ニュース端末の下で、連邦通貨と宇宙通貨の交換レートがまた動いた。
連邦通貨が下がる。
宇宙通貨が上がる。
矢印は小さかったが、見ていると、机の上に置いた紙幣まで少し痩せたように見えるから不思議だった。いや、痩せてはいない。紙幣は紙幣である。だが、同じ紙で買えるものが減るなら、それはもう、ほとんど痩せているようなものだった。
アナウンサーが、硬い笑顔で原稿を読む。
「連邦政府は本日、連邦通貨の信認回復と復興財源の確保を目的として、連邦公認暗号通貨、フェデラル・リカバリー・トークン、通称FRTの発行を発表しました」
アムロは湯呑みに伸ばした手を止めた。
「また変なものが出た」
「名前だけ聞くと、いいことみたいね」
ミライが眉を寄せる。
「復興支援、治安維持、宇宙開発協力、民間資金の参加……」
セイラが画面の文字を読んだ。
「きれいな言葉を並べているわ」
「きれいな言葉って、だいたい掃除が必要な時に出てくるんだよな」
アムロが言う。
ララァは端末をじっと見ていた。
「これは、お金ですか」
「紙のお金ではないわ」
セイラが答える。
「端末の中で持つ数字ね」
「数字のお金ですか」
「もうその時点で嫌だな」
アムロがぼやいた。
画面では、FRTの説明が続いていた。
一定数以上の保有者には、連邦復興事業の特別説明会への参加権。
さらに上位保有者には、連邦政府関係者との懇談会。
軍需復興関連事業の優先案内。
投資案件の早期説明枠。
アムロは、今度こそ湯呑みを置いた。
「通貨に説明会の参加権をつけるなよ」
ミライも顔をしかめる。
「それ、募金なの? 投資なの? それとも順番待ちなの?」
ララァがぽつりと言った。
「順番券です」
部屋が止まった。
「一番嫌な言い方するな!」
アムロが叫ぶ。
ララァは真顔だった。
「前に行けます」
「余計に嫌だ!」
セイラは端末の画面を指で送った。
「連邦高官や復興案件に近づくための札、ということね」
ミライが小さく息を吐く。
「お金じゃなくて、席取りみたい」
「席取りならまだかわいい」
アムロが言う。
「これはたぶん、席に座るために財布を見せるやつだ」
ララァは画面を見たまま言った。
「お金ではありません」
「今度は何だよ」
「名札です」
アムロは両手で顔を覆った。
「一番嫌なところだけ拾うな!」
――――――――――
画面が切り替わった。
アナウンサーが、少し硬い笑顔で横を向く。
「それでは、この連邦公認暗号通貨について、エコノミストのアサクラさんに解説していただきます」
画面の中で、見慣れた男が大きくうなずいた。
ララァが少し嬉しそうに言う。
「オジキです」
アムロが天井を見る。
「エコノミストのアサクラさん、だろ」
ミライが笑う。
「本人より呼び名の方が強いわね」
「いいですか皆さん!」
アサクラさんは、最初から全開だった。
「連邦通貨が安くなった。市民は不安になる。企業も不安になる。そこで連邦政府は何をするか!」
「新しいお金を出すんです!」
「それがこの、連邦公認暗号通貨です!」
アムロが小さく言う。
「始まり方がもう怖い」
アサクラさんは続けた。
「暗号通貨というものは、紙のお金じゃありません!」
「端末の中にある数字です!」
「誰から誰へ渡ったか、その足跡が残る!」
「便利です! 速いです! 新しいです!」
ミライが首をかしげる。
「足跡が残るお金って、何だか落ち着かないわね」
「財布が勝手に日記をつけるみたいなものだな」
アムロが言った。
セイラは頷いた。
「お金がどこへ動いたか、記録が残るということよ」
ララァが静かに言う。
「足跡です」
「金に足をつけるな」
アムロが返す。
画面の中のアサクラさんは、机を叩きそうな勢いで身を乗り出した。
「しかし問題がある!」
「その数字を守っているのは“鍵”なんです!」
「家の鍵と同じです!」
「鍵があれば入れる。鍵がなければ入れない!」
アムロが言う。
「暗証番号みたいなものか」
「そう考えていいわ」
セイラが答える。
「財布を開けるための合言葉ね」
「嫌なほど分かりやすい」
ミライが言う。
アサクラさんは、さらに声を張った。
「いいですか皆さん!」
「暗号通貨というものは、前世紀にも流行ったんです!」
「紙のお金ではない。端末の中の数字です。誰から誰へ動いたか、その記録が残る。便利だ、速い、新しい。そう言われた!」
「ところが!」
「量子コンピューターの台頭で状況が変わった!」
アムロが眉を寄せる。
「量子コンピューターって、そんなにすごいのか?」
セイラが少し考え、かなり噛み砕いて答えた。
「普通の計算機が長い時間をかけて探す鍵を、短い時間で試せるかもしれない計算機よ」
ミライが言った。
「泥棒が、ものすごい速さで鍵を試してくるみたいなもの?」
「嫌なたとえだけど、分かりやすいわ」
ララァが小さく言う。
「鍵がかわいそうです」
「鍵に同情するな」
アムロが言う。
アサクラさんは止まらない。
「暗号通貨を守っていた鍵が、破られるかもしれない時代になったんです!」
「すると何が起きたか!」
「安全だ、安全だと言って、次々に新しいトークンが作られた!」
「旧型は危ない! こっちは量子対応だ! いや、こちらが本命だ!」
「そうやって、トークン数が爆発的に増えたんです!」
「しかし、増えれば増えるほど信用は薄くなる!」
「しかも、本当に暗号が守れるのか、誰にも分からない!」
「結果、前世紀の暗号通貨ブームは消えた!」
「信用が消えたんです!」
ララァがぽつりと言った。
「お金が、増えすぎて薄くなったのですね」
「また薄くする!」
アムロが突っ込む。
アサクラさんは、まるでその声が聞こえていたかのように指を立てた。
「だからこそ、連邦は言うわけです!」
「我々の暗号通貨は違う!」
「量子コンピューターにも破られない!」
「安全です! 安心です! 公式です!」
「しかし、ここで騙されてはいけない!」
「安全にする代わりに、連邦の専用財布を使わせる!」
「その財布を作る時に、名前を書かせる! 会社を書かせる! 住所を書かせる!」
「そして、たくさん買った者だけを説明会に呼ぶ!」
「これは自由なお金ではない!」
「名簿です!」
部屋が止まった。
ララァが端末を見たまま言う。
「お金ではありません」
「名札です」
アムロがまた顔を覆う。
「一番嫌なところだけ拾うな!」
ミライが言う。
「でも分かるわ。財布を作る時に名前を書くなら、誰が持っているか分かるものね」
セイラが頷く。
「表向きは安全対策。実際には、保有者を管理する仕組みになる」
「嫌な安全だな」
アムロが言った。
――――――――――
セイラはFRTの発行条件を開いた。
画面には、細かい字が並んでいる。
発行総量のかなりの割合を、連邦関連団体が保有。
一部購入枠は事前割当。
上位保有者には特別説明会。
連邦政府関係者との懇談会。
軍需復興案件の優先説明。
そして、ティターンズ外郭団体の名前が、関連財団の欄に小さく入っていた。
小さい字だった。
小さい字ほど、よくないことが書いてある場合が多い。
「買った人が儲かるんじゃなくて、最初から持っている人が儲かるのね」
ミライが言う。
「そうね」
セイラの声は冷たかった。
「上がるように見せて、最初に持っている側が出口を作る」
ララァが静かに言う。
「あと、会いたい人が買います」
アムロが顔をしかめる。
「それ、もう賄賂じゃないのか」
「賄賂に見えない形へ直したものね」
セイラが答える。
ララァは、さらに言った。
「このお金は、前に行きたい人の札です」
「順番券から名札になって札になったぞ」
アムロが言う。
「どれも嫌だ」
「話は聞いたよ」
エドワウが入ってきた。
全員が振り向く。
「また聞いてたのか」
アムロが言う。
「“名札です”のあたりからだ」
「一番嫌なところじゃない」
ミライが言った。
エドワウは画面を見た。
「これは通貨ではないな」
「何?」
セイラが聞く。
「誰が連邦へ近づきたいかを、自分で書かせる仕組みだ」
アムロは嫌そうな顔をした。
「暗号通貨って、隠れるためのものじゃないのかよ」
「隠れるために使った者ほど、足跡を残す」
エドワウが言う。
ララァが頷いた。
「名前は見えません。でも、道は残ります」
「道とか足跡とか、金がどんどん人間っぽくなるな」
アムロはもう、湯呑みを持つのも忘れていた。
――――――――――
エドワウは、FRTの取引画面を開いた。
「名前は見えない」
彼は言った。
「だが、金の通った道は残る」
セイラがすぐに理解する。
「上位保有ウォレットと、説明会の招待名簿を照合するのね」
「それだけでは足りない」
エドワウは画面を切り替えた。
「連邦系財団。軍需契約の参加企業。ティターンズ外郭団体の既知の財布。取引所への入出金先。そこを重ねる」
アムロが片眉を上げる。
「既知の財布って何だよ」
「以前から使われている送金先や、取引所への出入りで癖が分かっている財布よ」
セイラが説明した。
ミライが首をかしげる。
「財布にも顔見知りがいるのね」
「嫌な世界だな」
アムロが言う。
ララァは画面を指した。
「この財布、寂しがりです」
「財布に性格をつけるな」
「でも、いつも同じところへ戻ります」
エドワウが少しだけ目を細めた。
「循環取引だな」
セイラが低く言う。
「自分たちで買って、自分たちで売って、人気があるように見せている」
アムロは端末を見つめた。
「最悪じゃないか」
「最悪というより、雑ね」
セイラが言った。
「雑な悪さほど、足跡が残る」
ララァは、じっと値動きを見ていた。
「これは上がります」
「またか」
アムロが言う。
「でも、あとで落ちます」
「どっちだよ!」
「最初は、会いたい人が集まります」
ララァは画面を見たまま続ける。
「あとで、逃げたい人が同じ扉に集まります」
ミライが嫌そうに言った。
「出口が一つしかない店みたいね」
セイラが頷く。
「上位保有者や初期割当側が売り抜けると、後から買った側だけが残される」
アムロが言う。
「それで一般の人が巻き込まれるのか」
ララァは真顔で答えた。
「遅い人が残ります」
「さらっとひどいこと言うな」
――――――――――
「本物は買いません」
ララァが言った。
「よし」
アムロがすぐに頷く。
「FRT連動ETFを売ります」
「よくない!」
アムロが叫ぶ。
ミライが聞く。
「ETF?」
セイラが説明する。
「FRTそのものではないわ。FRTの値段に合わせて動く投資商品よ」
「FRTが上がれば、そのETFも上がる。FRTが下がれば、そのETFも下がる」
「つまり、FRTにくっついて動く商品なのね」
ミライが言う。
「そう」
セイラは頷いた。
「ETFなら、貸し出されている分があれば売りから入れる。FRT本体を持っていなくても、FRT連動ETFを売ることはできる」
アムロが頭を抱える。
「また面倒な抜け道がある!」
ララァは真面目だった。
「本物は買いません」
「そこはいい!」
「ETFを売ります」
「そこがよくない!」
エドワウは端末を見ていた。
「売る理由はある」
「あるから困るんだよ」
アムロが言う。
ララァは画面を見て、静かに言った。
「これは、あとで人が逃げます」
誰もすぐには笑わなかった。
――――――――――
ティターンズがこのFRTでやろうとしていたことは、きれいな言葉で包まれていた。
復興支援。
治安維持。
民間協力。
連邦への参加。
だが、包み紙を少し剥がすと、中身はかなり違っていた。
表に出しにくい支援者から資金を集める。
上位保有者を「連邦復興協力者」として囲う。
軍需復興案件の説明会と接触権を餌にして、協力企業を選別する。
つまり、復興支援の顔をした資金集めと人脈づくりだった。
ララァが言う。
「買った人は、前に行けます」
「何の列だよ」
アムロが聞く。
「連邦に近い列です」
ミライが顔をしかめる。
「最悪の整理ね」
エドワウは短く言った。
「だから壊す」
「さらっと言うな」
アムロが返す。
エドワウは買い崩すのではなく、構造を表に出すことにした。
上位保有ウォレットの動き。
ティターンズ外郭団体とのつながり。
発行前割当の存在。
上位保有者説明会が、実質的な接触権であること。
循環取引で人気を作っていた疑惑。
そして、量子耐性ウォレットという名の購入者名簿。
ギリアムが記事を書いた。
「連邦公認トークン、上位保有者に軍需説明会参加枠」
「復興支援か、接触権販売か」
「ティターンズ外郭団体との資金循環疑惑」
「量子耐性ウォレット、保有者名簿化の懸念」
アムロが記事の見出しを見て言う。
「また記事で殴るのか」
「弾より安い」
エドワウが答える。
ミライがため息をつく。
「安いけど痛そうね」
――――――――――
最初、FRTは上がった。
連邦公式。
量子耐性。
復興支援。
高官説明会。
その言葉に、人が集まった。
会いたい人が買い、近づきたい企業が買い、遅れたくない者が買った。
ララァはFRTそのものを買わなかった。
代わりに、FRT連動ETFを売った。
「売りました」
ララァが言う。
「言わなくていい!」
アムロが叫ぶ。
そして、記事が出た。
上位保有者が逃げる。
説明会目当ての企業が距離を置く。
一般購入者も売る。
FRTは崩れた。
FRT連動ETFも下がった。
ララァが端末を見る。
「下がりました」
アムロが身を乗り出す。
「今回はFRTを買ってないな?」
「買っていません」
「よし!」
「ETFを売りました」
「よくない!」
ミライが額を押さえた。
「この子、ちゃんと危ない方へ行くわね」
「道が見えたので」
ララァが言う。
「見えた道に全部入るな!」
アムロが叫ぶ。
――――――――――
ティターンズ側では、机の上の書類が増えた。
資金調達停止。
説明会中止。
協力企業の辞退。
上位保有者名簿の政治問題化。
連邦議会での追及。
宇宙側からの批判。
連邦通貨安の再加速。
FRTを抱えた外郭団体の損失。
火を消すために出した水で、床が抜けた。ミライがそう言った時、アムロは嫌な例えだと思ったが、否定はできなかった。
「信認を補うために出したものが、信認を削った」
エドワウが言う。
ララァが静かに付け足した。
「薄くなりました」
「また薄くする!」
アムロが言う。
セイラは端末を閉じた。
「ティターンズの資金集めと協力企業の囲い込みは失敗ね」
「それだけではない」
エドワウが言う。
「次に何かを出しても、疑われる」
アムロが顔をしかめる。
「信用って、一回減ると面倒だな」
「お金より戻りにくいわ」
ミライが言った。
――――――――――
ララァは端末を見て、少し嬉しそうだった。
「増えました」
「やっぱり増えるのか!」
アムロが叫ぶ。
「でも、本物は買っていません」
「そこはえらい」
「ETFを売りました」
「そこはえらくない!」
エドワウは満足そうだった。
「いい教材だった」
「何の?」
アムロが聞く。
「暗号通貨は、通貨ではなく、時々名簿になる」
ミライが肩を落とす。
「嫌な教材ね」
「でも覚えやすいわ」
セイラが言う。
その時、端末の中でアサクラさんがまた叫んだ。
「いいですか皆さん!」
「暗号通貨を見る時は、値段ではない!」
「誰が最初に持っているか!」
「誰に会えるのか!」
「そこを見なさい!」
アムロが少しだけ目を丸くした。
「今日は最後までまともだった……」
ララァが言う。
「オジキは、まっすぐです」
「うるさいけどな」
外では搬送車両が短い警告音を鳴らして通り過ぎた。
その夜、連邦公認トークンは半分になった。
ララァは端末を閉じた。
アムロは、FRTを買っていないだけで少し安心した。
ただし、FRT連動ETFを売っていたことについては、まだ少し安心していなかった。
トランプコインは75ドルまで上がってから現在の価格: 1 TRUMPあたり約2.4ドルだそうです。