妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第135話 会うべき人

 

月の朝は、音より先に光が来る。

 

宿舎の薄いカーテン越しに差し込んだ白い明かりで、アムロは目を覚ました。眠ったはずなのに、頭の中は少しも静かになっていない。昨日見た機体の線が、そのまま残っていた。

 

胸のまとまり方。

 

腰の細さ。

 

背中へ寄せられた推進の置き方。

 

形だけではない。どう動くかまで、勝手に想像してしまう。考えないようにしても、頭のどこかがその先を追う。

 

起き上がって窓の外を見る。整った通路、区画をつなぐ搬送レール、遠くの工場棟。月の朝は湿り気がない。その代わり、最初から仕事の形をしていた。

 

扉の向こうで足音が止まる。

 

「起きてるか」

 

エドワウの声だった。

 

「うん」

 

「下で食う」

 

それだけ言って、足音が離れる。

 

アムロは少しだけ息を吐いた。

 

サイド7の家へ来た最初の頃なら、その短さに居心地の悪さを感じていたかもしれない。今も長く話すわけではないが、会話がそこで切れても、次がある気がする。それだけで、ずいぶん違った。

 

下へ降りると、エドワウはすでに席についていた。コーヒーの湯気の向こうで、何枚かの紙へ目を通している。アムロが座ると、その紙を閉じた。

 

「顔が寝てない」

 

「……そう見える?」

 

「見える」

 

短い返事だった。エドワウはパンの皿を少し寄せる。

 

アムロはそれを取りながら、小さく肩をすくめた。

 

「寝たんだけど」

 

「頭が寝てないんだろう」

 

そう言われて、反論できなかった。

 

しばらく二人とも黙ったまま食べる。ナイフの触れる音だけが小さく続く。変な沈黙ではない。慣れたわけでもない。ただ、置いておける沈黙になりつつあった。

 

やがてエドワウが言う。

 

「今日は黙って見ているだけでもいい」

 

アムロは顔を上げる。

 

「分かってる」

 

言いながら、自分の声が少し上ずっているのが分かった。

 

エドワウはそれ以上は言わない。ただ一度だけ、アムロの顔を確かめるように見てから立ち上がった。

 

「行くぞ」

 

アムロも立つ。

 

頭の中の機体は、まだ消えなかった。

 

――――――

 

開発区画の空気は、朝から熱かった。

 

昨日と同じ白い照明の下で、機体はまだ組み上がる途中の姿のまま吊られている。胸部の仮装甲、腰の支持フレーム、背中へ仮固定された補助推進ユニット。そのどれもが未完成なのに、機体全体のまとまりだけは、妙に強かった。

 

ナガノが先に気づいて手を上げる。

 

「お、来た」

 

その横でテム・レイは図面から顔を上げるだけだった。

 

「早いな」

 

「寝れなかっただけ」

 

アムロがそう答えると、ナガノが笑った。

 

「分かるな、それ。こういうの、一回見たら頭に残るんだよな」

 

テムは何も言わず、背部推進系の図面へ視線を戻した。

 

アムロは少し離れて立つ。昨日より、見る場所がはっきりしていた。

 

大人たちは構造で見ている。どこで支えるか、どこで逃がすか、どこを共通にするか。アムロの目は、そこから少しだけずれていた。

 

動かした時に変な癖が出るところ。

 

細かい姿勢制御で遅れそうなところ。

 

構造としては通っていても、動かした瞬間に違和感になるところ。

 

背中側へ回り込んだ時、アムロの足が止まった。

 

左右の主推進ノズルのうち、右側へ入る配管だけが、腰の後ろを一度回ってから上に上がっている。左側は比較的まっすぐだ。右だけ、一節長い。

 

ナガノが仮固定具の位置を見ながら言う。

 

「これで左右とも出力は揃うはずなんだけどな」

 

アムロは少しだけ眉を寄せる。

 

ナガノがその視線に気づいた。

 

「何か変か」

 

半分、面白がるような調子だった。

 

アムロはすぐには答えない。けれど、目が離れなかった。

 

「右のノズルだけ、立ち上がり遅れませんか」

 

ナガノの手が止まる。

 

「右?」

 

アムロは配管を指した。

 

「左はそのまま上がってるけど、右は一回後ろへ逃がしてる」

 

「これ、圧が乗るの、一拍ずれそう」

 

ナガノは笑わなかった。すぐに図面を引き寄せる。配管図を重ね、実機の仮配置を見る。さっきまで軽く流していた線が、急に重みを持つ。

 

「いや……」

 

小さく呟きながら、線を追う。

 

「そこまで変わるか?」

 

アムロは首をかしげた。

 

「大きくは変わらないかもしれないけど、細かく止める時に癖になると思う」

 

その間にテムが近づいてきた。何も言わず、配管図の一箇所を指で叩く。

 

「……右だけ一節長い」

 

ナガノが息を呑む。

 

「本当だ」

 

「逃がしが一回多い」

 

「支持具を避けるために回したのが、そのまま残ってる」

 

テムは一度だけアムロを見る。

 

「見る場所が違うな」

 

それだけだった。

 

褒められたのか、ただ確認されたのか、アムロには分からない。

 

だがナガノは完全に楽しそうだった。

 

「いいな、それ」

 

「図面だと成立してるように見えるとこを、動きの癖で刺してくる」

 

アムロは少しだけ身を引く。

 

「……何となくそう見えただけ」

 

「何となくで当てるのが面倒なんだよ」

 

ナガノはすぐに仮配置の線を引き直し始めた。

 

少し離れた場所で、エドワウはそのやり取りを見ていた。

 

やはりそう見るか、と内心で思う。

 

構造より先に、運動の癖が見える。

 

設計者の目ではない。使う側の目だった。

 

――――――

 

休憩で通路の端へ出ても、アムロの頭の中ではまだ配管の線が動いていた。

 

紙コップの水を飲んでいると、少し遅れてテムが来た。二人きりになっても、すぐに会話は始まらない。水の冷たさだけが妙にはっきりしている。

 

先に口を開いたのはテムだった。

 

「勝手に黙って見てるだけかと思った」

 

アムロは少しだけ視線を逸らす。

 

「言っていいか分からなかった」

 

「分かったなら言え」

 

短い沈黙。

 

テムは真正面を向かないまま続けた。

 

「外れてても構わん」

 

「分かったことを黙られる方が困る」

 

アムロはコップを持つ指先に、少しだけ力を入れた。

 

その言い方が不器用なくせに妙にまっすぐで、返事を急ぐと逆に嘘になりそうだった。

 

「……うん」

 

テムはそれ以上は言わない。ただ、水を一口飲んでから、小さく付け足した。

 

「さっきのは合ってた」

 

それだけ言って戻っていく。

 

アムロはしばらくその背中を見ていた。

 

父親という言葉で考えると、まだ距離がある。

 

だが機体の前にいる時だけは、その距離が少しだけ測りやすい。

 

――――――

 

午後に回った作業は、量産型の頭部案だった。

 

一号機の頭には、細いアンテナが立っている。観測と試験のための突起であり、ワンオフ機だけの特徴だ。量産を考えれば、最初に落ちる。

 

ナガノが頭部ユニットの図面を机へ並べる。

 

「こっちは簡略型です」

 

「アンテナなし。観測系も整理して、整備優先」

 

テムは一瞥する。

 

「それでいい」

 

「量産で要らんものは切れ」

 

アムロは二つの図面を見比べた。

 

一号機の頭は、どこか緊張した顔をしている。量産型案の方は、その緊張が少し抜けていた。派手さはないが、現場が扱いやすそうな顔だと思った。

 

ナガノが図面の端を指で叩く。

 

「問題は名前ですね」

 

テムは顔も上げない。

 

「要らん」

 

「でも現場で困りますよ」

 

「呼び分けないと」

 

少しの沈黙。

 

ナガノが肩をすくめた。

 

「このままだと、そっちはガンダムで、こっちは量産型のあれ、になります」

 

「十分だ」

 

「十分じゃないです」

 

そこで、エドワウが口を開いた。

 

「ネモでいい」

 

三人の視線がそろって向く。

 

ナガノが先に反応した。

 

「……ネモ?」

 

「短い」

 

エドワウは図面を見たまま言う。

 

「呼びやすい」

 

「それで足りる」

 

ナガノは少し考える。

 

「まあ……悪くないですね」

 

テムは何も言わない。だが否定もしない。

 

わずかな沈黙のあと、テムが言った。

 

「好きにしろ」

 

ナガノは頷いた。

 

「じゃあ、ネモで」

 

それで話は終わる。

 

大げさな命名ではない。ただ、仕事を進めるために呼び名が一つ置かれただけだ。

 

だがその瞬間、エドワウだけは量産型の頭部案を見ながら、内心で別の名を思っていた。

 

……ジム。

 

もちろん口には出さない。

 

まだ、この時代にはない名だ。

 

――――――

 

夕方近く、ナガノがアムロを手招きした。

 

「ちょっと座ってみるか」

 

案内されたのは、本格的なコックピットではなく、配置確認用の簡易シミュレータだった。椅子、モニタ、操縦桿、足元のペダル。反応と視界を見るだけの、ごく簡素なものだ。

 

「本物じゃないぞ」

 

ナガノが笑う。

 

「分かってる」

 

アムロは座る。

 

背もたれへ体を預けた瞬間、妙にしっくりきた。

 

視界が開く。正面、左右、下。数値表示はまだ仮だが、配置の意図は分かる。手を伸ばせばレバーに届き、足を置けばペダルの位置が自然に決まる。

 

「どうだ」

 

ナガノが聞く。

 

アムロはすぐには答えない。操縦桿をほんの少し動かし、今度は足元を踏み込む。

 

「……右より左の方が早い」

 

ナガノが首を傾げた。

 

「何が」

 

「ペダルも、桿も」

 

アムロは一度手を離し、もう一度同じだけ入力する。

 

「左は入れた瞬間に返るけど、右はちょっと空いてから動く」

 

ナガノは最初、首をかしげただけだった。だが設定値を呼び出し、左右の入力開始点を見比べた瞬間、顔が変わる。

 

「……本当だ」

 

「右だけ安全側に逃がしてる」

 

テムは横から画面を見て、低く言う。

 

「現場調整の癖だ」

 

アムロはペダルから足を離した。

 

「細かく止めたい時に、右だけ遅れると思う」

 

「大きく動かす分には平気でも」

 

ナガノは嬉しそうにメモを取る。

 

「いいな」

 

「そういうの、乗らないと出ない」

 

アムロは少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。

 

「……別に」

 

「別に、じゃない」

 

ナガノは笑う。

 

「構造はこっちが見ればいい。乗った感じは、乗るやつしか拾えない」

 

テムは黙ったまま、設定欄に修正印をつけていた。

 

この場にいる全員が、それぞれ別の意味で、アムロが一歩中へ入ったことを理解していた。

 

――――――

 

月を発つ頃には、工場の灯りがまた強くなっていた。

 

シャトルへ向かう通路を歩きながら、アムロは一度だけ振り返る。遠くの区画壁の向こうに、まだあの機体がある気がした。

 

「帰る前に寄るところがある」

 

エドワウが言う。

 

「どこ」

 

「サイド6」

 

それだけで、アムロはそれ以上聞かなかった。

 

航路の途中、二人の会話は前より少し自然だった。

 

「月の工場って、あんなに全部つながってるんだな」

 

「あれで一つの町だ」

 

エドワウが答える。

 

「工場は兵器を作る前に、人を縛る」

 

アムロが横を見る。

 

「どういう意味」

 

「働く順番を決める」

 

「運ぶ道を決める」

 

「街の形も、それで決まる」

 

アムロは少し黙る。

 

すぐには分からない。だが、分からないなりに残る言葉だった。

 

――――――

 

サイド6の空気は、月ともサイド7とも違った。

 

静かだった。

 

音がないのではない。人の気配が尖っていない。湖の近くの家へ向かう道も、急ぐ者の歩き方ではない。

 

エドワウが先に扉を開ける。

 

「入るぞ」

 

中から柔らかい声が返る。

 

「はい」

 

アムロは一歩遅れて中へ入った。

 

部屋は明るすぎず、暗すぎない。窓の向こうに水面が見える。サイド7の工事の匂いとも、月の金属の匂いとも違う、何かが落ち着いた空気だった。

 

そこで、少女が立ち上がる。

 

年は自分とそう変わらないように見えた。けれど、立ち方が妙に静かで、最初からそこにいた空気と溶けている。

 

ララァがアムロを見る。

 

アムロも、ララァを見る。

 

初めて会うはずだった。

 

初めて会うはずなのに、胸の奥で、何かが引っかかった。

 

知らないはずの顔だった。

 

知らないはずなのに、知らない感じがしない。

 

理由は分からない。言葉にもならない。ただ、何かがそこにある。

 

ララァが一歩、近づく。

 

その瞬間、アムロの呼吸が止まった。

 

その少女が近づいた瞬間、アムロの中で、忘れていたはずの何かが、音もなくひび割れた。

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