政務総監府の会議室には、朝から紙の匂いがこもっていた。
一晩で積み上がった報告書が、机の上を埋めている。宇宙港の出入記録、食料配給の増減、送金の偏り、移住申請の件数、サイドごとの工業部材の流れ。数字ばかりだが、今日はその数字が妙に人の顔をしていた。
壁際の時計が定刻を打つ。
内務、財務、法務、軍政、輸送、議会対策の実務官が席に着いた。正面の席にいる政務総監は、誰より先に一番薄い資料を手に取った。薄いものほど厄介だと知っている男の手つきだった。
「始めろ」
最初に立ったのは軍連絡官だった。
「サイド3の軍需生産は落ちていません。補修部材も、こちらが見込んだほどは詰まっていない状況です」
政務総監が眉を寄せる。
「どこから入っている」
「切り分けきれておりません。サイド5経由の荷に混じっています。民需用の外装材、配電部品、医療機材の箱に混ぜて通しています」
財務官僚が鼻で笑った。
「いつもの密輸だろう」
「密輸なら、もっと荒れます」
口を挟んだのは内務省の局長補佐だった。若いが、目の下に色がついている。昨夜ほとんど寝ていない顔だ。
「今回は港を出た人間が、その日のうちに住居へ入っています。三日後には職場へ入っている。家族帯同まで揃っています」
軍連絡官が資料をめくる手を止めた。
「何の話だ」
局長補佐は机の上へ別の紙を広げた。
「サイド6とサイド7の間で、技術者とその家族の移動が増えています」
「難民なら、港で滞留します。仮宿に溜まり、配給が遅れて揉める。今までずっとそうでした」
紙の数字を指でなぞる。
「ところが今回は違います。着いた日に住まいが決まり、翌日には子どもの受け入れ先が決まり、三日後には仕事が決まっている」
政務総監が資料を引き寄せた。
「それが何だ」
「港、住居、就業、医療、送金が、別々の窓口で動いていません」
局長補佐ははっきり言った。
「最初から一つにつながっています」
会議室が静かになる。
財務官僚が顔をしかめた。
「誰がそんな面倒なことを」
「それを調べているところです」
局長補佐は息を整えてから続けた。
「ですが、場当たりの密輸屋ではありません。名簿、家族構成、仕事、送り先の病院まで、先に揃っています」
政務総監は紙を置いた。
「軍の仕事ではないな」
返事をしたのは法務局長だった。
「反乱なら軍で足ります」
その声は乾いていた。
「だが、向こうが“自分たちで住まわせる”“自分たちで働かせる”“自分たちで食わせる”と言い出したら、軍では片づきません」
――――――
会議のあと、内務、法務、財務の実務官だけが別室へ移った。
扉が閉まるなり、法務局長が机の上へ資料を叩きつけた。
「反乱なら簡単なんだ」
財務次官補が顔をしかめる。
「簡単と言うな」
「簡単だ」
法務局長は言い切った。
「非常令を出して港を閉める。許可証を止める。軍を入れる。それで終わる」
内務局長が、積まれた資料の束を指で叩いた。
「今起きているのはそれじゃない」
「向こうは砲弾だけじゃない。配給台帳と住居名簿まで先に作っている」
財務次官補が送金表をめくる。
「こっちも見た。額は小さい。だが止まらない」
「同じ時刻に、違う名義から、同じ口座へずっと入っている」
法務局長が吐き捨てる。
「そうやって家賃と食費を回し始めたら終わりだ」
「港の許可も、住まいの登録も、食料の受け取りも、向こうで済むようになったら、こちらの判は通らなくなる」
内務局長が低く言った。
「軍が一度負けるのは、まだ取り返せる」
「住民票、配給、港湾許可を向こうで回され始めたら、あとから取り戻せない」
部屋の空気が重くなる。
財務次官補が苛立って椅子へ背を押しつけた。
「税だ」
「税さえ落ちれば政府は立つ」
内務局長は首を振る。
「税だけじゃ立たん」
「住民に“ここへ出せば通る”と思われて、初めて政府だ」
法務局長が続ける。
「向こうで契約が通り、向こうで就業が決まり、向こうで家族が住み始めたら、連邦法は紙切れになる」
誰もすぐには言い返さなかった。
その言葉が、あまりにも具体的だったからだ。
――――――
軍務省の地下会議室では、別の種類の声が上がっていた。
壁一面の宇宙地図に、サイド3、5、6、7と、その間をつなぐ航路が赤と青で書き込まれている。青は現状の商路、赤は軍が押さえたい線だ。
ジーン・コリニー中将は地図の前に立ったまま言った。
「感情で艦隊は動かせん」
それが最初の言葉だった。
「だが、取り返す準備はいる」
コーウェン准将が一歩前へ出る。
「どこから始めますか」
「宇宙港だ」
コリニーは迷わない。
「港を押さえる。次に補給路。最後に居住区へ入る」
若い将官の一人が口を挟む。
「議会は大攻勢を望んでいます」
「議会は砲弾を運ばん」
コリニーは振り向いた。
声は高くない。だが、会議室の空気が一段冷える。
「港を取れずに大攻勢をやれば、死体だけ増える」
地図の一角、サイド6寄りの中継港を指で叩く。
「向こうが住み、食い、働く流れを作っているなら、まず閉めるべきはここだ」
「艦隊をぶつける前に、ここの入出港をこちらの都合で止められる形へ戻せ」
若い将官はなお不満げだ。
「そんな順番を踏んでいる間に、向こうは固まります」
コリニーはまっすぐ見返した。
「だから順番を間違えるなと言っている」
「港を取らずに叫ぶな」
コーウェンが横から補う。
「港を取っても、次に燃料、補修部材、駐留兵の食料が届かなければ一週間で崩れます」
「輸送の骨を先に組ませてください」
コリニーはうなずく。
「やれ」
「はい」
コーウェンの返事は短かった。
――――――
会議後の廊下で、ジャミトフ・ハイマン大佐が壁際に立っていた。
初めから終わる時間を見ていた顔だった。
バスク・オム少佐は会議室から出るなり、苛立ちを隠さなかった。だが、相手が誰かは分かっている。声は荒くならない。荒くできない。
「遅い、とは思います」
ジャミトフは眉一つ動かさない。
「何がだ」
「港です。補給です。順番は理解しています」
バスクは言った。
「ですが、その間にも向こうは人を集め、足場を固めています」
ジャミトフは歩き出した。バスクは半歩後ろにつく。
「港の頭上へ艦を並べ、商船を止めるだけなら三日でできる」
そこで一拍置く。
「三日で終わる」
バスクは黙った。
ジャミトフは続ける。
「見せつけるだけなら早い。だが、燃料が尽き、補修が詰まり、港湾記録が向こうの手に残ったままなら、その三日が終わった時点でこちらが詰む」
バスクは低く言う。
「ですが、待てば向こうに時間を与えます」
「だから先に縛る」
ジャミトフの声は変わらない。
「宇宙港警備再建委員会を作る。帰還兵管理を通す。広域輸送監視の予算を押さえる。宇宙系住民の登録を洗う」
「船を止める前に、人を動けなくする」
バスクの顔がわずかにしかめられる。
「……役所仕事ですな」
ジャミトフはそこでようやく横目を向けた。
「役所が人を殺す」
低い声だった。
「申請を止める。予算を絞る。登録を遅らせる。それだけで家族は動けん」
「お前は最後に出ればいい」
バスクは一瞬だけ口を閉ざした。
返す言葉はある。だが、返しても覆らないことも分かっている。
ジャミトフはさらに言う。
「現場の空気はお前が動かせ」
「帰還兵、治安隊、港湾警備、あの辺りに“このままではまずい”と思わせろ」
「帳簿と登録はこっちで締める」
バスクは短く息を吐いた。
「了解しました」
ジャミトフはもうそれ以上説明しない。
「議会の空気が熱いうちに通す」
「委員会が通れば、後は名前のある仕事になる。そうなれば文官も逃げられん」
バスクはうなずく。
「強い地球派の議員どもは使えますか」
「使える」
ジャミトフは即答した。
「だから使う」
廊下の角へ差しかかったところで、ジャミトフは足を止めずに最後に言った。
「お前は前に出たがる」
「悪いことではない。だが、前に出る前に後ろを固めろ」
「前だけで押せば、押した先で折れる」
バスクはまっすぐ前を見たまま答える。
「承知しました」
ジャミトフはそれで十分だというように、歩き去った。
バスクはその背中を見送らなかった。
見送る代わりに、窓の外の暗い空を一度だけ見た。
向こうはもう、人を集めている。
なら、こちらは人を動けなくする。
そのやり方が気に入るかどうかは、いまは問題ではなかった。
――――――
下院別館の小会議室では、別の熱が渦を巻いていた。
選挙で議席を増やした強い地球派の議員たちが円卓を囲んでいる。その端には軍需企業の代表も座っていた。
議員の一人が机を叩く。
「議席は取ったんだ」
「なのに政府はまだ様子見か」
別の議員も続く。
「宇宙を失って、今度は港まで好きにさせるのか」
「地球政府って何なんだ」
軍需企業の代表が紙をめくりながら言う。
「感情で契約は動きません」
机を叩いた議員が即座に返す。
「だったら動く名目を作れ」
「治安再建、宇宙港防備、広域輸送監視、何でもいい」
代表は表情を変えない。
「予算がつくなら、警備車両も通信機器も港湾用の監視装備も出せます」
「ただし、政府委員会の承認が先です」
議員が身を乗り出す。
「なら委員会を作らせる」
「軍務委員会と治安委員会なら押し切れる。数はある」
その一言で、空気が変わった。
彼らはもう不満を述べるだけではない。金と名目と手続を結びつけ始めている。
代表が静かに言う。
「では、港湾警備再編案と監視装備の見積もりを先に出します」
「通る形にしてください」
議員は短く答えた。
「通す」
――――――
午後遅く、政務総監はごく少人数だけを残して別室に移った。
窓のない部屋に残ったのは、総監と首席補佐官、それに内務と財務の二人だけだ。
総監は先ほどの資料をもう一度見ながら言った。
「宇宙を取り返せるかどうかだけの話じゃない」
誰も口を挟まない。
「宇宙の港で押した許可証が効かなくなれば、こっちは地球の役所でしかなくなる」
首席補佐官が慎重に聞く。
「それほどですか」
総監は苛立ったように紙を机へ置いた。
「港を取られたまま、税も流れ、人も向こうで回り始めたら、地球政府は何をしている組織になる」
「軍が負けるのは一度で済む」
そこで声が低くなる。
「行政が負けたら、毎日負ける」
内務局長は唇を結んだ。
財務次官補は資料の端を握りしめたまま動かない。
総監はさらに言う。
「宇宙を全部取り返せとは言わん」
「だが、港、配給、送金、住居の四つを向こうだけで回させるな」
「それをやられたら、地球の政府でいる意味がなくなる」
その声には、怒りよりも恐れがあった。
――――――
夕刻、財務と法務の合同打ち合わせは、会議というより愚痴に近かった。
だが愚痴ほど本音が出る。
財務次官補が資料をめくる。
「表の予算では説明がつかん」
「小口の送金が妙に滑らかすぎる」
法務参事官が横から別の紙を差し出す。
「契約書式も妙です」
「連邦法の穴を踏まえた書き方をしている」
「その場の密輸屋に、こんな紙は作れません」
部屋が少し静かになる。
年長の法務官僚が眼鏡を外しながら言う。
「……ビストか」
すぐには誰も答えない。
否定も肯定もできないからだ。
財務次官補が吐き捨てる。
「軍だけじゃない」
「金と紙も向こうへ流れている」
法務参事官が続ける。
「軍の勝ち負けは軍が片づける」
「こっちは、その後に連邦の届出なしで暮らす人間が増えるのが一番まずい」
誰かが小さく舌打ちした。
その音だけがやけに大きく聞こえた。
――――――
夜に入ってから開かれた合同調整会議は、最初から噛み合わなかった。
政府は自治要求を潰す話をする。
軍は港を押さえる話をする。
強硬派は見せしめを欲しがる。
全員が「反攻」と言っているのに、中身が違う。
コリニー中将がついに机を叩いた。
「言葉が違う」
全員が黙る。
「お前たちは同じ“反攻”と言っているが、中身がばらばらだ」
誰も返せない。
コリニーは一人ずつ見るように視線を動かした。
「軍は港を取る」
「政府は住民管理を戻す」
「治安は後ろを締める」
「順番を一つにしろ」
さらに低く言う。
「港は取れず、住民台帳は戻らず、議会だけが騒ぐ。その形になれば負けだ」
強硬派議員の一人が不満そうに口を開いた。
「だが、今のままでは弱腰に見える」
コリニーは即座に返した。
「弱腰に見えることと、実際に負けること、どちらがまずい」
議員は黙る。
ジャミトフはそのやり取りを椅子の背にもたれたまま聞いていた。顔には何も出していない。だが、指先だけが机の端を一定の間隔で叩いている。
会議が散ったあと、ジャミトフは副官へ短く命じた。
「委員会案を前倒ししろ」
「宇宙港警備再編、帰還兵管理、住民登録の三つだ」
「議会の空気が熱いうちに通す」
副官は頷いた。
ジャミトフは廊下の窓から外を見た。
地球の夜だ。
星は見えない。
だが、いま自分が相手にしているのは宇宙の艦ではなく、地球側の怯えだと分かっていた。
怯えた行政は、最もよく人を縛る。
――――――
深夜近く、政務総監の机の上には、宇宙の行政区分図が広げられていた。
サイド3。
サイド5。
サイド6。
サイド7。
今までは、離れた反乱地域にしか見えなかった印が、今夜は細い線でつながっているように見える。
軍需。
物流。
移住。
決済。
住居。
数字で見れば、それだけだ。
だが、それだけで十分だった。
「艦隊だけじゃないのか」
総監が小さく言う。
返す者はいない。
もう一枚、別の紙が机に置かれる。
移住者数の推移、港湾利用記録、生活物資の受け入れ先、送金の分散表。
軍の報告書ではない。
だが、これが回り始めれば政府は薄くなる。
総監はその紙をしばらく見たあと、ゆっくりと折りたたんだ。
連邦政府が恐れているのは、ジオンの艦隊だけではなかった。
宇宙側が、自分たちで食い、住み、動き、決める形を持ち始めることだった。