妹に撃たれない方法   作:Brooks

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久しぶりレオン君。
SS気味の出番です。


第203話 姫様と少尉

 

 

 レオン・マイヤール少尉は、ソロモンに着いた瞬間、自分の肩がやけに重いことに気づいた。

 

 理由は分かっている。

 

 階級章である。

 

 いや、もちろん階級章そのものは軽い。金属片としては大した重さではない。だが、それが肩についていると、なぜか背筋を伸ばさなければならないような気がする。

 

 しかも、少尉。

 

 少尉である。

 

 このあいだまで、自分は農業ブロックで空気の変なところを見つけたり、ドズル様の後ろで小走りしたりしていたはずなのに、気がついたら少尉である。

 

 戦争というものは、人間を急に大人にする。

 

 ただし、本人の中身が追いつくとは限らない。

 

「レオン・マイヤール少尉、着任しました」

 

 格納庫に響いた自分の声は、思ったより硬かった。

 

 目の前には、ドズル・ザビ中将がいた。

 

 大きい。

 

 相変わらず大きい。

 

 ソロモンの格納庫は十分広いはずなのに、ドズルが立つと、なぜか天井が少し低く見える。

 

 ドズルは腕を組み、レオンの肩の階級章を見た。

 

「少尉か」

 

「はい」

 

「お前まで階級章をつけさせられたか」

 

 声は低かった。

 

 怒っているようにも聞こえる。

 

 だが、レオンには分かった。

 

 これは自分に怒っているのではない。

 

 たぶん、もっと別のものに怒っている。

 

「サイコミュ調整協力の功績による戦時任官とのことです」

 

「功績、ねえ」

 

 ドズルは鼻を鳴らした。

 

「便利な言葉だな」

 

 レオンは返事に困った。

 

 便利な言葉だと思ったことはなかったが、そう言われると、たしかに便利なのかもしれない。功績と言えば、子どもでも軍人にできる。協力と言えば、危ない実験にも立ち会わせられる。戦時と言えば、だいたいの無茶が通ってしまう。

 

 レオンは後ろを振り返った。

 

 格納庫の奥で、布に覆われた一機が固定されている。

 

 サイコミュ高機動試験用ゲルググ。

 

 それが、レオンの持ってきた荷物だった。

 

 正確には、荷物などという大きさではない。人間よりずっと大きく、ザクよりも鋭く、まだ完成品とは言い切れない危うさを持った機体である。

 

「機体は、指定通り搬入済みです」

 

 レオンが言うと、ドズルはそちらを見た。

 

「サイコミュ高機動試験用ゲルググ、か」

 

「はい」

 

「人間ごと機械を寄越したわけだ」

 

 レオンはまた返事に困った。

 

 困ってばかりだ。

 

 少尉になったのに、困る回数は減っていない。

 

「リーゼはどうした」

 

 ドズルが言った。

 

 その名前が出た瞬間、レオンの胸が少しだけ縮んだ。

 

「エルメスの調整に残りました」

 

「やっぱりか」

 

「本人は、相変わらず研究員に文句を言っています」

 

 ドズルの口元が、ほんの少しだけ動いた。

 

「あいつなら言うだろうな」

 

 その声には、懐かしさがあった。

 

 だがすぐに、ドズルの顔は曇った。

 

「笑い話じゃねえな。兄妹そろって階級章か」

 

 レオンは何も言えなかった。

 

 リーゼも戦時任官で少尉になっている。

 

 妹が少尉。

 

 これも、考えると変な話である。

 

 リーゼは昔から気が強かったし、研究員に遠慮なく文句を言うし、レオンよりよほど肝が据わっているところがある。

 

 けれど、妹は妹だった。

 

 エルメス。

 

 その名前を聞くたび、レオンは白い部屋と、静かすぎる廊下と、リーゼの小さな背中を思い出す。

 

「レオン」

 

 ドズルの声で、レオンは顔を上げた。

 

「はい」

 

「飯を食ったか」

 

「いえ、まだです」

 

「なら来い」

 

「え」

 

「夕食だ。少尉だろうが何だろうが、腹が減ってちゃ役に立たん」

 

 そう言って、ドズルは先に歩き出した。

 

 レオンは慌てて後を追った。

 

 格納庫の中では、サイコミュ高機動試験用ゲルググが静かに固定されていた。布の下で、まだ起きていない獣のように見えた。

 

 食堂と言って連れて来られたのは、ドズル様の私邸だった。

 

 家族の部屋だ。もちろんソロモンなので、外に庭があるわけではないし、窓の外には装甲しかない。だが、テーブルの上には温かい料理があり、ゼナ様がいて、その腕の近くに小さなミネバ様がいた。

 

 レオンは思わず背筋を伸ばした。

 

「レオン・マイヤール少尉、失礼します」

 

 ゼナが顔を上げた。

 

 それから、柔らかく笑った。

 

「まあ、レオン。よく来てくれましたね」

 

 その一言で、レオンの肩から少し力が抜けた。

 

 ああ、覚えていてくれた。

 

 それだけで、少尉の階級章が少し軽くなった気がした。

 

 ミネバ様は、もちろんレオンのことを覚えている年齢ではなかった。

 

 まだ一歳ほどである。

 

 人の名前よりも、母の声や、父の足音や、食器の音の方が大事な時期だ。

 

 だから、ミネバ様がレオンを見て笑ったのは、レオンを覚えていたからではない。

 

 ゼナ様が笑ったから。

 

 ドズル様が怒鳴らなかったから。

 

 部屋の空気が柔らかかったから。

 

 たぶん、それだけのことだった。

 

 でも、それでよかった。

 

 ミネバ様は、小さな手を伸ばした。

 

 レオンの袖を、きゅっと握る。

 

 とても小さな手だった。

 

 レオンは固まった。

 

「……姫様」

 

 声が勝手に小さくなった。

 

 戦時任官。

 

 少尉。

 

 サイコミュ高機動試験用ゲルググ。

 

 エルメス。

 

 そういう重い言葉が、その瞬間だけ、部屋の隅へ追いやられた。

 

 目の前には、小さな手がある。

 

 袖を握られている。

 

 それだけだった。

 

 ドズルが椅子に座りながら言った。

 

「どうした、少尉。姫様に捕虜にされたか」

 

 ゼナが小さく笑った。

 

 レオンは真面目に答えた。

 

「はい。抵抗は困難です」

 

 ドズルが声を立てて笑った。

 

 久しぶりに聞く笑い声だった。

 

 レオンは、少しだけ泣きそうになった。

 

 もちろん泣かなかった。

 

 少尉なので。

 

 いや、少尉でなくても泣かなかったと思う。

 

 たぶん。

 

 夕食の席で、リーゼの話が出た。

 

 ゼナが静かに聞いた。

 

「リーゼは元気ですか」

 

「はい。元気です。研究員に、よく文句を言っています」

 

「それは元気ですね」

 

「はい」

 

 ミネバ様は、スプーンを握っていた。

 

 まだうまく使えないらしく、料理よりもスプーンそのものに興味があるようだった。

 

 ドズルは黙っていた。

 

 黙って、しばらく料理を見ていた。

 

「レオン」

 

「はい」

 

「リーゼに伝えろ」

 

「何をでしょうか」

 

「無理をするな、と言っても聞かんだろうからな」

 

 ドズルは少し考えた。

 

「飯を食え、と言っておけ」

 

 レオンは頷いた。

 

「はい。必ず」

 

「それと」

 

「はい」

 

「生きて戻れ、だ」

 

 食堂の空気が、少しだけ静かになった。

 

 レオンは、ミネバ様の小さな手を見た。

 

 さっきまで自分の袖を握っていた手だ。

 

 この小さな手が、何も知らずに伸びてくる場所を守るために、自分たちはここにいるのだと思った。

 

 それは立派な考えではなかった。

 

 大きな思想でもなかった。

 

 ただ、目の前にあるものだった。

 

「はい」

 

 レオンは答えた。

 

「伝えます」

 

 その声は、着任報告の時より少しだけ自然だった。

 

 夕食が終わる頃、ミネバ様は眠くなり、ゼナの腕の中で目をこすっていた。

 

 レオンは席を立ち、頭を下げた。

 

「本日は、ありがとうございました」

 

 ゼナが言った。

 

「また来てくださいね」

 

 レオンは一瞬、言葉に詰まった。

 

 また。

 

 それは、ここに明日がある人間の言葉だった。

 

 戦争の中では、とても贅沢な言葉だ。

 

「はい」

 

 レオンは言った。

 

「必ず」

 

 格納庫へ戻る途中、レオンはもう一度、サイコミュ高機動試験用ゲルググを見た。

 

 布の下の機体は、まだ動かない。

 

 だが、いずれ動く。

 

 その時、自分は少尉としてそこにいる。

 

 リーゼはエルメスにいる。

 

 ドズル様はソロモンにいる。

 

 ゼナ様とミネバ様も、この要塞の中にいる。

 

 世界は、前よりずっと複雑になっていた。

 

 でも、ミネバ様の手は小さかった。

 

 それだけは、やけにはっきりしていた。

 

 レオンは自分の袖を見た。

 

 小さく握られた跡など、残っているはずがない。

 

 それでも、そこに何かが残っているような気がした。

 

 彼は背筋を伸ばした。

 

 今度は階級章のせいではなかった。




ほっこり 一休みです。
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