サイド7の夜は、作業灯の光が残る。
建設中の区画は完全には眠らない。どこかで必ず音がしている。だが、その音の中にも、住み始めた人間の生活の気配が混ざり始めていた。
エドワウは部屋に入ると、上着を脱ぐ前にセイラとミライの顔を見た。
二人とも、こちらの顔つきだけで何かが動いたことを察したらしい。
「どうだったの」
セイラが先に聞く。
「テム・レイは動く」
エドワウが答える。
「まだ返事は保留だが、もう連邦に残る顔ではなかった」
ミライが小さく息をついた。
「そう」
「じゃあ、本当に月へ行くのね」
「ああ」
そこまで言って、三人とも同じことを思った。
アムロだ。
セイラが目を伏せる。
「一人になるわね」
エドワウは椅子へ腰を下ろした。
「住まいを別に用意するか、預け先を探すか」
「あるいは、落ち着くまで管理の行き届いた場所へ――」
「そういう話ではないでしょう」
セイラがぴしゃりと言った。
空気が変わる。
エドワウは口を閉じた。
「一人にするかしないかの話でしょう」
「部屋があるとか、監督がいるとか、そういうことじゃないわ」
ミライも静かに頷く。
「そうね」
「ちゃんと帰る家があるかどうかの方が大きいわ」
エドワウは一度、額のあたりに手をやった。
考えていなかったわけではない。だが、どうしても先に動かしたのは技術と人の配置だった。生活の話になると、いつも半歩遅れる。
「……ララァに聞く」
セイラが顔を上げる。
「ララァさんに?」
「ああ。あの子のことは、あいつの方が落ち着いて見ている」
ミライがすぐに端末の位置を直した。
「じゃあ、今つなげましょう」
――――――
映像が開く。
サイド6。
湖のそばの、静かな部屋。
ララァがこちらを見ていた。
少し待っていたのだろう。呼び出しに対する驚きがない。
「こんばんは」
「遅くにすまない」
エドワウが言う。
ララァは首を振った。
「いいえ」
「待っていました」
その言葉に、エドワウは少しだけ苦笑した。
「そうか」
「なら話は早い」
「テム・レイは動く。月へ行く可能性が高い」
ララァの表情が、ほんの少し緩む。
「よかったです」
「間に合いましたね」
エドワウは目を細めた。
「間に合った、か」
「はい」
ララァは静かに頷く。
「間に合わない顔をしていましたから」
余計な説明はない。
だが、それで十分だった。
セイラが身を乗り出す。
「じゃあ、本当にアムロさんは」
「一人になりますね」
ララァが、セイラの言葉を受けるように続けた。
部屋が静かになる。
ララァはいつものように、強い言葉を使わない。
けれど、その分だけ逃げ場がなかった。
「あの子は、一人にしておくと」
「機械のことばかり考えます」
「でも、それだけで済む子ではありません」
ミライがじっと聞いている。
セイラも、何も言わない。
「怒ったり、拗ねたりしても、見てくれる人が要ります」
「ちゃんと人のいる家の方がいいです」
エドワウはそこで、ようやく息を吐いた。
施設や金ではない。
日々の音の話だ。
誰が食事を作るか。
誰が帰ってくるか。
誰が見ているか。
ララァは少しだけ考えてから、セイラを見た。
「セイラさんが向いていると思います」
セイラがわずかに目を見開く。
だがララァは、すぐに続ける。
「でも、一人で抱えさせるのは違います」
「人が多い方がいいです」
ミライが微笑んだ。
「それなら安心ね」
エドワウは小さく頷く。
「……ミライがいる」
ララァも微笑む。
「帰りたい家にしてくれると思います」
ミライは少し照れたように笑った。
「それは褒めすぎよ」
「でも、嫌いじゃないわ」
ララァは静かに首を振る。
「褒めすぎじゃありません」
その言葉で、もう決まったようなものだった。
エドワウは端末の角を指で軽く叩く。
「分かった」
「こっちで話を詰める」
ララァは最後に言った。
「アムロは、ちゃんと人の中に置いた方がいいです」
通信が切れる。
部屋に、ほんの少し長い静けさが残った。
――――――
最初に口を開いたのは、セイラだった。
「うちに来てもらえばいいじゃない」
エドワウは反射的に顔を上げた。
ミライは、ああそれがいいわね、という顔をしている。
「待て」
「待たないわ」
セイラは迷わなかった。
「一人にしておくより、その方がいいに決まってるもの」
「だが、男の子が一人増えるんだぞ」
「増えたら何なの」
エドワウは少し言葉に詰まる。
「生活の段取りがある。学校もある。本人の気持ちもある」
「だから聞くわよ」
「でも、一人にはしない方で考えるべきでしょう」
そのまっすぐさに、エドワウは一瞬押し返せなかった。
その時だった。
セイラが、頬を赤らめながら。
「私、弟が欲しかったの」
ピシッ
エドワウは固まった。
本当にきれいに固まった。
視線も、呼吸も、全部そこで止まる。
ミライが口元を押さえる。
笑いをこらえている。
セイラは言ってから、自分でも頬が熱くなるのを感じたらしい。
けれど、引っ込めない。むしろ、もう言ってしまった以上は押し通す気でいる顔だった。
固まったままのエドワウに、ミライがやさしく声をかける。
「エドワウ?」
反応がない。
「帰ってきてる?」
まだ動かない。
セイラがむっとする。
「何よ、その反応」
そこで、ようやくエドワウが瞬きをした。
一つ。
それから、喉が小さく鳴る。
そしてようやく復活して、絞り出すように言った。
「……弟ではない」
そこからか、というところからの復活だった。
ミライがとうとう笑う。
セイラは少しだけ顔を背けながら、すぐに言い返した。
「でも、放っておけないもの」
「それと弟は別だ」
「別でもいいでしょう」
エドワウはまだ処理しきれていない。
政治や商売の話なら、もっと早く返せる。損得も、危険も、交渉の筋道も、その場で組める。だが、こういう家の話になると妙に弱い。
そこへミライが自然に入る。
「いいじゃない」
「一人増えるくらい、何とかなるわ」
「ちゃんと人のいる家の方が、男の子は落ち着くものよ」
エドワウはまだ眉を寄せたままだ。
「簡単に言うが――」
「簡単じゃないわよ」
ミライが柔らかく返す。
「でも、誰かが見てる家と、そうじゃない場所とじゃ、全然違うもの」
そして、さらりと続けた。
「それに、将来自分たちの子どもが出来たら、きっといいお父さん役の練習にもなるわ」
ピシッ
今度は、さっきより深くエドワウが固まった。
完全に時間が止まる。
セイラが先に吹き出しそうになって、慌てて唇を噛む。
ミライは悪びれない。むしろ、あらまた止まった、という顔で首を傾げている。
しばらくしてから、セイラが肩を震わせながら言う。
「兄さん、戻ってきて」
エドワウはそこでようやく咳払いを一つした。
「……話を飛ばしすぎだ」
やっとそれだけ返す。
ミライが楽しそうに笑う。
「でも、お家ってそういうものでしょう?」
エドワウは額に手を当てた。
勝てない。
この手の話になると、本当に勝てない。
しかも、二人の言っていることが一番まともだというのが余計に始末が悪い。
セイラが少し身を乗り出す。
「私が話すわ」
「テムさんには、私から」
ミライもすぐ頷く。
「私も行く」
「生活の話は、生活してる人間がした方が伝わるもの」
エドワウはまだ最後の抵抗を試みる。
「……まだ本人の意見もある」
「もちろん聞くわよ」
セイラが返す。
「でも、一人にはしない方向で考えるのは決まりでしょう?」
ミライがまとめる。
「そういうこと」
「そこから先を、ちゃんと本人とお父さんに話せばいいのよ」
エドワウは諦め半分で息を吐いた。
その顔を見て、セイラが少しだけ笑う。
「兄さん、家の話になると弱いわね」
「経営や政治より難しい」
思わず口に出してしまってから、エドワウは自分で顔をしかめた。
ミライが今度ははっきり笑う。
「いい傾向じゃない」
エドワウも、少しだけ口元を緩めた。
この家の中では、自分は思ったよりずっと押しに弱い。
だが、その弱さに助けられることもあるのだと、ようやく分かり始めていた。
――――――
アナハイム・エレクトロニクスの上層応接区画は、豪奢というより整っていた。
余計なものがなく、しかし金のかかっていない箇所がない。
壁、床、照明、置かれた調度。どれも声高ではないのに、企業というものが長く積み上げてきた重さだけは隠していない。
案内された先の応接室で、メラニー・ヒュー・カーバインは柔らかい笑みを浮かべて立ち上がった。
「ようこそ」
「ルシファー財団の話は、最近よく耳にします」
言い方は穏やかだが、ただの社交辞令ではない。もう調べるだけ調べた上で、あえてそれを表に出さない種類の男だと分かる。
その横に、マーサ・ビスト・カーバインが座っていた。
整った微笑み。
落ち着いた姿勢。
目だけが、よく見ている。
ビスト財団の学校で、主にセイラとの面識があるぶん、まったく知らぬ相手を見る硬さはない。だが、だからといって気を許しているわけでもなかった。
むしろ、突然急成長してきたこの財団に対して、かなり細かく見積もり直している。
それを顔には出さないだけで。
挨拶を交わし、席に着く。
メラニーが手を軽く差し出した。
「本日は投資のご相談とか」
エドワウは頷いた。
「はい」
「今後、ビスト財団とも協力しながら、アナハイム・エレクトロニクス社と共に成長していきたいと考えています」
「そのための新規投資を、ご提案に参りました」
メラニーの目が少し細くなる。
乗ってきた。
「それは結構」
「若い財団が、資金の置き場所を探すのは悪い話ではない」
「ですが、それだけではないのでしょう?」
エドワウはそこで本題へ入った。
「加えて、サイド6およびサイド7における警備用MSの発注を検討しています」
部屋の空気が、ほんのわずかに変わる。
メラニーはすぐに口元を緩めた。
面白がった顔だ。
マーサは変わらない。
だが、視線が一段深くなる。
「警備用」
マーサが復唱する。
「軍用ではなく?」
「はい」
エドワウは正面から答える。
「コロニー内治安維持」
「重要施設警備」
「港湾および搬送路の機動防衛」
「有事の初動対応」
「そういった用途を想定しています」
メラニーが指先を組んだ。
「なるほど」
「軍需一本ではなく、保安市場として広げるわけだ」
「面白い発想ですな」
マーサは微笑んだまま聞く。
「サイド6とサイド7の両方に、同時に必要だとお考えなのですね」
「かなり早い段階から動かれるご予定なのかしら」
声は柔らかい。
だが、探っている。
どこまで見えているのか。
何を知っていて、何を隠しているのか。
エドワウはその視線を正面から受けた。
「宇宙空間での拠点防衛と治安維持は、今後軽視できません」
「武装した艦艇だけでは、局地対応には限界があります」
「コロニーの内側と外縁、その両方へ機動的に対応できる存在が必要になります」
メラニーは頷く。
完全に理解している顔ではない。
だが、利益と将来性の匂いは十分に掴んでいる。
「つまり」
「動く警備兵、というよりは、小型の機動防衛兵器だ」
「そうなります」
エドワウは肯定した。
マーサが静かに言う。
「興味深いご提案ですわ」
「ビスト財団としても、民間と産業の安定は大切ですもの」
顔には出さない。
だが、その内側で、この若い財団は何なのかと見積もり直していることが伝わってくる。
急に金があるだけではない。
情報もある。
しかも、要求が具体的すぎる。
思いつきではなく、すでに使い方の構想まである側の出し方だった。
メラニーが、話を次の段階へ進めた。
「では、条件を聞きましょう」
「投資比率だけでなく、要求仕様も含めて」
――――――
テーブルの上には資料が開かれ、数字と図面と予定表が並んでいた。
交渉は、ここからようやく本番になる。
新規出資の比率。
設備投資の分担。
研究区画の拡張。
人材確保。
そのひとつひとつが企業の話でありながら、どこから先が兵器の話になるのか、境目が曖昧だった。
「まずは警備用です」
エドワウはそう言ってから、要求を並べ始めた。
「量産性が高いこと」
「整備がしやすいこと」
「拠点配備を前提に、故障時の交換単位が明確であること」
「操縦練度が高すぎない人間でも扱えること」
「将来的に、高機動型や重装型への派生余地があること」
「コックピットの安全性を軽視しないこと」
メラニーが楽しそうに目を細める。
ただ金を置くだけではない。
設計思想の入口まで持ってくる相手は、企業人にとって扱いにくい半面、うまく噛めば大きい。
「かなり具体的だ」
「ええ」
エドワウは短く答える。
「使い道が見えている方が、無駄がありませんから」
マーサがそこで初めて少しだけ首を傾げた。
「警備用にしては、派生を強く意識されているのですね」
「最初から先を見ない警備機材は、すぐに古くなります」
「拠点防衛も、輸送路対応も、必要なものは同じではありません」
「入口は一つでも、先で枝分かれできるべきです」
マーサは微笑みを崩さない。
だが、その目はもう完全に分かっている。
この財団は、金を出すだけではない。
兵器の使い方まで想定している。
それも、今必要な範囲より半歩先まで。
メラニーは資料に目を落としたまま言う。
「アナハイムとしては魅力的です」
「軍需に閉じない市場は欲しい」
「しかも、先に標準を押さえられるのならなおさらだ」
エドワウはそこで一歩だけ引いた。
押し込みすぎない。
「まずは警備用で十分です」
それが表の顔だった。
メラニーは頷く。
「結構」
「入口としては、むしろそれがいい」
マーサも静かに同意する。
「ビスト財団としても、表向きにはその方が受け入れやすいでしょうね」
表向きには。
その一言の選び方が、この女の怖さだった。
別れ際、マーサは立ち上がって軽く会釈をした。
「本日は、実に興味深いお話でした」
「ルシファー財団の今後、楽しみにしておりますわ」
微笑みは美しい。
だが、その最後の視線だけは、明らかにこう言っていた。
見ておりますわ。
エドワウはそれをそのまま受けた。
警戒されるのは悪いことではない。
軽く見られるより、よほどましだ。
――――――
応接区画を出て、長い廊下を歩きながら、エドワウはようやく息を吐いた。
一つ進んだ。
まだ入口だが、それでも進んだ。
人も。
金も。
技術も。
全部、今はまだ先のための置き石にすぎない。だが、その石がなければ道にはならない。
端末が震えた。
表示を見て、少しだけ口元が緩む。
セイラからだった。
通信を開くと、向こうの声は思ったより明るかった。
「こっちはこっちで、まとまったわ」
「テムさんには私とミライで話を持っていく」
「アムロさんも、一人にはしない方向で」
エドワウは廊下の窓際で足を止める。
「そうか」
「ええ」
セイラは少しだけ笑った。
「兄さんは家の話になると弱いもの」
「……否定はしない」
その返事に、向こうでミライが笑う気配がした。
技術の布石と、家族の布石が、同じ日に前へ進んだ。
それは珍しく、少しだけ安心していい報告だった。
だが、安堵は長く置かない。
「では、こちらも進める」
「そうして」
セイラの声が静かに返る。
「こっちはこっちで、ちゃんと家の話をするから」
通信が切れる。
エドワウは端末を下ろし、もう一度だけ廊下の向こうを見た。
表に見えるのは、一人の技術者の移籍と、一人の少年の住まいが決まる話にすぎない。
だが、その裏では、人も金も技術も、次の時代へ向けて静かに置かれ始めていた。
思いついた小ネタ
家の話になると、どうしても判断が鈍る。
いや、鈍るというより、足場の組み方が分からなくなる。
政治も、商売も、軍も、全部理屈で組める。
順番も、優先も、損得も、いくらでも並べ替えられる。
だが、こういう話だけは違う。
順番を決めても意味がない。
優先を決めても外れる。
損得で切れば、必ずどこかが欠ける。
「……難しいな」
小さく息を吐く。
さっき、自分は確かに二度止まった。
完全に。
言葉も、思考も、一拍きれいに切れた。
ああいう止まり方は、戦場でも会議でも経験がない。
だが、あれを無視して進むと、たぶんもっと面倒になる。
ふと、別の顔が浮かぶ。
強い視線。
真っ直ぐな言葉。
途中で途切れる会話。
そして、そのあとの沈黙。
あの沈黙の意味を、あの時は最後まで拾いきれなかった。
拾っているつもりで、拾っていなかった。
理解したつもりで、受け取っていなかった。
結論だけ先に置いて、感情の方を後回しにした。
「……なるほど」
小さく呟く。
あれは、そういうことだったのか。
だが、繋がっている。
レコア・ロンドを怒らせたのは、ああいうところだ。
話は聞いている。
意味も分かっている。
だが、その場で必要なものを、最後まで受け取らない。
そのまま進めば、相手は置いていかれる。
置いていかれた側は、いずれ黙る。
そして、その沈黙は戻らない。
「……覚えておく」
今回は、止まった。
二度とも。
止まれたなら、まだ間に合う。
そのはずだ。