サイド7の朝は、まだどこか工事の匂いがする。
壁の向こうで資材が運ばれ、遠くで金属を打つ音が続いている。その中で、エドワウの家だけは、妙に静かだった。
玄関の前で、アムロは一度だけ立ち止まった。
手に持った荷物は多くない。必要なものだけを詰めた鞄ひとつ。だが、その重さよりも、この扉の向こうに入ることの方が重かった。
ノックをしようとして、少し迷う。
その前に扉が開いた。
「来たのね」
セイラだった。
自然な声だった。待っていた、というより、来るのが当たり前のような調子だ。
アムロは一瞬だけ言葉を探し、それから短く言う。
「……うん」
「入って。靴はそこ」
セイラはそれ以上は何も言わず、当たり前のように背を向けた。
中へ入ると、空気が少し違う。
他人の家だが、どこか整いすぎていない。人が住んでいる温度がある。
ミライが台所から顔を出した。
「あ、来た来た」
手を軽く振る。
「ごはん、もうすぐだから。その前に荷物置いちゃいな」
「部屋は決めてあるから」
言い切る口調だった。
アムロは少し戸惑いながら頷く。
「……はい」
そのやり取りを、少し離れた位置からエドワウが見ていた。
声をかけるタイミングが、わずかに遅れる。
「……来たか」
結局、出たのはそれだけだった。
アムロはそちらを見て、同じように短く返す。
「うん」
それで会話は終わる。
妙にぎこちない。
セイラもミライも自然に動いているのに、その間だけ空気が少し引っかかる。
ミライが振り返る。
「エドワウ、そこ邪魔」
「ああ」
言われてから動く。
その様子に、セイラが小さく笑った。
――――――
最初の数日は、会話が続かなかった。
食卓に座っても、必要なことしか言葉にならない。
「それ、取って」
「うん」
「味どう」
「……普通」
それで終わる。
エドワウは何か話題を振ろうとして、妙に理屈っぽい話を選んでしまう。
「今日、建設区画の搬送路で――」
そこで止まる。
違う、と自分で分かる。
アムロは黙って聞いているが、話の先を求めている顔ではない。
セイラが自然に話を変える。
「今日、外どうだった?」
「風、強かった」
「そう。洗濯干すのやめてよかった」
そのくらいの会話が、いちばん落ち着く。
三日目の夜。
アムロは廊下の端で、配線のカバーを外していた。
エドワウがそれに気づく。
「何してる」
「ここ、接触悪い」
アムロは振り向かずに言う。
「たまに電圧落ちてる」
エドワウは少し近づき、配線を覗き込んだ。
確かに、端子の一つが甘い。
「……よく気づいたな」
アムロは肩をすくめる。
「音で分かる」
エドワウは工具を差し出した。
「貸せ」
アムロは少し迷い、それから受け取る。
手つきは慣れていた。
無駄がない。
「そこ、締めすぎるな」
エドワウが言う。
「次に外す時に潰れる」
アムロは一瞬だけ手を止める。
それから、ほんの少しだけ緩める。
「……これでいい?」
「ああ」
短いやり取りだった。
だが、そのあとでエドワウは一言だけ付け足した。
「上手いな」
アムロは顔を上げた。
ほんの少しだけ、警戒がほどける。
――――――
一週間ほどして、ようやく会話が会話になった。
エドワウはふと考える。
ニュータイプだというのに、分かり合うのに時間がかかるものだ。
いや、違う。
気配だけ先に分かるから、言葉の距離を測るのに時間がかかるのかもしれない。
相手の輪郭が曖昧なまま、手だけ先に届く。
それが、かえって面倒だった。
アムロは、その面倒さに、ようやく慣れ始めていた。
――――――
サイド7の会議室。
壁の外では、まだ建設機械の音が響いている。
その中で、エドワウはテーブルの向こうに並ぶ自治組織の面々を見ていた。
「結論から言います」
声は落ち着いている。
「サイド7は中立を宣言するべきです」
空気が一度、止まる。
誰かが小さく息を吐く。
「連邦軍の駐留を前提にしたままでは、自治は成立しません」
「ここは軍の前進拠点ではなく、民間のコロニーとして外に示すべきです」
反論が来る。
「では、軍が抜けたあと、誰が守る」
「治安はどうする」
エドワウはすぐに答える。
「港湾の警備はルシファー側で引き受けます」
「搬送路の巡回も同様です」
「重要区画の出入管理は、すでに民間側で回せる体制を組んでいます」
「緊急時の初動も、専任のチームを置きます」
机の上に資料を置く。
「サイド6での運用実績です」
視線が動く。
数字と配置が現実を持つ。
「軍がいなくても回る形は、すでにある」
エドワウは言い切った。
「問題は、決めるかどうかだけです」
沈黙が落ちる。
やがて、誰かが小さく頷いた。
――――――
同じ頃。
別の場所で、別の話が進んでいた。
連邦側の人間は、資料を前に黙り込んでいる。
机の上に並ぶのは、議会の不正、利権の流れ、名前。
エドワウはそれを指で軽く叩いた。
「こちらは、表に出さないつもりです」
静かな声だった。
「サイド7の件が円満に整理されるなら」
相手は何も言わない。
言えない。
エドワウは続ける。
「駐留の理由は、表向きにはもう薄い」
「無理に残せば、別の問題が表に出る」
短い沈黙。
やがて、相手が視線を落とした。
「……段階的に引き上げる」
それで決まった。
表では自治尊重。
裏では、握られて引く。
血は流れない。
その代わりに、いくつかの名前が静かに消えた。
――――――
「月へ行く」
エドワウが言った。
アムロは顔を上げる。
「……月?」
「お前も来る」
少しの間。
「なんで」
「会わせる」
それだけだった。
セイラはすぐに理解した。
「お父さんに、ね」
アムロは少しだけ黙る。
ミライが笑う。
「行ってきなさいよ」
「顔見せないと、あとで面倒になるわよ」
軽い調子だが、背中を押している。
アムロはゆっくり頷いた。
「……うん」
――――――
月へ向かう航路。
窓の外に、サイド7が遠ざかっていく。
アムロはそれを見ていた。
「でかいな」
ぽつりと呟く。
エドワウが横を見る。
「工場はもっとでかい」
「街を飲み込む」
アムロは少しだけ眉を寄せる。
「兵器より先に?」
「兵器はあとから乗る」
短い会話。
だが、前より自然だった。
――――――
アナハイム・エレクトロニクス、月面区画。
扉が開く。
テム・レイが振り向く。
一瞬だけ、視線が止まる。
「……来たのか」
アムロは短く返す。
「うん」
それで十分だった。
ナガノが横から覗き込む。
「へえ」
「この子が」
エドワウは一歩引く。
場を邪魔しない。
――――――
機体が、そこにあった。
まだ完成ではない。
だが、形はすでにまとまっている。
一号機だけ、頭部に細いアンテナが立っている。
観測と試験のための突起。
それ以外は、奇妙なほど整理されていた。
アムロは足を止める。
強そう、ではない。
無駄が少ない、と思った。
動きが詰まっていない。
最初から、その形になるように決められている。
そんな印象だった。
テムは何も説明しない。
ナガノも口を閉じている。
アムロは自分で見る。
その横で、エドワウだけが動かなかった。
――GP01Fb。
心の中でだけ、そううなる。
アクシズで見た記録。
あの時代の、完成形の一つ。
それが今、まだ“ガンダム”の名で立っている。
口には出さない。
今は、それでいい。
「……よく、ここまでまとめた」
それだけ言う。
テムが少しだけ視線を上げる。
ナガノが、分かる人間には分かるのだという顔をする。
アムロは機体を見上げたまま、動かない。
初めて見るはずなのに、どこかで見たような気がする。
理由は分からない。
だが、目が離れなかった。
その瞬間、まだ誰も知らない何かが、確かに始まっていた。
アナハイム・エレクトロニクスなのでGP01が出来てしまった。反省は誰もしない。