妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第191話 見えない火線

 

ソロモン方面軍司令部の作戦室は、いつ入っても空気が重かった。

 

だが、その日の重さは少し質が違っていた。

 

壁面いっぱいに広がる宙域図の上で、外縁哨戒線のいくつかが赤く滅したまま戻っていない。通常なら未帰還艦艇の印は、次の報告で敵襲か事故かに分類され、数字の一つとして処理される。だが今回は、その先が何も続かない。ムサイ一隻、護衛のザク三機。交戦の記録は短く、座標も不完全で、最後の通信に残った言葉も途切れ途切れだった。

 

重い机の前で、ドズル・ザビは報告書ではなく音声記録を聞いていた。

 

「……数が……」

 

そこで雑音が割り込み、

 

「違う、これは――」

 

それきりである。

 

ドズルは再生を止めなかった。同じ記録をもう一度流させる。二度聞いても、三度聞いても、増えるものは何もない。だが増えないことそのものが気に入らない、という顔をしていた。

 

作戦机の向こうに立つラコック大佐は、壁面表示を淡々と切り替えていく。未帰還になった部隊の航路、最後に取得できた敵味方の相対位置、通信断までの秒数、粒子濃度の推移。情報は少なく、しかも互いに噛み合っていない。

 

「デブリ帯の形と粒子濃度を考えれば、伏兵を置くには悪くない宙域です」

 

ラコックの声は整っていた。参謀としては自然な整理である。

 

「待ち伏せなら、一応の説明はつきます」

 

ドズルは音声記録を切った。

 

「一応は、だろう」

 

低く、太い声だった。

 

ラコックは頷く。

 

「はい」

 

「敵襲なら敵襲で、もっと喋る」

 

ドズルは椅子の背に体を預けたまま言う。

 

「退くなら退くで、座標が残る。こいつは短すぎる」

 

その一言で、作戦室の沈黙はさらに深くなった。単に部隊が消えたのではない。消え方が悪い。軍人はそういうものの違いに敏感である。勝っても負けても、普通の戦闘には普通の壊れ方がある。今回は、それがない。

 

ラコックは壁面表示に新しい列を足した。

 

「共通点はあります」

 

彼の指先が一つずつ項目をなぞる。

 

「接敵から通信断までが短すぎる。撤退機動に入った形跡が薄い。敵機数報告が安定しない。回避行動が成立していません」

 

ドズルは机を太い指で二度叩いた。

 

「戦闘の匂いが違うな」

 

それは、まだ結論ではない。だが、この件を事故でも待ち伏せでもない別種のものとして扱うには十分な言葉だった。

 

ラコックは返答の代わりに、最後の表示を出した。交戦時間の比較だった。過去の通常哨戒戦、海賊狩り、連邦残存部隊との小競り合い。それらに比べ、今回の未帰還案件はあまりに短い。短いというより、戦闘が成立する前に終わっているように見えた。

 

ドズルはそれを見て、短く鼻を鳴らした。

 

「死に方まで妙だ」

 

――――――

 

シン・マツナガが呼ばれたのは、その直後だった。

 

白い軍装の男は、すでに何を命じられるか半分は察していたらしく、余計な顔をしなかった。礼を取り、姿勢を正したままドズルの前に立つ。無駄のない動きだった。飾りはない。だが、立っているだけで周囲の空気が少し締まる。

 

ドズルは最初から説明を省いた。

 

「マツナガ」

 

「はっ」

 

「お前が行け」

 

その三語だけで、内容は十分だった。

 

マツナガの目がわずかに細くなる。

 

ドズルは続けた。

 

「勝ちはいらん」

 

一拍置く。

 

「見たものを、そのまま持って帰れ」

 

ラコックが横から補う。

 

「深入りは無用です。敵が曖昧なら、位置と時間を優先してください。記録できるものは全て記録を」

 

マツナガは短く答えた。

 

「了解しました」

 

それだけで済ませたのは、内容を軽く見たからではない。むしろ逆である。見て、測って、戻る。それがどれだけ難しいかを、この男は聞き返さずに理解できる。

 

ドズルは最後に言った。

 

「お前なら見落とさん」

 

マツナガはそこで初めて、ほんの少しだけ表情を動かした。嬉しがる顔ではない。ただ、信頼の重さを受け止めた顔だった。

 

彼が去ったあと、ラコックは静かに言う。

 

「最適です」

 

ドズルは短く返した。

 

「だから出す」

 

戦争というものは、優秀な者に危険を押しつけることで回っている。あまり認めたくない事実だが、軍はだいたいそういう仕組みでできている。

 

――――――

 

哨戒宙域は、嫌なほど静かだった。

 

ムサイの艦腹に沿って、三機のザクが距離を取りすぎないよう散っている。マツナガは最初から隊を伸ばしすぎなかった。敵が曖昧な時に広げるのは、視界ではなく棺桶である。彼はそれを知っていた。

 

粒子は薄い。だが薄いからといって見通しが良いわけではない。デブリが散っている宙域では、わずかな遮蔽がいくらでも死角を作る。しかも、その死角は刻々と位置を変える。

 

「前方、異常なし」

 

「右外縁、熱源反応なし」

 

報告は乾いていた。艦橋とザク隊の声が、いつもの哨戒らしい間隔でやりとりされる。

 

マツナガは機体を無駄に動かさず、視線だけで前方を舐めるように見ていた。敵がいるなら、どこかで空間の並びに違和感が出る。経験のあるパイロットは、その違和感を数字ではなく皮膚で拾う。

 

そして、それは来た。

 

「熱源――」

 

部下の声が途中で切れた。

 

次の瞬間、火線だけが見えた。

 

敵影も見えている。だが、数が安定しない。三機に見えたものが、次の瞬間には別角度から撃ってくる。部下の報告が噛み合わない。

 

「敵機数、再確認!」

 

マツナガが命じる。

 

「三――いや、二!」

 

「違う、右に!」

 

「左からも火線!」

 

言葉が揃わない。

 

誰も嘘をついているわけではなかった。見えているものが違うのではなく、見えている順番が違うのだ。こちらが一つの敵影を追っている間に、別の角度から火線だけが来る。敵は多くない。だが、火線の減り方が妙だった。

 

ザクの一機が反射的に前へ出ようとする。

 

「出るな!」

 

マツナガが即座に押さえる。

 

「戻れ!」

 

機体は引いた。だが引いた先に別の火線がある。避けたはずの方向へ、次の角度が待っている。

 

マツナガはそこで理解した。ここで勝とうとするのは愚かだ。勝つ以前に、見切ることが先である。

 

「ムサイ、後退!」

 

「各機、距離維持! 切るな!」

 

彼は戦場を縮める代わりに、戦場そのものを切った。追撃戦へ入らせない。相手に「食う」形を与えない。撤退ではあるが、敗走にしてはならない。

 

その判断がなければ、ここで全滅していた。

 

ムサイが針路を切り、ザク隊が外周を埋める。敵は追ってくる。だが、殺すために追うのではなく、押し出すために押してくる印象だった。

 

マツナガはその感覚を、帰還後も言葉にできなかった。

 

――――――

 

帰還報告は短かった。

 

マツナガは感情を削り、見たものだけを並べようとした。

 

「敵は少数に見えました」

 

「ですが、火線が減りません」

 

「回避した先に、別の角度がありました」

 

部屋の空気が沈んだまま動かない。

 

ラコックが記録を取らせながら問う。

 

「敵は追ってきたのですか」

 

マツナガは少し考えた。

 

「追われた、というより……押し出された感覚です」

 

ドズルが目を細める。

 

「押し出された、か」

 

「はい。勝ちに来たというより、こちらを前へ出させないように見えました」

 

ラコックが顔を上げる。そこに初めて、待ち伏せとは別の形が浮かんだ。

 

「退路を削られたのではなく、前進の意味を消されたわけですか」

 

マツナガは即答しなかった。

 

「言葉にすると、そうなります」

 

ドズルは腕を組み直した。

 

「見られていたんじゃない」

 

誰も口を挟まない。

 

「そういう並びだったんだろう」

 

彼の勘は、いつも理屈の前を歩く。後からラコックがそれを文にする。

 

――――――

 

次に呼ばれたアナベル・ガトーは、マツナガと正反対の熱を持った男だった。

 

同じ優秀でも、向かう方向が違う。マツナガが見切る男なら、ガトーは割る男である。だからこそ、ドズルは同じ言葉では足りないと知っていた。

 

「ガトー」

 

「はっ」

 

「前に出るな」

 

ガトーの眉がわずかに動く。

 

「今回は勝たんでいい」

 

ドズルの声は変わらない。

 

「戻れ」

 

一拍。

 

「戻って報告しろ。それが戦果だ」

 

ガトーは敬礼した。

 

「了解しました」

 

声は真っ直ぐだった。だが、その真っ直ぐさが、ラコックには少し危うく見える。受け取ったつもりの男ほど、自分の勝ち筋を捨てにくいからだ。

 

ドズルは最後に釘を刺した。

 

「血を上らせるな」

 

ガトーはほんのわずかに口元を引き締めた。

 

「承知しております」

 

承知していても、できるかどうかは別だった。

 

――――――

 

ガトー隊の接敵は、マツナガ隊より激しかった。

 

ガトーは最初から、敵の薄い角度を割るつもりで見ていた。火線に空きがあるように見えるなら、そこへ踏み込んで距離を詰める。従来のMS戦なら正しい。いや、エースと呼ばれる者ほど、その判断で勝ってきた。

 

だが今回は、踏み込むほど被弾が増える。

 

敵影は近い。近いのに落とし切れない。いや、正確には、一機落としたと思う瞬間はある。火線が一つ消えたように見える。だが、その直後に別の角度から同じだけの圧が来る。

 

減ったはずなのに、減っていない。

 

ガトーの歯が鳴る。

 

「……何だ、これは」

 

ザクの一機が敵を追って角度を切る。そこへ別方向から火線が走る。避ければ、さらに別の角度が残る。

 

ガトーは前へ出たい。出れば斬れる距離にいる。だがその前に削られる。踏み込むこと自体が、相手にとって都合のいい動きになっている。

 

「ちっ……!」

 

ガトーはそこで初めて、前進を自分から切った。

 

「離脱する!」

 

悔しさが声に混じる。だが全滅よりはましである。

 

彼ほどの男にそう思わせるだけでも、十分に異常だった。

 

――――――

 

ガトーの報告は、マツナガより荒かった。

 

「敵は少ない」

 

拳が机に置かれる。

 

「だが火線が減らない」

 

ドズルは黙って聞いている。

 

「踏み込むほど不利になる。近づけば落とせる距離にいるのに、その前に削られる」

 

マツナガの報告と並べると、違和感はもう偶然ではなかった。別の優秀なパイロットが、別の戦い方で同じ壁に当たっている。

 

ドズルはしばらく黙っていたが、やがて低く言った。

 

「避けても当たる」

 

誰も返事をしない。

 

「逃げても当たる」

 

ラコックが視線を落とす。

 

「止まれば死ぬ」

 

ドズルの顔は重かった。

 

「戦っているつもりで、戦わされているな。これは」

 

その一言が、この戦闘現象の本質を最もよく表していた。

 

ラコックがようやく口を開く。

 

「小隊単位の戦闘が成立していません」

 

壁面表示に、交戦の動きが重ねられる。

 

「どの進路を選んでも、次の火線に入る。回避が回避になっていない」

 

ガトーが苦々しく吐き捨てる。

 

「囲まれているのか」

 

「違う」

 

ドズルが言った。

 

「囲まれているんじゃない」

 

一拍。

 

「詰まっている」

 

その言葉で、作戦室の全員が同じ図を思い浮かべた。敵が多いのではない。こちらの選択肢が、一つずつ潰されているのだ。

 

まるで、王の逃げる升目が順番に消えていく盤上のように。

 

だがその比喩を、この部屋の誰も口にはしなかった。まだそこまで正体を理解していないからである。ただ、結果としてそうなっていることだけが、全員に共有された。

 

――――――

 

戦術変更の命令は、その日のうちに下りた。

 

「距離を取れ」

 

「単機で前へ出るな」

 

「不用意に踏み込むな」

 

文章にすれば単純だ。だが、ジオンのMS戦は、近づいて、抜いて、崩して勝ってきた。距離を保てという命令は、彼らの筋肉と誇りに逆らう。

 

現場の反発は強い。

 

ガトーは露骨に不満を隠さない。マツナガは受け入れているが、そのぶんだけ深く考えている。ラコックは必要性を理解しているが、兵の心まで命令書で変えられるとは思っていない。

 

ドズルは怒鳴らなかった。

 

「意地で死ぬな」

 

その一言で部屋が静まる。

 

「分からん敵に、いつもの勝ち方を押しつけるな」

 

豪将の咆哮ではなく、学ぶべき時に学べる将だけが言える重い声だった。

 

ガトーは反論しかけ、結局しなかった。二度当たって二度とも同じ違和感を持ち帰ったのも事実だからだ。

 

マツナガは静かに礼を取る。

 

ラコックは、その背中を見ながら、ようやく命令が現場へ届き始めたことを感じていた。

 

――――――

 

最後に、ラコックが全報告をまとめて机へ置いた。

 

「正体不明」

 

簡潔だった。

 

「だが、従来の待ち伏せでも、通常の小隊戦でもありません」

 

ドズルは黙って聞く。

 

「ジオン側は、未知の戦闘単位の存在を前提に作戦を組むべきです」

 

そこまで言って、ラコックは初めて顔を上げた。

 

「正体は依然不明です」

 

ドズルは重い手で報告書を押さえた。

 

「名前は要らん」

 

低い声だった。

 

「まずは殺されない形を覚えろ」

 

それが、ソロモン方面軍の新しい前提になった。

 

分からないまま、対処する。

 

戦争というものは、たいていそういう不愉快な形で更新される。

 

――――――

 

別宙域。

 

戦闘はすでに終わっていた。

 

漂う残骸は少ない。それがかえって、戦闘の短さを示している。バーザムリーダーが静止し、その周囲にバーザム改が規則的な間隔で位置を取っていた。整列ではない。戦闘の結果として、そこに収まっている。

 

コックピットの中で、ヤザン・ゲーブルは表示器を見ていた。

 

複数の視界が重なり、敵機の最後の動きが記録として流れている。

 

敵は逃げようとしていた。

 

左へ振れば右から火線が来る。後退すれば前の角度が残る。一つ選べば、もう一つの退路が消える。

 

それは追い詰めるというより、逃げ場を一つずつ閉じていく戦い方だった。

 

猫が鼠をいたぶるように。

 

盤上で王を詰めるように。

 

だが、ヤザン自身はそんな比喩で考えてはいない。ただ、自分が「いい位置」に機体を置いていると感じているだけだ。

 

敵が左へ逃げる。

 

右が空く。

 

そこへ火線が入る。

 

敵が後ろへ退く。

 

前の角度が残る。

 

次が入る。

 

一つずつ。

 

順番に。

 

逃げ場が消えていく。

 

ヤザンは喉の奥で、短く笑った。

 

「……ようやく慣れてきたか」

 

それだけだった。

 

次の宙域へ向け、機体はもう動き始めている。

 

正体を知らぬ側では、不気味な消失として報告が積み上がる。

 

使う側では、それが戦果として数えられる。

 

戦争の形は、もう変わっていた。

 




この後ララァちゃんのSSをはさんで、青いおじさん登場
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