妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第103話 地球行きの荷

 

 サイド7の朝は、昔より少しだけ早く動くようになっていた。

 

 まだ照明の色が夜の名残を引いている時間から、荷捌き場の奥ではもうモビルワーカーが腕を動かしている。鉄骨、保安材、壁材、配線束、補修用のユニット箱。以前は一山ずつ片づけていた荷が、今ではいくつもの流れに分かれていた。

 

 黒猫ルシファー・ロジスティクス商会の看板は、まだ新しい。

 

 けれど、その看板の前を行き来する人間の足は、もう迷っていなかった。

 

「三番車、先に回して」

 

 エドワウが言う。

 

「そっちは昼までに医務区画へ入る。工区便に混ぜるな」

 

 伝票を持った若い作業員が頷く。

 

「はい」

 

「札も付け直せ。赤線二本じゃなくて一本だ」

 

「危険物扱いじゃないんですね」

 

「精密機材だ。落とすな、でも怖がるな」

 

 作業員は慌てて走っていった。

 

 その横で、セイラが帳面に赤鉛筆を走らせている。

 

「三番車、医務区画直行」

 

 小さく読み上げてから、顔を上げた。

 

「朝一番で精密機材、二便目で保安用品、昼前に補修材。今日も詰めすぎじゃない?」

 

「詰めてるんじゃない。切れなくなった」

 

 エドワウはそう言いながら、荷札の束を指先で揃えた。

 

 少し前までなら、来た仕事を順番に片づけていけばよかった。

 

 今は違う。

 

 ヤシマ建設の定常便があり、居住区画の小口搬送があり、工区の横持ちがあり、臨時のシャトル便がある。その間に、別の会社から割り込む補修案件や保安案件が入る。どれか一つが遅れると、後ろで二つ三つ詰まるようになっていた。

 

 人も増えた。荷も増えた。

 

 けれど、本当に増えたのは、待ってくれない流れの方だった。

 

「兄さん」

 

 セイラが言う。

 

「朝ごはん、ちゃんと食べた?」

 

「食べた」

 

「嘘」

 

「半分は食べた」

 

「それは食べたって言わないの」

 

 セイラは帳面を閉じた。

 

「あとでちゃんと持っていくから、今度は逃げないで」

 

「逃げてない」

 

「いつも歩きながら食べるでしょう」

 

 エドワウは少しだけ笑った。

 

「分かった」

 

「分かってない顔してる」

 

 その時、荷捌き場の入口の方で人の流れが少しだけ変わった。

 

 作業員たちが、誰かに気づいて道を空ける。

 

 ミライだった。

 

 以前より現場へ来る回数が増えている。服も前ほど“娘さん”の格好ではなくなっていた。きちんとしているのに、足元はちゃんと動きやすい靴だ。髪も邪魔にならないようにまとめている。

 

 ただし、それでも周囲の景色の中では少しだけ綺麗すぎる。

 

 ミライは荷の流れを一度見渡してから、まっすぐこちらへ来た。

 

「忙しい?」

 

「今さら聞くなよ」

 

「一応聞いたの」

 

 少しだけ肩をすくめる。

 

「父が呼んでる」

 

 エドワウが手を止めた。

 

 その言い方で分かる。

 

 ただの進捗確認ではない。

 

「今すぐ?」

 

「うん。手が空いたら、じゃなくて、今」

 

 セイラが兄を見た。

 

「行ってきて。こっちは私が見てる」

 

「悪い」

 

「悪いと思うなら朝ごはん食べて」

 

「それは後で」

 

「ほら」

 

 セイラはもう笑っていた。

 

 エドワウは伝票束を机へ置き、上着についた埃を軽く払ってからミライの横に並んだ。

 

 歩き出すと、ミライが小さな声で言う。

 

「大きめの話だと思う」

 

「顔に出てる?」

 

「少し」

 

「お前もだよ」

 

「私?」

 

「呼びに来る時、いつもより早かった」

 

 ミライは一瞬だけ口をつぐみ、それから前を向いた。

 

「……走ったのは見てたのね」

 

「見えるよ、そのくらい」

 

 ミライは少しだけ不満そうな顔をしたが、何も言い返さなかった。

 

 ヤシマ側の事務室は、いつ来ても整っていた。

 

 乱雑ではない。だが冷たすぎる整頓でもない。机の上の紙も棚の箱も、人が使う順番に置かれている。シュウ・ヤシマの仕事場らしい部屋だった。

 

 その本人は窓際の机の前に座っていた。

 

「来たか」

 

「はい」

 

 エドワウが頭を下げる。

 

 シュウはすぐに本題へ入らなかった。机の上の書類を一枚閉じ、眼鏡を外し、それから座れと手で示した。

 

「朝から悪いな」

 

「いえ」

 

「忙しいだろう」

 

「ええ、まあ」

 

「顔に出るようになったな」

 

 少しだけ笑う。

 

「最初の頃は、忙しくても平気な顔をしようとしていた」

 

 エドワウは少しだけ肩をすくめた。

 

「慣れました」

 

「慣れたか」

 

 シュウは頷いた。

 

「いいことだ」

 

 机の上には、何件かの書類が広げてある。サイド7工区の図面、搬送予定表、資材一覧。その端に、色の違う封筒が一つだけ置かれていた。

 

 エドワウがそちらへ一度視線をやったのを、シュウは見逃さなかった。

 

「目ざといな」

 

「見えるところに置いてありますから」

 

「見せるつもりで置いた」

 

 それで少しだけ空気が変わる。

 

 シュウはまず、いつもの仕事の話から始めた。

 

「居住区画の補修便は、このままお前のところで回してくれ」

 

「はい」

 

「工区四番の保安材は前倒しになった。来週のつもりでいたが、二日縮む」

 

「人は出せます」

 

「助かる」

 

「それと、北側の医務区画だが、資材の入りが遅れている。別口で取れそうか?」

 

「一つ当たりがあります」

 

「ならそっちを使え。値は少し上がっても構わん」

 

 やり取りは短い。だが、前とは違っていた。

 

 指示を受けるだけではない。

 現場でどう回すかを前提に話している。

 

 シュウはそれを一つひとつ確かめるように進めていた。

 

 ひと通り通常案件の話が終わると、シュウは机の端に置いてあった色違いの封筒へ手を伸ばした。

 

「もう一つある」

 

 その言い方は、柔らかかった。

 

 重い話の前にわざと柔らかくした、というより、話す相手を少し気づかっている時の声だった。

 

 エドワウは黙って待つ。

 

 シュウは封筒から書類を出し、机の上で向きをそろえてから言った。

 

「地球へ行けるか」

 

 エドワウは一瞬だけ止まった。

 

「地球、ですか」

 

「ああ」

 

「急ぎですか」

 

「急ぎだ。だが急がせるだけの話じゃない」

 

 シュウは書類をエドワウの前へ滑らせた。

 

 行き先は、ジャブロー方面。

 

 表向きの品目は建設補給材、換気系統の補修部材、保安隔壁の制御ユニット、精密機材。武器ではない。だが、どれも雑に扱えない荷だった。

 

「地下施設向けの案件だ」

 

 シュウが言う。

 

「受け渡しが少し面倒でな。途中で数量も品目も変わるかもしれん」

 

「現地判断が要る」

 

「そういうことだ」

 

 ミライは部屋の隅に立ったまま、黙って聞いている。

 

 シュウは机に肘をつかず、まっすぐエドワウを見た。

 

「荷そのものより、途中で変わる話の方が厄介だ」

 

「地球の荷は、宇宙みたいに紙の通りには流れん」

 

 エドワウは書類をめくった。

 

 確かに少し面倒だった。積み替え候補地、現地調整、受け取り責任者未定。普通なら、ベテランの番頭か大手の専任を出す案件だ。

 

「俺ですか」

 

 聞くと、シュウは頷いた。

 

「お前だ」

 

「どうしてです」

 

 シュウは少し考え、それから言った。

 

「お前は運転が出来る」

 

「現場も見られる」

 

「人の顔も見られる」

 

 そこで少しだけ笑った。

 

「それに、荷を物だけだと思わん」

 

 その言い方が、どこか温かかった。

 

 褒めるために褒めているのではない。今まで見てきたことを、そのまま口にしただけの声だった。

 

 エドワウは返事をせずに書類を見ていた。

 

 地球。

 

 ジャブロー方面。

 

 嫌な感じがする、と言えばそうだった。理由までは自分でも分からない。ただ、心の奥のどこかで、行きたくないと行かなければならないが同時に動いていた。

 

 黙ったままのエドワウを見て、シュウは言い足した。

 

「断ってもいい」

 

 ミライがそちらを向く。

 

 シュウは続ける。

 

「無理を押しつけるつもりで呼んだんじゃない」

 

「お前に任せたいと思ったから呼んだ」

 

「そこは間違えるな」

 

 その言い方が、少しだけ父親めいていた。

 

 テアボロとは違う。

 けれど、年上の男が若い者へ仕事を渡す時の、変な押しつけがましさのない温かさがあった。

 

 エドワウはようやく顔を上げた。

 

「行きます」

 

 短く言う。

 

 ミライが少しだけ息を止める気配がした。

 

 シュウは頷いた。

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 

 だが、その一言に変な重みはなかった。受けると分かっていたのに黙っていた、というより、返事を待ってくれていた感じが強い。

 

「出せるのは三日後だ」

 

「分かりました」

 

「大気圏突入型シャトルを使う」

 

「俺が乗ります」

 

「そのつもりで話している」

 

 シュウは書類をもう一枚、手前へ寄せた。

 

「向こうで受ける人間は、悪い連中じゃない。だが忙しい」

 

「話は途中で変わると思って行け」

 

「はい」

 

「それと――」

 

 少しだけ言いよどむ。

 

「無茶はするな」

 

 エドワウはそこで、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「はい」

 

 ミライが、今度は露骨に父を見た。

 

 シュウは気づかないふりをしていた。

 

「じゃあ、準備に入れ」

 

「はい」

 

 部屋を出る時、ミライも一緒についてきた。

 

 廊下に出ると、少しだけ静かになる。

 

「父に聞いた」

 

 ミライが言う。

 

「口が早いな」

 

「隠されるよりいい」

 

 エドワウは少しだけ笑った。

 

「まあな」

 

「地球なんでしょ」

 

「ああ」

 

「どこまで」

 

「ジャブロー方面」

 

 それを聞いて、ミライは一度黙った。

 

 言葉を探している沈黙だった。

 

「……無茶しないで」

 

「荷を運びに行くだけだ」

 

 ミライは少しだけ眉を寄せる。

 

「そういう言い方する人ほど、変なもの拾ってくる」

 

 その台詞に、エドワウは一瞬だけ言葉を失った。

 

 何でもない冗談のようでいて、妙に引っかかる。変なもの。そうかもしれない、という感じが胸の奥でほんの少しだけ動いた。

 

「拾わないように気をつける」

 

「ほんとに?」

 

「多分」

 

「多分じゃ駄目」

 

 ミライはため息をつくように笑った。

 

「帰ってきたら、ちゃんと報告して」

 

「仕事の?」

 

「……仕事のも、そうじゃないのも」

 

 それだけ言って、先に歩き出した。

 

 後ろ姿は、前より少しだけ大人びて見えた。けれど足取りのどこかに、まだ父の背を追っていた娘の癖が残っている。

 

 事務室へ戻ると、セイラはもう次の帳面を広げていた。

 

「やっぱり地球?」

 

「うん」

 

「どこまで」

 

「ジャブロー方面」

 

 セイラの指が一瞬だけ止まる。

 

 地球という言葉だけで、兄妹の間にはいくつかの風景が勝手に浮かぶ。逃げた道。見上げた空。失った名前。誰かの死んだ場所ではなくても、地球にはそういう重さがある。

 

「いつ出るの」

 

「三日後」

 

「じゃあ、それまでに帳面全部合わせる」

 

 セイラはそう言って、もう次の紙へ手を伸ばした。

 

「危険物の札は整理し直す。帰ってきてから混乱したら嫌だもの」

 

「助かる」

 

「あと、乗る前に食事」

 

「分かった」

 

「今の顔、分かってない」

 

 エドワウは少し笑って、荷捌き場の方を見た。

 

 仕事はまだ動いている。自分がいなくても三日は回るようにしておかないといけない。そういうことを考えていると、地球という言葉の重さが少し薄れる。

 

 それでも、胸の奥には何かが残っていた。

 

 夜。

 

 格納区画では、地球行きのシャトルが照明の下に静かに置かれていた。

 

 大気圏突入型。今では会社にとっても大きな資産の一つだ。外板の傷、補修痕、磨き上げられた計器まわり。新品ではないが、仕事を重ねて信頼できる顔になっている。

 

 エドワウは自分で点検に回った。

 

 固定具。

 燃料。

 気密。

 搭載荷。

 予備工具。

 受領印。

 

 一つずつ手で確かめる。

 

 後ろでは作業員たちが、いつもより少しだけ静かに動いていた。社長が自分で乗って行く時の現場は、だいたいこういう静けさになる。

 

 セイラが最後の帳面を持ってくる。

 

「受領確認、ここ」

 

「うん」

 

「向こうで品目変更が出たら、この頁を使って」

 

「分かった」

 

「あと、帰り便の空きは二案あるけど、どっちにしても連絡は入れて」

 

「分かった」

 

 セイラは帳面を閉じた。

 

「本当に分かってる?」

 

「今度は本当に分かってる」

 

「そう」

 

 ミライは少し離れた場所に立って、それを見ていた。声をかけには来ない。ただ、見ている。

 

 シュウも最後に一度だけ格納区画へ顔を出した。

 

「荷は任せた」

 

「はい」

 

「無理はするな」

 

「はい」

 

 そのやり取りは短い。だが、送り出す側と受ける側の間に、もう余計な飾りはなかった。

 

 翌朝、発進前のコクピットへ乗り込む時、エドワウは一度だけ振り返った。

 

 サイド7の人工の空。

 格納区画。

 人影。

 看板。

 今の暮らし。

 

 地球へ降りる便は、帳面の上ではただの仕事だった。

 

 だが、その荷の先で何を拾うことになるのかを、この時のエドワウはまだ知らなかった。




せっかくいい雰囲気に持っていったミライさんなのに。。。
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