妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第154話 ルシファー財団

 

朝の会議室には、紙の乾いた匂いがこもっていた。

 

長机の上に並んでいるのは、砲弾の在庫表でも艦隊配置図でもない。宇宙港の荷札、保険継続票、送金一覧、住居契約書、就業保証書、学校受入確認票。どれも民間の紙だ。だからこそ、机の上へこれだけ集まっているのが不気味だった。

 

政務総監は着席するなり、一番手前にあった宇宙港の荷札を裏返した。

 

「始めろ」

 

短い声だった。

 

「軍の話は後だ。今日は港と紙を見る」

 

港湾監督官が立ち上がる。昨夜ほとんど寝ていない顔をしていた。手元の三枚の荷札を持ち上げる。

 

「サイド6経由でサイド7へ入った荷です」

 

一枚目を机に置く。

 

「簡易浄水部品」

 

二枚目。

 

「診療所向けの医療箱」

 

三枚目。

 

「子ども用学習机と教材箱」

 

政務総監が眉を寄せる。

 

「軍需品ではないな」

 

「はい」

 

監督官はすぐ答えた。

 

「ですが、普通なら二回目か三回目の確認でどれかは止まります。送り主は別、受取人も別、荷も小さい。だからこそ、保険会社は面倒を嫌って継続を切る」

 

「それが切れない」

 

財務の次官補補佐が顔を上げた。

 

「理由は」

 

港湾監督官は三枚の荷札の下端を順番に指で叩いた。

 

「ここです」

 

保証欄の末尾だ。

 

「送り主は違います。受取人も違います。ですが、最終保証だけが全部同じです」

 

政務総監が言う。

 

「読め」

 

港湾監督官は首を横に振った。

 

「後の紙と一緒に読んだ方が分かりやすいかと」

 

会議室の空気が少し変わった。

 

ただの港の話ではない。

 

そういう顔が、何人かの間に広がる。

 

政務総監が顎を引いた。

 

「続けろ」

 

――――――

 

次に立ったのは、財務の次官補補佐だった。

 

無表情な男だが、手に持った送金一覧の束だけが妙に厚い。

 

「こちらは小口送金です」

 

最初の紙を広げる。

 

四つの世帯が並んでいた。サイド7第三区画。家族構成は三人、四人、二人、五人。日付の横に、細かく金額が並んでいる。

 

三月六日、敷金と初月家賃。

 

三月七日、食費と日用品。

 

三月十日、子どもの学用品。

 

三月十一日、診療所の預り金。

 

政務総監が紙を引き寄せた。

 

「これが何だ」

 

次官補補佐は声を変えずに答える。

 

「寄付ではありません」

 

一枚、別の紙を重ねる。

 

「この額は、四人家族が第三区画で一週間暮らし始めるのに必要な金額とほぼ一致します」

 

指で追っていく。

 

「ここが敷金と家賃」

 

「ここが食費」

 

「ここが子どもの教材と制服」

 

「ここが診療所へ先に入れてある預り金」

 

内務局長が低く言った。

 

「難民支援ではないな」

 

「はい」

 

次官補補佐は頷く。

 

「難民支援なら、こうは揃いません。その日の飯と毛布を配って終わりです」

 

紙をもう一枚置く。

 

「これは着いた後の一週間を切らさないための金です」

 

軍連絡官がようやく口を挟んだ。

 

「誰がそんなところまで面倒を見る」

 

次官補補佐は港湾監督官の方を一度だけ見た。

 

「港の保証欄と、同じ名義です」

 

政務総監の指先が止まる。

 

会議室の端で、法務参事官が持っていた紙束を少しだけ持ち上げた。

 

「こちらも同じです」

 

――――――

 

法務参事官は机の上に三種類の紙を並べた。

 

住居契約書。

 

就業保証書。

 

学校受入確認票。

 

「変なのは中身ではありません」

 

参事官はそう言って、一番上の契約書を押さえた。

 

「順番です」

 

政務総監が見る。

 

「言え」

 

参事官は一枚ずつ横へずらした。

 

「普通は住民登録が先です」

 

住居契約書を指す。

 

「登録が通ってから部屋を借りる」

 

就業保証書へ指を移す。

 

「部屋が決まってから仕事を決める」

 

学校受入確認票。

 

「子どもを学校へ入れるのはその後です」

 

そこで一枚の事例票を置いた。

 

「ところがこの家族は逆です」

 

三月六日、サイド7第三区画C-12へ入居。

 

三月七日、長女の学校受入済み。

 

三月九日、母親の就業保証済み。

 

三月十四日、住民登録申請。

 

政務総監の顔が露骨に曇る。

 

「登録より先に住んでいるのか」

 

「はい」

 

法務参事官は頷いた。

 

「しかも違法ではありません。書き方がうまい」

 

指で条項をなぞる。

 

「居住実態だけ先に成立させて、連邦への届出を後から追わせています」

 

内務局長が嫌そうに口元を歪めた。

 

「誰がこんな順番を考えた」

 

「連邦の順番を知っている人間です」

 

法務参事官は即答した。

 

「一件二件ではありません。同じ抜け方の紙が、ここ二か月で十二件あります」

 

政務総監が机を指で叩く。

 

「つまり」

 

参事官は言った。

 

「港へ着いた家族を、その日のうちに部屋へ入れる」

 

「翌日には子どもの机を確保する」

 

「その数日後には仕事場へ入れる」

 

「住民登録だけを後ろへ回す」

 

「そういう紙です」

 

今度は軍連絡官も黙った。

 

もう、ただの善意ではないと誰にも分かる。

 

――――――

 

最後に、情報局の分析官が立った。

 

不機嫌そうな顔のまま紙を一枚だけ置く。

 

「こちらは精度が低いです」

 

政務総監が睨む。

 

「だが件数が多い」

 

分析官は表情を変えない。

 

「港湾荷役の聞き取り」

 

「移住仲介の口伝え」

 

「学校事務の控え」

 

「診療所の受付メモ」

 

「居住区管理人の覚え書き」

 

「全部で別々に、同じ名前が出ています」

 

政務総監が言う。

 

「名前は」

 

分析官は一拍置いた。

 

「ルシファー財団」

 

会議室が、音をなくした。

 

港湾監督官がすぐに言う。

 

「保証欄と一致します」

 

次官補補佐が続ける。

 

「送金保証の名義も同じです」

 

法務参事官が紙を押さえる。

 

「住居契約の裏書きも同じです」

 

政務総監はしばらく何も言わなかった。

 

机の上には、別々に見えた紙が並んでいる。

 

浄水部品。

 

医療箱。

 

学習机。

 

敷金。

 

家賃。

 

学校受入票。

 

就業保証。

 

診療所預り金。

 

全部の端に、同じ名がある。

 

ルシファー財団。

 

政務総監はそれを一枚ずつ自分で並べ直した。

 

「この名前が付くと、港へ着いた家族はその日のうちに部屋へ入る」

 

誰も口を挟まない。

 

「翌週には仕事がある」

 

次の紙を押さえる。

 

「子どもは学校へ行く」

 

さらに次。

 

「具合が悪ければ診てもらえる」

 

顔を上げる。

 

「そういうことか」

 

内務局長が答えた。

 

「はい」

 

声が少し重かった。

 

「こちらが住民票を作る前に、向こうで生活が始まっています」

 

次官補補佐が言う。

 

「金も止まりません」

 

法務参事官が続ける。

 

「紙も一枚ずつなら止めにくい」

 

軍連絡官が低く言った。

 

「艦隊の話ではないな」

 

「だから厄介なんです」

 

内務局長の返事は早かった。

 

「こっちの許可証を待たずに、向こうで暮らせる形を作られています」

 

――――――

 

表の会議を切り、残る者を絞った小会議がすぐに組まれた。

 

政務総監。

 

内務局長。

 

財務の次官補補佐。

 

法務参事官。

 

情報局分析官。

 

そこへジャミトフ・ハイマン大佐が呼ばれた。

 

扉が開き、ジャミトフは入室すると、まず政務総監へ礼をし、そのまま机の端へ立った。

 

「読め」

 

政務総監が資料を押し出す。

 

ジャミトフは黙って目を走らせた。紙をめくる速さが、他の者より一段早い。

 

「ようやく上まで来ましたか」

 

そう言った。

 

政務総監が眉を寄せる。

 

「知っていたのか」

 

「名前までは」

 

ジャミトフは答えた。

 

「ですが、ここまで揃っているとは思っていませんでした」

 

次官補補佐がすぐ言う。

 

「物流だけではありません」

 

法務参事官も続ける。

 

「生活の順番そのものです」

 

ジャミトフは机の紙を指で順に押さえた。

 

「この財団は、港へ着いた人間を港に寝かせていない」

 

浄水部品の荷札。

 

「水を通す」

 

医療箱。

 

「診療所へ回す」

 

学習机。

 

「子どもを座らせる」

 

送金一覧。

 

「部屋へ入れ、食わせる」

 

就業保証書。

 

「仕事を付ける」

 

学校受入確認票。

 

「学校へ入れる」

 

それから顔を上げる。

 

「連邦の登録が遅れても、暮らしだけは止まらないようにしている」

 

政務総監の顔に、はっきりと嫌悪が出た。

 

「つまり、こっちの窓口を飛ばしている」

 

「飛ばしているのではなく、後ろへ回しています」

 

ジャミトフは言い直した。

 

「部屋と仕事と学校が先です」

 

「登録は後です」

 

その言い方の方が、よほど嫌だった。

 

飛ばされたのではない。遅らされたのだ。生活が始まった後に、連邦が判を押すだけの役になる。

 

政務総監は短く言った。

 

「笑えん」

 

「笑っておりません」

 

ジャミトフの声は冷えたままだった。

 

――――――

 

「現場側の反応も見ておきます」

 

ジャミトフがそう言って、バスク・オム少佐を呼ぶ許可を求めた。

 

政務総監がうなずく。

 

しばらくしてバスクが入室する。

 

政務総監へ礼。

 

次にジャミトフへ礼。

 

それからようやく席につき、資料へ手を伸ばした。

 

紙を読み進めるうちに、顔が目に見えて険しくなる。

 

「厄介です」

 

政務総監が聞く。

 

「どこがだ」

 

バスクは資料から目を上げた。

 

「艦なら沈めれば終わります」

 

一拍置く。

 

「ですが、これは一件潰しても、次は別の家主、別の雇い主、別の保証人でまた出てきます」

 

住居契約書を叩く。

 

「部屋が一つ潰れても次がある」

 

就業保証書を押さえる。

 

「職場が一つ消えても別の名義が出る」

 

送金一覧を指す。

 

「金も別の口座でまた流れる」

 

顔をしかめたまま言う。

 

「港の門だけ閉めても止まりません」

 

ジャミトフが短く言う。

 

「だから名前で束ねる」

 

バスクは黙って続きを待った。

 

「ルシファー財団名義の案件を全部拾え」

 

ジャミトフの指が、机上の紙を一つずつ押さえる。

 

「荷札」

 

「送金」

 

「住居契約」

 

「就業保証」

 

「学校受入」

 

「医療預り金」

 

「一件残らずだ」

 

バスクが一段下げた声で聞く。

 

「監視対象に上げますか」

 

「上げる」

 

ジャミトフは即答した。

 

「武装組織ではない」

 

「移住支援の名で、部屋と仕事と学校をまとめて動かす民間組織として載せろ」

 

バスクは少しだけ間を置いた。

 

「……それで現場は動きますか」

 

ジャミトフが視線を向ける。

 

「動かすのがお前の仕事だ」

 

「名目はこっちで作る」

 

「了解しました」

 

バスクはすぐに頭を下げた。

 

上下は崩れない。

 

ジャミトフが組み立て、バスクが流す。

 

この部屋の中では、それが当然の順番だった。

 

――――――

 

政務総監は両手を机についた。

 

「名前が一つ増えた話ではない」

 

誰も動かない。

 

「この財団が厄介なのは、金だけでも荷物だけでもない」

 

目の前の紙を見ながら、一つずつ口に出す。

 

「部屋を決める」

 

「仕事を付ける」

 

「子どもを学校へ入れる」

 

「病人を診せる」

 

「そこまで一つの名前で動かしている」

 

内務局長が続けた。

 

「港へ着いた家族が、その日のうちに鍵を受け取る」

 

次官補補佐。

 

「一週間後には働き始める」

 

法務参事官。

 

「住民票を作る前に、子どもは机に座る」

 

軍連絡官がようやく本気の顔になった。

 

「艦隊を出す前に、家族が向こうで落ち着いてしまうわけか」

 

「そうです」

 

ジャミトフが答える。

 

「だから今のうちに、荷、金、部屋、学校の四つを一つの名前で監査簿へまとめる」

 

バスクも一言だけ挟んだ。

 

「現場には、“港へ人を流し込んで、その先の部屋まで決める組織”として回せます」

 

「それなら港湾警備も住民照合も強めやすい」

 

ジャミトフは短く命じた。

 

「やれ」

 

それで決まった。

 

――――――

 

会議が終わったあと、情報局の分析官が一人だけ残った。

 

机の上には、整理表が一枚ある。

 

ルシファー財団

荷の保証

送金保証

住居契約保証

就業保証

医療預り金

学校受入支援

 

横に、赤字で二つ。

 

要監視

要継続照合

 

分析官はペンを置き、しばらくその紙を見ていた。

 

「艦隊だけじゃない」

 

小さくそう言う。

 

返す声はない。

 

窓の外には地球の夜景がある。

 

だがこの瞬間、連邦が怖がっているのは砲火ではなかった。

 

サイド7へ着いた家族が、その日のうちに部屋へ入り、翌週には仕事と学校が決まり、病人は医者へ回される。

 

その順番を、連邦ではなく、ルシファー財団という別の名前が握り始めたことだった。

 

分析官は最後に、その名前の下へ赤い線を引いた。

 

ルシファー財団。

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