妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第194話 火線の外から来るもの

 

商船は遅かった。

 

外縁航路を進むその船体は、腹の中に重い荷を詰めこんでいる。推進光は細く、反応も鈍い。急げと言われて急げる船ではない。商船とはそういうものだった。戦争が始まる前から物を運び、戦争が始まったあとも物を運び、撃たれる時だけ軍艦より遅い。

 

護衛のムサイは、その斜め後ろについていた。

 

艦長は若くはなかった。顔には疲れが刻まれている。だが、疲れた顔の者ほど、警戒を怠らない場合がある。彼は艦橋の正面表示を見ながら、十数秒ごとに視線だけを粒子濃度の欄へ落としていた。

 

十分おきの自動報告。

 

人を介さず、測定値がそのままソロモン方面軍とザンジバル改へ送られる。艦橋の誰もが、その仕組みを知っている。便利な仕組みではない。便利というより、嘘をつく余地をなくす仕組みだった。

 

そして、嘘をつけない数値は時に人間より残酷である。

 

警報が鳴った。

 

ミノフスキー粒子濃度、急上昇。

 

艦橋の照明が警戒色へ変わる。通信席の兵が、顔を強張らせながら声を上げた。

 

「粒子濃度、規定値超過」

 

一拍。

 

「自動通報、送信済み」

 

艦長は目を閉じなかった。

 

閉じれば、その一瞬で遅れる。

 

「商船を反転させろ」

 

声は荒くない。

 

「ザク隊、発進」

 

格納ブロックでは、待機していたザク五機が動き出した。機体固定具が外れ、カタパルトへ乗る。パイロットたちは冗談を言わなかった。ここで冗談が出るような相手ではないと、全員が分かっている。

 

一機目が出る。

 

続いて二機目、三機目。

 

五機のザクは、商船の周囲へ散った。

 

二機が商船の進路変更を誘導する。鈍い商船の前へ出て、推進光で進路を示し、通信で反転を急がせる。一機はムサイの前方へ出た。残り二機が左右へ広がる。

 

ムサイは艦首を、粒子濃度が高まった方向へ向けた。

 

艦長は分かっていた。

 

勝つ必要はない。

 

商船を逃がす。

 

それだけでいい。

 

だが、それだけが一番難しい時もある。

 

商船の船体が、重々しく向きを変え始めた。遅い。見ているだけで腹が立つほど遅い。だがそれが現実だった。

 

ムサイ艦長は、正面表示から目を離さなかった。

 

「時間を稼ぐ」

 

それは誰に向けた言葉でもない。

 

艦長自身に向けた言葉だった。

 

――――――

 

岩礁宙域の影に、ティターンズの艦隊が沈んでいた。

 

外部灯は落とされ、排熱も絞られている。艦影はデブリの陰に紛れ、ただの黒い塊に見えた。周囲にはミノフスキー粒子がゆっくり広がっていく。視界と通信を曇らせるための白い霧。それは戦場を隠すための幕であり、獲物を迷わせるための煙でもあった。

 

バーザムリーダーのコックピットで、ヴィクトル・ハウザー大尉は計器を見ていた。

 

軍服と同じく、彼の表情は整っている。声を荒らすことは少ない。命令系統を乱すことを嫌い、手順を信用し、手順を守れることを自分の強みだと考える男だった。

 

悪い士官ではない。

 

むしろ、平時ならば有能と言われる種類の男である。

 

だが、彼の胸の奥には、かすかな棘が刺さっていた。

 

ヤザン・ゲーブル。

 

あの男は荒い。規律にも馴染まない。上官へ愛想よく笑うこともない。だが結果を出した。結果を出した者に軍は報いる。分かっている。分かっているからこそ、腹の底が冷たくなる。

 

「ゲーブルに扱えて、俺に扱えないはずがない」

 

その言葉は、通信には乗せなかった。

 

自分の中だけに置いた。

 

ハウザーは手順を確認する。

 

距離。

 

射線。

 

標的優先順位。

 

リーダー機の照準と機動に、四機のバーザム改が追従する。音声で命じる必要はない。彼がリーダー機を動かし、目標を固定し、照準を合わせる。その情報が無人機へ渡り、四機が位置を補う。

 

ハウザーは操縦桿を握り直した。

 

リーダー機が静かに動く。

 

それに合わせ、四機のバーザム改が前方、左右、後方へ散った。動きは揃っている。硬いが、乱れてはいない。規定に忠実な動きだった。

 

ヤザンなら、そこにもう一拍の遅速を入れただろう。

 

ヤザンなら、敵が嫌がる間を嗅ぎ取っただろう。

 

ハウザーは違う。

 

表示された距離と角度を見る。

 

最適値に合わせる。

 

それが彼の戦い方だった。

 

岩礁の影から、五機のバーザムが出た。

 

白い粒子の薄幕の中、ビーム砲を構える。

 

獲物は、もうこちらを見ている。

 

――――――

 

ザンジバル改の艦橋に、粒子濃度急上昇のアラートが入った。

 

待っていた音だった。

 

シーマ・ガラハウは、艦橋へ出る前からそれを聞いていた。三日間、岩礁の陰で息を殺していた。苛立ちは溜まっている。だが、いざ獲物が噛まれたと分かると、胸の奥に別のものが走った。

 

安堵ではない。

 

喜びでもない。

 

ようやく動ける、という感触だった。

 

同時に、腹立たしさもある。

 

噛まれているのは味方だ。

 

こっちは、それを待っていた。

 

その構図が気に入らない。

 

「針路、最短」

 

シーマの声が艦橋へ飛んだ。

 

「デブリ帯を抜けるよ」

 

操舵員が顔を上げる。

 

「艦長、通常航路から外れます」

 

「だから言ったんだ。抜けるってね」

 

ザンジバル改の艦尾で、ミノフスキードライブ補助機構が起動する。艦体がわずかに震えた。通常なら避ける岩礁の隙間へ、艦は鼻先を突っ込む。外壁の装甲が細かな破片を弾き、艦橋の照明が一瞬揺れる。

 

「到達予定」

 

「三十分」

 

シーマは奥歯を噛んだ。

 

三十分。

 

戦場では長い。

 

死ぬには十分すぎる。

 

「聞こえるかい、木星帰り」

 

通信を開く。

 

「出番まであと少しだよ。準備しときな」

 

シャリア・ブルの声は静かだった。

 

「承知した」

 

その落ち着きが、今は少しだけ頼もしい。

 

シーマはそう思った自分に、少し腹を立てた。

 

外部接続フレームでは、ブラウ・ブロの起動準備が進んでいる。まだ切り離さない。まだ動かさない。戦場まで自力で動けば、そこで戦う時間が減る。

 

Iフィールドを張ればエネルギーを食う。

 

ミノフスキードライブを使えばエネルギーを食う。

 

ビームを受ければ、さらに食う。

 

この機体は長く戦うものではない。

 

シーマはそれを理解していた。

 

だからこそ、間に合わせなければならない。

 

「機関、持たせな」

 

「了解」

 

ザンジバル改は岩礁の隙間へ突っ込んでいった。

 

外では、デブリが艦体すれすれを流れていく。

 

内では、ブラウ・ブロの外装に警告灯の赤が反射していた。

 

――――――

 

ムサイはすでに被弾していた。

 

左舷装甲が焼け、艦体の一部から火花が散っている。推進力も落ちている。だが艦長は艦首を敵方向へ向け続けていた。商船との間に自艦を置く。大きな盾として使う。それしかない。

 

商船は反転を終えつつあった。

 

鈍い船体が、ザク二機の誘導に従って戦域から離れ始めている。商船の推進光は頼りなく、見ているだけで苛立つ。だが、動いている。まだ逃げている。

 

それだけが救いだった。

 

ザク隊は五機から三機に減っていた。

 

バーザム五機は、最初こそ硬かった。だが戦闘が続くにつれ、ハウザーは動きに慣れてきている。リーダー機が距離を取る。四機のバーザム改が開く。照準が一機へ集まる。手順は正しい。

 

彼は下手ではない。

 

ただ、硬い。

 

硬いものも、時間があれば人を殺す。

 

一機のザクが選ばれた。

 

正面ではない。

 

斜め前、横、後方寄り。三つの角度からビームが重なる。ザクのパイロットは反応した。一発目を避ける。二発目を機体を捻って外す。

 

三発目が左に入った。

 

シールドが一瞬で裂けた。左腕が持っていかれる。機体が回る。パイロットは叫びながら姿勢を立て直そうとしたが、そこへ次の射線が来た。

 

ザクは爆ぜた。

 

残り二機は離れた。

 

密集すればまとめて削られる。そう判断したのだ。各自攻撃に移る。片方が右から、もう片方が左から。正しい動きだった。

 

ハウザーはそれを見て、操縦桿を引いた。

 

リーダー機が下がる。

 

四機のバーザム改も距離を取る。

 

無理に追わない。

 

中距離へ戻し、照準を重ねる。

 

ハウザーは標的を固定した。リーダー機の照準が一機のザクへ吸い付く。四機の火線がそこへ集まる。

 

一斉射撃。

 

ザクが被弾し、爆散する。

 

残り一機。

 

ムサイ艦橋に、商船の報告が入った。

 

「商船、離脱圏へ」

 

艦長は短く息を吐いた。

 

その直後、艦が揺れる。

 

新たな被弾だった。

 

「まだ沈むな」

 

艦長は呟いた。

 

「まだだ」

 

最後のザクがムサイの前に出る。

 

バーザム五機の火線が、ゆっくりとその周囲を狭めていった。

 

――――――

 

ザンジバル改が、戦域手前で急減速した。

 

「切り離し」

 

シーマが言う。

 

外部接続フレームが開く。

 

ブラウ・ブロが解放された。

 

巨大な機体が、黒い宇宙へ滑り出す。

 

次の瞬間、ミノフスキードライブが起動した。

 

機体の周囲に淡い光が生じる。Iフィールドが展開され、外側の粒子が薄く揺れる。通常の推進とは違う動きだった。後ろから押されるのではない。空間の上を滑るように、ブラウ・ブロは戦場へ入っていく。

 

シャリアはコックピットで目を閉じた。

 

計器は見えている。

 

警告も見えている。

 

だが、それとは別に、前方の気配を探る。

 

五機。

 

だが、五つではない。

 

「一人です」

 

通信の向こうで、シーマが聞き返した。

 

「一人?」

 

「五機あります」

 

シャリアは目を開ける。

 

「しかし、動かしている意思は一つです」

 

シーマは息を止めた。

 

それがどういう意味か、完全には分からない。だが重要な報告だということは分かる。

 

「なら、その一人を潰せばいいんだね」

 

「はい」

 

バーザム隊が反応した。

 

ハウザーは新手を確認し、すぐにリーダー機の機動を変えた。巨大な目標。高機動。正体不明。まず距離。次に集中。彼は手順どおりに動いた。

 

バーザム改四機が開く。

 

ブラウ・ブロへ複数方向からビームが走る。

 

ビームはIフィールドに触れ、歪み、散る。

 

外から見れば、効いていないように見えた。

 

だがコックピット内では、エネルギー残量が確実に落ちていた。

 

一発。

 

減る。

 

二発。

 

さらに減る。

 

同時に四方向。

 

大きく減る。

 

シャリアは数値を見た。

 

「この減り方は、長く持ちません」

 

声は乱れない。

 

だが状況は悪い。

 

残ったザクが撤退していく。

 

シャリアは見ない。

 

「あれではありません」

 

敵は中央。

 

意思の中心。

 

バーザムリーダー。

 

ブラウ・ブロの有線メガ粒子砲塔が展開する。太いケーブルが伸び、砲塔が本体から離れる。四方へ散る。火線が広がる。

 

五機で作る包囲に対し、一機が複数の角度を作る。

 

ハウザーはそれを見て、リーダー機を引いた。四機のバーザム改がその動きに追従し、ブラウ・ブロの砲塔を遮る位置へ入る。

 

正しい。

 

正しいが、半拍遅い。

 

ハウザーは表示された距離と角度を見ていた。

 

シャリアは、意思の向きを見ていた。

 

ブラウ・ブロが滑る。

 

ビームが来る。

 

Iフィールドで受ける。

 

エネルギーが減る。

 

有線砲塔の一本が被弾し、制御が乱れる。砲塔が火花を散らして大きく振れた。警告灯が点く。シャリアは即座に切り離さない。まだ使う。

 

「無理をするなよ、木星帰り」

 

シーマの声が入る。

 

「持ちません」

 

「なら、早くしな」

 

「はい」

 

シャリアは中央だけを見た。

 

「敵は、あれです」

 

バーザムリーダーが動く。

 

四機のバーザム改が、盾のように角度を作る。

 

シャリアは有線砲塔を一つずつ動かした。落とすためではない。開かせるためだ。

 

右へ一射。

 

バーザム改が反応する。

 

左へ一射。

 

別の一機がずれる。

 

本体が滑る。

 

中央への角度が、ほんの短い時間だけ開いた。

 

エネルギー残量は底に近い。

 

Iフィールド維持警告。

 

ドライブ出力低下警告。

 

サイコミュ負荷上昇。

 

シャリアは呼吸を整えた。

 

「今です」

 

オールレンジ攻撃。

 

複数の砲塔が同時に火を噴く。

 

本体のメガ粒子砲が撃つ。

 

砲塔の射線が、バーザム改の隙間を抜ける。

 

中央のバーザムリーダーへ届く。

 

ハウザーは回避を入れた。

 

だが遅い。

 

距離は合っていた。

 

角度も正しかった。

 

ただ、相手の中心を読まれていた。

 

バーザムリーダーが撃ち抜かれた。

 

光が弾け、機体の胸部が割れる。

 

ハウザーの声は、通信に残らなかった。

 

その瞬間、四機のバーザム改の動きが鈍った。

 

完全に止まったわけではない。

 

だが、それまで一つの敵として動いていたものが、ばらけた。照準が遅れ、距離がずれ、火線が重ならない。

 

戦う形が死んだ。

 

シーマは即座に命じた。

 

「回収班、出せ」

 

ザンジバル改から作業機が出る。

 

「拾えるものだけ拾いな」

 

シャリアが言う。

 

「これ以上は持ちません」

 

「分かってるよ」

 

シーマは正面を見たまま返す。

 

「帰る」

 

ザンジバル改は、損傷したブラウ・ブロと、動きの鈍ったバーザム改の一機を抱えるようにして離脱に入った。

 

ムサイはまだ沈んでいない。

 

火花を散らしながらも、艦首を敵のいた方向へ向けていた。

 

商船は、もう見えないところまで逃げていた。

 

――――――

 

ティターンズ艦隊では、誰もすぐに声を出さなかった。

 

ヴィクトル・ハウザー大尉、戦死。

 

バーザムリーダー喪失。

 

バーザム改一機、敵に鹵獲された可能性。

 

作戦はヤザン隊と同じだった。

 

機体も同じ。

 

手順も同じ。

 

結果だけが違った。

 

報告を聞いたヤザン・ゲーブルは、短く笑った。

 

「無能が」

 

周囲が呆れたように彼を見る。

 

士官の一人が何か言いかけたが、口を閉じた。言い返しても無駄だと分かっている。ヤザンは死者への礼儀など気にしない。勝てなかった者を、勝てなかった者として見るだけだ。

 

ヤザンにとって、ハウザーの失敗は意外ではなかった。

 

システムを信じた。

 

規定の距離を信じた。

 

表示された角度を信じた。

 

だが、敵が嫌がる間を感じなかった。

 

だから死んだ。

 

ヤザンはそれを説明しない。

 

説明する気もない。

 

「次は俺が行く」

 

それだけ言って、彼は背を向けた。

 

――――――

 

ジオン側の格納区画では、回収されたバーザム改が固定されていた。

 

装甲は焼け、関節部には損傷がある。だが、完全な残骸ではない。通信装置、処理装置、無人制御系。そのいくつかはまだ形を保っている。

 

整備兵たちは無言で作業を始めた。

 

解析班が端末を接続する。

 

シーマは少し離れた場所からそれを見ていた。

 

やっと尻尾を掴んだね。

 

声には出さない。

 

だが、口元だけがわずかに動いた。

 

その向こうでは、ブラウ・ブロが固定フレームに戻されている。外装には焼けた跡がある。有線砲塔の一本は損傷し、機体の一部からまだ熱が逃げている。

 

シャリア・ブルは降りてきた時も、静かだった。

 

シーマは近づき、言った。

 

「棺桶にはならなかったね」

 

シャリアは少しだけ目を伏せる。

 

「艦に戻れたからです」

 

「嫌な返しだね」

 

「事実です」

 

シーマは鼻で笑った。

 

気に入らない。

 

だが、悪くない。

 

戦場では、そういう相手が一人いるだけで、生き残る確率が少し上がる。

 

彼女は回収されたバーザム改を見た。

 

次は、こちらが中身を見る番だ。

 

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