月軌道近くに設けられたティターンズの試験宙域は、民間航路から大きく外れていた。
暗い宇宙に、管制艦の灯が細かくまたたいている。艦腹に取り付けられた観測装置が、離れた位置に浮かぶ五つの機影を追っていた。
中央に一機。
その周囲に四機。
バーザムリーダーと、四機のバーザム改である。
管制艦の観測室は、外の静けさとは違っていた。白い照明が強く、壁の表示盤には五機分の数値が何段にも並んでいる。光学通信の状態、盾の展開角、射撃開始時刻、姿勢制御値、接続復帰に要した時間。どれも細かく、兵器を人間の目で見ず、数値で扱う者たちの部屋だった。
バスク・オムは椅子に座っていなかった。
腕を組み、外部映像だけを見ている。
細かな数値には目を向けない。目の前の兵器が強くなったのか。反乱分子を押し潰せるのか。彼が見ているのはそれだけだった。
その隣で、ジャミトフ・ハイマンは違うものを見ていた。
映像ではない。
試験資料の改訂日時。技術整理を行った部署名。戦略技術者保護機構を経由した資料であることを示す短い記載。
ジャミトフの目は、そこから動かなかった。
表示盤の前に立った技術士官が、手元の端末を操作した。外部映像の中で、四機のバーザム改にそれぞれ違う色の識別表示が付く。
「前回の運用では、バーザム改四機が同じ反応を返す場面が残りました。距離を保っている間は有効ですが、敵に動きを読まれる危険があります」
バスクが鼻を鳴らした。
「そろって動くなら良いことだろう」
「一見はそうです」
技術士官は、バスクの声に少し肩を固くした。それでも説明を続ける。
「ただ、四機が同じ癖を持つと、敵は先読みできます。盾を出す時刻、射撃へ移る時刻、再接続の順番まで同じなら、対処されます」
ジャミトフが、初めて表示盤へ目を向けた。
「今回は何を変えた」
「四機それぞれに、反応開始時刻、盾を出す角度、射撃待機位置、接続復帰の優先順位を変えました。故障ではありません。命令で管理した違いです」
観測室の端に立っていたヤザン・ゲーブル中尉が、片手に持ったヘルメットを軽く揺らした。
説明に退屈しているように見えた。
だが、四機の反応値が表示された瞬間だけ、目が止まっていた。
「同じ馬鹿が四機いるよりはマシってことか」
技術士官は返答に詰まった。
バスクの眉が動く。
ジャミトフは何も言わない。
ヤザンは口の端だけで笑った。
「違うなら違うでいい。俺の邪魔をしなけりゃな」
バスクは不快そうに息を吐いたが、止めはしなかった。
試験管制官が背を伸ばす。
「バーザムリーダー、搭乗準備完了。バーザム改一番から四番、待機位置に到達」
ヤザンはヘルメットを被った。
観測室を出る直前、表示盤をもう一度見る。
四機の反応値は、わずかにずれていた。
完全に同じではない。
だが、乱れているわけでもない。
その違いが戦場で何になるのか。
ヤザンは、説明で聞くつもりはなかった。
―――――
バーザムリーダーのコックピットは暗かった。
正面表示には、四機のバーザム改から送られる視界が重ねて映る。距離、速度、敵役標的との角度、盾の展開準備、射撃補助の予測表示。
以前は、その情報が同時に押し寄せる瞬間があった。
四機が同じ時刻に反応し、同じように表示を更新する。操縦席の中で、四つの声が一度に怒鳴るようなものだった。
今回は違った。
前方機の表示が先に動く。
左側機の情報が、ほんの少し遅れて入る。
右側機の射撃補助が、そのさらに後から来る。
後方機は余計に前へ出ず、背後側の警戒表示だけを細く保っている。
ヤザンは操縦桿を軽く動かした。
中央のバーザムリーダーが、ゆっくりと試験開始位置へ進む。
四機のバーザム改が、周囲で距離を取った。
「バーザムリーダー、接続正常。バーザム改一番から四番、応答正常」
管制官の声が入る。
ヤザンは正面表示を見たまま言った。
「前より静かだな」
通信の向こうで、技術士官が少しだけ声を明るくした。
「四機の情報更新が同一時刻に集中しないよう調整しています」
「操縦席で騒がれるよりはいい」
ヤザンは短く返し、正面に出た標的機を見た。
標的機が加速する。
前方のバーザム改が盾を出した。
金属の腕が上がり、厚い盾がバーザムリーダーの正面を切る。標的機の模擬射撃が盾に当たり、判定光が散った。
左側のバーザム改はすぐには撃たない。少し横へ滑り、射撃角を作る。
右側のバーザム改は、標的機が逃げる先へ銃口を向けた。
ヤザンはそれを見て、操縦桿を押し込む。
バーザムリーダーの射撃と、右側機の射撃が重なった。
標的機の表示が赤へ変わる。
「標的一、離脱判定」
管制官が告げた。
ヤザンは、小さく笑った。
「少しはマシになったな」
観測室で、バスクは満足そうに顎を上げた。
ジャミトフは、ヤザンの声に含まれたわずかな余白を聞いていた。
褒めている。
だが、それだけではない。
ヤザン・ゲーブルは、戦場で自分を殺すものと、自分の手になるものを嗅ぎ分ける。今の言葉は、合格の印ではなかった。
まだ見ている。
ジャミトフはそう受け取った。
―――――
試験は、単純な標的機から敵役MS三機との自由戦闘へ移った。
宙域には小型デブリと模擬遮蔽物が浮かんでいる。敵役MS三機は、正面、左下、右上から距離を詰めようとしていた。
ヤザンは前へ出すぎなかった。
バーザムリーダーは中央に残り、四機のバーザム改が周囲で厚みを作る。近づかせない。格闘戦には持ち込ませない。盾で受け、中距離射撃で追い返す。
第190話の試験で形になった思想は、そのまま残っていた。
ただし、動きは以前より柔らかかった。
敵役一番機が正面から踏み込む。
前方のバーザム改が盾を出す。早い。だが、早すぎて他の機体の邪魔にはならない。
敵役二番機が左下から入る。
左側のバーザム改は追いかけない。一歩引くように横へ移動し、射撃角を作る。
敵役三番機が右上からヤザン機の背後へ入ろうとする。
後方のバーザム改が、待っていたように銃口を向けた。そこへ、右側機の照準補助が一拍遅れて重なる。
ヤザンはその遅れを使った。
敵役二番機が逃げる方向へ、先にビームを置く。
「近づけない。前よりずれてくる」
敵役パイロットの声が管制記録に残る。
別の声が続いた。
「避けた先に別の射撃が来る」
ヤザンは笑った。
「そうだ。来いよ。来られるならな」
敵役一番機が盾へ模擬打撃を入れようとする。前方のバーザム改は受けたあと、無理に押し返さない。盾を少し下げ、バーザムリーダーの射撃を通す。
ヤザンが撃つ。
一番機、離脱判定。
二番機が下方へ逃げる。
左側機の射撃がその逃げ道を狭め、右側機が遅れて撃つ。
二番機、離脱判定。
三番機は背後から入り直そうとしたが、後方機が視界を保っていた。ヤザンは振り向かず、背後表示の一部だけを見て射撃命令を入れる。
三番機、離脱判定。
管制室で、技術士官が息を吐いた。
「反応差、許容範囲内。接続維持。射撃補助正常」
バスクが言った。
「使えるな」
その声には、もう次の配備先を考えている響きがあった。
ジャミトフは返事をしなかった。
外部映像の中で、バーザムリーダーと四機のバーザム改は、敵役MS三機を寄せつけずに試験を終えていた。
強くなっている。
それは疑いようがない。
だが、ジャミトフは表示盤の端に残る記載を見ていた。
戦略技術者保護機構経由。
守るために集めたはずの知見が、もう兵器の中に入っている。
早すぎる。
ジャミトフの指が、端末の縁を一度だけ叩いた。
―――――
「試験終了。敵役三機、全機離脱判定」
管制官の声が入った。
観測室の空気が、少しだけ緩む。
技術士官の何人かが、端末へ結果を記録し始めた。成功と言ってよい内容だった。敵は近づけず、バーザムリーダー搭乗者の情報負荷も下がっている。バスクが望む実戦投入には、十分な理由が並ぶ。
だが、ヤザンは通信を切らなかった。
「一番、盾を出せ」
前方のバーザム改が盾を展開する。
「二番、横へ出ろ」
左側のバーザム改が、滑るように横へ動く。
「三番、接続を切って戻せ」
接続表示が一度黄色になり、すぐ緑へ戻る。
「四番、射撃待機」
右側のバーザム改が銃口を上げる。
管制官が困惑した声を出した。
「ヤザン中尉、試験は終了しています」
「黙って見てろ」
ヤザンは同じ指示を、条件を少し変えて繰り返した。
距離を変える。
角度を変える。
敵役機の位置を変えた想定で、もう一度動かす。
一番機が盾を出す。
「こいつは早い」
二番機が横へ流れる。
「こいつは外へ逃げたがる」
三番機が接続を取り戻す。
「こいつは戻りが遅い」
技術士官が通信へ入った。
「個体差は意図的に付けています」
ヤザンの声は、低かった。
「それは分かる。だから駄目なんだよ」
観測室の空気が固くなる。
バスクが眉を寄せた。
「何が駄目だ」
ヤザンは、四機のバーザム改が並ぶ表示を見ていた。
「毎回、同じ違い方をする」
少しだけ間があった。
ヤザンは笑わなかった。
「人間に近づけたつもりか。だったら、下手な奴の癖まで真似るな」
技術士官は言葉を失った。
バスクは不機嫌そうに顔を歪めた。成功した試験に泥を付けられたように感じたのだろう。
だが、ジャミトフは違った。
ヤザンの言葉は、粗い。
しかし中身は正しい。
制御された違いは有効だった。情報を飲み込みやすくし、敵の接近を鈍らせた。だが、同じ違いを何度も繰り返せば、使う者にも覚えられる。使う者に覚えられるなら、敵にも覚えられる。
必要なのは、ただ四機をずらすことではない。
状況ごとに違いを変える制御である。
そこまで踏み込むには、さらに人が要る。
技術者が要る。
そして、その発想の入口は、すでに保護機構の中にあった。
―――――
管制艦内の小会議室には、試験映像が停止したまま映っていた。
中央にバーザムリーダー。
周囲に四機のバーザム改。
敵役MS三機は、距離を詰めきれずに離脱判定を受けている。
机の端末には、盾の展開角、射撃開始時刻、接続復帰時間、敵役機の被弾判定が並んでいた。
ヤザンは椅子に座らず、壁にもたれている。ヘルメットを片手で持ち、早く終われと言いたげな顔をしていた。
技術士官が報告する。
「反応差の導入により、バーザムリーダー搭乗者の情報負荷は低下しました。敵役MS隊への中距離制圧も成功しています」
バスクが遮った。
「量産機へ反映しろ」
技術士官の喉が動いた。
「ただし、ヤザン中尉の指摘どおり、差が固定される場合、個体癖として読まれる可能性があります」
「実戦投入後に直せ」
バスクの声は即答だった。
ジャミトフが静かに言った。
「急ぎすぎるな」
バスクが振り返る。
「またそれですか」
「機体だけの話ではない。改良案の出所もだ」
バスクは口を閉じた。
ジャミトフの目は、端末の隅にある記載へ落ちている。
戦略技術者保護機構経由。
それは、保護するための名である。
しかし今、その名の下から出た技術整理資料が、バーザムリーダーの制御改良に使われている。
バスクは、短く鼻で笑った。
「使えるなら使う。それだけでしょう」
ヤザンが壁にもたれたまま言った。
「出所なんざどうでもいい。使えるなら使う。だが、癖を残すなら俺の邪魔になる」
バスクの目が鋭くなった。
「中尉。口を慎め」
ヤザンは薄く笑った。
「試験に呼んだのはそっちだ」
小会議室に短い沈黙が落ちた。
技術士官は端末へ目を落とし、報告文の修正を始める。
成功。
課題あり。
追加調整必要。
その言葉の先には、技術者の名前は出ない。
だが、ジャミトフには見えていた。
バスクは次に、その技術者を欲しがる。
資料ではなく、本人を。
それが、戦略技術者保護機構をさらに危うくする。
ジャミトフは何も言わず、報告の写しを軍令部へ送るよう命じた。
―――――
夜の司令区画は、昼間とは別の場所のようだった。
廊下の灯は落とされ、警備兵の靴音が遠くから短く響く。窓の外には滑走路の誘導灯が並び、夜間整備中の輸送機の下で作業員が小型ライトを動かしていた。警備車両のヘッドライトが、格納庫の外壁をゆっくり撫でていく。
ワッケインの執務室では、机の端末だけが青白く光っていた。
通信士が入ってくる。
「モビルドール運用再試験の報告です。ティターンズ技術部より軍令部経由で共有されました」
ワッケインは端末から目を上げない。
「置いていけ」
通信士が敬礼し、退出する。
参謀補佐が一人、部屋に残った。
ワッケインは報告を開いた。
反応差制御。
編成内非同一挙動。
搭乗者情報負荷低減。
その文言を見たところで、指が止まった。
ワッケインは、ゆっくり息を吐いた。
「反応差制御。編成内非同一挙動。搭乗者情報負荷低減」
参謀補佐が顔を上げる。
「問題がありますか」
「ある」
短い返答だった。
参謀補佐は次の言葉を待った。
ワッケインは報告書を閉じず、別の画面を開いた。保護対象者の一覧である。
そこには、番号ではなく名前と職種が並んでいた。
推進剤管理の若い技師。
光学通信の通信士。
整備手順を作り直した候補生。
そして、エリナ・フォルカー。
名前の横には短い注記が添えられていた。
家族あり。
保安部照会あり。
直属移管要求あり。
民生施設への出向候補。
ワッケインは、その一覧を見ながら言った。
「この考えは、保護機構の中で出た。本人の名は消えている。だが、考え方は残っている」
参謀補佐は、すぐに理解できなかった。
ワッケインは怒鳴らない。
机も叩かない。
だが、声の温度が低かった。
若い技術者の発想が、本人の判断を越えて兵器に変わっていく。しかも、守るために設けられた場所から出た知見が、ティターンズの試験場へ届いている。
エリナだけではない。
推進剤管理、光学通信、整備手順、候補生教育。ティターンズが欲しがる人間は、保護機構の中に複数いる。
フォルカー技師は、その危険が最も早く外へ出た一人だった。
端末が短く鳴る。
カーベル博士からの暗号通信だった。
ワッケインは参謀補佐へ目だけを向ける。
「席を外せ」
参謀補佐は敬礼し、部屋を出た。
―――――
通信画面に映ったカーベル博士の所長室は、卓上灯だけがついていた。
背後の棚には、医療記録、教育登録、研究担当表、保安部からの照会記録が重なっている。夜更けまで仕事をしていた者の部屋だった。
カーベルの顔には疲れが出ている。
しかし、声は乱れていない。
「推進剤管理の若い技師は、まだ動かせます。家族はいません」
ワッケインは手元の一覧を見る。
「民生設備への出向で処理しろ」
「整備班の候補生は危険です。同僚二人に保安部の照会が入りました」
「同じ日に動かすな。先に同僚を別任務へ出せ」
カーベルはうなずいた。
そこで、ほんの少し間があった。
「フォルカー技師は、さらに悪い」
ワッケインは目を細める。
「試験報告は見た」
「彼女の考えが使われています」
「本人には知らせるな」
即答だった。
カーベルも、それを予想していたように目を伏せる。
「知らせれば、自分が兵器を育てたと思うでしょう」
「そうなる」
ワッケインは、端末に映るエリナ・フォルカーの名を見た。
母親と弟を連れて保護機構へ入った若い技術者。
安全な場所ではない。まだ、ましな場所にいるだけの人間。
その考えが、本人の知らないところでバーザムリーダーの制御へ組み込まれた。
カーベルが続ける。
「ハント大尉が移管要求を強めています。バスク大佐の名も出ました」
「フォルカー技師を最優先にする。母親と弟も同じ日に動かす」
カーベルが顔を上げた。
「本人だけではなく」
「当然だ。本人だけ動かせば、家族を押さえられる」
カーベルは、しばらく黙っていた。
その沈黙には、安堵よりも重さがあった。
所長として機構を守る。
協力者として若い技術者を逃がす。
その二つは、もう同じ方向を向いていない。
それでもカーベルは、眼鏡の奥で目を閉じ、すぐに開いた。
「移送記録と家族帯同者の登録を、ハント大尉が見始めました」
ワッケインは動かなかった。
「どこまで見た」
「まだ表の記録だけです。ですが、フォルカー技師の名に近づいています」
「なら、時間は短い」
「はい」
通信画面の向こうで、カーベルの指が資料の端を押さえた。
「ワッケイン大佐。これは、保護機構の運用ではありません」
「分かっている」
「軍の通常手続きでもない」
「それも分かっている」
カーベルは、それ以上言わなかった。
ワッケインも、言い訳をしなかった。
通信が切れる。
画面が暗くなった。
―――――
執務室に、空調の低い音だけが残った。
ワッケインはしばらく動かなかった。
窓の外では、輸送機の翼端灯が赤と緑に点滅している。滑走路脇で、整備員が夜間作業用のライトを動かし、機体の腹を照らしていた。
ワッケインは端末の古い記録を呼び出した。
ティアンムと地球へ降りた頃の艦隊運用記録だった。
艦艇数。
補給不足。
整備遅延。
乗員疲労。
報告書の末尾に、小さく残された記録が並んでいる。
若い頃の自分は、艦の数ばかり見ていた。
その方が分かりやすい。
比較しやすい。
命令にも使いやすい。
だが、ティアンムは違った。
古い記憶の中で、ティアンムが資料から目を上げる。
「艦の数は数えやすい。だが、艦を動かす者の疲れは、報告書の最後に小さく出る」
若いワッケインが問う。
「そこまで見る必要がありますか」
ティアンムは、怒らなかった。
ただ、当然のように言った。
「見ないなら、最後に艦は残っても、艦隊は死ぬ」
現在のワッケインは、保護対象者の一覧を見た。
推進剤管理の若い技師。
光学通信の通信士。
整備班の候補生。
エリナ・フォルカー。
どの名にも、短い事情が付いている。
家族がいる者。
同僚を巻き込まれそうな者。
保安部に照会された者。
直属移管を求められている者。
「今も同じか」
ワッケインは小さく言った。
画面の光が、彼の顔を青く照らす。
「機体を数え、技術者を数え、士官候補生を数える。だが、なぜ逃げるのかは見ない」
ティターンズの戦力分析は、間違っていない。
ジオン残党はいる。
企業艦隊は力を持ち始めている。
宇宙側の自治要求も弱まっていない。
連邦に軍事力は必要だった。治安維持も必要だった。技術流出の管理も必要だった。
だが、ティターンズは人を疑いすぎる。
若手を疑う。
技術者を疑う。
整備士を疑う。
通信士を疑う。
宇宙出身者を疑う。
監視し、脅し、直属管理へ移し、最後には本当に連邦の外へ押し出してしまう。
それは連邦の強化ではない。
連邦から人が離れる準備を、ティターンズ自身が進めているだけだった。
ワッケインは、自分が正しい人間だとは思っていなかった。
命令系統から見れば、危ういことをしている。
記録に残せない手続きを進めている。
だが、今ここで何もしなければ、保護機構はティターンズの人材保管場所になる。
そして、戻れない場所へ送られる者が出る。
―――――
ワッケインは、保護対象者の一覧を開き直した。
室内の照明は落ちている。
端末の画面には、名前と短い注記だけが並んでいた。
推進剤管理の若い技師。
光学通信の通信士。
整備班の候補生。
エリナ・フォルカー。
まず、推進剤管理の若い技師の出向先を変えた。
軍需部門ではなく、民生設備の点検支援へ。
次に、整備班の候補生の同僚二人を別任務へ出す処理を入れた。候補生だけを動かせば目立つ。同僚を先に離せば、保安部の照会は一度そこで止まる。
最後に、エリナ・フォルカーの欄で指を止めた。
母親。
弟。
本人の研究担当。
三つを別々に動かせば、必ずどれかを押さえられる。
ワッケインは、画面の表示を見つめた。
準備中。
その文字列を消す。
「フォルカー技師は最優先だ」
部屋には誰もいない。
それでも、ワッケインは命令として声に出した。
「本人だけではない。母親と弟も同じ日に動かす」
新しい表示が入る。
即時移送可。
ワッケインはしばらく画面を見ていた。
滑走路の外で、輸送機が誘導路へ進む。翼端灯が夜の中でゆっくり動いた。その機体にエリナは乗っていない。だが、端末には次の臨時輸送として、民生通信施設向けの便が表示されている。
ワッケインは、低い声で言った。
「私は連邦を裏切るのではない」
誘導灯の列が、輸送機の機体下を照らしていた。
「連邦をティターンズから逃がす」
端末の画面で、エリナ・フォルカーの名が、即時移送可の欄へ移った。
同じ画面の下で、推進剤管理の若い技師、光学通信の通信士、整備班の候補生の手続きも更新されていた。
誰か一人を逃がすのではない。
まだ連邦に残れる人間を、ティターンズの手から離す。
ワッケインは画面を閉じた。
外では、輸送機が夜間離陸に入っていた。