妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第205話 針路を変えろ

 

 夜の司令区画は、昼間よりも音が少なかった。

 

 廊下を歩く警備兵の靴音が、遠くで短く響いては消える。窓の外には滑走路の誘導灯が並び、夜間整備中の輸送機の下で、整備員が小型ライトを動かしていた。警備車両の前照灯が格納庫の外壁を白くなぞり、また暗がりへ沈んでいく。

 

 ワッケインの執務室では、机上の端末だけが青白く光っていた。

 

 画面には二種類の文書が開かれていた。

 

 一つは、軍令部へ送る通常報告。

 

 もう一つは、民生通信網の診断データに混ぜる、短い人材情報だった。

 

 ワッケインは、後者の文面を何度も削った。

 

 カーベルの名は入れない。

 

 保護機構内の協力者も入れない。

 

 誰がどこまで手を貸しているか、どの区画で誰が何を見逃しているか、そうした情報はすべて消した。

 

 残すのは、名前、職種、ティターンズが欲しがる理由、家族の有無、今置かれている危険だけだった。

 

 エリナ・フォルカー。光学通信、センサー調整。モビルドール運用改善に関与した可能性。直属移管要求あり。家族あり。

 

 推進剤管理の若い技師。燃料保管手順改善。保安部照会あり。

 

 光学通信の通信士。軌道中継局との同期調整経験あり。

 

 整備班の候補生。整備手順の再編案作成。同僚二名に照会あり。

 

 それだけを残す。

 

 それ以上は出さない。

 

 通信士が入室し、敬礼した。

 

「軍令部向けの報告は、このまま送りますか」

 

 ワッケインは通常報告へ目を移した。

 

「送れ。遅らせる理由はない」

 

「了解しました」

 

 通信士が端末を操作する。

 

 ワッケインは、少し間を置いてから続けた。

 

「民生通信網の診断データも同時に出す。軌道側の遅延記録を付けておけ」

 

 通信士は顔を上げた。

 

「通常の通信品質確認として処理します」

 

「それでいい」

 

 通信士は、余計なことを聞かなかった。

 

 ワッケインの部下として、それは正しい反応だった。軍において、すべての命令に意味を尋ねる者は長く残らない。だが、意味がある命令と、触れない方がよい命令を嗅ぎ分ける者は、残る。

 

 通信士が退室した。

 

 扉が閉まる。

 

 ワッケインは一人になった。

 

 人材情報の画面を、もう一度だけ見る。

 

 エリナ・フォルカーの名があった。

 

 その下に、母、弟、家族あり、という短い文字列が付いている。

 

 ワッケインは指を止めた。

 

 助けろ、とは書かない。

 

 逃がせ、とも書かない。

 

 便名も、発進時刻も、航路も書かない。

 

 それを書けば、送った者の手が見える。

 

「名だけでいい。こちらの手は見せるな」

 

 声は小さかった。

 

 誰に聞かせるものでもない。

 

 端末の送信表示が短く点灯し、すぐに通常画面へ戻った。

 

 民生通信網の診断データが、他の通信記録と一緒に地上を離れ、軌道中継へ向かった。

 

―――――

 

 宇宙では、夜という言葉に地上ほどの意味はない。

 

 それでも、艦の中には灯りを落とした時間があり、人が声を低くする区画がある。

 

 ブレックス・フォーラのいる小さな執務区画も、その一つだった。

 

 窓の外には地球ではなく、黒い宇宙と、遠くに並ぶコロニーの灯が見えた。通信端末の駆動音が低く続き、壁に固定された小型時計だけが規則正しく時刻を刻んでいる。

 

 通信担当者が、暗号化された受信データを復元し、ブレックスの前へ差し出した。

 

「民生通信網の診断データに混じっていました。通常の遅延記録ではありません」

 

 ブレックスは端末を受け取り、短く目を走らせた。

 

 すぐに眉がわずかに動く。

 

「送り手は」

 

「直接名はありません。ただ、軍令部側の整理に近い書き方です」

 

 ブレックスはそれ以上問い詰めなかった。

 

 誰が送ったかを口に出せば、その瞬間に人が死ぬこともある。名前は、必要になるまで胸の中に置いておけばいい。

 

 彼は端末をエドワウへ差し出した。

 

「見てくれ」

 

 エドワウは受け取り、画面の文字を一つずつ読んだ。

 

 光学通信。

 

 センサー調整。

 

 推進剤管理。

 

 整備手順。

 

 通信同期。

 

 どれも、派手な単語ではなかった。

 

 だが、戦争を動かすのは派手な言葉だけではない。むしろ、派手な兵器は、こうした地味な仕事の上に立っている。

 

 ブレックスが静かに言った。

 

「亡命希望者の一覧ではないな」

 

「違います」

 

 エドワウは、端末を閉じなかった。

 

 エリナ・フォルカーの欄で、視線が止まる。

 

 家族あり。

 

 直属移管要求あり。

 

 その短い言葉の向こうに、保護機構の白い壁と、母親と弟を連れて入った若い技術者の姿が見える気がした。

 

 エドワウは言った。

 

「これは兵器の一覧ではない」

 

 ブレックスは黙って聞いた。

 

 エドワウは続ける。

 

「次に戦う人間の名だ」

 

 通信担当者が息を呑んだ。

 

 ブレックスは深く息を吐く。

 

「受け入れ先が要る」

 

「住む場所、働く場所、家族を守る場所。順番を間違えれば、彼らはまた別の組織に奪われます」

 

 エドワウは端末を通信担当者へ戻さず、別の画面を開かせた。

 

「ティターンズの軌道試験班向け定期便は、監視を続けていますか」

 

 通信担当者はすでに準備していた画面を出した。航路、発進予定、軌道側での合流時刻、護衛MSとの接続予定が並んでいる。

 

「数日前から追っています。モビルドール関連の部品と記録媒体が、その便で動いているためです。便名は複数ありますが、次の発進予定は今夜です」

 

「フォルカー技師が乗るとは限りません」

 

「はい。ですが、軌道側の貨物・人員受け入れ記録に、追加搭乗が出れば拾えます」

 

 ブレックスが端末へ身を寄せる。

 

「監視を続けろ。便を決めつけるな」

 

「了解しました」

 

 エドワウは、画面の中の定期軍用連絡便の航路を見た。

 

 地球から上がり、低軌道を経て、ティターンズの軌道試験班へ向かう。途中、護衛MSとの合流前に、短い空白時間がある。

 

 そこは危険な時間でもあり、機会でもあった。

 

 エドワウは、ブレックスの横顔を見た。

 

「シャトルを落とせば、こちらが守りたい人間まで失います」

 

 ブレックスは頷いた。

 

「分かっている」

 

 それから通信担当者へ向き直る。

 

「拿捕だ。撃墜は許可しない。我々の名も出すな。艦名、通信符号、所属を残すな」

 

「了解しました」

 

 ブレックスは、さらに低い声で続けた。

 

「失敗すれば、軍事事件になる」

 

 エドワウは静かに言った。

 

「成功しても、ティターンズはそう扱うでしょう」

 

 室内に沈黙が落ちた。

 

 誰も、それを否定しなかった。

 

―――――

 

 戦略技術者保護機構の所長室には、いつもより多くの軍靴の音があった。

 

 カーベル博士の机の上に、正式な移管命令書が置かれている。

 

 ダリル・ハント大尉は、その向かいに立っていた。横にはティターンズ側の事務士官が控えている。廊下には護送兵の影があり、扉の外で金具の触れ合う音がした。

 

 カーベルは、命令書にすぐ手を伸ばさなかった。

 

 文面はもう見えている。

 

 エリナ・フォルカー。

 

 ティターンズ直属、軌道試験班。

 

 モビルドール運用改善に関する技術協力。

 

 カーベルは眼鏡の奥で目を細めた。

 

「彼女は保護対象者です。本人の状態、家族の状況、研究資料の扱い、どれも移管に耐える段階ではありません」

 

 ダリルは表情を変えない。

 

「所長の意見は添付できます。命令は取り消されません」

 

「これは保護機構の目的に反します」

 

「技術者を保護し、必要な部署で使う。そう読むこともできます」

 

 カーベルの手が、机の上で一度だけ止まった。

 

 その言い方は、制度の文章を逆から読む者の言い方だった。

 

 守るために囲った。

 

 囲ったから、必要な場所へ出せる。

 

 そういう理屈は、書類の上では通る。

 

 だが人間は書類ではない。

 

 カーベルは、そう言わなかった。ここで感情を出せば、ダリルに余計な材料を与えるだけだった。

 

 事務士官が控えの書類を差し出した。

 

「移送はティターンズ輸送担当が処理します。軌道試験班向け定期軍用連絡便に追加搭乗。交換部品と技術記録媒体も同便です」

 

 カーベルは、その文言を確かめた。

 

「専用便ではないのか」

 

「定期便です。手配は輸送担当で完了しています」

 

 ダリルがわずかに顎を引く。

 

「余計な混乱を避けるためです」

 

 カーベルは書類の受領欄にだけ印を入れた。

 

「受領した。賛同はしない」

 

「それで結構です」

 

 ダリルの声には、勝った者の硬さがあった。

 

 カーベルは呼び出し端末へ手を伸ばした。

 

 エリナ・フォルカーを呼ぶためだった。

 

―――――

 

 エリナが所長室へ入ってきた時、空気はすでに変わっていた。

 

 机の上には命令書があり、ダリルが立ち、護送兵が扉の近くにいる。

 

 彼女はその三つを見て、何かが決まったのだと理解した。

 

 カーベルは、いつもより短く告げた。

 

「フォルカー技師。あなたはティターンズ直属の軌道試験班へ移されます」

 

 エリナは、すぐには答えなかった。

 

「軌道試験班……宇宙へ、ですか」

 

「命令書には、そうあります」

 

「私は、保護されていたんじゃないんですか」

 

 カーベルは、すぐには返事をしなかった。

 

 返せる言葉がなかったのではない。

 

 返せる言葉を選ばなければならなかった。

 

「私は、最後まで反対しました」

 

 エリナはその言葉を受け止めた。

 

 助けられない、という意味でもあった。

 

 けれど、完全に見捨てる、という意味ではないようにも聞こえた。

 

 短い面会が許された。

 

 医療区画横の控室は狭かった。白い壁。簡素な椅子。冷めた飲み物の入ったカップ。扉の外には護送兵の影がある。

 

 母は、エリナの姿を見ると立ち上がろうとした。

 

 しかし体が少し遅れ、椅子の背をつかむ。

 

「エリナ、どこへ行くの」

 

 エリナは母の肩へ手を添えた。

 

「仕事です。少し、遠いところ」

 

 弟は、小さな鞄を抱えたまま、エリナの服をつかんだ。

 

「帰ってくる?」

 

 エリナは膝を折り、弟と目の高さを合わせた。

 

 すぐに嘘を言えなかった。

 

 だから、言葉を少し変えた。

 

「帰れるようにする」

 

 弟の指が、服の布を強く握った。

 

 カーベルは扉の近くに立ち、護送兵の視線を遮る位置へ半歩動いた。

 

 母親の顔色を見て、護送兵にも聞こえる声で言う。

 

「お母様は医療区画へ移します。今の状態で家族居住区へ戻すのは危険です」

 

 護送兵は、医療上の判断として受け取ったのか、口を挟まなかった。

 

 カーベルは、それからエリナにだけ届く低い声で続けた。

 

「ご家族は、私が責任を持ちます」

 

 エリナは、カーベルを見た。

 

 その言葉が、ただの慰めではないことは分かった。

 

 だが、何をしてくれるのかまでは分からない。

 

 分からないまま、信じるしかなかった。

 

「博士。母と弟を、お願いします」

 

 カーベルは、ゆっくり頷いた。

 

「約束します」

 

 扉が叩かれた。

 

「時間です」

 

 護送兵の声だった。

 

 エリナは弟の手を外した。

 

 弟は最後までつかもうとしたが、母が抱き寄せた。母の顔は白かったが、声は出さなかった。

 

 エリナは扉へ向かった。

 

 振り返ると、カーベルがまだそこに立っていた。

 

 何も言わない。

 

 ただ、目だけが、行け、と言っていた。

 

―――――

 

 地球側宇宙港の軍用区画は、旅客ロビーとは別の世界だった。

 

 灰色の壁。

 

 黄色い整備ライン。

 

 貨物コンテナ。

 

 武装した警備兵。

 

 作業灯の下で、ティターンズの識別を入れた定期軍用連絡シャトルが発進準備を進めていた。

 

 積み込まれているのは、エリナだけではない。

 

 軌道試験班向けの交換部品。

 

 技術記録媒体。

 

 小型の予備ユニット。

 

 整備士数名。

 

 事務士官。

 

 その中に、追加搭乗者として、エリナ・フォルカーの名が入った。

 

 ティターンズ輸送担当士官が端末を確認する。

 

「フォルカー技師。軌道試験班向け定期軍用連絡便、追加搭乗。護送兵二名。技術記録媒体と同時搬送」

 

 ダリルは搭乗口まで来ていた。

 

 だが、乗り込む様子はない。

 

「途中接触は許可しない。軌道試験班へ直接引き渡せ」

 

「了解」

 

 護送兵が答える。

 

 エリナは、ダリルを見た。

 

「私は、何をさせられるんですか」

 

 ダリルは短く言った。

 

「君の技術を、必要な場所で使う。それだけだ」

 

「必要な場所、ですか」

 

 ダリルは答えなかった。

 

 その時、彼の携帯端末が鳴った。

 

 通信士の声が入る。

 

「ハント大尉。バスク大佐より、保護機構内資料の即時確認命令です。フォルカー技師の護送は移送隊へ引き継ぎ」

 

 ダリルの顔に、不満が一瞬だけ浮かんだ。

 

 本人を最後まで見届けたい気持ちはあった。

 

 だが、バスクの命令は別の場所を向いていた。

 

 エリナ本人だけではない。

 

 ノート。

 

 研究資料。

 

 協力者。

 

 同じ発想を持つ別の技術者。

 

 本人は輸送隊へ渡せばよい。保護機構に残った痕跡を押さえる方が、ダリルの役目になった。

 

「分かった。機構へ戻る」

 

 ダリルは通信を切り、エリナへ視線を戻した。

 

「余計なことは考えない方がいい」

 

 エリナは何も返さなかった。

 

 返しても、何も変わらない。

 

 護送兵に促され、シャトルへ乗り込む。

 

 背後で、搭乗口の扉が閉まった。

 

―――――

 

 宇宙側の小型艦は、照明を落としていた。

 

 外部装甲に民間整備会社の識別を載せているが、内部の空気は民間船のものではない。艦内の格納区画では、暗色に塗られたMSが固定具から外されようとしていた。

 

 所属章は消してある。

 

 識別信号も切る。

 

 通信画面には、ティターンズ軌道試験班向け定期軍用連絡便の航路が表示されていた。

 

 通信担当者が、受信した短文を読み上げる。

 

「軌道試験班向け定期軍用連絡便に追加搭乗。保護機構由来の女性技術者。名は伏せられていますが、条件は一致します」

 

 指揮役の男が顔を上げる。

 

「フォルカー技師か」

 

「断定はできません」

 

「断定を待てば、試験班に渡る」

 

 別の隊員が問う。

 

「護衛との合流は」

 

「二十七分後。今の区間はシャトル単独です」

 

 指揮役は、航路図を見た。

 

 この便は、地上から上がった直後は単独で航行し、軌道試験班の警戒圏へ入る直前に護衛MSと合流する手順だった。通常なら、その短い区間を狙う者はいない。ティターンズはそう考えていた。

 

 そこを逃せば、護衛MSとの合流後になる。そうなれば、拿捕では済まない。撃ち合いになる。シャトルを傷つける可能性も上がる。

 

「撃墜はしない。通信を潰し、進路を押さえる。推進系は焼くな。狙うだけでいい」

 

 MSパイロットの一人が、ヘルメットを抱えたまま聞いた。

 

「所属は」

 

「名乗らない」

 

 その言葉で、格納区画の空気が引き締まった。

 

 これは救出である。

 

 同時に、軍用シャトルへの武力襲撃でもある。

 

 成功しても、ティターンズは黙らない。

 

 失敗すれば、乗っている技術者はティターンズへ渡る。さらに、この部隊の背後にいる者たちも探られる。

 

 指揮役は、それを分かった上で命じた。

 

「出るぞ」

 

 固定具が外れる。

 

 暗色のMSが、格納区画から宇宙へ滑り出した。

 

―――――

 

 ティターンズ定期軍用連絡シャトルの船内は、旅客便のような柔らかさとは無縁だった。

 

 固定座席。

 

 拘束ベルト。

 

 装備ラック。

 

 壁際の技術記録媒体用コンテナ。

 

 非常用酸素。

 

 簡易武器庫。

 

 エリナの座席は、護送兵二人の視界に入る位置にあった。少し離れた場所では、軌道試験班へ向かう整備士たちが小声で機材の確認をしている。事務士官は端末を見たまま、こちらへ目を向けようとしない。

 

 窓の外には、地球の縁が見えた。

 

 青い大気の薄い層が、遠ざかっていく。

 

 美しいはずだった。

 

 だが、エリナには、その景色を美しいと思う余裕がなかった。

 

 彼女は拘束ベルトを握っていた。手が震えないように、指へ力を入れる。

 

 機内放送が鳴る。

 

「本機は予定軌道へ移行中。軌道試験班との合流まで、およそ三十分」

 

 護送兵の一人が言った。

 

「聞いたか。到着まで静かにしていろ」

 

 エリナは窓から目を離さない。

 

「家族に連絡は」

 

「許可されていない」

 

 短い返答だった。

 

 エリナは目を閉じた。

 

 カーベルの声が耳に残っている。

 

 ご家族は、私が責任を持ちます。

 

 それが何を意味するのかは分からない。

 

 母と弟が安全なのかも分からない。

 

 自分がどこへ運ばれているのかも、本当には分かっていない。

 

 ただ、ティターンズが自分を必要としていることだけは分かる。

 

 それがいちばん怖かった。

 

 その時、船内に短い警報が鳴った。

 

 副操縦士の声が、操縦席側から漏れてくる。

 

「前方、識別なし。MS三、いや四」

 

 機長の声が続く。

 

「所属照会を送れ」

 

「応答なし」

 

 護送兵が顔を上げた。

 

「反乱分子か」

 

 シャトルがわずかに揺れた。

 

 窓の外に、暗い影が入る。

 

 エリナは息を止めた。

 

 MSだった。

 

 ティターンズの識別ではない。

 

 所属章も見えない。

 

 暗色の機体が一機、シャトルの進路前方へ入っている。別の一機が後方へ回り、推進ノズルを狙える位置に付いた。さらに一機が通信アンテナの近くへ滑る。

 

 遠くから撃つのではない。

 

 近い。

 

 近すぎる。

 

 通信に、低い声が入った。

 

「針路を変更しろ。抵抗すれば推進系を焼く」

 

 機長が怒鳴る。

 

「こちらはティターンズ軍用連絡艇だ。所属を名乗れ」

 

 返答はなかった。

 

 次の瞬間、別のMSが短く撃った。

 

 光が走り、シャトルの外側で火花が散る。

 

 直撃ではない。

 

 だが、船内の通信表示が一斉に乱れた。

 

「外部通信、低下。メインアンテナ損傷」

 

 副操縦士の声が震えた。

 

 護送兵が武器庫へ手を伸ばす。

 

「撃て! いや、撃てるのか」

 

 軍用シャトルには、MSを相手にできる火力などない。

 

 船内の非常灯が赤く点滅し始める。

 

 再び通信が入った。

 

「二度は言わない。針路を変えろ」

 

 機長は、黙った。

 

 数秒の沈黙。

 

 その沈黙の中で、シャトルの進路がわずかに変わった。

 

 エリナは窓の外を見続けていた。

 

 暗色のMSが、シャトルを撃ち落とそうとしていないことに気づく。

 

 通信を潰した。

 

 進路をふさいだ。

 

 推進系を狙っている。

 

 だが、船体を壊す射撃はしていない。

 

 殺しに来たのではない。

 

 奪いに来たのだ。

 

―――――

 

 船内照明が非常灯へ切り替わった。

 

 赤い光が、座席と壁と、エリナの手を照らしている。

 

 護送兵がエリナの前に立った。銃を構えている。銃口は扉へ向いているようにも見えるし、エリナを押さえる位置にも見える。

 

「動くな。席を立つな」

 

 エリナは、拘束ベルトを握ったまま聞いた。

 

「私は、どこへ連れて行かれるんですか」

 

「黙れ」

 

 護送兵の声には、余裕がなかった。

 

 操縦席から機長の声が入る。

 

「進路変更中。推進系を狙われている。抵抗は困難」

 

 窓の外で、地球の青い縁がゆっくりずれていく。

 

 本来の進路から外れている。

 

 暗色のMSの腕が、窓の近くに見えた。

 

 その機体は、シャトルを撃たなかった。

 

 ただ、逃げ道を塞いでいた。

 

 通信に、低い声がもう一度入る。

 

「そのシャトルは、こちらで預かる」

 

 護送兵が怒鳴った。

 

「所属を名乗れ!」

 

 返答はない。

 

 エリナは、カーベルの言葉を思い出した。

 

 ご家族は、私が責任を持ちます。

 

 自分はティターンズへ運ばれている。

 

 そう思っていた。

 

 けれど今、別の何かが、その進路を奪った。

 

 それが救いなのか、別の檻なのか、まだ分からない。

 

 ただ一つだけ分かる。

 

 自分を乗せたシャトルは、ティターンズが決めた航路を外れた。

 

 

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