妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第148話 SS ドズル、完全敗北

 

ラル中佐が妻のクラウレと娘のシアーシャを連れてやって来ると聞いた時、ドズルは朝から妙に機嫌がよかった。

 

「よし、今日はうまい物を出せ。子どもが来るなら甘い物もいるな。固い菓子は駄目だ、喉に詰まる」

 

使用人が慌ただしく動く横で、ゼナは静かに夫を見た。

 

「あなた、張り切りすぎではなくて?」

 

「何を言う。ラル中佐の家族が来るのだ。きちんと迎えるのは当然だろう」

 

そう言いながら、ドズルは鏡の前で襟を直した。

 

普段は軍服さえ着ていれば十分という顔をしている男が、今日は珍しく髪まで気にしている。

 

ゼナは小さく息をつく。

 

「迎えるのはよろしいですけれど、あまり大きな声を出さないでくださいまし。シアーシャちゃんはまだ小さいのでしょう」

 

「分かっておる。俺とて子ども相手は慣れておる」

 

その自信に満ちた言い方に、ゼナの目が少し細くなった。

 

「ミネバ相手だけで、その自信はどこから」

 

ドズルは答えなかった。答えない代わりに、寝台の方を見た。

 

乳母に抱かれたミネバが、ちょうど父の顔を見て笑ったのだ。

 

「見ろ」

 

「見ております」

 

「泣かぬ」

 

「それは、毎日見ているお父様だからです」

 

「同じことだ」

 

ゼナはそれ以上言わず、ただ口元を隠した。

 

その時、先触れが入った。

 

ラル一家が着いたらしい。

 

応接間には、ちょうどガルマとマレーネも来ていた。二人とも、ラル中佐夫妻が来ると聞いてわざわざ顔を出したのである。

 

ガルマは朝からいくらか落ち着かない様子で、姿勢ばかり正していた。尊敬するラル中佐と、その奥方であるクラウレを前に失礼があってはならない、という気負いが全身から出ている。

 

マレーネはそんなガルマを横で見ながら、少しだけ面白そうにしていた。

 

「そんなに固くなられなくても、逃げたりはなさいませんわ」

 

「い、いえ。ただ……」

 

「尊敬する方々なのですよね」

 

ガルマは素直にうなずいた。

 

「はい」

 

そこへ、ラルとクラウレが入ってきた。

 

クラウレの腕には、小さな娘が抱かれている。シアーシャは見慣れぬ部屋に大きな目を向けていたが、泣いてはいない。眠気もあるのか、母の肩に頬を預けて静かにしている。

 

ドズルは一歩前へ出た。

 

「よく来てくれた、ラル中佐」

 

「お招き、痛み入ります」

 

ラルが礼をし、クラウレも穏やかに頭を下げる。

 

ガルマもすぐに背筋を伸ばした。

 

「ラル中佐、クラウレさん。本日はお目にかかれて嬉しく思います」

 

「こちらこそ、ガルマ様」

 

クラウレが微笑むと、ガルマは少しだけ顔を明るくした。

 

マレーネも上品に会釈した。

 

「シアーシャちゃん、はじめまして」

 

だがシアーシャは、じっとマレーネを見てから、また母の胸元へ顔を戻した。

 

その様子を見て、ドズルは満を持したように言った。

 

「少し抱いてみてもよいか」

 

部屋の空気が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

ゼナが黙る。

 

ガルマが目を瞬く。

 

マレーネがゆっくりとドズルを見る。

 

ラルは顔色ひとつ変えなかったが、目だけがほんのわずかに動いた。

 

クラウレは一度だけ夫を見た。それからドズルへ視線を戻す。

 

「ええ、もちろん」

 

そう言って、慎重にシアーシャを差し出した。

 

ドズルは、大男にしては信じがたいほど慎重に腕を出した。爆薬でも受け取るような真剣さで、そっと、そっと抱き取る。

 

「よし」

 

低い声まで少し柔らかくしている。

 

「怖くないぞ」

 

シアーシャは抱き上げられたまま、じっとドズルの顔を見た。

 

大きい。

 

濃い。

 

傷まである。

 

眉も太い。

 

しかも嬉しそうに見つめ返してくる。

 

一拍。

 

そして。

 

「ふぇ……」

 

小さく歪んだ口が、次の瞬間には全力で開いた。

 

「うわああああああん!」

 

部屋の空気が固まる。

 

ドズルも固まる。

 

シアーシャは遠慮なく泣いた。顔を真っ赤にし、手足までばたつかせて泣いた。これ以上ないほど「いやだ」と全身で訴える泣き方だった。

 

「な、なぜだ!」

 

思わず出たドズルの大声に、シアーシャはさらに泣く。

 

ゼナが唇を噛む。

 

笑いをこらえているのが見え見えだった。

 

クラウレが一歩出ようとするが、ドズルは妙な意地を見せた。

 

「待て、まだだ。まだいける」

 

「兄上……」

 

ガルマが小さく言う。

 

ドズルは本気だった。

 

揺らし方を変える。

 

歩きながらあやす。

 

低い声で歌のようなものまで口にする。

 

「よ、よしよし、よーし……」

 

だが、シアーシャはやればやるほど泣いた。

 

むしろ、あやそうとする真剣さが怖いのか、どんどん声が大きくなる。

 

「うわあああん!」

 

「お、落ち着け! 俺は怖くない!」

 

「兄上、たぶんそれを大声で仰るのは……」

 

「ではどうしろと言うのだ!」

 

ガルマは助けようと一歩前へ出た。

 

「背を、こう……ゆっくり……」

 

ドズルは言われた通りにしてみる。

 

だが、巨体の手がごつごつと優しく動くほど、シアーシャは「違う」と言わんばかりに泣く。

 

マレーネが横で口を開いた。

 

「まず、そんなに近くで見つめない方がよろしいのではなくて?」

 

「見つめておらん!」

 

ドズルが反射で言い返す。

 

その大声で、シアーシャがまた一段大きく泣いた。

 

しかも、その泣き声につられたのか、今度は向こうのミネバまで「ふぇ」と顔を曇らせた。

 

ゼナの目が据わる。

 

「あなた」

 

低い。

 

とても低い。

 

ドズルが一瞬だけひるむ。

 

その間にもシアーシャは泣き続ける。

 

ラルは正面を向いたままだったが、肩がほんの少し揺れた。笑っているのだ。だが軍人の顔で耐えている。

 

クラウレも娘を取り返したいはずなのに、今のドズルの真剣さを見て、すぐには口を挟めずにいた。

 

マレーネが静かに一歩前へ出た。

 

「わたくしが抱いてもよろしいですか」

 

ドズルは一瞬だけ迷った。だが泣き声は止まらない。

 

「……頼む」

 

マレーネは落ち着いた手つきでシアーシャを受け取った。すると、泣き声はぴたりとは止まらないものの、さっきより少しだけ小さくなる。

 

「ほら、大丈夫ですわ」

 

穏やかな声。

 

細い腕。

 

柔らかい揺れ。

 

シアーシャはしゃくりあげながらも、なんとか泣き止みそうなところまで戻った。

 

そこへガルマが、おそるおそる近づいた。

 

「だ、大丈夫ですよ」

 

シアーシャは涙で濡れた目を上げて、ガルマの顔を見た。

 

止まった。

 

ぴたりと。

 

しゃくりあげるのも忘れたように、じっと見ている。

 

部屋がしんと静まる。

 

ガルマ本人が一番驚いた。

 

「え……」

 

マレーネはふっと笑う。

 

ゼナはとうとう顔を背けた。肩が震えている。

 

ドズルだけが納得していなかった。

 

「なぜだ」

 

本気の声だった。

 

ガルマは困りきった顔になる。

 

「い、いえ、私にも……」

 

「俺は何がいかんのだ!」

 

ラルはここでとうとう耐えきれず、口元を手で隠いた。笑いをこらえるのも限界らしい。

 

クラウレはようやく娘を受け取りながら、穏やかに言った。

 

「どうやら、好みがあるようでございます」

 

その言葉が、やわらかいのに妙に刺さる。

 

ドズルはまだ諦めきれない。

 

「ミネバは泣かんぞ」

 

すると、タイミングよくミネバが父を見てにこっと笑った。

 

ドズルの顔に希望が戻る。

 

「ほら見ろ!」

 

だがその瞬間、クラウレの腕の中のシアーシャが、ドズルの方を見てまた少しだけ顔を歪めた。

 

「ふ……」

 

「待て待て待て、見るな! 俺を見るな!」

 

慌てるドズルの声で、今度は部屋中が笑いに包まれた。

 

ゼナが涙を拭きながら言う。

 

「あなたは大きすぎるのです」

 

「そんな理由があるか」

 

「あります」

 

マレーネもくすくす笑いながらうなずく。

 

「ございますわ」

 

ガルマは、まだ少し信じられない顔でシアーシャを見ていた。シアーシャはもう泣いておらず、クラウレの腕の中から、なぜかガルマの方だけをじっと見ている。

 

ラルはようやく落ち着いて、低く咳払いをした。

 

「ドズル様」

 

「なんだ」

 

「戦場には向き不向きがございます」

 

一拍。

 

「子ども相手にも、同じことかと」

 

また笑いが起こる。

 

ドズルは不服そうに腕を組んだが、その顔に本気の悔しさが混じっているのが余計に可笑しい。

 

その日の夜更け。

 

部屋へ戻ったゼナが、机の上に並んだものを見て足を止めた。

 

熊のぬいぐるみ。

 

木彫りの動物。

 

鈴のついた布玉。

 

小さな菓子箱。

 

「あなた」

 

寝台の端に座っていたドズルが顔を上げる。

 

「なんだ」

 

「これは何ですか」

 

ドズルは少し視線を逸らした。

 

「……次のためだ」

 

ゼナはしばらく黙っていたが、やがて深く息をついた。

 

「そういう問題ではありません」

 

「ではどういう問題だ」

 

「まず顔です」

 

「顔」

 

「ええ、顔です」

 

ドズルは本気で考え込み、ゼナはその横でまた笑いをこらえた。

 

その頃、別室で眠るシアーシャは、何事もなかったようにすやすや眠っていた。

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