妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第117話 総帥の艦

 

総帥艦を預かった。

 

その事実だけが、胸の内で重かった。

 

栄誉だとは思わない。そんな軽い言葉で片づくものではない。あれは飾りではなく、国家そのものの意思だ。あの艦を動かすということは、総帥の命令を運ぶのではない。総帥が決めた次の一手を、そのまま宇宙へ押し出すということだ。

 

ドックの闇の中で見上げたグワジンの艦影は、黒い山のようだった。

 

灯火を落とした船体は輪郭だけしか見えない。それでも巨大だった。艦首から艦尾まで、余計な主張をしないくせに、そこにあるだけで周囲の空気を変える。総帥府の会議室より、むしろこちらの方が、ギレン・ザビという男の性格をよく表しているのかもしれないとデラーズは思った。

 

飾らず、だが絶対に譲らない。

 

ドックに入る技術士官たちの足音は小さい。整備兵は命令を待つ前に動き、港務の下士官は視線だけで人を捌く。総帥艦の出撃準備だというのに、騒がしさがない。浮き足立つ者がいないのは、この艦に乗る者たちが、これを自分たちの誇りではなく職務として引き受けているからだ。

 

そういう艦は強い。

 

「司令」

 

背後から声がした。

 

振り返ると、副官が数枚の板状端末を胸に抱えて立っていた。緊張の色はあるが、慌ててはいない。よく鍛えられている。

 

「艦内編成案、揚陸部隊の収容区画、補給搭載計画の第一案が上がっております」

 

「見せろ」

 

デラーズはその場で受け取った。

 

艦内の主要区画に、ルナツー攻略用の兵站がどう差し込まれるか。海兵隊の搭載位置、工兵資材の積み込み順、パプワ群との連絡導線、負傷者搬送区画の拡張。書面はまだ粗い。しかし粗いからこそ、必要なものが見える。

 

無駄が少ない。

 

「よい」

 

短く言ってから、デラーズは一枚を指先で叩いた。

 

「この区画は工兵に近すぎる。爆薬と予備推進剤を同じ導線に置くな。被弾した時にまとめて飛ぶ」

 

「はっ」

 

「海兵の第二波は前方ではなく中央寄りへ。最初の突破が詰まった時、別導線で流し込めるようにしておけ」

 

「承知しました」

 

副官はすぐに書き留めた。

 

デラーズはもう一度グワジンを見上げた。

 

この艦を預けられたのは信頼の証ではある。だが、それだけではない。ギレンは情で船を渡す男ではない。必要だから渡したのだ。そして必要だからこそ、失敗は許されない。

 

ルナツーを落とす。

 

落とすだけではない。使える形で取る。

 

その言葉が、まだ耳の奥に残っていた。

 

壊すのは簡単だ。火力を叩き込み、砲座を潰し、動力を焼けばよい。だが、それでは後に何も残らない。総帥が求めているのは、勝利の報告ではない。戦後まで使える骨格そのものだ。

 

ならば乱暴に勝ってはならない。

 

デラーズは端末を閉じた。

 

「各部隊指揮官を集めろ。ここで顔を合わせる」

 

「ここで、ですか」

 

「総帥艦の下でだ」

 

副官は一礼し、足早に去っていった。

 

しばらくして、ドックの気配が少しずつ変わっていく。

 

先に現れたのはランバ・ラルだった。長身を少しだけ傾けるように歩き、だが周囲をよく見ている。軍服はきちんとしているが、着飾る意識はない。前線に立つ男の匂いがそのまま残っていた。

 

「お呼びと聞きましてな、司令」

 

ラルはデラーズの前で止まり、礼を取った。

 

「急で申し訳ない」

 

「急でない出撃など、ろくなものではありません」

 

その言い方にはわずかな渋みがあったが、口調に軽さはない。受けた命令をどう形にするか、すでに考え始めている顔だった。

 

続いて、シーマが来た。

 

足音が静かだった。歩く速さも一定で、こちらに向かいながらもドック全体を値踏みしているような目をしている。女だから目立つのではない。現場で汚れ役を引き受けてきた者特有の、乾いた気配が周囲から半歩だけ浮いていた。

 

「海兵隊、所定位置に配置可能です」

 

シーマは簡潔に報告した。

 

「ただし、時間を掛ければ掛けるほど損耗は増えます。狭所戦は兵の質より運が響く」

 

「承知している」

 

「なら結構です」

 

余計な飾りがない。

 

次に現れたのはガトーだった。

 

若い。だが若さだけで前へ出ている男ではない。眼の奥に、燃え方の強い者特有の危うさと集中が同居している。礼の取り方は正しい。声も無駄に大きくはない。だが、今すぐにでも出撃したい気持ちが、立っているだけで伝わってくる。

 

「突撃隊、準備完了しております」

 

「そうか」

 

デラーズはうなずいた。

 

「焦るなよ」

 

横からラルが言うと、ガトーは一瞬だけそちらを見た。

 

「焦ってはおりません。先頭を切るだけです」

 

「同じことだ」

 

ラルは鼻の奥で笑った。

 

シーマが冷えた目で二人を見た。

 

「先頭を切って勝手に奥へ走られると、こっちは回収班まで前へ出す羽目になる。死ぬなら勝手に死ねとは言いませんが、せめて地図の上で死んでくださいな」

 

ガトーの眉がわずかに動いた。

 

「死ぬつもりはない」

 

「生きるつもりの方が面倒なんだよ。そういう男は」

 

言い方は刺があるが、そこに軽蔑はない。現場で何度も見てきた人種だというだけだ。

 

デラーズは三人を順に見た。

 

ラルは占領後まで考えている。壊しすぎれば後が使えないことを分かっている男の目だ。シーマは損耗と時間、現場の汚れ仕事まで最初から計算に入れている。ガトーは突破口を開く刃として最良だが、それだけに向きを誤れば深く刺さりすぎる。

 

悪くない。

 

後から工兵部隊の責任者と、パプワ強襲揚陸艦群の運用責任者も加わった。顔ぶれが揃ったところで、デラーズは机を持ち込ませることもなく、その場で言った。

 

「作戦の細部は艦内で確認する。だが先に一つだけ共有しておく」

 

誰も口を挟まない。

 

「ルナツーは落とすだけでは足りん」

 

ドックの空気が、少しだけ締まった。

 

「使える形で取る。砲座、通信、動力、ドック、建造設備。必要な区画は残せ。壊せば済むと思うな」

 

工兵責任者が低く応じた。

 

「爆破優先順位を組み直します」

 

「やれ」

 

シーマが腕を組んだまま言う。

 

「つまり、海兵隊はきれいに殺せというわけですか」

 

「そうなる」

 

「厄介ですね」

 

「承知の上で任せる」

 

シーマはそこで初めて、少しだけ口元を動かした。

 

「そう言われると断りにくい」

 

ガトーが口を開いた。

 

「司令。司令中枢を落とす速度は犠牲にしませんな」

 

「しない」

 

デラーズは即答した。

 

「速さは必要だ。だが速さのために全部を焼くなと言っている」

 

ラルがうなずく。

 

「要するに、壊して勝つのではなく、取って勝つ」

 

「その通りだ」

 

「難しい」

 

ラルはそう言いながらも、声に嫌気はなかった。むしろ前向きな難しさとして受け取っている。

 

デラーズは全員に視線を走らせた。

 

「未艤装艦があれば、爆破より接収を優先する」

 

今度は誰も表情を変えなかったが、理解の速い者たちの沈黙だった。

 

工兵責任者が一つだけ確認する。

 

「自爆処理が掛かっていた場合でも」

 

「解除できるなら解除しろ。間に合わぬなら機関だけを殺せ。船体は残せ」

 

「了解しました」

 

「鹵獲艦確保班はシーマ隊の後ろに付ける」

 

シーマが小さく首を傾けた。

 

「後ろ、ですか」

 

「前へ出るな。お前の隊が切り開いた道が確保されてから入れ」

 

「賢明だ」

 

「自分で言うな」

 

ラルが横から言うと、シーマは肩をすくめただけだった。

 

その後は言葉より、実際の準備が主役になった。

 

グワジンの腹へ物資が吸い込まれていく。

 

揚陸具の固定具が締められ、隔壁破壊用の器材が番号ごとに仕分けられる。工兵用爆薬は衝撃吸収材に包まれ、導線別に色分けされていく。海兵隊の銃器、簡易酸素パック、区画制圧用の閃光弾、切断工具。要塞内部の簡易地図は紙と端末の二重で配られ、更新不能になっても最低限の導線が追えるようにされる。

 

ラルは積み込みの最中に立ち止まり、工兵が抱えている機材を見た。

 

「それは動力区画用か」

 

「はい」

 

「出力を止めるだけで済むなら、それで済ませろ。炉を飛ばすな。後で使えなくなる」

 

「了解」

 

こんな一言で、現場の空気が変わる。ラルの言うことは理屈ではなく、経験に裏打ちされているからだ。

 

ガトーは突撃隊員たちの装備を一人ずつ見て回っていた。ヘルメットの固定具、噴進パックの留め、銃の予備弾倉。自分が先頭に立つつもりでいるからこそ、部下の装備の甘さが気になるのだろう。

 

「その留め方では宙返り一つで外れる」

 

若い兵が顔を強ばらせる。

 

ガトーは自分の手で締め直した。

 

「生きて奥へ入れ。死ぬのは奥に入ってからだ」

 

その言い方に周囲の兵が一瞬だけ息を呑み、それから妙に落ち着いた。こういう男は怖いが、前にいると安心もする。

 

シーマの方は、もっと露骨だった。

 

「その箱、後ろへ回せ。前でそんな重いもん持って止まったら通路が詰まる」

 

「は、はい」

 

「はいじゃない。走って持っていけ」

 

言われた兵が慌てて動くのを見て、シーマは隣の下士官にぼそりと言う。

 

「新人が多いね」

 

「削られましたから」

 

「削られた後に足すと、こうなる」

 

それでも彼女は手を抜かない。海兵たちの列を自分の足で歩き、顔を見て、返事を聞き、誰が本番で固まるかまで見て取ろうとしていた。

 

デラーズはそれを離れたところから見ていた。

 

部隊は色が違う。

 

ラル隊は落ち着きがある。シーマ隊は報酬で固まっている。ガトー隊は情熱を持っている。工兵は自分たちが前線の生死を決めると理解しているから、口数が少ない。

 

それでいい。

 

同じ顔ぶれで戦はできない。

 

 

 

 

その頃、サイド5方面でも艦隊が動き始めていた。

 

ドズルの乗艦の発進デッキは、グワジンの静けさとは別種の熱を帯びていた。怒号が飛んでいるわけではない。だが、いるだけで周囲が前を向くような圧がある。ドズル自身の体格と声が、そのまま艦全体の空気を決めているようだった。

 

マツナガは整備士と短く言葉を交わしながら、自機の最終確認を見ていた。白い制服の印象とは裏腹に、目つきは冷静だ。無駄口を叩く感じではない。

 

少し離れたところでは、黒い三連星が揃っていた。

 

「聞いたか。今回は防衛戦だとよ」

 

「守るのは嫌いじゃないが、待つのは嫌いだ」

 

「来るなら叩けばいい」

 

三人とも声はそれぞれ違うのに、並ぶと奇妙にまとまる。暴れるためにいる男たちだが、今回ばかりは暴れる前に配置がある。

 

そこへ本物のシャア・アズナブルが現れた。

 

若い。だが若さを隠そうとはしていない。視線は鋭いが、まだどこか潔癖だ。彼は自分の端末に表示された任務内容を読み返し、それから眉をわずかに寄せた。

 

住民退避誘導、現地慰撫、交通整理、治安維持。

 

戦場に出る軍人の任務としては、あまりに地味だった。

 

ドズルがそれを見ていた。

 

「不服か」

 

シャアは端末を閉じ、姿勢を正した。

 

「不服というわけではありません」

 

「そうか」

 

「ですが、前線の任務ではないと感じております」

 

ドズルは鼻を鳴らした。

 

「前線だ」

 

「……はい?」

 

「戦が始まる時、最初に守るのは民間人だ。そこを間違える軍は長く持たん」

 

周囲の空気が少しだけ静まる。

 

黒い三連星の一人がニヤつきかけたが、ドズルの横顔を見てやめた。

 

ドズルは続ける。

 

「十一バンチは取る。だが中に人が残っていれば、後で何を言おうが遅い。逃がす奴が要る」

 

シャアは黙っていた。

 

ドズルは彼をまっすぐ見た。

 

「お前はテキサス育ちだ。コロニーの空気が分かる。顔も若い。言葉も通る。ならお前が行け」

 

「……了解しました」

 

「撃墜より先に、何人逃がせたかで評価する」

 

その言葉に、シャアの顔が一瞬だけ変わった。誇りを刺されたような、だが完全には反発できない複雑な表情だった。

 

マツナガが横から静かに言う。

 

「適任だ」

 

シャアはそちらを見た。

 

「慰めの言葉ですか」

 

「違う」

 

マツナガは淡々としていた。

 

「俺たちは撃てば済む。だが住民の顔を見ながら進める役は、撃つより難しい」

 

黒い三連星の一人も腕を組んだまま言った。

 

「俺たちが行ったら泣かれるな」

 

「泣かれるだけで済むか?」

 

「逃げるな」

 

少しだけ笑いが起きたが、すぐに引いた。

 

ドズルが短く命じる。

 

「行け。地図と台帳を全部頭に入れろ。明日からお前の仕事は、人を生かしたまま邪魔なく流すことだ」

 

「はっ」

 

シャアは敬礼し、その場を下がった。

 

彼の背中は硬かった。

 

若い士官としては不本意だろう。撃って名を立てるより、頭を下げて人を逃がす役を命じられたのだから。それでも命令は命令だ。しかもドズルの言葉は乱暴なようでいて、理屈が通っている。

 

戦争の最初に守るのは民間人。

 

理解できるからこそ、逃げ場がない。

 

夜になってから、シャアは一人で十一バンチの資料室に入った。

 

壁面スクリーンにはコロニーの構造図が映し出され、居住区、工区、管理区、放棄区画、非常通路、搬送路が細い線で重なっている。古い設備更新の履歴も、退去世帯の一覧も、残存住民の推定人数も出る。机の上には紙の住民台帳が積まれていた。

 

端末の数字だけでは駄目だ、と彼は思った。

 

紙の方が顔を想像できる。

 

台帳を一冊開く。名前。年齢。世帯人数。移住予定。取り消し。未更新。死亡。所在不明。文字の列なのに、その向こうに生活の気配がある。

 

戦争を始めるのだ。

 

なのに最初の仕事は、この名前の列を、死者の列に変えないことだった。

 

シャアは台帳を閉じ、今度は地図を見た。

 

ここで詰まる。ここは混乱する。ここの搬送路は狭い。高齢者を先に流すなら、こちらの非常通路を開けておいた方がいい。子供が多い区画は、この管理シャフトを使わせるべきか。駐留軍が残るなら、どこでぶつかる。

 

考えることはいくらでもあった。

 

戦場の地図なのに、敵機の進路より、避難民の足が先に浮かぶ。

 

それが妙に腹立たしく、同時に、奇妙に現実的でもあった。

 

シャアは台帳を脇に置き、コロニー地図へ視線を戻した。

 

十一バンチは静かな円筒のはずだった。過疎化した外れのバンチ。連邦にとってもサイド5にとっても、捨て切れてはいないが主役ではない場所。

 

だが、明日からそこが戦争の最初の舞台になる。

 

彼は黙ったまま、地図を見つめ続けた。

 

どこから人を流すか。 どこを閉じるか。 どこで軍と民間を分けるか。

 

考えるほど、線が増えていく。

 

撃つ前に、逃がす。

 

その任務の重さを、ようやく少しだけ実感しながら、シャアは夜の更けるのも忘れて立ち尽くしていた。

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