人生で初めての挿絵挿入。
ソロモン司令部の照明は、昼夜の区別を持たなかった。
厚い装甲と岩盤に囲まれた司令区画では、外の宇宙が明るいのか暗いのか、誰も気にしない。壁面の戦術表示だけが時間を刻んでいた。哨戒線、補給路、損傷艦の修理予定、前線MS隊の再編成表。その端に、新しくティターンズ系軍需工場から流れてきた断片情報が並んでいる。
ラコック大佐は、その情報をひとつずつ読み上げていた。
「バーザム改の増産は継続されています」
ドズル・ザビは腕を組んでいた。
巨体が司令卓の前に立つと、周囲の椅子や端末が少し小さく見える。顔には疲れがある。だが、疲れている時ほど、ドズルの言葉は短くなる。怒鳴る前に、要るものだけを拾う顔になっていた。
ラコックは続ける。
「光学送受信器の調整不良。高精度センサーの個体差。編隊同期の不安定。未調整出荷をめぐる責任問題」
端末の一角に、オルドリッジ少佐の更迭情報が表示された。
「補給担当士官一名が更迭されています」
ドズルは眉を動かした。
「責任を取らされたか」
「はい。工場側が未調整出荷の承認記録を残していました」
ラコックの声に、わずかな感心が混じる。
「現場主任は、かなり慎重な男です」
「慎重じゃなきゃ、ああいう場所で生き残れん」
ドズルはそう言って、表示された工場情報を睨んだ。
敵が困っている。
普通なら喜んでいい話だった。
だが、ドズルは笑わなかった。
「敵は増やしているんだな」
「はい」
「揃ってないだけだ」
「その通りです」
ドズルは重く息を吐いた。
「揃ってなくても来る」
ラコックは頷く。
「来れば脅威です」
「雑でも数で押されりゃ面倒だ。こっちのムサイは一隻ずつ商船を守ってる。ザクだって余ってるわけじゃない」
ドズルの拳が司令卓に置かれる。
叩いたわけではない。
ただ置いただけで、鈍い音がした。
「短期で決めに来るな」
「対策される前に数を出すつもりでしょう」
「なら、こっちは長く持たせる」
ドズルの目が細くなる。
「一発で勝とうとするな。沈まない。逃げ切る。時間を稼ぐ。そういう戦い方に変えろ」
それは、彼の好みの言葉ではなかった。
ドズルは本来、前へ出て殴る男である。だが、今はそれだけでは部下を殺す。好みより、生存を優先しなければならない。それが指揮官の役目だった。
ラコックは静かに答えた。
「各隊へ、交戦規定の改訂案を出します」
「急げ」
「はい」
ドズルは再び表示を見る。
バーザム改。
無人の機体。
揃わないまま増えていく人形。
それは未完成でも、弾を撃つ。
未完成でも、味方を殺す。
「敵が勝手に転ぶと思うなよ」
ドズルは低く言った。
「転びながら、こっちへ突っ込んでくる奴もいる」
――――――
本国。
ギレン・ザビの執務室は、いつものように整っていた。
机の上には資料が並んでいる。モビルドール量産不良。ティターンズ系工場の出荷記録。連邦経済会議の断片情報。宇宙通貨高、連邦通貨安。技術者流出。軍需向け低利融資。移動許可制。技術者登録制度。責任押し付けの記録。
どれも、単独では小さな情報だった。
だが、並べると形になる。
ギレンは一枚ずつ読んでいるのではない。全体を見ていた。兵器の出来、不良率、責任者の更迭。そこだけを見れば、敵の量産体制に乱れがある、で済む。
だがギレンの視線は、もう少し奥へ行っていた。
誰が部品を作るのか。
誰が調整するのか。
誰が署名するのか。
誰が責任を取るのか。
誰が逃げるのか。
戦争は、撃つ瞬間だけで成り立っていない。
ギレンは端末を操作した。
通信先はマ・クベ。
画面が開くまで、数秒の間があった。
やがて、マ・クベの姿が映る。背景は資源管理施設の一室だった。飾り気は少ないが、机の上に置かれた鉱石標本だけが、彼らしい趣味を残していた。
「総帥」
マ・クベは軽く頭を下げた。
「報告は見たか」
「概略は」
ギレンはすぐ本題へ入った。
「連邦の工場を撃つ必要はない」
マ・クベの目が、わずかに細くなる。
「工場へ届くものを止めろ」
沈黙が一拍だけあった。
マ・クベは理解した顔をした。
ギレンは続ける。
「キシリアと協力せよ」
その名が出た時、マ・クベの表情に小さな緊張が走った。彼はキシリアの部下であり、同時にギレンからの命令を受けている。この二つの間を誤れば、自分の首が飛ぶことを知っていた。
だが、ギレンの声には余計な駆け引きがない。
「高精度センサー、光学送受信器、通信素子の供給網を洗え」
「はい」
「買えるものは押さえろ」
「承知しました」
「止められるものは遅らせろ」
ギレンはそこで一度、言葉を切った。
「露骨に切るな。遅らせるだけでいい」
マ・クベは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「流れを濁らせる、ということですな」
「そうだ」
ギレンの返答は短い。
「完全に止めれば、敵は別の道を作る。少しずつ遅らせれば、敵は今の制度の中で苦しむ」
マ・クベは頷いた。
「鉱石の選別と同じです。砕くより、流れの角度を変える方が、美しい場合がある」
ギレンはその比喩には乗らなかった。
「技術者は奪うな」
マ・クベが顔を上げる。
「逃げる道を作れ」
ギレンの指が、机の上の資料を軽く叩いた。
「自分で出てくる形にしろ。家族ごと移れる道、給与を受け取れる道、名目上は民生へ移る道を用意する」
「軍需から民生へ、ですか」
「表向きはな」
マ・クベは軽く息を吐いた。
彼はこういう命令を嫌いではない。正面から壁を壊すのではなく、壁の下の土を少しずつ削る。敵が気づいた時には、壁は自分の重さで崩れる。
「連邦は兵器で負けるのではない」
ギレンは静かに言った。
「兵器を動かす制度で負ける」
マ・クベは頭を下げた。
「承知しました」
通信が切れる直前、ギレンは最後に言った。
「キシリアには、私からも別に通す」
「助かります」
「助かるかどうかは、成果で決める」
マ・クベはもう一度、頭を下げた。
通信が切れた。
ギレンはしばらく画面を見ていた。
敵は新兵器を作った。
だが、その新兵器を支えるために、金利を歪め、人材を縛り、責任を下へ流し、現場を疲れさせている。
それは国家が強くなる形ではない。
短い時間だけ、拳を固める形だ。
拳は硬くなる。
だが、そのために血が止まる。
――――――
サイド7の居住区は、まだ新しい匂いがした。
建材の匂い。配線を通した後の金属の匂い。空調に乗る薄い消毒液の匂い。港湾区から離れた居住棟には、まだ人の生活が十分には染みついていない。
それでも、ここには落ち着きがあった。
エドワウの執務机には、経済資料が並んでいた。
為替情報。
宇宙通貨建て求人。
物流枠の予約状況。
部品調達リスト。
技術者移籍相談。
サイド7へ向かう民間船の乗船申請。
その横で、ララァが椅子に座っていた。
彼女は少しだけ言いにくそうにしている。いつものように静かだが、視線が机の端へ落ちていた。指先が膝の上で重なっている。
エドワウは資料から顔を上げた。
「どうした」
ララァはすぐには答えなかった。
少し間を置いて、口を開く。
「エドワウ」
「うん」
「上の弟と、上の妹が、上に来たいそうです」
ララァが家族写真を見せてきた。
以前濡れた写真から、修整してデータ化したものをプリントしてやったものだ。
エドワウは端末を閉じた。
ララァの言い方は、いつも少し不思議だった。
地球から宇宙へ。
彼女はそれを、上に来る、と言う。
だが、その言葉の方が正しいように聞こえる時がある。重い場所から、少し軽い場所へ行く。見えない圧から、少し離れる。
「家族から連絡があったのか」
ララァは頷く。
「はい」
一拍。
「地球のお金が、薄くなっています」
エドワウは、壁面端末の為替推移を見た。
連邦通貨安。
宇宙通貨高。
数字はすでに知っている。
だが、ララァの言葉にすると、それは別のものになる。
薄くなる。
買えるものが減る。
先の見え方が細くなる。
暮らしの輪郭がぼやける。
「仕事はあるのか」
「あります」
ララァは静かに言う。
「でも、先が小さくなっています」
「先が小さい?」
「はい」
彼女は少しだけ考えた。
「地球にいると、次の場所が見えません」
エドワウは黙って聞いた。
ララァの家族の顔が、頭に浮かぶ。
父。母。祖父。弟妹たち。赤ん坊を抱いた母親の姿。古い壁の前で並んだ家族。貧しさはある。だが冷たくはない。そこには生活があった。食事の匂いも、子どもの声も、手狭な家の騒がしさもある。
ララァは、その家族を捨ててきたわけではない。
離れてきただけだ。
「こっちは、仕事があります」
ララァは言った。
「学校もあります」
「寝る場所もあります」
それから、少しだけ目を伏せる。
「だから、上に来ます」
エドワウは、その言葉を聞いていた。
市場では、それを人材流入と呼ぶ。
統計では、移住希望者増と呼ぶ。
連邦側では、流出と呼ぶかもしれない。
だがララァは、ただ家族の話をしている。
仕事がある。
学校がある。
寝る場所がある。
それだけの話だった。
「止める理由はないな」
エドワウは言った。
ララァが顔を上げる。
「いいのですか」
「もちろんだ」
彼は端末を操作した。
「家族単位の移送枠を増やす。住居、学校、医療、身元保護。給与は宇宙通貨建てを基本にする」
ララァは黙って聞いていた。
「技術者だけを呼んでも続かない。家族が暮らせなければ、結局戻る」
エドワウはララァを見る。
「人は働く場所に来るんじゃない」
一拍。
「暮らせる場所に来る」
ララァは小さく頷いた。
「はい」
その声は静かだった。
けれど、少しだけ柔らかい。
「弟は、機械を触るのが好きです」
「なら、学校と実習先を探そう」
「妹は、まだ迷っています」
「迷える場所も必要だ」
ララァは少しだけ笑った。
「それは、よい場所です」
エドワウは視線を外した。
「人を奪うつもりはない」
「はい」
「ただ、来たい者を拒む理由もない」
ララァは窓の外を見た。
サイド7の居住区には、まだ空きがある。人が来る余地がある。学校も、住居も、仕事も、これから増やせる。
人工の光の下で、子どもたちが廊下を走っていく。
その中に、自分の弟や妹が混じる姿を、ララァはほんの少しだけ想像した。
それは夢ではない。
手続きの話になりつつあった。
そのことが、少し怖く、少し嬉しかった。
――――――
ギレンは軍用地図を見ていた。
エドワウは市場端末を見ていた。
場所は違う。
見ているものも違う。
だが、二人の視線は同じ場所へ向かっていた。
ギレンの前には、連邦の軍需制度がある。
命令、調達、工場、責任、補給、前線。
そのどこか一つが止まれば、兵器は戦場へ届かない。届いても、揃わない。揃わなければ、想定した戦い方はできない。
ギレンは報告官へ言った。
「命令が通らない国家は戦争に負ける」
報告官は姿勢を正した。
ギレンは続ける。
「命令書があるだけでは、部品は届かん。署名があるだけでは、機体は揃わん」
同じ頃、エドワウは別の資料を見ていた。
契約、為替、物流、求人、住居、教育。
どれも経済の言葉だった。
だが、それは生活の言葉でもある。
「契約が通らない市場は機能しない」
エドワウは低く言った。
財団スタッフが顔を上げる。
「契約は成立しています」
「成立しているだけだ」
エドワウは端末を指で示す。
「届かない契約は、現場では存在しないのと同じだ」
ギレンは言う。
「責任を下に押しつけるほど、現場は動かなくなる」
エドワウは言う。
「責任を取らない契約は、誰も守らない」
二人は互いの言葉を聞いていない。
だが、同じものを見ている。
連邦は、兵器を作った。
正しい兵器だった。
しかし、それを支える制度が、自分の重みで歪み始めている。
――――――
本国で、ギレンは指示を出した。
「モビルドール対策訓練を標準化しろ」
報告官が端末へ打ち込む。
「ビーム攪乱粒子の濃淡運用は、各方面軍で試験」
「短距離光学通信の規格化は技術部へ回せ」
「ムサイ級への艦内管制方式は、開発案として整理する」
そこでギレンは一度、言葉を止めた。
「ただし、完全無人化は急ぐな」
報告官が顔を上げる。
ギレンは言った。
「人を中枢に残せ」
この一言だけは、ゆっくりだった。
連邦は人を削ろうとしている。
ジオンは、人を足りない場所へ届かせようとしている。
同じ技術でも、使い方で国の形が出る。
ギレンはさらに続けた。
「情報部へ」
「はい」
「連邦の部品調達先を追え。光学送受信器、高精度センサー、通信素子。製造拠点、輸送経路、調整技術者」
報告官の手が動く。
「技術者流出先は保護または誘導。ティターンズ内部の責任問題は観察しろ」
「妨害は」
「急ぐな」
ギレンは短く言った。
「どこで詰まっているかを先に見ろ」
戦争は、工場を爆破すれば終わるものではない。
工場を支える部品、部品を支える技術者、技術者を支える生活、生活を支える通貨。
そのどこかが弱れば、戦場へ届く前に兵器は古くなる。
ギレンはそれを知っていた。
派手な破壊より、遅れの方が効く場合がある。
敵が自分の制度の中で苦しんでいるなら、その苦しみを少し長く続けさせればいい。
ギレンの目には、前線ではなく、前線へ向かうすべての道が映っていた。
――――――
連邦側では、通知が配られていた。
技術者登録制度。
移動許可制。
宇宙企業への転職審査。
整った文字で書かれた通知は、整っているがゆえに冷たかった。
ある官舎では、若い技術者がそれを読んでいた。
机の上には、宇宙企業からの返信がある。
住居あり。
家族移送可。
教育支援あり。
給与は宇宙通貨建て。
彼は通知を読み終える前に、宇宙企業への返信文を開いた。
「今出ないと遅れる」
隣にいた同僚が言った。
「何が」
「手続きだ」
若い技術者は短く答えた。
「いや」
少し間を置く。
「人生が」
工場では、バーザム改が並んでいた。
未調整の機体。
再検査待ちの機体。
書類上は出荷可能な機体。
ラインは動いている。
だが、そこで働く者の目には疲れが濃くなっていた。
連邦は若者を止めようとした。
だが、その通知は、出発を早めただけだった。
――――――
ギレンは報告書を閉じた。
エドワウは市場端末を閉じた。
二人は別々の場所にいた。
片方は本国の執務室。
片方はサイド7の居住区にある仮の執務室。
だが、言葉は同じ場所へ落ちた。
ギレンは言った。
「連邦は、兵器ではなく制度で負ける」
その声は静かだった。
怒りも、侮りもない。
ただ判断だけがあった。
同じ頃、エドワウは窓の外を見ていた。
人工の光の下を、家族連れが歩いている。
「連邦は、金ではなく仕組みで詰まっている」
ララァが彼を見る。
エドワウは続けた。
「金があっても、暮らせない場所には人は残らない」
遠くで、民間船が港湾区へ入っていく。
宇宙へ向かう者。
宇宙へ来る者。
地球を離れる者。
戻るつもりのない者。
その流れは、まだ細い。
だが、細い流れでも、止まらなければ川になる。
一方、工場には未調整のバーザム改が並ぶ。
別の格納庫では、ジオンの有人MSが整備されている。
技術者が工具を持ち、整備兵がコックピットを覗き、パイロットが機体の癖を確かめる。
戦争は前線だけで決まらない。
兵器を作る者。
運ぶ者。
整備する者。
署名する者。
家族を連れて移動する者。
そのすべてが動かなければ、どれほど新しい兵器も戦場へ届く前に古くなる。
そして連邦は、そのすべてを動かす仕組みを、自分の手で重くしていた。
なお、家族写真はアニメの一場面からおこしてます。