妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第189話 線はまだ細い

 

ミノフスキー粒子が濃く散布された宙域では、遠くの艦影も、近いはずの味方機も、薄い霧の向こうにいるように見えた。

 

連邦軍艦隊は、その白く濁った戦場の前に、無人兵器群を押し出していた。艦首下のカタパルトから、整然と、まるで式典の展示飛行のような正確さで機体が射出されていく。姿勢制御スラスターの光が等間隔に並び、暗い宇宙に細い筋を引いた。

 

艦内では参謀たちが落ち着いた顔で端末を見つめ、数字の推移に満足そうな声を漏らしていた。

 

「これで人的損耗を抑えられる」

 

「前衛を機械に任せれば、有人隊は温存できます」

 

「粒子下でも、編隊制御そのものは保っている」

 

机の上の戦争は、たいてい整って見えるものだ。整って見えるからこそ、人はそこへ願望を重ねやすい。

 

デッキ脇で発艦を見上げる有人MS隊のパイロットたちは、その願望に付き合う気がないらしかった。

 

若い少尉が、ヘルメットを小脇に抱えたまま、隣に立つ中年の大尉へ小声で言った。

 

「あれを本当に前へ出すんですか」

 

大尉はスクリーン越しではなく、自分の目で飛び出していく無人機を見ていた。年季の入った顔に浮かぶのは期待ではなく、面倒ごとを前にした職人の表情だった。

 

「上は“使える”と思ってる」

 

少し間を置く。

 

「思ってる間は使うさ」

 

若い少尉は笑わなかった。笑える話ではないと分かっていたからである。訓練段階で、彼らはもう見ている。映像の遅れ、応答の鈍さ、唐突に起きるノイズ、目の前で動いている機体と、自分たちの計器に映る位置がずれる、あの嫌な感覚を。

 

それでも無人機は前へ出る。

 

今日の戦場では、人間の懸念より、上層部の希望の方が優先されたのであった。

 

――――――

 

交戦が始まると、希望というものがいかに薄いものであるかは、驚くほど早く明らかになった。

 

最初に乱れたのは映像だった。

 

管制卓のスクリーンに映る無人機の視界が、粒子のノイズに撫でられて白く歪む。次いで応答が遅れた。こちらが命令を送ったあと、一拍置いてから機体が動く。その一拍が、戦場では致命的に長い。

 

通信兵が身を乗り出した。

 

「三番群、応答遅延!」

 

技術士官がその横から別の表示を指差す。

 

「まだ拾えます、再送を」

 

「拾えていません、ロストです!」

 

「いや、六番だけ生きてる!」

 

言葉が重なり、誰も自分の声がどこまで届いているのか分からなくなる。

 

無人機群の一部は命令更新を受けられないまま直進し、別の一群は回避機動の途中で姿勢を戻せず、そのまま味方の有人MS隊の前を横切った。

 

「どけ!」

 

若い中尉が叫ぶ。

 

「前を塞ぐな!」

 

別のパイロットが怒鳴る。

 

「誰だ、こんなものを前へ出したのは!」

 

だが、無人機は何も返さない。返せるはずがない。返事をするための意思を持っていないからだ。

 

彼らはただ、遅れた命令と切れた信号の間で惰性のように流れ、味方の前に割り込み、射線を塞ぎ、退路を汚していった。

 

敵弾で撃ち落とされる場面は、むしろ分かりやすかった。機体が爆ぜ、破片が散る。それだけだ。

 

より屈辱的だったのは、味方を助けるために作られた兵器が、味方の思った通りに動かないことだった。

 

目の前で、無人機の一機が回避指示を受けきれないまま半回転し、有人機の鼻先をかすめて流れていく。有人機のパイロットは回避を余儀なくされ、その隙に敵弾が背後を切った。

 

「邪魔だ!」

 

怒鳴り声は、怒りというより悲鳴に近かった。

 

技術士官たちは端末の上で数字を追い続けていたが、その数字が示しているのは性能ではなく、崩壊の順番でしかないように見えた。

 

――――――

 

前線が乱れれば、それを埋めるのは結局、人間だった。

 

有人MS隊が前へ出る。

 

本来なら無人機群が削っておくはずだった敵の圧力を、彼らがそのまま受け持つことになる。しかも戦場にはすでに、自軍無人機の漂流機や破片が散らばっていた。

 

一機、また一機と避ける。

 

流れた残骸の間を縫う。

 

目の前に敵がいるのに、まず味方の失敗の後始末から始めなければならない。

 

若い中尉が、息の詰まった声で言った。

 

「敵じゃない……味方が増えただけだ」

 

その機体の横を並んで飛んでいたベテランの少佐が、短く返す。

 

「違う」

 

少佐は前を見たまま続けた。

 

「敵より始末の悪い味方だ」

 

その一言で、無人兵器に対する現場の感情は十分に固まった。

 

やがて艦隊は後退を決断する。勝ったとも、引き分けたとも言い難い。撤退路を取るにも、自軍無人機の破片が邪魔をする。機体は残骸を避け、艦は針路を絞り、全体の動きが鈍る。

 

逃げる味方の足を、味方自身が引っ張っている。

 

そのみじめさは、敵弾の直撃より兵士たちの記憶に深く残るだろう。

 

戦域を離れたあとにも、艦内に勝敗の空気はなかった。ただ、後味の悪い敗残感だけが残っていた。

 

――――――

 

ジャブローの地下会議室は、いつ来ても空気が重い。

 

壁面の表示板には損耗表、通信断絶率、粒子濃度の推移、無人機喪失数が整然と並んでいる。整然としているだけに、そこに表れた数字の惨めさがかえって際立つ。出席者は多かったが、誰ひとり、この会議へ喜んで来た者はいない顔をしていた。

 

技術本部の士官が口火を切る。

 

「今回の失敗は、粒子濃度が事前想定を上回ったことが大きな要因です」

 

運用側の将官が、間を置かずに返す。

 

「使えると説明されたから投入した」

 

補給部の担当者が肩をすくめる。

 

「整備状態に問題はありません。納入時点の規定値は満たしていました」

 

誰もが、自分の前だけをきれいにしようとする。会議というものは、たいていそういう場面から始まる。

 

その時、戦場から戻った現場将官が口を開いた。

 

「失敗したのは機械じゃない」

 

室内が少し静かになる。

 

向かいの技術官が眉を寄せた。

 

「では何です」

 

将官は壁面の損耗表を見たまま言った。

 

「前提だ」

 

誰もすぐには言い返さなかった。

 

「見えない戦場で、切れた味方と沈黙した兵器を、一つの意思で動かせると思った」

 

そこでようやく、視線が何人分か下を向く。

 

「その考えそのものが敗因だ」

 

会議室の空気は、それでさらに重くなった。だが重くなったからといって、正しい答えが目の前に転がり出るわけではない。軍組織というものは、痛点を理解していても、その場で身軽に変われるようにはできていない。

 

沈黙を破ったのは別の将官だった。

 

「では、無人兵器は捨てるべきだと?」

 

現場将官は首を振った。

 

「それを決めるのは私ではない」

 

その言い方は、投げたようでいて投げていない。自分の責任範囲を知る者の言い方だった。

 

――――――

 

会議の後半になると、論点は「失敗した」から「では、どうする」へ移った。

 

だが簡単に「やめよう」と言えるなら、軍隊はもっと楽な組織である。

 

情報部の士官が、新しい報告を表示板へ送る。

 

「敵は粒子環境下でも機動と火力連携を維持しています」

 

別の席から問いが飛ぶ。

 

「原因は」

 

「不明です」

 

情報部の士官は端末を見たまま続けた。

 

「ですが、こちらと同じ条件で、こちらより崩れていない」

 

それで十分だった。会議室の空気が変わる。

 

連邦には後退の余裕がない。旧来戦術へ全面的に戻るのは、敗北の言い換えに近い。ならば、無人兵器そのものを捨てることもできない。

 

議長格の将官が、ようやく結論らしいものを口にした。

 

「無人兵器そのものを捨てるかどうかは保留だ」

 

誰も驚かない。予想どおりだった。

 

「だが、代替の接続手段を探れ」

 

表示板の損耗表が淡く点滅する。

 

「長距離通信に代わる何かを」

 

その案件はオーガスタへ回された。

 

栄転ではない。敗戦処理の一種だった。

 

――――――

 

オーガスタ研究所は、新しい建物のはずなのに、すでに疲れていた。

 

白く塗られた壁はきれいだ。床も磨かれている。設備も新しい。だが、人がそこに長くいると、建物は人の疲れ方を覚えるものらしい。廊下の空気は湿っており、研究区画には予算を削られた部門特有の静けさがあった。整理されているのに、活気が薄い。

 

若い技術士官が辞令を持って歩いていた。

 

上司の部屋へ入ると、年長の技術将校が面倒そうに椅子へ沈んだまま辞令の写しを指で叩く。

 

「無人兵器の後始末だ。誰もやりたがらん」

 

若い士官は紙ではなく表示板の辞令を見ている。

 

「それで自分ですか」

 

上司は鼻を鳴らした。

 

「お前は面倒を面倒のまま机に積まない顔をしてる」

 

若い士官は笑わなかった。

 

「褒め言葉ですか」

 

「慰めだ」

 

それだけで話は終わった。軍の辞令に深い情緒など求める方が間違っている。

 

若い士官は資料室へ籠もった。

 

無線、誘導、自律制御、中継機構。過去の研究記録、途中で止まった試験報告、予算打ち切りになった案件。どれも決め手がない。長距離は粒子に殺される。完全自律は、まだ人を安心させるほど賢くない。

 

それでも資料は積み上がる。

 

夜に近い時間、彼の手は古い資料束へ伸びた。

 

光学通信。

 

さらにその下から、軍の正式資料にしては場違いなものが出てくる。古戦史の別冊だった。

 

――――――

 

資料室の灯は白く、古い紙面の色だけが黄ばんで見えた。

 

西暦二〇二〇年代の戦争記録。地上戦でドローンが広く使われ、電波妨害が激しくなると、光ファイバーをつないだ有線操縦機まで投入された、という記述がある。宇宙世紀の軍人からすれば、古代の攻城戦でも見るような気分になる話だ。

 

若い技術士官はページをめくりながら、小さく言った。

 

「無線が死んだら、線に戻ったのか」

 

資料棚の向こうで、年嵩の研究員が鼻で笑う。

 

「大昔の地上戦だぞ」

 

「ええ。でも、考え方は同じです」

 

研究員が顔をしかめる。

 

「何がだ」

 

若い技術士官は冊子から目を上げた。

 

「必要なのは、遠くまで万能につなぐことじゃない」

 

指先で資料を軽く叩く。

 

「妨害の中でも、短い距離だけは確実につなぐことです」

 

別の研究員が椅子を寄せてきた。

 

「光ファイバーをMSに引かせる気か」

 

「それは無理です」

 

若い技術士官は首を振る。

 

「ですが、発想は使えます」

 

「どうやって」

 

「多重化した複数波長の指向性光学レーザーと、高感度の光センサーです」

 

資料室の空気が少しだけ動いた。

 

「距離はせいぜい二百メートル」

 

笑われても仕方のない数字だった。だが彼は怯まない。

 

「でも、その二百メートルなら、粒子下でも通せるかもしれない」

 

古戦史は、たいてい役に立たない。役に立つ時は、知識そのものではなく、考え方の癖だけを残していく。

 

彼が拾ったのは、まさにその癖だった。

 

――――――

 

小規模会議は、研究所の片隅で始まった。

 

大きな会議室ではない。資料と端末に囲まれた小部屋だ。集まったのも、古参研究員、整備軍曹、試験担当者、それに若い技術士官だけである。

 

若い技術士官は壁面表示へ簡単な図を出した。

 

「光ファイバーのような物理線は引けません」

 

整備軍曹が腕を組む。

 

「そりゃそうだ」

 

「ですが、短距離、視界内、指向性限定なら、空間に線の代わりを作れるかもしれません」

 

軍曹が顔を上げる。

 

「何メートルだ」

 

「理想で二百。安定運用はもっと短いかもしれません」

 

「短いな」

 

「でもゼロじゃない」

 

その返しに、年嵩の研究員が椅子へ深く座り直した。

 

「百年前の戦争が、宇宙世紀の軍隊に知恵を貸すか」

 

若い技術士官は表示板を見たまま言う。

 

「勝ってる側から学べないなら、負けた側からでも学ぶしかありません」

 

その言葉は、誰かを感動させるためのものではなかった。ただの事実として出た。だが、それで部屋の空気は少し変わった。

 

笑う者はいない。

 

試す価値があるかもしれない、という程度には、全員が前へ傾いたのである。

 

――――――

 

初期試験は、兵器と呼ぶには粗末すぎるものから始まった。

 

薄暗い試験区画に、簡易フレームが二台向かい合っている。装甲もなければ、武器もない。送受信装置を載せただけの骨組みだ。粒子散布を再現した区画の中で、それがどこまでつながるかを見る。

 

「接続確認」

 

「送信」

 

「受信確認」

 

細い光が走った。

 

表示ランプが点く。

 

成功だった。

 

だが歓声は上がらない。

 

すぐに次の条件へ移る。角度をずらす。遮蔽物を入れる。粒子濃度を上げる。受信は揺れ、途切れ、遅れる。

 

若い技術士官は記録を見ながら言った。

 

「長距離の代わりにはなりません」

 

誰も反論しない。それは最初から分かっていた。

 

「だが」

 

彼は表示板を拡大する。

 

「近距離は死んでいない」

 

その一言で、試験区画は静かになった。

 

こういう時、人は騒がない。本当に使えるかもしれないと思った瞬間ほど、声は小さくなるものだ。

 

――――――

 

試験区画を出ると、廊下の先に夕方の光があった。

 

オーガスタ研究所の外壁に鈍い橙の色がかかり、湿った空気が窓の外で停滞している。年嵩の研究員が若い技術士官の横を歩きながら言った。

 

「それで、これをどうする」

 

若い技術士官は手元の記録端末を閉じた。

 

「つなげます」

 

「何を」

 

「機体をです」

 

廊下の窓に二人の影が映る。

 

「機体と機体を。短くても、切れても、またつながる形で」

 

研究員は少し黙った。

 

「戦場で?」

 

「ええ。戦場で」

 

しばらく歩いてから、研究員が言う。

 

「話が大きくなってきたな」

 

若い技術士官は首を振った。

 

「いえ。たぶん逆です」

 

窓の外を見ながら続ける。

 

「大きくつなごうとしたから失敗した」

 

その声は静かだった。

 

「今度は小さくつなぎます」

 

廊下の向こうで、試験区画の扉が閉まる音がした。

 

その先には、まだ兵器でもない二台の簡易フレームが向かい合っている。装甲もなく、威容もない。ただの試験機だ。だが、その間を一瞬だけ走った細い光は、これから先の戦争の形に、かすかながら新しい線を引いていた。




果たしてこれが、ティターンズの起死回生になるか。
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