妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第101話 一枚の写真

 

 ジャブローの会議室は、朝だというのに空気が湿っていた。

 

 地上の空気そのものが悪いわけではない。閉め切った部屋に、一晩で何本も吸い殻と報告書が積み上がると、どこの空気でも重くなる。それだけのことだ。

 

 レビルは入室してすぐ、机の中央に積まれた書類の山を見た。

 

 ルグラン号臨検事件の事故報告。

 

 委託検査会社の業務記録。

 

 各サイドの追悼集会と鎮圧記録。

 

 士官学校蜂起の経過報告。

 

 そして写真。

 

 数は多い。だが、言っていることは一つだった。

 

 連邦は続けてしくじった。

 

 それだけだ。

 

 席にはもう何人か着いていた。ゴップは最初から眉間に皺を寄せ、ジャミトフは手元の写真を裏返したり戻したりしている。コリニーは徹夜明けらしく顔色が悪い。文官たちは視線を合わせない。

 

 誰も口火を切りたくない朝だった。

 

 レビルは椅子に座り、書類に手を伸ばさないまま言った。

 

「士官学校の件からだ」

 

 報告役の士官が立ち上がる。

 

「はっ。サイド3士官学校では、夜明け前に通信室、武器庫、車両庫への導線が押さえられました。駐屯軍側は翌朝予定していた市内治安出動を実施できず、校内への再進入にも失敗。結果として武装解除と撤退を強いられております」

 

 部屋の空気がもう一段悪くなる。

 

 レビルは報告役を見た。

 

「撃ったのか」

 

「局地的な発砲はありましたが、組織的な交戦には至っておりません」

 

「押し返されたのだな」

 

「……はい」

 

 その一言で十分だった。

 

 治安維持に出るはずの軍が、学生に押し返された。言葉を足せば足すほどみっともなくなる話だ。

 

 ゴップが鼻の奥で短く息を鳴らした。

 

「各サイドの反応は」

 

 別の文官が紙をめくった。

 

「追悼集会の映像と、士官学校蜂起の写真が結びついて広がっています。サイド1、2、5で類似集会の呼びかけが確認されています。港湾労組と学生組織の接触も増えています」

 

「増えています、で済ませるな」

 

 ゴップの声は静かだったが、机の上の水差しまで少し止まったように見えた。

 

「いつからだ」

 

「……ルグラン号事件の生還者証言が出てからです」

 

「つまり最初からだ」

 

 誰も反論しない。

 

 情報分析官が、机の中央へ一枚の紙を置いた。線と矢印だけの簡単な図だった。

 

 ルグラン号。

 

 死者。

 

 追悼集会。

 

 鎮圧と負傷者。

 

 士官学校蜂起。

 

 駐屯軍撤退。

 

 写真拡散。

 

 ゴップがそれを見て言う。

 

「誰が作った」

 

「情報局です。起きた順に並べただけです」

 

 ジャミトフが少し身を乗り出した。

 

「船を止めた」

 

「人が死んだ」

 

「葬式が開かれた」

 

「そこでまた血が出た」

 

「今度は学生が立った」

 

「軍が押し返された」

 

 指先で順に追う。

 

「こちらは毎回、別の案件のつもりで処理している」

 

「だが向こうから見れば、一つの話です」

 

 コリニーも低く続けた。

 

「港の連中は、船で人が死んだ話しかしていない」

 

「遺族は、葬式で殴られた話しかしていない」

 

「学生は、軍が学校へ来た話しかしていない」

 

 そこで一度言葉を切る。

 

「だが、あいつらの中じゃ全部つながっている」

 

 レビルは黙ったまま、その図を見た。

 

 それが一番腹立たしかった。

 

 線で書けば簡単だ。だが、この一本の線が出来るまでに、どれだけこちらが手を貸したか分からない。

 

 情報分析官が、今度は写真を一枚滑らせた。

 

 校舎前に立つガルマ・ザビだった。紫の識別布が見える。若い。まだ顔の輪郭にも甘さが残っている。

 

 ジャミトフが口元だけで笑った。

 

「末弟ですか」

 

 コリニーが言う。

 

「神輿だな」

 

 ゴップも頷いた。

 

「これだけなら、まだ若造を担いだ騒ぎで済む」

 

「これだけなら、です」

 

 分析官がもう一枚出した。

 

 同じ場面を少し引いた角度から撮った写真だった。ガルマの後ろに数人の学生が立っている。その中に、一人だけ妙にはっきり顔の見える少女がいた。

 

「身元が出ました」

 

 分析官は手元の資料を見た。

 

「ダイクン派の重鎮、マハラジャ・カーンの娘」

 

「マレーネ・カーンです」

 

 そこで初めて、ジャミトフの手が止まった。

 

「……カーン家か」

 

 写真を引き寄せる。

 

「前じゃない。横でもない」

 

「真後ろだ」

 

 分析官が続ける。

 

「同時間帯の別角度写真でも、ほぼ同じ位置にいます。偶然映り込んだのではなく、意図的にその位置を取っていた可能性が高いと考えています」

 

 ジャミトフは写真の上に指を置いた。

 

「ガルマ・ザビだけなら、まだ若造を担いだ学生騒ぎで片づきます」

 

 今度は少女の方を示す。

 

「だが、その後ろにいるのが、ただの学生じゃない」

 

「マハラジャ・カーンの娘だ」

 

 部屋を見回した。

 

「カーン家の娘が、ザビ家の末弟の後ろに立っている」

 

「これを見た連中は、もうザビ家の内輪もめとは思わないでしょう」

 

 ゴップは腕を組んだまま、写真から目を離さない。

 

 ジャミトフは続けた。

 

「ダイクン派の家も乗った、と受け取る」

 

「学生も乗っている」

 

「遺族も港の連中も、その後ろへ並び始める」

 

「そうなると厄介です」

 

「誰か一人を引きずり下ろして終わる話ではなくなる」

 

 コリニーが低く言った。

 

「ガルマ一人なら、まだ末弟で済んだ」

 

「マレーネ一人なら、まだダイクン派の名残で済んだ」

 

「だが二人が同じ画面にいる」

 

 ゴップがそこで引き取る。

 

「各サイドの連中は、こちらの理屈で物を見ない」

 

「ザビ家の坊やの後ろに、カーン家の娘が立っている」

 

「それで十分だ」

 

 誰も、その通りだと言いたくなかった。だが否定も出来なかった。

 

 レビルがようやく口を開いた。

 

「誰が、あの船をあの場所で止めた」

 

 文官が少し肩を震わせる。

 

「人員不足で、検査業務の一部を――」

 

「規定の話をしているのではない」

 

 レビルの声は低かった。

 

「誰が、何を、どう間違えたかを聞いている」

 

 文官は口を閉じた。

 

 レビルは机の上の報告書を指で押さえた。

 

「サイド3への警戒は必要だった」

 

「監視も必要だった」

 

 そこまでは誰も反論しない。

 

「だが、お前たちはそれを食い物にした」

 

 その一言で、部屋の空気が刺々しく固まる。

 

「委託に流し、現場に丸投げし、問題が起きれば現場の責任にする」

 

「その結果がこれだ」

 

 レビルはガルマとマレーネの写真を指した。

 

「船で人を死なせ、葬式で血を流し、最後に向こうへ絵まで渡した」

 

 ゴップが静かに口を挟む。

 

「怒鳴って済む段階ではないぞ、レビル」

 

「分かっている」

 

「なら次だ」

 

 ゴップは文官たちを見た。

 

「何を切る」

 

 軍監督部門の文官が渋い顔で言う。

 

「ルグラン号に関わった委託検査会社の現場責任者を更迭」

 

「加えて港湾監督局側の担当二名を異動」

 

「公式には、検査手順の不備と安全配慮不足として処理できます」

 

「そこまでだな」

 

 ゴップが言う。

 

 文官は答えない。答えなくても分かるからだ。そこから上を掘れば、議員筋も退役軍人の口利きも、軍監督部門の顔も出る。

 

 ゴップは吐き捨てるように言った。

 

「いい。尻尾は切れ」

 

「全部掘るな。今は燃え広がる」

 

 今度はレビルが言う。

 

「民間船臨検は見直す」

 

「危険宙域での強制停船は禁止だ」

 

「委託会社の権限も削れ」

 

 コリニーが頷く。

 

「駐屯軍も配置を替えます」

 

「挑発に乗りやすい部隊を外す」

 

「治安出動時の権限を一本化し、現場判断を絞る」

 

「次にまた同じ命令が飛べば、同じことを繰り返します」

 

 ジャミトフがそこで口を開いた。

 

「表では引く、ですか」

 

 誰もすぐには答えない。

 

 ジャミトフは続けた。

 

「なら裏でやるしかない」

 

 視線が集まる。

 

「遺族会、学生組織、港湾労組、士官学校関係者、記者、教師」

 

「全部名簿化するべきです」

 

 ゴップが眉をひそめる。

 

「今やれば、また向こうへ材料を渡す」

 

「表からはやりません」

 

 ジャミトフの声は落ち着いていた。

 

「ザビ家とダイクン派が本当に一つかどうかも分からない」

 

「なら、疑わせればいい」

 

 机の上の写真を見た。

 

「マレーネ・カーンは利用されている」

 

「ガルマ・ザビは担がれているだけだ」

 

「そういう話は作れます」

 

 レビルが睨んだ。

 

「今また、向こうに絵を渡す気か」

 

「絵を壊すんです」

 

 ジャミトフは引かない。

 

「軍を前に出せないなら、綺麗に見えるものから崩すしかない」

 

 ゴップが低く言う。

 

「急ぐな」

 

「今は写真が強すぎる」

 

「刺すなら、向こうの熱が少し下がってからだ」

 

 コリニーが小さく息を吐いた。

 

「現場はもう怯えています」

 

「次にまた追悼集会が起きれば、命令を出しても動きが鈍る」

 

「今のままでは、軍は引いても前に出てもまずい」

 

 レビルは、それを聞いて目を閉じた。

 

 分かっていた。

 

 正しい危機感はあった。サイド3は放っておけば危険だ。そこまでは間違っていない。

 

 だが、軍が自分で汚れずに済むやり方を選び、現場は実績欲しさに危ない場所で船を止め、葬式を殴った。その一つ一つが全部つながって、最後にあの写真になった。

 

 会議は長引いたが、きれいな結論は出なかった。

 

 表向きは、委託検査会社の責任者更迭。

 

 民間船臨検手順の見直し。

 

 追悼集会への武装駐屯軍の正面介入は縮小。

 

 各サイドの穏健派へ、資金と便宜でつなぎを入れる。

 

 裏では、名簿を作る。

 

 マレーネ・カーンの監視を強める。

 

 ガルマ・ザビの実像を洗う。

 

 ザビ家とダイクン派の間に噂を流す準備をする。

 

 正面から殴って失敗したから、次は笑った顔で首を絞める。

 

 そういう方針だけが残った。

 

 人が出ていき、会議室にはレビルだけが少し残った。

 

 机の上には、裏返しのまま放っておかれた写真が一枚ある。

 

 レビルはそれを表へ返した。

 

 士官学校の朝。

 

 紫の腕章。

 

 若い学生たち。

 

 中央に立つガルマ・ザビ。

 

 そのすぐ後ろに、マレーネ・カーン。

 

 末弟一人なら、若造の騒ぎで済んだ。

 

 カーン家の娘一人なら、ダイクン派の名残で済んだ。

 

 だが二人が同じ場所に立っている。

 

 これを見た者は、もう別の話だと思うだろう。

 

 レビルは写真を机に伏せ、ゆっくり立ち上がった。

 

「……これは、軍の仕事じゃないな」

 

 言ってから、自分で少しだけ口元を歪めた。

 

 軍の仕事ではない。だが軍が作った。

 

 そういう話が、一番始末が悪い。

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