サイド5宙域は、もう艦隊戦の形をしていなかった。
ミノフスキー粒子が濃く、長距離通信も、レーダーも、自動照準も、どれもまともには働かない。艦は互いを見失い、見えている範囲だけで撃ち、撃たれ、また見失う。さっきまで味方だった光点が次の瞬間には消え、敵だと思っていた影がデブリ帯の向こうへずれていく。
レビルは艦橋中央で、戦術図ではなく前面視界を見ていた。
戦術図に映る光点は、もう半分以上が推測でしかない。更新の遅れた記号を見つめていても意味は薄い。今いる場所で何が見え、どの艦がまだ撃てるか。それだけが現実だった。
「ルナツーとの交信、なお回復しません」
副官が報告する。
レビルはすぐには返事をしなかった。
「……遅いな」
その一言のあと、別の参謀が身を乗り出す。
「ミノフスキー粒子高濃度。艦隊内通信も断続です。右翼第三列、艦影確認不能」
「艦影を失ったのではない」
レビルは静かに言った。
「こちらの線が見えていないだけだ」
艦橋にいた者たちが、一瞬だけ息を止める。
負けているとは、まだ誰も口にしていない。だが、楽に勝てる戦いではなくなっていることは全員が分かっていた。
「中央を切らせるな」
レビルは前を見たまま続ける。
「見える艦だけで線を作れ。見えぬものは後だ」
「はっ」
副官が復唱し、命令が流される。
ティアンムはまだ来ない。ルナツーから上がった艦隊と合流した後、別ルートからここへ向かう手筈だ。間に合わない。少なくとも、この乱れ切った会戦の最初の山には届かない。
ならば、ここは手元の艦隊だけで持たせるしかなかった。
レビルは、遠くで爆ぜた巡洋艦の残光を見た。白く短い閃光がミノフスキー粒子の幕ににじみ、すぐに闇へ呑まれて消える。
見えていないものが多すぎる。
だが、その見えていない戦場の重さまで含めて支えるのが、今の自分の役目だとレビルは知っていた。
――――
「第一、第二小隊、発進!」
発進管制の声とともに、連邦の艦載機が次々と吐き出されていく。
白い噴射光が散り、機体が艦列の前へ出る。訓練された動きではあった。隊形も美しい。だが、その美しさはミノフスキー粒子の海ではすぐに意味を失った。
「隊形維持! 敵機確認次第――」
隊長機の声が途中で乱れる。
「確認できません! レーダー、自動照準とも反応なし――」
別の機が叫ぶ。
「回線が死んでる!」
「近すぎる!」
「目視で取れ、目視で――」
その直後、短い爆発光が一つ灯った。
戻ってくるはずの味方機の一つが、何も残さず消える。
「右上だ!」
「いや下――」
「見失った!」
回線が何本も重なり、悲鳴のように潰れ合う。そこへさらにもう一つ、二つと爆発が続いた。
レビルの副官が顔色を変える。
「艦載機隊、損耗急増!」
レビルの表情は動かなかった。
「……早すぎるな」
参謀が悔しげに言う。
「敵機動兵器、艦載機を切り崩しています!」
連邦の艦載機隊が弱いのではない。むしろ勇敢だった。だが前提が違う。艦隊援護、射撃管制、整った通信と誘導、その上に組まれた訓練が、この粒子の海では根元から腐っている。
一機ずつが有視界で敵を探し、近すぎる距離で咄嗟に撃ち合う。そういう訓練は積んでいない。結果、編隊はばらけ、ばらけた先を食われる。
「回収を急がせるな」
レビルは言った。
「戻れる機だけ戻せ」
副官が一瞬ためらう。
「ですが、将軍――」
「無理に戻せば、母艦側が死ぬ」
それで終わりだった。
艦橋前方では、出した数に対して戻ってくる機影が明らかに少なかった。連邦がいままで常識としてきた航空戦が、ここではもう戦場を支えていない。
その現実だけが、誰の目にも分かる形で積み上がっていた。
――――
ドズルは艦橋の手すりを握ったまま、戦場中央左を見ていた。
三機一組の高機動ザク隊は、すでにアプサラスに牽引されて前へ出ている。ここから先、ミノフスキー粒子の中では細かい指示など届かない。戦いが始まる前に切った意図が、そのまま戦場の形になる。
「中央左だ」
ドズルが低く言う。
「あそこを割れば敵の首が傾く」
副官が星図と前面視界を見比べながら返す。
「護衛艦がまだ厚いです」
「厚いなら削れ。薄くなったところへ食い込む」
その横で、白とグレーを基調に塗られたザクIIの機影が、友軍線のすぐ前を横切った。肩に描かれた狼の意匠が、砲火のまたたきの中で一瞬だけ見える。
白狼、シン・マツナガ。
「白狼隊、中央左の火線を維持します」
マツナガの声は落ち着いていた。
「頼むぞ、マツナガ」
ドズルはそれだけを言った。
「はっ」
もうそれ以上はない。
前へ出た刃に、ここから届く言葉はない。あるのは、切った線が正しいことを信じるだけだ。
ドズルは前面視界の奥にある連邦艦列を見た。整っているようで整い切れていない。持ちこたえてはいるが、艦載機が削られ、護衛線が薄くなり、どこかに一つ大きな継ぎ目が生まれつつある。
そこへ届けば、折れる。
「……行け」
誰に聞かせるでもなく、ドズルは小さく言った。
――――
連邦側から見れば、それは三機ではなかった。
同じ角度で切り込み、同じ速さでずれ、同じ瞬間に別々の場所を噛み砕く。見えているのは三つの黒い機影なのに、戦場に生じる破壊は一つの槍のように細く深い。
「三機だと!? たった三機で!」
護衛艦の士官が叫ぶ。
別の声が重なる。
「違う、三機で一隊じゃない!」
「一つの槍だ!」
最初の一機が護衛艦の死角へ潜り込んだ。次の一機が艦載機回収導線へ飛び込み、発着の動線そのものを乱す。最後の一機が、崩れた線の中で一番薄くなった場所を正確に食い破る。
爆発。
火線。
回収中だった艦載機が、開いたハッチごと吹き飛ぶ。
「護衛艦、前へ! 旗艦への線を切らせるな!」
「間に合いません!」
「速すぎる!」
三機のうちどれがどれかを見分ける暇はない。だが、明らかに役割が違う。一機が食い破り、一機が散らし、一機が仕留める。狙いもなく暴れているのではなかった。最初から旗艦へ至る線を作るために、余計なものを片端から噛み砕いている。
連邦艦列の一角が、ついに崩れた。
アナンケへ至る護衛線が、ほんの短い時間だけ露出する。
「来るぞ!」
誰かの叫びと同時に、三機がその線へ向き直った。
もはや護衛艦を沈めるためではない。
その先にあるものを狙っている。
それが、誰の目にも分かる角度だった。
――――
そこで戦局を戦局に変えたのは、マツナガだった。
突破は乱戦を生む。だが、乱戦のままでは勝ち筋にならない。白狼のザクIIは、その崩れた線の周囲を走り、味方艦列と砲火を繋ぎ直していた。
「前へ出すぎるな」
マツナガの声が短く飛ぶ。
「今押すのは砲列だ」
砲術長が叫ぶ。
「中央左、敵旗艦護衛線に穴!」
「そこへ通せ」
マツナガは即答する。
「通路を太らせる」
味方の前衛が勢いに乗って前へ出ようとするのを、白狼は冷たく止める。暴れた穴に味方が雪崩れ込めば、自分たちも乱れる。届いた線だけを使い、届いた分だけ押す。その冷静さが、戦場では何より怖い。
副官が報告する。
「追撃隊、さらに前へ出たがっています」
「出すな。届いた線だけ使え。乱れるな」
別の報が重なった。
「敵中央、持ち直しの動き!」
マツナガは前を見たまま言う。
「だから今、押す」
白と灰のザクIIが姿勢を変え、旗艦側へ通った火線の横を滑る。三機一組の高機動ザク隊が開けた穴は、白狼の手でただの崩れから勝ち筋へ変わっていった。
アナンケ周辺へ、砲火が通る。
旗艦はもはや安全地帯ではなくなった。
――――
アナンケの艦橋が大きく揺れた。
「左舷、被弾!」
「中央隔壁閉鎖不能!」
「機関部、火災!」
次々に飛び込む報告に、艦橋の空気そのものが軋んでいるようだった。天井の照明が点滅し、赤い非常灯が人の顔色を悪くする。
レビルはまだ立っていた。
「中央砲列を維持しろ」
参謀が叫ぶ。
「将軍、旗艦が持ちません!」
「まだだ」
その時だった。
「機動兵器接近! 至近!」
副官が振り向いた。
「三機です!」
衝撃。
今度は艦橋そのものが、横から殴られたように揺れた。誰かが床へ投げ出され、照明が一斉に落ちる。暗闇の中で非常灯だけが赤く生き、煙が低く流れ込んでくる。
レビルは手すりを掴んだまま、声だけを落とさなかった。
「……脱出用意」
「将軍!」
「艦を捨てる」
その一言で、艦橋の空気が凍る。
だがレビルは続けた。
「指揮系統を残せ。残存艦は中央維持を優先。退くなとは言わん。だが崩れるな」
副官の喉が鳴る。
「了解!」
さらに衝撃が来た。
アナンケのどこか深い場所で、決定的な破断音が響く。
旗艦はまだ完全には沈んでいない。だが、もう戦場の心臓ではなくなった。折れたのは艦体より先に、中央を支える形そのものだった。
レビルは最後まで振り返らなかった。
自分の旗艦が死ぬ音を聞きながら、前を見たまま脱出を選んだ。
――――
旗艦脱出は、戦場が人間の大きさへ戻る瞬間だった。
さっきまで大艦巨砲の光に満ちていた宙域が、脱出区画の狭い通路ではただの暗い鉄の箱になる。護衛が先へ走り、レビルはその後ろを一定の速さで進む。取り乱さない。まだどこかで線を立て直せると、そのつもりで動いている。
「こちらです、将軍!」
護衛が振り返る。
「残存艦への発信は」
レビルが問う。
「ミノフスキー粒子で通りません!」
「なら視界に出る」
それが言い終わるか終わらないかのうちに、前方の暗がりへ重い機影が降りてきた。
オルテガだった。
黒い巨体が、逃げ道そのものを塞いでいる。
護衛が即座に発砲する。
だが一瞬で弾かれ、次の瞬間には壁へ叩きつけられていた。
レビルはその機体を見上げた。
「……そうか」
オルテガの声が降ってくる。
「出るのが遅えよ」
勝ち誇った調子ではなかった。むしろ、戦場の速度に遅れた相手へ向ける、乾いた確認のような声だった。
レビルは肩で息をしながら言う。
「運が悪かった」
オルテガは首をわずかに振る。
「違うな」
短い間。
「戦場が変わったんだ」
それにレビルは答えなかった。
答えなくても、もう分かっていたからだ。
護衛の最後の一人が武器を落とす。レビルもまた、抵抗してここで死ぬ意味がないと知っていた。将である以上、生きて負けを飲まねばならない時がある。
オルテガの機体が一歩前へ出る。
その重さに押されるようにして、レビルは武装を解かれた。
連邦宇宙軍の将は、艦隊時代の戦争ではなく、機動兵器の時代の戦場で捕らえられた。
その事実だけが、重く残った。
――――
戦場はまだ終わっていなかった。
それでも、アナンケ沈没とレビル捕縛の報は、重さを持ってドズルの艦橋へ届いた。
「アナンケ沈没確認!」
副官が言う。
別の士官が続けた。
「レビル将軍、捕縛!」
その瞬間、艦橋の中の空気が止まった。
前線からは歓声の混じった回線が飛び込んでくる。だがドズルは、すぐに怒鳴った。
「騒ぐな」
それだけで静まる。
ドズルはしばらく何も言わなかった。勝った。しかも、ただ押し返したのではない。レビルを取った。その意味が大きすぎて、すぐには言葉にならない。
マツナガが低く言う。
「大戦果です」
ドズルは短く答えた。
「ああ」
少し間を置いて、さらに続ける。
「だからこそ、ここから先を崩すな」
副官が姿勢を正す。
「はっ」
ドズルは前面視界を見た。
まだあちこちで砲火は続いている。残敵もいる。艦隊も乱れ切ったままだ。だが、その乱れた戦場の中で、一つだけ確かなことがある。
レビルを取った。
その事実は、戦場の勝ち負け以上の重さを持っていた。
この時、まだ誰もその名を口にしてはいなかった。
だが後にルウム戦役と呼ばれる戦いの最初の刻印は、旗艦アナンケの沈没と、レビルの捕縛によって刻まれた。