妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第100話 紫暁

 

 夜明け前の士官学校は、いつもより静かだった。

 

 静かすぎる、とガルマは思った。

 

 まだ起床ラッパの鳴る前だ。廊下に人の気配がないのはおかしくない。けれど、今夜の静けさは、眠っている建物の静けさではなかった。何かを待って息を潜めている時の静けさだった。

 

 薄い毛布を跳ねのけて起き上がると、外の明かりがいつもより白く見えた。窓の外、校舎の向こうの空はまだ暗いのに、寮の中だけが妙に目を覚ましているような感じがある。

 

 ガルマは上着を羽織り、扉の方を見た。

 

 その時、控えめに扉が叩かれた。

 

「ガルマ様」

 

 マレーネの声だった。

 

「入れ」

 

 扉が開く。先に入ってきたのはマレーネで、その後ろにゼナがいた。

 

 こんな時間に二人そろって来ること自体が珍しい。ガルマは眉をひそめた。

 

「何だ。何かあったのか」

 

 マレーネが扉を閉める。動きに無駄がなかった。いつもの落ち着きはそのままだが、今日はその落ち着きが妙に冷たく見える。

 

「少し、校内が騒がしくなります」

 

「少し、で済む顔をしていない」

 

 ガルマが言うと、ゼナが一歩前へ出た。

 

「今はお部屋を出ないでください」

 

「理由を聞いている」

 

「後で説明します」

 

「後で、で済ますな」

 

 ガルマの声が少し強くなる。

 

「外で何が起きてる」

 

 マレーネが短く答えた。

 

「動きが出ます」

 

「どこの」

 

「校内です」

 

 ガルマは二人を見た。

 

 ゼナはまっすぐガルマを見返している。逃げない目だった。マレーネは視線を少しだけ外し、部屋の窓、廊下、扉、その順に見ている。守る場所と退路を先に見ている目だった。

 

「兄上たちは知ってるのか」

 

 ガルマが聞く。

 

 マレーネが答える前に、ゼナが言った。

 

「知っています」

 

 それで余計に腹が立った。

 

「僕だけ知らないのか」

 

「今、ガルマ様が知るべきことは一つです」

 

 ゼナはためらわなかった。

 

「ここで動かないでください」

 

「命令か」

 

「お願いです」

 

「同じだ」

 

 ガルマは立ち上がった。

 

「何が起きる」

 

 マレーネがやっと正面からガルマを見た。

 

「あなたが表へ出ると、全部あなたの名になります」

 

 その言葉に、ガルマは一瞬だけ口を閉じた。

 

 意味は分かる。分かるが、納得は出来ない。

 

「だから外す気か」

 

「最初は」

 

「最初?」

 

「はい」

 

 マレーネは淡々としていた。

 

「最初だけです」

 

 そこで初めて、ガルマは二人がただ守りに来たのではないと気づいた。

 

 守るだけなら、こんな言い方はしない。

 

 外で起きることを、二人とも知っている。しかも止めるつもりではない。そういう顔だった。

 

「何が起きる」

 

 もう一度聞く。

 

 今度はゼナが答えた。

 

「校内が動きます」

 

「誰が」

 

「もう、何人か」

 

「何を」

 

「それは、もう始まっています」

 

 ガルマは歯を食いしばった。

 

 自分の知らないところで、自分のいる士官学校が動いている。しかもゼナもマレーネも、それを止める側ではない。こんな形で外されたことに、胸の奥が熱くなる。

 

「僕を子ども扱いするな」

 

 思わず出た言葉に、ゼナの目が少しだけ揺れた。

 

 だが、引かなかった。

 

「子ども扱いしているのではありません」

 

「なら何だ」

 

「守っています」

 

「同じだ」

 

 ガルマが吐き捨てるように言うと、マレーネが静かに言った。

 

「違います」

 

 その声が、意外なほど硬かった。

 

「子どもなら隠します」

 

「今しているのは、立たせる前に死なせないための整理です」

 

 ガルマはそこで言葉を失った。

 

 立たせる。

 

 その言葉だけが、部屋の中に少し遅れて残った。

 

 ラルの顔が、ふいに頭をよぎる。

 

 射撃場。汗。泥。朝焼けの訓練場。

 

『坊やでは駄目だ』

 

 ランバ・ラルはいつもそう言った。

 

『前へ出る時は、目立つために出るんじゃない』

 

『後ろの足を止めるために出るんだ』

 

 何度も聞かされた言葉だった。

 

 だが、その時のガルマは、まだどこかで分かっていなかった。

 

 前へ出ることは格好いいことではない。誰かが動揺した時に、自分の姿で動きを止めることだ。

 

 今、その言葉が妙に生々しく胸に刺さった。

 

 廊下の向こうで、誰かが走る音がした。

 

 校内放送はまだ鳴らない。

 

 だが、建物の内側で、もう何かが始まっている。

 

「……何をするつもりなんだ」

 

 ガルマが低く聞くと、マレーネは一拍置いて答えた。

 

「まだ、追悼です」

 

「まだ?」

 

「今は」

 

 ガルマは扉の方を見た。

 

 今は、ということは、その後があるのだ。

 

「ドズル兄は」

 

「今、ゼナさんが」

 

「私が行きます」

 

 ゼナが言った。

 

「ドズル様が前へ出れば、全部壊れます」

 

「兄が壊すと?」

 

「今は」

 

 ゼナは言い直さなかった。

 

 今は。

 

 その二文字が、全部を説明していた。

 

 ドズルが悪いのではない。だが今のこの場に限っては、出れば壊す。だから止める。そういうことだ。

 

「マレーネ」

 

 ガルマが呼ぶ。

 

「はい」

 

「お前は誰の命令で動いている」

 

 マレーネは少しだけ視線を外し、それから戻した。

 

「キシリア閣下です」

 

 やはり、と思う。

 

 キシリアが絡んでいる。

 

 それだけで、少し腹が立って、少し安心もした。姉は冷たいが、筋の通らないことはあまりしない。

 

「ゼナ」

 

「はい」

 

「お前は」

 

「私は、ドズル様を止めるために来ました」

 

 そちらは正直だった。

 

 ガルマは小さく息を吐いた。

 

「分かった」

 

 そう言った自分に、二人とも少しだけ驚いた顔をした。

 

「最初は従う」

 

 ガルマは続けた。

 

「でも、全部が分かったら、僕は出る」

 

「ガルマ様」

 

「ラルは、そうしろと言った」

 

 それだけで十分だった。

 

 ゼナは口を閉じ、マレーネもそれ以上は言わなかった。

 

 ドズルは、すでに起きていた。

 

 起きていたどころではない。半ば出て行くところだった。

 

 士官学校の上級区画をつなぐ廊下で、護衛の二人を振り切るように歩いている。肩幅の広い背中が、狭い廊下に妙な圧を作っていた。

 

「どけ」

 

 短く、低い声だった。

 

 護衛が返事に困った、その時にゼナが前へ出た。

 

「ドズル様」

 

 その声で、ドズルが止まる。

 

「……何だ」

 

「今はお止まりください」

 

「何が起きてる」

 

「校内で動きがあります」

 

「知ってる」

 

 ドズルの声に苛立ちが混じる。

 

「だから行くんだ」

 

「駄目です」

 

「どけ」

 

 ゼナはどかなかった。

 

 その横へ、少し遅れてマレーネが来る。息も切らしていない。

 

「ガルマ様は無事です」

 

 ドズルの目がそちらへ向いた。

 

「どこだ」

 

「安全な場所へ」

 

「会わせろ」

 

「今はまだ」

 

「マレーネ」

 

 ドズルが一歩前へ出る。

 

「俺に命令する気か」

 

「いいえ」

 

 マレーネは表情を変えなかった。

 

「報告です」

 

「門はもう閉じています」

 

「通信も一部押さえられました」

 

「武器庫も、今から取り戻すには遅いです」

 

 ドズルの顔つきが変わった。

 

 学生の騒ぎではない、とそこで初めて悟ったのだ。

 

「誰だ」

 

「今はまだ」

 

「誰がやってる」

 

 今度はゼナが答えた。

 

「校内の者たちです」

 

「止める」

 

「今は駄目です」

 

「だからどけと言ってる!」

 

 怒鳴り声が廊下へ響く。

 

 護衛が身を固くする。

 

 だがゼナは引かない。

 

「今ドズル様が出れば、向こうも引けなくなります」

 

「引かせればいい」

 

「ガルマ様まで巻き込みます」

 

 その一言で、ドズルが止まった。

 

 止まった、というより、踏み出しかけた足が床に縫われた。

 

「……ガルマは無事なんだな」

 

「はい」

 

 ゼナの返答は速かった。

 

「今は」

 

 ドズルは歯を食いしばったまま、しばらく何も言わなかった。

 

 怒りだけなら前へ出られた。

 

 だが、ガルマの名前が出ると止まる。

 

 ゼナはそれを分かっていて、この場に立っている。

 

 マレーネはドズルではなく、その周囲の護衛や通路の先を見ている。逃げ道と時間を測っている目だ。

 

 ドズルは二人を見た。

 

 正面に立つゼナ。ひるまない。細い肩なのに、妙に折れない感じがある。

 

 その横のマレーネ。こちらを見ていない。事実だけを並べ、必要なところだけ押さえている。

 

「……お前たち」

 

 ドズルは低く言った。

 

「最初からこうなると知ってたのか」

 

 ゼナは答えない。

 

 マレーネも答えない。

 

 沈黙が、そのまま答えだった。

 

 ドズルは重い息を吐いた。

 

「気に入らん」

 

「でしょうね」

 

 マレーネがさらりと言った。

 

「だが」

 

 ドズルはゼナを見た。

 

「ガルマが無事なら、今はよしだ」

 

 そう言った自分に腹が立っている顔だった。

 

 だが、止まった。

 

 それだけで十分だった。

 

 校内は、もう動いていた。

 

 通信室では、若い候補生が手元の端末へ低い声で数字を打ち込んでいる。その後ろに立つ男の顔は、士官学校の制服には見えても、目が生徒のものではない。キシリア機関の人間だった。

 

「外部回線、北側切れました」

 

「いい」

 

「南は」

 

「まだ残せ。全部切るな」

 

 武器庫では、帳簿の一枚が抜かれ、鍵束が分けられている。

 

 医務室では、ベッドが二つ空けられ、消毒液が多めに出されていた。

 

 車両庫では、訓練用の小型車両が一台、いつでも動ける向きへ変えられている。

 

 どれも派手ではない。だが、こういう細かい動きが揃った時、もう事件は始まっている。

 

 ガルマは、マレーネに連れられて少し高い位置の回廊へ出た。

 

 そこから校庭と主要校舎の一部が見える。

 

 夜はもう薄れてきていた。空はまだ暗いが、建物の輪郭が見える程度には明るい。

 

 最初に目に入ったのは、寮棟の窓から下がる細い布だった。

 

 紫。

 

 次に通信室の腕章。

 

 紫。

 

 医務室の扉の横。

 

 紫。

 

 武器庫前の結束印。

 

 紫。

 

 ガルマは立ち止まった。

 

「……あれは」

 

 マレーネは隠さなかった。

 

「誰かが巻き始めました」

 

「誰かって」

 

「もう分かりません」

 

 それは本当だった。

 

 誰か一人が始めたわけではない。たぶん最初は、誰かが手近な布を巻いただけだ。だが紫はガルマの色だった。士官学校では皆が知っている。制服の飾り、私物の差し色、訓練で使う識別札。ガルマがまだ幼い頃から、紫は自然に彼の色として定着していた。

 

 それが今、校内に増えている。

 

 ガルマの喉が少しだけ乾く。

 

「勝手に……」

 

「はい」

 

 マレーネは否定しない。

 

「勝手に、です」

 

 だからこそ重い。

 

 もし誰かが命じていたなら、取り消せたかもしれない。だが自然に広がった色は、もう誰のものでもない。

 

 下の校庭で、若い声が上がった。

 

「南門、閉鎖!」

 

「通信維持!」

 

「医務室、こっちだ!」

 

 命令は短い。演説はない。

 

 それがかえって怖かった。

 

 誰か一人の気まぐれではなく、役が分かれている。ちゃんと動くつもりの集団の声だった。

 

 その時、別の方向から小さな声が聞こえた。

 

「……紫の暁だな」

 

 振り向くと、武器庫前にいた候補生の一人が、校舎の窓に増えた紫布を見て呟いていた。

 

 すぐ隣の者が繰り返す。

 

「紫暁……」

 

 誰かが笑うでもなく、否定するでもなく、その言葉がその場に落ちる。

 

 そして数歩離れた別の組が、それをそのまま使う。

 

「北棟、紫暁だ!」

 

 それで決まった。

 

 名前は、誰かが決めるものではない。気づけば皆が同じ口で呼んでいる。そういう時に決まる。

 

 ガルマはその言葉を聞き、少しだけ目を見開いた。

 

 紫暁。

 

 自分の色が、夜明け前の校内で蜂起の名になる。

 

 まだ実感が追いつかなかった。

 

 だが、もう戻らないことだけは分かった。

 

「……僕の名になる」

 

 ガルマが低く言う。

 

「はい」

 

 マレーネの返事は短い。

 

「今、ガルマ様が表へ出れば」

 

「全部、僕の蜂起になるな」

 

「そうです」

 

「出なければ」

 

「色だけが立ちます」

 

 それもまた嫌だった。

 

 自分が何もしていないのに、自分の色だけが旗になる。守られて隠れているうちに、誰かが自分の名で傷つく。それはもっと嫌だった。

 

 ラルの声がまたよぎる。

 

『旗になるなら、自分の足で立て』

 

 ガルマは短く息を吸った。

 

「マレーネ」

 

「はい」

 

「止めるな」

 

「止めます」

 

「止めるな」

 

 今度は少し強く言った。

 

 マレーネが初めて、わずかに困った顔をした。

 

「危険です」

 

「分かってる」

 

「まだ早いです」

 

「もう遅い」

 

 下では、校門の一つが閉じられる音がした。

 

「僕の色を使ってる」

 

 ガルマは言う。

 

「だったら、僕が行く」

 

 マレーネは何か言いかけた。

 

 だがその前に、ガルマの顔を見て口を閉じた。いつもの甘さが消えている。幼いところはある。だが、逃げる顔ではない。

 

 彼女は一度だけ目を伏せ、それから言った。

 

「……では、私が先に出ます」

 

「いい」

 

「よくありません」

 

「なら一緒に来い」

 

 ガルマはもう歩き出していた。

 

 校内放送室へ入ると、中は熱を持っていた。

 

 端末、配線、走り回る候補生、短い指示。そこにガルマが入った瞬間、何人かが目を見開く。

 

「ガルマ様」

 

 誰かがそう言った。

 

 その一言で、室内の空気が一度止まる。

 

 止まったのは数秒だった。だが、その数秒で十分だった。皆、自分たちの色の持ち主が本当にここへ来たと理解した。

 

 ガルマは大きな声を出さなかった。

 

「撃つな」

 

 それが最初の言葉だった。

 

 皆が黙って聞く。

 

「校内の者を先に守れ」

 

「負傷者を運べ」

 

「門は閉じろ」

 

「勝手に飛び出すな」

 

 短い命令だった。だが、散らかった空気には十分だった。

 

「僕の名を使うなら、勝手な真似は許さない」

 

 その一言で、空気が締まる。

 

 感動も歓声もなかった。代わりに、そこにいた者たちの顔から迷いが少し消えた。

 

 ラルの言っていたことは、こういうことかとガルマはようやく思った。

 

 前へ出るのは、格好をつけるためではない。

 

 後ろの足を止めるためだ。

 

 その時、外で銃声ではない硬い音がした。門前で盾がぶつかった音だ。

 

 連邦駐屯軍が、もう校門の外へ来ている。

 

「南門!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

「押してきます!」

 

 ガルマは顔を上げた。

 

 怖くないわけがない。腹の底が冷える。足の裏が浮くような感じもある。

 

 だが、それを見せれば終わる。

 

「撃つな」

 

 もう一度言う。

 

「まだ撃つな」

 

 校内の若者たちが一斉に頷く。

 

 紫の腕章が動く。

 

 紫の布が窓で揺れる。

 

 夜明け前の薄い光の中で、その色だけが妙に鮮やかだった。

 

 連邦駐屯軍の側から見えたのは、閉じられた門と、その上に垂れた紫布だった。

 

「何だ、あれは」

 

 若い兵が言う。

 

 上官は答えなかった。

 

 だが答えは、校舎の窓に次々現れた紫を見れば十分だった。

 

 識別色だ。

 

 しかも誰か一人の思いつきではない。全体に広がっている。

 

「士官学校、完全に押さえられてます」

 

「そんな馬鹿な」

 

「内部からです」

 

 上官は顔をしかめた。

 

「誰が立っている」

 

 双眼鏡を上げる。

 

 そして、校舎の回廊に立つ一人を見つける。

 

「あれは……」

 

 ガルマ・ザビ。

 

 その名がその場に出た瞬間、兵たちの顔が変わった。

 

 ただの学生騒ぎではなくなったからだ。

 

 ズムシティでは、その報告がすぐに上がった。

 

 執務室へ入ってきた報告官は、少しだけ声を上ずらせていた。

 

「士官学校、蜂起しました」

 

 キシリアが目を上げる。

 

「校内識別は」

 

「紫です」

 

 ギレンは一度だけ瞬きをした。

 

「ガルマは」

 

「無事です」

 

 報告官が続ける。

 

「それと……」

 

「何だ」

 

「ガルマ様が前へ出ました」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 キシリアが先に口を開く。

 

「予定より早かったですね」

 

 ギレンは少しだけ考え、それから言った。

 

「いや」

 

 窓の外、まだ薄暗いズムシティの空を見たまま続ける。

 

「それでいい」

 

「前より上手くいったわ」

 

 キシリアが言う。

 

 ギレンは首を振った。

 

「前より厄介だ」

 

「どうして?」

 

「本人が立っていない旗は、倒せば終わる」

 

 ギレンは静かに言う。

 

「だが、本人が立った色は、倒しても残る」

 

 キシリアはそれを聞いて、小さく笑った。

 

「確かに」

 

 夜明けはもう近い。

 

 その朝、校舎に広がった紫は、最初はただの目印だった。

 

 だが、それを見た者の多くは、もう旗として受け取っていた。

 

 蜂起が一段落したのは、日が完全に上ってからだった。

 

 士官学校側は校内掌握に成功し、連邦駐屯軍は校門の外で睨み合いに留まった。小規模な衝突はあった。負傷者も出た。だが全面射撃にはならなかった。

 

 その一因は、ガルマが前へ出たことだ。

 

 校内の誰もが、それを後で認めることになる。

 

 そしてそれが、後になってもっと面倒を呼ぶことになる。

 

 ザビ家本邸の会議室には、夕刻になってようやく静けさが戻った。

 

 報告官が読み上げる。

 

「士官学校、校内掌握維持」 「外部波及、継続」 「ガルマ様、無事」 「校内識別色、紫」 「学生間通称、紫暁」

 

 デギンは黙って聞いていた。

 

 報告が終わって、やがて一言だけ問う。

 

「……ガルマは無事か」

 

「はい」

 

 それでデギンは立ち上がった。

 

「後はやれ」

 

 扉へ向かいながら、低く言う。

 

「だが、ガルマにだけは、余計なものを背負わせるな」

 

 扉が閉まる。

 

 部屋に残ったのはギレンとキシリアだけだった。

 

 少しの沈黙のあと、キシリアが先に言う。

 

「……父上は兄上が」

 

「いや、お前だろう」

 

「私は現場の後始末があります」

 

「ドズルの方が面倒だ」

 

 キシリアが小さく笑う。

 

「ドズルは兄上の言うことしか聞かないでしょう」

 

「誰の言うことも聞かん」

 

「でも兄上の前では、まだ弟よ」

 

「お前の前では?」

 

「完全に敵ね」

 

 二人は少しだけ笑った。

 

 そしてキシリアが真面目な顔に戻る。

 

「ドズルは怒っているわ」 「ガルマを危険に晒したと思っている」

 

 ギレンは一瞬だけ黙った。

 

「……実際、危険だった」

 

「でも、あそこで出なければ、ただの神輿だった」

 

「ああ」

 

 キシリアは窓の外を見た。

 

「立ってしまったわね」

 

 ギレンも同じ方を見る。

 

「……立ってしまったな」

 

「父上は怒ってはいないわ」 「でも、もう子ども扱いはしない」

 

「ドズルは逆だな」 「一生子ども扱いする」

 

「だから面倒なのよ」

 

 キシリアはため息をついた。

 

「父上は兄上が行って」 「ドズルは私が行く」

 

「逆の方が楽だと思うがな」

 

「兄上は楽をしすぎです」

 

「お前は面倒を避けすぎだ」

 

「政治は面倒を押し付ける仕事でしょう」

 

「その通りだ」

 

 また少しだけ笑う。

 

 そしてキシリアが静かに言った。

 

「でも、これで戻れなくなったわね」

 

「ああ」

 

「紫暁、か」

 

「誰が言い出した」

 

「学生たち」

 

 ギレンは小さく頷いた。

 

「いい名前だ」

 

「ガルマの色よ」

 

「だからいい」

 

 しばらく沈黙。

 

 やがてキシリアが言う。

 

「父とドズル、どっちが大変かしら」

 

 ギレンは少し考えてから言った。

 

「……父上だな」

 

 キシリアはすぐに言う。

 

「じゃあ、そっちお願い」

 

「お前はドズルだ」

 

 キシリアは大きくため息をついた。

 

「はぁ……」

 

 二人は席を立った。

 

 国家の大仕事のあと、二人が最後に押し付け合ったのは、戦争でも政治でもなく、家族の面倒だった。




お疲れ様です。腹黒兄妹走り切りました。

後は家族のケア頑張って下さい。
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