妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第20話 忠義は燃え残る

 

忠義というものは、燃え尽きる時より燃え残る時の方が厄介だ。

 

火ならまだいい。明るく燃え上がり、煙を出し、灰を残し、終わったことが見てわかる。だが忠義は違う。燃え残った部分ほど黒く硬く、しかも本人の胸の底でじっと長持ちする。外から見れば静かだ。静かなくせに、触れるとやけに熱い。古い家も、古い国も、だいたいそういう燃え残りに穴を開けられる。

 

ジンバ・ラルは、もう燃え尽きない方の人間だった。

 

その朝、私の机の上には三種類の報告が並んでいた。港湾区画からの出入り。酒場での聞き書き。旧ダイクン派の残り香を持つ者たちの私的な集まり。どの紙にも、同じ名前が薄く浮いていた。ジンバ・ラル。正面からは動かない。だが消えもしない。まるで、こちらが忘れるのを待っているみたいな居座り方だった。

 

セシリアが一番上の紙を私の前へ少しだけ押した。

 

「昨夜、クラブ・エデンの奥で三名と接触しています」

 

「顔ぶれは」

 

「古い支援者が二人と、港湾の現場上がりが一人です。金は動いていません。言葉だけです」

 

「その方が悪いな」

 

「はい」

 

私は紙を見た。金の流れは切れる。物資の流れも切れる。だが言葉は切れにくい。しかも、金を受け取らず言葉だけで動く時の人間は、自分を清廉だと信じやすい。信じている人間は厄介だ。買収された男はまだ裏切れるが、信念に酔った男はなかなか目を覚まさない。

 

アサクラが後ろから言った。

 

「閣下、ジンバ・ラルは“まだ自分が中心だ”と思っております」

 

「思わせているのは誰だ」

 

「本人であります」

 

「小さい結論だな」

 

「正確な結論であります」

 

私は少しだけ笑った。こういう男は嫌いだが、こういう時だけ役に立つ。ジンバのような大きな感情の持ち主を読む時、小さい人間の方が案外よく見ていることがある。自分がああはならないと本能で知っているからだろう。

 

「ランバは」と私は訊いた。

 

「すでに待機しています」とセシリアが言った。

 

「呼べ」

 

ランバ・ラルは十分も経たずに入ってきた。いつものように無駄がない。敬礼も短く、立ち位置も正確だ。だが今日は、肩に少しだけ硬さがあった。気づかぬ者は気づかない程度だが、私はもうそういう硬さをいくつか知っている。義理と感情が同じ場所でぶつかる時の肩だ。

 

「報告は聞いているな」と私は言った。

 

「聞いている」

 

「ジンバはまだ動いている」

 

「そうだ」

 

「お前に会わせる」

 

ランバはすぐには返事をしなかった。

まっすぐ私を見て、それから低く言った。

 

「必要か」

 

「必要だ」

 

「私でなければならんのか」

 

「お前でなければ意味がない」

 

彼は少しだけ視線を落とした。

ジンバ・ラルは彼にとって上官であり、一族の古い影であり、そして今もなお“ラル家の筋”のどこかに引っかかっている存在だ。その相手へ、お前がもう正しくないと言わなければならない。残酷だと思う。だが残酷でない国家建設など聞いたことがない。

 

「場所は」とランバが訊いた。

 

「旧港湾倉庫だ。ダイクン派がまだ“議長の言葉”を回覧していた頃の集会場だ」

 

ランバの口元がほんの少し動いた。

笑いではない。苦さに近い何かだった。

 

「悪趣味だな」と彼は言った。

 

「知っている」

 

「わざとか」

 

「少しは」

 

彼は短く息を吐いた。

それ以上は何も言わなかった。よかった。長い同意は、時々人の覚悟を濁らせる。

 

父とは昼前に会った。

私室の奥、小さな応接間。最近の父は、大広間よりこういう場所を好む。光が柔らかいからだろう。あるいは、鏡までの距離が短いからかもしれない。グレイトグロウの効き目が本当に出ているのかはわからないが、少なくとも父の仕草にはよく効いていた。会話の途中で、頭へやる手が少しだけ増えたのだ。

 

「ジンバを切るのか」と父が言った。

 

「殺しません」

 

「聞いておらん」

 

私は少しだけうんざりして答えた。

「切るというのは、子どもたちの物語から外すという意味です」

 

父はうなずいた。

わかっているくせに時々こういう聞き方をする。古い元首の癖だろう。相手に言葉を選ばせることで、本気の度合いを測る。

 

「ランバで行くのだな」

 

「はい」

 

「折れんぞ、あれは」

 

「折る必要はありません。周囲に『もう同じ場所には立っていない』と見せられればいい」

 

父はそこで一度だけ頭へ触れた。

最近、その仕草が本当に会話の句点になっている。国家と頭皮の管理は、年を取ると似てくるのかもしれない。

 

「よろしい」と父は言った。

「ただし、ジンバ・ラルを哀れには見せるな。哀れはすぐ神話になる」

 

私は少しだけ驚いた。

やはりこの人は時々、必要なことだけを恐ろしく短く言う。

 

「承知しました」

 

「あと」

 

父はそこで珍しく、少しだけ笑った。

 

「今夜は匂いが強いと思うな」

 

「何のです」

 

「倉庫のだ。お前は時々、余計なものを嗅いで帰ってくる」

 

私はそれに返事をしなかった。

実際、私はよく余計なものを嗅いで帰る。倉庫の湿気、酒場の油、港の鉄、薬品、古い家の疲れ。それが政治の材料になることもあるし、単に嫌な記憶として残ることもある。

 

夕方、キシリアが執務室へ来た。

扉を閉めた。今日はいたずらではないらしい。閉じた扉の向こうに、あの女は時々ちゃんとした話を持ってくる。

 

「兄上」と彼女は言った。「今夜、見るの?」

 

「見る」

 

「悪趣味」

 

「知っている」

 

「でも見るのね」

 

「見ないで済むなら見たくない」

 

「でも見るの」

 

「国家は時々、盗み聞きでできている」

 

彼女は少しだけ笑った。

「そういう兄上、嫌いじゃないわ」

 

「それは侮辱だ」

 

「褒めてるのよ」

 

「お前の褒め言葉はたいてい腐食性がある」

 

キシリアは机の端に腰をかけた。

こういう時の彼女は、妙にしなやかだ。猫が棚の上から水槽を見ているみたいな落ち着きがある。

 

「ジンバは叫ぶでしょうね」と彼女は言った。

 

「だろうな」

 

「ランバは?」

 

「叫ばない」

 

「だから痛いのよ」

 

私は返事をしなかった。

その通りだった。叫ぶ相手より、叫ばずにこちらの腹へ言葉を置く相手の方がきつい。ランバ・ラルという男は、まさにそういう種類の痛さを持っている。

 

夜になって、私は旧港湾倉庫へ向かった。

表からは入らない。横手の古い整備口から入る。アサクラが案内し、セシリアは最後まで黙ってついてきた。シンシアは外した。あの女は記録に向いているが、こういう場で他人の感情を見せすぎると、後でどちらか一方へ私情が寄る可能性がある。今夜はそれを避けたかった。

 

「本当に、ここでよろしいのですか」とセシリアが小さく言った。

 

「よくはない」と私は答えた。

「だからここでいい」

 

倉庫は古かった。

鉄骨の間に、昔の煙草と機械油の匂いがまだ残っている。床の一部はすり減り、奥の壁には薄く消された古いスローガンの跡があった。ダイクン議長の演説を書き写した紙が、かつてここでも回ったのだろう。古い熱というものは、驚くほど長く壁に残る。

 

私たちは壁の向こう、半ば使われなくなった小部屋に入った。

木の隙間から、向こう側の広間が見える。聞こえる。見苦しいやり方だと思う。だが今夜は、見苦しさを避けている場合ではない。

 

先に来たのはジンバだった。

 

私はその姿を見て、少しだけ胸の奥が冷えた。

年を取っていた。

当然だ。

だが、ただ年を取ったのではない。怒りだけが年を越し、肉体の方がそれについていけなくなったような老い方だった。背はまだまっすぐだが、歩幅が短く、首のあたりに疲れが溜まっている。こういう人間は危ない。まだ自分を若い頃の使命に置いたまま、体だけが遅れている。

 

しばらくして、ランバが入った。

一礼もしない。

向き合って、必要な距離で止まる。

それでよかった。礼を尽くした瞬間に、この会話は昔へ戻る。戻してはいけない。

 

最初に口を開いたのはジンバだった。

 

「来たか」

 

「来た」とランバは言った。

 

「ザビの犬になったという噂は本当らしいな」

 

ランバは表情を変えなかった。

「噂は噂だ」

 

「では何だ」

 

「私は私の筋で動く」

 

ジンバはそこで笑った。

笑いというより、鼻で斬るような音だった。

 

「筋だと。

お前に筋を教えたのは誰だ。

ダイクン公の家で何を見て育った。

誰の言葉を正義だと教え込まれた」

 

「覚えている」とランバは言った。

 

「覚えている者のする顔ではない!」

 

その瞬間、ジンバの声が倉庫の鉄骨へ跳ね返った。

古い倉庫は怒鳴り声をよく増幅する。昔ここで回っていた熱狂の残響が、まだ壁のどこかに残っているのかもしれない。

 

私はその響きを聞きながら思った。

これだ。

この男はもう、相手へ話していない。

倉庫と、過去と、自分の胸の中の“まだ若かった頃の自分”へ向かって叫んでいる。そうなった忠義は危険だ。

 

ランバはしばらく黙った。

ジンバの怒鳴りが倉庫の梁で冷えるのを待つように。

 

「子どもたちは出た」とランバが言った。

「それで終わりだ」

 

「終わりだと?」

 

「お前の手の中にはもういない」

 

「だから何だ!」

 

ジンバが一歩前へ出た。

拳が震えている。老いの震えか、怒りの震えか、その両方かもしれなかった。

 

「あの子は」とジンバが言った。

「あの子は、議長の血だ。

あれはただの少年ではない。

サイド3の未来だ。

ザビ家に囲わせてよい存在ではない!」

 

ランバの声は低かった。

低いが、はっきりしていた。

 

「だから逃がした」

 

ジンバは一瞬、言葉を失った。

その沈黙は短かったが、確実にあった。

自分が言おうとした大義を、先に同じ側から言われた時の顔だった。

 

「ならなぜ」とジンバが言った。

「なぜ今、私を止める。

なぜ私の動きを切る。

なぜ旧知の者どもへ余計なことを吹き込む」

 

ランバはまっすぐ彼を見た。

 

「お前がもう、子どもたちを守っていないからだ」

 

倉庫が、今度は別の意味で静かになった。

 

ジンバの顔から一瞬だけ血が引いた。

怒る前に、理解が先に刺さった顔だった。

その一瞬が、私はいちばん痛かった。

 

「何だと」とジンバは言った。

今度の声は少し低かった。

叫びよりも低い声の方が、人は本気になる。

 

「お前は今、子どもたちではなく、お前の中の議長を守っている」とランバは言った。

「キャスバル様もアルテイシア様も、もうお前の腕の中にはいない。

だが、お前はまだ自分が“議長の遺志を抱えている男”でありたい。

だからあの二人の不在に、自分の役目を貼りつけている」

 

ジンバはテーブルを叩いた。

乾いた音がした。

古い木が、ようやく怒られたような顔をする。

 

「黙れ!」

 

「黙らん」

 

「貴様に何がわかる!」

 

「わかる」とランバは言った。

「長く見てきた」

 

その言葉には、変な飾りが一切なかった。

だから強かった。

ランバ・ラルはやはり、こういう時にだけ妙に正しい。言葉を飾らないまま、相手の中心へ置く。武人の言葉とは、たぶん本来こういうものだ。

 

ジンバは肩で息をしていた。

老いた胸が上下するたび、怒りと疲労が同じ場所で軋んでいるのが見てとれた。

 

「議長は」とジンバが言った。

「議長は何と言ったと思う。

あの方は、このままサイド3が連邦の犬のように飼われ続けるのを見過ごす方ではなかった。

あの方はジオンの未来を見ていた。

その血を継ぐ子を、ザビの家の中で腐らせてよいわけがない!」

 

「ならなぜ、静かに逃がした」とランバは言った。

「なぜ旗を立てなかった」

 

「愚か者!」とジンバは叫んだ。

「今ここで旗を立てれば、あの子は死ぬ。

だから私は待っている!」

 

「違う」とランバは言った。

 

その一言が、私は妙に怖かった。

低い。

短い。

逃げない。

 

「お前は待っていない」とランバは続けた。

「待つふりをして、自分が立つ場所を探している。

あの子が大きくなるまでではない。

あの子が、お前を必要とする物語になるまで待っている」

 

ジンバが椅子を蹴った。

それはもう理性の動きではなかった。木が倒れ、乾いた音を立てる。私はセシリアが隣で微かに息を呑むのを聞いた。

 

「貴様!」

「事実だ」

「貴様に、私の何がわかる!」

「わかる。

お前はもう、あの子たちの明日のために動いていない。

お前は昨日を守っている」

 

その時、ジンバの顔に浮かんだものは、怒りだけではなかった。

傷つき方だった。

老いた忠臣が、初めて自分の忠義の形を否定された時の顔。

私はあれを見て、嫌な気分になった。

正しい言葉が人を救うとは限らない。

むしろ、こういう場ではだいたい傷口をはっきりさせるだけだ。

 

「議長がいれば」とジンバが言った。

その声は、少しだけ揺れた。

「議長がいれば、こんな……こんな穢れた連中に国をいじらせはしなかった」

 

ランバは静かだった。

そして、その静かさがさらに残酷だった。

 

「いない」と彼は言った。

 

それだけだった。

だが、それだけで十分だった。

私は思わず息を止めた。

キシリアが時々言う、相手を崖へ立たせる一言というものがある。今のそれがそうだった。

 

ジンバは、そこで初めて老いて見えた。

怒りではなく、喪失で。

喪失は人を一番老けさせる。

その顔を見て、私は初めて、この男にも確かに本物の悲しみがあったのだと認めざるを得なかった。だから厄介なのだ。純粋な野心家ならもっと簡単に処理できる。悲しみを本当に持っている者ほど、自分の歪みを大義だと信じやすい。

 

「お前は」とジンバが言った。

「お前はラル家の男だぞ」

 

「知っている」

 

「ならばなぜ!」

 

ランバは数秒だけ黙り、それから答えた。

 

「ラル家の男だからだ」

 

ジンバは言葉を失った。

私はその答えが好きだった。

好きだが、同時に少しだけ恐ろしくもあった。

筋で立つ人間は、筋が折れない限り、誰の命令でも完全には従わない。今この瞬間のランバ・ラルは、ギレン・ザビの配下ではなく、ただ自分の筋でジンバと向かい合っている。

 

「子どもたちは」とランバが言った。

「もうお前の旗ではない。

お前が今やっているのは、守ることではなく、燃え残りを煽ることだ」

 

「燃え残りだと」

 

「そうだ」

 

ジンバの顔が歪んだ。

怒りとも、悲しみともつかない顔だった。

 

「ならどうしろと言う」と彼は言った。

「黙って見ていろと?

ザビの家が国を名乗り、議長の名を都合よく使い、血だけを外へ追いやったその後を、黙って見ていろと?」

 

ランバは一歩も動かなかった。

 

「見ろ」と彼は言った。

「そして、邪魔をするな」

 

その一言のあと、倉庫は長く静かだった。

私は、その静けさが好きではなかった。

決着がついた静けさではなく、どちらも折れていない静けさだったからだ。

神話は、こういう決着のつかなさを好む。両方が正しさの欠片を持ったまま別れると、周囲は勝手に続きを作る。

 

やがてジンバは、ゆっくり椅子を起こした。

その動きが妙に丁寧で、私は少しだけ寒くなった。激しく怒鳴る者が、急に丁寧になる時は危ない。

 

「わかった」と彼は言った。

「お前の言い分はわかった」

 

ランバは答えなかった。

 

「だが、お前は間違っている」

 

「そうか」

 

「私は止まらん」

 

「知っている」

 

「お前も、いずれわかる。

あの子は戻る。

そしてその時、今日のことを悔やむ」

 

ランバはそこで初めて、ほんの少しだけ眉を動かした。

 

「そうかもしれん」と彼は言った。

「だが、その時に悔やむのは今日ではない。

今日までに、お前が子どもたちを子どものまま見なかったことだ」

 

それで終わりだった。

 

ジンバはそれ以上何も言わず、倉庫を出ていった。

足取りは乱れていなかった。

そこが嫌だった。

折れていない。

痛んではいる。

だがまだ、自分の中の物語を持ったままだ。

 

ランバはしばらくその場に立ち尽くしていた。

ようやく動いた時、肩が少しだけ落ちているのが見えた。

私はそこで部屋を出た。

盗み聞きはここまででよかった。これ以上見ていると、こちらまで何か失う気がした。

 

ランバは私を見ると、少しだけ目を細めた。

驚かなかった。

私がどこかで聞いていることくらい、最初から知っていたのかもしれない。

 

「悪趣味だな」と彼は言った。

 

「知っている」

 

「聞いていたか」

 

「聞いていた」

 

「なら、もう説明はいらんだろう」

 

「いらない」と私は答えた。

「十分だ」

 

ランバは椅子を元へ戻した。

先ほどジンバが蹴ったものだ。

私はその仕草を見て、やはりこの男は現場の人間だと思った。国や理念や血筋の前に、まず倒れた椅子を戻す。そういう人間がいないと、たぶん国家は一日も持たない。

 

「どうする」とランバが訊いた。

 

「放っておかない。

だが、まだ触りすぎない」

 

「そうか」

 

「酒場の顔を減らす。

港の古い線も細くする。

お前の言葉で今日の話が少しだけ漏れるようにしてもいい」

 

ランバは私を見た。

 

「自分で言えばいいだろう」

 

「私が言うと、ザビ家がジンバを切った話になる」

 

「そうだな」

 

「お前が言えば、ラル家の中で筋が割れた話になる」

 

彼は少しだけ嫌そうな顔をした。

その顔が見られただけでも、今夜ここへ来た価値はあった気がした。

 

「汚いな」とランバは言った。

 

「国家建設だ」

 

「便利な言葉だ」

 

「そうだろうな」

 

私たちはそれ以上話さなかった。

必要なことだけを言い、嫌な部分はそれぞれ持ち帰る。

その方がましだった。

 

屋敷へ戻ると、キシリアが起きていた。

というより、起きて待っていた。

あの女はこういう夜、必ず起きている。

結果よりも、私の顔を見たいのだろう。

 

「どうだった」と彼女は言った。

 

「爆発した」

 

「ジンバが?」

 

「主に」

 

「ランバは?」

 

「静かだった」

 

「そっちの方が痛かったでしょうね」

 

私はコートを脱ぎ、椅子へかけた。

妙に鉄の匂いが移っている。

父の言う通り、私はやはり余計な匂いを持ち帰るらしい。

 

「折れた?」とキシリア。

 

「いや」

 

「じゃあ駄目じゃない」

 

「違う」と私は言った。

「折れなくていい。

周りが“もう同じ場所に立っていない”と見れば十分だ」

 

キシリアは少しだけ考えたあと、うなずいた。

 

「なるほど。

英雄にしないためには、悲劇の形を整えない方がいいのね」

 

「そういうことだ」

 

「兄上、嫌なところだけ本当に頭がいい」

 

「お前に言われたくない」

 

「褒めてるのに」

 

「それが嫌だ」

 

彼女は笑った。

「今夜の父上、グレイトグロウを二度塗りしてたわよ」

 

「やめろ」

 

「事実よ」

 

「だからやめろ」

 

「国家の未来と頭頂部の未来は両立するのかしら」

 

「お前は本当に品がない」

 

「家族ですもの」

 

私はそれ以上返さなかった。

返すとたぶん、自分でも少し笑ってしまうからだ。

今夜の後で笑うのは、少しだけジンバに悪い気がした。

 

自室へ戻り、私は机のメモを読み返した。

 

善意には護衛をつけろ。

感じのいい人間ほど、荷物と肩書きを先に調べろ。

アサクラは机の近くに置け。壁の中に入れるな。

風向きで動かぬ男は、風向きを変える。

檻が美しいほど、鳥は飛びたがる。

神話は、追えば育つ。

残る母親は、去る子どもより強い。

国家は、空いた椅子の使い方で決まる。

橋は、渡る前に重さを量れ。

軽い男の言葉は、時々あとから重くなる。

古い家は、嫌悪の隙間からしか救えない。

医者は病を診る。橋は家の傾きを診る。

神話は、座る前に歩かせろ。

正しく失敗した報告だけが、国家を少し延命させる。

 

そこへ、今日の分を足した。

 

忠義は、行き場を失うと神話へ逃げる。

 

その下に、もう一行。

 

倒れた椅子を先に戻す男だけが、現場を任せるに値する。

 

書いてから、私はペンを置いた。

窓の外では、サイド3の人工夜が静かに光っていた。

まだ公国ではない。

まだ独立もしていない。

だが今夜、古い忠義は一度爆発し、ラル家の筋は言葉になり、ジンバ・ラルはもう子どもたちの守り手ではなく、燃え残りを抱えた老人として次の段へ進んだ。

 

これで終わりではない。

終わりではないが、少なくとも今夜で物語の座り方は少し変わった。

それだけで十分だった。

神話は火を使わずに燃える。

だからこちらは、火消しより先に酸素の流れを変えなければならない。

国家というものは、だいたいそういう見えない工事でできているのだろう。

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