オーガスタ研究所の試験区画では、もう「光が届くかどうか」を確かめる段階は終わっていた。
白く塗られた壁の下、薄暗い試験空間の中央に、簡易フレームが三台並んでいる。一台は標的観測用、二台目は中継、三台目は受信と照準補助。骨組みを覆う外装は最低限で、兵器というより、戦争の前に立たされた機械の素体に近い。
若い技術士官は記録板を手に立ち、壁際では年嵩の研究員が腕を組んでそれを見ていた。整備軍曹は送受信器の固定具を最後まで指先で押し、わずかな遊びも見逃すまいと機体の肩と腰を叩いて回る。誰の顔にも期待はない。あるのは、次にどこが折れるかを見届けようとする研究所独特の静けさだけだった。
「開始」
短い声とともに、一号機の観測器が標的を拾う。光点が立ち、情報が二号機へ流れ、二号機から三号機へ渡る。三号機の照準器の中で、曖昧だった空間に一つの位置が定まった。
「照準補助、作動」
「試験弾、発射」
乾いた音。
区画奥の標的板に痕が穿たれる。
命中だった。
記録係の声が、ほんの少しだけ明るくなる。
「命中。誤差、規定内」
だが、誰も笑わなかった。
研究所で笑うのは、たいていその次に来る失敗を知らない者だけである。ここにいる人間は、その次に来るものをよく知っていた。
「次だ」
年嵩の研究員が壁にもたれたまま言う。
条件が変わる。
三機の位置関係がずらされる。姿勢を変える。粒子濃度が引き上げられる。さらに薄い遮蔽物が一枚、二号機と三号機の間へ滑り込む。
崩れるのは早かった。
一号機から二号機へは届く。
だが二号機から三号機へ渡る途中で遅れが出る。照準器の中の標的位置が半拍だけ古くなる。次の試験では、一号機の姿勢がほんのわずか揺れただけで照射軸がずれ、二号機の受信灯が消えた。
「受信断」
「三号機、補助消失」
三号機の表示は急に空白になる。
目を開けたまま、目を失ったようなものだった。
遮蔽物を入れた試験ではさらに露骨だった。二号機が陰へ入った数秒で、三号機の照準器は何も映さなくなる。
整備軍曹が低く言う。
「二号機が死ねば、後ろは目をつぶったのと同じです」
年嵩の研究員が鼻を鳴らした。
「端末の上の図面ほど、戦場は親切じゃない」
若い技術士官は記録板の数字を睨んでいた。いくつもの送受信ログが重なり、切れ、また重なる。その中から顔を上げる。
「一本の中継線では実戦になりません」
研究員がゆっくりと壁から背を離した。
「言うようになったな」
「事実です」
若い技術士官は表示板に新しい配置図を呼び出した。
一本の線ではなく、いくつもの短い接続が重なった図だ。
「線で考えるのをやめます」
「何だと」
「三機を線ではなく面で扱う」
軍曹が眉をしかめる。
「増やせば壊れる箇所も増える」
「ええ」
若い技術士官は頷いた。
「ですが、一つ切れた瞬間に全部死ぬ形の方が、もっと悪い」
室内の空気が少し変わった。
通信の試験をしていたはずなのに、気づけば戦い方の話へ足を踏み入れていたからだ。
――――――
試験区画脇の小会議室には、記録板と古い資料が雑然と積まれていた。
西暦二〇二〇年代の戦争記録。電波妨害が濃い地上戦で、ドローンが光ファイバーを引きながらでも使われていたという、宇宙世紀の軍人から見ればいっそ奇矯な古戦史である。
若い技術士官は、その紙束の上に三機試験の新しい記録を置いた。
「問題は通信そのものではありません」
年嵩の研究員、整備軍曹、試験担当者が黙って聞いている。
「中継点が単独であること。切れた瞬間に後段が無力化すること。そして、一本の線としてしか発想していないことです」
研究員が古戦史資料を指で叩く。
「それで、大昔の地上戦を持ち出すわけか」
「ええ」
若い技術士官は迷いなく答えた。
「無線が死ねば、有線に戻った」
「古臭い話だ」
「だからこそ価値があります」
その声に熱はない。ただ、発想の筋道を示しているだけだった。
「必要だったのは万能な広域通信ではない。妨害下でも切れない短距離接続でした」
軍曹が机へ肘をつく。
「つまり、こっちも同じことをやる」
「一本ではなく複数。長くではなく短く。切れても全部は死なない構造にします」
表示板に、多重化した接続図が広がる。複数波長の指向性光学レーザー。高感度光センサー。重なる視界。補い合う受信。
「距離はせいぜい二百メートル」
年嵩の研究員が苦い顔をする。
「短いな」
「それでも、小隊単位なら足ります」
軍曹が視線を上げた。
「遠くの司令部とは切れても、隣の機体とは話せるようにするわけか」
「ええ」
若い技術士官は、そこでようやく少しだけ声を強くした。
「大きくつなごうとしたから失敗した。今度は小さくつなぎます」
会議室の空気はそこで定まった。
それは代替通信の案ではない。戦場の単位を大隊や艦隊から小隊へ引き寄せる発想であり、通信の問題を戦術思想そのものへ変える一言でもあった。
――――――
次の試験では、簡易フレームは五機編成に拡張された。
しかも、今度は骨組みだけではない。旧式の作業用機体と訓練用フレームに送受信器を仮付けした、実機に近い構成である。前方に二機、左右に各一機、後方に一機。どの機体も、必ず誰かの視界の中へ入るよう配置されていた。
壁面モニターには各機の接続状態が色で表示される。
一つの線が切れても、別の線が残る。
一機が標的を見失っても、別の機体が拾う。
それは理屈として理解していたつもりでも、実際に目の前で色が切れ、別の色が生き残り、全体の表示が死なないのを見ると、受け取る印象がまるで違った。
「開始」
前方の一機が標的を拾う。表示が変わる。左右へ散る。後方へ返る。一機が見失っても別の一機が補う。遅延が出ても別波長で拾い直す。位置がずれても、どこかで再接続が起こる。
完璧ではない。
だが、前回の三機試験とは比較にならないほどしぶとい。
観察に来ていた軍の将校が、思わず低く言った。
「使えるかもしれん」
若い技術士官が振り向く。
「かもしれん、ですか」
将校は肩をすくめた。
「軍にとっては上等な評価だ」
それはたしかにそうだった。軍隊は夢のような兵器より、前より少しましな兵器を採る。夢は机の上で死ぬが、ましなものは戦場へ行く。
この時、研究所の外の人間が初めて、この技術を実戦候補として見たのである。
――――――
だが、現場の評価は別だった。
評価部隊のテストパイロットたちが呼ばれる。彼らの顔には、露骨な警戒がある。無人兵器の失敗で戦場を乱された経験は、現場ほど鮮明に残るからだ。
説明を聞き終えた若いパイロットの一人、ブルターク少尉が鼻で笑う。
「前より少し賢い障害物ですか」
年嵩の研究員が受けた。
「そう思うなら、壊してこい」
「壊れ方を見るのも仕事だ」
模擬戦が始まる。
今度は自由戦闘だった。近接戦も許可する。研究所が信じる技術が、どこで破綻するのかを見るためには、その方がよかった。
結果は明快である。
距離を保っている間は機能する。だが、接近戦に入ると途端に崩れる。視界が交錯する。接続が切れる。無人機は人間の急激な運動についていけず、味方の前へ入り、動線を塞ぎ、隊形を壊す。
「どけ!」
有人機のパイロットが怒鳴る。
当然、無人機は応えない。
左右の一機が味方の前へ滑り込み、背後の一機が回避の邪魔をする。接続維持を前提に組んだはずの五機編成は、乱戦に入った瞬間、まるで互いの足を踏む群れになった。
試験後、ブルタークがヘルメットを脇に抱えたまま言う。
「こんなものを前に出すなら、敵の前に俺が壊す」
強い拒絶だった。
だが若い技術士官は、落ち込むどころか、その言葉の向こうに答えを見ている顔をしていた。
――――――
夜の研究区画は静かだった。
試験区画の灯りは落ち、資料室と観測室の明かりだけが残っている。若い技術士官は模擬戦記録を一人で見直していた。接続状態の推移、照準補助ログ、各機の姿勢変化。記録を重ねるうちに、一つの事実だけが浮かび上がる。
完全な失敗ではなかった。
乱戦へ入る前までは、成立していたのだ。
距離を維持し、射線が整理されている間だけは、人と無人機の混成単位は十分に機能していた。崩れたのは、格闘距離へ入った瞬間だった。
整備軍曹が缶コーヒーを机へ置く。
「結論は出たか」
「ええ」
若い技術士官は表示を止めた。
「捨てるのはこの技術じゃない」
軍曹が缶の蓋を引く。
「何を捨てる」
「格闘戦です」
短い沈黙が落ちる。
「近接に入った瞬間、全部崩れました」
記録を指す。
「これを成立させたいなら、乱戦を前提にしてはいけない。距離を保つ戦い方に変えるしかない」
軍曹は缶コーヒーを一口飲み、しばらくしてから言った。
「通信の話じゃなくなったな」
若い技術士官は少し疲れた顔で笑った。
「最初から、そうだったのかもしれません」
――――――
翌日の合同会議には、前日までより多くの顔があった。
研究所側、現場評価側、設計局の連絡員、軍の観察将校。さらにティターンズ系士官まで顔を揃えている。若い技術士官は席へ着くなり、遠慮なしに言った。
「接続維持を優先するなら、近接格闘は切るべきです」
室内の空気が止まる。
現場側のパイロットが眉をひそめる。
「MSに格闘を捨てろと?」
「このシステムを使うなら、です」
若い技術士官は引かなかった。
「距離を保つ。盾で持ちこたえる。中距離ビーム砲で射線を重ねる」
表示板へ新しい配置案が映る。
「人は中心で指示と射撃を束ねる。周囲を無人機で埋める」
パイロットの顔が険しくなる。
格闘戦は、MS乗りにとって単なる戦術ではない。腕の見せ所であり、誇りであり、自分たちがただの砲台ではない証である。それを切れと言うのは、戦い方だけでなく、存在価値の一部を切れと言うに等しい。
だが、その時ティターンズ系士官が低く言った。
「悪くない」
全員の視線がそちらへ向く。
男は表情を変えない。
「突出せず、乱れず、命令通りに押す」
一拍。
「悪くない」
彼にとって、華やかなMS戦などどうでもいい。秩序、統制、制圧。その三つだけが価値のある言葉だった。
それで兵器思想は決まった。
格闘を切る。
距離を保つ。
盾で耐える。
中距離ビーム砲で射線を重ねる。
有人人型が中核となり、無人機がその周囲を埋める。
この会議が終わる頃には、補助通信計画はもう存在しなかった。そこにあったのは、新しい戦闘単位の設計要件である。
――――――
設計局との折衝は、当然のように揉めた。
既存機改修案はいくつも出る。だが、どれも限界がある。通信機器を増設すれば配線と重量配分が破綻する。盾と中距離砲に振れば、近接戦前提の構造と噛み合わない。有人人型と無人型の両方を派生させるなら、最初から骨格を見直すしかない。
図面に赤を入れていた古参技師がついに言った。
「これは改修じゃない。別物だ」
誰も反論しない。
その時、設計局側から新しい図面が出た。
バーザム。
フランクリン・ビダン大尉が進めていた、新型量産MS案だった。突出した個性はない。だが構造単純、整備性良好、派生余地あり、量産向き。軍が最も好む種類の、平均点の高い機体である。
ティターンズ系士官が図面を見下ろして言う。
「これを使う」
――――――
フランクリン・ビダンは、その言葉を不快そうな顔で聞いた。
自分の設計図が、別の思想の器にされようとしているのだから当然だった。
「それは、私が描いていた機体とは違います」
向かいの士官が即座に返す。
「君の理想より、今の戦争に間に合うことの方が重要だ」
嫌な沈黙が落ちる。
だが、フランクリンはただ押し切られはしなかった。図面を見直し、しばらく黙ったのち、低く言う。
「なら、最初からその用途に耐える機体として組み直す」
それは譲歩ではなく、設計者として主導権を取り返す言葉だった。
自分の機体が別の思想へ飲み込まれるなら、自分の手でそれを整理し直す。そういう矜持が、設計者にはある。
――――――
バーザムの再設計は、容赦がなかった。
単機の強さを競う機体ではなく、編成の中心として崩れない機体へと組み替えられていく。頭部だけでなく、肩、腰、脚部へも光学送受信部を分散配置。どの姿勢でも、どこかが隣とつながる構造。盾を持った状態での姿勢安定性。中距離ビーム砲運用時の射線維持。
整備士が図面を見て顔をしかめる。
「こんなに通信機器を埋め込んだら壊れやすくなる」
フランクリンは表示板から目を離さずに答えた。
「壊れる前提でいい」
「は?」
「一機が切れてもいい。全部が切れなければいい」
横で見ていた若い技術士官が呟く。
「強い機体ではなく、切れない機体……」
フランクリンが短く返す。
「違う」
ようやく顔を上げる。
「切れても死なない機体だ」
ここで有人型の役割が定義された。撃つだけの機体ではない。周囲の無人機から情報を受け取り、全体をまとめる中核機である。
呼称が決まる。
バーザムリーダー。
――――――
無人派生型の設計は、そのあとに続いた。
コックピットを削る。操縦補助系を簡略化する。処理装置と通信装置へ重量を振る。装甲も一部整理する。
だが盾だけは残した。
別の技術者が言う。
「どうせ消耗品だろう。盾なんて要るのか」
若い技術士官が即答した。
「要る」
「なぜだ」
「こいつは生き残るための盾じゃない」
図面の正面図を指差す。
「線を切らせないための盾だ」
フランクリンも頷く。
「一枚の盾で一秒持てば、その一秒で後ろが撃てる」
この無人型にはバーザム改の名が与えられた。改良というより、役割変更の意味を込めた「改」である。
――――――
初期実装の試験編成が並んだ時、研究所の空気は少し変わった。
バーザムリーダー一機。
バーザム改四機。
まだ試作機にすぎない。だが思想はもう完成している。中央にリーダー。前方、左右、後方に改。互いの視界が重なり、最初からこの戦い方のために設計された機体群が、初めて一列に並んだ。
バーザムリーダーのコックピットへ乗り込むのは、ヤザン・ゲーブル少尉だった。
周囲が緊張しているのに、本人だけが妙に気楽そうである。だが計器を見る目だけは鋭い。
「ヤザン少尉、試験を開始する。無理はするな」
管制の声が入る。
ヤザンは鼻を鳴らした。
「無理なんざしねえよ」
一拍。
「壊れる前に分かる」
試験開始。
ヤザンは前へ出ない。位置だけを保つ。その周囲でバーザム改が動き、標的情報が流れ、射線が整理される。
表示器の中で、照準が勝手に合う。
ヤザンがトリガーを引く。
命中。
敵役が回避する。だが回避先に別の射線。二発目。三発目。
ヤザンが喉の奥で笑う。
「クックック、コイツはいい」
表示器に重なる複数の視界を見たまま言う。
「俺が五人いるようだ」
その感想は誇張ではなかった。実際、彼一人の射撃ではなく、五機で作った一発だったからである。
――――――
拡張模擬戦では、さらに複数の敵役が投入された。
従来型MS隊は距離を詰め、乱戦へ持ち込もうとする。バーザム編成は逆に距離を崩さない。
一機のバーザム改が被弾する。
だが、別の機体がすぐにその位置を埋め、接続は維持される。
敵は踏み込む。だが、そのたびに別の角度から削られる。避ければさらに別の射線。距離を詰めるたび、逆に選択肢が減っていく。
敵役パイロットの声が漏れる。
「近づけない……!」
ヤザンが鼻で笑う。
「来いよ」
低く、楽しげに言う。
「来れんならな」
最後の敵役が落ちる。
試験終了。
静寂が落ちる。
誰の目にも、これが戦術として成立していることは明らかだった。
――――――
試験後、ヤザンはシートへ深く座り直し、周囲のバーザム改を見た。
人のいない機体。
だが動きはそろっている。命令は短い。それで十分だった。
彼は満足そうに言う。
「この人形ども、気に入った」
口元を歪めたまま続ける。
「是非実戦で使ってみたい」
誰も否定しない。結果が出ているからだ。
外から見れば、その配置はもう「試験」には見えなかった。中央に黒いバーザムリーダー。周囲にバーザム改。整列しているのではない。すでに一つの戦闘単位として、そこに配置されている。
この時点で、戦争の形は変わっていた。
まだ、それを正しく言葉にできる者が少ないだけである。だが後に、人々はこれをこう呼ぶことになる。
モビルドール。