妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第208話 消えた艦隊

 

 一か月が過ぎた。

 

 連邦議会の議場には、いつも通り議員がいた。議長もいた。速記官も、報道席の記者も、各派の秘書官も、決められた場所に座っていた。壁面の時計は、決められた時刻に音もなく針を進めていた。

 

 だが、議会は止まっていた。

 

 扉は開いている。発言台も空いている。議長は何度も木槌を鳴らした。

 

「静粛に。発言は順番に願います」

 

 その声は、広い議場の上で薄くなり、怒号に呑まれた。

 

「保護機構は、技術者を守る施設だったのか。軍へ差し出す待合室だったのか」

 

 反ティターンズ派の議員が、資料の束を片手に立ち上がっていた。顔は赤く、声はかすれている。もう何度も同じことを言っているのだろう。それでも彼はやめなかった。

 

 別の側から、ティターンズ擁護派の議員が机を叩いた。

 

「問題はそこではない。軍用シャトルが所属不明機に奪われたのだ。これは反乱行為だ。軍の権限を弱める議論など、敵を喜ばせるだけだ」

 

 スペースノイド系の議員が、低い声で割り込んだ。

 

「若手技術者とその家族を地上の軍施設へ集めた時点で、火種は作られていた。なぜ宇宙出身者とその家族ばかりが、軍の管理下で生活せねばならなかったのか」

 

 治安派の議員が立ち上がった。

 

 彼は一か月前、記者の前で「軍が家族を圧力材料にするなど、あってはならない」と言った人物だった。その言葉は、今も彼の足に重りのように付いている。

 

「家族への圧力など存在しない。保護機構は適切に――」

 

「あなたがそう言った直後に、家族は施設から移された」

 

 反ティターンズ派が言った。

 

「つまり、危険はあったのだろう。危険がなければ、なぜ移した」

 

 治安派の議員は一瞬だけ黙った。

 

 その沈黙を、報道席の記者たちは見逃さなかった。端末の上で指が動く。数十の短い記事が、その場で組み上がっていく。

 

 議長がまた木槌を鳴らした。

 

「静粛に。静粛に願います」

 

 議場の外から、かすかに人々の声が聞こえた。

 

 最初は遠い雨音のようだった。だが耳を澄ませば、それは声だった。重なり、ぶつかり、時々一つの言葉になり、また崩れていく。

 

 議場は開いていた。

 

 それでも、連邦議会は止まっていた。

 

―――――

 

 議会前の広場には、人が集まっていた。

 

 地球の都市だけではない。月面都市のドームの下にも、サイド系居住区の大通路にも、同じように人々が立っていた。壁面モニターには議会中継が流れ、その前で誰かが声を上げていた。

 

 ただ、その声は一つではなかった。

 

「家族を人質にするな!」

 

 そう叫ぶ者たちがいた。

 

「軍用シャトル襲撃の真相を出せ!」

 

 別の一団はそう叫んだ。

 

「技術者を兵器にするな!」

 

 スペースノイド系の若者たちは、手作りの標語を掲げていた。文字は少し歪んでいたが、その分だけ強かった。

 

「ティターンズの権限を止めろ!」

 

「連邦は説明しろ!」

 

「連邦がティターンズを生んだ!」

 

 その言葉が出るたび、周囲の空気が少し変わった。

 

 反ティターンズの抗議は、一か月のあいだに、反連邦の怒りと混ざり始めていた。最初は保護機構の話だった。技術者と家族の話だった。だが人々は、やがてそれをもっと大きなものとして見始めた。

 

 軍が必要だと言えば、人を囲えるのか。

 

 治安のためだと言えば、家族まで管理できるのか。

 

 保護という言葉を掲げれば、何をしても許されるのか。

 

 報道アナウンサーの声が、複数の映像に重なった。

 

「保護機構をめぐる一連の問題は、技術者保護をめぐる制度論争を超え、ティターンズの権限そのものを問う抗議へ拡大しています。各地では反ティターンズの抗議に加え、連邦政府の説明責任を問う声も強まっており――」

 

 映像が切り替わる。

 

 月面都市の広場では、透明なドームの向こうに、白い地平が広がっていた。そこでも人々は集まっていた。地球の空の下ではないのに、同じ怒りを抱えていた。

 

 サイド系居住区では、通路の照明が人々の顔を上から照らしていた。仕事着の男がいた。子どもを抱えた女がいた。制服姿の学生もいた。彼らは同じ標語を掲げていなかった。だが、同じ方向を見ていた。

 

 ティターンズは、人々に恐れられていた。

 

 しかしその日から、恐れだけでは済まなくなった。

 

 疑いが加わった。

 

 疑いは、恐怖よりもしつこく人の中に残る。

 

―――――

 

 ティターンズ司令区画の臨時対策室では、壁面いっぱいに報告が並んでいた。

 

 シャトル拿捕事件。

 

 保護機構関係者の家族移送。

 

 議会審議停止。

 

 各地の抗議行動。

 

 輸送担当の失態。

 

 民生通信網の異常記録。

 

 どの報告にも、別々の部署の印が付いていた。別々の時刻が入り、別々の言い訳が添えられている。

 

 バスク・オムは、それらをまとめて睨みつけていた。

 

「シャトルを奪われ、家族も消えた。何が保護機構だ。何が輸送担当だ」

 

 輸送担当士官は顔を伏せた。

 

「定期便の手配は規定通りで――」

 

「規定通りに奪われたというのか」

 

 バスクの声に、部屋の空気が震えた。

 

 ダリル・ハント大尉は、少し離れて立っていた。顔に疲れが残っている。彼はあれから何度も保護機構の記録を見直した。移送、搬送、政治家発言、医療判断、教育区画変更、生活支援施設への出発記録。どれも正しく見えた。正しく見えるように置かれていた。

 

「カーベルを拘束すべきです」

 

 ダリルは言った。

 

「少なくとも、家族移送の中心にいました」

 

 ジャミトフ・ハイマンは、椅子に座っていなかった。壁面の報告を眺めながら、片手を後ろに組んでいる。彼は怒鳴らなかった。

 

「今拘束すれば、保護機構は終わる」

 

 バスクが振り返る。

 

「もう終わっているでしょう」

 

「違う」

 

 ジャミトフは、ゆっくりと言った。

 

「こちらの手で終わらせれば、残った技術者たちは全員敵に回る」

 

 バスクは唇を歪めた。

 

「すでに敵ではないですか」

 

「敵にしたのはこちらだと、議会で言われる」

 

 部屋が静かになった。

 

 ジャミトフは端末を一つ開いた。

 

「記録を見ろ。エリナ・フォルカーを移管したのは我々だ。シャトルを手配したのは輸送担当だ。家族移送を正当化したのは政治家発言だ。カーベルはそれに従った」

 

 ダリルが言った。

 

「偶然が重なりすぎています」

 

「偶然ではない」

 

 ジャミトフは即座に答えた。

 

 バスクが顔を上げる。

 

 ジャミトフは続けた。

 

「だが、一人の所長にできる仕事でもない」

 

 その言葉のあと、対策室に沈黙が落ちた。

 

 バスクは怒りの置き場を失ったように、机の端を拳で叩いた。

 

 ダリルは、記録の中に何かを探しているような顔をしていた。

 

 輸送担当士官は、ただ自分が処分されるかどうかを考えているように見えた。

 

 ジャミトフだけが、別のものを見ていた。

 

 カーベルではない。

 

 輸送担当でもない。

 

 記録に名前の出てこない誰かだった。

 

―――――

 

「ワッケイン大佐を呼べ」

 

 ジャミトフがそう命じたのは、その少し後だった。

 

 幕僚が連邦軍司令区画へ向かった。ワッケインの執務室は、いつも通り整っていた。机の上に散らかった書類はない。椅子は正しい位置に戻され、端末は閉じられている。灰皿も空だった。

 

 人が慌てて消えた部屋ではなかった。

 

 準備して出ていった部屋だった。

 

 幕僚は戻って報告した。

 

「ワッケイン大佐は不在です」

 

 ジャミトフは目だけを動かした。

 

「不在?」

 

 軍令部通信士が予定表を確認する。

 

「海洋方面補給経路再編査察のため、三日前に出港しています」

 

「同行部隊は」

 

 通信士は読み上げた。

 

「海洋方面潜水艦隊の一部。補給潜水艦、救難潜水艦、通信潜航艇、海洋輸送の士官。ほかに医療、補給、通信系の連邦軍人が同行しています」

 

「定時報告は」

 

「二回目までは通常通り。三回目の浮上通信を最後に、途絶しています」

 

 幕僚が言った。

 

「事故でしょうか」

 

 ジャミトフは答えなかった。

 

 事故。

 

 その言葉は、便利すぎる。

 

 事故なら、人は安心できる。誰の意思もない。誰の計算もない。ただ波が高く、機械が壊れ、通信が切れた。そう考えれば、腹も立たない。

 

 だが、ワッケインの部屋は整っていた。

 

 出港命令は正規だった。

 

 査察名目も正規だった。

 

 同行した部隊も、正規の連邦軍だった。

 

 だからこそ厄介だった。

 

 ワッケインは逃げたのではない。

 

 記録上は、任務に出た。

 

 そして戻らない。

 

 ジャミトフは、閉じられた端末を見た。

 

 そこに答えは残っていない。

 

 答えが残らないように、彼は出ていったのだ。

 

「同行者名簿を出せ」

 

 ジャミトフは言った。

 

 声は静かだった。

 

 その静けさに、幕僚たちはかえって背筋を伸ばした。

 

―――――

 

 同行者名簿は、見た目には地味なものだった。

 

 そこに並んでいるのは、華やかなMS部隊の名ではない。新鋭部隊でも、ティターンズの中枢に近い将校でもなかった。

 

 海洋方面潜水艦隊。

 

 補給潜水艦。

 

 救難潜水艦。

 

 通信潜航艇。

 

 港湾警備隊。

 

 軍病院の衛生担当。

 

 旧式航空輸送隊の整備兵。

 

 砂漠駐屯戦車隊からの補給士官。

 

 記録担当士官が説明した。

 

「同行者は、海洋方面の補給・救難・通信系が中心です。ほかに、砂漠駐屯戦車隊から補給士官数名、旧式航空輸送隊の整備士、港湾警備隊、軍病院の衛生担当が含まれています」

 

 幕僚の一人が、少し肩の力を抜いた。

 

「主力ではありません」

 

 ジャミトフはその幕僚を見た。

 

「だから危ない」

 

 幕僚は黙った。

 

 ジャミトフは端末の画面を指で送った。古い部隊名が並ぶ。地球の海、砂漠、港湾、輸送、救難、衛生。ティターンズが中央を握るにつれて、予算も人員も後回しにされた部署だった。

 

「MSを動かす者だけが軍ではない」

 

 ジャミトフは言った。

 

「人を隠す者、運ぶ者、食わせる者、治療する者、港を開ける者。そういう者が抜けた」

 

 記録担当士官が、慎重に言った。

 

「いずれも、ティターンズ体制では主流から外れた部隊です」

 

「冷や飯を食わせた者たちか」

 

 ジャミトフの声には、怒りよりも苦みがあった。

 

 ティターンズは、強い部隊を集めた。新しい機体、新しい権限、新しい名目。だがその影で、古い任務を続けてきた者たちを軽く扱った。

 

 海で人を待つ者。

 

 砂漠で水を配る者。

 

 負傷者を運ぶ者。

 

 港の夜間扉を開ける者。

 

 書類上は脇役だった。

 

 だが、逃げる人間を受け入れるには、そういう者たちが必要になる。

 

 ジャミトフは名簿を閉じた。

 

「ワッケインか」

 

 誰も答えなかった。

 

 答える必要はなかった。

 

―――――

 

 海の下には、議会の怒号もデモの声も届かなかった。

 

 補給潜水艦の司令区画は狭く、天井の配管が低かった。古い塗装の匂いと、湿った金属の匂いが混じっている。最新鋭艦のような滑らかさはない。端末の灯りは少し黄ばんで見えた。

 

 通信士が振り返った。

 

「三回目の浮上通信、送信完了」

 

 老練な艦長がワッケインを見た。

 

「次の定時通信は」

 

 ワッケインは、少し間を置いてから言った。

 

「出さない」

 

 艦内が静かになった。

 

 潜水艦というものは、もともと静かな場所だ。だがその沈黙は、機械が静かなのとは違っていた。人間が自分の決断を聞き取っている沈黙だった。

 

 艦長は頷いた。

 

「それで、我々は行方不明になります」

 

「記録上は、そうなる」

 

 砂漠駐屯戦車隊出身の補給士官が、片隅で小さく笑った。

 

「砂漠で水を運んでいた頃より、海の下の方が涼しい」

 

 艦長が横目で見た。

 

「冗談を言う余裕があるなら十分だ」

 

 誰かが小さく息を漏らした。

 

 緊張がほんの少しだけほどけた。

 

 ワッケインは手元の名簿を閉じた。そこには、潜水艦隊、砂漠駐屯戦車隊、旧式輸送隊、衛生隊、港湾警備隊の協力者名が並んでいた。どの名前も、表の勲章とは縁遠い。だがどれも、人を動かすには欠かせない名前だった。

 

「ティターンズは、あなた方を時代遅れだと思った」

 

 誰も答えなかった。

 

 ワッケインは続けた。

 

「海を知る者がいる。港を知る者がいる。砂漠で水を配った者がいる。負傷者を運んだ者がいる。人を隠し、運び、食わせ、治療するには、そういう者が要る」

 

 艦長が静かに言った。

 

「我々は反乱軍ですか」

 

 ワッケインは、すぐには答えなかった。

 

 その問いは、軽く扱うには重すぎた。

 

「私は、連邦を捨てるつもりはない」

 

 艦長は、短く笑った。

 

「ティターンズは、そうは見ないでしょう」

 

「でしょうな」

 

 潜水艦の船体が、ゆっくりと深度を変えた。遠くで金属が小さく鳴る。

 

 ワッケインは、閉じた名簿に手を置いた。

 

「なら、ティターンズの見方が間違っている」

 

 艦長はそれ以上何も言わなかった。

 

 通信士が、送信装置を切った。

 

 表示灯が一つ消えた。

 

 その小さな消灯によって、彼らは連邦軍の管制から外れた。

 

―――――

 

 保護機構の家族区画には、空いた寝台が並んでいた。

 

 使われなかった食器が棚に残り、子どもの教材箱が一つ、椅子の下に置かれていた。教育予定表からは、いくつかの名前が消されている。消した跡はきれいではなかった。急いでいたのだろう。だが、必要なことは済んでいた。

 

 カーベル博士は、医療記録室で到着確認を見ていた。

 

 職員が端末を差し出す。

 

「全対象、到着確認が入りました」

 

 カーベルは画面に目を落とした。

 

 エリナ・フォルカーの母と弟。

 

 推進剤管理技師の家族。

 

 光学通信士の家族。

 

 整備班候補生の家族。

 

 医療、生活支援、教育、危険物管理者家族退避。それぞれ別の経路で動いた者たちに、到着済みの表示が付いている。

 

「全員か」

 

「全員です」

 

 カーベルは、しばらく何も言わなかった。

 

 職員は、待った。

 

 窓の外では、抗議の声が遠くで続いている。ここまで届く頃には、言葉の形は崩れ、ただ低い波のように聞こえた。

 

「所長、これで……」

 

 職員が言いかけた。

 

「終わったわけではない」

 

 カーベルは言った。

 

 職員は口を閉じた。

 

 カーベルは到着確認に印を入れた。指は少しだけ震えていた。疲れのせいか、安堵のせいか、自分でも分からなかった。

 

「だが、置いていった者はいない」

 

 それだけを言った。

 

 勝ったとは思わなかった。

 

 保護機構はもう元には戻らないだろう。カーベル自身も、無傷では済まないかもしれない。だが、母親と弟と、名前を持った家族たちは、まだ朝食を取れる場所に着いた。

 

 それは、戦果ではない。

 

 勲章にもならない。

 

 ただの到着確認だった。

 

 だが、その一行を得るために、どれほどの人間が沈黙し、息を止め、扉を開けたかを、カーベルは知っていた。

 

―――――

 

 その日、連邦議会は止まったままだった。

 

 議長は木槌を鳴らし続け、議員たちは互いを責め続けた。外ではデモの声が続き、報道席の記者たちは新しい言葉を探して端末を叩いていた。

 

 保護機構の入口には、まだその名が残っていた。

 

 保護。

 

 その言葉は、もうティターンズだけのものではなくなっていた。誰がそう決めたわけでもない。看板を掛け替えたわけでもない。ただ、そこにいたはずの家族が消え、空いた寝台と、使われなかった食器と、削除された教育予定だけが残った。

 

 海の下では、ワッケインの乗った潜水艦隊が沈黙航行に入っていた。

 

 艦長が言った。

 

「深度、維持します」

 

 ワッケインは短く頷いた。

 

「進め」

 

 それだけだった。

 

 誰かが勝ったわけではなかった。

 

 議会は止まり、ティターンズは怒り、連邦軍の一部は海の下へ消えた。保護機構は傷つき、カーベルは疑われ、ワッケインは戻らなかった。

 

 ただ、誰かを残していくことだけは避けられた。

 

 そのために、いくつもの扉が開き、いくつもの記録が正しく残され、いくつもの通信灯が消えた。

 

 夜明けの地上では、まだデモの声が続いていた。

 

 海の下には、その声は届かない。

 

 それでも、ワッケインはしばらく目を閉じていた。

 

 連邦を捨てたのではない。

 

 彼はまだ、そう思っていた。

 

 ただ、ティターンズの手の届く場所から、連邦の一部を移しただけだった。




というわけで ワッケイン陰謀編 終了しました。
エゥーゴは奪還に向かうのか、ジオンが動くのか。
まだ決めてません。
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