レイ亭の明かりは、外から見るとひどく普通だった。
サイド7の居住区画にある、小さな家。
窓から漏れる灯りは柔らかく、戦争とも政治とも無縁な家庭の食卓のように見える。だが近づけば、そこがただの家ではないことはすぐに分かった。
玄関脇の工具箱。
壁際に立てかけられた資材ラック。
廊下の先に見える、分解された小型機械の外装。
生活の上に、そのまま作業場を載せたような家だった。
エドワウは短く息を整えてから、呼び鈴を押した。
少し待って、扉が開く。
出てきたのはテム・レイ本人だった。
「……これはまた、大きな客が来たものだ」
驚きはあった。
だが、無礼さはない。
目の前の相手が誰で、今どういう立場にいるかを理解した声だった。
エドワウは軽く頭を下げた。
「夜分に失礼します」
テムは一歩身を引く。
「入りたまえ。立ち話で済む用件でもあるまい」
「ありがとうございます」
エドワウが中へ入ると、奥の部屋から金属の触れ合う小さな音がした。視線を向けると、隣の作業机に少年が一人いた。アムロだ。こちらを見たのは一瞬だけで、すぐに手元の部品へ視線を戻した。
テムがその視線に気づいて、小さく言う。
「気にしなくていい。あれは耳だけはよく働く」
アムロは何も言わなかった。
テムは居間の机を指した。
「どうぞ」
エドワウが椅子に腰を下ろすと、テムも向かいへ座った。
机の上には設計図と計算紙、それに飲みかけのコーヒーが置かれている。来客用に慌てて片付けた形跡はなかった。
短い沈黙のあと、テムが先に口を開いた。
「あなたほどの方が、わざわざここまで来られる。軽い話ではないのでしょう」
「ええ」
エドワウは頷いた。
「軽くはありません」
テムは手を組み、続きを待った。
――――
「サイド7、このままだと連邦の工廠になります」
テムの目が細くなった。
「もともと、そういう色の濃い場所です」
「違います」
エドワウははっきり言った。
「作る場所と、使われる場所は別です」
テムは何も挟まない。
「今は後者に寄っています」
外で、どこかの搬送車が低く唸る音がした。
サイド7はまだ建設途中だ。完成した街ではない。だからこそ、どちらの色にも染まりやすい。
テムはゆっくりと椅子にもたれた。
「戦争です。きれいに分けられる話ではない」
「分けないと、全部持っていかれます」
「誰に」
「連邦に」
テムの口元がわずかに動く。
「連邦の予算とラインがあるから、試作も工場も人員も回っている。理屈だけで組み上がっているわけではありませんよ」
「分かっています」
「なら話は早い」
「いえ」
エドワウはそこで首を振った。
「だから厄介なんです」
その返しに、テムは少しだけ面白そうな顔をした。
頭の固い若造ではない、とようやく判断したような目だった。
「……続けてください」
「連邦は勝つための機体を欲しがっている」
エドワウは机の上の図面束を見た。
「でもサイドに必要なのは、別のものです」
「何が違う」
「残ることです」
一拍置いて、言葉を継ぐ。
「壊れても回ること。少ない人間で維持できること。住民を逃がせること。拠点が傷んでも、完全には止まらないこと」
テムは視線を落としたまま聞いている。
「勝つための一機ではなく、持ちこたえるための体系が要る」
その瞬間、奥の作業音が止まった。
アムロが顔を上げていた。
「連邦のためじゃない機体って、あるんですか」
静かな声だった。
本人も、口にしてから少しだけ驚いたように見えた。
テムは息子を見たが、叱りはしない。
代わりにエドワウが答えた。
「ある」
アムロの視線がまっすぐこちらへ向く。
「守る相手が違えば、形は変わる」
アムロはそれ以上言わなかった。
だがもう、手元の部品には戻っていなかった。
――――
テムは深く息を吐いた。
「理屈は分かります」
否定ではなかった。
それだけで、この場は一歩進んでいた。
「だが、それを回す場所がない。連邦の外でどうやって作るつもりです」
「作れます」
「どうやって」
「別のラインを持っています」
エドワウはそこでようやく、持ってきた封筒を机の上に置いた。
「資金も、人も」
テムの目が、その封筒へ落ちる。
「……ずいぶんと準備がいい」
「準備がないまま来る話ではありません」
「そうですか」
テムはまだ封筒を開かない。
だが視線は切らなかった。
エドワウは続けた。
「俺は、連邦を止めたいわけじゃありません」
「では」
「サイド7を、連邦の都合だけで使わせたくない」
その言葉は短く、硬かった。
「ルナツーは落ちた。いま連邦にとって、サイド7は最後の宇宙側拠点です」
テムの顔から職人気質の軽さが少し消える。
「だから寄ってくる」
「はい」
「寄ってきて、掴む」
「はい」
テムはそこで初めて、外ではなく机の上を見た。
「分かってはいます」
声は低かった。
「事故のあと、回ってくる書類の量が変わった。人の出入りも変わった。言い回しまで変わった。建設の話ではなく、配置の話になっている」
ヤシマ会長の死を直接語らなくても、その余波は十分に部屋の中へ入り込んでいた。
「それでも、工場と資材と人間が要る」
「だから持ってきました」
エドワウは封筒の上に、もう一つ薄いファイルを置いた。
今度はテムが手を伸ばした。
――――
紙を開く。
最初の一枚を見たところで、テムの指が止まった。
「……これは」
さらに一枚、めくる。
「荷重の受け方が違う」
もう一枚。
「外じゃない。中だ」
テムの声が少し低くなる。
「関節が死ににくい」
図面へ顔を近づける。
「整備も……分解前提か」
「ええ」
エドワウは頷いた。
短い間を置いてから、静かに続ける。
「ジオンのMSも、この構造に近いようです」
テムの目が止まる。
ゆっくりと顔が上がった。
「……近い、だと」
「少なくとも、今の連邦の発想よりは先にいます」
テムはすぐには何も言わなかった。
ただ視線を図面へ戻し、もう一度最初から追う。
「だから、今の延長では間に合わないと」
「はい」
アムロは完全に手を止めていた。
父の横顔と、机の上の図面を見ている。
彼にも分かるのだろう。これはただの新型案ではない。発想そのものが違う。
テムが低く言う。
「ナガノの図面か」
「はい」
「あいつとは一度話したことがあります」
ほんのわずかに笑う。
「若いのに、嫌なところを見ている」
「だから今しかありません」
エドワウの返答は短かった。
「連邦の計画の中へ完全に組み込まれる前に、外へ出さないと間に合わない」
テムはそれを否定しなかった。
紙をめくる音だけが、しばらく部屋の中に続いた。
――――
「……あなたは、どこまでやるつもりです」
テムは図面から目を離さないまま言った。
「サイド7を守るためだけに、ここまでの金と人を動かすのですか」
「サイド7だけではありません」
エドワウは答えた。
「サイド6もです」
テムがようやく顔を上げる。
「中立化か」
「ええ」
「大きく出ましたね」
「大きく出ないと、間に合いません」
テムは椅子に深く座り直した。
「それは政治の話だ」
「技術がなければ、政治になりません」
「ほう」
「守れる形がなければ、中立は願望です。自治も同じです。奪われないだけの現実が必要になる」
テムはしばらく何も言わなかった。
その沈黙は、拒絶の沈黙ではなかった。
計算している沈黙だった。
技術者として、条件と可能性を頭の中で並べている顔だ。
エドワウはそこで押しすぎなかった。
こういう相手は、理屈を渡したあと、自分で噛み砕く時間が要る。
「連邦のためのMSなら、連邦が作ります」
テムの指先が止まる。
「でも、サイドのためのMSは、ここでしか始められない」
その言葉が落ちたあと、部屋は静まり返った。
奥ではアムロが、息を潜めるようにして父の反応を待っている。
居間には生活の匂いがある。
だが今この場で交わされているのは、食卓の会話ではなかった。
戦争の次を決める、ぎりぎりの話だった。
やがてテムは、机の上の図面を戻さなかった。
端を揃え、少しだけ手元へ引き寄せる。
それで十分だった。
即答はない。
約束もない。
だが、拒絶は消えていた。
エドワウはそれを見て、立ち上がった。
「今夜はここまでにします」
テムは顔を上げないまま言う。
「返事は急がない」
「ええ」
「だが、待たせるとも言わない」
エドワウは短く頷いた。
「それで十分です」
玄関へ向かう途中で、アムロが小さく言った。
「その機体……」
エドワウが足を止める。
「うまくいくと思いますか」
答えはすぐに出た。
「思うかどうかじゃない」
アムロがこちらを見る。
「間に合わせるしかないんだ」
少年は何も返さなかった。
ただ、その言葉をどこかへしまい込むような顔をした。
エドワウは扉を開けた。
夜のサイド7はまだ工事音の中にある。
未完成のコロニー。
未完成の街。
未完成の戦争。
その中で、まだ誰のものでもない未来の技術が、ようやく一人の技術者の手元へ引き寄せられた。