ソロモンの格納庫には、焼けた金属の匂いが残っていた。
回収されたバーザム改は、中央の整備架に固定されている。右肩の装甲は裂け、脚部の一部は黒く焼け、胸部の外装は解析班の手で大きく開かれていた。
格納庫の照明は落とされている。作業灯だけが機体の内部を白く照らしていた。露出した配線、冷却管、処理装置、光学送受信器。人が見るために作られた場所ではない。整備のために開けられた内臓のように、無言でそこにあった。
ドズル・ザビは腕を組んで立っていた。
その横にラコック大佐。
少し離れてシーマ・ガラハウ。
さらに奥に、シャリア・ブルが静かに立っている。
解析班の技術者が、端末を見ながら報告した。
「完全自律ではありません」
ラコックが目を細める。
「続けろ」
「リーダー機から、優先目標、照準情報、リーダー機の位置、機動基準、編隊内の相対位置を受け取っています」
技術者は一度、開かれた機体を見た。
「この機体は、それに従って動く従属機です」
ラコックが短く整理する。
「敵は五人ではない」
一拍。
「一人の判断を、四機へ伸ばしている」
ドズルはバーザム改を見た。
「手足を増やしたわけか」
シャリアが静かに言う。
「ただし、その手足には心がありません」
その言葉に、誰もすぐには返さなかった。
シーマは機体を見上げた。
便利だね、と彼女は思った。
便利すぎる。
撃たれても泣かない。怖がらない。恨まない。命令を拒まない。使う側からすれば、これほど都合のいい兵器はない。
だから嫌だった。
都合がよすぎるものは、たいてい誰かの都合を殺してできている。
――――――
解析班が、さらに外装を外した。
内部が開かれるにつれ、格納庫の空気が変わっていった。
操縦系がない。
緊急操縦席がない。
手動復帰装置がない。
コックピットの痕跡がない。
人間が座る空間が、どこにもない。
その代わり、そこには処理装置、通信装置、姿勢制御装置、冷却系、電源系が詰め込まれていた。機体の中は、機械のための機械で埋め尽くされている。
若い技術者が、少しだけ声を低くした。
「これは、MSの派生ではありません」
工具の音が止まる。
「MSの形をした無人砲台です」
格納庫が静かになった。
ドズルは一歩前に出た。大きな身体が、作業灯の中へ入る。
彼は開かれた機体の奥を覗き込んだ。
「兵器から人間を抜くと、こうなるのか」
怒鳴ったわけではない。
だが、その声は重かった。
シーマは鼻で笑った。
「ずいぶん思い切ったもんだね」
そう言いながら、彼女の胸の奥には、わずかな嫌悪があった。
戦場で人が死ぬのは珍しくない。むしろ、珍しくないから彼女は生きてきた。だがこれは違う。最初から人間を入れる場所を作っていない。人間が死なない兵器ではない。人間を外へ押し出した兵器だ。
シャリアは無言で見ていた。
彼には、この機体から何も感じなかった。
敵意もない。
恐怖もない。
迷いもない。
ただ、命令の跡だけが残っている。
それは静かだった。
静かすぎた。
「……何もいません」
シャリアが言った。
シーマが横目で見る。
「そりゃ、無人機だからね」
「違います」
シャリアは首を振る。
「空なのではありません。最初から、入れる場所がない」
シーマは返事をしなかった。
その違いは、彼女にも分かった。
――――――
解析班は、肩、腰、脚部から光学送受信器を外し始めた。
小さな装置だった。
だが、作りは精密だった。量産品としては過剰なくらいに仕上げが細かい。複数波長の指向性光学レーザー。高感度光センサー。可動時にも隣機を捉えるための分散配置。
技術者が説明する。
「ミノフスキー粒子下でも、数百メートル以内なら短距離通信が成立します」
「数百か」
ドズルが言う。
「はい。ただし条件があります」
技術者が再現試験の結果を表示した。
通常のミノフスキー粒子濃度では、リーダー機とバーザム改は連携できる。
だが、ビーム攪乱粒子の濃度が高い領域では、光学通信の距離が大きく落ちる。
ラコックが表示を見た。
「通信を切るために使うのか」
技術者は口を開きかけたが、その前にラコック自身が気づいた。
「いや、違うな」
ドズルが見る。
ラコックは宇宙図を呼び出した。
「完全に遮断する必要はありません」
濃い領域。
薄い領域。
表示の色が変わる。
「濃い場所では、通信距離が縮みます。リーダー機と従属機は、間隔を詰めるか、そこを避けるしかありません」
ラコックは指先で薄い領域を残した。
「逆に、薄い場所を残せば、敵はそこを通りやすくなる」
ドズルが低く言う。
「通り道を作るわけか」
「はい」
ラコックは頷いた。
「遮断ではありません。誘導です」
シーマが口元を歪めた。
「追い込み漁みたいなもんだね」
「そうです」
ラコックは否定しなかった。
「こちらが濃淡を作れば、敵の動ける場所を絞れます」
ドズルは腕を組んだ。
「敵を止めるんじゃない」
一拍。
「通したい場所へ通す」
ラコックが頷く。
「その方が、叩く場所を決められます」
格納庫の空気が少し変わった。
敵の兵器を見ているだけではない。
その兵器をどう殺すかが、少しだけ見えた。
――――――
シャリアが静かに言った。
「ただし、全ての操縦者がそこへ入るとは限りません」
ドズルが即座に反応した。
「マツナガとガトーが当たった奴か」
「はい」
シャリアは頷いた。
「通りやすい場所を選びませんでした」
シーマが眉を上げる。
「嫌な道をわざわざ選ぶ馬鹿もいるってことかい」
シャリアは少しだけ考えた。
「馬鹿ではありませんよ。貴女もデブリ帯をリリーマルレーンで突っ切っていったではありませんか。」
一拍。
「必要とあらば、犠牲をはらってでも生き残る者です」
シーマは舌打ちするように笑った。
「面倒な男だね」
その場にいる誰も、ヤザン・ゲーブルの名を知らない。
だが、マツナガとガトーが持ち帰った報告は知っている。あの敵だけは、普通の誘導に乗らなかった。通信しやすい道を選ばず、むしろ嫌な場所へ機体を入れてくる。
ラコックが言う。
「つまり、機構には効く」
「だが、操る人間によって破られる」
ドズルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「厄介だな」
シャリアは開かれたバーザム改を見た。
「だから、中心を見る必要があります」
「中心か」
「はい。機械ではなく、それを動かす人間です」
シーマはそこで、シャリアの横顔を見た。
この男は、機械を見ながら人間の話をしている。
そこが気味悪くもあり、頼もしくもあった。
――――――
ブラウ・ブロの戦闘記録も、同時に検証されていた。
勝ちはした。
だが、余裕はなかった。
Iフィールドにビームを受けるたび、エネルギー残量は減った。
複数方向からの集中射撃では、減り方が跳ねた。
ミノフスキードライブ、Iフィールド、サイコミュ。有線砲塔の展開と制御。それらは同じ機体の中で、同じエネルギーを食っていた。
有線砲塔の一本は損傷している。
撤退が遅れれば、ブラウ・ブロも帰ってこなかった。
ラコックが記録を閉じた。
「ブラウ・ブロは有効です」
そして、シャリアを見た。
「ですが、常用できる対抗策ではありません」
シャリアは頷いた。
「サイコミュは、中心を見つけるには向いています」
「だが全ての戦場を支えられない」
「はい」
ドズルが言う。
「切り札か」
「はい」
シャリアは短く答えた。
「切り札は、何度も切るものではありません」
シーマが腕を組む。
「それを何度も切らされるのが戦場さ」
「その通りです」
シャリアは静かに返した。
「だから、切らずに済む方法が必要です」
ドズルはバーザム改を見た。
敵が機械で複数角度を作るなら、こちらは人の感覚で中心を読む。
だが、人の感覚だけに頼れば、その人が疲れる。
死ねば終わる。
ドズルはそういう戦い方を好まなかった。
兵は英雄の影に隠れて生きるものではない。
英雄がいなくても死なない手順がいる。
――――――
本国との通信がつながった。
ソロモンの格納庫の一角に、暗い執務室が映る。
ギレン・ザビは椅子に座っていた。机の上には整理された資料だけが置かれている。余計なものはない。画面の向こうにいるだけで、場の温度が少し下がったように感じられた。
「報告は読んだ」
ギレンは言った。
「続けろ」
ドズルが顎でバーザム改を示した。
「中身は空だ」
短い言葉だった。
「人が乗る場所はない。完全な無人従属機だ」
ラコックが補足する。
「リーダー機依存です。短距離光学通信で統制。ビーム攪乱粒子の濃淡で行動領域を誘導できる可能性があります」
ギレンは黙って聞いた。
ラコックは続ける。
「ただし、誘導は操縦者次第で破られます。マツナガ大尉、ガトー大尉が接敵した敵は、通りやすい経路を選びませんでした」
シャリアが静かに言う。
「機構には効きます」
一拍。
「人間には、破られることがあります」
ギレンの視線が、画面越しにシャリアへ向いた。
「サイコミュは」
「有効です」
シャリアは答えた。
「ただし、切り札です。常用の対策にはなりません」
ギレンは頷かなかった。
ただ、目を細めた。
「どちらにせよ」
彼はバーザム改の内部構造図へ視線を落とした。
「ミノフスキー粒子下で数百メートルの通信機構を得られたのは大きい」
誰も口を挟まない。
「その仕組みを解析しろ」
一拍。
「規格として整理し、標準化案をまとめろ」
さらに一拍。
「配備前提ではない。運用案として提出する」
ラコックが即座に答える。
「了解しました」
ギレンは画面の横に新しい図面を出した。
ムサイ級。
艦体断面図。
格納庫、MSデッキ、管制区画、通信設備。
シーマが小さく息を漏らした。
「今度は艦ですかい」
ギレンはそちらを見なかった。
「連邦はこれを、MSの形をした砲台として使った」
静かな声だった。
「だが、我々が同じ使い方をする必要はない」
ドズルが腕を組む。
「どう使う」
ギレンはムサイの図面を見たまま言った。
「パイロット不足は今後、避けられん」
その言葉は、格納庫の現実に重なった。
人は足りない。
訓練には時間がかかる。
熟練兵は失えば戻らない。
「一人で一機を動かす前提を変える必要がある」
ギレンは管制区画を示した。
「ムサイ級の今後の開発に、艦内管制によるMS運用方式を提案として入れろ」
ラコックが確認する。
「艦を中核として、無人機または簡易操縦機を従属させる方式ですか」
「そうだ。MSから操作するより守られている」
ギレンは言った。
「そして、連邦より、我々の方がこの仕組みを必要としている」
ドズルが低く言う。
「パイロットが足りんからか」
「そうだ。公国を守るだけならともかく、コロニー連合としてはな…。」
ギレンの声は変わらない。
「連邦は人を削るために使った」
一拍。
「我々は、少ない人間を遠くまで届かせるために使う」
格納庫に沈黙が落ちた。
同じ技術。
だが使い方が違う。
人を抜くためか。
人を届かせるためか。
シーマは腕を組み直した。
「言い方ひとつでずいぶん変わるもんですね」
ギレンは薄く言った。
「言い方ではない。置き場所だ」
――――――
ドズルはしばらく黙っていた。
彼は無人機を好まない。
戦場で最後にものを言うのは、人間だと思っている。怒鳴る声、震える手、逃げる判断、踏みとどまる意地。そういうものを抜いた機械を、信用する気にはなれない。
だが、前線の現実も知っている。
ムサイがパイロット不足で護衛力を落とす。
商船護衛に出すザクが足りない。
新人を無理に出せば死ぬ。
「気に入らんが」
ドズルは言った。
「現場は助かる」
ラコックがすぐに制約を並べる。
「艦を失えば、従属機の統制も落ちます」
「通信距離には限界があります」
「ビーム攪乱粒子の濃度で有効範囲が変わります」
「攻勢より、護衛、哨戒、拠点防衛向きです」
「有人MSを完全に置き換えるものではありません」
ギレンは短く答えた。
「だから提案に留める」
一拍。
「現場に押し付けるものではない」
ドズルは画面の中の兄を見た。
昔なら、その言葉をただ冷たいだけだと思ったかもしれない。
今は違う。
ギレンは冷たい。
だが、冷たいからこそ、燃えている場所が見えている。
――――――
シャリアは開かれたバーザム改を見ていた。
「人がいない機体は読めません」
全員が彼を見る。
シャリアは続けた。
「ですが、指揮を取る場所は残ります」
ギレンが画面越しに見る。
「そこに人がいるなら、読むことはできます」
シャリアの声は淡々としていた。
サイコミュは万能ではない。
無人機そのものには何もない。
だが、それを動かす人間がいるなら、その揺らぎはどこかに残る。
リーダー機。
艦橋。
管制区画。
意思の置き場がある限り、読む余地がある。
ギレンが言った。
「だから完全な無人化は採らない」
一拍。
「人をどこに置くかを選ぶ」
ドズルはバーザム改を見た。
「人を抜くか」
「人を残すか」
ラコックが小さく言う。
「同じ技術で、真逆の結論になります」
シーマは鼻で笑った。
「結局、面倒を見なきゃいけないのは人間ってわけだ」
シャリアが静かに言う。
「それでよいのだと思います」
シーマは横目で見る。
「木星帰りにしちゃ、地に足のついたことを言うね」
「木星航路でも、人は必要です」
「そうかい」
シーマは少し笑った。
「なら、まだ飯の種は残るね」
――――――
通信が切れた。
格納庫に、作業音が戻った。
工具の金属音。
端末の短い電子音。
整備兵の低い声。
開かれたバーザム改は、まだ整備架に固定されている。人が入る余地のない内部が、作業灯の下で白く光っていた。
その横では、ジオンの有人MSが整備されている。
コックピットハッチが開き、整備兵が中を覗き込んでいた。狭い座席。操縦桿。ペダル。表示器。人間が座り、汗をかき、息をするための小さな空間。
一方には、人が入る場所のない機体。
もう一方には、人が乗るための狭い場所を持つ機体。
差は小さく見える。
だが、決定的だった。
ドズルが低く言った。
「戦い方が変わるな」
ラコックが答える。
「すでに変わっています」
シャリアは静かに言った。
「それでも、人は残ります」
シーマが鼻で笑う。
「残ってもらわなきゃ困るね。こっちは人間で飯を食ってるんだ」
最後に、解析班がバーザム改の光学送受信器を慎重に取り外した。
それは連邦が作った技術だった。
だがその日から、ジオンの技術表にも載ることになる。