ジオンの居住区に置かれた大型表示盤は、普段より明るく見えた。
室内の照明は落としてある。壁際の鉢植えの影が床へ長く伸び、窓の外に見えるコロニーの人工夜景より、表示盤の白い文字の方が強く目に入る。食器を片づけたばかりの低い卓に、まだ湯気の残る茶器が二つ置かれていたが、ガルマもマレーネも手を伸ばしていなかった。
画面にはサイド4外縁の広域図が映っている。細い航路線の上を点がいくつも動き、その一つひとつに識別番号が付いていた。訓練艇。小型輸送艇。整備班輸送船。民間貨客船。そこへ、別の色で描かれた巨大な質量反応が、ゆっくりと近づいてくる。
ガルマは立ったまま、その反応を見ていた。
「……あれが、サードルナか」
マレーネは肘掛けに腕を預け、画面から目を離さないまま答えた。
「ええ。ブッホ・コンツェルンの管理鉱区。採掘量が落ちて、放棄予定だった石よ。軍の港にするには面が悪い。係留面も少ない。だから誰も気にしてこなかった」
映像が切り替わる。外縁寄港地の実写映像だった。係留灯が一列消え、補給タンク車の列が途中で止まっている。発着管制の赤い灯が点いたまま変わらない。避難勧告の音声が低く流れていた。
「寄港地の発着が落ちてる」
ガルマが言うと、マレーネは端末を手元へ寄せた。
「今朝から三割減。整備班を乗せた艇は、外で待たされてる。医療区画行きの小型艇も優先順位を落とされたわ」
「民間船もか」
「軍籍だけじゃない。あそこへ人が集まるのを嫌がってるの」
ガルマは、画面の中でゆっくりと位置を変える大きな影を見続けた。ノズルの火が点くたび、岩塊の向きが少し変わる。遠目には鈍いが、止まってはいない。
「サイド4に集まってたのは、候補生だけじゃないんだろ」
「教官も、整備も、通信も、主計も。あそこへ人が寄れば、いずれ軍になる。ティターンズはそれを潰しに来た」
ガルマの喉が小さく動いた。
「そんなものを、あそこへ持ってくるのか」
「持ってくるのよ」
マレーネはそこで、ようやくガルマの方を見た。
「だから、ニュースになってる」
ガルマは返事をしなかった。画面の光が頬に当たっている。穏やかな顔立ちのままなのに、目だけが動かない。マレーネはその顔を見て、机の上の茶器には触れず、もう一度画面へ視線を戻した。
サイド4外縁。レビル艦隊急行中。ティターンズは治安維持行動と主張。民間寄港地に避難勧告。どれも画面の下に文字で流れていく。
ガルマはゆっくりと息を吸った。
「兄上は」
「もう聞いてるわ」
「……そうか」
それだけ言って、彼はまた画面を見た。
――――――
レビル艦隊は、黒い空の中を層を分けて進んでいた。
先に出ているのはネモの編隊だ。薄緑の機体が、一定の間隔を保ちながら外側へ広がっていく。その内側を、リック・ディアスがやや間を詰めて進む。さらに後ろに輸送艦、整備艦、補給艇。艦列は綺麗ではない。急いで集めた人間と機材を、その場その場でつないで前へ押し出した隊列だった。
旗艦の指揮所には低い振動が続いている。誰も声を荒げないが、通信士の言葉は切れ目なく飛んでいた。
「前衛ネモ隊、外周警戒線展開」 「第二区画、識別反応三。巡視艇の可能性」 「補給艇、第三列へ後退。整備艦との距離詰めすぎ」
ブレックスは指揮卓の端に立ち、表示盤へ目を向けていた。肩越しに見ると、航路は細い。サイド4へ向かう線は何本かあるが、訓練艇や小型輸送艇が現実的に使える筋は限られている。その先に、巨大な質量反応が割り込もうとしている。
「ネモはさらに外を取れ」
ブレックスが言う。
「火点の向きと数を先に拾う。ディアスは接近位置を急ぐな。砲座の正面へ機首を向けるな」
通信士が復唱し、前衛へ流す。
レビルはそのやり取りの少し後ろで、前方映像を見ていた。背筋を伸ばしたまま、手は椅子の背に軽く置いているだけだ。
「熱源、再確認」
観測班が即座に応じた。
「六。外殻赤道帯に等間隔。熱核エンジンと推定。旧艦船体反応五。うち二つは砲座展開済み」
別の観測員が言う。
「小型艦影、外殻陰に複数。巡視艇、武装輸送艦の可能性あり」
レビルは短くうなずいた。
「岩ではないな」
「ええ」
ブレックスが答える。
「岩へ砲と燃料と人を貼りつけた前進拠点です」
旗艦の通路を、若い候補生が急ぎ足で横切っていく。まだ肩章の付き方も硬く、軍服の布が身体に馴染んでいない。その後ろを、古い宇宙軍の制服を着崩した老兵が歩いていた。同じ艦内に、別の時代の人間が混ざっている。
レビルはその背中を一度だけ見て、それからまた前を向いた。
「前へ出る」
ブレックスはわずかに眉を動かした。
「距離が近くなります」
「わかっている」
レビルの声は低いままだった。
「だが、見せる必要がある」
ブレックスは二秒ほど黙り、それから通信士へ顔を向けた。
「旗艦、前進。距離は詰めすぎるな。先遣との間隔維持」
艦がわずかに前へ出る。振動が変わる。旗艦の先端が、サードルナの方角をまっすぐ指した。
――――――
サードルナの外殻では、作業員の足が絶えず動いていた。
黒い岩肌に沿って仮設通路が伸び、ところどころに白い作業灯が吊られている。採掘用のクレーンは切り離され、その台座には砲架が据えられていた。旧式巡洋艦の船体が外殻へ半ば埋め込まれ、艦首砲だけを外へ向けている。輸送艦の貨物甲板は開け放たれ、そこへ燃料タンクと弾薬容器が並んでいた。
坑道の奥から台車が出てくる。円筒形の弾薬容器が三本、固定具で押さえられている。台車を押しているのは、つい先日まで採掘班だった人間と、軍から来た補給兵だ。作業着の色も歩幅も揃っていない。だが誰も立ち止まらない。
現地司令官は外部映像に目を向けた。
遠方に、微かな光が散っている。ネモの編隊だった。
「来たな」
監察局の将校が言う。
司令官はうなずく。
「予定より早い」
工兵責任者が端末を確認する。
「推進維持中。減速開始はまだ四時間先。現位置からの微修正は六基で取れます」
「このまま行く」
「第三砲座、装填済み」 「北面補給デッキ、受け入れ準備完了」 「第四坑道、分散弾薬庫への搬入継続中」
報告が重なる。
監察局の将校が外殻の図面を見ながら言った。
「向こうは火点を潰しに来る。構わん。砲座が一つ沈んでも進路は変わらない」
司令官は応じない。前だけを見ている。
サードルナの価値は、ここから撃てることではない。ここへ来ることだった。サイド4外縁の寄港地と、その先の細い航路。その近くへ、この質量を持ってくること。
そのために、六基の推進器が外殻赤道帯で順番に噴いた。小惑星全体に鈍い振動が走る。岩肌に取り付いた作業灯が細かく揺れた。
「姿勢制御、維持」
工兵責任者が言う。
「片側三基をやられない限り、予定位置へ入れます」
監察局の将校が鼻で笑う。
「そんな真似をされる前に、こちらが止まる」
司令官はようやく口を開いた。
「油断するな。あれは寄せ集めだが、前へ出てくる」
外殻の砲が、ゆっくりと向きを変える。黒の中で、金属だけが冷たく光った。
――――――
サイド4外縁の寄港地では、灯の数が目に見えて減っていた。
管制塔の窓から見える桟橋は広いのに、空いている場所が少ない。出入りしている艇は多くないのに、動きが詰まっているせいだった。整備が終わらない。燃料補給が間に合わない。医療区画へ回された艇が戻ってこない。救援のために外へ出た艇が、警戒命令で待機させられる。
候補生たちが木箱と資材容器を運んでいた。年若い顔に汗が浮き、軍靴の歩幅はまだ揃わない。だが教官は手を緩めなかった。
「通路を空けろ! 補給艇が入る!」 「その工具箱は整備区画へ! 桟橋に置くな!」 「通信班、二番回線を医療へ回せ!」
返事が飛ぶ。箱が運ばれる。小走りの足音が桟橋の金属板へ響く。
若い通信課程の候補生が、頭上のモニターへ目を上げた。遠い光が二つ、三つ、瞬いている。サードルナ側の砲火だった。
「見える……」
小さな声だった。
隣で配線を抱えていた整備課程の候補生が言う。
「見るな。手を動かせ」
「でも」
「見るなって言ったろ」
教官がその横を通り過ぎた。
「気になるなら、先に戻ってくる艇の係留索を持て。今いる場所の仕事を覚えろ」
候補生は口を閉じ、配線束を抱え直した。遠くの砲火はまだ見える。だが、いま自分が持っているのは工具と配線だ。そこから逃げる場所はない。
サイド4の外縁では、もう誰も安全な客ではいられなかった。
――――――
サイド7の仮設司令室では、エドワウとアムロが並んで表示盤を見ていた。
部屋は広くない。もとは搬入計画の調整室だった場所に、いまは航路図、補給表、整備日程、寄港地の稼働状況が並べられている。壁の端にはディアスとネモの予備部材の一覧が貼られ、その下に油のついた工具箱が開いたまま置かれていた。誰かが途中で呼ばれたのだろう。
アムロが前方映像を止める。サードルナの外殻に、推進器が六基並んでいる。
「外殻赤道帯に六基。やっぱり等間隔だ」
エドワウは別の画面で寄港地の発着数を見ていた。
「訓練艇の発着が落ちた。整備班輸送艇はもっとひどい。入っても戻れない」
「ネモは走れてる」
「走れてるだけだ」
エドワウの答えは速かった。
「着いたあと、何を使って人を回す。候補生が来る。教官も来る。整備班も通信も来る。だが寄港地が詰まって、整備艦が入れず、補給艇が待たされるなら、その先が詰まる」
アムロは映像を拡大した。外殻の砲座、旧艦、坑道入口。
「ディアスで火点は潰せる。でも、あれ自体は止まらない」
「正面から削るには大きすぎる」
「ネモは外を走れる。でも火力が足りない」
アムロは一度黙った。
それから、推進器の図を見たまま言う。
「六基……全部を守るには便利だ。でも、全部が同じ出力で働くことが前提だ」
エドワウが横目で見る。
「片側三基か」
「まだそう決めたわけじゃない」
アムロは首を振った。
「でも、一基じゃ足りない。二基でも、たぶん無理だ。片側三基が沈めば話は変わる」
エドワウは返事をせず、寄港地の発着線へ視線を戻した。
「先に、いまの戦いを持たせる。正面からは止まらなくても、距離を縮めさせすぎると詰む」
アムロはその言葉に何も返さなかった。
二人とも、まだ答えを最後まで言葉にしてはいない。だが、向いている先は同じだった。
――――――
最初の接触は、サイド4外縁の暗い空で起きた。
ネモの編隊が外側へ散る。距離を取り、火点の向きを拾う。砲座が一つ、二つ、こちらへ口を向ける。
「来るぞ!」
先頭機の声が走る。
光が飛ぶ。黒の中に細い線が走り、その直後に衝撃が来た。
ネモが軌道をひねる。後ろを走っていた機が肩を掠められ、火花を散らす。
「右肩被弾! 制御まだ生きてる!」
「離脱するな! 外周維持!」
別の編隊がさらに外へ広がる。砲座の向きが変わる。そこへディアスが入る。
「第三区画、行く!」
リック・ディアスのビームが、外殻に固定された砲座へ直撃した。金属板がめくれ、砲身が折れる。
「一基沈黙!」
だが次の瞬間、別の角度から砲火が来る。外殻へ埋め込まれた旧艦の砲だ。見えなかった位置から、太い光が伸びた。
「下!」
ディアスが落ちるように軌道を変える。直撃は避けたが、左脚の装甲が焼ける。
「被弾! 動ける!」
ネモは外を走り続ける。ディアスが近づいて撃つ。サードルナの火点もまた別の位置から撃ち返す。
外殻の一部が崩れ、補給デッキの縁が吹き飛ぶ。だが、その奥の坑道から弾薬台車がまた出てくる。砲座が沈んでも、進路が乱れない。
サードルナの推進器が六つ、順に光った。
「……まだ進んでる」
ネモのパイロットが歯を食いしばる。
ディアスがもう一度近づく。今度は外殻増設区画へ撃ち込む。装甲板がめくれ、仮設通路が折れる。作業灯が消える。
だが岩塊そのものは鈍く、確実に前へ出てくる。
「止まらない!」
「わかってる!」
通信に怒鳴り声が混じる。
戦いは続いている。損害は与えている。だが、押し返してはいない。
それが一番重かった。
――――――
旗艦は、前へ出ていた。
ブレックスは表示盤から目を上げずに言った。
「距離が近い」
レビルは答える。
「見えている」
「だから言っているのです」
「見せる必要がある」
短い言葉だった。
旧宇宙軍残党の将兵も、流れてきた若い候補生も、この艦の前方映像を共有している。旗艦が後ろにいれば、艦隊全体の呼吸が変わる。レビルはそれを知っていた。
ブレックスは口を閉じた。間違っているとは思わない。危ないとも思っている。その両方だった。
その時、観測班が声を上げた。
「サードルナ側反撃、旗艦方向へ集中!」
前方映像の中で、外殻陰にいた小型艦が二隻、三隻と出てくる。武装輸送艦か巡視艇か、区別がつかない。だが砲口は全部こちらを向いていた。
「ネモ、割り込め!」 「ディアス二番、左へ! 旗艦の前を塞げ!」
命令が重なる。
レビルは動かなかった。指揮卓の端に置いた手がわずかに強くなるだけだ。
エドワウが遠隔通信で叫ぶ。
「距離を取りすぎるな、でも正面を空けるな!」
アムロの声も重なる。
「左上の小型艦、あれから来る!」
ネモが飛び込む。砲火の前へ割り込む。光が弾け、黒い空に細かい破片が散った。
ブレックスが低く言う。
「これ以上は押せません」
レビルは数秒、前を見たまま黙った。
サードルナはまだ進んでいる。こちらは削っている。だが、止まらせていない。このまま押せば、先に削れるのは前へ出た艦と人員の方だ。
レビルはうなずいた。
「引く」
ブレックスは即座に命じる。
「一時後退。外縁線引き直し。ネモは外周を切らすな。ディアスは火点を見ながら距離を取れ」
艦隊が少しずつ離れる。ネモは外を保ち、ディアスは火線を切りながら後退する。旗艦も進路をわずかに変えた。
サードルナの推進器がまた噴く。
六つの光が、順番に黒を照らす。
進路は変わらない。
アムロの声が通信に落ちた。
「……正面から削っても、間に合わない」
エドワウが答える。
「別のやり方が要る」
その一言は小さかった。だが、そこにいた全員が同じところへ辿り着いていた。
外縁寄港地の灯は減ったままだ。サイド4の若い候補生たちは、遠い砲火の明滅を見ている。サードルナはなお前へ出る。レビル艦隊は距離を取り直す。
誰も勝ったと思っていない。
だが、誰も止まるとも思っていなかった。