「連邦政府に痛撃を与えよう」
その一言を残して、総帥は回線を切った。
暗くなった画面に、通信室の灯りだけが白く映る。
エドワウはしばらくそのまま立っていた。
机の上には、便の映像記録、積荷一覧、各コロニーから届き始めた短い抗議文、診療所と学校の受け取り記録が並んでいる。紙の端には、焼けた外板の写真まで挟まっていた。
ララァが、静かに息を吐いた。
「すぐに動かしますね」
「ああ」
エドワウは端末を閉じた。
「今回は軍の戦果にする必要がない」
「学校と診療所へ届くはずの物を、連邦が撃った」
「それだけで十分だ」
ララァは、まだ熱の残っている端末の縁へ目を落とした。
「皆さん、怒ります」
「怒らせる」
エドワウは短く答えた。
「怒りを、行き場のないまま散らさせない」
窓の向こうでは、サイド7の港湾灯が細く並んでいる。
今夜も便は入る。
学校は明日も開く。
診療所は次の患者を受ける。
それを止めようとした相手が、誰なのか。
その名を、今から宇宙中へ流すのだ。
――――――
総帥府の広報編集室は、夜になってからの方が明るかった。
壁一面に並んだ端末が、次々と映像を呼び出し、切り、繋ぎ、文字を重ねていく。薄い紙の匂いより、機械の熱と人の焦りの匂いが強い部屋だった。
責任者の男が、送られてきた戦闘記録を見ながら言う。
「白い機体の動きは切りますか」
横に立っていた総帥府の実務担当官が首を振る。
「端に映る程度なら構わん」
「主役はそこではない」
責任者が頷く。
前方へ出る連邦側小型艦。
停止命令。
積荷一覧。
診療所向け薬剤。
学校向け教材。
生活物資。
患者搬送。
艦首砲の発光。
便の右舷外板を吹き飛ばすビーム砲。
そこまでを、何度も巻き戻しながら角度を変えて繋ぐ。
別の端末では、受け取り側の映像も整理されていた。
焼けた外板を見上げる当直医。
搬入口へ運び込まれる薬剤箱。
学校へ入る教材。
担架で降ろされる患者。
実務担当官が、机に置かれた仮題を見て眉をひそめる。
「長い」
責任者が言った。
「では、これで」
連邦軍、宇宙民間生活便に発砲。
担当官はその文字をしばらく見てから、短く頷く。
「いい」
「余計な形容はいらん」
「診療所向け薬剤、学校向け教材、患者搬送と分かればいい」
部屋の隅では、別の職員が文字起こしをしていた。
停止命令の音声。
積荷一覧の読み上げ。
発砲時刻。
受け取り時刻。
学校と診療所の受領記録。
使い道は一つではない。
広報用、議会向け、対外工作用、各サイド配信用。
映像一本から、何枚もの刃物を作る作業だった。
「サイド6の放送局へ最優先」
担当官が言う。
「次にサイド5」
「地球側へは少し遅らせろ」
「向こうに言い訳文を作る時間を与えないようにしたい」
誰も返事はしない。
端末を叩く音だけが早くなる。
白い灯りの下で、連邦軍が撃ったものは、もう軍の記録ではなく、宇宙中へ流すための証拠になりつつあった。
――――――
サイド6の夜のニュースは、いつもより少しだけ始まりが遅かった。
それだけで、見ている側は何か大きなことがあったのだと分かる。
港の近くの小さな食堂では、帰りの遅い作業員と、店仕舞い前の女将と、学校帰りの教員が揃って画面を見ていた。診療所の待合でも、夜勤の看護師が音を少し上げている。居住区画の家族たちも、夕食の手を止めていた。
画面の向こうで、女のキャスターが少し硬い顔で原稿を読む。
「本日未明、サイド7発北区向け生活便に対し、連邦側艦艇が停止命令を発し、その後、ビーム砲による射撃を行いました」
食堂の中で、食器の触れ合う音と話し声が、そこで一度途切れた。
キャスターは続ける。
「当該便には、診療所向け薬剤、学校向け教材、生活物資、患者搬送が含まれていました」
そこで映像が流れた。
前方へ出る小型艦。
停止命令。
積荷一覧。
そして、艦首砲の発光。
太いビームが暗い航路を横切り、二発目が便の外板を吹き飛ばす。
食堂の隅で、年配の荷役作業員が低く呻いた。
「撃ちやがった……」
画面はすぐ次へ切り替わる。
焼けた右舷外板。
診療所へ運ばれる薬剤箱。
学校へ入る教材。
キャスターの声が戻る。
「サイド6、サイド7、サイド5では、すでに港湾関係者、教育関係者、医療関係者から抗議の声が上がっています」
食堂の教員が、思わず言った。
「教材便よ」
女将が眉を上げる。
「軍の荷じゃないってことかい」
「違います」
教員の声は少し震えていた。
「うちの教室へ来る子どもの教材です」
診療所の待合でも、看護師が画面から目を離せなかった。
搬入口へ入ってくる薬剤箱の映像に、隣の当直医が低く言う。
「これ、うちにも回ってる便だ」
若い看護師が口を押さえる。
「患者を乗せた便なんですよね」
医師は、短く答えた。
「そうだ」
「だから余計に悪い」
ニュースはさらに、街頭の声を流し始めた。
学校前で立つ母親。
「子どもの教材を撃つのが正義なんですか」
診療所の看護師。
「薬を止めれば、困るのは兵隊じゃありません」
港の荷役作業員。
「確認したいなら、なんで撃つんだ」
食堂の中で、誰かがコップを置いた。
音がやけに大きく響く。
年配の作業員が、画面を睨んだまま言う。
「連邦は、そこまでやるのか」
誰もすぐには答えなかった。
だが、答えなくても、皆同じところへ辿り着いていた。
――――――
地球側のニュース番組は、同じ映像を少し違う順番で流した。
都心の小さなバーでは、仕事帰りの会社員と新聞記者崩れの男がテレビを見ていた。大学寮の談話室では、数人の学生が半分寝転がったまま、流れる映像に目を上げる。夜勤前の看護師がコンビニの前に止まり、店内のテレビへ顔を向ける。
男性キャスターが読む。
「宇宙域における確認手続きの過程で、民間便との間に武力的接触が発生しました」
「連邦軍は、治安維持任務の一環であったと説明しています」
だが、映像が流れた瞬間、その説明の薄さがむき出しになった。
積荷一覧。
診療所向け薬剤。 学校向け教材。 患者搬送。
ビーム砲。
焼けた船腹。
スタジオの解説者が、言葉を選び損ねる。
「これは……」
一度詰まり、それから言い直した。
「少なくとも、通常の軍需確認とは違って見えますね」
キャスターも声を少し落とした。
「政府は今期、宇宙方面艦隊の増強と治安維持予算の追加を承認しています」
「一方で、教育補助費、医療補助費の圧縮については、すでに国内でも批判が出ていました」
大学寮の談話室で、学生の一人が起き上がる。
「教育費を削って、教材便を撃つのかよ」
新聞記者崩れの男は、バーのカウンターで苦く笑った。
「笑えんぞ、これは」
「説明になってない」
コンビニの前にいた看護師は、小さく呟いた。
「患者搬送に、砲を向けるの」
画面の中では、政府報道官の会見映像に切り替わっていた。
「確認手続き中の不幸な接触であり――」
そこまで聞いて、看護師は歩き出した。
怒っているのか、呆れているのか、自分でもまだ分からない顔だった。
だが一つだけ、はっきりしていることがある。
この映像を見て、何も感じない方がおかしい。
――――――
サイド6では、その夜のうちに人が外へ出た。
港湾通路の前。
第三学区の門の前。
北区診療所の外。
最初は数十人だった。
仕事帰りの荷役作業員が立ち止まり、子どもを迎えに来た母親が足を止め、夜勤前の看護師が白衣の上に上着だけ羽織って出てきた。学校の若い教師が、教材箱を抱えたまま立っている。
誰も最初から叫ばない。
ざわつきはある。顔も赤い。だが、皆まだ、自分が何を言うのか探している。
港湾通路の手すりにもたれた作業員が、夜風に向かって吐き捨てるように言った。
「薬を積んだ便だぞ」
北区診療所の看護師が続く。
「患者も乗ってたんです」
学校の母親が、堪え切れないように声を上げる。
「子どもの教材よ!」
そこで、広場の空気が一気に変わる。
もう、説明はいらない。
港の向こうから遅れて来た男が、大きく息を吸って叫んだ。
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
数拍、間があった。
それから別の声が拾う。
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
三人目、四人目、五人目。
すぐに広場の端から端まで、その声が広がる。
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
港の灯りが白く揺れる。
学校の門の前でも、診療所の外でも、同じ言葉が上がっていた。
活動家の演説ではない。
暮らしを回している側の怒りが、その場でひとつの文句になっただけだ。
だからこそ強かった。
学校の若い教師は、抱えた教材箱を胸へ押し当てたまま、初めてその言葉を口にした。
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
北区診療所の看護師は、白衣の袖を強く握っていた。
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
それを聞いていた母親が、涙混じりの声で続ける。
「連邦軍は宇宙から出ていけ!」
もう止まらなかった。
港と学校と診療所が、同じ言葉で繋がってしまったからだ。
――――――
地球では、怒りの形が少し違った。
大学の門前。
労組の集会所前。
新聞社の前。
人はコロニーほどまとまってはいない。だが、軍事費の増額に不満を持っていた者たちが、宇宙の映像を見て別の怒りへ変わり始めていた。
手書きの紙が上がる。
軍事費を増やして教材便を撃つな。
患者搬送に砲を向けるな。
宇宙へ艦隊を送るな。
大学の前で、眼鏡の学生が叫ぶ。
「教育費を削って、学校向け教材を積んだ便に砲を向けるのか!」
労組の男が続く。
「医療を削って、薬を積んだ便を撃つのか!」
新聞社前では、若い記者がメモ帳を握ったまま呟く。
「これは治安維持じゃない」
地球で上がる声は、まだ「連邦軍は宇宙から出ていけ」にはならない。
だが、連邦政府が説明しづらい怒りとして、確実に広がり始めていた。
――――――
連邦政府の会見室は、その夜、冷房が強すぎた。
報道官の額にだけ汗がある。
「確認手続き中の不幸な接触であり、患者搬送の有無は現場で十分に確認できていなかった可能性が――」
記者席から声が飛ぶ。
「積荷一覧は出ていたのではありませんか」
別の声。
「診療所向け薬剤、学校向け教材、患者搬送と明記されています」
さらに別の声。
「今期の宇宙方面艦隊予算増額との関連は」
報道官の口が一瞬止まる。
そのわずかな間に、会見室の空気が完全に逆転した。
彼はもはや説明しているのではない。
説明しきれないものを薄く包んでいるだけだ。
それは見ている方にも分かる。
モニター越しの誰もが、それを感じていた。
――――――
サイド7では、その全部が一つの報告へまとまって戻ってきた。
サイド6港湾前、集会三百名規模。
第三学区前、保護者と教員中心の抗議集会。
北区診療所前、夜勤者による抗議声明。
地球側主要紙でも軍事費増大との関連報道開始。
エドワウの机には、その速報が積み上がっている。
アムロが、その一枚を読んで言った。
「広がったな」
セイラは、報告書から目を離さずに答える。
「当たり前よ」
「学校と病院と患者搬送を撃ったんだもの」
ララァは窓の外を見ていた。
港の灯りはまだ動いている。今日も便は入る。だがその向こうで、別のものも動き始めている。
「皆さん、もう知ってしまいました」
エドワウが顔を上げる。
ララァは静かに続けた。
「連邦軍が、宇宙で何を守って、何を踏んでもいいと思っているのか」
アムロは椅子にもたれたまま、短く言う。
「便利だから使ってたわけじゃなかったってことだな」
「はい」
ララァは頷く。
「前は、便利だから使っていました」
「今は、奪われたくないから守ろうとしています」
セイラがゆっくり息を吐く。
「なら、次の会議はお願いの場じゃないわね」
エドワウは報告書を揃えた。
「そうだ」
「宇宙で暮らす側が、何を止めさせないかを決める場になる」
机の端には、次回通信会議の準備書類がもう置かれていた。
港の責任者名簿。
学校受け入れ責任者候補。
診療所統括責任者候補。
今までは流れだったものを、これから名前で固定する。
アムロがそれを見て苦笑する。
「今度は言い訳できないな」
「させない」
エドワウは短く答えた。
「港を開ける人間」
「学校の受け入れを決める人間」
「病床を出す人間」
「そこまで揃えれば、もう簡単には戻せない」
窓の外の光は、まだ点々と動いている。
港へ入り、学校へ届き、診療所へ入る便がある。
その便を守るための言葉が、今夜、宇宙のあちこちで初めて同じ形になった。
連邦軍は宇宙から出ていけ。
エドワウは、机の上の次回会議資料へ手を伸ばした。
「始めるぞ」
誰へ言ったのでもなかった。
だが、部屋にいた三人は全員、その言葉の意味を理解していた。