妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第126話 旗艦沈む

 

サイド5宙域は、もう艦隊戦の形をしていなかった。

 

ミノフスキー粒子が濃く、長距離通信も、レーダーも、自動照準も、どれもまともには働かない。艦は互いを見失い、見えている範囲だけで撃ち、撃たれ、また見失う。さっきまで味方だった光点が次の瞬間には消え、敵だと思っていた影がデブリ帯の向こうへずれていく。

 

レビルは艦橋中央で、戦術図ではなく前面視界を見ていた。

 

戦術図に映る光点は、もう半分以上が推測でしかない。更新の遅れた記号を見つめていても意味は薄い。今いる場所で何が見え、どの艦がまだ撃てるか。それだけが現実だった。

 

「ルナツーとの交信、なお回復しません」

 

副官が報告する。

 

レビルはすぐには返事をしなかった。

 

「……遅いな」

 

その一言のあと、別の参謀が身を乗り出す。

 

「ミノフスキー粒子高濃度。艦隊内通信も断続です。右翼第三列、艦影確認不能」

 

「艦影を失ったのではない」

 

レビルは静かに言った。

 

「こちらの線が見えていないだけだ」

 

艦橋にいた者たちが、一瞬だけ息を止める。

 

負けているとは、まだ誰も口にしていない。だが、楽に勝てる戦いではなくなっていることは全員が分かっていた。

 

「中央を切らせるな」

 

レビルは前を見たまま続ける。

 

「見える艦だけで線を作れ。見えぬものは後だ」

 

「はっ」

 

副官が復唱し、命令が流される。

 

ティアンムはまだ来ない。ルナツーから上がった艦隊と合流した後、別ルートからここへ向かう手筈だ。間に合わない。少なくとも、この乱れ切った会戦の最初の山には届かない。

 

ならば、ここは手元の艦隊だけで持たせるしかなかった。

 

レビルは、遠くで爆ぜた巡洋艦の残光を見た。白く短い閃光がミノフスキー粒子の幕ににじみ、すぐに闇へ呑まれて消える。

 

見えていないものが多すぎる。

 

だが、その見えていない戦場の重さまで含めて支えるのが、今の自分の役目だとレビルは知っていた。

 

――――

 

「第一、第二小隊、発進!」

 

発進管制の声とともに、連邦の艦載機が次々と吐き出されていく。

 

白い噴射光が散り、機体が艦列の前へ出る。訓練された動きではあった。隊形も美しい。だが、その美しさはミノフスキー粒子の海ではすぐに意味を失った。

 

「隊形維持! 敵機確認次第――」

 

隊長機の声が途中で乱れる。

 

「確認できません! レーダー、自動照準とも反応なし――」

 

別の機が叫ぶ。

 

「回線が死んでる!」

 

「近すぎる!」

 

「目視で取れ、目視で――」

 

その直後、短い爆発光が一つ灯った。

 

戻ってくるはずの味方機の一つが、何も残さず消える。

 

「右上だ!」

 

「いや下――」

 

「見失った!」

 

回線が何本も重なり、悲鳴のように潰れ合う。そこへさらにもう一つ、二つと爆発が続いた。

 

レビルの副官が顔色を変える。

 

「艦載機隊、損耗急増!」

 

レビルの表情は動かなかった。

 

「……早すぎるな」

 

参謀が悔しげに言う。

 

「敵機動兵器、艦載機を切り崩しています!」

 

連邦の艦載機隊が弱いのではない。むしろ勇敢だった。だが前提が違う。艦隊援護、射撃管制、整った通信と誘導、その上に組まれた訓練が、この粒子の海では根元から腐っている。

 

一機ずつが有視界で敵を探し、近すぎる距離で咄嗟に撃ち合う。そういう訓練は積んでいない。結果、編隊はばらけ、ばらけた先を食われる。

 

「回収を急がせるな」

 

レビルは言った。

 

「戻れる機だけ戻せ」

 

副官が一瞬ためらう。

 

「ですが、将軍――」

 

「無理に戻せば、母艦側が死ぬ」

 

それで終わりだった。

 

艦橋前方では、出した数に対して戻ってくる機影が明らかに少なかった。連邦がいままで常識としてきた航空戦が、ここではもう戦場を支えていない。

 

その現実だけが、誰の目にも分かる形で積み上がっていた。

 

――――

 

ドズルは艦橋の手すりを握ったまま、戦場中央左を見ていた。

 

三機一組の高機動ザク隊は、すでにアプサラスに牽引されて前へ出ている。ここから先、ミノフスキー粒子の中では細かい指示など届かない。戦いが始まる前に切った意図が、そのまま戦場の形になる。

 

「中央左だ」

 

ドズルが低く言う。

 

「あそこを割れば敵の首が傾く」

 

副官が星図と前面視界を見比べながら返す。

 

「護衛艦がまだ厚いです」

 

「厚いなら削れ。薄くなったところへ食い込む」

 

その横で、白とグレーを基調に塗られたザクIIの機影が、友軍線のすぐ前を横切った。肩に描かれた狼の意匠が、砲火のまたたきの中で一瞬だけ見える。

 

白狼、シン・マツナガ。

 

「白狼隊、中央左の火線を維持します」

 

マツナガの声は落ち着いていた。

 

「頼むぞ、マツナガ」

 

ドズルはそれだけを言った。

 

「はっ」

 

もうそれ以上はない。

 

前へ出た刃に、ここから届く言葉はない。あるのは、切った線が正しいことを信じるだけだ。

 

ドズルは前面視界の奥にある連邦艦列を見た。整っているようで整い切れていない。持ちこたえてはいるが、艦載機が削られ、護衛線が薄くなり、どこかに一つ大きな継ぎ目が生まれつつある。

 

そこへ届けば、折れる。

 

「……行け」

 

誰に聞かせるでもなく、ドズルは小さく言った。

 

――――

 

連邦側から見れば、それは三機ではなかった。

 

同じ角度で切り込み、同じ速さでずれ、同じ瞬間に別々の場所を噛み砕く。見えているのは三つの黒い機影なのに、戦場に生じる破壊は一つの槍のように細く深い。

 

「三機だと!? たった三機で!」

 

護衛艦の士官が叫ぶ。

 

別の声が重なる。

 

「違う、三機で一隊じゃない!」

 

「一つの槍だ!」

 

最初の一機が護衛艦の死角へ潜り込んだ。次の一機が艦載機回収導線へ飛び込み、発着の動線そのものを乱す。最後の一機が、崩れた線の中で一番薄くなった場所を正確に食い破る。

 

爆発。

 

火線。

 

回収中だった艦載機が、開いたハッチごと吹き飛ぶ。

 

「護衛艦、前へ! 旗艦への線を切らせるな!」

 

「間に合いません!」

 

「速すぎる!」

 

三機のうちどれがどれかを見分ける暇はない。だが、明らかに役割が違う。一機が食い破り、一機が散らし、一機が仕留める。狙いもなく暴れているのではなかった。最初から旗艦へ至る線を作るために、余計なものを片端から噛み砕いている。

 

連邦艦列の一角が、ついに崩れた。

 

アナンケへ至る護衛線が、ほんの短い時間だけ露出する。

 

「来るぞ!」

 

誰かの叫びと同時に、三機がその線へ向き直った。

 

もはや護衛艦を沈めるためではない。

その先にあるものを狙っている。

それが、誰の目にも分かる角度だった。

 

――――

 

そこで戦局を戦局に変えたのは、マツナガだった。

 

突破は乱戦を生む。だが、乱戦のままでは勝ち筋にならない。白狼のザクIIは、その崩れた線の周囲を走り、味方艦列と砲火を繋ぎ直していた。

 

「前へ出すぎるな」

 

マツナガの声が短く飛ぶ。

 

「今押すのは砲列だ」

 

砲術長が叫ぶ。

 

「中央左、敵旗艦護衛線に穴!」

 

「そこへ通せ」

 

マツナガは即答する。

 

「通路を太らせる」

 

味方の前衛が勢いに乗って前へ出ようとするのを、白狼は冷たく止める。暴れた穴に味方が雪崩れ込めば、自分たちも乱れる。届いた線だけを使い、届いた分だけ押す。その冷静さが、戦場では何より怖い。

 

副官が報告する。

 

「追撃隊、さらに前へ出たがっています」

 

「出すな。届いた線だけ使え。乱れるな」

 

別の報が重なった。

 

「敵中央、持ち直しの動き!」

 

マツナガは前を見たまま言う。

 

「だから今、押す」

 

白と灰のザクIIが姿勢を変え、旗艦側へ通った火線の横を滑る。三機一組の高機動ザク隊が開けた穴は、白狼の手でただの崩れから勝ち筋へ変わっていった。

 

アナンケ周辺へ、砲火が通る。

 

旗艦はもはや安全地帯ではなくなった。

 

――――

 

アナンケの艦橋が大きく揺れた。

 

「左舷、被弾!」

 

「中央隔壁閉鎖不能!」

 

「機関部、火災!」

 

次々に飛び込む報告に、艦橋の空気そのものが軋んでいるようだった。天井の照明が点滅し、赤い非常灯が人の顔色を悪くする。

 

レビルはまだ立っていた。

 

「中央砲列を維持しろ」

 

参謀が叫ぶ。

 

「将軍、旗艦が持ちません!」

 

「まだだ」

 

その時だった。

 

「機動兵器接近! 至近!」

 

副官が振り向いた。

 

「三機です!」

 

衝撃。

 

今度は艦橋そのものが、横から殴られたように揺れた。誰かが床へ投げ出され、照明が一斉に落ちる。暗闇の中で非常灯だけが赤く生き、煙が低く流れ込んでくる。

 

レビルは手すりを掴んだまま、声だけを落とさなかった。

 

「……脱出用意」

 

「将軍!」

 

「艦を捨てる」

 

その一言で、艦橋の空気が凍る。

 

だがレビルは続けた。

 

「指揮系統を残せ。残存艦は中央維持を優先。退くなとは言わん。だが崩れるな」

 

副官の喉が鳴る。

 

「了解!」

 

さらに衝撃が来た。

 

アナンケのどこか深い場所で、決定的な破断音が響く。

 

旗艦はまだ完全には沈んでいない。だが、もう戦場の心臓ではなくなった。折れたのは艦体より先に、中央を支える形そのものだった。

 

レビルは最後まで振り返らなかった。

自分の旗艦が死ぬ音を聞きながら、前を見たまま脱出を選んだ。

 

――――

 

旗艦脱出は、戦場が人間の大きさへ戻る瞬間だった。

 

さっきまで大艦巨砲の光に満ちていた宙域が、脱出区画の狭い通路ではただの暗い鉄の箱になる。護衛が先へ走り、レビルはその後ろを一定の速さで進む。取り乱さない。まだどこかで線を立て直せると、そのつもりで動いている。

 

「こちらです、将軍!」

 

護衛が振り返る。

 

「残存艦への発信は」

 

レビルが問う。

 

「ミノフスキー粒子で通りません!」

 

「なら視界に出る」

 

それが言い終わるか終わらないかのうちに、前方の暗がりへ重い機影が降りてきた。

 

オルテガだった。

 

黒い巨体が、逃げ道そのものを塞いでいる。

 

護衛が即座に発砲する。

だが一瞬で弾かれ、次の瞬間には壁へ叩きつけられていた。

 

レビルはその機体を見上げた。

 

「……そうか」

 

オルテガの声が降ってくる。

 

「出るのが遅えよ」

 

勝ち誇った調子ではなかった。むしろ、戦場の速度に遅れた相手へ向ける、乾いた確認のような声だった。

 

レビルは肩で息をしながら言う。

 

「運が悪かった」

 

オルテガは首をわずかに振る。

 

「違うな」

 

短い間。

 

「戦場が変わったんだ」

 

それにレビルは答えなかった。

 

答えなくても、もう分かっていたからだ。

 

護衛の最後の一人が武器を落とす。レビルもまた、抵抗してここで死ぬ意味がないと知っていた。将である以上、生きて負けを飲まねばならない時がある。

 

オルテガの機体が一歩前へ出る。

 

その重さに押されるようにして、レビルは武装を解かれた。

 

連邦宇宙軍の将は、艦隊時代の戦争ではなく、機動兵器の時代の戦場で捕らえられた。

 

その事実だけが、重く残った。

 

――――

 

戦場はまだ終わっていなかった。

 

それでも、アナンケ沈没とレビル捕縛の報は、重さを持ってドズルの艦橋へ届いた。

 

「アナンケ沈没確認!」

 

副官が言う。

 

別の士官が続けた。

 

「レビル将軍、捕縛!」

 

その瞬間、艦橋の中の空気が止まった。

 

前線からは歓声の混じった回線が飛び込んでくる。だがドズルは、すぐに怒鳴った。

 

「騒ぐな」

 

それだけで静まる。

 

ドズルはしばらく何も言わなかった。勝った。しかも、ただ押し返したのではない。レビルを取った。その意味が大きすぎて、すぐには言葉にならない。

 

マツナガが低く言う。

 

「大戦果です」

 

ドズルは短く答えた。

 

「ああ」

 

少し間を置いて、さらに続ける。

 

「だからこそ、ここから先を崩すな」

 

副官が姿勢を正す。

 

「はっ」

 

ドズルは前面視界を見た。

 

まだあちこちで砲火は続いている。残敵もいる。艦隊も乱れ切ったままだ。だが、その乱れた戦場の中で、一つだけ確かなことがある。

 

レビルを取った。

 

その事実は、戦場の勝ち負け以上の重さを持っていた。

 

この時、まだ誰もその名を口にしてはいなかった。

 

だが後にルウム戦役と呼ばれる戦いの最初の刻印は、旗艦アナンケの沈没と、レビルの捕縛によって刻まれた。

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