国家の形を決める会議は、たいてい机の大きさのわりに出口が少ない。
その朝、私は執務机の上に広げられた三種類の資料を見ていた。
ひとつは港湾再編案。
ひとつは保安権限の整理。
そしてもうひとつは、もっと扱いの悪いものだった。
ダイクン派の人脈図である。
人脈図というものは不愉快だ。
人間を線と点に分け、忠誠と不満を色分けし、誰が残せて誰が危険かを、まるで配管図のように眺める。政治家は人を愛しているふりをするが、実際には配管工の方に近い。流れを見て、詰まりを探し、どこを切れば全体が保つかを考える。
前夜、私はメモにこう書いた。
檻が美しいほど、鳥は飛びたがる。
朝になって読み返しても、それは少しも詩的ではなく、ただ厄介な事実に見えた。
キャスバルは出ていく。
まだ出てはいない。
しかし、出ていく側の顔をし始めている。
それが一番面倒だった。
ノックがして、セシリアが入ってきた。
いつもの無駄のない歩き方で、机の左端に新しい書類を置く。
「本日の非公式会談先ですが、変更はありません」
「マハラジャ・カーンか」
「はい」
私は紙の端を押さえた。
前世を含めれば、この男とも二度目だ。
表に出すぎず、しかし決して消えない。
ダイクン派に理解はあるが、感情で動く人間ではない。
政治の場に残ることそのものを、ある種の責務として引き受ける男だった。
「同行は」
「私とアサクラです」
「アサクラもか」
「連絡系統と会談記録の仮整備を任せるには便利です」
「便利だが信用するな」
「承知しています」
この女はそういう返事が早くて助かる。
信用していない相手を使うのは神経に悪いが、神経に良い政治はだいたい失敗する。
そこへ、当のアサクラが入ってきた。
口髭は今日もよく整えられている。こいつは国家が傾いても髭の角度だけは守りそうだと私は時々思う。
「閣下」と彼は言った。
「本日付で、評議会棟周辺の出入り許可者一覧を再整理しました」
「見せろ」
私は紙を受け取った。
簡潔で、いやになるほど読みやすい。
こういうところが嫌だ。
小さい男は、たいてい必要な仕事だけは上手い。
「どう見た」と私は訊いた。
アサクラは一歩引いたまま答えた。
「カーン氏は残すべき人物であります」
「理由は」
「残してもすぐ刃にならず、切ればすぐ旗になるからです」
私は少しだけ笑った。
こいつは本当に、信用はできないが計算は合う。
「その言い方を会談で使うな」
「心得ております。会談では、もっと柔らかく申し上げます」
「それが嫌だと言っている」
「光栄です」
セシリアが横で静かに言った。
「アサクラさん」
「はい」
「本日は、余計な愛想は不要です」
「承知しました。では通常運転で」
「それも不要です」
私はそこでコーヒーを飲んだ。
最近この部屋は、少しだけまともに回り始めている。
それはありがたいが、同時に不穏でもある。組織が急にうまく回るときは、たいていその前に何かが壊れている。
昼前、父が短い面会を入れてきた。
「ギレン」とデギンは言った。
「今日の会談、あまり追い込むな」
「誰をです」
「カーンをだ」
「追い込むつもりはありません」
「お前の“追い込むつもりはない”は、相手にとって慰めにならん」
父はそう言って、無意識に一度だけ頭に触れた。
グレイトグロウの使用者には特有の手つきがある。
まだ髪ではなく希望に触っている感じだ。
私はそこに何も触れなかった。
息子としても政治家としても、あれは危険物だった。
「父上」と私は言った。
「カーンは残します」
「そうか」
「ダイクン派を切りすぎると、死体より神話が残る」
「お前らしいな」
「そうでしょうか」
父は少し笑った。
「前よりはな」
私はその言葉をそのまま受け取らなかった。
この家で「前よりは」は、褒め言葉のふりをした警告であることが多い。
会談場所は、評議会棟の奥にある小応接室だった。
丸い机。高い窓。抑えた照明。
誰かが対等らしさを演出したい時に選ぶ部屋である。
政治が対等に見えるときほど、だいたいどこかに勘定書きが隠れている。
マハラジャ・カーンは先に来ていた。
最初に目につくのは、姿勢でも服でもなく、落ち着きだった。
派手な男ではない。
だが、自分から目立とうとしない人間の中には、まれに部屋そのものを静かに支配する者がいる。
彼はその種類だった。
「ギレン殿」と彼は言った。
「カーン殿」
握手はしなかった。
この時代のサイド3では、下手に手を出さない方が誠実なこともある。
セシリアは私のやや後ろに立ち、アサクラはさらに一歩引いた位置へ下がった。
こいつはこういうとき、ちゃんと自分の格を調整できる。
風見鶏に必要なのは羽根よりも距離感らしい。
「先日の騒ぎ」とマハラジャが言った。
「災難でしたな」
「災難と呼べるうちは、まだましです」
「では、もう少し悪い名をつけるべきでしたか」
「その役は報告書がやります」
彼はわずかに笑った。
軽薄ではない。
こういう相手は扱いが難しい。
「率直に申し上げましょう」とマハラジャは言った。
「歓迎します」
「歓迎されると、少し警戒しますな」
「それも歓迎します」
彼は指を組んだ。
「ダイクン派を、どうなさるおつもりで」
部屋の空気が少しだけ締まった。
これが本題だった。
私はすぐには答えず、数秒だけ間を置いた。
答えを選んでいるふりをしながら、この男がどこまで知っていて、どこから探りたいのかを見ていた。
「一掃するつもりはありません」と私は言った。
アサクラの呼吸がわずかに変わった。
こいつはたぶん、口には出さなくても「それでは面倒が残る」と思っている。
だが面倒が残ることと、面倒を増やすことは別だ。
小さい男はそこをよく混同する。
マハラジャは表情を変えなかった。
「穏当ですな」
「穏当なのではありません」と私は言った。
「効率が悪いからです」
彼の目が初めてわずかに動いた。
綺麗事を言う若者より、汚れた算数を口にする若者の方が扱いにくい。
それを理解した目だった。
「理由を」と彼は言った。
「今、ダイクン派を思想ごと切れば、死者より神話が残る。
神話は厄介です。配給にも警備にも従わない。
私は、思想を殺すより先に、思想が立つ舞台を外したい」
マハラジャは少し黙った。
「眠らせると」
「近い」
「危険人物は」
「切る。
ただし、旗にはしない」
「ジンバ・ラルのような」
私は彼を見た。
「名前を出されますか」
「出すべき名は、出すときに出した方がよろしい」
「お見事です」
「あなたほどでは」
囲碁のような会話だった。
すぐには取らない。
だが石は着実に置かれる。
「カーン殿」と私は言った。
「あなたに残っていただきたい」
彼はすぐには答えなかった。
その沈黙が良かった。軽い即答をする人物なら、私はこの男をここまで重く見ていない。
「残る理由を」と彼は言った。
「あなたがいなくなれば、ダイクン派は“去るべき時が来た”と解釈する。
残れば、“まだ言葉は残っている”と見る。
私はその違いを買いたい」
「緩衝材としてですか」
「政治で一番高いのは、たいていそういう人です」
彼はそこで、はっきりと笑った。
好ましい笑いだった。
この男は、自分がどう見られているかを理解している。
「私はダイクンの人だった」と彼は言った。
「知っています」
「今も、そう見えますか」
「今は」と私は言った。
「混乱を嫌う人に見えます」
マハラジャは視線を落とした。
「便利な表現ですな」
「生き残るには便利でしょう」
「あなたも、そうですか」
「私は」と私は言った。
「生き残るためというより、前に見た失敗を繰り返したくないだけです」
その一言は少し言いすぎた気がした。
前に見た失敗。
会議の場で使うには、時間の感触が混じりすぎている。
だがマハラジャは追及しなかった。
それがこの男の良さでもあり、怖さでもある。
会談はそのまま、将来の国体へ移った。
「サイド3だけの国家にするつもりはありません」と私は言った。
彼は静かに私を見た。
「では」
「議会は残す。
非常時の統合権限は必要ですが、国家そのものをザビ家の私有物にするつもりはない。
そう見える形を取れば、他サイドは敵になります」
「意外ですな」
「そうでしょうか」
「もっと早い答えを出す方かと思っていました」
「速い答えは、あとで遅い破綻を呼びます」
彼はそこで、少しだけ目を細めた。
この男は賢い。
今の一言で、私が単なる理想論ではなく、何か別の失敗を知っていると感じたかもしれない。
会談の終わり際、マハラジャはふいに言った。
「ひとつだけ申し上げておきます」
「どうぞ」
「ダイクンの子らを、神話にしないというお考えは結構。
ですが、神話にしないことと、傷を消すことは別です」
私は何も言わなかった。
「少年は出ていきますよ」と彼は言った。
その言葉は予言ではなく、確認のように響いた。
私はそれが気に入らなかった。
気に入らないということは、だいたい当たっている。
執務室へ戻ると、セシリアが先に口を開いた。
「率直な方でした」
「そうだな」
「敵ではありません」
「味方でもない」
「はい」
アサクラが紙束を整えながら言った。
「カーン氏は、退路を考える人間であります」
「お前にしては正しい」
「ありがとうございます」
「褒めていない」
「承知であります」
私は椅子に深く座った。
会議で疲れたのではない。
考えなくて済んでいたことを、もう一度考えさせられたからだ。
「セシリア」と私は言った。
「はい」
「ダイクン家の出入りを、今までより一段薄く監視しろ」
「止めるためではなく?」
「まず知るためだ」
「承知しました」
「アサクラ」
「はい」
「港湾、医療搬送、夜間通行、私的便宜。
口頭指示だけで動く連中を洗え」
「全員ですか」
「全員だ」
「かなりの数になります」
「だろうな。
数が多いということは、腐食が深いということだ」
アサクラはうなずいた。
善悪ではなく規模を測る人間のうなずきだった。
だから信用しない。
だが使う。
夕方、ランバ・ラルが報告に来た。
彼は入室して一礼し、必要な距離で止まった。
余計な愛想はない。
いつも通り、短く、硬い。
「報告します」とランバは言った。
「言え」
「ジンバ様は動いています。
表向きは静かです。
だが、人は集めている」
「どこへ」
「港。輸送。古い縁」
それだけだった。
余計な比喩も、軽い感想もない。
この男はそうでなければいけない。
私は前回まで、少し喋らせすぎたのだと思った。
「押さえるか」と私は訊いた。
「今なら可能です」
「君はどう思う」
ランバは数秒だけ黙った。
それから、まっすぐ答えた。
「私情では、止めたい。
任務なら、待つべきです」
私はうなずいた。
いい。
それでいい。
この男は、簡単には私に寄らない。
だからこそ信用できる部分がある。
「まだだ」と私は言った。
「今押さえると、彼の正しさをこちらが証明することになる」
ランバはわずかに眉を動かした。
「承知した」
「だが放置はしない。
先に切る準備をする。
現場を任せるのは、そのあとだ」
「了解した」
「君を疑っているわけではない」
ランバは私を見た。
その目に愛想はなかった。
「疑うのは構わん」と彼は言った。
「子どもたちを守るのは、私の筋だ」
それだけ言って黙った。
ああ、これだ、と私は思った。
ランバ・ラルはこうでなければいけない。
義理と筋。
そこから動く。
器用に距離を縮めたりはしない。
「わかった」と私は言った。
「なら、その筋をこちらの計画とぶつけるな。
ぶつかれば、先に折れるのは現場だ」
ランバは短くうなずいた。
「承知した」
会話はそこで終わった。
終わるべきところで終わる。
それもまた、この男の良さだ。
彼が去ったあと、キシリアが入ってきた。
「兄上」と彼女は言った。
「今の方が、ずっとランバらしいわよ」
「お前は盗み聞きの趣味をやめろ」
「やめると退屈だもの」
「品のない妹だ」
「家族ですもの」
私は机の上のメモを見た。
善意には護衛をつけろ。
感じのいい人間ほど、荷物と肩書きを先に調べろ。
アサクラは机の近くに置け。壁の中に入れるな。
風向きで動かぬ男は、風向きを変える。
その下に、新しく一行を書いた。
檻が美しいほど、鳥は飛びたがる。
キシリアがそれをのぞき込み、少し笑った。
「また詩的」
「疲れているんだ」
「でしょうね」
私はその夜、ダイクン家の住まいへは行かなかった。
行けば、キャスバルの顔を見てしまう。
顔を見れば、出ていく前の静けさがわかる。
今夜はまだ、それを知りたくなかった。
代わりに、報告書を読んだ。
港湾。搬送。夜間出入り。使用人の親族。薬剤納入。点検口の鍵。
政治はいつだって、最後は鍵と名簿の話になる。
窓の外では、サイド3の人工夜が静かに保たれていた。
まだ公国ではない。
まだ独立もしていない。
国の形は未定で、ダイクン派はまだ完全には消えておらず、ザビ家もまだ家としてまとまりきっていない。
そんな中で、国を作る会議をしている。
そして、そのすぐ横で、少年はたぶん出ていく準備をしている。
国家というものは案外、そのくらい不安定な床の上に建つのかもしれなかった。