ルナツーへの取り付きから、すでに十五時間が過ぎていた。
だが要塞の中では、時間というものが意味を失っていた。
照明は区画ごとに点滅し、煙が流れ、減圧警報が鳴り止まない。
同じルナツーの内部でも、場所によって空気が違う。
ドックは金属音と爆発の熱、通信区画は暗く静かで、司令導線は隔壁越しの短い銃火、建造区画はまだ大きく壊れていない不気味な静けさ。
誰も、戦闘開始から何時間経ったのか正確には分からなかった。
ただ、体が重い。
喉が焼ける。
弾薬の残りを数える回数が増えた。
戦いは止まってはいない。
だが、一気に進む戦いでもなかった。
区画ごとに、少しずつ、前へ押している。
デラーズの前には、次々と報告が入っていた。
「ドック外縁、保持」
「通信区画一部制圧」
「動力導線、なお抵抗あり」
「司令区外郭、接触」
「建造区画、未確認大型構造物あり」
勝っている、とはまだ言えない。
だが、押している。確実に、押している。
デラーズは地図の上をゆっくり指でなぞった。
「……まだ半分だな」
誰も答えなかった。
だが、その言葉が、この戦いの現実だった。
――――――――――――――――――
ドック外縁では、シーマ隊が戦場を支配していた。
ここは撃ち合いの戦場ではない。
止める戦場だった。
爆薬、自爆、通信遮断、捕虜、火災、電力、空調。
戦いの裏側にあるすべての面倒を、ここで引き受けている。
「爆薬持ってる手から落とせ!」
短い銃声。
爆薬箱を抱えて走っていた連邦兵が倒れる。
「信管生きてる! 撃つな、箱を撃つな! 信管抜け!」
工兵が滑り込み、爆薬箱に手を突っ込む。
汗で手袋が滑る。
「捕虜三、負傷二!」
「負傷は奥、捕虜は壁に寄せろ。縛れ、殺すな」
通信機材のラックが燃え始めている。
「通信ラック燃えます!」
「火は消せ! 線は切るな! あとでこっちが使う!」
若い海兵が逃げる連邦兵を追おうとする。
「待て、追うな!」
シーマの声が飛ぶ。
「逃げるぞ!」
「追うなって言ってるだろ!」
海兵が止まる。
「……ラル大尉に何を習った」
若い海兵が息を荒げたまま振り向く。
「敵を減らす前に、道を残せ、だろうが」
海兵は黙ってうなずいた。
シーマは煙の向こう、建造ドック側の巨大な影を見上げた。
「……あれは、まだ生きてるね」
未完成の巨大艦が、暗闇の中に横たわっていた。
――――――――――――――――――
司令区へ至る導線では、ラル隊がゆっくりと前線を押し広げていた。
ここでは、撃つより止める、壊すより残すが重要になる。
「隔壁は閉めるな、止めろ。あとで開けられる形で残せ」
「了解!」
クランプ隊が左導線を固定し、アコースが火点を一つずつ潰していく。
コズンが側面通路を回り、ステッチとゼイガンが後詰めを固める。
ラルは中央導線に立っていた。
「動力側、抵抗強いです!」
「強いならなおさら吹かすな。止めて取れ」
「司令区側、敵が下がっています!」
「追い込むな。戻り先を限定しろ」
ラルは地図ではなく、通路の空気を見て戦っていた。
前へ進むとは、敵を減らすことではない。
こちらが使える区画を増やすことだ。
通路、空調、電力、扉、隔壁。
それらが生きたまま手に入れば、要塞は自分のものになる。
そこで通信が入る。
「ガトー隊、司令区外郭へ突出、やや前進しすぎ」
ラルは一瞬だけ目を閉じた。
「……やはりな」
通信回線を開く。
「ガトー、中尉、止まれ」
――――――――――――――――――
ガトー隊は司令区外郭の一つ手前の隔壁まで達していた。
ここを抜けば司令中枢へ至る。
だが後続導線はまだ細い。
「このまま押せます!」
「司令区は近い!」
兵たちの声が上がる。
「左導線、閉まりかけています!」
「閉まる前に入る!」
その時、通信が割り込んだ。
「ガトー、中尉、止まれ」
ラルの声だった。
「まだ行けます!」
「行けるのと、生きて持つのは違う」
ガトーは歯を食いしばる。
「ですが司令区は目前です!」
「司令区を落としても、後ろが切れたら蓋だ。戻せ」
沈黙。
そこへさらに回線が入る。
デラーズだった。
「ガトー隊は現位置で固定。先走るな。後続を待て」
ガトーは拳を握りしめた。
「……了解。現位置保持」
部下たちが悔しそうにうなずく。
「司令区は逃げません」
ガトーは静かに言った。
「だが我々が死ねば、ここまで来た意味がない」
その言葉で、兵たちの顔が変わった。
――――――――――――――――――
建造ドックでは、戦いの意味そのものが変わろうとしていた。
巨大な未完成艦の影の下、シーマ隊が内部へ踏み込んでいく。
「艦に火を入れるな! 人だけ落とせ!」
銃声が短く響く。
逃げ込もうとした連邦技術者が床に倒れる。
「爆薬発見!」
「信管生きてます!」
「信管から抜け! 箱ごと撃つな!」
工兵が汗だくで信管を引き抜く。
「捕虜六!」
「縛って壁。殺すな、あとで喋らせる」
巨大な艦体はまだ骨組みが露出している部分も多く、電力ケーブルが床を這い、足場が組まれ、照明がちらついている。
戦場の真ん中に、未来の艦隊が眠っているようだった。
シーマは通信を開く。
「司令部へ。建造ドックに未完成大型艦複数。揚陸母艦クラスと思われる」
少し沈黙。
「……自爆されたら、全部終わりだよ」
彼女の声は、いつもより低かった。
――――――――――――――――――
デラーズの艦橋に、その報告が届いた。
「建造ドックに未完成の大型機動揚陸母艦、複数確認」
副官が言う。
デラーズは地図を見たまま、動かなかった。
「……数は」
「少なくとも二、さらに奥にもう一隻の可能性」
少し間があった。
「司令区だけでは足りんな」
回線が開く。
ガトーの声。
「司令区を落とせば全部止まる!」
すぐに別回線。
シーマの声。
「艦を飛ばされたら何も残らないよ!」
「艦は後でも取れる!」
「自爆されたら灰だ!」
沈黙。
そこへラルの声が入る。
「両方が要る」
誰もすぐには答えなかった。
ラルが続ける。
「司令区は落とす。建造ドックも死なせない。そのために導線を分ける」
デラーズはゆっくりうなずいた。
「ガトー隊は司令区圧迫を継続。シーマ隊は建造ドック確保。ラル隊はその両方を繋げ。工兵は自爆系統を殺せ」
「……どちらも落とす」
それが、この戦いの形になった。
――――――――――――――――――
司令区外郭。
建造ドック制御区画。
その両方で、戦いは同時に限界へ近づいていた。
ガトー隊は隔壁一枚向こうまで迫っている。
だが突出すれば切られる。
シーマ隊はドック主制御へ迫っている。
だが自爆主系統がまだ見つからない。
その二つを、ラル隊が細い導線でつないでいる。
デラーズの前に報告が並ぶ。
「司令区、陥落寸前」
「建造ドック、確保直前」
デラーズは静かに言った。
「その“直前”を繋げ。どちらも落とすな」
司令中枢は、あと一枚の隔壁で途切れていた。
建造ドックもまた、あと一つの制御盤で止まるはずだった。
だが、その“あと一つ”が、戦場では一番遠い。
戦いは、まだ終わらない。