サイド7の朝は、工区の音で始まる。
資材を運ぶ台車の低い振動と、昇降機の唸りが、窓を閉めた部屋の奥まで細く届いていた。
エドワウは通信室の机に、三つの書類を並べていた。
一つは、ジオン公国向けの説明文。
一つは、各コロニーの代表者と委員会の分担を整理した運営案。
もう一つは、公国が引き受ける役目を書き出した別紙だった。航路の護衛、連邦との交渉、講和後の安全保障。その三つだけを、公国の担当として切り分けてある。
昨夜のうちに文章は整えた。
今日は、言い切るだけだ。
少し離れた場所で、セイラとララァが立っていた。二人とも通信へは入らない。ただ、終わるまではここにいるつもりらしい。
アムロは壁際にいた。椅子には座らず、腕を組んでいる。落ち着かないのかと思えば、そうでもない。ただ、画面が点く前の静けさを嫌っている顔だった。
セイラが、机の上の説明文へ目を落とす。
「兄さん、その一行目はもう変えないのね」
エドワウは短く答えた。
「変えない」
ララァが、その一行を静かに読んだ。
「宇宙に住む者の暮らしは、地球の都合で止めさせない」
そして、小さく頷く。
「これなら入ります」
エドワウはペンを机へ置いた。
「港が止まらない」 「学校へ入れる」 「診療所が受ける」
「そういう話だと分かれば、各コロニーは聞く」
アムロが壁に寄りかかったまま言う。
「でも、ギレンはそこだけじゃ動かないだろ」
「分かってる」
エドワウは別紙を指で押さえた。
「だから公国が持つ役目も、最初からはっきり書いた」
セイラが確認するように問う。
「航路護衛と、連邦との窓口と、講和の席での安全保障」
「そうだ」
「学校と病院と薬の不足まで、公国の直轄にはしない」
「そこまでやると、他サイドが引く」
ララァが静かに補った。
「でも、連邦が港を締めた時に前へ出る人は必要です」
「そこを公国が持つから、話が通ります」
エドワウは一度だけ深く息を吸った。
「始める」
画面が起動する。
左にギレン。
右にカーディアス。
二人の顔が映った瞬間、通信室の空気がすっと固くなった。
――――――
カーディアスが先に一礼した。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
ギレンは挨拶を返さない。
「始めろ」
その一言だけだった。
エドワウは説明文を開く。
「本日の提案は、各コロニーの生活維持協定です」
ギレンの目がわずかに細くなる。
エドワウは続けた。
「理念は一つです」
「宇宙に住む者の暮らしは、地球の都合で止めさせない」
「地球側の監査や保険の判断で港を止めさせない」 「地球側の事情で子どもの学びを止めさせない」 「地球側の都合で病人の治療を後回しにさせない」
「そのために、各コロニーは自前の学校、診療所、警備を持ったまま残します」
「ただし、港の優先便、途中編入の受け入れ、病床の融通、薬剤と医療部材の補填だけは、最初からコロニーをまたいで決めておきます」
ギレンは黙って聞いている。
エドワウは一枚めくった。
「常設の事務局はサイド7に置きます」
「受け入れ実務がすでにあり、なおかつサイド3ほど軍の色が強くなく、サイド6ほど商業区画の利害に寄りすぎないからです」
ここでカーディアスが口を開いた。
「補足いたします」
「港湾調整、学校受け入れ、診療所受け入れは、それぞれ別の委員会とします」
「港の責任者へ教室不足の責任まで背負わせると港側が引きます」 「学校の責任者へ薬剤不足まで背負わせると学校側が引きます」 「診療所の責任者へ夜間便の遅れまで背負わせても同じです」
「ですので、港、学校、診療所の三つは分けます」
ギレンはそこで初めて口を挟んだ。
「便利な仕組みだな」
声は平板だった。
「港を使いやすくする」 「学校へ入りやすくする」 「病院へ回しやすくする」
「結構だ」
そこで一拍置く。
「だが、便利なだけでは苦しくなった時に崩れる」
エドワウは返事を急がなかった。
ギレンは続けた。
「地球の欧州統合も、荷と金と人の行き来が楽なうちは結構だった」
「だが景気が悪くなれば、各国は自分の財布へ戻る」 「安全保障が揺らげば、自分の国境と軍へ戻る」
「つまり、お前の協定も、港と学校と病院を繋いだ程度では足りん」
「連邦が締め上げた時、誰が命じる」 「誰が守る」 「誰が逆らう者を押さえる」
通信室が静かになる。
エドワウは正面から答えた。
「その通りです」
ギレンの視線がわずかに動く。
「私は、地球の欧州統合を完成形として持ち出しているのではありません」
「便利さに慣れさせる、その部分だけを借ります」
「一度、港が止まらない」 「一度、学校へ子どもを入れられる」 「一度、診療所へ回せる」
「それを覚えた後で、昔の不便な形へ戻れと言われても、各コロニーの住民の方が嫌がる」
「そこまでは、便利さで押せます」
「ですが、その先は別に置きます」
エドワウは別紙を画面へ出した。
「連邦と向き合う窓口」 「航路護衛」 「講和後の安全保障」
「この三つはジオン公国が担います」
ギレンは無言で別紙を見る。
エドワウはさらに言う。
「学校へ何人入れるか」 「どの診療所が何床受けるか」 「どの港から夜間便を出すか」 「薬剤と保険の不足分をどこへ回すか」
「そこは各コロニー代表の共同委員会で決めます」
「平時の運営は共同」 「連邦が港へ圧をかけた時の盾は公国」
「そこを最初から分けます」
ギレンが低く言った。
「気を遣いすぎではないか」
「他サイドに対して、です」
「はい」
エドワウは一度も目を逸らさない。
「学校と病院と港まで公国の命令で動く形に見えれば、他サイドは入りません」
「ですが、公国が航路を守り、連邦に言い返し、講和で条件を変えさせない役を持てば、他サイドは公国を必要とします」
「つまり、公国が前へ出る範囲を絞ることで、公国の後ろへ入るコロニーの数を増やせます」
しばらく沈黙が落ちた。
カーディアスが静かに引き取る。
「実務上も、その分け方であれば固定できます」
「学校受け入れは、定員、教員追加、教材費を先に数字で置けます」 「診療所は、病床数、夜間搬送の順番、薬剤補給の回数を事前に決められます」 「港湾は、優先便の時刻、荷の順番、夜間搬入の責任者を契約で固定できます」
「つまり、公国が護衛した航路で届いた荷が、学校、診療所、居住区画まで届くところで止まりにくくなります」
ギレンがそこで言う。
「止まりにくく、か」
「完全とは申しません」
カーディアスは丁寧に答えた。
「ですが、今よりは明らかに止まりにくくなります」
ギレンは資料を閉じる。
「公国にとっての利がまだ薄い」
その言葉は、否定ではなく条件の話だった。
エドワウはそこを正面から返した。
「各コロニーが、公国を必要とする形になります」
「港が止まらない」 「学校へ子どもを入れられる」 「診療所が受ける」
「それを守るのが公国だと、一度実績が出れば、各コロニーの首長は連邦より先に公国へ相談に来るようになります」
「講和の席でも同じです」
「公国は、軍だけでなく、宇宙の生活が止まらない枠を持つ側として座れます」
「連邦に対して、“公国を外すと各サイドの港と学校と病院が止まる”という形を作れます」
「それが講和後の発言権になります」
ギレンの視線が、初めてまっすぐエドワウへ向いた。
「生活が止まらぬ枠、か」
「はい」
「勝った側の直轄にすると、他サイドは構えます」
「ですが、運営を共同に残し、公国がそれを守る形なら、入る余地が残ります」
ギレンは机を指で一度だけ叩いた。
「では条件がある」
エドワウは待つ。
「航路護衛の優先順位は公国が決める」 「共同委員会に公国側の常任席を置く」 「講和交渉で、この協定を公国の実績として使える形にする」
エドワウは、全部をすぐには呑まなかった。
「航路護衛の優先順位は公国で構いません」
「共同委員会への常任席も置けます」
「ですが、学校受け入れと病床割り当ての最終決定まで公国へ寄せると、他サイドは入りません」
カーディアスがそこで静かに言う。
「その一線は守った方がよろしいかと」
「公国の護衛と交渉の価値を高めるためにも、教員配置と病床割り当てまで直轄に見せる必要はございません」
ギレンはすぐには答えなかった。
だが、否定もしない。
やがて短く言う。
「分かった」
「共同運営の案としては悪くない」 「公国の役目も見えた」
エドワウはそこでようやく、胸の奥の張りが少しだけ緩むのを感じた。
ギレンはさらに続ける。
「次は、どのコロニーへ、どの順で、誰を出すかまで持ってこい」
「港を開ける責任者」 「学校を空ける責任者」 「病床を出す責任者」
「役職と名前を揃えろ」
「承知しました」
ギレンは最後に、ほんの少しだけ口元を動かした。
「理念は悪くない」
「綺麗な言葉で終わらせるな」
通信が切れた。
――――――
静かになった通信室で、最初に息を吐いたのはアムロだった。
「通ったな」
セイラが小さく肩をすくめる。
「兄さんにしては、かなり上出来よ」
ララァはまだ画面の消えた場所を見ていた。
「兄上は、お金の出し方では見ていませんでした」
エドワウが振り向く。
ララァは静かに続ける。
「港が何日止まらないか」 「教室へ何人入るか」 「診療所が何床残るか」
「そこを見ています」
少し間を置く。
「だから、最初の一文を気に入ったのだと思います」
エドワウは短くうなずいた。
宇宙に住む者の暮らしは、地球の都合で止めさせない。
ようやく、それを言い切れた。
「次は人だな」
そう言うと、アムロが苦笑した。
「そっちの方が、説明より面倒そうだ」
「面倒だ」
エドワウは資料を束ねる。
「だが、もう戻れない」
窓の向こうでは、工区の音がまだ続いていた。
その向こうに、学校があり、診療所があり、港がある。
守ると言うなら、そこまで届かなければ意味がない。
「次は、誰が港を開けるかだ」
それだけ言って、エドワウは束ねた資料を持ち上げた。
今度は、言葉ではなく名前を揃える番だった。