《別視点》
ギルドの出入り口側。
壁際の隅に置かれた椅子に、ガルドは腰を下ろしていた。
ここがいい。
全体が見渡せる。
そのくせ、目立たない。
人の流れ、受付の様子、掲示板の前で立ち止まる冒険者たち。
誰が来て、誰が出ていくのか。
誰が浮き足立ち、誰が地に足をつけているのか。
長年、ここから眺めてきた。
新人だ、初心者だ、ひよっこ冒険者だ――
そういう連中は、動きを見ればすぐに分かる。
態度。
口調。
視線の置き方。
一歩踏み出すときの、間。
人混みの中でも、死にそうなやつは浮き上がって見える。
それが勘なのか、経験なのか、もはや区別はつかない。
そして、そいつらがこのギルドを出ていく瞬間までを見る。
――帰ってくるかどうか。
それも含めてだ。
だが、今日のガルドの視線は、新人冒険者には向いていなかった。
視線の先にいるのは、最近、頭角を現し始めたCランクの男二人組。
どちらも剣を携え、装備は実用本位。
派手さはないが、無駄がない。
悪くない冒険者だ。
少なくとも、表向きは。
ガルドは、じっと二人を観察する。
――大金貨二枚。
少し前、このギルドでそんな話題があった。
拾っただの、掘り当てただの、運が良かっただの。
Dランクの二人組が、酒場で自慢していた。
だが、その二人を、最近まったく見かけない。
いなくなったきっかけは、はっきりしている。
あのCランクの二人と組んで、依頼に出た日からだ。
Cランクが付き添えば、DランクでもC相当の依頼を受けられる。
規則上、何の問題もない。
人数合わせだ。
よくある話だ。
そして、帰ってきたのは――Cランクの二人だけ。
Dランクの連中が、別の依頼を受けた可能性も考えた。
途中で別れたのかもしれない。
事故に遭ったのかもしれない。
冒険者の世界じゃ、どれも珍しい話じゃない。
だが。
それ以降、あの二人を、このギルドで一度も見ていない。
受付嬢に詮索させた。
依頼は未達成のまま。
救助依頼として、ガルド自身が受けた。
指定された場所を、くまなく探した。
結果は――
人っ子一人、いや、
死体一つ、装備の欠片一つ、出やしねぇ。
出迎えてくれるのは、魔物だけ。
……きな臭い。
嫌な予感が、腹の底に沈殿する。
わざわざ口に出して問うことでもない。
冒険者が、いつ、どこで、どう死んだか。
そんなことを、いちいち気にするやつはいない。
死ぬのが当たり前だ。
ただ、それだけの話だ。
――本当は。
あんまり考えたくなかった。
同業者に対する、追い剥ぎ行為。
規則違反。
御法度。
発覚すれば、重い処罰。
だが、単純な依頼をこなすより、
はるかに儲けが出る。
ガルドの頭に、真っ先に浮かんだのは、それだった。
そして、その考えを、心の奥に押し込めた。
その瞬間――
視界が、ふっと遮られる。
「ガルドさん」
ギルドの受付嬢が、目の前に立っていた。
名は、ルーナ。
まだ若いが、仕事は手堅い。
書類を抱え、にっこりと愛嬌のある笑みを浮かべている。
「ランクの昇格試験、受けませんか?」
突然の話に、ガルドは眉をひそめる。
「わたし的にもですね、ガルドさんなら、もっと上を目指せると思うんです」
まっすぐな視線。
こいつは、やけにしつこい。
軽く手を振って、いつものようにあしらう。
「興味ねぇよ」
「もう……!」
ルーナは、少し頬を膨らませる。
「そうやって、ずっとここに居座る気ですか?」
そのやり取りの間に。
ガルドは、ふと視線を元に戻す。
――Cランクの二人組が、いない。
ついさっきまで、そこにいたはずなのに。
もう、ギルドの外へ出たのか。
それとも、人混みに紛れたのか。
分からない。
ガルドは、背もたれに体を預け、深く息を吐いた。
……考えすぎかもしれねぇ。
だが、
嫌な予感だけは、消えなかった。
ちょうどその頃、ギルドの受付では別の話が進んでいた。
ミアレが討伐依頼の完了報告を済ませていた。
革袋の口が開かれ、中からオオカミの尾がいくつか取り出される。受付嬢は慣れた手つきで数を確かめ、軽く頷いた。
「確かに。依頼完了です」
その言葉と引き換えに、カウンターの上へ銀貨が置かれる。
銀貨五枚。加えて、魔石の追加報酬として銅貨が六枚。
――これが、冒険者の報酬。
ぼんやりと見つめていると、ミアレがそのうちの銀貨を三枚、私の方へ差し出した。
「手伝ってくれてありがと。はい、これ」
「……え?」
一瞬、意味がわからなかった。
受け取るべきものだと頭が理解するより先に、声が出てしまう。
「いいの?」
ミアレは一度目を丸くして、それから少し間を置き、なぜか可笑しそうに笑った。
「あ、違うの。リュシアちゃんって、ちょっと変わってるなって思って」
そう言って、柔らかく肩をすくめる。
「手伝ってもらったんだから、報酬を分けるのは当たり前でしょ」
促されるまま、私は銀貨を受け取った。
掌の上で三枚の銀貨を広げる。
――ちゃり、と小さな音が鳴った。
それは、これまで私が触れてきたどんなお金とも違う音だった。
家から持たされたお金じゃない。
私が。
ミアレと一緒に、危険な場所へ行って、無事に帰ってきて――手に入れたお金。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
また一歩。
冒険者としての一歩を、確かに踏みしめた感覚。
「……」
思わず、銀貨をぎゅっと握りしめてしまう。
姉様。
兄様。
私、冒険者になりました。
その証明が、今、手の中にある。
「ふふ、嬉しそう」
ミアレの声に、はっと顔を上げる。
「……ミアレさんって、何でも知ってるんですね」
「え?」
「冒険者のこととか。ちゃんとしてるというか……」
ミアレは少し照れたように笑った。
「ううん。お父さんが冒険者だったからね。生活の中で色々教えてもらっただけ」
「弓の扱い方とか、獲物の捌き方とか……そういうの」
「すごい……本当に何でも知ってるんですね」
「何でもじゃないよ〜」
そう言って笑う、その様子が自然で、温かくて。
私はこの人と一緒にいられることが、素直に嬉しかった。
少しして、ミアレが思い出したように言う。
「ねえ、もし時間があるなら――魔道具店、行ってみない?」
「魔道具店?」
「うん。リュシアちゃんの杖、探してみようよ」
――あ。
胸の奥が、すとんと落ちる。
ぽっかりと穴が空いたような感覚。
忘れかけていた感情が、急に蘇った。
そうだ。
杖。
ダンジョンの前で、ミアレが話してくれたこと。
私の杖が、誰かに売られたかもしれないという話。
私は、それを信じた。
「……いいんですか? 私のことなのに」
「いいよ。気にしないで」
ミアレは屈託なく笑う。
「私、リュシアちゃんのこと、もっと知りたいし」
一瞬の間。
「それに、次もパーティー組みたいし。……でしょ?」
胸の奥で、何かがぱっと弾けた。
楽しい。
そう思うこと自体が、まだ少し新鮮だった。
「……うん」
そう。
見つかりさえすればいい。
お金だって、今はある。
買えばいいんだ。
私たちはテーブル席を離れ、ギルドの出口へ向かう。
その途中、ふと視界の端に、隅の席が映った。
そこに座っていたのは――くたびれた身なりの中年の冒険者。
名前を思い出すのに一瞬かかる。
ガルド。
確か、Dランクだと聞いた。
ダンジョンで、たまたま助けられた。
でも、それは本当に、ただの偶然。
私は、ああはならない。
年を重ね、実力もなく、落ちこぼれたままの冒険者に。
私はすぐにDランクになって、その先へ行くんだから。
兄様のように。
毅然として、強くて、格好いい冒険者に――。
だから。
彼と話すことも、関わることも、きっとない。
ギィ、と音を立てて扉が開く。
私たちは外へ出て、扉が閉まる音を背に、私は胸の奥に残った違和感を振り払うように歩き出した。
今は考えるより、杖を見つけることだけに集中しよう。
慣れない街を、私はミアレと付かず離れず並んで歩いていた。
石畳を踏みしめる足音。
人々の話し声と呼び込みの声が重なり合う、落ち着かない喧騒。
「ほら、はぐれちゃう。手、つなご?」
そう言って、ミアレは何のためらいもなく私の手を取った。
一瞬だけ迷ってから、指を絡める。
人の体温が、思ったよりもはっきり伝わってくる。
大通りに面した魔道具店。
「人目がある場所なら、まずここだと思う」と彼女は言った。
磨かれた木枠の扉。
大きなガラス窓。
中がよく見える、堂々とした店構え。
以前訪れた、あのおばあさんの魔道具屋――
埃と時間の匂いが染みついた、あの小さな店とはまるで違う。
「私、魔道具店って初めて」
ミアレは少しだけ弾んだ声でそう言い、先に中へ入る。
白木の杖。
水晶に噛みつく蛇を象ったもの。
過剰な装飾の杖が、整然と並んでいた。
視線を流しながら、私は店員の男性に近づく。
探しているのは、片手杖。
短く、扱いやすく、宝石の位置まで覚えている一本。
「この形の杖を探しているんですが」
店員は顎に手を当て、少し考えてから首を振った。
「悪いが、うちでは見てないな」
短く、はっきりとした答えだった。
期待が入る余地すらない。
二件目。
三件目。
結果は同じ。
ギルドで騒ぎになったという話も、ほとんど知られていない。
似た形の杖はある。けれど、どれも違う。
――これは、私のじゃない。
そう思うたび、胸の奥が冷えていく。
最後に辿り着いたのは、冒険者ギルドの隣にある、ギルド系列の魔道具店だった。
扉を開けた瞬間。
――あ。
呼吸が止まった。
壁に飾られている。
装飾、宝石、柄の長さ。
間違えようがない。
あれは、私の杖だ。
一瞬、胸の奥が熱くなる。
見つけた。
ちゃんと、ここにあった。
けれど、その視線が自然と下に落ちた。
値札。
──大金貨七枚──
数字が、感情を切り離す。
ミアレが小さく息を呑んだ。
「……すごい値段」
それは、欲しいではなく届かないものを見た反応だった。
今すぐ取り返したい。
そう思って、私は背伸びをして手を伸ばす。
指先が、空を掴む。
届かなかった。
たったそれだけのことで、胸が締めつけられた。
「あの……これ、ください」
声をかけると、店員は私を見下ろす。
「お嬢ちゃん」
その呼び方だけで、少しだけ背筋が固くなる。
「大金貨七枚だぞ。持ち合わせはあるのか?」
私はポーチから小袋を取り出し、差し出した。
「……これで、足りますか」
店員は袋を受け取り、中身を数え始める。
ちゃりん。
ちゃりん。
金貨が重ねられる音が、やけに大きく響く。
私とミアレは、黙ってそれを見ていた。
やがて店員は顔を上げた。
「銀貨も含めて、金貨四十六枚分だな」
一瞬の間。
「……残念だけど、足りない」
あっさりとした声。
あ。
喉まで言葉が上がってきて、そこで止まる。
それは、私のです。
返してください。
そう言えたら、どんなによかっただろう。
でも、言えなかった。
あれは、私が使うはずだった杖で。
これから、冒険者として歩いていくためのもので。
当然のように、私の手にあるべきものだった。
なのに。
整理のつかない感情が、胸の中で絡まり合う。
目の前にある。
確かに、そこにある。
それなのに、掴めない。
今、手にしている代わりの杖を、私は強く握りしめた。
――つまり。
あれは、もう私のものではない。
店員が金貨を袋へ戻す。
私はそれを、奪うように掴み取り、踵を返した。
「リュシアちゃん!」
ミアレの声が聞こえる。
それでも、振り返らなかった。
この気持ちを。
この顔を。
誰かに見られるのが、
どうしようもなく、怖かった。