ティターンズ系軍需工場の夜は、夜ではなかった。
天井の照明は白く、床は磨かれ、搬送レールの上を未完成の機体がゆっくり流れている。外では深夜のはずだった。だが建屋の中に入れば、時計の針など意味を失う。昼も夜もなく、ただ納期と検査表だけがあった。
バーザム改の外装が並んでいる。
肩、胸部、脚部、頭部。どれも同じ形をしている。塗装前の灰色の装甲は、吊り下げられたまま白い光を受けていた。遠目には、よく揃って見える。兵器としては整っている。量産品としては、むしろ美しいと言ってもよかった。
だが工場主任の目には、そうは見えなかった。
主任の名はマルコ・ベルトーネ。
五十に近い男だった。髪は短く刈り、作業服の袖口には油の染みが残っている。現場の人間にしては言葉が少なく、軍人にしては姿勢が少し崩れている。だが、機体を見る目だけは鋭かった。
彼は検査落ちリストを見ていた。
光学送受信器、不合格。
高感度センサー、再調整。
処理装置、同期不良。
姿勢制御、反応遅延。
同じ赤い文字が、何度も続く。
「外装ラインは予定どおりです」
隣に立つ若い技術士官が言った。
まだ二十代半ばだろう。軍服は新しく、首元の階級章もきれいだった。報告の声には、数字を信じたい者の硬さがあった。
ベルトーネは端末から目を上げない。
「皮だけ揃えても、戦場では撃てん」
「上は数を求めています」
「上はな」
ベルトーネは端末を閉じた。
「数は出せる」
少し間を置く。
「だが、揃わん」
若い技術士官は答えなかった。
揃わない。
それは単に形の話ではない。外装も、寸法も、重心も、規格内には入っている。だが、この機体は一機で完成する兵器ではなかった。五機で動き、五機で敵を追い込み、五機で逃げ場を潰す。そのためには、一機ずつの誤差が許される範囲でも、五機が集まった時に別の誤差になる。
ベルトーネは、それを知っていた。
工場の奥では、作業員が光学送受信器を頭部と肩部の内側へ取り付けている。別の班は脚部センサーの角度を調整していた。さらに奥では、処理装置の同期試験を行っている。人は動いている。ラインも動いている。だから上層部には、工場が順調に動いているように見える。
だが、本当に必要なのは、数ではなかった。
癖を揃える手。
わずかな遅れに気づく目。
隣の機体と呼吸を合わせるように、通信機器の出力を詰める時間。
それは命令書では増えない。
ベルトーネは、未完成のバーザム改を見上げた。
「こいつらは人形だ」
若い技術士官が顔を向ける。
「はい」
「だが、人形を五体並べれば踊るわけじゃない」
彼は薄く笑った。
「糸を引く奴と、糸の長さが要る」
若い技術士官は、その言葉に返事をしなかった。
彼は工場の人間ではない。納期と書類と上層部の声を背負って来ている。だから、主任の言葉をどこまで本気で聞いていいのか、分からないのだろう。
ベルトーネはそれ以上言わなかった。
言ったところで、部品は増えない。
技術者も戻らない。
ラインの速度も落ちない。
工場の夜は、今日も昼の顔をしていた。
――――――
検査室は、工場の騒音から少し離れた場所にあった。
床には静電防止の黒いシートが敷かれ、作業台には同じ型番の光学送受信器が並んでいる。見た目はどれも同じだった。小さな箱型の部品で、手のひらに乗る。だが、その中には複数波長の指向性光学レーザーと高感度の光センサーが詰め込まれていた。
モビルドール編成の目であり、耳であり、神経だった。
若い検査員が数値を読み上げる。
「出力、基準内」
別の部品を測る。
「受信感度、基準内」
さらに別の部品。
「角度補正、基準内」
ベルトーネは腕を組んで聞いていた。
表情は動かない。だが、作業台に並んだ部品を見る目は厳しい。
「単体なら通ります」
若い検査員が言った。
ベルトーネは黙って五つの送受信器を選び、同じ測定台へ並べた。
「これで見る」
「五基同時ですか」
「五機で使うんだろうが」
検査員は少し顔を赤くし、測定を始めた。
一つ目、合格。
二つ目、合格。
三つ目も、四つ目も、五つ目も、個別の数値では基準内だった。
だが、五つを同期させると、波形が揃わない。
わずかなズレだった。
一つは受信の立ち上がりが遅い。
一つは角度補正の戻りが浅い。
一つは出力の山が少し早く来る。
検査員は画面を見つめた。
「誤差は……規格範囲内です」
ベルトーネは短く言った。
「だから困る」
「規格内なら、通せるのでは」
「単体ならな」
ベルトーネは測定画面を指で叩く。
「編隊では通らん」
検査員は黙った。
試作機は違った。
少数の機体を、熟練技術者が一つずつ調整していた。送受信器の癖、センサーの反応、処理装置の遅れ、姿勢制御の戻り。そうしたものを、機体ごとに見て、組み合わせて、五機で一つの形になるように詰めていた。
だが量産ラインでは、それができない。
時間がない。
人がいない。
そして何より、上層部はそれを「微調整」と呼んでいる。
ベルトーネにとっては違った。
微調整ではない。
命中と空振りの差だった。
「こいつはな」
ベルトーネは送受信器を一つ持ち上げた。
「一個で強い部品じゃない」
検査員が頷く。
「はい」
「五つで一つの目になる」
ベルトーネは作業台へ置いた。
「片目だけ良くても、距離は測れん」
検査員は画面を見ている。
若い顔に、不安が少しずつ出ていた。
彼も分かり始めている。
数値だけを見れば通る。
だが、戦場では数値だけで機体は動かない。
「再調整に回しますか」
「回せ」
「納期は」
「遅れる」
「上に説明を」
「俺がする」
検査員は頭を下げた。
ベルトーネはその背中を見た。
若い。
この工場にも若い者はいる。
だが、腕のある若い者から宇宙企業へ流れていく。待遇がいい。家族を移せる。宇宙通貨で払われる。ティターンズの案件に縛られずに済む。
残った者が無能というわけではない。
ただ、残った者だけで足りる仕事ではなかった。
検査室の扉が開いた。
連絡員が顔を出す。
「主任、ティターンズの補給士官が到着しました」
ベルトーネは小さく息を吐いた。
「今度は書類が歩いて来たか」
検査員が少しだけ笑いそうになり、慌てて下を向いた。
ベルトーネは笑わなかった。
書類が歩いて来る時、現場はたいてい殴られる。
――――――
ティターンズの補給・兵站担当士官は、工場の油の匂いに似合わない男だった。
制服には皺がない。手袋は白く、靴は磨かれている。歩き方はまっすぐで、声は小さすぎず大きすぎない。軍の学校で、正しい報告と正しい命令の出し方を学んだ人間の声だった。
名はオルドリッジ少佐。
ベルトーネは彼を応接室へ通さなかった。
検査ラインの横で迎えた。
搬送レールが動き、作業員が行き交い、再調整待ちの部品箱が積まれている場所だった。ここなら、数字がただの数字ではないことが見える。
もっとも、見える者にしか見えない。
オルドリッジ少佐は端末を開いた。
「予定数が遅れている」
ベルトーネは答えた。
「部品が足りません」
「優先調達指定は出ている」
「指定は来ています。部品は来ていません」
少佐の眉が動いた。
不快に思っているのだろう。だが怒鳴らない。そういう男ではない。
「センサーの調整が追いつきません」
ベルトーネは続けた。
「無調整で出せば、実戦でずれます」
「要求は性能ではない」
少佐は言った。
「数だ」
工場の音が、少し大きく聞こえた。
ベルトーネは相手の顔を見た。
この男は嘘を言っていない。
前線は数を欲しがっている。
ジオンに一機を鹵獲された。敵が解析する前に数を揃える必要がある。損耗しても補充できる状態を作る必要がある。それは正しい。
問題は、正しいことがいつも使えるとは限らないことだった。
「数だけなら出せます」
ベルトーネは言った。
「では出せ」
「動きが揃いません」
「戦場で調整すればいい」
「戦場は調整場ではありません」
少佐の目が細くなる。
「主任」
「はい」
「前線で足りない機体は、誰かの死に直結する」
「不完全な機体も、誰かの死に直結します」
二人はしばらく見合った。
作業員たちは何も聞こえないふりをしている。だが、耳はそこへ向いていた。
少佐が言った。
「上層部は増産を決定している」
「現場は未調整を報告しています」
「不良ではない。規格内だ」
「編隊で不良です」
少佐は黙った。
そこが一番厄介なのだ。
書類上は合格。
単体なら合格。
だが、五機で動かすとずれる。
この兵器の失敗は、一機だけを見ても分からない。
「出荷予定表を再提出しろ」
「再調整分を反映します」
「反映するな」
「では嘘になります」
少佐は一瞬だけ黙った。
「表現を変えろ」
ベルトーネは少しだけ目を細めた。
それから、部下へ手を出した。
「例の用紙を」
若い技術士官が一瞬ためらったが、すぐに端末から書式を呼び出した。
オルドリッジが眉を寄せる。
「何だ」
「出荷了解書です」
ベルトーネは淡々と言った。
「品質無保証。編隊同期未調整。光学送受信器および高感度センサーの個体差については、現場到着後に再調整することを前提として出荷する」
一拍。
「その旨を承認する署名欄があります」
少佐の顔色がわずかに変わった。
ほんのわずかだった。
だがベルトーネは見逃さなかった。
「君は責任を逃れるつもりか」
オルドリッジの声が少し低くなる。
ベルトーネは首を振った。
「いいえ」
「では何だ」
「責任の場所を正しく置くだけです」
周囲の作業音が、少しだけ遠くなったように感じられた。
ベルトーネは続ける。
「私は出せます。ラインから出せと言われれば出します」
「なら出せ」
「ただし、出した理由を残します」
彼は端末を少佐の前へ差し出した。
「あとで若い検査員や整備兵のせいにされては困ります」
オルドリッジは端末を見た。
そこには簡潔な文面がある。
未調整出荷。
現場再調整前提。
編隊同期性能は工場出荷時点で保証しない。
承認者署名欄。
少佐はしばらく無言だった。
彼は数字を揃えに来た。
しかし署名欄は、数字を責任に変える。
それは彼が望んだものではなかった。
「文面を変えろ」
「どのように」
「品質無保証という言葉は不要だ」
「では、編隊同期性能未保証で」
「同じだ」
「事実です」
オルドリッジは、端末から目を離した。
「上層部に確認する」
「どうぞ」
ベルトーネは端末を下げなかった。
「確認中、出荷は停止します」
少佐の唇がわずかに動いた。
そこで止まれば、予定数はさらに遅れる。
遅れの責任は自分に戻る。
署名すれば、出荷数は揃う。
ただし、何かあれば文書が残る。
ベルトーネは待った。
これは罠ではない。
現場で当然やるべき記録だった。
ただ、今まで上が嫌がるので誰も差し出さなかっただけだ。
オルドリッジは白い手袋の指で、端末を受け取った。
「文面は修正する」
「最低限の事実は残します」
「……出荷は止めるな」
「署名後に再開します」
長い沈黙。
やがて、オルドリッジは署名欄へ指を置いた。
電子署名が入る。
ベルトーネは頭を下げた。
「確認しました」
その声は、勝ち誇ったものではなかった。
ただの作業報告だった。
オルドリッジは端末を返し、短く言った。
「予定数を出せ」
「了解しました」
少佐は振り返り、工場を去った。
ベルトーネはその背中を見送った。
悪い男ではない。
悪い男ではないから、なおさら悪い。
悪意で押してくるなら、まだ怒れる。
正論で押してくる者には、怒りの置き場がない。
主任は再び検査落ちリストを開いた。
赤い文字は消えていない。
だが出荷予定表だけは、きっと青くなるのだろう。
――――――
実戦想定試験場は、工場区画のさらに奥にあった。
密閉された広い空間である。壁面は黒い遮蔽材で覆われ、天井照明は必要最小限に落とされている。床には仮想戦域を示す白線が引かれ、奥には移動式標的機が置かれていた。
ただの的ではない。
急減速し、斜めへ逃げ、姿勢を変え、時に不規則な動きをする。戦場で生き残ろうとする敵を模した標的だった。
試験条件は厳しい。
ミノフスキー粒子環境。
ビーム攪乱粒子の混入。
通信遅延を再現する遮蔽板。
試験責任者が確認を読み上げる。
「バーザムリーダー一機」
「バーザム改四機」
「実戦想定、射線集中試験」
五機が開始位置についた。
外見は揃っている。
発進姿勢もきれいだ。
バーザムリーダーが中央に立ち、四機のバーザム改が周囲へ散る。前方、左右、後方寄り。配置は教本どおりだった。
観覧席では、技術士官たちが端末を構えている。
ベルトーネも立っていた。
彼は端末ではなく、機体の足元を見ている。
機体は足元に本性が出る。
遅れる機体は、最初の踏み出しでわずかに遅れる。
焦る機体は、停止の時に余計な揺れが残る。
人が乗っていなくても、それは出る。
「開始」
試験責任者が告げた。
標的機が動き出す。
バーザムリーダーが標的を固定する。四機のバーザム改が開く。射線を重ねるための動きだ。
最初の一瞬は悪くなかった。
むしろよかった。
観覧席の何人かが、わずかに安堵した。
ベルトーネは安堵しない。
標的機が右へ振れた。
バーザム改の一機が追う。
もう一機が先回りする。
三機目が角度を取る。
その時、半拍の遅れが出た。
本当に半拍だった。
端末上では誤差として処理される時間である。
だが、標的機はそこを抜けた。
バーザム改の射線が重なる前に、斜め後退で薄い隙間へ逃げ込む。
表示が赤く点滅する。
捕捉失敗。
技術士官が即座に言った。
「誤差は規定内です」
ベルトーネはその言葉を聞き、口を結んだ。
規定内。
それは平和な言葉だった。
戦場を知らない場所では、実に便利な言葉だった。
標的機は再び動く。
今度は急停止から左へ流れた。
バーザム改の一機が照準を合わせる。別の一機が射線を重ねる。だが、角度が浅い。標的機の逃げ道を完全に消せない。
ビームが走る。
かすめる。
当たらない。
観覧席の空気が少しずつ重くなる。
次の試験で粒子濃度が上げられた。
攪乱粒子が混ざる。
空間が白く濁る。
通信距離が縮み、五機の間隔が詰まった。間隔が詰まれば、射線の角度は浅くなる。角度が浅くなれば、敵の逃げ道が残る。
バーザム改同士が互いの位置を補正しようとして、動きが硬くなる。
撃つ。
当たる。
削る。
だが詰めない。
逃げ場を一つずつ消す動きにはならない。
試験責任者が記録を見て言う。
「命中率、許容範囲」
ベルトーネは小さく呟いた。
「許容範囲で、人は死ぬ」
その声は、誰にも届かなかった。
――――――
観覧席の端に、ヤザン・ゲーブルがいた。
椅子には浅く腰掛けている。背筋は崩れているが、目は寝ていない。腕を組み、退屈そうに見える。だが、退屈している男の目ではなかった。
ヤザンは数値を見ていない。
記録も、基準値も、波形も見ていない。
彼が見ているのは、間だった。
標的が逃げたいと思う瞬間。
バーザム改が反応するまでの小さな遅れ。
射線が重なる前にできる、薄い隙間。
そこに敵が入れるかどうか。
そこへ自分なら入るかどうか。
ヤザンにとって、戦場の距離は数字ではなかった。
匂いに近い。
目に見えないが、ある。
踏み込めば死ぬ場所。
踏み込ませれば殺せる場所。
相手が嫌がって、そこから逃げようとする場所。
それを体で測る。
さっきの試験機には、それがなかった。
撃っている。
追っている。
だが、殺しに行っていない。
「揃ってねえ」
ヤザンは言った。
隣の技術士官がすぐ反応する。
「数値上は規定内です」
ヤザンは鼻で笑った。
「数値で撃ち合うのかよ」
技術士官は言葉を失った。
ヤザンは試験場を見たまま続けた。
「悪くねえよ」
それは本心だった。
機体は悪くない。
仕組みも悪くない。
使い方によっては、十分に敵を殺せる。
だが、それは揃っていればの話だった。揃わない五機は、一機の失敗を五倍に広げる。たった一つの遅れが、ほかの四機の射線まで腐らせる。
標的機がまた逃げる。
右へ流れる。
バーザム改の一機が追い、別の一機が遅れる。
ヤザンの口元が少し歪む。
そこだ。
自分ならそこを通る。
いや、通るだけではない。
通った瞬間に、追ってきた一機を盾にする。リーダー機の照準をずらさせる。四機のうち一機を邪魔に変える。そのまま中央へ食いつく。
できる。
少なくとも、この程度の動きなら。
「こんなもんを俺につけるな」
ヤザンは言った。
技術士官が顔を向ける。
「護衛としては有効です」
「俺の邪魔だ」
「ですが、編隊支援として——」
ヤザンはようやく技術士官を見た。
「支援ってのはな」
低い声だった。
「こっちが殺したい時に、殺しやすくするもんだ」
技術士官は黙った。
「こいつらは、俺が行きたいところに先にいる」
ヤザンは立ち上がる。
「邪魔なんだよ」
彼の中には、他人へ説明する気はほとんどない。
だが、怒りに近い苛立ちはあった。
道具としては悪くない。
だが道具は、使い手の手を止めてはいけない。
この人形たちは、自分が動くより一瞬だけ遅い。
そしてその一瞬の遅れが、戦場ではひどく邪魔になる。
「ゲーブル中尉」
別の士官が近づいてきた。
「実戦投入は可能でしょうか」
ヤザンは少し笑った。
「使える」
士官の顔が明るくなりかける。
ヤザンは続けた。
「だが、俺の邪魔をするな」
「どういう意味でしょうか」
「数を揃えりゃ強くなると思ってる奴から死ぬ」
士官は黙った。
ヤザンはそれ以上説明しなかった。
分かる奴なら、見れば分かる。
分からない奴に説明しても、数字に直されるだけだ。
彼は観覧席を出た。
背後で試験場の表示が更新される。
命中率、許容範囲。
リンク同期、要再調整。
射線重複、許容範囲。
ヤザンは振り返らない。
その言葉のどれも、戦場の匂いを持っていなかった。
――――――
夜勤ラインは止まらなかった。
工場の中では、バーザム改の外装が次々に組み上がっていく。
検査落ちの赤札が付いた機体。
再調整待ちの機体。
通信機器だけ未搭載の機体。
センサー調整を待つ機体。
それでも出荷予定表の数字は増えていく。
ベルトーネはその数字を見ていた。
完成数。
画面には、そう書かれている。
彼には、別の文字に見えた。
未調整数。
主任は煙草を吸いたいと思った。
だが工場内は禁煙だった。
代わりに冷めたコーヒーを飲む。
苦かった。
苦いものは、まだ正直だった。
ティターンズ上層部からの通達は、すでに届いている。
増産継続。
出荷数優先。
再調整対象は後送整備で対応。
後送整備。
便利な言葉だった。
前線へ出したあとで直せという意味である。
直す前に壊れた場合のことは、どこにも書かれていない。
ベルトーネはラインを歩いた。
作業員たちは黙って働いている。誰も手を抜いてはいない。むしろ、よく働いている。だから余計にやりきれない。
彼らは良い機体を作りたいのだ。
だが上は早い機体を欲しがっている。
良い機体と早い機体は、同じではない。
搬送レールの向こうで、また一機のバーザム改が立ち上がった。装甲は閉じられ、姿勢は整っている。顔もある。手足もある。武器も持てる。
見た目は兵器だった。
だが主任には、まだ空っぽに見えた。
別の格納庫では、ヤザンが歩いていた。
量産バーザム改が並んでいる。
どれも同じ顔で、同じ姿勢で、同じ方向を向いている。
ヤザンは立ち止まらなかった。
「人形は増えた」
小さく笑う。
「使える奴は、増えてねえ」
その声は誰にも届かなかった。
だが、ヤザンにはそれで十分だった。
――――――
数日後。
ティターンズの小会議室で、オルドリッジ少佐は立っていた。
座れ、と言われていない。
それだけで、彼は状況を理解し始めていた。
正面には上官がいる。机の上には事故報告、出撃記録、整備ログ、そして工場出荷時の了解書が並んでいた。
モビルドール隊の一部が、実戦配備直後の演習で編隊同期不良を起こした。
実戦ではなかった。
だから死者は出ていない。
しかし、演習で崩れたことは上層部の怒りを買うには十分だった。
上官が端末を指で叩いた。
「君の署名だな」
オルドリッジは喉が乾くのを感じた。
「出荷数確保のため、現場判断として——」
「現場判断?」
上官の声は平坦だった。
「ここには、君の承認とある」
オルドリッジは言葉を失った。
上官は文面を読む。
「編隊同期未調整。現場再調整前提。工場出荷時点で同期性能を保証せず」
端末が机の上に置かれる。
「なぜ、これに署名した」
「予定数の確保が急務であり——」
「誰が命じた」
オルドリッジは答えられなかった。
命令はあった。
増産せよ。
予定数を出せ。
前線へ送れ。
だが、「未調整機を品質無保証で出せ」とは誰も書いていない。
彼はようやく理解した。
自分は数を揃えたのではない。
数にされたのだ。
上層部は出荷数を求めた。
工場は責任の場所を記録した。
そして今、書類は彼の前に戻ってきている。
「少佐」
上官が言う。
「君には、当面のあいだ補給調整任務から外れてもらう」
更迭、という言葉は使われなかった。
使われなくても意味は同じだった。
オルドリッジは敬礼した。
白い手袋の指が、わずかに震えていた。
「了解しました」
声だけは、かろうじて整っていた。
会議室を出たあと、廊下の照明が妙に白く見えた。
彼は歩いた。
靴音が乾いて響く。
その音を聞きながら、オルドリッジは初めて、あの工場主任の顔を思い出した。
ベルトーネは怒っていなかった。
勝ち誇ってもいなかった。
ただ、書類を差し出した。
責任の場所を正しく置くだけです。
その言葉が、今になって耳の奥で動いた。
オルドリッジは立ち止まらなかった。
立ち止まれば、何かを認めてしまいそうだった。
だが、もう認めるかどうかの問題ではない。
署名は残っている。
それだけで十分だった。
品質低下したMSを出すだけだと面白くないので、ざまぁにしてみました。