妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第116話 引き返せぬ一手

 

ジャブローの会議室は、地下深くにあるにもかかわらず妙に乾いた空気だった。

 

壁面いっぱいのスクリーンには、各サイドの監査計画、航路監視網、駐留部隊再編案、補給監査体制の強化案が並んでいる。どれも書類の上では行政手続きの延長に見える。だが、そこに記されている艦艇名と人員数を見れば、軍人なら誰でも分かった。

 

これは監査ではない。

 

軍の配置転換であり、圧力であり、必要とあればそのまま実力行使に移れる布陣だった。

 

会議卓の中心には政府高官と軍政、補給、監査部門の責任者たちが並び、口を開けば「治安維持」「監督権の実効性確保」「不穏分子の資材流入遮断」という言葉が続く。言葉だけを拾えば行政だ。だが、その下にあるのは巡洋艦の配備先であり、駐留部隊の増員であり、物資差し止め対象区域の線引きだった。

 

その一角に、レビルとティアンムが並んで座っていた。

 

監査局の責任者が説明を終えると、ティアンムがすぐに口を開いた。

 

「確認する。これは監査強化の名目だが、実際には各サイドへの軍の常駐化だな」

 

責任者はわずかに言葉を選んだ。

 

「監査の安全確保のため、必要な範囲で軍の支援を継続的に配置する形になります」

 

「継続的、か」

 

ティアンムは鼻で息を抜いた。

 

「言い方は構わん。やるなら軍事行動だと最初から言えばいい。半端な言い回しで艦を動かす方が危ない」

 

数人の高官が顔をしかめた。政府側の一人が、抑えた声で言う。

 

「ティアンム中将、あくまでこれは連邦の監督権の行使であって――」

 

「書類の上ではそうだろう」

 

ティアンムはそれ以上は言わなかった。

 

彼はこの計画そのものに反対しているわけではない。むしろ、やるなら早くやるべきだと考えていた。中途半端に圧力だけ掛ければ、相手に準備する時間を与える。曖昧なまま現場へ命令を下すことの方が、軍人としてはよほど気に食わなかった。

 

その隣で、レビルが静かに資料を閉じた。

 

「一つ確認したい」

 

声は低く、落ち着いていた。

 

「監査実施後の駐留期間はどう設定する」

 

監査局の担当者が答える。

 

「現地の状況が安定するまで、必要な期間です」

 

「安定とは、誰の判断だ」

 

「現地監査官と駐留司令の共同判断になります」

 

「現地行政が抵抗した場合の権限は」

 

「連邦法に基づき、必要な範囲で行政介入を――」

 

「必要な範囲、とはどこまでだ」

 

質問が重なるたび、会議室の空気が少しずつ固くなっていく。

 

レビルは反対を叫んでいるわけではない。ただ、曖昧にされている部分を一つずつ表に出しているだけだった。だが、その確認を続ければ続けるほど、この計画が監査では終わらないことが浮かび上がる。

 

「物資差し止め区域に住む民間人の生活責任は、誰が負う」

 

今度は、すぐには答えが返らなかった。

 

政府高官の一人が不快そうに言う。

 

「レビル将軍、我々は治安維持のために――」

 

「治安は誰のものだ」

 

レビルは相手の顔をまっすぐ見た。

 

「こちらにとっての秩序が、向こうにとっても秩序とは限らん。軍艦を背にした監査を受けて、圧迫と感じない者ばかりではない」

 

高官は口をつぐんだ。

 

会議はそのまま進み、最終的に監査強化計画は決裁された。書類の上では、最後まで行政措置として。

 

会議室を出た廊下で、ティアンムがレビルに並んだ。

 

「止めるつもりはなかったのか」

 

「止められる段階ではない」

 

レビルは短く答えた。

 

「止めれば別の形で出てくる。なら、せめてどこへ向かうかだけは見ておく」

 

ティアンムは少しだけ笑った。

 

「相変わらず慎重だな」

 

「慎重でいられるうちはな」

 

レビルは足を止めずに言う。

 

「艦を動かして監査をやれば、向こうはそれを支配の始まりと受け取る。こちらが秩序を回復しているつもりでも、向こうから見れば首を絞められているだけだ」

 

「だから何もしないのか」

 

「そうは言っていない」

 

レビルは首を振った。

 

「ただ、圧力を掛けた時点で向こうも動く。これはもう監査の話ではない。時間の問題だ」

 

ティアンムはわずかに黙った。

 

「なら、こちらが先に整えるしかない」

 

「そうだ」

 

レビルは認めた。

 

「だからこそ、半端な認識のまま始めるのが一番まずい」

 

二人はそこで別れた。

 

 

 

 

同じ頃、その決裁内容はサイド3にも届いていた。

 

総帥府の一室で、ギレンは報告書を机に広げたまま立っていた。艦艇再編、監査区域、物資監視強化、保険料率の見直し、航路監視の拡充、駐留部隊の増員。紙の上では、どれも連邦の権限の範囲に収まっている。だが順に追えば、やっていることは一つだった。

 

自治を削り、補給を握り、軍を常駐させる。

 

ゆっくりと、しかし確実に、サイドの首に輪を掛ける手順だった。

 

控えていた副官が慎重に言った。

 

「まだ、直接の軍事行動ではありません」

 

「だから厄介だ」

 

ギレンは書類から目を離さずに答えた。

 

「軍事行動ならば軍事で返せる。これは行政の顔をした支配だ。物資を止め、保険を上げ、航路を監視し、監査の名目で艦を入れる。数年かければ各サイドの自治は骨抜きになる」

 

副官は黙った。

 

ギレンは最後の一枚を閉じた。

 

「待てば締め上げられるだけだ」

 

そう言って机を離れる。

 

「父上に会う」

 

 

 

 

デギンは私的な応接室で待っていた。儀礼用の広い間ではない。余計な者の耳が入らぬ、閉じた部屋だった。窓の外にはサイド3の灯が静かに広がっている。

 

ギレンが入ると、デギンは手元の紙を置いた。

 

「決まったか」

 

問いというより確認だった。

 

「はい」

 

ギレンは一歩進み、答える。

 

「連邦は監査強化の名目で各サイドへの駐留と補給統制を進めます。時間をかけて自治を削るつもりです」

 

デギンは少しだけ目を細めた。

 

「それで」

 

「十一バンチを接収します」

 

静かな部屋が、さらに静かになった。

 

デギンはすぐには言葉を返さない。窓の外へ視線を向けてから、ゆっくり口を開いた。

 

「一度始めれば、戻れんぞ」

 

叱責でも反対でもなかった。ただの事実だった。

 

ギレンはその言葉を正面から受けた。

 

「戻れば首輪です」

 

強がりではなく、事実の確認として言う。

 

デギンはしばらく息子を見ていた。

 

「お前はもう、家ではなく国家を選んでいるな」

 

ギレンは否定しなかった。

 

それで十分だった。

 

デギンは深く息を吐いた。

 

「止めはせん。だが覚えておけ。一度始めた戦は、お前の代で終わらんかもしれん」

 

「承知しています」

 

「……なら行け」

 

その一言で会話は終わった。

 

部屋を出たギレンは、振り返らなかった。

 

 

 

 

その日のうちに、十一バンチ接収命令は正式に決裁された。

 

文面は簡潔だった。表向きの目的はサイド5における航路安定と邦人保護、治安維持。だが、その紙一枚が意味するところを、命令を受けた者たちは皆分かっていた。

 

これは防衛線の引き直しではない。

 

戦争の始まりだった。

 

 

 

 

夜更け、ギレンの執務室に一人の軍人が呼ばれた。

 

エギーユ・デラーズ。

 

扉が開くと、デラーズは一歩入ったところで姿勢を正し、深く敬礼した。

 

「総帥閣下、お呼びにより参上いたしました」

 

「入れ」

 

ギレンは短く言い、机の上の一枚の写真を指先で押し出した。

 

デラーズは促されて進み、視線を落とす。

 

そこに写っていたのは、暗いドックの中に横たわるグワジン級戦艦だった。

 

わずかに息を呑んだ気配があったが、すぐに姿勢を戻す。

 

「総帥艦を……私に」

 

「そうだ」

 

ギレンは立ったまま言う。

 

「十一バンチだけでは終わらん」

 

「はっ」

 

「宇宙の門を開ける必要がある」

 

一拍置いて、デラーズが答える。

 

「……ルナツー、でありますな」

 

「そうだ」

 

ギレンの声に揺らぎはなかった。

 

「貴官に預ける」

 

デラーズは再び敬礼した。

 

「身に余る光栄であります」

 

「光栄と思う必要はない」

 

ギレンは言った。

 

「必要だから渡す」

 

「はっ」

 

「落とすだけではない。使える形で取れ」

 

「了解いたしました」

 

「破壊は誰にでもできる。だが奪って使うには頭が要る」

 

「はっ」

 

「艦も、施設も、人もだ。使えるものはすべて使え。無意味に壊すな」

 

デラーズの返答はさらに低くなった。

 

「御意」

 

その一言に、軍人としての忠誠が重く落ちた。

 

ギレンはデラーズを見た。

 

「これは一戦の勝敗ではない。宇宙の秩序を書き換える戦だ」

 

デラーズは姿勢を崩さず、まっすぐ答えた。

 

「その先鋒を務めます」

 

余計な言葉はなかった。

 

ギレンは小さくうなずく。

 

「期待している」

 

「必ずや」

 

敬礼のまま一礼し、デラーズは下がった。

 

 

 

 

その夜、軍港の一角はほとんど灯を落としていた。

 

巨大なドックの底で、グワジン級戦艦は黒い山のように静かに横たわっている。総帥艦。国家の意志そのものを象徴する船。

 

デラーズはドック床に立ち、その艦影を見上げた。

 

受け取ったのは一隻の艦ではない。

 

国の次の一手そのものだった。

 

この艦が動く時、もう誰も引き返せない。

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