけのことで、胸が締めつけられた。

 

 

「あの……これ、ください」

 

 

 声をかけると、店員は私を見下ろす。

 

「お嬢ちゃん」

 

 

 その呼び方だけで、少しだけ背筋が固くなる。

 

「大金貨七枚だぞ。持ち合わせはあるのか?」

 

 

 私はポーチから小袋を取り出し、差し出した。

 

 

 

「……これで、足りますか」

 

 

 店員は袋を受け取り、中身を数え始める。

 

 ちゃりん。

 ちゃりん。

 

 金貨が重ねられる音が、やけに大きく響く。

 

 私とミアレは、黙ってそれを見ていた。

 

 

 やがて店員は顔を上げた。

 

 

「銀貨も含めて、金貨四十六枚分だな」

 

 一瞬の間。

 

 

「……残念だけど、足りない」

 

 あっさりとした声。

 

 

 

 あ。

 

 

 喉まで言葉が上がってきて、そこで止まる。

 

 

 

 

 それは、私のです。

 返してください。

 

 

 

 そう言えたら、どんなによかっただろう。

 

 

 でも、言えなかった。

 

 

 

 あれは、私が使うはずだった杖で。

 これから、冒険者として歩いていくためのもので。

 当然のように、私の手にあるべきものだった。

 

 

 なのに。

 

 

 整理のつかない感情が、胸の中で絡まり合う。

 

 

 

 目の前にある。

 確かに、そこにある。

 

 

 それなのに、掴めない。

 

 

 

 今、手にしている代わりの杖を、私は強く握りしめた。

 

 

 ――つまり。

 

 

 あれは、もう私のものではない。

 

 

 店員が金貨を袋へ戻す。

 私はそれを、奪うように掴み取り、踵を返した。

 

 

「リュシアちゃん!」

 

 

 ミアレの声が聞こえる。

 

 それでも、振り返らなかった。

 

 

 

 この気持ちを。

 この顔を。

 

 

 誰かに見られるのが、

 どうしようもなく、怖かった。

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