コロニー連合議会の公聴会場は、よく冷えていた。
空調の効きすぎた空気が、広い議場の上の方に薄くたまっている。各サイドの標章が壁に並び、中央には証言台が一つ置かれていた。そこだけが、照明を少し強く当てられている。まるで舞台の上に置かれた、逃げ場のない椅子のようだった。
議場は満席だった。
だが、歓迎の空気はなかった。
親連邦系の代表は腕を組み、中立派の代表は互いに小声で何かを確認していた。商業コロニーの代表たちは、手元の端末に視線を落としながら、時々こちらを見る。技術者代表の席には、作業着の上に正装用の上着を着た男たちが並んでいた。報道席では、すでに何十もの端末が待機状態になっている。
ギレン・ザビが入ってきた時、拍手はまばらだった。
黒い正装。飾りは少ない。背筋はまっすぐで、顔には疲れも高揚も見えなかった。
少し後ろにガルマが続く。彼はいつものように柔らかい雰囲気を残していたが、指先には緊張があった。
キシリアは左後方に立った。目だけで議場を測っている。誰が敵で、誰が迷っていて、誰が値段を考えているのか。彼女はそういうものを、声より先に読む。
セシリア・アイリーンは資料席へ向かった。端末を開き、議場の座席配置、代表者名、投票傾向、直近の交易依存度を順に表示させる。彼女の目は、演説より先に、その後の書類を見ていた。
議長が木槌を鳴らした。
「ジオン公国代表、ギレン・ザビ殿。コロニー連合議会は、貴殿に地球圏の資源配分、エネルギー供給、今後の連邦政府との関係、およびスペースノイド社会の将来について証言を求めます」
ギレンは一礼した。
深くはなかった。
証言台へ立つと、彼はすぐには話し出さなかった。議場全体をゆっくりと見渡す。正面、右側、左側、傍聴席、報道席。ひとつひとつの視線を、逃げずに受けた。
その沈黙のあいだに、議場の音が少しずつ小さくなった。
ガルマは、兄が場を待っているのではなく、場を自分のものにしているのだと感じた。
やがてギレンは口を開いた。
「証言を始める前に、一つだけ明らかにしておきたい」
声は低く、よく通った。
「私は、この議場へ許しを乞いに来たのではない」
議場のどこかで、椅子が小さく鳴った。
「宇宙に住む人間が、これから何を自分たちの手で決めるべきかを話しに来た」
ガルマは息を止めた。
兄は、最初から歩み寄るつもりがないのだと分かった。
―――――
正面のモニターに、地球の映像が映った。
青い海。白い雲。穀倉地帯。鉱山。港湾。軌道輸送施設。どれも美しく、どれも誰かの生活を支えているものだった。
ギレンは振り返らなかった。
「地球は母なる星である。美しい言葉だ」
彼はそう言った。
「だが、その言葉は長く、宇宙に住む人間へ請求書を突きつけるためにも使われてきた」
ざわめきが起こった。
親連邦系代表の一人が顔をしかめた。報道席では端末が動き出す。
「水、食料、海洋資源、希少金属、港湾使用権、軌道輸送。これらは人類の生命線であって、一政府の褒美ではない」
ギレンは一拍置いた。
「連邦は、地球の資源を人類全体の財産として扱わなかった。配給権として扱った。誰に与え、誰を待たせ、誰を従わせるか。その権限こそが、連邦の支配だった」
商業コロニー代表の数人が、そこで顔を上げた。
彼らにとって資源とは理念ではない。契約であり、価格であり、納期であり、港の順番だった。ギレンの言葉は、その一番硬い場所へ直接触れていた。
「私は地球を奪うとは言わない」
ギレンは言った。
「地球を壊せば、宇宙も痩せる。地球の住民が飢えれば、宇宙の工業も止まる。愚かな征服者は、自分が使う井戸へ毒を入れる」
議場が少し静かになった。
地球を敵として罵倒する言葉を待っていた者たちは、肩すかしを食ったような顔をした。
「我々が求めるのは、地球の資源をジオンへ差し出せという話ではない。資源の配分権を、一つの政府、一つの軍、一つの地球中心の官僚機構から、公開された議場へ戻せという話である」
ギレンはそこで、初めて少し声を硬くした。
「親連邦であることを罪とはしない」
議場のあちこちで、人が動いた。
「連邦を支持する自由はある。連邦と取引する自由もある。だが、ティターンズの兵站となりながら、この議場が確保した資源と航路の優先配分を受ける自由はない」
親連邦系代表の顔色が変わった。
ギレンは見ていた。
「生命維持に必要な水、空気、食料、医療を止めるつもりはない。それは政治以前の問題である」
そこで一拍置く。
「しかし、工業用エネルギー、希少金属、港湾使用権、航路優先権、追加輸送枠は違う。それらは、ここに残る者たちが負担を引き受け、守り、運び、管理するものだ」
議場はもう静まり返っていた。
「負担を拒む者に、優先権は発生しない」
ガルマは、兄がここで何をしているのか理解した。
演説ではない。
選別だった。
「この議場に残る者は、宇宙の配分と責任を共に負う」
ギレンの目が、親連邦系の席へ移った。
「去る者は、連邦の配分を受ければよい」
そして、静かに言った。
「残るか、去るか。今選べ」
議場の空気が変わった。
それまでそこは公聴会場だった。
その瞬間から、そこは宇宙の政治を決める場所になった。
―――――
モニターの映像が切り替わった。
太陽光発電施設。月面採掘設備。工業コロニー。核融合炉の制御室。軌道港を離れる貨客船。何本もの航路が、細い光のように表示される。
ギレンは、今度はほんの一瞬だけ、セシリアから送られた資料に目を落とした。
セシリアは端末の画面を静かに操作していた。発電量、燃料備蓄、ヘリウム3輸送、工業コロニーの稼働率、食料冷却に必要な電力量。数字は冷たい。だが、その裏にあるものは冷たくない。人が食べ、眠り、病院で治療を受け、子どもが学校へ行くための数字だった。
ギレンは顔を上げた。
「エネルギーの独立なくして、政治の独立はない」
その一言で、議場がまた静かになった。
「宇宙に住む者が、発電、燃料、輸送、補給のすべてについて地球の承認を待つなら、その社会は独立していない。旗を持っていても、議会を持っていても、港の使用許可を待つ限り、それは従属である」
技術者代表が、じっとギレンを見ていた。
商業コロニー代表たちは、端末に何かを書き込み始めた。損得の計算だろう。だがその計算は、すでにこれまでの市場価格だけでは済まなくなっていた。
「太陽光発電、核融合、月面資源、宇宙工業、ヘリウム3、軌道上の輸送網。これらは軍事のためだけにあるのではない」
ギレンは続けた。
「子どもが眠る居住区に空気を送り、工場を動かし、病院を保ち、食料を冷やすためにある」
ガルマは、そこで傍聴席の一角を見た。
若い母親が、膝の上に小さな子どもを座らせていた。子どもは演説など分からない。ただ照明の下で眠たそうに目をこすっている。その子どももまた、空気と電力と水の上で眠っている。
「宇宙側は、地球依存を減らさねばならない」
ギレンは言った。
「だが、地球との物流を断つ必要はない。断絶ではなく、再交渉である」
キシリアは、兄の横顔を見た。
再交渉。
柔らかい言葉だった。だが、その内側には力がある。交渉するためには、相手が必要とするものを持たねばならない。航路。船。港。燃料。救難。補給。
ギレンはそこまで言わない。
言わないことによって、言葉が広がる。
「大気圏を往復できる船、救難艇、避難艇、民間貨客船、補給船。それらは軍艦よりも先に、人の生活を支える」
セシリアの指が端末の上で止まった。
救難艇。
避難艇。
民間貨客船。
補給船。
その言葉を、彼女は別の欄へ移した。演説が終われば、それらは書類になる。登録変更、契約、航路申請、保険、名義、乗員表。ギレンが公の場で言わなかった船の名前が、彼女の頭の中で静かに並んでいく。
「航路を握る者が政治を握る」
ギレンは言った。
「だからこそ、航路を一つの軍に預けてはならない」
その言葉は、ティターンズだけでなく、連邦の輸送官僚にも向けられていた。
―――――
背後のモニターに、ダカールの映像が映った。
止まった議会。
議場外のデモ。
保護機構の報道。
どれも無音だった。だが、そこに音がなくても、人々はその映像の意味を知っていた。
ギレンは振り返らなかった。
「ジオン公国は、連邦政府との交渉を拒まない」
議場がはっきり揺れた。
親連邦系の代表者たちが互いに顔を見合わせる。報道席では、一斉に端末が動いた。
「しかし、ティターンズを交渉窓口とは認めない」
今度のざわめきは大きかった。
議長が木槌に手をかけたが、鳴らさなかった。鳴らせば、ギレンの言葉を止めた側になる。彼はそれを理解していた。
「議会を止め、技術者を囲い、家族を圧力材料にし、軍用シャトルの失態を隠し、政治家の言葉を後から縛る組織を、人類代表とは呼べない」
親連邦系代表が厳しい顔をした。
だが、すぐには反論できなかった。
ギレンは彼らを見なかった。視線は議場全体に向けられている。
「連邦が連邦であり続けたいなら、まず軍を政治の下へ戻せ」
その言葉は、鋭く入った。
「軍が議会を動かすのではない。議会が軍を動かす形へ戻せ」
キシリアは目を細めた。
兄は、連邦を完全には否定していない。むしろ、連邦の中に残る者たちへ逃げ道を作っている。ティターンズと連邦政府を分ける。軍服を着た権力と、まだ政治の名を持つものを分ける。その分け方こそが、相手の内側を割る刃になる。
「我々は交渉を拒んでいない」
ギレンは言った。
「拒んでいるのは、軍服を着た者が、人類全体の未来を勝手に配分する権利である」
ガルマは、胸の奥が少し冷たくなるのを感じた。
兄の言葉は穏やかに聞こえる場所を持っている。だが、その穏やかな場所の下には、鉄のようなものがある。相手が踏めば、音が鳴る。
議場のどこかで、親連邦系の代表が小さく息を吐いた。
彼らは理解したはずだった。
ギレンは連邦を一枚の敵として扱っていない。
それは優しさではない。
切り分けるためだった。
―――――
議場は、次第に静かになっていった。
沈黙は賛同ではない。拒絶でもない。人々が、自分に向けられた言葉をどこに置けばよいのか探している沈黙だった。
ギレンは、傍聴席へ視線を向けた。
そこには、各サイドから来た市民代表がいた。工場労働者、医療関係者、学生、移民二世、商業組合の若い代表。彼らは議員ではない。だが、宇宙で暮らす人々だった。
「宇宙移民とは、地球から追い出された者の名ではない」
ギレンは言った。
その声は、先ほどより少し低かった。
「人類が、地球一つに寿命を預けないために選んだ姿である」
議場の空気が動かなかった。
誰も咳をしない。
誰も端末を叩かない。
「我々は、地球の外に捨てられたのではない。我々は、人類の生存範囲を広げた。空気を作り、水を循環させ、土を運び、光を集め、鋼鉄の筒の中で子を育てた」
ガルマは、傍聴席の子どもを見た。
眠たそうだった子どもは、母親の袖を握ったまま、ギレンを見ていた。言葉の意味は分からないだろう。それでも、議場の空気が変わったことは分かるのかもしれなかった。
「それを従属と呼ぶ時代は終わった」
ギレンの声が、議場の奥まで届いた。
「スペースノイドは、地球に許可された住民ではない。人類の未来を分担する民である」
セシリアは、端末を打つ手を止めた。
数字ではない言葉だった。
だが、それは数字を動かす言葉でもあった。人が自分をどう呼ぶかで、契約の形も、税の形も、軍の形も変わる。従属民と呼ばれる者に与えられる配分と、未来を分担する民が求める配分は違う。
「だからこそ、資源を語らねばならない。エネルギーを語らねばならない。航路を語らねばならない。軍事力を語らねばならない。外交権を語らねばならない」
ギレンは一つずつ言葉を置いた。
「誰かが与えるまで待つのではない。この議場で、自分たちの言葉で決めねばならない」
キシリアは、兄がここで思想を語っているのではないことを理解していた。
これは定義だった。
何者であるかを決める言葉だった。
自分たちを何と呼ぶか。
その名を誰に許されるのか。
あるいは、誰にも許されず自分で名乗るのか。
ギレンは、それをこの議場へ突きつけていた。
―――――
ギレンは、最後にもう一度、議場全体を見渡した。
そこには敵もいた。味方もいた。まだどちらにもなれない者もいた。利益を計算する者、恐れている者、怒っている者、感動している者、疑っている者。人間は一種類ではない。議場とは、本来そのためにある。
「我々は、地球を奪いに来たのではない」
彼は言った。
その言葉は、静かだった。
「地球を、地球だけのものにしてきた時代を終わらせに来た」
誰も動かなかった。
「人類の未来を、地球だけに預ける時代を終わらせに来た」
ガルマは、兄の横顔を見た。
怖い人だと思う。
だが、ただ怖いだけではなかった。
兄は、勝利の話だけをしているのではない。宇宙で人が暮らし、食べ、眠り、働き、子どもを育てるための話をしている。けれどそのためなら、兄は迷わず誰かを切るのだろう。ガルマはその両方を同時に感じた。
ギレンは続けた。
「この議場が、その未来を語る場所になるのか。それとも、地球の顔色をうかがう待合室で終わるのか。それは、私ではなく、ここにいる諸君が決めることだ」
そこで彼は、一礼した。
「以上である」
拍手はすぐには起こらなかった。
まず、沈黙があった。
歓迎でも拒絶でもない沈黙。人が大きなものを見たあと、その輪郭を自分の中で測るための沈黙だった。
やがて、どこかで小さな拍手が鳴った。
それはすぐに広がらなかった。ところどころで起こり、止まり、また別の場所で起こる。議場全体がひとつになることはなかった。
ギレンはそれでよいと思っていた。
全員が同時に拍手する議場など、信用できない。
彼は証言台を離れ、自分の席へ戻った。
―――――
ギレンが席に戻ると、ガルマは小さな声で言った。
「兄上は、地球を敵だとは言わなかったのですね」
ギレンは答えなかった。
代わりに、キシリアが言った。
「敵にするより、配分を議場へ引きずり出す方が残酷な時もある」
ガルマはキシリアを見た。
キシリアは議場を見ていた。親連邦系代表の席、商業コロニーの席、中立派の席。誰がすぐ立つか、誰が迷うか、誰が自分の利益を守るために言葉を選ぶか。彼女はそれを数えていた。
セシリアは端末から目を上げずに言った。
「演説の後は、書類が必要になります」
ガルマが尋ねる。
「どんな書類ですか」
「救難船の登録変更、民間輸送契約、航路使用の覚書、補給権の再確認。必要なら、避難艇と貨客船の名義整理も」
セシリアは淡々と言った。
「言葉を動かすには、船と港が要ります」
キシリアは薄く笑った。
「兄上は、そこまでは言わなかった」
セシリアはようやく顔を上げた。
「言わないために、私たちがいます」
ガルマは黙った。
その言葉の意味は、以前より少し分かるようになっていた。兄が演説で開けた場所へ、キシリアが軍事と諜報を通し、セシリアが契約と名義を通す。自分は何を通すのだろう、とガルマは思った。
人の心かもしれない。
それが役に立つのかどうかは、まだ分からなかった。
議場では、代表者たちが発言札を立て始めていた。
親連邦系代表。
商業コロニー代表。
技術者代表。
中立派代表。
移民代表。
それぞれが、別々の不安と別々の欲を持っていた。
議長が木槌を鳴らす。
「ギレン・ザビ殿の証言を受け、これより質疑に移ります」
ギレンは姿勢を崩さなかった。
演説は終わった。
だが、公聴会はここから始まる。
議長が発言札を確認した。
「まず、サイド二代表より質問を許します」
議場が、ようやく本当の音を取り戻した。