妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第188話 白い艦は前へ出る

 

サイド7外縁宙域は、静かだった。

 

静かすぎる、と言ってもよかった。

 

黒い宇宙の奥で、サイド7の人工光が細く長く並んでいる。近づけば港湾設備や外縁ブロックの灯に分かれるのだろうが、まだ遠いこの距離では、冷えた針金のような白い筋にしか見えない。

 

ホワイトベースを中心とした艦隊は、その灯へ向かって速度を落としていた。戦闘隊形というほど尖ってはいない。かといって、平時の緩い航行でもない。迎えるための隊列だった。

 

レビルとブレックス・フォーラを乗せたシャトルが、護衛艇を伴ってこちらへ向かっている。

 

今日の任務は、それを迎え入れることだ。

 

艦内の空気は、出撃前とも、入港前とも違っていた。通路は整えられ、補給箱は壁際へ寄せられ、ハッチ周辺もいつもより広く空けてある。それでも、乗員たちの顔つきには戦闘前の色が残っていた。迎えの任務であるほど、壊されやすい。若い者でも、それくらいは分かる。

 

ブリッジでは、正面スクリーンの下でブライト・ノアが端末を抱えて立っていた。通信席から上がる確認、航法席の修正、砲術席の待機報告。それらを聞き取り、整理し、必要なものだけをパオロ・カシアスへ渡していく。

 

候補生の肩書はまだついている。

 

だが、仕事の中身はもうそれだけでは済まなくなっていた。

 

パオロは副長席から前を見たまま言った。

 

「今日は撃ち合いに勝っても意味がない」

 

ブライトは端末から目を上げる。

 

「シャトルをこっちへ入れる。それが全部だ。忘れるな」

 

「はい」

 

返事をしたあとで、自分の声が少し固いことに気づいた。喉が乾いている。

 

敵を沈めれば勝ち、という戦いなら分かりやすい。だが今日は違う。レビルとブレックスを無事に受け取ること、それだけが結果になる。途中で何を壊そうと、それができなければ負けだ。

 

パオロはそれ以上、念を押さなかった。若い士官が飲み込むべき重さは、自分で飲み込ませるしかないと知っている男の顔だった。

 

――――――

 

格納庫では、別の重さが動いていた。

 

迎えのための台車、識別タグの箱、受け入れ用の簡易柵、予備部材。戦闘だけなら奥へ追いやっておけばいいものが、今日に限っては前へ出てくる。その一つ一つが、いざ撃ち合いになれば邪魔になる。

 

エマリー・オンスは、その邪魔なものを睨みながら歩いていた。

 

「その台車、まだそこですか」

 

若い整備兵が振り返る。

 

「シャトル側の受け入れで使います」

 

「使うのは後です。いまは壁へ寄せてください」

 

「オンスさん、今日くらい穏やかに」

 

「今日だからです」

 

言いながら、彼女は自分で台車の前輪を蹴って向きを変えた。作業服の袖口には油の筋が一本ついている。髪は邪魔にならないようにまとめ、端末と工具を片手ずつ持っている。その手は休まない。

 

篠崎アレンがネモの脚元から顔を出した。

 

「迎えの日に来るほど、向こうも空気読まないかな」

 

エマリーは足を止めずに返した。

 

「読む相手ならティターンズやってません」

 

格納庫の奥で小さく笑いが起きる。笑いはすぐ消え、点検灯の白い光だけが残った。

 

その時、入口にブライトの姿が見えた。

 

エマリーが顔を上げる。

 

「候補生さん」

 

「準備は」

 

「出せます。迎えも戦闘も、どちらでも」

 

「両方やることになるかもしれない」

 

「なるつもりで組んでます」

 

短い会話だった。

 

だが余計な言葉は要らなかった。互いに、今日は面倒な日になると分かっている。

 

ブライトは格納庫を見回した。壁際へ寄せられた箱、空けられた帰投レーン、前へ出した受け入れ台車。前話までにエマリーが削った無駄が、そのまま残っている。

 

それは小さい。だが、小さいものほど艦の中では効く。

 

「何かあれば、すぐ上げてくれ」

 

「上げます」

 

ブライトは頷いて去った。

 

エマリーはその背中を目で追わない。追えば手が止まると分かっていた。

 

――――――

 

シャトル群が視認距離へ入ると、ブリッジの空気はさらに薄くなった。

 

正面スクリーンに、小型シャトルの推進光が列を作る。左右には護衛艇。その後方には、さらに小さな味方艦の影がある。サイド7の灯を背負ってこちらへ来るその姿は、戦争の中に唐突に現れた儀礼のようでもあった。

 

通信席が時刻を読み上げる。

 

「シャトル群、予定どおり接近中。護衛艇、二番、三番、識別確認」

 

航法席がそれに続く。

 

「接触位置、修正なし」

 

パオロは頷く。

 

ブライトは端末を持つ手に少し力を入れた。ここで何も起きなければいい、と願うこと自体は愚かではない。だが、願いだけで済むような場所ではない。

 

その時、索敵担当の声が変わった。

 

「ノイズ増大……右外縁、識別乱れます」

 

通信席が顔を上げる。

 

「護衛艇より警告。熱源急増!」

 

次の瞬間、ティターンズの艦艇とマラサイ隊が、スクリーンの右端に割り込んだ。隠そうともしない。狙いは明白だった。シャトルを叩くか、接触位置をずらすか、どちらにせよ迎えの任務を壊しに来ている。

 

「来たな」

 

パオロが言う。

 

その声には驚きがない。敵がそこにいる以上、やることは一つしかないという声音だった。

 

「艦を前へ出す」

 

続けざまに命令が飛ぶ。

 

「シャトルを内側へ引き込め」

 

「右のサラミス、護衛艇を包め」

 

「左はシャトル後方を閉じろ」

 

「ホワイトベース、前へ!」

 

白い艦体が前へ出る。シャトルの正面へ、文字どおり盾になる位置へ滑り込んだ。

 

それは見事な判断だった。艦で人を庇う、と口で言うのは簡単だ。実際に艦を差し出す決断は、別の種類の胆力を要する。

 

敵弾は、その判断の正しさを証明するように飛んできた。

 

一撃目で艦体が鳴る。

 

床が跳ね、照明が白く明滅した。計器盤の警告灯が乱れ、どこかで短い悲鳴が上がる。

 

二撃目はもっと近かった。

 

パオロの身体が大きく横へ振られ、計器の角へ肩から叩きつけられる。鈍い音がして、その巨体が膝を折った。額の端が裂け、制服の胸に血が落ちる。

 

「副長!」

 

ブライトが駆け寄る。

 

パオロは苦痛で片目を細めたまま、ブライトを見た。

 

「ノア……」

 

声は掠れていた。

 

「指揮を取れ」

 

一拍。

 

「シャトルを通せ」

 

それだけだった。

 

若い士官に与えられる継承など、案外そんなものかもしれない。立派な文句も、慰めもない。ただ、重いものだけが押しつけられる。

 

ブライトはほんの一瞬だけ息を詰めた。

 

だが、その一瞬を長くしてはならない。

 

「被害報告を上げろ!」

 

「シャトルの位置!」

 

「護衛艇、まだ生きているか!」

 

「右舷火器、使えるか!」

 

声が飛び交う。報告はまだまとまらない。だからこそ、必要なものから掴まねばならない。

 

ブライトは喉の奥の乾きを無視して声を張った。

 

「落ち着け!」

 

明るいブリッジが、その一声で一度止まった。

 

「シャトルはまだ生きている」

 

「通せば勝ちだ」

 

自分でも、その言葉が何かを切り替えたのが分かった。勝つとは何か、という定義を先に揃えなければ、この場はばらける。

 

――――――

 

格納庫もまた、大きく揺れた。

 

受け入れ用の台車が片輪を浮かせ、壁際の箱が半歩ずれる。整備兵が一人転倒し、別の一人は飛んできた工具箱の角で額を切った。

 

エマリーはまず負傷者を見た。

 

次にレーンを見た。

 

その順番が、この十六歳の少女を少女のままには見せない。

 

「動ける人は持ち場へ!」

 

「動けない人は壁際!」

 

「受け入れレーン閉じて、二番と三番を戦闘側へ戻してください!」

 

「その箱、いま!」

 

「でも、担架を――」

 

「担架は壁際! 先にレーン空けて!」

 

誰かが言い返す前に、彼女は自分で台車を押しのけた。重い車輪が床を鳴らし、整備兵一人の肩を掴んで立たせる。別の二人を手で呼び、空いた隙間へ押し込む。

 

その時、帰投しようとしたネモの一機が停止位置を少しだけ外した。

 

ほんの半歩だ。

 

だが、戦闘中の格納庫ではその半歩で次の一機が詰まる。

 

「そこ、止まらないで!」

 

「三番、左へ寄せて!」

 

「台車どけて!」

 

エマリーは走った。整備兵の腕を引き、箱の角を蹴り、ネモの進路を空ける。作業灯の光が彼女の肩を白く照らし、その影が機体の脚の下で揺れた。

 

ネモの足先が床をかすめて入り、危うい音を残して止まる。

 

それで終わりではない。

 

「二番レーン、まだ空けて!」

 

「壁際もっと寄せて!」

 

彼女は迎えのために整えた格納庫を、その場で戦闘と救難の格納庫へ作り替えていた。

 

――――――

 

ブリッジでは、ブライトが敵の狙いを読み切りつつあった。

 

敵はホワイトベースを沈めたいのではない。シャトルを迎える位置と時刻を狂わせたいのだ。ならばこちらがすべきことは追撃ではない。線を作ることだ。

 

「右、前へ出るな!」

 

「シャトルの横を閉じろ!」

 

「左、半歩下がれ! 斜線だけ取れ!」

 

「中央を空けるな!」

 

「ホワイトベース、正面維持!」

 

左右のサラミスが位置を変える。ホワイトベースが前で受け、左右が包み、シャトルの抜ける細い通路だけを残す。

 

パオロが血に濡れたまま、低く言った。

 

「それでいい」

 

認めるというより、今その判断を貫けという一言だった。

 

ブライトはうなずく暇もなく、さらに声を飛ばす。

 

「右、まだだ!」

 

「左、待て!」

 

「……いま!」

 

一斉斉射。

 

ホワイトベース主砲、左右サラミスの砲撃、外周のネモとリック・ディアスの圧力が一点に重なった。ティターンズ艦艇の一隻が艦腹を打たれ、大きく姿勢を崩す。マラサイ隊もそれに引かれるように散る。

 

敵はここで離脱を選んだ。

 

完全な撃破ではない。

 

だがそれでよかった。今回の勝敗は残骸の数では決まらない。

 

シャトルは抜ける。

 

それでいい。

 

――――――

 

戦闘が終わると、報告は急に冷たくなる。

 

「護衛艇一、機関停止」

 

「デッキ班二名、死亡確認」

 

「右区画一名搬送中……心肺停止」

 

無機質な言葉ほど、人間をよく傷つける。

 

レビルとブレックスを乗せたシャトルは、どうにかホワイトベースの庇護下へ入った。迎えの任務は続行できる。勝利だ、と言ってしまえば言えた。

 

だがブライトは何も言えなかった。

 

守ったはずなのに、守れなかったものがある。

 

その感覚は、十九歳の肩には少し重かった。

 

――――――

 

戦闘後、格納庫脇の通路は奇妙に静かだった。

 

人の行き来はある。担架も通る。遠くで工具の音もする。だがブリッジほど密ではなく、格納庫ほど騒がしくもない。その半端な静けさが、かえって人の心に空きを作る。

 

ブライトはそこへ降りてきた。

 

表向きは損傷確認のためだ。だが、本当は少しだけ呼吸の置き場が欲しかった。

 

「オンスさんがいなければ二番レーン潰れてましたよ」

 

すれ違った整備兵がそう言い残し、走り去る。

 

エマリーはその場にいた。工具を持ち、いつもの仕事の顔をしている。だがブライトの顔を見ると、何かを悟ったように目を細めた。

 

「助かった」

 

ブライトはそれだけ言った。

 

エマリーはすぐには答えなかった。

 

工具を持つ手が一瞬だけ止まり、視線が落ちる。それからいつもの顔を作って言った。

 

「戻ってきたので」

 

ブライトはうなずいた。

 

そのあとで、言葉がこぼれた。

 

「……守れなかった」

 

誰に向けたわけでもない。自分へ向けて落ちただけの一言だ。

 

エマリーは慌てなかった。

 

「シャトルは通りました」

 

「大将たちも来ます」

 

そこで一度言葉を切る。

 

「でも、亡くなった人は戻りません」

 

ブライトが目を上げる。

 

エマリーの顔に、安い慰めはなかった。十六歳に見える顔で、縋る子どもではなく、一人の大人としてそこに立っている。

 

「だから、忘れなければいいです」

 

静かな声だった。

 

「今日は、それでいいです」

 

ブライトは言葉を失った。

 

前なら、自分がこういう言葉を返す側だったはずだ。なのにいま、三つ下の少女に息の置き方を教えられている。

 

エマリーは一歩近づいた。

 

そして、そっと彼の手を取った。

 

強くではない。けれど逃がさない程度には、はっきりと。

 

ブライトは驚いた。振り払わない。振り払いたいと思わなかった。

 

エマリーはそのまま、彼の手を引っ張り補給品の陰に連れて行く。

 

そして二人の影が重なった。

 

向こう側の通路を、担架を押す足音が通り過ぎる。誰かの怒鳴り声、誰かの応答、金属のぶつかる音。それらが全部、補給箱の向こう側の世界へ押しやられたように遠くなる。

 

ブライトは息を詰めたまま動けない。

 

エマリーも何も言わなかった。

 

だが、その沈黙はただの沈黙ではなかった。慰めであり、励ましであり、言葉にしなかったもの全部を渡すための時間だった。

 

やがて人の気配が近づいてくる。

 

エマリーは先に離れた。何事もなかったように工具を持ち直し、いつもの仕事の顔へ戻る。

 

「三番機、最終確認が残っています」

 

それだけ言って、格納庫の方へ歩き出す。

 

ブライトは補給箱の陰に少しだけ残った。

 

まだ整理できないものが胸の中にいくつもある。相手は三つ下だ。その認識は消えない。だが、その三つ下の少女に、たった今、自分は確かに救われたのだ。

 

――――――

 

やがてサイド7の灯りはさらに大きくなる。

 

レビルとブレックスを乗せたシャトルは、その灯の方へ進んでいく。ホワイトベースと随伴艦は、その周囲を守るように針路を保っていた。

 

迎えの場は壊されなかった。

 

だが、そのために流れた血は消えない。

 

白い艦は、それらを全部載せたまま、それでも前へ進む。

 

ブリッジではブライトがその灯を見た。

 

格納庫ではエマリーが機体の影越しに同じ灯を見た。

 

二人は別の場所にいながら、同じ一日が終わろうとしていることを知っていた。

 

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