妹に撃たれない方法   作:Brooks

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重複部修正


第120話 奪還艦隊

 

 

ジャブロー地下宇宙軍司令部は、普段より静かだった。

 

静かなまま、人だけが増えている。士官、通信兵、補給担当、参謀、造船局の連絡員、輸送部、医療部。普段ならそれぞれ別の持ち場に散っているはずの人間たちが、同じ通路を行き交い、同じ端末をのぞき込み、同じ星図を見ていた。

 

慌ただしいのではない。

 

巨大な組織が、急に速度を上げた時の、重く息苦しいざわめきだった。

 

壁面スクリーンには、サイド5、ルナツー、地球低軌道の航路図と各艦隊の現在位置が映し出され、発進許可待ちの艦名、補給申請、弾薬搭載、乗員招集、通信士官の割り当てが同時に流れている。

 

副官が端末を持って近づいた。

 

「先行艦隊、発進準備七割完了です」

 

レビルはスクリーンを見たまま言った。

 

「七割で艦隊は動く。だが、七割で戦は勝てん」

 

副官は一拍置いた。

 

「それでも出さねばなりません」

 

「分かっている」

 

レビルは星図を見つめたまま続けた。

 

「問題は十一バンチそのものではない。あそこを足場にされることだ」

 

「サイド5内部への楔、ですか」

 

「それだけではない」

 

声に熱はなかった。むしろ冷えていた。

 

「奪われたまま時間を与えれば、宇宙全体に示すことになる。連邦の監督権は紙の上にしかない、と」

 

十一バンチは過疎バンチだ。地図の上だけなら、切り捨てる理屈も作れる。だが相手はそこを選び、避難誘導まで準備し、駐留軍を短時間で剥がした。

 

偶発ではない。

 

最初から、そこまで読んでいた。

 

レビルは端末を受け取ったまま、しばらく黙って星図を見ていた。

 

怒っているのではない。遅れを悔いているのでもない。

 

相手の手が、自分たちより先に宇宙の形を読んでいた。その事実を、冷えた頭で認めていた。

 

その時、背後で扉が開いた。

 

室内の空気が、わずかに変わる。

 

ティアンムだった。

 

司令区画の半個室には、二系統の進撃案が並べられていた。

 

一つは、ジャブローから先行群を直接サイド5へ上げる案。

もう一つは、ルナツー方面艦隊との連携を待ち、厚みを作ってから進む案。

 

どちらにも理がある。どちらも足りない。

 

ティアンムは机の端に手を置き、図面を見たまま口を開いた。

 

「相手は拠点を取りに来ている。なら、根を張る前に叩くしかありません」

 

レビルも図面から目を離さなかった。

 

「分かっている。だが先行群だけを上げれば、今度はルナツーとの線が薄くなる」

 

「線は後で結べます。拠点は取られた後では重くなる」

 

「宇宙軍は十一バンチだけで動いているわけではない」

 

ティアンムは即座に返した。

 

「だからこそです。あの一点を見逃せば、他の線まで崩れる」

 

そこで二人とも黙った。

 

相手の言っていることが分かるから、声を荒げる余地がない。

 

外では人が走り、回線が鳴り、艦が上がる準備をしている。だがこの部屋の中だけは、妙に静かだった。

 

レビルが先に口を開く。

 

「……急げば兵力が割れる」

 

ティアンムは同じ調子で答えた。

 

「待てば相手が固まる」

 

また沈黙が落ちる。

 

どちらが正しいかではない。どちらも正しい。だからこそ厄介だった。

 

レビルはゆっくりと息を吐いた。

 

「直進系統を先に出す。本隊はルナツー方面との線を維持したまま後続」

 

「了解しました」

 

ティアンムはそこで敬礼した。

 

「私は先に上がります」

 

「分かった」

 

レビルはようやく顔を上げた。

 

「だが、上がった艦から勝てるわけではない」

 

ティアンムは短く笑った。

 

「勝てる形を待っていたら、負ける形だけが残ります」

 

言い終えると、そのまま踵を返した。

 

扉が閉まったあと、レビルは図面の上に指を置いたまま動かなかった。

 

合理的な決定だった。だが合理的な決定が、そのまま力の集中になるわけではない。むしろ決めた瞬間から、綻びもまた生まれていた。

 

――――――――――

 

ジャブロー発進デッキでは、巨大なハッチが開き、重力下で艦が一隻ずつ持ち上げられていた。

 

低い振動が床を伝う。整備兵、搭載班、補給担当が走り回る。誰も怠けていない。だが、全部が少しずつ噛み合っていない。

 

「このパレットは先行群です!」

 

補給士官が叫ぶ。

 

港務士官が別の端末を睨んだまま返す。

 

「いや、本隊第三列だ! コードを見ろ!」

 

「コードは昨日のままだ、更新が入ってない!」

 

少し離れたところで、別の整備兵が怒鳴った。

 

「通信要員が一名未着です!」

 

「どこの持ち場だ!」

 

「第二護衛列です!」

 

「護衛駆逐艦を一つ後ろへ回せ! 発進スロットを空けるな!」

 

怒声が飛ぶ。だが、そこに怠慢の匂いはなかった。全員が自分の持ち場を守ろうとしている。その全員が同時に急いでいるから、継ぎ目だけが剥き出しになる。

 

少し離れた観測通路から、その光景をレビルが見ていた。

 

副官が低く聞く。

 

「止めますか」

 

レビルは首を振った。

 

「止めれば、今度は全てが止まる」

 

ハッチの向こうで、先行群の艦が一隻、二隻と地球重力を離れていく。

 

整然として美しい発進だった。だがその整然さが、レビルにはどこか不安定に見えた。

 

連邦は巨大だ。巨大だからこそ、全力で急ぐのが一番難しい。

 

「……急ぐほど、綻びが見えるな」

 

副官は何も答えなかった。

 

――――――――――

 

サイド5宙域、十一バンチ外縁。

 

戦いの直後の熱は、もう消えていた。

 

外壁損傷部には工兵が張り付き、仮設隔壁と補強材が取り付けられている。破れた外装の上を作業灯が滑り、臨時砲座が置き換えられ、機雷線敷設艇が外縁を巡る。デブリ帯の監視艇が一定間隔で航路を横切り、補給船が指示灯に従って細い導線を進んでいく。

 

ドズルはヘルメットもかぶらず、修理区画を歩いていた。

 

「外縁の傷んだ区画は今日中に塞げ! 見た目だけでいい、穴が開いてると思わせるな!」

 

「はい!」

 

「砲座は民間通路から切り離せ。避難民の流れと軍を混ぜるな!」

 

「了解!」

 

工兵士官が別の図面を持って駆け寄る。

 

「機雷線は第一列のみでよろしいですか」

 

「浅い」

 

ドズルは即答した。

 

「二列にしろ。だが味方の補給路は残せ。自分で首を締めるな」

 

「はっ!」

 

怒鳴り声ばかりが響くのに、内容は全部細かい。誰を急がせ、どこを残し、何を守るかが明確だった。

 

少し離れて、マツナガが補給表を確認していた。戦後の気の緩みはない。整備兵に弾数を確認させ、自分でも数字を見ている。

 

「予備弾数が想定より減っています。次は短く済みません」

 

ドズルはそちらを見ずに答えた。

 

「分かっている。だから今埋める」

 

黒い三連星は、その横で別の空気をまとっていた。

 

「来るなら今度は迎え撃つだけだ」 「今度は待つ側か」 「待つのは性に合わんがな」

 

ドズルが振り向く。

 

「迎え撃つのはいい。だが勝手に追うな。ここは狩場じゃねえ、壁だ」

 

三人とも黙って頷いた。

 

十一バンチは取った。だがドズルは、勝った顔をしていなかった。ここからが守る戦だと知っている。そして来るのが連邦であり、その先頭にレビルがいることも、よく分かっていた。

 

――――――――――

 

十一バンチ内部、管理区画から別バンチへの輸送待機所。

 

避難列は昨日より細くなっていたが、まだ終わってはいない。

 

管理区画の壁際に人が並び、輸送船の順番を待っている。怒鳴る者もいれば、何も言わず座り込む者もいる。子供の泣き声、搬送車のモーター音、荷物を引く擦過音が混ざり合っていた。

 

シャア・アズナブルは列の端を歩きながら、名簿と顔を照らし合わせていた。

 

昨日、食堂で怒鳴っていた男が、今日は文句を言わずに列整理を手伝っている。

 

管理員の老人が近づいてきて、折りたたんだ紙を差し出した。

 

「昨日の続きだ。残ってるのはこの区画と、この区画。頑固者ばかりだ」

 

シャアは紙を受け取った。

 

「助かります」

 

老人は肩をすくめる。

 

「助かるのは、そっちじゃないさ」

 

少し間を置いて、シャアの顔を見た。

 

「あんた、ちゃんと戻ってくるな」

 

シャアは答えかけて、一瞬だけ言葉を失った。

 

「……必要ですから」

 

老人は小さく鼻を鳴らした。

 

「そういうのを、こっちは案外見てる」

 

少し離れたところで、住民たちの囁きが聞こえる。

 

「昨日の士官だ」 「避難路を開けたやつ」 「若いのに、逃げなかったな」

 

シャアは聞こえないふりをした。

 

戦果は本来、報告書の数字で足りる。だが退避人数は違う。あれは顔のついた数だ。

 

それが重いのか、誇らしいのか、まだ自分でも分からなかった。

 

小さな会議室には、住民の代表が数人だけ集められていた。

 

管理員の老人、労務区画の男、若い母親。皆、椅子に浅く腰掛け、シャアの方を見ている。命令ではなく、説明。それが今日の彼の役目だった。

 

「避難はまだ終わっていません」

 

シャアは机の端に手を置いて言った。

 

「残っている人をもっと減らします。当面の食料と居住区割り当てはこちらで手配中です」

 

労務区画の男が腕を組んだまま言う。

 

「取ったから終わりって顔じゃないな」

 

「終わりではありません」

 

若い母親が不安そうに口を開いた。

 

「また戦うんですか」

 

シャアは一拍置いて答えた。

 

「……来ます」

 

老人が静かに言う。

 

「連邦が」

 

「はい」

 

そこで部屋が静まり返った。

 

誰もそれを聞きたくはなかった。だが誰も、それが嘘ではないとも分かっていた。

 

シャアは続ける。

 

「だから今のうちに、残っている人をもっと減らしたい」

 

労務区画の男が睨む。

 

「お前たちが始めたんだろうが」

 

シャアは目を逸らさなかった。

 

「そうです」

 

その一言で、空気が硬くなる。だが彼は逃げなかった。

 

「だからこそ、巻き込む人数を減らします」

 

誰もすぐには何も言わなかった。

 

納得したわけではない。許したわけでもない。それでも、誰も席を立たなかった。

 

少なくとも連邦駐留軍よりは、こいつは何が起きるかを口にしている。その程度の、重い沈黙だった。

 

――――――――――

 

ルナツー方面宙域。

 

灯火を落とした艦隊が、沈黙したまま宙を進んでいた。

 

通信は最低限。航法灯も抑えられ、艦内通路の照明も半分以上が減灯状態。人が歩いているのに、足音まで鉄に吸われていくようだった。

 

シーマは突入順の図面を見ながら、低い声で言った。

 

「そこ、前に出すな。通路で死なれたら後ろが詰まる」

 

下士官が口を挟む。

 

「ですが第一波が薄くなります」

 

「薄い方が動く。厚い死体は蓋になる」

 

シーマは顔も上げなかった。

 

別の区画でラルが工兵隊と図面を広げていた。

 

「動力、通信、司令区、ドック。この順だ」

 

工兵が確認する。

 

「動力区画は止めるだけでいいので?」

 

「飛ばすな。止めろ。それで十分だ」

 

ラルは図面上の導線を指でなぞる。

 

「取った後に使う場所から順に静かにしろ。派手に壊せば楽だが、後で自分が困る」

 

ガトーは別の格納区画で、部下の装備を一人ずつ見ていた。

 

「固定具を締め直せ。宙返り一つで外れる留めに命は預けるな」

 

「はっ」

 

「最初の三分を取る。三分取れば、後ろが来る」

 

英雄を気取る声ではない。先頭を切る者の緊張だけがあった。

 

艦橋ではデラーズが短く命じるだけだった。

 

「速度は落とすな。だが残せるものは残せ」

 

シーマが図面から目を離さず言う。

 

「未艤装艦がいたら時間を食いますよ」

 

「承知の上だ」

 

ラルが低く続ける。

 

「突破と鹵獲、両方を取るのは難しい」

 

デラーズは正面の星図から目を離さなかった。

 

「難しいからやる」

 

その一言だけで、作戦はもう始まっていた。

 

――――――――――

 

ジャブローの発進ハッチが開き、レビル艦隊先行群が地球重力を離れて上がっていく。

 

噴射炎が明るい。大きな国家が、急いで戦争へ手を伸ばす光だった。

 

副官が報告する。

 

「先行群、上昇開始」

 

レビルはその光を見ながら言った。

 

「遅れるな。本隊との線は必ず残せ」

 

「はい」

 

奪還しなければならない。だが奪還だけでは足りない。それが、かえって艦隊を重くする。

 

同じ頃、別の宙域では、デラーズ艦隊が灯を落としたまま進んでいた。

 

通信はない。命令も、もう短い。

 

「そのまま進め」

 

副官が応じる。

 

「はい」

 

一方は、奪われたものを取り返すために宇宙へ上がった。

一方は、次に奪うものへ向けて、沈黙したまま宙を進んでいた。

 




シーンが切り替わるのをChatGptが検出できない。
ウソって言ってよアルトマン。
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