妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第149話 地球政府は何を失うのか

 

 

政務総監府の会議室には、朝から紙の匂いがこもっていた。

 

一晩で積み上がった報告書が、机の上を埋めている。宇宙港の出入記録、食料配給の増減、送金の偏り、移住申請の件数、サイドごとの工業部材の流れ。数字ばかりだが、今日はその数字が妙に人の顔をしていた。

 

壁際の時計が定刻を打つ。

 

内務、財務、法務、軍政、輸送、議会対策の実務官が席に着いた。正面の席にいる政務総監は、誰より先に一番薄い資料を手に取った。薄いものほど厄介だと知っている男の手つきだった。

 

「始めろ」

 

最初に立ったのは軍連絡官だった。

 

「サイド3の軍需生産は落ちていません。補修部材も、こちらが見込んだほどは詰まっていない状況です」

 

政務総監が眉を寄せる。

 

「どこから入っている」

 

「切り分けきれておりません。サイド5経由の荷に混じっています。民需用の外装材、配電部品、医療機材の箱に混ぜて通しています」

 

財務官僚が鼻で笑った。

 

「いつもの密輸だろう」

 

「密輸なら、もっと荒れます」

 

口を挟んだのは内務省の局長補佐だった。若いが、目の下に色がついている。昨夜ほとんど寝ていない顔だ。

 

「今回は港を出た人間が、その日のうちに住居へ入っています。三日後には職場へ入っている。家族帯同まで揃っています」

 

軍連絡官が資料をめくる手を止めた。

 

「何の話だ」

 

局長補佐は机の上へ別の紙を広げた。

 

「サイド6とサイド7の間で、技術者とその家族の移動が増えています」

 

「難民なら、港で滞留します。仮宿に溜まり、配給が遅れて揉める。今までずっとそうでした」

 

紙の数字を指でなぞる。

 

「ところが今回は違います。着いた日に住まいが決まり、翌日には子どもの受け入れ先が決まり、三日後には仕事が決まっている」

 

政務総監が資料を引き寄せた。

 

「それが何だ」

 

「港、住居、就業、医療、送金が、別々の窓口で動いていません」

 

局長補佐ははっきり言った。

 

「最初から一つにつながっています」

 

会議室が静かになる。

 

財務官僚が顔をしかめた。

 

「誰がそんな面倒なことを」

 

「それを調べているところです」

 

局長補佐は息を整えてから続けた。

 

「ですが、場当たりの密輸屋ではありません。名簿、家族構成、仕事、送り先の病院まで、先に揃っています」

 

政務総監は紙を置いた。

 

「軍の仕事ではないな」

 

返事をしたのは法務局長だった。

 

「反乱なら軍で足ります」

 

その声は乾いていた。

 

「だが、向こうが“自分たちで住まわせる”“自分たちで働かせる”“自分たちで食わせる”と言い出したら、軍では片づきません」

 

――――――

 

会議のあと、内務、法務、財務の実務官だけが別室へ移った。

 

扉が閉まるなり、法務局長が机の上へ資料を叩きつけた。

 

「反乱なら簡単なんだ」

 

財務次官補が顔をしかめる。

 

「簡単と言うな」

 

「簡単だ」

 

法務局長は言い切った。

 

「非常令を出して港を閉める。許可証を止める。軍を入れる。それで終わる」

 

内務局長が、積まれた資料の束を指で叩いた。

 

「今起きているのはそれじゃない」

 

「向こうは砲弾だけじゃない。配給台帳と住居名簿まで先に作っている」

 

財務次官補が送金表をめくる。

 

「こっちも見た。額は小さい。だが止まらない」

 

「同じ時刻に、違う名義から、同じ口座へずっと入っている」

 

法務局長が吐き捨てる。

 

「そうやって家賃と食費を回し始めたら終わりだ」

 

「港の許可も、住まいの登録も、食料の受け取りも、向こうで済むようになったら、こちらの判は通らなくなる」

 

内務局長が低く言った。

 

「軍が一度負けるのは、まだ取り返せる」

 

「住民票、配給、港湾許可を向こうで回され始めたら、あとから取り戻せない」

 

部屋の空気が重くなる。

 

財務次官補が苛立って椅子へ背を押しつけた。

 

「税だ」

 

「税さえ落ちれば政府は立つ」

 

内務局長は首を振る。

 

「税だけじゃ立たん」

 

「住民に“ここへ出せば通る”と思われて、初めて政府だ」

 

法務局長が続ける。

 

「向こうで契約が通り、向こうで就業が決まり、向こうで家族が住み始めたら、連邦法は紙切れになる」

 

誰もすぐには言い返さなかった。

 

その言葉が、あまりにも具体的だったからだ。

 

――――――

 

軍務省の地下会議室では、別の種類の声が上がっていた。

 

壁一面の宇宙地図に、サイド3、5、6、7と、その間をつなぐ航路が赤と青で書き込まれている。青は現状の商路、赤は軍が押さえたい線だ。

 

ジーン・コリニー中将は地図の前に立ったまま言った。

 

「感情で艦隊は動かせん」

 

それが最初の言葉だった。

 

「だが、取り返す準備はいる」

 

コーウェン准将が一歩前へ出る。

 

「どこから始めますか」

 

「宇宙港だ」

 

コリニーは迷わない。

 

「港を押さえる。次に補給路。最後に居住区へ入る」

 

若い将官の一人が口を挟む。

 

「議会は大攻勢を望んでいます」

 

「議会は砲弾を運ばん」

 

コリニーは振り向いた。

 

声は高くない。だが、会議室の空気が一段冷える。

 

「港を取れずに大攻勢をやれば、死体だけ増える」

 

地図の一角、サイド6寄りの中継港を指で叩く。

 

「向こうが住み、食い、働く流れを作っているなら、まず閉めるべきはここだ」

 

「艦隊をぶつける前に、ここの入出港をこちらの都合で止められる形へ戻せ」

 

若い将官はなお不満げだ。

 

「そんな順番を踏んでいる間に、向こうは固まります」

 

コリニーはまっすぐ見返した。

 

「だから順番を間違えるなと言っている」

 

「港を取らずに叫ぶな」

 

コーウェンが横から補う。

 

「港を取っても、次に燃料、補修部材、駐留兵の食料が届かなければ一週間で崩れます」

 

「輸送の骨を先に組ませてください」

 

コリニーはうなずく。

 

「やれ」

 

「はい」

 

コーウェンの返事は短かった。

 

――――――

 

会議後の廊下で、ジャミトフ・ハイマン大佐が壁際に立っていた。

 

初めから終わる時間を見ていた顔だった。

 

バスク・オム少佐は会議室から出るなり、苛立ちを隠さなかった。だが、相手が誰かは分かっている。声は荒くならない。荒くできない。

 

「遅い、とは思います」

 

ジャミトフは眉一つ動かさない。

 

「何がだ」

 

「港です。補給です。順番は理解しています」

 

バスクは言った。

 

「ですが、その間にも向こうは人を集め、足場を固めています」

 

ジャミトフは歩き出した。バスクは半歩後ろにつく。

 

「港の頭上へ艦を並べ、商船を止めるだけなら三日でできる」

 

そこで一拍置く。

 

「三日で終わる」

 

バスクは黙った。

 

ジャミトフは続ける。

 

「見せつけるだけなら早い。だが、燃料が尽き、補修が詰まり、港湾記録が向こうの手に残ったままなら、その三日が終わった時点でこちらが詰む」

 

バスクは低く言う。

 

「ですが、待てば向こうに時間を与えます」

 

「だから先に縛る」

 

ジャミトフの声は変わらない。

 

「宇宙港警備再建委員会を作る。帰還兵管理を通す。広域輸送監視の予算を押さえる。宇宙系住民の登録を洗う」

 

「船を止める前に、人を動けなくする」

 

バスクの顔がわずかにしかめられる。

 

「……役所仕事ですな」

 

ジャミトフはそこでようやく横目を向けた。

 

「役所が人を殺す」

 

低い声だった。

 

「申請を止める。予算を絞る。登録を遅らせる。それだけで家族は動けん」

 

「お前は最後に出ればいい」

 

バスクは一瞬だけ口を閉ざした。

 

返す言葉はある。だが、返しても覆らないことも分かっている。

 

ジャミトフはさらに言う。

 

「現場の空気はお前が動かせ」

 

「帰還兵、治安隊、港湾警備、あの辺りに“このままではまずい”と思わせろ」

 

「帳簿と登録はこっちで締める」

 

バスクは短く息を吐いた。

 

「了解しました」

 

ジャミトフはもうそれ以上説明しない。

 

「議会の空気が熱いうちに通す」

 

「委員会が通れば、後は名前のある仕事になる。そうなれば文官も逃げられん」

 

バスクはうなずく。

 

「強い地球派の議員どもは使えますか」

 

「使える」

 

ジャミトフは即答した。

 

「だから使う」

 

廊下の角へ差しかかったところで、ジャミトフは足を止めずに最後に言った。

 

「お前は前に出たがる」

 

「悪いことではない。だが、前に出る前に後ろを固めろ」

 

「前だけで押せば、押した先で折れる」

 

バスクはまっすぐ前を見たまま答える。

 

「承知しました」

 

ジャミトフはそれで十分だというように、歩き去った。

 

バスクはその背中を見送らなかった。

 

見送る代わりに、窓の外の暗い空を一度だけ見た。

 

向こうはもう、人を集めている。

 

なら、こちらは人を動けなくする。

 

そのやり方が気に入るかどうかは、いまは問題ではなかった。

 

――――――

 

下院別館の小会議室では、別の熱が渦を巻いていた。

 

選挙で議席を増やした強い地球派の議員たちが円卓を囲んでいる。その端には軍需企業の代表も座っていた。

 

議員の一人が机を叩く。

 

「議席は取ったんだ」

 

「なのに政府はまだ様子見か」

 

別の議員も続く。

 

「宇宙を失って、今度は港まで好きにさせるのか」

 

「地球政府って何なんだ」

 

軍需企業の代表が紙をめくりながら言う。

 

「感情で契約は動きません」

 

机を叩いた議員が即座に返す。

 

「だったら動く名目を作れ」

 

「治安再建、宇宙港防備、広域輸送監視、何でもいい」

 

代表は表情を変えない。

 

「予算がつくなら、警備車両も通信機器も港湾用の監視装備も出せます」

 

「ただし、政府委員会の承認が先です」

 

議員が身を乗り出す。

 

「なら委員会を作らせる」

 

「軍務委員会と治安委員会なら押し切れる。数はある」

 

その一言で、空気が変わった。

 

彼らはもう不満を述べるだけではない。金と名目と手続を結びつけ始めている。

 

代表が静かに言う。

 

「では、港湾警備再編案と監視装備の見積もりを先に出します」

 

「通る形にしてください」

 

議員は短く答えた。

 

「通す」

 

――――――

 

午後遅く、政務総監はごく少人数だけを残して別室に移った。

 

窓のない部屋に残ったのは、総監と首席補佐官、それに内務と財務の二人だけだ。

 

総監は先ほどの資料をもう一度見ながら言った。

 

「宇宙を取り返せるかどうかだけの話じゃない」

 

誰も口を挟まない。

 

「宇宙の港で押した許可証が効かなくなれば、こっちは地球の役所でしかなくなる」

 

首席補佐官が慎重に聞く。

 

「それほどですか」

 

総監は苛立ったように紙を机へ置いた。

 

「港を取られたまま、税も流れ、人も向こうで回り始めたら、地球政府は何をしている組織になる」

 

「軍が負けるのは一度で済む」

 

そこで声が低くなる。

 

「行政が負けたら、毎日負ける」

 

内務局長は唇を結んだ。

 

財務次官補は資料の端を握りしめたまま動かない。

 

総監はさらに言う。

 

「宇宙を全部取り返せとは言わん」

 

「だが、港、配給、送金、住居の四つを向こうだけで回させるな」

 

「それをやられたら、地球の政府でいる意味がなくなる」

 

その声には、怒りよりも恐れがあった。

 

――――――

 

夕刻、財務と法務の合同打ち合わせは、会議というより愚痴に近かった。

 

だが愚痴ほど本音が出る。

 

財務次官補が資料をめくる。

 

「表の予算では説明がつかん」

 

「小口の送金が妙に滑らかすぎる」

 

法務参事官が横から別の紙を差し出す。

 

「契約書式も妙です」

 

「連邦法の穴を踏まえた書き方をしている」

 

「その場の密輸屋に、こんな紙は作れません」

 

部屋が少し静かになる。

 

年長の法務官僚が眼鏡を外しながら言う。

 

「……ビストか」

 

すぐには誰も答えない。

 

否定も肯定もできないからだ。

 

財務次官補が吐き捨てる。

 

「軍だけじゃない」

 

「金と紙も向こうへ流れている」

 

法務参事官が続ける。

 

「軍の勝ち負けは軍が片づける」

 

「こっちは、その後に連邦の届出なしで暮らす人間が増えるのが一番まずい」

 

誰かが小さく舌打ちした。

 

その音だけがやけに大きく聞こえた。

 

――――――

 

夜に入ってから開かれた合同調整会議は、最初から噛み合わなかった。

 

政府は自治要求を潰す話をする。

 

軍は港を押さえる話をする。

 

強硬派は見せしめを欲しがる。

 

全員が「反攻」と言っているのに、中身が違う。

 

コリニー中将がついに机を叩いた。

 

「言葉が違う」

 

全員が黙る。

 

「お前たちは同じ“反攻”と言っているが、中身がばらばらだ」

 

誰も返せない。

 

コリニーは一人ずつ見るように視線を動かした。

 

「軍は港を取る」

 

「政府は住民管理を戻す」

 

「治安は後ろを締める」

 

「順番を一つにしろ」

 

さらに低く言う。

 

「港は取れず、住民台帳は戻らず、議会だけが騒ぐ。その形になれば負けだ」

 

強硬派議員の一人が不満そうに口を開いた。

 

「だが、今のままでは弱腰に見える」

 

コリニーは即座に返した。

 

「弱腰に見えることと、実際に負けること、どちらがまずい」

 

議員は黙る。

 

ジャミトフはそのやり取りを椅子の背にもたれたまま聞いていた。顔には何も出していない。だが、指先だけが机の端を一定の間隔で叩いている。

 

会議が散ったあと、ジャミトフは副官へ短く命じた。

 

「委員会案を前倒ししろ」

 

「宇宙港警備再編、帰還兵管理、住民登録の三つだ」

 

「議会の空気が熱いうちに通す」

 

副官は頷いた。

 

ジャミトフは廊下の窓から外を見た。

 

地球の夜だ。

 

星は見えない。

 

だが、いま自分が相手にしているのは宇宙の艦ではなく、地球側の怯えだと分かっていた。

 

怯えた行政は、最もよく人を縛る。

 

――――――

 

深夜近く、政務総監の机の上には、宇宙の行政区分図が広げられていた。

 

サイド3。

 

サイド5。

 

サイド6。

 

サイド7。

 

今までは、離れた反乱地域にしか見えなかった印が、今夜は細い線でつながっているように見える。

 

軍需。

 

物流。

 

移住。

 

決済。

 

住居。

 

数字で見れば、それだけだ。

 

だが、それだけで十分だった。

 

「艦隊だけじゃないのか」

 

総監が小さく言う。

 

返す者はいない。

 

もう一枚、別の紙が机に置かれる。

 

移住者数の推移、港湾利用記録、生活物資の受け入れ先、送金の分散表。

 

軍の報告書ではない。

 

だが、これが回り始めれば政府は薄くなる。

 

総監はその紙をしばらく見たあと、ゆっくりと折りたたんだ。

 

連邦政府が恐れているのは、ジオンの艦隊だけではなかった。

 

宇宙側が、自分たちで食い、住み、動き、決める形を持ち始めることだった。

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