妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第159話 戻れなくなった暮らし

 

数か月で、サイド7の港は別の場所のようになった。

 

荷が増えたからではない。

 

止まり方が変わったのだ。

 

以前は、書類が一枚足りない、保険の確認が半日遅れる、連邦側の窓口から返事が来ない、それだけで荷は平気で港に寝た。医療箱も教材も、浄水部品も寝具も、同じ床の上で朝を待った。

 

今は違う。

 

朝の荷役区画で、港湾責任者のローンは、荷札の束を片手に次の便を見上げていた。先に降りてきたのは診療所向けの薬剤箱、次が学校区画向けの教材、その後ろから居住棟の浄水部品と寝具が出てくる。

 

若い作業員が荷札を見て目を丸くした。

 

「全部、今朝の便ですか」

 

「そうだ」

 

ローンは短く答えた。

 

「薬は南区の診療所、教材は第三学区、浄水部品は第十一居住棟だ。間違えるな」

 

「前なら午前中いっぱい港に置いてた量ですよ」

 

「前の話をしてる暇があったら動け」

 

怒鳴ったわけではない。だが声には迷いがなかった。

 

通路の端では、別サイドから来た女が子どもの手を引いたまま、荷役の様子をじっと見ていた。荷札を見ていた港の事務員に恐る恐る声をかける。

 

「あの……この便なら、今夜には第三学区へ届くんですか」

 

事務員が確認して頷く。

 

「届きます。今夜の仕分けが終われば、明日の朝には教室へ入ります」

 

女は信じられないものを見る顔をした。

 

「そんなに早く」

 

ローンが横から答える。

 

「今は優先便の順番を先に決めてる。学校へ入る子の教材と、診療所の薬は後回しにしない」

 

女は深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

ローンは返事をしなかった。代わりに、次の荷札へ目を落とす。

 

港の上を、低くモーター音が抜けていった。

 

見上げると、白い機体が一機、その後ろに緑のネモが二機、高い位置をゆっくり回っている。荷役区画の上空を舐めるように巡り、外周の警戒を確かめるように動いていた。

 

若い作業員が首を伸ばす。

 

「今日も付くんですか」

 

「ああ」

 

ローンは荷札から目を離さない。

 

「夜の便にも付く。今は港へ入る便を途中で止めさせない方が先だ」

 

作業員は空を見上げたまま、小さく言った。

 

「本気ですね」

 

ローンはその言葉にだけ、短く返した。

 

「今さら試しでやってるように見えるか」

 

――――――

 

学校でも、変わったのは同じだった。

 

第三学区の教室では、担任の女教師が出席簿に新しい名前を書き込んでいる。サイド6から二人、サイド5から三人。途中編入の子どもが並んで立ち、少し緊張した顔で教室を見ていた。

 

「席は後ろから二列目と三列目」

 

教師が言う。

 

「教材は午後の便で来るわ。それまでは前の子と一緒に見なさい」

 

新しく来た母親が廊下で頭を下げた。

 

「本当に、今日から入れるんですか」

 

教師は少しだけ笑う。

 

「今週から受け入れ枠が増えたんです。席があるうちに入れた方がいいでしょう」

 

横で見ていた別の母親が口を挟んだ。

 

「前は紹介状が足りないとかで戻されたのよ」 「うちの子の時は四日待たされた」

 

新しく来た母親が目を見張る。

 

「四日も」

 

「今は早いわよ」

 

別の母親が窓の外へ目をやる。

 

ちょうどネモの編隊が低く横切ったところだった。教室の中の子どもたちが、わっと声を上げる。

 

教師は慣れた顔で手を叩いた。

 

「ほら、見たいのは分かるけど座る」 「護衛便の交代よ。珍しくない」

 

だが声は少しだけ柔らかかった。

 

新しく来た母親が、その飛行音を聞きながらぽつりと言う。

 

「学校まで早く決まるのも、あれが飛んでるからなんですね」

 

さっきの母親が頷いた。

 

「港が止まらないから、教材も来る」 「診療所の薬も切れにくくなったって」

 

そして、前なら口にしなかっただろう一言を足す。

 

「連邦の承認待ちより、今の方がずっと早いわ」

 

教師はそれを聞こえないふりをした。だが、黒板に日付を書く手は止まらなかった。

 

――――――

 

南区の診療所では、夜の搬送がもう珍しくなくなっていた。

 

当直医が端末を見て、病床の一覧を確認する。こちらの空きはゼロ、北区第二診療所が二床、第四区画の小病棟が一床。

 

看護師が患者家族へ説明している。

 

「こちらで今夜は診ます。でも朝まで置けません」 「次の便で北区へ回します。受け入れはもう決まっています」

 

付き添いの男は疲れきった顔で聞き返した。

 

「そんなに早く決まるんですか」

 

「今は診療所同士で空きが見えます」

 

看護師は落ち着いて答えた。

 

「前みたいに、電話を回して空くのを待つ形ではありません」

 

搬送票が印字される。

 

薬剤の不足分も、次の便で届くよう手配済みと画面に出ていた。

 

男は、信じられないようにその紙を見る。

 

「夜なのに」

 

当直医が答える。

 

「今は夜だから遅い、ではなくて、夜でも回す仕組みになっています」

 

診療所の外へ出ると、搬送車の上にネモが二機ついているのが見えた。そのさらに高いところで、白い機体が一度だけ旋回している。

 

男は思わず見上げた。

 

「本当に来てくれるんだな」

 

当直医はカルテを閉じながら言う。

 

「来なかったら困るようになってしまったんです」

 

その言葉には、少しの安堵と、少しの覚悟が混じっていた。

 

――――――

 

サイド5の工区でも、変化は分かりやすかった。

 

小工場の責任者が、届いたばかりの部材箱を開けている。前なら二日は遅れたはずの便だ。保険審査と港の順番待ちで寝ていた荷が、今はサイド7経由で真っ直ぐ入ってくる。

 

若い工員が箱の刻印を見て言う。

 

「またサイド7経由です」

 

責任者は頷いた。

 

「その方が早い」

 

「でも、前は地球側の承認を待てって」

 

責任者は鼻で笑う。

 

「待っていたら、こっちのラインが止まる」

 

工員は窓の外を見る。

 

護衛に付いたネモが、輸送船の頭上を横切る。少し離れて、白い機体が高い位置から全体を見ている。

 

工員がぽつりと言った。

 

「本当に止まりませんね」

 

責任者は工具箱を閉じた。

 

「止まらないんじゃない」

 

「止めさせないように回してる連中がいるんだ」

 

――――――

 

その「止めるな」は、やがて下から上へ押し始めた。

 

あるコロニーの行政責任者の部屋には、その日だけで四組の訪問があった。

 

学校の保護者代表。

 

港の荷主。

 

診療所の院長。

 

工区の責任者。

 

誰も最初は大きな政治の話をしない。

 

だが言うことは同じだった。

 

「今の受け入れ枠を続けてください」

 

「夜の便を元へ戻さないでください」

 

「診療所間の搬送を止めないでください」

 

「また連邦の監査待ちで港に寝る形へ戻されたら困ります」

 

保護者代表の女は、机に手を置いて言った。

 

「うちの子は、前のやり方なら今も教室へ入れていません」

 

診療所の院長は疲れた顔のまま言う。

 

「今は病床が空いた先へすぐ回せる」 「これを止めたら、次は受けられない患者が出る」

 

荷主の男はもっと直接だった。

 

「護衛まで付いたんです」 「ここまでやって、また前のやり方に戻すんですか」

 

行政責任者は、椅子に座ったまま返事ができなかった。

 

数か月前なら、「検討する」とだけ言って終えられた。 今は、それでは済まない。

 

住民の側が、もう今の便利さを前提に暮らし始めている。

 

戻せば、すぐに文句が出る。 いや、文句では済まない。暮らしそのものが詰まる。

 

その現実が、ようやく上へ届き始めていた。

 

――――――

 

サイド7へ戻る報告書も、前とは中身が変わっていた。

 

夜間便の継続要望。

 

学校受け入れ枠の恒常化要望。

 

診療所間の搬送枠の固定化要望。

 

工区からの優先部材便の継続要望。

 

さらに、護衛配備後は苦情より継続要望の方が増えた、という一行まである。

 

エドワウの部屋で、アムロがその報告を順に読んでいた。

 

「もう、“便利だから使う”じゃないな」

 

ララァが頷く。

 

「はい」

 

「今は、“無いと困る”です」

 

セイラは窓の外を見た。

 

ちょうど白い機体が、訓練区画の上を抜けていくところだった。その後ろにネモが四機、間隔を揃えて続く。

 

「しかも、見える形で守り始めた」

 

エドワウは報告書を閉じた。

 

「だから戻せなくなる」

 

少し間を置く。

 

「次は、使ってもらう段階じゃない」

 

「守らせる段階だ」

 

アムロが顔を上げる。

 

「訓練を見るか」

 

「見る」

 

それは確認でもあり、見せるためでもあった。

 

――――――

 

訓練区画は、港の外縁に広がっている。

 

見学台にいるのは軍人だけではなかった。港湾責任者、学校の教員、診療所の医師、工区の責任者、住民の代表、荷主。ここ数か月で今の仕組みに助けられてきた側が、まとめて呼ばれている。

 

白いガンダムが一機。

 

ネモが数機。

 

訓練責任者が簡単に説明する。

 

「本日の確認は二つです」

 

「一つ目は、夜間優先便の護衛時に、どの位置へ機体を置けば港と便の両方を守れるか」

 

「二つ目は、不意に接近された時、何秒で相手を便から引き剥がせるか」

 

見学台の端で、港湾責任者のローンが低く呟く。

 

「ちゃんと、うち向けの訓練だな」

 

工区の責任者が腕を組んだ。

 

「派手に斬り合うんじゃないってことか」

 

その時、白い機体のコクピットへアムロが乗り込むのが見えた。

 

住民の間にざわめきが走る。

 

「少年じゃないのか」 「本当に乗るのか」

 

少し離れたネモへ、エドワウが入る。

 

見学台の誰かが息を呑んだ。

 

「財団の人が」

 

訓練責任者が開始を告げる。

 

最初は編隊確認だ。

 

ネモが二機ずつ分かれて前後左右を押さえる。白い機体は少し高い位置から全体を見る。輸送便役のダミーがその中央を進む。

 

港湾責任者のローンが目を細めた。

 

「夜の便でも、あの位置取りなら港の灯りを邪魔しない」

 

学校の教員がぽつりと言う。

 

「音も思ったより低いんですね」

 

訓練責任者が続ける。

 

「次。近接対処」

 

ダミー便を中央に置いたまま、エドワウのネモが斜め後方から接近する。

 

白い機体のアムロは、真っ直ぐ追わない。

 

一度上へ抜けて、それから横へ入る。

 

見学台の整備員が声を上げた。

 

「早い」

 

エドワウのネモは進路を変え、わざと便へ寄る。

 

アムロはそれを追いかけない。 追う代わりに、便とネモの間へ機体を滑り込ませた。

 

港湾責任者が低く言う。

 

「止めるんじゃない」 「逸らしてる」

 

その通りだった。

 

白い機体は、エドワウ機を撃ち落とすためではなく、便から剥がすために動いている。

 

一回目の接触で十分だった。

 

訓練責任者が停止を告げる。

 

見学台の端で、診療所の医師が小さく息を吐いた。

 

「これなら夜の搬送便も通せますね」

 

その言葉に、周囲の何人かが無言で頷いた。

 

二回目はもっと短かった。

 

今度はエドワウが、わざと死角へ潜るようにネモを振る。白い機体は追わない。便の進路とネモの戻り先だけを見て、また間へ割り込む。

 

結果として、ネモは便へ寄れない。

 

停止の声がかかった時、見学台の空気は最初と違っていた。

 

驚きより、納得に近い。

 

機体を降りたアムロは汗を拭いながら、平然と言った。

 

「護衛なら、追い払えばいいんだろ」

 

エドワウもネモから降りる。

 

「ああ」

 

「撃ち落とすより先に、便から剥がせればそれでいい」

 

それを聞いていた工区の責任者が、笑うでもなく言った。

 

「本当に、そのために飛んでるんだな」

 

港湾責任者のローンが答える。

 

「そうでなきゃ、俺たちなんかに見せない」

 

――――――

 

見学台の下では、子どもが空を見上げていた。

 

白い機体が整備区画へ戻るところだ。

 

子どもが父親の袖を引く。

 

「白いの、ほんとに守るんだ」

 

父親は、港から受け取った優先便の札をポケットへしまいながら答えた。

 

「飾りじゃないってことだ」

 

母親はその横で、学校から受け取った編入通知を抱えていた。診療所からの次回診察票も、その鞄の中に入っている。

 

白い機体が遠ざかり、その後ろをネモの編隊が追う。

 

母親が言う。

 

「もう前のやり方には戻れないわね」

 

父親は少し黙ってから頷いた。

 

「戻したら困る」

 

その言葉に、誰も異を唱えなかった。

 

数か月前なら、試しに使ってみる、で済んだ。

 

今は違う。

 

港が止まらない。 学校へ入れる。 病院が受ける。 そのために飛ぶ機体まで、もう空にある。

 

戻せば、今度は暮らしの方が先に怒る。

 

エドワウは少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 

隣でララァが静かに言う。

 

「始まりましたね」

 

「何がだ」

 

「皆さんが、自分から続けてほしいと思い始めました」

 

エドワウは白い機体が整備庫へ入るのを見送る。

 

「なら次は」

 

そこで言葉を切った。

 

今はもう、便利だから使う段階ではない。

 

止めるな、と言われる段階だ。

 

エドワウは短く続けた。

 

「次は、止めようとする相手を困らせる番だ」

 

ララァは何も言わなかった。

 

ただ、小さく頷いた。

 

空にはもう、白い機体もネモも見えない。

 

それでも、さっきまでそこを飛んでいたものが、港と学校と病院を同じ空の下へ繋いでしまったことだけは、誰の目にも残っていた。

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