風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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29話後編 森の呼び鈴

 

「ウィンドブラスト!」

 

 圧縮された風が正面へ走った。

 

 鈍い衝突音。

 

 ゴブリンの身体がまとめて吹き飛ぶ。

 

「ギャァァァ!」

 

 悲鳴。

 うめき声。

 

 木々の隙間から差し込む光の中で、緑色の肌と赤い血が入り混じった。

 

 吹き飛ばされた一体が地面を転がる。

 

 まだ生きている。

 逃げるように立ち上がった。

 

 逃がす理由はなかった。

 

 杖を向ける。

 風が生まれる。

 

 背中へ直撃した。

 

 肉が弾ける。

 血が飛ぶ。

 

 転がる。

 

 動かなくなり、森が静かになった。

 

 視界の中で動くものはいない。

 ゴブリンを倒した。

 

 胸が上下する。

 

 息が荒い。

 けれど、傷はない。

 生きている。

 

 その事実だけが妙に現実感を持っていた。

 

「急に飛び出しやがって」

 

 後ろから声が飛ぶ。

 

 ガルドだった。

 

「前に出るなって言っただろ」

 

 振り返る。

 

 言い返そうとして言葉が詰まる。

 

 少しだけ視線を逸らした。

 

「……すみません」

 

 それでも続ける。

 

「でも、全員倒せました」

 

 言葉にした瞬間、自分でも少し期待していた。

 

 褒められるかもしれない。

 認められるかもしれない。

 

 そんな期待だった。

 

 ガルドは死体を見てから、私を見る。

 

 そして、

 

「運が良かったな」

 

 それだけ言った。

 

 私は思わず眉を寄せる。

 

「それだけですか……?」

 

「十分だろ」

 

 吐き捨てるように返す。

 

 ナイフを抜いて死体へ向かう。

 

 蹴る。

 転がす。

 

「運が悪かった奴は感想を言えねぇ」

 

 森に沈むような声だった。

 返す言葉が見つからない。

 

 私は黙ってゴブリンへ近付いた。

 

 死体を見下ろす。

 

 もう動かない。

 死んでいる。

 死んでいるはずなのに。

 

 杖を握る手に力が入った。

 

 黄ばんだ歯。

 汚れた爪。

 小さな目。

 

 囲まれた時の光景が脳裏に浮かぶ。

 

 ジャイアントバット。

 ゴブリンロード。

 ラウドたち。

 

 自分の失敗。

 自分の無力。

 

 全部が混ざる。

 

 ぐるぐると頭の中を回る。

 

 気付けば杖を向けていた。

 

 ドン。

 風が死体を叩く。

 

 肉が飛ぶ。

 骨が砕ける。

 

 もう一度。

 

 ドン。

 

 さらにもう一度。

 

 ドンッ。

 

 気付けば。

 そこにゴブリンの形は残っていなかった。

 

 肉片だけが散らばっている。

 

「あ……」

 

 何をしているんだろう。

 

 恨みだろうか。

 怒りだろうか。

 憎しみだろうか。

 

 違う気がした。

 

 もっと別のもの。

 もっと近い場所にあるもの。

 

 自分自身へ向けた何か。

 

「おい」

 

 声がした。

 顔を上げる。

 

 ガルドがこちらを見ていた。

 

「そいつもう死んでるぞ」

 

 少しだけ。

 本当に少しだけ。

 私を見ていた。

 

 怒っているわけでもない。呆れているわけでもない。

 

 ただ、何かを確かめるように。

 私が何に腹を立てているのか。

 それを見ているようだった。

 

 視線を落とす。

 

 確かに死んでいる。

 

「もうやめとけ」

 

 少しだけ間を置いて、

 

「死んでるやつは八つ当たりしても反省してくれねぇ」

 

 そう言われて。

 ようやく杖が下がった。

 

 息を吐く。

 

 血の臭い。

 獣臭。

 鉄のような匂い。

 

 気持ち悪くなって顔をしかめる。

 

 その場から離れた。

 彼の方へ向いた。

 

「……何してるんですか?」

 

 ガルドを見る。

 

 彼は死体を調べていた。

 魔石を探しているようには見えない。

 

「ああ」

 

 ナイフを動かしながら答える。

 

「ちょっとな」

 

「面白いもんが見れる」

 

 そう言ってゴブリンの顎を持ち上げた。

 

 口を開く。

 黄ばんだ歯が並ぶ。

 

「顔寄せろ」

 

 嫌だった。

 

 でも従う。

 

 隣へしゃがみ込む。

 

「歯の隙間見ろ」

 

 言われて見る。

 確かに何か挟まっている。

 

「種だな」

 

 ガルドは言う。

 

「植物繊維もある」

 

 ナイフの先が腹へ向く。

 

「痩せてる」

 

「植物食中心だ」

 

「狩りが下手な奴らだな」

 

 私は首を傾げた。

 

「分かるんですか?」

 

「慣れだ」

 

 そう言って肩を竦める。

 

「こいつが成体だ」

 

「大人ってことですか?」

 

「ああ」

 

 ガルドは頷く。

 

「季節が変わる頃にはここまで育つ」

 

「二つ三つ季節が過ぎりゃ繁殖する」

 

 思った以上に早い。

 

 だから増える。

 だから厄介なのだろう。

 

 ガルドは続けた。

 

「逆に気を付けるのは太ったゴブリンだ」

 

「肉を食い始めたやつだ」

 

 そこで少しだけ表情が変わる。

 

「特にゴブリンロードな」

 

 私は思わず口を開く。

 

「前に戦ったやつ……」

 

「ああ」

 

 ガルドは頷いた。

 

「そいつだ」

 

 洞窟で見たあの赤いゴブリン。

 嫌でも思い出す。

 

「ああいうのがいると周りが変わる」

 

 ナイフで地面を指す。

 

「群れをまとめる」

 

「生き物を狩り尽くす」

 

「人間も襲う」

 

「増える」

 

 静かに聞く。

 

 森の空気が少し重くなる。

 

「だから兆候を見る」

 

 ガルドは立ち上がった。

 

「ゴブリンだけじゃねぇ」

 

「どんな魔物にもサインがある」

 

「痩せてる」

 

「増えてる」

 

「減ってる」

 

「逃げてる」

 

「集まってる」

 

「全部理由がある」

 

 私は死体を見る。

 さっきまでただ気持ち悪いだけだった。

 

 今は少し違う。

 

 そこに情報がある。

 意味がある。

 

「そういうのはな」

 

 ガルドはナイフをしまう。

 

「気付ければ見える」

 

 少し笑う。

 

「まぁ、最初から気付けたら苦労しねぇがな」

 

 そう言って歩き出した。

 

 私はもう一度だけ死体を見た。

 

 さっきまでの怒りは少し薄れていた。

 

 おじさんが見ていたものを探している自分がいた。

 

 このゴブリンは何を食べていたのか。

 どこから来たのか。

 群れはどれくらいいるのか。

 そんなことを考えている。

 

 ……少しだけ。

 冒険者らしい考え方なのかもしれなかった。

 

 その背中を追いながら、足を踏み出した。

 

 何も言わない時間だった。

 

 ただ歩く時間。

 それだけのはずなのに、妙に長く感じる。

 

 ガルドは半歩前を歩いていた。

 その背中を見るでもなく、横顔を見るでもなく、私は時折その様子を盗み見ていた。

 

 眠そうだった。

 

 欠伸を噛み殺すように口を開き、半分閉じたまぶたのまま歩いている。

 

 やる気があるようには見えない。

 

 今朝の出発から変わらない。

 

 いつも、ギルドで椅子に座っていた時も。

 怪我人を運んでいた時も。

 ゴブリンを見つけた時も。

 

 いつも同じだった。

 

 焦らない。

 慌てない。

 驚かない。

 

 起きたことを確認して、それについて一言だけ言う。

 

『運が良かったな』

 

 それだけ。

 褒めることもしない。

 大袈裟に叱ることもしない。

 

 姉のように強い言葉で諭すこともない。

 

 かといって無関心というわけでもない。

 妙な距離感だった。

 

 近いようで遠い。

 

 遠いようで、ちゃんと見ている。

 それが何なのか、まだ上手く言葉にできなかった。

 

 視線を森へ向ける。

 

 いつの間にか景色が変わっていた。

 

 木々が太い。

 背が高い。

 

 最初はちらほら混じる程度だった大木が、今では辺り一面を埋め尽くしている。

 

 根が盛り上がり、地面を押し上げる。

 

 絡み合った根が自然の柵のようになり、進路を塞ぐ。

 

 避けて進み、跨ぎ、乗り越える。

 

 ふと上を見る。

 木々の葉が空を覆っていた。

 

 重なり合う枝葉が巨大な天井のようになっている。

 

 その隙間から差し込む光だけが、揺れていた。

 風が吹くたびに木漏れ日が形を変える。

 

 影が流れる。

 

 地面が呼吸しているようだった。

 

 背の高い草は少ない。

 

 苔。

 藻。

 低い草。

 

 どこか湿っぽい。

 風は通るはずなのに空気が淀んでいる。

 鼻をつく湿った土の匂い。

 

 昨日の雨のせいだろうか。

 

 靴が少し沈む。

 ぬかるみとまではいかない。

 

 だが確かに湿っている。

 

 鳥の声も遠かった。

 小動物の気配も少ない。

 生き物が隠れそうな茂みもない。

 

 妙だった。

 

 静かすぎる。

 少しだけ不気味だ。

 

 だからだろうか。

 無意識に杖を握り直していた。

 

 その時だった。

 風が吹いた。

 そよ風。

 

 ほんの僅かな風。

 

 頬を撫でる。

 髪が揺れる。

 

 湿った空気が流される。

 

 それだけ。

 それだけなのに。

 

 違和感が残った。

 

 私は思わず口を開く。

 

「……あの、今の魔法ですか?」

 

「ん?」

 

 ガルドが振り返る。

 

「何だ急に」

 

 言われてから気付く。

 確証があったわけじゃない。

 

 ただ。

 何かを感じただけだった。

 

「……何でもないです」

 

 視線を逸らす。

 

 聞く相手を間違えた。

 魔力の機微なんて、この人に聞いても仕方がない。

 

 そう思った。

 

 やがて前方が明るくなる。

 

 光だ。

 森が終わる。

 

 洞窟から出る時のような感覚だった。

 

 思わず手をかざす。

 

 森を抜けた先には、小さな開けた場所があった。

 

 空が見える。

 

 風が通る。

 

 鳥の声が戻ってくる。

 

 生き物の気配がある。

 

 閉じられた空間から解放されたような感覚。

 

 ガルドが立ち止まった。

 

「ここだな」

 

 呟く。

 

 そして。

 

「ここで動くなよ」

 

「……はい?」

 

「じっとしてろ」

 

 言われるまま立ち止まる。

 

 ガルドは荷物を探り、小さなベルを取り出した。

 

 鈴だった。

 

 それを鳴らす。

 

 リン。

 

 リン。

 

 リン。

 

 リン。

 

 四回。

 

 少し間を置く。

 

 そして最後に。

 

 リン。

 

 一回だけ鳴らした。

 

 私は首を傾げる。

 

「何をしてるんですか?」

 

「挨拶だ」

 

「挨拶?」

 

「ああ」

 

 それだけだった。

 意味は説明してくれない。

 

 だから待つ。

 

 しばらくして。

 森の奥から音が返ってきた。

 

 リン。

 

 リン。

 

 リン。

 

 リン。

 

 同じ回数。

 同じ間隔。

 

 そして。

 リン。

 

 最後の一回。

 まるでやまびこだ。

 

 だが。

 もう一度だけ。

 

 リン。

 

 余計な音が鳴った。

 

 ガルドが深く息を吐く。

 

「はぁ……」

 

 面倒そうだった。

 それからもう一度。

 

 リン。

 

 リン。

 

 リン。

 

 リン。

 

 四回鳴らす。

 

 今度は最後の一回を鳴らさない。

 

 そのままベルの振り子を紐で固定し、荷物へ戻した。

 

 そして待つ。

 

 何も言わず。

 

 ただ待つ。

 私はその様子を見ながら考える。

 

 挨拶。

 

 バッククリフの時もそうだった。

 

 知らない相手に近付く前に。

 まず知らせる。

 敵じゃないと伝える。

 

 そういうことだろうか。

 

 だとすれば。

 この先には誰かがいる。

 

 あるいは、何かが。

 木々の向こうへ視線を向ける。

 

 しばらくして。

 人影が現れた。

 

 木陰の奥からゆっくり歩いてくる。

 

 腰には短剣。

 短杖。

 ベル。

 

 背には短弓。

 襷掛けの矢筒。

 

 森を歩くための装備。

 

 そして。

 

 人より長い耳。

 薄茶色の髪。

 気さくそうな笑顔。

 

 こちらへ手を振る姿。

 

 私は目を瞬かせた。

 

 エルフだった。

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