妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第113話 出迎え

 

 サイド7の港湾区画は、まだ新しい匂いがした。

 

 骨組みを隠しきれていない壁材、乾ききっていない塗料、切断された金属の粉、仮設通路の樹脂の匂い。完成されたコロニーの整いきった空気ではない。だが、その未完成さがかえって活気になっていた。

 

 搬入路の向こうでは、建設資材を積んだ台車が何本も行き来している。人も多い。作業員、技術者、警備員、業者、役所の立会い、荷受けの担当。誰もが急いでいるが、まだここには“完成した都市の気疲れ”がない。

 

 エドワウは到着便の表示を見上げてから、隣に立つミライへ視線を移した。

 

 ミライは今日、ヤシマ家の娘としてでも、財団の実務担当としてでもなく、その両方の顔でそこにいた。派手さはない。だが、誰が見てもただの付き添いではないと分かる立ち方だった。

 

「少し早かったかしら」

 

 ミライが言う。

 

「十分前だ」

 

「あなた、こういう十分は必ず前倒しで来るわよね」

 

「遅れて覚えられるよりいい」

 

 ミライは小さく笑った。

 

「会ったことがあるのよね」

 

「ああ」

 

「アナハイムで?」

 

「一度だけだ」

 

「誘ったのよね」

 

「断られた」

 

「きっぱり?」

 

「きっぱりだ」

 

 エドワウは短く答えた。

 

 あの時はまだ、今ほど財団の名が通っていなかった。アナハイム・エレクトロニクスの技術者交流会の場で、テム・レイに声を掛けた。話は通じた。むしろ通じすぎたくらいだった。ミノフスキー系の制御、構造材の選び方、冷却の冗長化。研究者としての勘どころは噛み合った。

 

 だが、最後の最後でテム・レイは動かなかった。

 

 ナガノは来た。

 

 あれは大きかった。技術者が一人増えたというより、設計の思想が一つこちらへ流れ込んだに等しかった。

 

 だが、テム・レイは来なかった。

 

 来なかったからこそ、今ここへ来る。

 

 表示灯が切り替わる。

 

 接岸。

 

 人の流れが少しだけ変わった。

 

 先に搬出されるのは、厳重指定の機材ケースだった。続いて、連邦の技術職員とその家族、補助要員の列が出てくる。

 

「いた」

 

 ミライが小さく言った。

 

 エドワウも見つけていた。

 

 テム・レイは前に会った時より少し痩せて見えた。だが弱っているのではない。頭の中で何かを組み続けている人間の顔だ。着ているものは地味だが、手荷物の持ち方だけが妙に慎重だった。

 

 その少し後ろに、少年がいた。

 

 エドワウの視線はそこでほんの一瞬だけ止まった。

 

 アムロ・レイ。

 

 前世では白い機体の中にいた少年。こちらの人生では、まだ何も背負わされていないはずの子ども。

 

 細い。だが、ただ細いだけではない。歩き方に落ち着かなさがあり、目だけが絶えず周囲の機械を拾っている。壁でも人でもなく、搬送レール、吊り上げ機、荷役アーム、誘導灯。そういうものに先に目が行っていた。

 

 やはりそうか、とエドワウは胸の内だけで思った。

 

 まだ何も始まっていなくても、種は同じ形をしている。

 

 テム・レイがこちらに気づいた。

 

 一瞬だけ怪訝な顔になり、それから思い出したように目を細める。

 

「……ああ」

 

 近づいてきて、先に言った。

 

「アナハイムの時の」

 

「お久しぶりです、テム・レイ博士」

 

 エドワウは軽く頭を下げた。

 

「あの節は少々強引でした」

 

「少々ではなかったな」

 

 テム・レイは口元だけで笑った。

 

「だが、商売人にしては技術の話が通じすぎた。あれは妙だった」

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

「褒めてはいない」

 

 その返し方で、少しだけ空気が和らいだ。

 

 前に一度断った相手だ。だが、港で会ってすぐ背を向けるほど狭い人間でもない。偏屈さと、筋の通るものにはちゃんと反応する素直さ。その両方を持った顔だった。

 

「こちらは婚約者のミライ・ヤシマです」

 

 エドワウが言うと、ミライが一歩進んで礼をした。

 

「はじめまして、テム・レイ博士」

 

「ヤシマ……」

 

 テム・レイの目がわずかに動く。

 

「ヤシマ財閥の」

 

「娘です」

 

「そうか」

 

 それだけで、彼の中でいくつかの線がつながったのが分かった。

 

 ルシファー財団の男というだけではない。ヤシマ家とも結びついている。サイド7の建設、物流、信用、そのどこにも顔が利く立場。そう理解したのだろう。

 

「息子のアムロです」

 

 テム・レイが少し後ろを振り向いた。

 

「アムロ」

 

 少年が一歩前へ出る。

 

 エドワウは、ごく普通にその顔を見た。

 

 見た瞬間、アムロの肩がわずかにこわばった。

 

 本当に小さな反応だった。港の職員なら見落としたかもしれない。だが、エドワウにもミライにも、そしてたぶんテム・レイ自身にも分かった。

 

「どうした」

 

 テム・レイが聞く。

 

 アムロは一拍遅れて首を振った。

 

「……なんでもない」

 

 そう答えたが、視線がすぐには安定しなかった。

 

 知らないはずの男を前にして、知らない感じ方をしている顔だった。

 

 エドワウはそこで何も言わなかった。

 

 今ここで触れる必要はない。少年の中にまだ開いていない扉があるとしても、それを港の往来で叩く気はなかった。

 

「よろしければ、お送りします」

 

 ミライが自然な声で言った。

 

「荷もありますし、ここから先の通路はまだ工事が多いんです」

 

「助かる」

 

 テム・レイはあっさり頷いた。

 

「新しいコロニーは道順が落ち着かなくてね」

 

「こちらです」

 

 車はヤシマ家名義の来客用だった。

 

 外装は落ち着いている。だが、窓の防弾層と通信設備だけは分かる人間には分かる。派手ではないが、ただの送迎車でもない。

 

 発進すると、サイド7の未完成な街が窓の外を流れ始めた。

 

 骨組みのままの区画。

 外壁が付いたばかりの居住棟。

 資材を抱えて動くモビルワーカー。

 仮設通路を急ぐ作業員。

 遠くに見えるまだ青すぎる人工の空。

 

「完成はまだ先ですね」

 

 テム・レイが言った。

 

「ええ」

 

 ミライがハンドルを握ったまま答える。

 

「でも、人の流れはもう止められないところまで来ています」

 

「そうだろうな」

 

 テム・レイは窓の外を見た。

 

「基礎の段階を越えた場所は、急に全部が早くなる」

 

「物も、人も、都合も」

 

 その言い方に、エドワウは少しだけ目を細めた。

 

 やはり分かっている人間だ。研究者ではあっても、研究室の中だけの人間ではない。

 

「アナハイムとの便も増えています」

 

 エドワウが言うと、テム・レイがこちらを向いた。

 

「そうか」

 

「ええ。サイド7向けの研究機材、試験設備、補修部材。保険も輸送も、前より条件が変わってきました」

 

「保険が先に動くのは面白いな」

 

「面白くはありません」

 

 エドワウは言った。

 

「ですが、分かりやすい。製品より先に、燃料と輸送と保険が動きます」

 

「ふむ」

 

 テム・レイは短く鼻を鳴らした。

 

「相変わらず、商売の話の中に技術を混ぜるのが上手い」

 

「逆です」

 

 エドワウは答えた。

 

「今はもう、技術の話の中に最初から商売が入っています」

 

 テム・レイはそれ以上は言わなかった。

 

 分かっているのだろう。研究が研究室だけで完結する段階は、もう過ぎているということを。

 

 後部座席のアムロは、会話には入らなかった。

 

 だが、彼の目は落ち着きなく動いている。車内の計器、車窓の外の搬送路、区画間を警備する機動警備隊。怖がっているのではない。知らないものを見た時の、機械好きの目だった。

 

 そこで、窓の外を一機の機体が横切った。

 

 財団の民間警備会社が保有するMSの一つだ。軍の塗装ではない、灰色と濃紺の実務色。港や倉庫、輸送便の護衛用に調整された機体。

 

 アムロの視線が、そこで明らかに変わった。

 

「……あれ」

 

 思わず漏れた声だった。

 

 テム・レイが少し驚いたように振り向く。

 

「珍しいな、お前が先に聞くのは」

 

 アムロは少しだけ視線を逸らした。

 

「いや……ちょっと」

 

 エドワウは、わざとすぐには答えなかった。

 

 少年の関心がどこへ向くのか、少しだけ見たかった。

 

「あれは、うちの警備会社の機体です」

 

 やがて口を開く。

 

「最近は、倉庫と輸送船の護衛だけでは足りなくなってきまして」

 

「警備会社で、ですか」

 

 テム・レイが聞く。

 

「ええ。小規模ですが、機動兵器も導入しています」

 

 アムロがそこで初めて、まっすぐこちらを見た。

 

「機動兵器……」

 

 とても小さい声だったが、車内でははっきり聞こえた。

 

「どんなのですか」

 

 機械の話になると、声の響きが少しだけ変わる。

 

 そこに前世の面影を見て、エドワウは胸の奥でわずかに冷えるものを感じた。

 

 まだ閉じている。

 だが、種はここにある。

 

「アナハイム系の重装機動型です」

 

 エドワウはまずそう言った。

 

「社内では、リック・ディアスと呼んでいます」

 

 アムロの目が少し見開かれた。

 

「リック……ディアス」

 

 言葉の響きを、口の中で転がすような声だった。

 

「変わった名前だな」

 

 テム・レイが言う。

 

「社内名です」

 

「正式採用の軍用機ではありませんから」

 

「民間警備用に?」

 

「ええ」

 

 エドワウは窓の外へ目をやった。

 

「運ぶものが大きくなれば、守る手もまた大きくなる」

 

「誰かに守ってもらうには、こちらが抱えるものが増えすぎました」

 

「だから自前で持つことにしたんです」

 

 テム・レイは少し黙った。

 

 研究者の顔で考えている。技術そのものより、その運用の方へ興味が動いた顔だ。

 

「面白い時代になったな」

 

「ええ」

 

 エドワウは答えた。

 

「軍だけが機動兵器を持つ時代でもなくなってきています」

 

 アムロはその会話の間も黙っていたが、さっきまでの奇妙な緊張とは別の熱が目に入っていた。

 

 機械への興味だ。

 

 それでいい、とエドワウは思った。

 

 今はまだ、それでいい。

 

 車は居住区画の高台へ上がっていく。

 

 整いきってはいないが、若い街特有の明るさがある。新しい壁、新しい標識、新しい街路樹。これから先、ここで多くのものが始まるのだろうと思わせる景色だった。

 

「こちらです」

 

 ミライが緩やかに減速しながら言う。

 

 宿舎の前に車を止めると、先に降りた職員が荷を受け取りに来る。

 

 テム・レイがドアに手をかけた時、アムロが一瞬だけ振り返った。

 

 エドワウと目が合う。

 

 また、ほんのわずかに体が強張る。

 

 だが今度はさっきと違う。怖さだけではない。知りたいという、理屈のある引っかかりが混ざっている。

 

 エドワウは何も言わなかった。

 

 言わないまま、軽く会釈する。

 

 アムロも、少し遅れて頭を下げた。

 

 父と息子が宿舎の中へ消えるのを見届けてから、ミライがハンドルへ手を戻した。

 

「見た?」

 

「何を」

 

「アムロ君」

 

 ミライはまっすぐ前を見たまま言う。

 

「あなたを見た時、少し変だった」

 

「そうか」

 

「そうか、じゃないでしょう」

 

 そこでようやく、エドワウは小さく息を吐いた。

 

「いた、って顔ね」

 

「誰が」

 

「あなたが探してた“何か”」

 

 エドワウは答えなかった。

 

 必要な答えは、もう出ている。

 

 テム・レイは来た。

 

 アムロもいる。

 

 歴史の起点は、やはり予定通りの場所に立ち始めている。

 

 だが、前と同じように立たせる必要はない。

 

 車窓の外で、財団の警備会社の機体がゆっくりと巡回していた。

 

 灰色の機体。民間警備の色。軍ではない。だが軍が見ても無視はできない存在。

 

 エドワウはその機影を見ながら思った。

 

 前の人生では、戦争が始まってから流れへ飲み込まれた。

 

 今は違う。

 

 始まる前から、置き場も、護衛も、保険も、航路も、少しずつこちらで押さえている。

 

 テム・レイの名前が書かれた輸送名簿も、アムロの一瞬の反応も、その流れの中にもう入ってきた。

 

 歴史は来る。

 

 だが、迎える場所はこちらで選べる。

 

 少なくとも今は、まだ。

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