SS気味の出番です。
レオン・マイヤール少尉は、ソロモンに着いた瞬間、自分の肩がやけに重いことに気づいた。
理由は分かっている。
階級章である。
いや、もちろん階級章そのものは軽い。金属片としては大した重さではない。だが、それが肩についていると、なぜか背筋を伸ばさなければならないような気がする。
しかも、少尉。
少尉である。
このあいだまで、自分は農業ブロックで空気の変なところを見つけたり、ドズル様の後ろで小走りしたりしていたはずなのに、気がついたら少尉である。
戦争というものは、人間を急に大人にする。
ただし、本人の中身が追いつくとは限らない。
「レオン・マイヤール少尉、着任しました」
格納庫に響いた自分の声は、思ったより硬かった。
目の前には、ドズル・ザビ中将がいた。
大きい。
相変わらず大きい。
ソロモンの格納庫は十分広いはずなのに、ドズルが立つと、なぜか天井が少し低く見える。
ドズルは腕を組み、レオンの肩の階級章を見た。
「少尉か」
「はい」
「お前まで階級章をつけさせられたか」
声は低かった。
怒っているようにも聞こえる。
だが、レオンには分かった。
これは自分に怒っているのではない。
たぶん、もっと別のものに怒っている。
「サイコミュ調整協力の功績による戦時任官とのことです」
「功績、ねえ」
ドズルは鼻を鳴らした。
「便利な言葉だな」
レオンは返事に困った。
便利な言葉だと思ったことはなかったが、そう言われると、たしかに便利なのかもしれない。功績と言えば、子どもでも軍人にできる。協力と言えば、危ない実験にも立ち会わせられる。戦時と言えば、だいたいの無茶が通ってしまう。
レオンは後ろを振り返った。
格納庫の奥で、布に覆われた一機が固定されている。
サイコミュ高機動試験用ゲルググ。
それが、レオンの持ってきた荷物だった。
正確には、荷物などという大きさではない。人間よりずっと大きく、ザクよりも鋭く、まだ完成品とは言い切れない危うさを持った機体である。
「機体は、指定通り搬入済みです」
レオンが言うと、ドズルはそちらを見た。
「サイコミュ高機動試験用ゲルググ、か」
「はい」
「人間ごと機械を寄越したわけだ」
レオンはまた返事に困った。
困ってばかりだ。
少尉になったのに、困る回数は減っていない。
「リーゼはどうした」
ドズルが言った。
その名前が出た瞬間、レオンの胸が少しだけ縮んだ。
「エルメスの調整に残りました」
「やっぱりか」
「本人は、相変わらず研究員に文句を言っています」
ドズルの口元が、ほんの少しだけ動いた。
「あいつなら言うだろうな」
その声には、懐かしさがあった。
だがすぐに、ドズルの顔は曇った。
「笑い話じゃねえな。兄妹そろって階級章か」
レオンは何も言えなかった。
リーゼも戦時任官で少尉になっている。
妹が少尉。
これも、考えると変な話である。
リーゼは昔から気が強かったし、研究員に遠慮なく文句を言うし、レオンよりよほど肝が据わっているところがある。
けれど、妹は妹だった。
エルメス。
その名前を聞くたび、レオンは白い部屋と、静かすぎる廊下と、リーゼの小さな背中を思い出す。
「レオン」
ドズルの声で、レオンは顔を上げた。
「はい」
「飯を食ったか」
「いえ、まだです」
「なら来い」
「え」
「夕食だ。少尉だろうが何だろうが、腹が減ってちゃ役に立たん」
そう言って、ドズルは先に歩き出した。
レオンは慌てて後を追った。
格納庫の中では、サイコミュ高機動試験用ゲルググが静かに固定されていた。布の下で、まだ起きていない獣のように見えた。
食堂と言って連れて来られたのは、ドズル様の私邸だった。
家族の部屋だ。もちろんソロモンなので、外に庭があるわけではないし、窓の外には装甲しかない。だが、テーブルの上には温かい料理があり、ゼナ様がいて、その腕の近くに小さなミネバ様がいた。
レオンは思わず背筋を伸ばした。
「レオン・マイヤール少尉、失礼します」
ゼナが顔を上げた。
それから、柔らかく笑った。
「まあ、レオン。よく来てくれましたね」
その一言で、レオンの肩から少し力が抜けた。
ああ、覚えていてくれた。
それだけで、少尉の階級章が少し軽くなった気がした。
ミネバ様は、もちろんレオンのことを覚えている年齢ではなかった。
まだ一歳ほどである。
人の名前よりも、母の声や、父の足音や、食器の音の方が大事な時期だ。
だから、ミネバ様がレオンを見て笑ったのは、レオンを覚えていたからではない。
ゼナ様が笑ったから。
ドズル様が怒鳴らなかったから。
部屋の空気が柔らかかったから。
たぶん、それだけのことだった。
でも、それでよかった。
ミネバ様は、小さな手を伸ばした。
レオンの袖を、きゅっと握る。
とても小さな手だった。
レオンは固まった。
「……姫様」
声が勝手に小さくなった。
戦時任官。
少尉。
サイコミュ高機動試験用ゲルググ。
エルメス。
そういう重い言葉が、その瞬間だけ、部屋の隅へ追いやられた。
目の前には、小さな手がある。
袖を握られている。
それだけだった。
ドズルが椅子に座りながら言った。
「どうした、少尉。姫様に捕虜にされたか」
ゼナが小さく笑った。
レオンは真面目に答えた。
「はい。抵抗は困難です」
ドズルが声を立てて笑った。
久しぶりに聞く笑い声だった。
レオンは、少しだけ泣きそうになった。
もちろん泣かなかった。
少尉なので。
いや、少尉でなくても泣かなかったと思う。
たぶん。
夕食の席で、リーゼの話が出た。
ゼナが静かに聞いた。
「リーゼは元気ですか」
「はい。元気です。研究員に、よく文句を言っています」
「それは元気ですね」
「はい」
ミネバ様は、スプーンを握っていた。
まだうまく使えないらしく、料理よりもスプーンそのものに興味があるようだった。
ドズルは黙っていた。
黙って、しばらく料理を見ていた。
「レオン」
「はい」
「リーゼに伝えろ」
「何をでしょうか」
「無理をするな、と言っても聞かんだろうからな」
ドズルは少し考えた。
「飯を食え、と言っておけ」
レオンは頷いた。
「はい。必ず」
「それと」
「はい」
「生きて戻れ、だ」
食堂の空気が、少しだけ静かになった。
レオンは、ミネバ様の小さな手を見た。
さっきまで自分の袖を握っていた手だ。
この小さな手が、何も知らずに伸びてくる場所を守るために、自分たちはここにいるのだと思った。
それは立派な考えではなかった。
大きな思想でもなかった。
ただ、目の前にあるものだった。
「はい」
レオンは答えた。
「伝えます」
その声は、着任報告の時より少しだけ自然だった。
夕食が終わる頃、ミネバ様は眠くなり、ゼナの腕の中で目をこすっていた。
レオンは席を立ち、頭を下げた。
「本日は、ありがとうございました」
ゼナが言った。
「また来てくださいね」
レオンは一瞬、言葉に詰まった。
また。
それは、ここに明日がある人間の言葉だった。
戦争の中では、とても贅沢な言葉だ。
「はい」
レオンは言った。
「必ず」
格納庫へ戻る途中、レオンはもう一度、サイコミュ高機動試験用ゲルググを見た。
布の下の機体は、まだ動かない。
だが、いずれ動く。
その時、自分は少尉としてそこにいる。
リーゼはエルメスにいる。
ドズル様はソロモンにいる。
ゼナ様とミネバ様も、この要塞の中にいる。
世界は、前よりずっと複雑になっていた。
でも、ミネバ様の手は小さかった。
それだけは、やけにはっきりしていた。
レオンは自分の袖を見た。
小さく握られた跡など、残っているはずがない。
それでも、そこに何かが残っているような気がした。
彼は背筋を伸ばした。
今度は階級章のせいではなかった。
ほっこり 一休みです。