妹に撃たれない方法   作:Brooks

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お口にミルクをお含み読んで下さい


第114話 歴史を変える最初の一手

 宿舎に戻った時には、もう日付が変わりかけていた。

 

 エドワウは上着を脱ぎもせず、机の端に置いてあった携帯端末を起動した。昼のうちに切り出しておいた短い映像を、もう一度再生する。

 

 港湾警備用の実務機が、ゆっくりと荷役レールの脇を移動している。

 

 その向こう側に、テムの後ろから半歩遅れて顔を出した少年が映っていた。

 

 あれ、と漏らしかけて飲み込んだ口元。  機体の足首から膝、腰、肩へと一瞬で走った視線。  興味を隠そうとして、隠しきれず、けれど人前で前に出るのはためらうあの半歩の遅れ。

 

 短い映像だ。

 

 だが、エドワウにはそれで十分すぎた。

 

「……この少年だ」

 

 独り言のように呟いて、送信欄に打ち込む。

 

 この少年だ

 

 それ以上は書かない。

 

 書こうと思えば、いくらでも書ける。  将来この少年が何に乗るか。  誰を撃ち、誰に撃たれ、どこまで辿り着くか。  だが、それを書いたところで意味はないと、昼のうちから分かっていた。

 

 今、見てほしいのは未来ではない。

 

 戦う前の、ただの少年だ。

 

 送信を終えると、エドワウはようやく背もたれに体を預けた。

 

 前世の記憶が戻ってから、こうして何かを誰かに見せて判断を仰ぐという行為そのものが、妙に落ち着かなかった。いつもなら自分で決める。決めて、切って、動かす。それで足りると思ってきた。

 

 それでも今日ばかりは、ララァに見せるべきだと思った。

 

 自分にはない見方を、あの少女が持っている気がした。

 

 端末を伏せ、目を閉じる。

 

 ほんの少し眠ろうとしたが、無駄だった。閉じた瞼の裏に浮かぶのは白い機体ではなく、昼の港で実務機へ目を奪われた少年の横顔だ。

 

 あの視線は知っている。

 

 あれは、機械を見ている目だ。  兵器ではない。政治でもない。軍でもない。  機械そのものを見ている目。

 

 だからこそ、余計に嫌だった。

 

 そこへ、何か大きな役目が落ちてくる。

 

 そういう未来を、彼は知っている。

 

 着信音が鳴ったのは、それから三十分ほど後のことだった。

 

 画面に表示された名を見て、エドワウはすぐに応答した。

 

「起きていたか」

 

『うん』

 

 ララァの声は、夜のせいか昼より少しだけ近く聞こえた。

 

「見たのか」

 

『見たわ』

 

 それきり、しばらく黙る。

 

 エドワウは待った。急かすと、たぶん言葉を引っ込める。

 

 ララァは映像を見返しているような間を置いて、ぽつりと口を開いた。

 

『この人、機械の方へ行ってるんじゃないのね』

 

「何だと」

 

『人の方が足りないの』

 

 エドワウは眉を寄せた。

 

「意味が分からん」

 

『この人ね、機械が好き。でも、それだけじゃないの。機械のところにいると、一人でいられるから、そこにいるの』

 

「……一人でいられるから?」

 

『人の中にいるのが、少し下手なんだと思う』

 

 昼の映像の中のアムロを思い返す。

 

 問いかければ答える。だが、自分から出てこない。  興味はあるのに、誰かの前へ一歩出るまでに時間がかかる。  テムの後ろに隠れるでもなく、横へ並ぶでもなく、いつも半歩だけ遅れる。

 

 エドワウは低く言った。

 

「それで」

 

『機械いじりだけじゃなくて、友達と関わりを増やせば、この人はガンダムに乗らなくなるかもしれない』

 

 エドワウは黙った。

 

 ララァの声は静かだった。大仰でも、断定でもない。ただ見えたものを置いていく声だ。

 

「……友達を作れば、あの少年が戦わなくなると?」

 

『分からないわ』

 

「分からないのか」

 

『でも、一人のままよりは、違うと思う』

 

 違うと思う。

 

 あまりにも曖昧な言い方だった。

 

 だが、その曖昧さが逆に腹に落ちた。未来を知っている自分の言葉は、どうしても結果へ飛ぶ。勝つ、負ける、死ぬ、生きる、止める、潰す。そういう言葉になる。

 

 ララァは違う。

 

 変わるかもしれない、としか言わない。

 

『この人、寂しい人』

 

 その一言が、妙に重かった。

 

『機械に入る前に、人の方へ引っ張ってあげないと、何か大きいものを渡されたら、そのまま入っちゃう』

 

 エドワウは額に指を当てた。

 

「そんな発想は……」

 

『なかった?』

 

「ない」

 

 あっさり認めると、端末の向こうでララァが少しだけ笑った気配がした。

 

『エドワウは、先のことをたくさん知ってるから』

 

「知っているから、か」

 

『うん。知ってると、そこばかり見るでしょう』

 

「……否定はできんな」

 

 ララァは少しだけ間を置いてから、柔らかく言った。

 

『だから、違うところを見るの』

 

「例えば?」

 

『友達』

 

 エドワウは深く息を吐いた。

 

 連邦の腐敗。  ジオンの台頭。  ビスト財団。  ルオ商会。  アナハイム。  戦争前の商品先物。  物流網。  サイド6の拠点。  ララァの救出。

 

 そこまでは考えられる。

 

 だが、アムロに友達を作る。

 

 その発想は、本当になかった。

 

「……分かった」

 

『分かったの?』

 

「分かったというより、分からされたと言うべきだな」

 

『それならいいわ』

 

 通信を切ったあとも、エドワウはしばらく端末を見つめていた。

 

 やがて、非常に慎重な顔で検索欄を開く。

 

 指先が止まる。

 

 友達 作らせる方法

 

 そこまで打って、無言で消した。

 

「違う」

 

 さすがに違う。

 

 ダイクンの息子が、何をしているのだと自分でも思う。

 

 だが他にどうすればいいのか分からない。前世でやったことのない分野だった。政争は分かる。暗殺も分かる。演説も、扇動も、戦争も分かる。だが、内向的な少年に自然な交友関係を増やす方法は知らない。

 

 エドワウは端末の新規文書を開いた。

 

「青少年技術親和環境整備計画……」

 

 打ち込んで、止まる。

 

 自分でもひどいと思った。

 

 消す。

 

「生活区画交流基盤形成事業」

 

 もっとひどくなった。

 

 また消す。

 

「次世代工学人材横断接触機会創出施策」

 

 ここまで来ると、もはや嫌がらせだった。

 

 エドワウは目を細め、無言で文面を見つめたあと、端末を閉じた。

 

「……何故だ」

 

 何故、自分が真面目に考えるほど酷くなるのか。

 

 翌朝、朝食の席でその理由は明らかになった。

 

 ミライが湯気の立つ紅茶を片手に、彼の差し出した企画書を読み、三行目で顔を上げたからだ。

 

「子どもに友達を作らせたいのよね?」

 

「そうだ」

 

「だったら、その題名は何なの」

 

「真面目に考えた結果だ」

 

「真面目すぎて、近寄りたくないわ」

 

 即答だった。

 

 エドワウは眉をひそめる。

 

「近寄りたくないとは何だ」

 

「青少年技術親和環境整備計画なんて書いてあったら、大人でも逃げるわよ」

 

「内容は悪くないはずだ」

 

「内容に辿り着く前に眠くなるの」

 

 ミライは書類を机に置いた。

 

「それで、何をしたいの?」

 

「サイド7の生活区で、技術に興味のある子どもたちが自然に集まる場を作る。工具や簡易設備を置き、互いに作業しながら交流できるようにする」

 

「長い」

 

「要するに、だ」

 

「要しても長い」

 

 ミライは完全に面白がっていた。

 

「あなた、アムロ君に友達を作らせたいのよね?」

 

「そうだ」

 

「だったら“作らせる”のをやめなさい」

 

「何?」

 

「来た人が勝手に居つく場所を作るの」

 

 エドワウは真顔になった。

 

「それはずいぶん無責任ではないか」

 

「友達って、命令でできるものじゃないでしょう」

 

「……それは、そうだが」

 

「あなた、戦争は分かるのに、普通のことになると急に不器用になるのね」

 

「放っておけ」

 

 セイラが横で小さく吹き出した。

 

「兄さん、題名だけで人を遠ざけるのは得意そうね」

 

「アルテイシア」

 

「だってそうでしょう。交流基盤形成って、友達を作る場所の言い方じゃないもの」

 

 エドワウは黙り込んだ。

 

 黙り込んだまま、書類を引き寄せて見直す。たしかに酷い。自分でもそう思う。

 

「では、自然な集まりとは何だ」

 

 半ば本気で問うと、ミライは少し考えたあと、あっさり言った。

 

「機械があって、お茶があって、来てもいい場所」

 

「それだけか」

 

「それだけよ」

 

「議題は?」

 

「いらない」

 

「進行役は?」

 

「いらない」

 

「参加条件は?」

 

「来たいなら来ていい、で十分」

 

「……統制がなさすぎる」

 

「友達になるのに統制はいらないの」

 

 まるで理解できなかった。

 

 理解できないが、たぶん向こうが正しい。

 

 それが余計に腹立たしい。

 

 その日の午後、エドワウは実際の候補地を見に行った。

 

 生活区の外れにある、古い整備補助棟の一角。今は物置同然になっているスペースだが、壁際に工具棚を置き、中央の作業台を片付ければ、それなりの広さになる。

 

 現場の整備主任が説明を始める。

 

「椅子はここに二つ、あとは壁際に――」

 

「等間隔に並べるべきだな」

 

 エドワウが言うと、整備主任は微妙な顔をした。

 

「等間隔だと会議室みたいになりますよ」

 

「会議室の何が悪い」

 

「子どもは寄りません」

 

「何故だ」

 

「怒られそうだからです」

 

 エドワウは黙った。

 

 意味が分からないが、分からないまま反論すると余計に傷が広がる気がした。

 

「工具は全て整理して、用途別に」

 

「それもやりすぎると触りにくいです」

 

「整理されていた方が安全だろう」

 

「ちょっと散らかってるくらいの方が、こう……近寄りやすいんですよ」

 

「何故だ」

 

「何となくです」

 

「またそれか……」

 

 主任は笑いをこらえていた。

 

 エドワウは苛立ちを隠さなかったが、怒鳴りはしない。怒鳴ったところで“何となく”が言語化されるわけではないと、さすがに分かっていた。

 

 帰り際、ミライが覗きに来た。

 

 現場を一通り見て、彼女は棚の位置を少し変え、窓際の空いた場所を指差した。

 

「ここ、空けておいて」

 

「何故だ」

 

「座り込む場所がいるから」

 

「椅子がある」

 

「椅子じゃなくて、床に座るの」

 

「床に?」

 

「そういうものなのよ」

 

「理解できん」

 

「でしょうね」

 

 ミライは平然としている。

 

「でも、誰かが何となく居つく場所って、そういうのが大事なの」

 

「床に座ることがか」

 

「そこから?」

 

 セイラがまた肩を震わせていた。

 

 エドワウは本気で不愉快そうな顔をしたが、二人とも少しも怖がらない。

 

 前世なら部下も兵も、こんな顔をした自分の前では息を潜めただろう。

 

 今は違う。

 

 妹と婚約者候補に、放課後のたまり場の作り方で詰められている。

 

 これはこれで、なかなか屈辱だった。

 

 それでも、数日もすると形は見えてきた。

 

 大袈裟な看板は出さない。  財団名も前面には押し出さない。  表向きは民間整備補助スペースの再利用。  置くのは中古の工具、分解しても惜しくない古い制御基板、練習用の小型シミュレータ、ジャンクパーツ、手頃な作業台。  窓際には飲み物と簡単な菓子を置く。  大人は常駐するが、口は出しすぎない。  危険なものだけ止める。

 

 それだけの場所だ。

 

 それだけなのに、エドワウにはどうしても落ち着かなかった。

 

「本当に、こんなもので変わるのか」

 

 完成したばかりの一角を見回して、低く呟く。

 

 工具棚は少しだけ雑然としている。  作業台は傷だらけだ。  窓際には、ミライの案で余った木箱をひっくり返して作った簡素な腰掛けまである。

 

 完璧ではない。

 

 むしろ、完璧からは程遠い。

 

 だがミライは満足そうだった。

 

「これくらいでいいの」

 

「雑だ」

 

「だからいいのよ」

 

「理解できん」

 

「知ってる」

 

 彼女は笑って外を見た。

 

「ほら」

 

 視線の先に、まず一人、背の低い少年が顔を覗かせた。整備士の子だろう。しばらく中を見て、誰も追い払わないと分かると、そろそろと入ってくる。

 

 そのあと、もう一人。  さらにその後ろから、少し太った少年が工具棚を見て目を輝かせた。ハヤトだった。

 

 エドワウは息を止める。

 

 来るか。

 

 来るのか。

 

 数拍遅れて、入口のところにもう一つ影が差した。

 

 アムロだった。

 

 中へ入るでもなく、帰るでもなく、まず入口の枠に軽く手をかけて中を見回す。窓際の木箱、作業台、雑然とした棚、簡易シミュレータ。目が順に流れていく。

 

 誰かが「入る?」と声をかけた。

 

 アムロは少しだけ逡巡してから、ようやく一歩、中へ入った。

 

 その一歩を見た瞬間、エドワウは胸の奥で何かがゆっくりほどけるのを感じた。

 

 世界を変える最初の一手が、こんな場所になるとは思わなかった。

 

 コロニーの片隅にある、少し散らかった作業場。  その中で交わされる、たぶんくだらない会話。  工具の貸し借りと、部品の取り合いと、意味のない言い合い。

 

 前世のシャアなら、きっと鼻で笑っただろう。

 

 だが今のエドワウは、それを笑えなかった。

 

 むしろ、こんなものすら思いつかなかった自分の方が、よほど愚かに思えた。

 

 横でミライが小さく言う。

 

「ね?」

 

 エドワウは腕を組んだまま、苦い顔で答えた。

 

「……まだ成功したとは言わん」

 

「言ってないわ。でも、来たでしょう」

 

「来ただけだ」

 

「最初はそれで十分よ」

 

 セイラが隣で、少しだけ優しい声を落とした。

 

「兄さん」

 

「何だ」

 

「笑ってる」

 

 エドワウは反射的に口元に手をやった。

 

 自分では気づいていなかった。

 

「気のせいだ」

 

「そういうことにしておくわ」

 

 セイラの返事に、ミライがまた笑う。

 

 中では、もうハヤトが古い基板を手にして何か言っていた。アムロがそれに短く返し、そのあと二人とも棚の前にしゃがみ込む。話している内容までは聞こえない。けれど、声は続いている。

 

 一人ではない声だ。

 

 エドワウはその光景を黙って見ていた。

 

 ララァに報告するとしたら、何と書くべきか。

 

 うまくいった、では違う。  歴史が変わる、でも大袈裟すぎる。

 

 少し考えて、端末を開く。

 

 来た

 

 それだけ打って送った。

 

 少し置いて、すぐ返事が来る。

 

 よかった

 

 短い文字を見たまま、エドワウはもう一度だけ中を見た。

 

 機械を前にした少年たちが、誰に命じられたわけでもなく、勝手に集まり、勝手に喋っている。  何の役にも立たなさそうな、非効率で、騒がしくて、くだらない時間だ。

 

 けれど、もしかすると、戦争へ繋がる一本の線は、こういうところからしかずらせないのかもしれなかった。

 

 エドワウは端末を閉じ、誰にも聞こえない声で呟く。

 

「……本当に、そんなことなのだな」

 

 その呟きは否定ではなかった。  ようやく自分でも信じ始めた、静かな確認だった。

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