妹に撃たれない方法   作:Brooks

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トニーたけざきがきっと降臨したんや⋯


第152話 笑ってはいけないアムロの八時間

 

 

フラウ・ボゥが朝いちばんにしたことは、教室へ入る前にハヤトとカイを捕まえることだった。

 

「先に言っとくけど、今日は絶対に笑わないで」

 

ハヤトが瞬きをした。

 

「何を」

 

「アムロのこと」

 

カイが半分だけ口を開けて、それからすぐ嫌な顔で笑いを飲み込んだ。

 

「いや待て。もうその言い方の時点で危ないだろ」

 

「危なくても駄目」

 

フラウは真顔だった。

 

昨日の帰り道のことが、まだ頭に残っていた。

 

あの子は、たぶん本気で言っていた。

 

学校とか、通学路とか、昼ごはんとか、そういうものがなくなるかもしれないと思っている顔だった。

 

だから、本人の前で笑うのは違う。

 

違うのだけれど。

 

「でもさ」

 

ハヤトが小さく言う。

 

「昨日の最後の『努力する』は、ちょっと危なかったよね」

 

「危なかったけど、駄目」

 

「無茶言うなあ」

 

カイが肩をすくめる。

 

「じゃあ今日は何だ。耐久訓練か」

 

フラウは両手を胸の前で組んだ。

 

「そう。今日は八時間。誰も笑わない。分かった?」

 

ハヤトは観念したようにうなずいた。

 

「分かった」

 

カイは天井を見上げてから言った。

 

「……死ぬかもしれん」

 

その時、後ろの廊下から足音がした。

 

三人がそろって振り向く。

 

アムロだった。

 

いつもより少し早い。いつもより少しきちんとしている。髪も跳ねていない。鞄もちゃんと閉まっている。

 

それだけなら、まだよかった。

 

アムロは教室の戸口で立ち止まると、中を一目見てから言った。

 

「今日は早いな。朝のうちに来ると、机の上が散ってなくて楽だ」

 

三人とも、そこでいきなり下を向いた。

 

早すぎる。

 

始業前だ。

 

まだ一時間も経っていない。

 

ハヤトが咳払いをする。フラウは机の端をつかむ。カイは窓の外を向いて肩を震わせた。

 

アムロは何も知らない顔で、自分の席に鞄を置いた。

 

「何だよ」

 

「何でもない!」

 

フラウが少し強く言ってしまい、アムロが怪訝そうに眉を寄せる。

 

その顔を見て、フラウは慌てて目を逸らした。

 

駄目だ。

 

今日は本当に長い一日になる。

 

一時間目の前、先生が大きな束のプリントを抱えて入ってきた。

 

「今日は配るものが多いぞ。後ろから回せ」

 

そう言って机に置いた瞬間、端の何枚かがばさりと落ちた。

 

前なら、誰かが笑って、誰かが拾って、少しばたついて終わる程度のことだ。

 

今日はアムロがすっと立った。

 

落ちた紙を拾い、机の端で角を揃え、クラスの列をひと目見てから、一番早い順に配り始める。

 

無駄がない。

 

「前から二列、こっち。後ろはそこから回せ」

 

先生が一瞬だけ動きを止めた。

 

「……助かる」

 

アムロはうなずく。

 

「後回しにすると、こういうのはもっと散らかるから」

 

カイが口を押さえて机に突っ伏した。

 

フラウは反射的にその背中を叩く。

 

「ちょっと!」

 

「今のは無理だろ……」

 

「駄目だって言ったでしょ」

 

ハヤトは顔を伏せたまま、小さく震えていた。

 

先生はそんな三人に気づかず、配られたプリントを見て言う。

 

「今日は資源管理の補助資料だ。失くすなよ」

 

その時、アムロが小さく付け足した。

 

「紙は端を揃えて鞄に入れた方がいい。後で探さなくて済む」

 

今度は教室のあちこちから妙な音がした。

 

机に額が落ちる音。

 

椅子が鳴る音。

 

咳払いが連鎖する音。

 

先生だけが首をかしげている。

 

「お前たち、風邪か」

 

「違います!」

 

とっさにフラウが答えてしまい、余計におかしくなった。

 

二時間目は数学だった。

 

ハヤトが消しゴムを落とした。

 

アムロが拾って渡す。

 

「ありがと」

 

「物は落とした時より、探す時の方が時間を食うからな」

 

ハヤトの顔が、ぶわっと歪んだ。

 

フラウはもう駄目だと思った。

 

でもハヤトは両手で口を押さえたまま、肩だけで耐えた。えらい。すごくえらい。そう思った瞬間、フラウまで少しおかしくなった。

 

カイは後ろの席で、わざとノートに何か書いているふりをしていた。たぶん「落とした時より探す時」とか書いている。

 

先生が黒板に式を書きながら振り返る。

 

「カイ、何を書いている」

 

「人生です」

 

教室が危うかった。

 

先生は呆れた顔をしただけだったが、フラウはもう駄目かと思った。

 

アムロだけが普通にノートを取っていた。

 

三時間目の前の短い休み時間、教室の窓が半分開いたままになっていた。

 

風が入って、何人かが「寒い」と言い始める。

 

アムロが立ち上がって窓へ行き、外を一度だけ見てから閉めた。

 

「冷えるぞ」

 

たったそれだけだった。

 

たったそれだけなのに、カイがとうとう机に顔を埋めた。

 

「終わった……」

 

「まだ三時間目にもなってないでしょ」

 

フラウが囁くと、カイは顔を上げずに言った。

 

「もう無理だ。あれは完全に、工場の休憩室で言うやつだ」

 

ハヤトが真面目な顔で頷く。

 

「分かる」

 

「分かるんじゃない!」

 

フラウもだんだん自分の役目が怪しくなってきていた。

 

アムロが席へ戻ってくる。

 

「何やってるんだ、お前ら」

 

「何でもない」

 

三人がそろって答えたせいで、余計に怪しかった。

 

昼休みがいちばん危なかった。

 

フラウは朝からそれを分かっていた。

 

食べ物の前で、今のアムロはよくない。

 

案の定、四人で机を寄せた途端に始まった。

 

ハヤトが弁当箱を開けながら、「今日は母さんが寝坊してさ」と言う。

 

カイがパンの袋を破りながら、「俺なんか売れ残りだぞ」とぼやく。

 

アムロは自分の昼食を見て、一言。

 

「温かいものは温かいうちに食べた方がいい」

 

フラウは箸を止めた。

 

カイはパンをくわえたまま固まった。

 

ハヤトはうつむいた。

 

アムロは気づかない。

 

「冷めると味も落ちるし、食う気も失せるだろ」

 

カイが机に額をぶつけた。

 

鈍い音がした。

 

「カイ!」

 

「今のは反則だ……」

 

ハヤトが真面目に言う。

 

「アムロ、お前その言い方、すごく」

 

言いかけて、ハヤトはフラウに睨まれて口を閉じた。

 

アムロが顔を上げる。

 

「何だよ」

 

「何でもない!」

 

今度はハヤトが叫んだ。

 

フラウはもう、笑うのを止めるので精いっぱいだった。

 

その時、隣の席の男子が困った顔で割って入ってきた。

 

「なあ、アムロ」

 

「何」

 

「購買でパン二つ買ったら、一つ潰れてたんだけど、交換ってしてもらえるかな」

 

フラウは意味が分からなかった。

 

何でアムロに聞くの。

 

だがアムロは考えてしまう。

 

「レシートあるか」

 

男子が「ある」と言う。

 

「じゃあ行けるだろ。昼のうちならまだ残ってるはずだ」

 

カイがもう完全に耐えていなかった。

 

「先生……」

 

「やめろ」

 

アムロが本気で嫌そうに言う。

 

そこへ別の子が来る。

 

「アムロ、次の席替えで窓際行きたいんだけど、先生にどう言えばいいと思う?」

 

「何で俺に聞くんだ」

 

「何か分かりそうだから」

 

さらに女子が一人、フラウの方を見てからアムロを見る。

 

「さっきフラウが怒ってたけど、あれ私のせいかな」

 

「怒ってない!」

 

フラウが即座に言う。

 

カイが机を叩いた。

 

「ほら来た。先生、仲裁」

 

アムロは額を押さえた。

 

「俺は何なんだよ……」

 

それが今日いちばん人間らしい声で、三人とも一度だけ本気で安心した。

 

安心したせいで、余計に笑いそうになった。

 

午後の実技は設備模型の組み立てだった。

 

班ごとに簡単な搬送路模型を作る授業で、説明書どおりに組めば誰でもできる。誰でもできるはずなのに、何故か毎回ねじが余り、板が曲がり、最後に誰かが押し込んで終わる。

 

先生が班分けを告げると、ほとんど反射で何人かがアムロの周りへ寄った。

 

「アムロ、こっち」

 

「先生こっち」

 

「だからやめろ」

 

アムロは顔をしかめたが、すでに遅い。

 

模型の板を前にした途端、班の連中が次々に聞いてくる。

 

「これどっち向き?」

 

「そこ先に締めると後でずれる」

 

「先生、ハヤトが勝手に進める」

 

「俺は勝手じゃないって!」

 

「先生、カイが手を動かさない」

 

「俺は監督だ」

 

「口じゃなく手を動かせ」

 

アムロが真顔で言ってしまい、その瞬間、班全体が終わった。

 

フラウは目を閉じた。

 

駄目だ。もう駄目だ。

 

だが誰も大声では笑わない。肩を震わせ、机の陰に隠れ、唇を噛んで耐えている。

 

昨日のフラウの「笑っちゃだめ」が、妙なところで効いていた。

 

先生が見回りに来て、アムロの班だけ進みが異様に早いのを見て言う。

 

「ここは早いな」

 

カイがぼそっと呟いた。

 

「担任と副担任がいますから」

 

ハヤトが肘で思いきり小突いた。

 

先生は何も聞こえなかったらしい。模型を見て「うん」と頷き、次の班へ行った。

 

フラウはその横顔を見ながら、昨日とは違うことに気づいていた。

 

昨日は本当に少し怖かった。

 

今日は、怖いままじゃない。

 

変なまま、ちゃんと同じ教室の中へ戻ってきている。

 

六時間目の終わり頃には、もうクラス中がこの遊びを共有していた。

 

誰も「笑ってはいけない」とは言わない。

 

でも、アムロが何か言うたびに、空気だけが一斉に耐える。

 

先生本人まで少し乗ってきた。

 

「次の資料を配るぞ」

 

そう言って一度手を止める。

 

教室が、妙な期待で静かになる。

 

先生は少し考えてから、半笑いで言った。

 

「……アムロ、手伝ってくれ」

 

教室がどっと崩れた。

 

アムロだけが本気で嫌そうな顔をした。

 

「何でですか」

 

「手際がいいからだ」

 

先生までそれを言うのか、とフラウは思った。

 

でもアムロは結局立って、資料を配る。やっぱり早い。やっぱり無駄がない。

 

そのたびに教室のあちこちから、もう駄目な人の気配がした。

 

一日の終わりに来て、全員限界が近い。

 

放課後、教室の掃除中に小さな揉め事が起きた。

 

本当に小さいことだった。

 

男子二人が、雑巾を先に使っただの机を戻してないだので言い合いを始めたのだ。

 

前なら、誰かが「やめろよ」で済む程度の話だった。

 

今日は誰かが言った。

 

「アムロ呼べ」

 

終わりだった。

 

「呼ぶな!」

 

アムロ本人が一番強く否定した。

 

でももう遅い。

 

二人とも半分本気、半分甘えた顔でこっちを見る。

 

アムロはしばらく嫌そうにしていたが、やがて深くため息をついた。

 

「お前は先に謝れ」

 

一人目が「え」と言う。

 

「お前は笑うな」

 

二人目が口を閉じる。

 

「雑巾はもう一枚ある。机戻して終わりだ」

 

三十秒で片づいた。

 

教室がしんとした。

 

その静けさの中で、カイがぽつりと言った。

 

「やっぱ先生じゃねえか」

 

その瞬間、アムロがとうとう切れた。

 

「だから先生じゃないって言ってるだろ!」

 

教室が完全に崩壊した。

 

ハヤトが机に突っ伏す。

 

カイが腹を抱える。

 

後ろの女子まで顔を伏せて笑っている。

 

フラウは一拍だけ耐えたが、もう駄目だった。

 

笑いながら、でもちゃんとアムロを見る。

 

「うん」

 

アムロが不機嫌そうに振り向く。

 

「そこは前のアムロ」

 

それを聞いて、ハヤトが余計に笑い、カイは机を叩いて苦しみ出した。

 

アムロは自分でも言いすぎたと思ったのか、少しだけ気まずそうに顔を背ける。

 

その顔が、妙にいつものアムロで、フラウは胸の奥が少しだけ軽くなった。

 

帰り道は、四人だった。

 

昨日より空気が軽い。

 

でも昨日の続きのままだった。

 

カイはまだ笑いの余波を引きずっている。

 

「明日から本当に先生って呼ぶか」

 

「やめろ」

 

アムロが即答する。

 

ハヤトが笑う。

 

「でも、便利だったよな」

 

「ハヤトまで言うのかよ」

 

フラウは少し考えてから、正直に言った。

 

「……ちょっとだけ」

 

アムロは深くため息をついた。

 

「最悪だ……」

 

その言い方に、カイがまた吹き出す。

 

「その“最悪だ”がもうオジサンなんだよ」

 

「お前な」

 

「でもさ」

 

ハヤトがそこで真面目な声になる。

 

「今日のお前、昨日よりちゃんと教室にいた」

 

アムロは足を少しだけ緩めた。

 

返事はしない。

 

でも、聞いている顔だった。

 

フラウは前を向いたまま言う。

 

「だから、まあ」 「笑ったけど、よかった」

 

アムロが何か言い返そうとした時、ちょうど通学路の角に差しかかった。

 

夕方の光がコロニーの壁にやわらかく反射して、四人の影が床へ長く伸びる。

 

どうでもいい帰り道だった。

 

学校が終わって、明日また来るだけの道。

 

フラウはそのどうでもいい感じが、今日は少し嬉しかった。

 

昨日は、同じ教室にいるのに遠い人みたいだった。

 

今日は、変なまま、ちゃんとこっちへ戻ってきていた。

 

だからたぶん、笑ってしまってよかったのだと思う。






その日の夕方、アムロはいつもより少し遅れて帰ってきた。

靴を脱ぐ音からして疲れている。

居間ではセイラが帳面を閉じたところだった。顔を上げて弟のような少年を見るなり、ふっと笑う。

「おかえりなさい」

「……ただいま」

返事の声が、もう沈んでいる。

セイラはそれだけで何かあったと察したが、すぐには聞かなかった。代わりに、湯気の立つ茶をひとつ前へ置く。

アムロは座るなり、深く息を吐いた。

「何かあったの?」

「いや……別に」

言いながら茶を持つ手つきが、妙に落ち着いている。

それを見て、セイラは少し目を細めた。

「最近、渋くなってきたわね」

アムロの手が止まる。

「は?」

「前より黙って座るし、前より変に落ち着いてるし」 「お茶の持ち方まで、ちょっと年上の人みたい」

アムロはしばらく何も言えなかった。

今日一日、教室で何が起きたのかを知らない人間にまで同じことを言われた。

それが一番きつい。

「……やめてくれ」

「褒めたのだけれど」

「褒められてない」

セイラは本気で首をかしげた。

「そう?」

アムロは額に手を当てる。

「学校でも似たようなことがあったんだ」

「あら」

「笑うなよ」

「まだ笑ってないわ」

その言い方が、もう半分笑っていた。

アムロは完全に嫌そうな顔になる。

セイラはそこで、少しだけ声をやわらかくした。

「でも、前よりちゃんと人を見てるのは好きよ」

アムロが顔を上げる。

「……何だよ、それ」

「前は自分の中にこもってたでしょう」 「今はちゃんと、周りを見た上で困った顔をするもの」

アムロは言い返しかけて、やめた。

それはたぶん、本当だったからだ。

セイラは湯呑みを持ちながら、楽しそうに続ける。

「学校では何て言われたの?」

アムロは少し黙ったあと、低く言った。

「……先生」

セイラの肩が揺れた。

「笑うな」

「まだよ」

「今、笑っただろ」

「少しだけ」

アムロは深く息を吐いた。

「最悪だ……」

セイラはそこで、とうとう笑った。

「ほら、そういうところ」 「本当に渋いわね」

アムロは黙って茶を飲んだ。

その飲み方まで妙に落ち着いていて、セイラはまた少し笑いそうになった。
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