数か月で、サイド7の港は別の場所のようになった。
荷が増えたからではない。
止まり方が変わったのだ。
以前は、書類が一枚足りない、保険の確認が半日遅れる、連邦側の窓口から返事が来ない、それだけで荷は平気で港に寝た。医療箱も教材も、浄水部品も寝具も、同じ床の上で朝を待った。
今は違う。
朝の荷役区画で、港湾責任者のローンは、荷札の束を片手に次の便を見上げていた。先に降りてきたのは診療所向けの薬剤箱、次が学校区画向けの教材、その後ろから居住棟の浄水部品と寝具が出てくる。
若い作業員が荷札を見て目を丸くした。
「全部、今朝の便ですか」
「そうだ」
ローンは短く答えた。
「薬は南区の診療所、教材は第三学区、浄水部品は第十一居住棟だ。間違えるな」
「前なら午前中いっぱい港に置いてた量ですよ」
「前の話をしてる暇があったら動け」
怒鳴ったわけではない。だが声には迷いがなかった。
通路の端では、別サイドから来た女が子どもの手を引いたまま、荷役の様子をじっと見ていた。荷札を見ていた港の事務員に恐る恐る声をかける。
「あの……この便なら、今夜には第三学区へ届くんですか」
事務員が確認して頷く。
「届きます。今夜の仕分けが終われば、明日の朝には教室へ入ります」
女は信じられないものを見る顔をした。
「そんなに早く」
ローンが横から答える。
「今は優先便の順番を先に決めてる。学校へ入る子の教材と、診療所の薬は後回しにしない」
女は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
ローンは返事をしなかった。代わりに、次の荷札へ目を落とす。
港の上を、低くモーター音が抜けていった。
見上げると、白い機体が一機、その後ろに緑のネモが二機、高い位置をゆっくり回っている。荷役区画の上空を舐めるように巡り、外周の警戒を確かめるように動いていた。
若い作業員が首を伸ばす。
「今日も付くんですか」
「ああ」
ローンは荷札から目を離さない。
「夜の便にも付く。今は港へ入る便を途中で止めさせない方が先だ」
作業員は空を見上げたまま、小さく言った。
「本気ですね」
ローンはその言葉にだけ、短く返した。
「今さら試しでやってるように見えるか」
――――――
学校でも、変わったのは同じだった。
第三学区の教室では、担任の女教師が出席簿に新しい名前を書き込んでいる。サイド6から二人、サイド5から三人。途中編入の子どもが並んで立ち、少し緊張した顔で教室を見ていた。
「席は後ろから二列目と三列目」
教師が言う。
「教材は午後の便で来るわ。それまでは前の子と一緒に見なさい」
新しく来た母親が廊下で頭を下げた。
「本当に、今日から入れるんですか」
教師は少しだけ笑う。
「今週から受け入れ枠が増えたんです。席があるうちに入れた方がいいでしょう」
横で見ていた別の母親が口を挟んだ。
「前は紹介状が足りないとかで戻されたのよ」 「うちの子の時は四日待たされた」
新しく来た母親が目を見張る。
「四日も」
「今は早いわよ」
別の母親が窓の外へ目をやる。
ちょうどネモの編隊が低く横切ったところだった。教室の中の子どもたちが、わっと声を上げる。
教師は慣れた顔で手を叩いた。
「ほら、見たいのは分かるけど座る」 「護衛便の交代よ。珍しくない」
だが声は少しだけ柔らかかった。
新しく来た母親が、その飛行音を聞きながらぽつりと言う。
「学校まで早く決まるのも、あれが飛んでるからなんですね」
さっきの母親が頷いた。
「港が止まらないから、教材も来る」 「診療所の薬も切れにくくなったって」
そして、前なら口にしなかっただろう一言を足す。
「連邦の承認待ちより、今の方がずっと早いわ」
教師はそれを聞こえないふりをした。だが、黒板に日付を書く手は止まらなかった。
――――――
南区の診療所では、夜の搬送がもう珍しくなくなっていた。
当直医が端末を見て、病床の一覧を確認する。こちらの空きはゼロ、北区第二診療所が二床、第四区画の小病棟が一床。
看護師が患者家族へ説明している。
「こちらで今夜は診ます。でも朝まで置けません」 「次の便で北区へ回します。受け入れはもう決まっています」
付き添いの男は疲れきった顔で聞き返した。
「そんなに早く決まるんですか」
「今は診療所同士で空きが見えます」
看護師は落ち着いて答えた。
「前みたいに、電話を回して空くのを待つ形ではありません」
搬送票が印字される。
薬剤の不足分も、次の便で届くよう手配済みと画面に出ていた。
男は、信じられないようにその紙を見る。
「夜なのに」
当直医が答える。
「今は夜だから遅い、ではなくて、夜でも回す仕組みになっています」
診療所の外へ出ると、搬送車の上にネモが二機ついているのが見えた。そのさらに高いところで、白い機体が一度だけ旋回している。
男は思わず見上げた。
「本当に来てくれるんだな」
当直医はカルテを閉じながら言う。
「来なかったら困るようになってしまったんです」
その言葉には、少しの安堵と、少しの覚悟が混じっていた。
――――――
サイド5の工区でも、変化は分かりやすかった。
小工場の責任者が、届いたばかりの部材箱を開けている。前なら二日は遅れたはずの便だ。保険審査と港の順番待ちで寝ていた荷が、今はサイド7経由で真っ直ぐ入ってくる。
若い工員が箱の刻印を見て言う。
「またサイド7経由です」
責任者は頷いた。
「その方が早い」
「でも、前は地球側の承認を待てって」
責任者は鼻で笑う。
「待っていたら、こっちのラインが止まる」
工員は窓の外を見る。
護衛に付いたネモが、輸送船の頭上を横切る。少し離れて、白い機体が高い位置から全体を見ている。
工員がぽつりと言った。
「本当に止まりませんね」
責任者は工具箱を閉じた。
「止まらないんじゃない」
「止めさせないように回してる連中がいるんだ」
――――――
その「止めるな」は、やがて下から上へ押し始めた。
あるコロニーの行政責任者の部屋には、その日だけで四組の訪問があった。
学校の保護者代表。
港の荷主。
診療所の院長。
工区の責任者。
誰も最初は大きな政治の話をしない。
だが言うことは同じだった。
「今の受け入れ枠を続けてください」
「夜の便を元へ戻さないでください」
「診療所間の搬送を止めないでください」
「また連邦の監査待ちで港に寝る形へ戻されたら困ります」
保護者代表の女は、机に手を置いて言った。
「うちの子は、前のやり方なら今も教室へ入れていません」
診療所の院長は疲れた顔のまま言う。
「今は病床が空いた先へすぐ回せる」 「これを止めたら、次は受けられない患者が出る」
荷主の男はもっと直接だった。
「護衛まで付いたんです」 「ここまでやって、また前のやり方に戻すんですか」
行政責任者は、椅子に座ったまま返事ができなかった。
数か月前なら、「検討する」とだけ言って終えられた。 今は、それでは済まない。
住民の側が、もう今の便利さを前提に暮らし始めている。
戻せば、すぐに文句が出る。 いや、文句では済まない。暮らしそのものが詰まる。
その現実が、ようやく上へ届き始めていた。
――――――
サイド7へ戻る報告書も、前とは中身が変わっていた。
夜間便の継続要望。
学校受け入れ枠の恒常化要望。
診療所間の搬送枠の固定化要望。
工区からの優先部材便の継続要望。
さらに、護衛配備後は苦情より継続要望の方が増えた、という一行まである。
エドワウの部屋で、アムロがその報告を順に読んでいた。
「もう、“便利だから使う”じゃないな」
ララァが頷く。
「はい」
「今は、“無いと困る”です」
セイラは窓の外を見た。
ちょうど白い機体が、訓練区画の上を抜けていくところだった。その後ろにネモが四機、間隔を揃えて続く。
「しかも、見える形で守り始めた」
エドワウは報告書を閉じた。
「だから戻せなくなる」
少し間を置く。
「次は、使ってもらう段階じゃない」
「守らせる段階だ」
アムロが顔を上げる。
「訓練を見るか」
「見る」
それは確認でもあり、見せるためでもあった。
――――――
訓練区画は、港の外縁に広がっている。
見学台にいるのは軍人だけではなかった。港湾責任者、学校の教員、診療所の医師、工区の責任者、住民の代表、荷主。ここ数か月で今の仕組みに助けられてきた側が、まとめて呼ばれている。
白いガンダムが一機。
ネモが数機。
訓練責任者が簡単に説明する。
「本日の確認は二つです」
「一つ目は、夜間優先便の護衛時に、どの位置へ機体を置けば港と便の両方を守れるか」
「二つ目は、不意に接近された時、何秒で相手を便から引き剥がせるか」
見学台の端で、港湾責任者のローンが低く呟く。
「ちゃんと、うち向けの訓練だな」
工区の責任者が腕を組んだ。
「派手に斬り合うんじゃないってことか」
その時、白い機体のコクピットへアムロが乗り込むのが見えた。
住民の間にざわめきが走る。
「少年じゃないのか」 「本当に乗るのか」
少し離れたネモへ、エドワウが入る。
見学台の誰かが息を呑んだ。
「財団の人が」
訓練責任者が開始を告げる。
最初は編隊確認だ。
ネモが二機ずつ分かれて前後左右を押さえる。白い機体は少し高い位置から全体を見る。輸送便役のダミーがその中央を進む。
港湾責任者のローンが目を細めた。
「夜の便でも、あの位置取りなら港の灯りを邪魔しない」
学校の教員がぽつりと言う。
「音も思ったより低いんですね」
訓練責任者が続ける。
「次。近接対処」
ダミー便を中央に置いたまま、エドワウのネモが斜め後方から接近する。
白い機体のアムロは、真っ直ぐ追わない。
一度上へ抜けて、それから横へ入る。
見学台の整備員が声を上げた。
「早い」
エドワウのネモは進路を変え、わざと便へ寄る。
アムロはそれを追いかけない。 追う代わりに、便とネモの間へ機体を滑り込ませた。
港湾責任者が低く言う。
「止めるんじゃない」 「逸らしてる」
その通りだった。
白い機体は、エドワウ機を撃ち落とすためではなく、便から剥がすために動いている。
一回目の接触で十分だった。
訓練責任者が停止を告げる。
見学台の端で、診療所の医師が小さく息を吐いた。
「これなら夜の搬送便も通せますね」
その言葉に、周囲の何人かが無言で頷いた。
二回目はもっと短かった。
今度はエドワウが、わざと死角へ潜るようにネモを振る。白い機体は追わない。便の進路とネモの戻り先だけを見て、また間へ割り込む。
結果として、ネモは便へ寄れない。
停止の声がかかった時、見学台の空気は最初と違っていた。
驚きより、納得に近い。
機体を降りたアムロは汗を拭いながら、平然と言った。
「護衛なら、追い払えばいいんだろ」
エドワウもネモから降りる。
「ああ」
「撃ち落とすより先に、便から剥がせればそれでいい」
それを聞いていた工区の責任者が、笑うでもなく言った。
「本当に、そのために飛んでるんだな」
港湾責任者のローンが答える。
「そうでなきゃ、俺たちなんかに見せない」
――――――
見学台の下では、子どもが空を見上げていた。
白い機体が整備区画へ戻るところだ。
子どもが父親の袖を引く。
「白いの、ほんとに守るんだ」
父親は、港から受け取った優先便の札をポケットへしまいながら答えた。
「飾りじゃないってことだ」
母親はその横で、学校から受け取った編入通知を抱えていた。診療所からの次回診察票も、その鞄の中に入っている。
白い機体が遠ざかり、その後ろをネモの編隊が追う。
母親が言う。
「もう前のやり方には戻れないわね」
父親は少し黙ってから頷いた。
「戻したら困る」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
数か月前なら、試しに使ってみる、で済んだ。
今は違う。
港が止まらない。 学校へ入れる。 病院が受ける。 そのために飛ぶ機体まで、もう空にある。
戻せば、今度は暮らしの方が先に怒る。
エドワウは少し離れた場所から、その様子を見ていた。
隣でララァが静かに言う。
「始まりましたね」
「何がだ」
「皆さんが、自分から続けてほしいと思い始めました」
エドワウは白い機体が整備庫へ入るのを見送る。
「なら次は」
そこで言葉を切った。
今はもう、便利だから使う段階ではない。
止めるな、と言われる段階だ。
エドワウは短く続けた。
「次は、止めようとする相手を困らせる番だ」
ララァは何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。
空にはもう、白い機体もネモも見えない。
それでも、さっきまでそこを飛んでいたものが、港と学校と病院を同じ空の下へ繋いでしまったことだけは、誰の目にも残っていた。