妹に撃たれない方法   作:Brooks

204 / 226
第204話 微差は迷彩になる

 

 月軌道近くに設けられたティターンズの試験宙域は、民間航路から大きく外れていた。

 

 暗い宇宙に、管制艦の灯が細かくまたたいている。艦腹に取り付けられた観測装置が、離れた位置に浮かぶ五つの機影を追っていた。

 

 中央に一機。

 

 その周囲に四機。

 

 バーザムリーダーと、四機のバーザム改である。

 

 管制艦の観測室は、外の静けさとは違っていた。白い照明が強く、壁の表示盤には五機分の数値が何段にも並んでいる。光学通信の状態、盾の展開角、射撃開始時刻、姿勢制御値、接続復帰に要した時間。どれも細かく、兵器を人間の目で見ず、数値で扱う者たちの部屋だった。

 

 バスク・オムは椅子に座っていなかった。

 

 腕を組み、外部映像だけを見ている。

 

 細かな数値には目を向けない。目の前の兵器が強くなったのか。反乱分子を押し潰せるのか。彼が見ているのはそれだけだった。

 

 その隣で、ジャミトフ・ハイマンは違うものを見ていた。

 

 映像ではない。

 

 試験資料の改訂日時。技術整理を行った部署名。戦略技術者保護機構を経由した資料であることを示す短い記載。

 

 ジャミトフの目は、そこから動かなかった。

 

 表示盤の前に立った技術士官が、手元の端末を操作した。外部映像の中で、四機のバーザム改にそれぞれ違う色の識別表示が付く。

 

「前回の運用では、バーザム改四機が同じ反応を返す場面が残りました。距離を保っている間は有効ですが、敵に動きを読まれる危険があります」

 

 バスクが鼻を鳴らした。

 

「そろって動くなら良いことだろう」

 

「一見はそうです」

 

 技術士官は、バスクの声に少し肩を固くした。それでも説明を続ける。

 

「ただ、四機が同じ癖を持つと、敵は先読みできます。盾を出す時刻、射撃へ移る時刻、再接続の順番まで同じなら、対処されます」

 

 ジャミトフが、初めて表示盤へ目を向けた。

 

「今回は何を変えた」

 

「四機それぞれに、反応開始時刻、盾を出す角度、射撃待機位置、接続復帰の優先順位を変えました。故障ではありません。命令で管理した違いです」

 

 観測室の端に立っていたヤザン・ゲーブル中尉が、片手に持ったヘルメットを軽く揺らした。

 

 説明に退屈しているように見えた。

 

 だが、四機の反応値が表示された瞬間だけ、目が止まっていた。

 

「同じ馬鹿が四機いるよりはマシってことか」

 

 技術士官は返答に詰まった。

 

 バスクの眉が動く。

 

 ジャミトフは何も言わない。

 

 ヤザンは口の端だけで笑った。

 

「違うなら違うでいい。俺の邪魔をしなけりゃな」

 

 バスクは不快そうに息を吐いたが、止めはしなかった。

 

 試験管制官が背を伸ばす。

 

「バーザムリーダー、搭乗準備完了。バーザム改一番から四番、待機位置に到達」

 

 ヤザンはヘルメットを被った。

 

 観測室を出る直前、表示盤をもう一度見る。

 

 四機の反応値は、わずかにずれていた。

 

 完全に同じではない。

 

 だが、乱れているわけでもない。

 

 その違いが戦場で何になるのか。

 

 ヤザンは、説明で聞くつもりはなかった。

 

―――――

 

 バーザムリーダーのコックピットは暗かった。

 

 正面表示には、四機のバーザム改から送られる視界が重ねて映る。距離、速度、敵役標的との角度、盾の展開準備、射撃補助の予測表示。

 

 以前は、その情報が同時に押し寄せる瞬間があった。

 

 四機が同じ時刻に反応し、同じように表示を更新する。操縦席の中で、四つの声が一度に怒鳴るようなものだった。

 

 今回は違った。

 

 前方機の表示が先に動く。

 

 左側機の情報が、ほんの少し遅れて入る。

 

 右側機の射撃補助が、そのさらに後から来る。

 

 後方機は余計に前へ出ず、背後側の警戒表示だけを細く保っている。

 

 ヤザンは操縦桿を軽く動かした。

 

 中央のバーザムリーダーが、ゆっくりと試験開始位置へ進む。

 

 四機のバーザム改が、周囲で距離を取った。

 

「バーザムリーダー、接続正常。バーザム改一番から四番、応答正常」

 

 管制官の声が入る。

 

 ヤザンは正面表示を見たまま言った。

 

「前より静かだな」

 

 通信の向こうで、技術士官が少しだけ声を明るくした。

 

「四機の情報更新が同一時刻に集中しないよう調整しています」

 

「操縦席で騒がれるよりはいい」

 

 ヤザンは短く返し、正面に出た標的機を見た。

 

 標的機が加速する。

 

 前方のバーザム改が盾を出した。

 

 金属の腕が上がり、厚い盾がバーザムリーダーの正面を切る。標的機の模擬射撃が盾に当たり、判定光が散った。

 

 左側のバーザム改はすぐには撃たない。少し横へ滑り、射撃角を作る。

 

 右側のバーザム改は、標的機が逃げる先へ銃口を向けた。

 

 ヤザンはそれを見て、操縦桿を押し込む。

 

 バーザムリーダーの射撃と、右側機の射撃が重なった。

 

 標的機の表示が赤へ変わる。

 

「標的一、離脱判定」

 

 管制官が告げた。

 

 ヤザンは、小さく笑った。

 

「少しはマシになったな」

 

 観測室で、バスクは満足そうに顎を上げた。

 

 ジャミトフは、ヤザンの声に含まれたわずかな余白を聞いていた。

 

 褒めている。

 

 だが、それだけではない。

 

 ヤザン・ゲーブルは、戦場で自分を殺すものと、自分の手になるものを嗅ぎ分ける。今の言葉は、合格の印ではなかった。

 

 まだ見ている。

 

 ジャミトフはそう受け取った。

 

―――――

 

 試験は、単純な標的機から敵役MS三機との自由戦闘へ移った。

 

 宙域には小型デブリと模擬遮蔽物が浮かんでいる。敵役MS三機は、正面、左下、右上から距離を詰めようとしていた。

 

 ヤザンは前へ出すぎなかった。

 

 バーザムリーダーは中央に残り、四機のバーザム改が周囲で厚みを作る。近づかせない。格闘戦には持ち込ませない。盾で受け、中距離射撃で追い返す。

 

 第190話の試験で形になった思想は、そのまま残っていた。

 

 ただし、動きは以前より柔らかかった。

 

 敵役一番機が正面から踏み込む。

 

 前方のバーザム改が盾を出す。早い。だが、早すぎて他の機体の邪魔にはならない。

 

 敵役二番機が左下から入る。

 

 左側のバーザム改は追いかけない。一歩引くように横へ移動し、射撃角を作る。

 

 敵役三番機が右上からヤザン機の背後へ入ろうとする。

 

 後方のバーザム改が、待っていたように銃口を向けた。そこへ、右側機の照準補助が一拍遅れて重なる。

 

 ヤザンはその遅れを使った。

 

 敵役二番機が逃げる方向へ、先にビームを置く。

 

「近づけない。前よりずれてくる」

 

 敵役パイロットの声が管制記録に残る。

 

 別の声が続いた。

 

「避けた先に別の射撃が来る」

 

 ヤザンは笑った。

 

「そうだ。来いよ。来られるならな」

 

 敵役一番機が盾へ模擬打撃を入れようとする。前方のバーザム改は受けたあと、無理に押し返さない。盾を少し下げ、バーザムリーダーの射撃を通す。

 

 ヤザンが撃つ。

 

 一番機、離脱判定。

 

 二番機が下方へ逃げる。

 

 左側機の射撃がその逃げ道を狭め、右側機が遅れて撃つ。

 

 二番機、離脱判定。

 

 三番機は背後から入り直そうとしたが、後方機が視界を保っていた。ヤザンは振り向かず、背後表示の一部だけを見て射撃命令を入れる。

 

 三番機、離脱判定。

 

 管制室で、技術士官が息を吐いた。

 

「反応差、許容範囲内。接続維持。射撃補助正常」

 

 バスクが言った。

 

「使えるな」

 

 その声には、もう次の配備先を考えている響きがあった。

 

 ジャミトフは返事をしなかった。

 

 外部映像の中で、バーザムリーダーと四機のバーザム改は、敵役MS三機を寄せつけずに試験を終えていた。

 

 強くなっている。

 

 それは疑いようがない。

 

 だが、ジャミトフは表示盤の端に残る記載を見ていた。

 

 戦略技術者保護機構経由。

 

 守るために集めたはずの知見が、もう兵器の中に入っている。

 

 早すぎる。

 

 ジャミトフの指が、端末の縁を一度だけ叩いた。

 

―――――

 

「試験終了。敵役三機、全機離脱判定」

 

 管制官の声が入った。

 

 観測室の空気が、少しだけ緩む。

 

 技術士官の何人かが、端末へ結果を記録し始めた。成功と言ってよい内容だった。敵は近づけず、バーザムリーダー搭乗者の情報負荷も下がっている。バスクが望む実戦投入には、十分な理由が並ぶ。

 

 だが、ヤザンは通信を切らなかった。

 

「一番、盾を出せ」

 

 前方のバーザム改が盾を展開する。

 

「二番、横へ出ろ」

 

 左側のバーザム改が、滑るように横へ動く。

 

「三番、接続を切って戻せ」

 

 接続表示が一度黄色になり、すぐ緑へ戻る。

 

「四番、射撃待機」

 

 右側のバーザム改が銃口を上げる。

 

 管制官が困惑した声を出した。

 

「ヤザン中尉、試験は終了しています」

 

「黙って見てろ」

 

 ヤザンは同じ指示を、条件を少し変えて繰り返した。

 

 距離を変える。

 

 角度を変える。

 

 敵役機の位置を変えた想定で、もう一度動かす。

 

 一番機が盾を出す。

 

「こいつは早い」

 

 二番機が横へ流れる。

 

「こいつは外へ逃げたがる」

 

 三番機が接続を取り戻す。

 

「こいつは戻りが遅い」

 

 技術士官が通信へ入った。

 

「個体差は意図的に付けています」

 

 ヤザンの声は、低かった。

 

「それは分かる。だから駄目なんだよ」

 

 観測室の空気が固くなる。

 

 バスクが眉を寄せた。

 

「何が駄目だ」

 

 ヤザンは、四機のバーザム改が並ぶ表示を見ていた。

 

「毎回、同じ違い方をする」

 

 少しだけ間があった。

 

 ヤザンは笑わなかった。

 

「人間に近づけたつもりか。だったら、下手な奴の癖まで真似るな」

 

 技術士官は言葉を失った。

 

 バスクは不機嫌そうに顔を歪めた。成功した試験に泥を付けられたように感じたのだろう。

 

 だが、ジャミトフは違った。

 

 ヤザンの言葉は、粗い。

 

 しかし中身は正しい。

 

 制御された違いは有効だった。情報を飲み込みやすくし、敵の接近を鈍らせた。だが、同じ違いを何度も繰り返せば、使う者にも覚えられる。使う者に覚えられるなら、敵にも覚えられる。

 

 必要なのは、ただ四機をずらすことではない。

 

 状況ごとに違いを変える制御である。

 

 そこまで踏み込むには、さらに人が要る。

 

 技術者が要る。

 

 そして、その発想の入口は、すでに保護機構の中にあった。

 

―――――

 

 管制艦内の小会議室には、試験映像が停止したまま映っていた。

 

 中央にバーザムリーダー。

 

 周囲に四機のバーザム改。

 

 敵役MS三機は、距離を詰めきれずに離脱判定を受けている。

 

 机の端末には、盾の展開角、射撃開始時刻、接続復帰時間、敵役機の被弾判定が並んでいた。

 

 ヤザンは椅子に座らず、壁にもたれている。ヘルメットを片手で持ち、早く終われと言いたげな顔をしていた。

 

 技術士官が報告する。

 

「反応差の導入により、バーザムリーダー搭乗者の情報負荷は低下しました。敵役MS隊への中距離制圧も成功しています」

 

 バスクが遮った。

 

「量産機へ反映しろ」

 

 技術士官の喉が動いた。

 

「ただし、ヤザン中尉の指摘どおり、差が固定される場合、個体癖として読まれる可能性があります」

 

「実戦投入後に直せ」

 

 バスクの声は即答だった。

 

 ジャミトフが静かに言った。

 

「急ぎすぎるな」

 

 バスクが振り返る。

 

「またそれですか」

 

「機体だけの話ではない。改良案の出所もだ」

 

 バスクは口を閉じた。

 

 ジャミトフの目は、端末の隅にある記載へ落ちている。

 

 戦略技術者保護機構経由。

 

 それは、保護するための名である。

 

 しかし今、その名の下から出た技術整理資料が、バーザムリーダーの制御改良に使われている。

 

 バスクは、短く鼻で笑った。

 

「使えるなら使う。それだけでしょう」

 

 ヤザンが壁にもたれたまま言った。

 

「出所なんざどうでもいい。使えるなら使う。だが、癖を残すなら俺の邪魔になる」

 

 バスクの目が鋭くなった。

 

「中尉。口を慎め」

 

 ヤザンは薄く笑った。

 

「試験に呼んだのはそっちだ」

 

 小会議室に短い沈黙が落ちた。

 

 技術士官は端末へ目を落とし、報告文の修正を始める。

 

 成功。

 

 課題あり。

 

 追加調整必要。

 

 その言葉の先には、技術者の名前は出ない。

 

 だが、ジャミトフには見えていた。

 

 バスクは次に、その技術者を欲しがる。

 

 資料ではなく、本人を。

 

 それが、戦略技術者保護機構をさらに危うくする。

 

 ジャミトフは何も言わず、報告の写しを軍令部へ送るよう命じた。

 

―――――

 

 夜の司令区画は、昼間とは別の場所のようだった。

 

 廊下の灯は落とされ、警備兵の靴音が遠くから短く響く。窓の外には滑走路の誘導灯が並び、夜間整備中の輸送機の下で作業員が小型ライトを動かしていた。警備車両のヘッドライトが、格納庫の外壁をゆっくり撫でていく。

 

 ワッケインの執務室では、机の端末だけが青白く光っていた。

 

 通信士が入ってくる。

 

「モビルドール運用再試験の報告です。ティターンズ技術部より軍令部経由で共有されました」

 

 ワッケインは端末から目を上げない。

 

「置いていけ」

 

 通信士が敬礼し、退出する。

 

 参謀補佐が一人、部屋に残った。

 

 ワッケインは報告を開いた。

 

 反応差制御。

 

 編成内非同一挙動。

 

 搭乗者情報負荷低減。

 

 その文言を見たところで、指が止まった。

 

 ワッケインは、ゆっくり息を吐いた。

 

「反応差制御。編成内非同一挙動。搭乗者情報負荷低減」

 

 参謀補佐が顔を上げる。

 

「問題がありますか」

 

「ある」

 

 短い返答だった。

 

 参謀補佐は次の言葉を待った。

 

 ワッケインは報告書を閉じず、別の画面を開いた。保護対象者の一覧である。

 

 そこには、番号ではなく名前と職種が並んでいた。

 

 推進剤管理の若い技師。

 

 光学通信の通信士。

 

 整備手順を作り直した候補生。

 

 そして、エリナ・フォルカー。

 

 名前の横には短い注記が添えられていた。

 

 家族あり。

 

 保安部照会あり。

 

 直属移管要求あり。

 

 民生施設への出向候補。

 

 ワッケインは、その一覧を見ながら言った。

 

「この考えは、保護機構の中で出た。本人の名は消えている。だが、考え方は残っている」

 

 参謀補佐は、すぐに理解できなかった。

 

 ワッケインは怒鳴らない。

 

 机も叩かない。

 

 だが、声の温度が低かった。

 

 若い技術者の発想が、本人の判断を越えて兵器に変わっていく。しかも、守るために設けられた場所から出た知見が、ティターンズの試験場へ届いている。

 

 エリナだけではない。

 

 推進剤管理、光学通信、整備手順、候補生教育。ティターンズが欲しがる人間は、保護機構の中に複数いる。

 

 フォルカー技師は、その危険が最も早く外へ出た一人だった。

 

 端末が短く鳴る。

 

 カーベル博士からの暗号通信だった。

 

 ワッケインは参謀補佐へ目だけを向ける。

 

「席を外せ」

 

 参謀補佐は敬礼し、部屋を出た。

 

―――――

 

 通信画面に映ったカーベル博士の所長室は、卓上灯だけがついていた。

 

 背後の棚には、医療記録、教育登録、研究担当表、保安部からの照会記録が重なっている。夜更けまで仕事をしていた者の部屋だった。

 

 カーベルの顔には疲れが出ている。

 

 しかし、声は乱れていない。

 

「推進剤管理の若い技師は、まだ動かせます。家族はいません」

 

 ワッケインは手元の一覧を見る。

 

「民生設備への出向で処理しろ」

 

「整備班の候補生は危険です。同僚二人に保安部の照会が入りました」

 

「同じ日に動かすな。先に同僚を別任務へ出せ」

 

 カーベルはうなずいた。

 

 そこで、ほんの少し間があった。

 

「フォルカー技師は、さらに悪い」

 

 ワッケインは目を細める。

 

「試験報告は見た」

 

「彼女の考えが使われています」

 

「本人には知らせるな」

 

 即答だった。

 

 カーベルも、それを予想していたように目を伏せる。

 

「知らせれば、自分が兵器を育てたと思うでしょう」

 

「そうなる」

 

 ワッケインは、端末に映るエリナ・フォルカーの名を見た。

 

 母親と弟を連れて保護機構へ入った若い技術者。

 

 安全な場所ではない。まだ、ましな場所にいるだけの人間。

 

 その考えが、本人の知らないところでバーザムリーダーの制御へ組み込まれた。

 

 カーベルが続ける。

 

「ハント大尉が移管要求を強めています。バスク大佐の名も出ました」

 

「フォルカー技師を最優先にする。母親と弟も同じ日に動かす」

 

 カーベルが顔を上げた。

 

「本人だけではなく」

 

「当然だ。本人だけ動かせば、家族を押さえられる」

 

 カーベルは、しばらく黙っていた。

 

 その沈黙には、安堵よりも重さがあった。

 

 所長として機構を守る。

 

 協力者として若い技術者を逃がす。

 

 その二つは、もう同じ方向を向いていない。

 

 それでもカーベルは、眼鏡の奥で目を閉じ、すぐに開いた。

 

「移送記録と家族帯同者の登録を、ハント大尉が見始めました」

 

 ワッケインは動かなかった。

 

「どこまで見た」

 

「まだ表の記録だけです。ですが、フォルカー技師の名に近づいています」

 

「なら、時間は短い」

 

「はい」

 

 通信画面の向こうで、カーベルの指が資料の端を押さえた。

 

「ワッケイン大佐。これは、保護機構の運用ではありません」

 

「分かっている」

 

「軍の通常手続きでもない」

 

「それも分かっている」

 

 カーベルは、それ以上言わなかった。

 

 ワッケインも、言い訳をしなかった。

 

 通信が切れる。

 

 画面が暗くなった。

 

―――――

 

 執務室に、空調の低い音だけが残った。

 

 ワッケインはしばらく動かなかった。

 

 窓の外では、輸送機の翼端灯が赤と緑に点滅している。滑走路脇で、整備員が夜間作業用のライトを動かし、機体の腹を照らしていた。

 

 ワッケインは端末の古い記録を呼び出した。

 

 ティアンムと地球へ降りた頃の艦隊運用記録だった。

 

 艦艇数。

 

 補給不足。

 

 整備遅延。

 

 乗員疲労。

 

 報告書の末尾に、小さく残された記録が並んでいる。

 

 若い頃の自分は、艦の数ばかり見ていた。

 

 その方が分かりやすい。

 

 比較しやすい。

 

 命令にも使いやすい。

 

 だが、ティアンムは違った。

 

 古い記憶の中で、ティアンムが資料から目を上げる。

 

「艦の数は数えやすい。だが、艦を動かす者の疲れは、報告書の最後に小さく出る」

 

 若いワッケインが問う。

 

「そこまで見る必要がありますか」

 

 ティアンムは、怒らなかった。

 

 ただ、当然のように言った。

 

「見ないなら、最後に艦は残っても、艦隊は死ぬ」

 

 現在のワッケインは、保護対象者の一覧を見た。

 

 推進剤管理の若い技師。

 

 光学通信の通信士。

 

 整備班の候補生。

 

 エリナ・フォルカー。

 

 どの名にも、短い事情が付いている。

 

 家族がいる者。

 

 同僚を巻き込まれそうな者。

 

 保安部に照会された者。

 

 直属移管を求められている者。

 

「今も同じか」

 

 ワッケインは小さく言った。

 

 画面の光が、彼の顔を青く照らす。

 

「機体を数え、技術者を数え、士官候補生を数える。だが、なぜ逃げるのかは見ない」

 

 ティターンズの戦力分析は、間違っていない。

 

 ジオン残党はいる。

 

 企業艦隊は力を持ち始めている。

 

 宇宙側の自治要求も弱まっていない。

 

 連邦に軍事力は必要だった。治安維持も必要だった。技術流出の管理も必要だった。

 

 だが、ティターンズは人を疑いすぎる。

 

 若手を疑う。

 

 技術者を疑う。

 

 整備士を疑う。

 

 通信士を疑う。

 

 宇宙出身者を疑う。

 

 監視し、脅し、直属管理へ移し、最後には本当に連邦の外へ押し出してしまう。

 

 それは連邦の強化ではない。

 

 連邦から人が離れる準備を、ティターンズ自身が進めているだけだった。

 

 ワッケインは、自分が正しい人間だとは思っていなかった。

 

 命令系統から見れば、危ういことをしている。

 

 記録に残せない手続きを進めている。

 

 だが、今ここで何もしなければ、保護機構はティターンズの人材保管場所になる。

 

 そして、戻れない場所へ送られる者が出る。

 

―――――

 

 ワッケインは、保護対象者の一覧を開き直した。

 

 室内の照明は落ちている。

 

 端末の画面には、名前と短い注記だけが並んでいた。

 

 推進剤管理の若い技師。

 

 光学通信の通信士。

 

 整備班の候補生。

 

 エリナ・フォルカー。

 

 まず、推進剤管理の若い技師の出向先を変えた。

 

 軍需部門ではなく、民生設備の点検支援へ。

 

 次に、整備班の候補生の同僚二人を別任務へ出す処理を入れた。候補生だけを動かせば目立つ。同僚を先に離せば、保安部の照会は一度そこで止まる。

 

 最後に、エリナ・フォルカーの欄で指を止めた。

 

 母親。

 

 弟。

 

 本人の研究担当。

 

 三つを別々に動かせば、必ずどれかを押さえられる。

 

 ワッケインは、画面の表示を見つめた。

 

 準備中。

 

 その文字列を消す。

 

「フォルカー技師は最優先だ」

 

 部屋には誰もいない。

 

 それでも、ワッケインは命令として声に出した。

 

「本人だけではない。母親と弟も同じ日に動かす」

 

 新しい表示が入る。

 

 即時移送可。

 

 ワッケインはしばらく画面を見ていた。

 

 滑走路の外で、輸送機が誘導路へ進む。翼端灯が夜の中でゆっくり動いた。その機体にエリナは乗っていない。だが、端末には次の臨時輸送として、民生通信施設向けの便が表示されている。

 

 ワッケインは、低い声で言った。

 

「私は連邦を裏切るのではない」

 

 誘導灯の列が、輸送機の機体下を照らしていた。

 

「連邦をティターンズから逃がす」

 

 端末の画面で、エリナ・フォルカーの名が、即時移送可の欄へ移った。

 

 同じ画面の下で、推進剤管理の若い技師、光学通信の通信士、整備班の候補生の手続きも更新されていた。

 

 誰か一人を逃がすのではない。

 

 まだ連邦に残れる人間を、ティターンズの手から離す。

 

 ワッケインは画面を閉じた。

 

 外では、輸送機が夜間離陸に入っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。