妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第145話 聞いてきてくれ

 

 

ザビ家から夕食に招かれたと聞いた時、ランバ・ラルは一度だけ言葉を切った。

 

軍の会食ではない。

 

家の食卓だ。

 

それが何を意味するかくらいは、ラルにも分かっていた。

 

支度を整えるクラウレは、鏡の前で髪をまとめ直しながら、夫の顔を鏡越しに見た。

 

「難しいお顔ですね」

 

ラルは軍服の襟を指でなぞった。

 

「戦場に呼ばれる方が、まだ気は楽だ」

 

クラウレは小さく笑う。

 

「では私は、戦場より厄介なところへ行くのですね」

 

「そういうことになる」

 

ラルはそう言ってから、ふと奥の部屋へ目をやった。

 

娘はもう眠っている。乳母に預けてきたとはいえ、家を空ける時間が気にかからぬわけではない。だが今夜の招きは、断って済むものではなかった。

 

クラウレはその視線の先を察したように言う。

 

「よく眠っておりました。起きても、すぐには泣きませんよ」

 

「君がそう言うなら安心だ」

 

「お父様が落ち着かないお顔をしていては、帰ってから抱いた時に伝わります」

 

ラルはそこでようやく少し口元を緩めた。

 

「分かった。落ち着こう」

 

クラウレは立ち上がり、ラルの袖の皺を軽く直す。

 

「今夜の私は侍女ではありませんから」

 

「分かっている」

 

ラルはまっすぐに答えた。

 

「ラル家の妻として来てもらう」

 

クラウレは一礼した。

 

「はい」

 

――――――

 

ザビ家の食卓は、広かった。

 

だが、広いだけの空間ではない。席の取り方、皿の置き方、給仕の足音の消し方まで、家の力がよく出ている。わざと見せつけてはいない。だが隠してもいない。そういう整い方だった。

 

 

 

ドズルが真っ先に立ち上がった。

 

「ラル中佐、よく来てくれた」

 

声は大きいが、今夜は妙に気を遣っているのが分かる。

 

ラルは礼をした。

 

「お招き、恐れ入ります」

 

その横でクラウレも一礼する。

 

ドズルはクラウレの方も見て、少しだけ表情を和らげた。

 

「クラウレ殿も」

 

「お招きありがとうございます」

 

クラウレは静かに答える。

 

ガルマがすでに席を立っていた。幼さを残した真っ直ぐな目で、二人を見る。

 

「ラル中佐、お待ちしておりました」

 

それからクラウレへ向き直る。

 

「クラウレさんも、どうぞこちらへ」

 

ガルマにとってこの二人は、ただの客ではない。軍人としての理想と、家の落ち着きを一緒に持っている大人だった。

 

ラルはその敬意が本物だと分かった。だからこそ軽く扱わない。

 

「ありがとうございます、ガルマ様」

 

クラウレが応じると、ガルマは少し嬉しそうに席を勧めた。

 

ギレンは席に着いたまま、二人を見ていた。

 

視線は冷静だが、無遠慮ではない。値踏みしているのは分かる。だが同時に、今夜は軍議ではなく家の場として整えようとしていることも分かった。

 

キシリアは杯に指をかけたまま、クラウレを一度見た。

 

「ラル家は、落ち着いた家になったのね」

 

言葉自体は柔らかい。だが探る響きが混じる。

 

クラウレは少しも慌てなかった。

 

「中佐が家を大事になさいますので」

 

「あなたがそうさせているのではなくて?」

 

キシリアの問いに、クラウレはほんのわずかに笑みを浮かべる。

 

「そうであれたなら、妻として嬉しゅうございます」

 

それ以上でも以下でもない答えだった。

 

キシリアはそれを聞いて、それ以上は追わなかった。

 

セシリアはそのやり取りを横で見て、静かに杯を置いた。女同士の間で何が交わされたか、分からぬ人ではなかった。

 

食事が始まる。

 

最初は当たり障りのない話だった。季節のこと、港のこと、子どものこと。軍の会食ならすぐに任務や配置の話に入るところだが、今夜は違う。

 

ドズルが大皿の肉を前にして笑った。

 

「ラル中佐、家の飯はどうだ」

 

「戦地の糧食よりは、はるかにありがたいものです」

 

「そうだろう」

 

ドズルは声を弾ませる。

 

ラルはそこで一拍置いた。

 

「ただ、家の飯というものは、出す側の顔がよく出ますな」

 

ドズルの笑いが少しだけ落ち着く。

 

「悪い顔はしていないつもりだが」

 

「悪い家の飯は、落ち着きません」

 

ラルは率直に言った。

 

「今夜は落ち着いております」

 

ドズルは嬉しそうに鼻を鳴らした。

 

「そうか」

 

ガルマはそのやり取りを聞きながら、クラウレへ目を向けた。

 

「お嬢さんは、おいくつになられましたか」

 

「まだ幼うございます」

 

「きっと可愛いのでしょうね」

 

ガルマは心からそう言った。

 

クラウレは少しだけ目を細める。

 

「ありがとうございます。よく笑う子です」

 

ガルマは頷いた。

 

「今度、拝見できる日があれば」

 

ラルはそこで初めて、食卓の空気が本当に柔らいだと感じた。

 

母を失ったガルマは、家というものの形に敏い。ラルとクラウレ、それに幼い娘という並びを見て、ただ羨むのではなく、敬意として受け取っている。それが伝わった。

 

ギレンは多くを話さない。

 

だが、ラルが誰へどう答え、クラウレがどの言葉を受け、どこで引き、どこで前へ出るかを、静かに見ているのは分かった。

 

食卓とは、家の正体が一番よく出る場所だ。

 

ラルはそう思った。

 

――――――

 

食後、ギレンが短く言った。

 

「ラル中佐、少し」

 

それだけで十分だった。

 

ラルは杯を置き、立ち上がる。

 

クラウレは何も言わない。ただ一度だけ視線を向けて、すぐに戻した。夫が今どんな話を持ち込まれるかを、察している目だった。

 

別室は広くなかった。食卓の温度を持ち込ませないためだけに用意したような、静かな部屋だった。

 

扉が閉まる。

 

ギレンはすぐには本題に入らなかった。窓の外へ一度だけ目をやってから、ラルへ向き直る。

 

「今夜は礼を言うべきか」

 

「何についてでしょう」

 

「クラウレ夫人のことだ」

 

ラルの目がわずかに動く。

 

「家の空気を落ち着かせてくれる」

 

ギレンの言葉は短い。

 

「助かっている」

 

「それは妻に伝えます」

 

「そうしてくれ」

 

そこでギレンの声が少し硬くなった。

 

「連邦は必ず打ってくる」

 

本題だった。

 

「地球を失わぬためにも、宇宙を取り返すためにもな」

 

ラルは黙って聞く。

 

「その時、こちらは迎え撃つ」

 

ギレンは続けた。

 

「だが、そこで後ろから別の旗を立てられては困る」

 

ラルの目が細くなる。

 

名は出ない。

 

だが、誰を指しているかは明らかだった。

 

「ダイクンの名は、押さえつけて消えるものではない」

 

「消したつもりでいても、別の顔で戻る」

 

そこで一拍置く。

 

「だから知っておきたい」

 

ラルは静かに問う。

 

「何を、でありますか」

 

「向こうがどうするつもりなのか」

 

ギレンはそこで、ほんのわずかに言い直した。

 

「いや――こちらに、どうしてほしいのか」

 

その一言で、頼みの重さが変わった。

 

これは、単なる偵察ではない。

 

ザビ家の都合を押しつけるのでもない。

 

向こうの意向を、表の政治の側から初めて問おうとしている。

 

ラルはそれを理解した。

 

だからすぐには答えなかった。

 

ギレンはさらに言う。

 

「説得してこいとは言わん」

 

「ただ、聞いてきてくれ」

 

「君なら、向こうも完全には扉を閉ざすまい」

 

ラルは小さく息を吐いた。

 

「ずいぶん厄介な役目ですな」

 

「そうだ」

 

ギレンは否定しない。

 

「だから君に頼む」

 

情を混ぜない言い方だった。

 

だが混ぜないからこそ本気だと分かる。

 

ラルはしばらく黙ったままギレンを見た。

 

危険な男だ。

 

冷たい。

 

だが、その冷たさで家と国家を一つの机に載せて考えている。気に入るかどうかは別として、軽く見てよい相手ではなかった。

 

「聞くだけでよろしいのですな」

 

「まずは、それでいい」

 

「敵として立つつもりがあるのか」

 

ラルが言う。

 

「それとも、まだ別の道を考えているのか」

 

「それを知りたい」

 

ギレンは頷いた。

 

「そうだ」

 

ラルはそこでようやく、はっきりと頭を下げた。

 

「承りました」

 

ギレンは飾らずに言った。

 

「助かる」

 

それだけだった。

 

――――――

 

帰りの車中で、クラウレはすぐには口を開かなかった。

 

屋敷の灯が遠ざかってから、ようやく言う。

 

「難しいお顔ですね」

 

「難しい話を預かった」

 

「ザビ家から、ですか」

 

「ああ」

 

ラルは窓の外を見たまま答えた。

 

「連邦がいずれ打って出る。その時、こちらで別の旗が立てば致命傷になる」

 

クラウレは静かに聞いている。

 

「だから、聞いてきてほしいと言われた」

 

「どうするつもりか、ですか」

 

「いや」

 

ラルは首を振る。

 

「こちらに、どうしてほしいのか、だ」

 

そこでクラウレの目が少しだけ変わった。

 

その問いの重さを理解したからだ。

 

問われる側は、もう隠れているだけではいられない。望むなら望むで答えねばならない。拒むなら拒むで、それもまた意志になる。

 

「お会いになるのですね」

 

「ああ」

 

「お一人で?」

 

ラルは少しだけ考え、それから答えた。

 

「いや」

 

クラウレの方を向く。

 

「君にも来てもらう」

 

クラウレは驚いた顔をしなかった。

 

ただ、小さくうなずく。

 

「承知しました」

 

ラルはそこで、少しだけ肩の力を抜いた。

 

ザビ家の食卓に招かれた夜に、こういう役を預かるとは思わなかった。だが、家の飯を共にしたからこそ出る話でもある。

 

戦場で交わす約束とは違う。

 

食卓の後に交わす頼みは、もっと厄介で、もっと深い。

 

ラルは夜の外を見た。

 

連邦が打ってくる。

 

それはそうだろう。

 

なら、その前に一度だけ、聞かねばならない。

 

ダイクンの子は、どうしたいのか。

 

いや――

 

こちらに、何を望むのか。

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