妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第129話 漏れた戦場

 

 

ジャブローの会議室は、妙に静かだった。

 

怒鳴り声がない。机を叩く音もない。敗戦の直後だというのに、誰も声を荒げない。

それは余裕があるからではなかった。逆だ。怒鳴っている場合ではないほど、足りないものが多すぎた。

 

机の上には報告書が積まれている。失われた艦艇、未帰還の搭乗員、補給線の断絶、宇宙軍再編案、サイド7建設継続計画。紙の上では整っている。だが整っているほど、現実の方が壊れていることがよく分かった。

 

ゴップは一枚ずつ目を通し、最後の一枚を伏せた。

 

「足りんものを言え」

 

参謀たちは一瞬だけ目を合わせ、それから順に口を開いた。

 

「宇宙軍再編用の輸送枠が足りません」

 

「負傷兵の後送も詰まっています」

 

「サイド7建設を止めるわけにはいきません。設備、人員、物資の再配置が急務です」

 

「軍輸送だけでは回りません。民間航路と民間シャトルの戦時運用への組み込みを提案します」

 

ゴップは椅子の背にもたれたまま言った。

 

「守れるのか」

 

兵站担当の顔が曇る。

 

「現状では、護衛は優先順位を――」

 

「なら雑に使うな」

 

短い言葉だったが、会議室の空気が少しだけ縮んだ。

 

若い参謀が口を挟む。

 

「そんな余裕はありません。ルウムで失った穴を埋めなければ、次が来ます」

 

「来るだろうな」

 

ゴップは即座に返した。

 

「だからといって、後ろを壊して前を支えた気になるな」

 

誰も続けなかった。

 

ゴップは机の端へ寄せてあった別の書類を引いた。民間シャトル事故一覧。サイド7近傍。姿勢制御異常、誘導遅延、接近警報多発、緊急着艦、破損。単発なら混乱で片づく。だが件数が多すぎた。

 

「……原因を探れ」

 

一人が顔を上げる。

 

「戦後の混乱です。ミノフスキー粒子の残留と、過密運航の影響が――」

 

「“影響”で済ますな」

 

ゴップの目が細くなる。

 

「何が漏れている」

 

参謀たちは黙った。

 

ゴップは事故一覧を軽く叩いた。

 

「民間航路で事故が続きすぎている。軍の試験域、粒子濃度、管制記録、全部洗え」

 

兵站担当が低く言った。

 

「表へ出せば、余計な不信を招きます」

 

「もう招いている」

 

ゴップは立ち上がった。

 

「“多少の事故”で済むのは、死ぬのが自分でない時だけだ」

 

それだけ言って、会議室を出た。

 

――――

 

サイド7近傍の宙域では、見えないものが一番危険だった。

 

連邦軍はルウムの敗北で、機動兵器への対処が旧来の艦隊戦術だけでは間に合わないと骨身に染みていた。焦りは速く、判断はさらに速かった。サイド7付近の民間宙域近くで、ミノフスキー粒子下の機動兵器稼働実験と管制補正試験が半ば強引に進められている。

 

試験そのものは極秘だった。だが漏れる粒子までは秘密にできない。

 

本来なら軍の閉じた試験域に留めるべきものが、薄く、広く、民間航路へ流れ込んでいた。管制は通常濃度を前提に仕事をする。自動制御も通常の補正で動く。その前提だけが少しずつ狂う。

 

その“少しずつ”が、一番危ない。

 

民間シャトルの運航卓で、誘導値が一拍遅れる。

自動補正が微妙に跳ねる。

着艦順が一つずれる。

接近警報が、鳴るべき時ではなく、鳴らなくていい時に鳴る。

 

すぐ事故になるほどではない。

だから余計に、誰も止められない。

 

それが、何便も、何隻も、続いていた。

 

――――

 

シュウ・ヤシマの乗るシャトルは、中型の実務便だった。

 

豪奢な専用船ではない。戦時下でも運用の融通が利くように、外見も積載も目立たない型を使っている。会長が自ら動くのは、本来なら避けるべきことだった。だが、いま動かなければ止まるものが多すぎた。

 

サイド7建設の資材再配分。

技術者の再配置。

工程の切り直し。

敗戦の余波が来る前に、止めてはいけない流れを見極める必要がある。

 

運航士官が計器を見ながら言った。

 

「着艦待機が長いですね」

 

シュウは前方表示を見たまま答える。

 

「混んでいるんだろう」

 

「軍の便が増えています。民間側の順番もずれています」

 

補佐役が低く言う。

 

「会長、次便でも――」

 

「遅らせると全体が止まる」

 

シュウはそれだけで切った。

 

「動かすべきものは今動かす」

 

補佐役は黙った。

 

その時、運航士官の手が止まる。

 

「……補正値が合わない」

 

「故障か」

 

「ビーコンは生きています。だが補正が跳ねる」

 

通信士官が管制へ呼びかける。

 

「こちらヤシマ便04。誘導値乱れ。確認願う」

 

返答はノイズ混じりだった。

 

『……04、そのまま……待機……右舷――』

 

「不明瞭です」

 

次の瞬間、接近警報が鳴った。

 

「近傍機接近!」

 

スクリーンの端に、予定より近い光点が灯る。

 

「自動補正、応答せず!」

 

「手動へ切り替え!」

 

「右へ逃がします!」

 

「いや、左だ! 左の方が――」

 

指示が重なる。

 

そして、機体が回った。

 

傾いたのではない。回ったのだ。

 

床も天井も意味を失い、体の中身だけが先に動く。慣性が人間を横へ引きちぎる。計器卓、手すり、壁面、全部が一斉に別の方向から飛んでくる。

 

「姿勢が――」

 

運航士官の声が途中で潰れる。

 

接触。

掠めるような衝撃。

それに続く破片の打撃。

二度目の揺れで、機体はタンブリングに入った。

 

警報が遅れて鳴る。

 

補佐役が壁へ叩きつけられ、通信士官の身体が浮いて支柱へぶつかる。シュウは咄嗟に座席脇の固定具を掴んだが、次の回転で飛んできた別の座席に胸から打ちつけられた。鈍い音がして、息が抜ける。

 

「会長!」

 

運航士官が叫ぶが、自分の体勢を保つので精一杯だった。

 

「減圧は!」

 

「部分破断! 致命じゃない、だがこのままだと――」

 

「近傍ドックへ!」

 

補助スラスターが断続的に噴く。回転は完全には止まらない。それでも辛うじて機首が定まり、損傷したシャトルは墜ちるように、最寄りの民間ドックへ滑り込んだ。

 

――――

 

軍の救助は遅れた。

 

軍のせいだとは、この時点ではまだ誰にも断定できない。だが、遅れたことだけは事実だった。管制が乱れ、救助優先順位が詰まり、軍系統は自分の便で飽和している。

 

先に現場へ入ったのは、ルシファー財団の警備・救助部門だった。

 

ルシファー・セキュリティ・サービス。

財団内では短くLSSと呼ばれている。

 

現場救助用の小型艇がドックへ滑り込み、磁着する。エドワウはその先頭に立っていた。セイラは後方で負傷者受け入れと搬送先の整理に入っている。

 

「ハッチ周り固定」

 

エドワウが言う。

 

「二次減圧だけは止めろ。開けるぞ」

 

切断具が歪んだ外板へ当てられ、火花が散る。シャトルの船体は半ば横を向いたまま停止し、外板の一部が裂けていた。完全破断ではない。だから中にまだ人がいる。

 

「内部気圧、辛うじて保持!」

 

「医療班、前へ!」

 

歪んだハッチが開くと、焦げた匂いと血の気配が流れ出た。

 

最初に運び出されたのは運航士官。

次が通信士官。

補佐役は意識がない。

 

「あと一人!」

 

「奥だ!」

 

エドワウが自分で中へ入る。狭いブリッジの中、支柱に身体を預けるようにして、男がいた。胸元を押さえている。出血は多くない。だがそういう時の方が嫌だ。

 

「シュウ会長」

 

エドワウが声をかけると、男は薄く目を開けた。

 

「……来たか」

 

「はい」

 

「助けたのは、お前たちか」

 

「救助班が先に入りました。俺はそのあとです」

 

シュウはごく小さく首を振った。

 

「それでいい」

 

エドワウは相手の腕を回し、自分の肩へ預ける。重い。だが抵抗する重さではない。もう体が力を失いかけている重さだった。

 

「搬送します」

 

「……ああ」

 

短い返答のあと、シュウは痛みで目を閉じた。

 

エドワウはそれ以上喋らなかった。喋るより先に、運ぶべき相手だった。

 

――――

 

病院は静かだった。

 

戦後の病院はどこも似たようなものだが、この日は特に静かに見えた。廊下の先々で人が慌ただしく動いているのに、音だけが吸われていく。ルウムの余波が、戦場ではなく治療室へ押し寄せている。

 

シュウ・ヤシマは集中治療区画へ運ばれた。医師は外傷より内傷を疑った。胸部と腹部、複数箇所の内出血。意識があるのが不思議なくらいだ、と説明は短かった。

 

ミライが到着したのは、その少しあとだった。

 

彼女は駆け込んできたが、取り乱してはいなかった。顔色は白い。それでも最初にしたのは、医師の説明を聞くことだった。

 

「会えますか」

 

「短くなら」

 

それだけ聞いて、ミライは小さく頷いた。

 

セイラはその横にいた。何度も慰めるのではなく、ただ立ち位置を外さない。ミライが倒れそうなら支える、その距離にいる。

 

「先に、救助責任者の方を」

 

医師が言う。

 

「意識があるうちに話したいそうです」

 

エドワウが病室へ入る。

 

機械音が小さく鳴っていた。シュウは白い寝台の上にいて、もう会長の顔より患者の顔だった。だが目だけは、まだ仕事をしている人間の目だった。

 

「……来たか」

 

「はい」

 

エドワウが答える。

 

短い沈黙。

 

シュウの呼吸は浅い。だが意識は切れていない。

 

「ミライを頼む」

 

それだけだった。

 

説明はない。

理由もない。

確認もない。

 

エドワウは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、それから答えた。

 

「……はい」

 

それで十分だった。

 

シュウはその返事を聞いて、わずかに肩の力を抜いた。

もう一つ何か言おうとして、言わなかった。

 

代わりに、入口の方へ視線を向ける。

 

――――

 

ミライが入ってきた。

 

セイラが一歩後ろに下がる。

 

ミライは寝台のそばまで来て、そこでようやく足を止めた。

 

「お父さん」

 

シュウはその声に、少しだけ目を細めた。

 

会長の顔ではない。父親の顔だった。

 

「……止まるな」

 

ミライの喉が鳴る。

 

「はい」

 

それだけを言うのに、少し時間がかかった。

 

シュウは娘を見たまま、小さく息を吐いた。もう視線を動かす力も残っていないようだった。エドワウ、セイラ、ミライ。三人がそこにいることを、たぶん最後に確かめたのだろう。

 

機械音が一つ、長く伸びる。

 

病室は静かだった。

 

ミライはすぐには泣かなかった。父の手を取ったまま、顔を伏せただけだった。セイラがそっと肩へ手を置く。エドワウは何も言わない。言葉で軽くできる場面ではなかった。

 

戦場は遠かった。

それでも死は、もう病室の中まで来ていた。

 

――――

 

数時間後、ゴップの机の上には別の報告書が置かれていた。

 

サイド7近傍民間シャトル事故。

事故前後のミノフスキー粒子濃度異常。

軍試験域の位置。

管制記録の不整合。

誘導補正値の乱れ。

 

ゴップは最後まで読み、報告書を閉じた。

 

「……やはり軍が漏らしたか」

 

副官が低く言う。

 

「表向きは事故処理です」

 

「事故だろうさ」

 

ゴップは椅子にもたれた。

 

「だが原因は事故じゃない」

 

窓の外では、ジャブローの光がいつも通りに並んでいる。

だが、その光の下で連邦は前線だけでなく後方の秩序まで傷み始めていた。

 

ルウムで艦隊が沈んだ。

その敗戦直後、連邦は次の戦争に備えようとしていた。

そして漏れた準備が、民間航路を狂わせ、一人の会長を死なせた。

 

ゴップは報告書へもう一度手を置いた。

 

「敗けたあとは、組織が一番人を殺す」

 

副官は答えなかった。

 

答えられる言葉がなかったからだ。

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