妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第121話 距離を壊すもの

 

 

サイド5宙域外縁は、ひどく静かだった。

 

静かであること自体が、連邦艦隊の優位を示していた。艦と艦の間隔は広く、射線は整理され、前衛と後衛の重なりも無駄がない。主砲の照準はすでに予想進路に沿って配され、敵が前へ出れば、出た分だけ削る形ができあがっている。

 

広い宙域を広いまま使う。近づけさせず、乱させず、距離そのものを味方につける。

 

レビルは戦況盤を見つめたまま、ほとんど動かなかった。

 

ドズル・ザビは押し込んでくる。近づいて、戦艦の距離を殺し、乱戦へ持ち込みたがる。ならば、近づかせなければいい。届かなければ、乱戦は始まらない。戦術とは、相手に望む形を選ばせないことだとレビルは知っている。

 

「各艦、第一砲撃線を維持。敵艦隊、なお射程外です」

 

「いい。こちらから距離を縮める必要はない」

 

参謀が続ける。

 

「ドズル艦隊は突撃を選ぶ可能性が高いかと」

 

「選ばせるな」

 

短い一言だったが、艦橋の空気が締まった。

 

「届かなければ戦術はない。届く前に削れ。崩れる前に崩せ」

 

連邦艦隊は、そういう戦いのために並んでいた。

 

戦争は勇ましさではなく、届く距離で決まる。

 

少なくとも、ここまでは。

 

―――――

 

対するジオン側では、遠くの砲火が散発的にまたたいていた。

 

まだ決定的な損害ではない。だが、それが安全を意味しないことを、前線の者ほどよく知っている。距離を握られた戦場では、被弾の前に選択肢が減る。前へ出られず、横へ開けず、届かないまま削られる。砲撃の強さより、その状態そのものが厄介だった。

 

ドズルの旗艦では、数値が次々に読み上げられている。

 

相対速度。砲撃精度。予想損耗。MS前衛の到達可能時間。

 

どれも面白くない報告だった。

 

「このまま距離を維持されると、砲戦で押し込まれます」

 

「だろうな」

 

「前衛MSを通常進撃で突っ込ませても、到達前に損耗が嵩みます」

 

「だろう」

 

「敵砲列を正面から食い破るのは困難です」

 

ドズルはそこで初めて笑った。

 

「だから正面から食い破らん」

 

参謀が顔を上げる。

 

「アプサラス群、発進待機完了です」

 

「出せ」

 

「よろしいのですか」

 

「よろしいも何もあるか。あれは砲台じゃない」

 

ドズルは戦況盤の向こうを睨みつけた。

 

「届かせるための腕だ。距離で威張るなら、その距離ごと叩き壊せ」

 

―――――

 

格納区画では、巨大な機体がいくつも静かに浮かんでいた。

 

アプサラスは一機ではない。複数機が、それぞれ別の針路、別の侵入角、別の切り離し位置を割り当てられている。各機の下面には、ザクが一機ずつ牽引状態で固定されていた。突入後、敵艦隊の死角へ運び、そこで解き放つ。そのためだけに組まれた編成だった。

 

機体の外装を薄くなぞるように、ミノフスキー粒子がまとわりつく。出た瞬間から通信はあてにならない。味方同士でも、互いの声はほとんど届かない。針路、速度、切り離し位置、離脱の目安。必要なことは、出る前にすべて叩き込んである。

 

あとは各機が、それぞれの判断で予定点へ到達するだけだった。

 

ギニアス・サハリンは一つ一つの機体を見上げ、危うい熱を目に宿していた。彼にとってこれは試作兵器ではない。兵器分類の都合で語るものでもない。艦隊戦の前提をひっくり返すための道具であり、そのためにだけ存在している。

 

アイナは自分の担当機の状態を、最後まで無言で確認していた。出力、姿勢制御、牽引部、粒子散布、切り離し機構。どれか一つが狂えば、死角へ届く前に終わる。

 

ノリスは別機の前に立ち、ただ短く機体を見た。危険は承知している。通信不能、視界不良、高速侵入。戦場の理屈としては無茶だ。だが、敵の理屈を壊すなら、こちらも無茶を通すしかない。

 

ギニアスが言う。

 

「いい。理解されなくていい。届けばいい」

 

近くにいた整備兵が緊張した顔で頷く。

 

アイナは何も答えず、端末を閉じた。

 

ノリスは自分の手袋を引き締めると、短く息を吐いた。

 

長い会話はなかった。

 

必要な話は、すでに終えている。

 

ここから先は、手順と腕だけがものを言う。

 

―――――

 

固定具が外れ、アプサラス群が順に艦外へ押し出された。

 

最初の数秒だけは静かだった。巨体が宙に浮き、牽引されたザクが遅れてわずかに揺れる。その不気味な静けさが、次の瞬間には一変する。

 

主推進が噴き、複数の巨体がそれぞれの角度へ散った。

 

通常のMS突撃ではない。ザク一機ずつを引いた異形の大型機が、高速で、しかも散開しながら前進する。ミノフスキー粒子を身にまとったその機影は、光の膜を引きずるようにして宙域を切り裂いていった。

 

出た瞬間から、外部通信はほとんど死んだ。

 

味方の声は届かない。届くのは、機体の振動、警報、計器の数字、そして目視だけだ。

 

アイナは正面モニターを睨み、姿勢のわずかな流れを補正する。粒子散布の影響で計器にも揺らぎが出る。だが、予定した針路からのズレは、まだ許容範囲内だった。

 

別の機では、ノリスが無言のまま操縦桿を押し込み、機体を前へ前へとねじ込んでいく。彼の周囲にも声はない。必要ない。いま欲しいのは、届くかどうかだけだ。

 

アプサラス群は散りながら、しかし同じ目的へ向かっていた。

 

敵艦隊の距離を、壊すために。

 

―――――

 

最初に異常を察知したのは、連邦側のレーダー手だった。

 

「識別信号、不明瞭! 大型反応、複数!」

 

「複数だと?」

 

「粒子濃度上昇! レーダー像、滲みます!」

 

艦橋の空気が変わる。

 

サイド5宙域に撒かれたミノフスキー粒子が、一気に濃くなっていた。索敵画面の輪郭は甘くなり、敵味方識別が跳ぶ。通信も乱れ始め、隣艦との更新報告すら途切れがちになる。自動照準は目標の像を安定して掴めず、補正値が暴れた。

 

「通信、つながりません!」

 

「第三列との回線が切れます!」

 

「自動照準、ロック維持不能!」

 

「目視に切り替えろ!」

 

怒鳴り声が飛ぶ。だが、その怒鳴り声すら、いまどこまで届いているのか怪しかった。

 

見えているのに、見えていない。

 

撃てるはずなのに、当てるための前提が崩れていく。

 

その混乱の中で、アプサラス群は輪郭を曖昧にしながら、なお高速で迫ってきた。

 

レビルは戦況盤と艦橋前面の映像を見比べた。

 

「粒子をまとっているな」

 

参謀が振り向く。

 

「将軍」

 

「あれは敵艦隊の前へ出るためだけの機体ではない。こちらの目と耳を潰しながら、距離を詰めるための機体だ」

 

試作兵器という言葉では軽すぎる。

 

レビルは、まだ全容を掴めぬまま、その不吉さだけは理解し始めていた。

 

―――――

 

中央列のサラミス級巡洋艦が、一機を目視で捉えた。

 

輪郭は揺れる。粒子の膜が像を崩す。だが、主砲旋回が間に合う距離だった。自動照準は使えない。砲手は半ば手動で修正を重ねる。艦長は迷わなかった。

 

「撃てる」

 

「撃てます!」

 

「撃て!」

 

メガ粒子砲の閃光が宙域を貫いた。

 

白熱した光が一機のアプサラスを正面から呑み込み、その機体は一瞬、完全に見えなくなった。艦橋の数名が思わず息を呑む。これで終わったと誰もが思った。

 

だが、光が引いたあとも、そこに残骸はなかった。

 

焦げ、赤熱し、外装の一部を溶かしながら、それでもその機体は前進していた。

 

止まらない。

 

速度が落ちない。

 

砲撃を受けたこと自体を折り込んでいたかのように、そのまま来る。

 

「命中確認!」

 

「撃墜は!?」

 

「……できていません!」

 

「何だと!」

 

「目標、前進継続! 速度低下、わずか! いえ、回復します!」

 

艦長が歯を食いしばる。

 

「直撃したんだぞ」

 

「しました!」

 

「ならなぜ止まらない!」

 

答えはない。

 

観測員の声だけが上ずる。

 

「来ます! そのまま来ます!」

 

―――――

 

その報告は、断続的な雑音まじりでレビルの旗艦にも届いた。

 

完全な文章になっていない。単語が千切れ、数値が飛ぶ。だが、それでも十分だった。

 

メガ粒子砲、直撃。

 

撃墜確認なし。

 

前進継続。

 

それだけで、意味は足りる。

 

レビルは戦況盤の複数反応を見つめた。粒子の影響で精度は荒い。だが、前進の意志だけははっきりしている。しかも一機ではない。複数の大型反応が、ばらけて、しかし同じ狙いで食い込んでくる。

 

単に硬いのではない。

 

単に速いのでもない。

 

砲を受けながら前へ出る。粒子で通信と索敵を乱し、レーダーと自動照準を殺し、その上で死角へザクを届ける。これは砲戦を行う兵器ではない。砲戦という戦い方そのものを崩す兵器だ。

 

背筋に冷たいものが走った。

 

戦術家としてではなく、戦争を知る者として、その意味がわかったからだ。

 

「あれは……」

 

参謀が顔を向ける。

 

「将軍」

 

「あれは火力のための機体ではない」

 

「では」

 

「距離を壊すための機体だ」

 

レビルの声は低かった。

 

「しかも複数。単機の奇策では終わらん」

 

戦況盤の光点が、連邦艦隊の整然とした線へ食い込んでいく。

 

レビルは、ほとんど独り言のように漏らした。

 

「戦争の前提が壊れる」

 

―――――

 

粒子の濃い宙域では、アプサラス群の中でも互いの位置は完全には掴めない。

 

それでも各機は止まらなかった。

 

アイナの機は、被弾で左側外装の一部を焼かれながら、なお針路を保っていた。通信不能だからこそ、迷う余地がない。予定した侵入角、予定した切り離し点、そこまで届くかどうかだけに集中する。

 

計器が跳ぶ。姿勢補正が遅れる。粒子散布のせいで視界も抜けきらない。

 

それでも彼女は、声を出さずに補正を入れ続けた。

 

別の機では、ノリスが砲火の隙間へ巨体をこじ込んでいた。優雅な回避ではない。被弾をゼロにする操縦でもない。受けても前へ出る。焼かれても届く。そう割り切った押し込みだった。

 

砲火がかすめ、機体が震える。

 

牽引されたザクが揺れ、ワイヤーが軋む。

 

それでもノリスは機首を下げず、狙った死角へとまっすぐ進んだ。

 

アプサラスは静かな兵器ではない。だが、いまこの戦場では、その沈黙こそが恐ろしかった。

 

叫び合わない。

 

指示を飛ばし合わない。

 

ただ事前に決めた針路どおり、複数の巨体が同時に距離を潰しにくる。

 

連邦側から見れば、それは意志のない機械ではなく、最初から自分たちの秩序を折りにきた波そのものだった。

 

―――――

 

牽引されたザクが解放されたのは、ほとんど同時だった。

 

連邦艦の側面、そのさらに内側。主砲が振り向きにくく、副砲でも対処が遅れる位置。砲戦隊形を組んだ艦列にとって、もっとも嫌な角度で、ザクが弾き出されるように現れた。

 

ここまで近づけば、戦艦の火力は大きすぎる。

 

距離戦のための主砲は、近すぎる敵には使いづらい。副砲、対空砲、近接防御。それらが一斉に動き出すが、粒子のせいで照準は甘く、通信不全で援護も噛み合わない。

 

「敵機接近! 近すぎます!」

 

「右舷下部!」

 

「いや、左にも!」

 

「第三列、応答しません!」

 

「目視! 目視で追え!」

 

各艦で怒鳴り声が上がる。

 

一隻が回避を始めれば、隣艦も射線を嫌って動くしかない。動けば、さらにその隣の射線が乱れる。正しい判断が各艦で積み上がり、それが艦隊全体では混乱になる。

 

乱戦とは、無謀な突撃だけで始まるものではない。

 

整然とした距離戦の手順が、複数箇所で同時に破綻したときに始まる。

 

レビルは、それを見ていた。

 

「……そういうことか」

 

「将軍」

 

「あれは一点突破ではない。艦隊戦そのものへの侵入だ」

 

参謀の顔が強張る。

 

レビルは戦況盤を睨んだまま続けた。

 

「ドズルは最初から乱戦に持ち込むつもりだった。そしてあれは、そのためだけに作られている」

 

―――――

 

ジオン旗艦では、細部の機動を把握することはできなかった。

 

粒子のせいで通信は細切れになり、位置情報も粗い。だが、細かい理屈がわからなくても、一つだけ明らかなことがあった。

 

届いた。

 

複数のアプサラスが、複数のザクを、連邦艦隊の奥へ届かせた。

 

それだけで、戦況は変わる。

 

戦況士官が断片的な報告を拾い上げる。

 

「敵艦列、複数箇所で隊形乱れ!」

 

「通信更新、連邦側鈍化!」

 

「近距離交戦へ移行中!」

 

ドズルが大きく笑った。

 

「届いたか!」

 

「はっ!」

 

「ならいい!」

 

その一言に、艦橋の空気が一気に熱を帯びる。

 

難しい説明はいらない。理屈も後でいい。敵の距離が壊れ、噛みつける位置に前衛が入った。それで十分だった。

 

「食いつけ! そのまま引きずり込め!」

 

ドズルの声が響く。

 

「距離で偉そうにしていた連中に、殴り合いの距離を教えてやれ!」

 

―――――

 

サイド5宙域に走っていた砲撃の線は、消えてはいなかった。

 

だが、意味が変わっていた。

 

少し前までの砲撃は、距離を支配するための火力だった。いまは違う。乱れた戦場をどうにか整理しようとする、苦しい火力へ変わりつつある。

 

その間を縫うようにザクが走り、艦が転じ、射線が崩れる。

 

戦場は広いまま、狭くなっていく。

 

距離があるのに、近い。

 

艦隊戦のはずなのに、もう殴り合いの宙へ沈み始めている。

 

レビルは戦況盤から目を離さなかった。まだ連邦の艦数は多い。まだ火力は残っている。だが、それらは距離を保てるならという前提の上に立つ優位だった。

 

その前提が崩れた。

 

アプサラスが受け止めたのは、一発のメガ粒子砲だけではない。

 

艦隊戦の常識そのものだ。

 

砲を受けながら前へ出る。

 

粒子で敵の目と耳を曇らせる。

 

複数機で同時にザクを死角へ届ける。

 

それは一つの兵器ではなく、戦い方の変更だった。

 

参謀が言う。

 

「第二次射撃線、再編を急がせますか」

 

「急がせても遅い」

 

「将軍」

 

「近距離迎撃へ切り替えろ。誤射を恐れすぎるな。もう砲戦の手順では間に合わん」

 

参謀が鋭く応じる。

 

「はっ!」

 

レビルは、ほとんど唇の動きだけで言った。

 

「やられたな」

 

その声は小さかった。

 

だが、悔しさより先に、認めるべきものを認めた将の声だった。

 

ドズルは笑っている。

 

ギニアスは歓喜している。

 

 

そしてサイド5宙域では、距離に守られていた戦争が終わり、距離を壊された戦争が始まっていた。

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