妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第210話 去る自由

 

 公聴会場は、演説が終わったあともしばらく静かだった。

 

 静けさには種類がある。眠っている水面のような静けさもあれば、雷のあとに残る静けさもある。そのときの議場にあったのは、後者に近かった。誰もがさきほど聞いた言葉の重さを、自分の中で量り直していた。

 

 ギレン・ザビの声はもう途切れていた。

 

 けれど、その声が置いていったものは、まだ議場のあちこちに残っていた。各サイドの標章が掲げられた壁面、代表たちの机、報道席の端末、傍聴席の硬い椅子。どこを見ても、まだ言葉の影が付いているようだった。

 

 議長は、手元の木槌を見た。

 

 鳴らせば、この静けさは終わる。

 

 だが、鳴らさなければ、公聴会そのものが止まる。

 

 議長は短く息を吸い、木槌を打った。

 

「ギレン・ザビ殿の証言を受け、これより質疑に移ります」

 

 乾いた音が、議場に広がった。

 

 代表席のいくつかで発言札が立った。札は小さな板にすぎない。だが、その向こうには、コロニーの住民がいた。港があった。病院があった。工場があった。空気を循環させる装置があり、食料を冷やす倉庫があり、子どもたちが眠る居住区があった。

 

 ギレンは席から立ち上がり、再び証言台へ向かった。

 

 ガルマは、その背中を見ていた。

 

 兄は疲れているようには見えなかった。勝ち誇っているようにも見えなかった。ただ、次の手順へ移る人間の顔をしていた。歩幅は変わらない。視線も揺れない。証言台の前に立つと、彼はまた議場全体を見た。

 

 キシリアは、発言札を立てた代表たちの顔を順に見ていた。

 

 怒っている者。計算している者。自分の後ろにいる企業と住民を思い出している者。誰かに見られていることを気にしている者。キシリアは、声よりも先にそういうものを読む。

 

 セシリア・アイリーンは、端末に新しい一覧を開いた。

 

 参加。

 

 保留。

 

 離脱見込み。

 

 まだ項目は空だった。

 

 議長が最初の発言者を指名した。

 

「ロシュフォール代表、発言を許します」

 

 議場の一角で、一人の男が立ち上がった。

 

 ロシュフォールは、サイド2・ハッテ第六バンチにある商業コロニーだった。連邦系の保険会社、航路管理会社、港湾金融、商業仲裁機関が多く集まる場所である。住民の多くはジオンを警戒していた。だが、ティターンズを全面的に信じているわけでもない。ただ古い契約と市場を失うことを恐れていた。

 

 代表の男は、細身で背が高かった。白髪が混じっているが、姿勢は崩れていない。濃い灰色の上着には派手な装飾がなく、胸元にロシュフォールの小さな徽章だけが付いていた。

 

 彼は証言台のギレンをまっすぐ見た。

 

「ギレン・ザビ殿。先ほどの発言は、選択の提示ではありません」

 

 声は低く、整っていた。

 

「ジオンによる恫喝です。我々ロシュフォールには、連邦との関係を維持する権利があります」

 

 議場がざわめいた。

 

 いくつかの代表席で小さく頷く者がいた。別の席では、目を伏せる者もいた。誰もがその問いを待っていた。だが、実際に言葉になると、空気は少し硬くなった。

 

 ギレンはすぐには答えなかった。

 

 ロシュフォール代表を見る。

 

 それから短く言った。

 

「ある」

 

 議場は静まった。

 

 代表の顔に、一瞬だけ戸惑いが浮かんだ。否定されると身構えていたのだろう。だが、ギレンは否定しなかった。

 

「連邦を支持する権利も、連邦と取引する権利もある。私はそれを否定していない」

 

 その声は穏やかだった。

 

 穏やかだからこそ、次に来る言葉の冷たさが、ガルマには予感できた。

 

―――――

 

「だが」

 

 ギレンは言った。

 

「もしジオンとティターンズが本格的な戦争状態に入った場合、親連邦という立場は、演説の看板では済まなくなる」

 

 ロシュフォール代表は顎を上げた。

 

「脅しですか」

 

「違う。宇宙の生活条件の話だ」

 

 ギレンは、そこだけ少し声を硬くした。

 

 議場の照明は変わらない。壁の標章も、代表席の並びも、報道席の端末の光も変わらない。だが、空気は明らかに変わった。

 

 外交姿勢の話が、生命維持の話へ移ったのだ。

 

「宇宙で孤立するコロニーは死ぬ」

 

 ギレンは言った。

 

 余分な飾りのない言葉だった。

 

「水も、空気も、食料も、医療品も、港も、航路も、一つのコロニーだけでは守れない」

 

 ロシュフォール代表は口を開きかけた。

 

 しかし、言葉は出なかった。

 

「連合の合意に逆らうということは、あなた個人が孤立することではない。ロシュフォールの住民に、孤立の代価を払わせるということだ」

 

 ギレンは代表の目を見ていた。

 

 逃がさない目だった。

 

「あなたの信念で、住民の空気を賭けるのか」

 

 議場のどこかで、誰かが息を呑んだ。

 

 それは小さな音だった。だが、不思議なほどはっきり聞こえた。

 

 ガルマは胸の奥が重くなるのを感じた。

 

 兄の言葉は正しい。宇宙で孤立するコロニーは死ぬ。それは誰もが知っている。子どもでも知っている。空気は壁から自然に湧いてこない。水は床下から無限に出てこない。食料も、医療品も、部品も、どこかから運ばれてくる。

 

 けれど、それを人の顔を見て言うことは簡単ではない。

 

 ロシュフォール代表は手元の端末に目を落とした。

 

 おそらくそこには、自分のコロニーの人口、備蓄日数、港湾処理量、医療品の在庫、工業稼働率が並んでいるのだろう。政治的な言葉は、そういう数字の前で重さを変える。

 

 ロシュフォールは大きなコロニーではない。

 

 だが、港を持っている。保険と航路管理の会社を持っている。貨物の流れを記録し、事故の責任を計算し、船舶の信用を売り買いする人間たちがいる。

 

 それは強みでもあった。

 

 同時に、孤立した時には弱みでもあった。

 

 契約は相手がいて初めて生きる。航路は通る船があって初めて航路になる。港は開いていても、誰も来なければただの壁に変わる。

 

「それを分かった上で、発言しているのだな」

 

 ギレンは言った。

 

 ロシュフォール代表は答えなかった。

 

 答えないこともまた、答えだった。

 

―――――

 

「では、反対するコロニーは切り捨てられるのですか」

 

 ロシュフォール代表は、ようやくそう言った。

 

 声から最初の勢いは消えていた。だが、まだ立っていた。彼にも背負うものがあるのだろう。簡単に座るわけにはいかない。

 

 ギレンは頷かなかった。首も振らなかった。

 

「反対する自由はある。去る自由もある」

 

 議場が揺れた。

 

 去る自由。

 

 その言葉は、自由という名前をしていた。だが、その下にあるものは重かった。

 

「この議場は、反対者を拘束しない」

 

 ギレンは続けた。

 

「ただし、連合の共同配分に参加しないコロニーが、連合の優先配分を受けることはできない」

 

 商業コロニーの代表たちが、いっせいに端末へ目を落とした。

 

 セシリアの指も動いた。

 

 猶予期間。

 

 移住申請。

 

 資産移転。

 

 企業登記変更。

 

 港湾使用権切替。

 

 臨時輸送便。

 

 医療機関移転。

 

 工業組合登録。

 

 彼女はそれらの項目を、迷いなく入力していく。ギレンの言葉は、彼女の手元で制度へ変わりつつあった。

 

「猶予期間を一か月置く」

 

 ギレンは言った。

 

 その具体的な時間が出た瞬間、議場の空気が変わった。

 

 怒りではなく、計算が始まった。

 

 一か月。

 

 短い。

 

 だが、ゼロではない。

 

 人間は一か月で荷物をまとめられる。企業は一か月で登記先を変えられる。病院は一か月で医薬品の納入先を見直せる。港湾業者は一か月で船舶保険と使用契約を組み替えられる。もちろん、すべてが円滑に進むわけではない。揉める。泣く。怒る。裏切る。金が動く。噂が流れる。だが、それでも時間は与えられる。

 

「その間に、各コロニーは住民、企業、医療機関、港湾業者、工業組合へ選択を示せ」

 

 ギレンは議場を見渡した。

 

「残る者は、連合の配分と負担を受け入れる。去る者は、連邦の配分を受ければよい」

 

 一拍置く。

 

「これは追放ではない。連合の決めた自由である」

 

 その言葉を、議場の多くが飲み込もうとしていた。

 

 だがギレンは、そこで少しだけ冷たく付け加えた。

 

「ただし、自由には輸送費がかかる」

 

 小さなざわめきが起こった。

 

 セシリアは、そこでわずかに口元を動かした。

 

 笑ったのではない。

 

 ただ、言葉が書類になる速度を計算している顔だった。

 

 キシリアは、その横顔を一瞬見た。

 

 この一か月で人が動く。

 

 物が動く。

 

 金が動く。

 

 そして情報が動く。

 

 親連邦コロニーの政府が連邦を選んでも、住民や企業や病院が同じ選択をするとは限らない。工場は電力を求める。港湾業者は航路を求める。病院は医療品を求める。若い世代は、未来のある場所へ流れるかもしれない。

 

 ギレンは武力で席を奪わない。

 

 ただ、椅子の下にある床を動かした。

 

―――――

 

 次に立ったのは、別の商業コロニーの代表だった。

 

 彼は怒っていなかった。

 

 怒っていない人間の質問ほど、場合によっては厄介なものはない。怒りは読める。怒りには熱がある。熱は時間とともに下がる。だが、計算には温度がない。

 

 代表はゆっくりと立ち、襟元を直した。

 

「ギレン・ザビ殿。それは、反対コロニーへの経済制裁ではありませんか」

 

 ギレンは即答した。

 

「違う。優先配分を受ける条件の明文化である」

 

 商業代表は目を細めた。

 

「物資を止めないと保証できますか」

 

「生命維持に必要な水、空気、最低限の食料、医療品は止めない」

 

 ギレンは言った。

 

「それは政治以前の問題である」

 

 議場のどこかで、少しだけ空気が緩んだ。

 

 小規模コロニーの代表たちが、互いに顔を見合わせた。彼らにとって最も恐ろしいのは、理想や戦略ではない。明日の空気であり、来週の食料であり、病院の冷蔵庫に残る医薬品だった。

 

 ギレンは続けた。

 

「だが、工業用エネルギー、希少金属、港湾使用量、航路優先権、追加輸送量、軍需転用可能な資材は違う。それらは共同体の負担によって守られる」

 

 商業代表の補佐官たちが、数字を打ち込み始めた。

 

 工業用エネルギー。

 

 港湾使用量。

 

 追加輸送量。

 

 それは彼らにとって、血液の流れに等しい。止まれば死ぬとは限らない。だが、弱る。遅れる。競争に負ける。工場が止まり、契約が失われ、倉庫に人が余る。

 

「参加しない者を罰するのではない」

 

 ギレンは言った。

 

「参加する者を先に救う」

 

 商業代表はしばらく黙っていた。

 

 そして、ゆっくりと座った。

 

 反論を諦めたのではない。

 

 計算に入ったのだ。

 

 セシリアは、その代表の名の横に小さな印を付けた。

 

 残る可能性が高い。

 

 商業は感情で動かない。条件が冷たくても、読める条件なら動く。

 

 ガルマは、商業代表の顔を見た。

 

 怒りも忠誠もない顔だった。だが、その顔には生活があった。数万人分の雇用があり、貨物の遅延があり、保険料があり、港で働く人々の給金があった。

 

 兄はそれを見ている。

 

 たぶん、見たうえで切るところは切るのだ。

 

 ガルマはそう思った。

 

―――――

 

 小規模コロニーの代表が立った。

 

 前の二人ほど声は強くなかった。年齢も若い。議場の中央で立つことに慣れていないのが、肩の動きに出ていた。それでも彼は立った。

 

「我々のような小さな居住区では、企業や港湾業者だけが動くわけではありません」

 

 彼は言った。

 

「老人も、子どもも、病人もいます。彼らは一か月で何を選べばよいのでしょうか」

 

 議場の傍聴席が静かになった。

 

 ガルマは、その代表を見た。

 

 この質問には怒りがない。計算もない。ただ、不安があった。自分のコロニーの住民の顔を思い浮かべながら立っている人間の声だった。

 

 ギレンもそれを感じ取ったのか、少しだけ声を落とした。

 

「全員が移動する必要はない」

 

 小規模代表は顔を上げた。

 

「コロニー政府、企業、医療機関、個人、それぞれの選択を認める。連合に残る者の移住と登記を受け付ける。去る者も止めない」

 

 議場がざわめいた。

 

 これは、コロニー単位だけの選択ではない。

 

 政府が去っても、企業は残れる。

 

 代表が去っても、住民は残る場所を選べる。

 

 それは親連邦コロニーの内部に、亀裂を入れる言葉でもあった。

 

「ただし」

 

 ギレンは続けた。

 

「各コロニー政府は住民へ選択条件を示さねばならない。隠すことは許されない」

 

 小規模代表が尋ねた。

 

「住民投票を求めるのですか」

 

「方法は各コロニーに任せる」

 

 ギレンは言った。

 

「ただし、住民が知らぬまま代表者だけが未来を売ることは認めない」

 

 ガルマは、その言葉に反応した。

 

 兄は怖い。

 

 だが、住民を完全な数字として扱っているわけではない。選択は残酷だ。けれど、その選択を知らされないまま生きる方がもっと残酷だと、兄は考えているのだろう。

 

 キシリアは別のことを考えていた。

 

 住民へ条件を示せば、親連邦コロニーの内部は揺れる。情報が出る。反対派が動く。企業が動く。資産が動く。亡命ではなく、移住と登記という名で、人と金が流れ始める。

 

 兄は、議場の中で戦っているように見える。

 

 しかし本当は、各コロニーの内部へ手を伸ばしている。

 

 その手は剣ではない。

 

 もっと静かで、もっと避けにくいものだった。

 

 小規模代表は、しばらく黙ってから頭を下げた。

 

「記録に残してください。我々は、生命維持物資の最低保証を求めます」

 

 議長が答えた。

 

「記録します」

 

 セシリアは端末に新しい項目を加えた。

 

 生命維持保証。

 

 その横に、食料、水、空気、医療品、と小さく入力する。

 

 それは優しさではない。

 

 だが、政治が人間を殺さないための最低線だった。

 

―――――

 

 質疑はそこでいったん止まった。

 

 止まったというより、議場が次の段階へ進まざるを得なくなった。

 

 議長は木槌を持ち直した。手の甲に薄く血管が浮いている。彼もまた、自分が今から何を言うのかを理解していた。

 

 木槌が鳴った。

 

「本議場は、資源、エネルギー、航路、港湾使用量、追加輸送量の共同配分に関する暫定協議へ移行します」

 

 議場は静まり返った。

 

「参加しない代表は、ここで退席を認めます」

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 時計の針だけが進んでいた。空調の音が、やけに大きく聞こえた。

 

 やがて、親連邦強硬派の代表が一人、立ち上がった。

 

「我々は、この恫喝に加わらない」

 

 彼はそう言い、資料をまとめた。

 

 ギレンは止めなかった。

 

 議長も止めなかった。

 

 その代表は座席を離れ、通路を歩いていった。靴音が議場に響く。硬い音だった。しばらくして、別の代表が立った。さらに二人が続いた。

 

 立ちかけた代表がいた。

 

 彼は机に手をつき、半分だけ腰を上げた。そのまま数秒動かなかった。隣の代表が小声で何かを言った。彼は歯を食いしばり、ゆっくりと座り直した。

 

 商業コロニー代表は、最後まで端末を見ていた。

 

 補佐官が差し出した数字を確認し、短く頷く。

 

「条件が文書化されるなら、我々は残る」

 

 彼はそう言った。

 

 中立派代表も発言した。

 

「生命維持保証の条項を求める」

 

 議長が答える。

 

「記録します」

 

 小規模コロニー代表は、手を膝の上で握りしめたまま座っていた。顔色は悪い。だが立たなかった。

 

 親連邦系の座席にも、残る者がいた。

 

 彼らは下を向いていた。自分たちが何を選んだのかを、まだ言葉にできていないようだった。

 

 キシリアは、去った者ではなく、残った親連邦系代表を見ていた。

 

 去った者は分かりやすい。

 

 残った者の方が、複雑で、危険で、使える。

 

 セシリアは、残留代表の名を正式な一覧へ移した。

 

 参加コロニー。

 

 暫定配分協議。

 

 生命維持保証。

 

 工業用エネルギー。

 

 港湾使用量。

 

 航路協力。

 

 移住申請。

 

 資産移転。

 

 臨時輸送便。

 

 救難・避難用船舶登録。

 

 空欄だった一覧は、もう空欄ではなくなっていた。

 

 議場が割れたことで、初めて書き込めるようになったのだ。

 

―――――

 

「本公聴会は、ここに終了します」

 

 議長はそう告げた。

 

「残留代表による暫定配分協議は、別途招集します」

 

 木槌が鳴った。

 

 その音は、開始の音とは違って聞こえた。公聴会を閉じる音であり、同時に別のものを始める音でもあった。

 

 退席した代表たちの足音は、まだ廊下に残っていた。

 

 議場の中では、残った代表たちが端末を開き始めている。誰も勝った顔はしていない。むしろ、多くは疲れた顔をしていた。残るという選択は、安心ではなかった。責任を引き受けるということだった。

 

 ギレンが立ち上がった。

 

 ガルマは、迷った末に小さく尋ねた。

 

「兄上、あれでよかったのですか」

 

 ギレンは歩みを止めずに答えた。

 

「全員が残る議場など、役に立たん」

 

 ガルマは黙った。

 

 ギレンは続けた。

 

「残った者で、決めればよい」

 

 その言葉は冷たかった。

 

 だが、どこかで正しかった。

 

 全員を納得させようとする議場は、たいてい何も決められない。全員に同じ顔を向ける政治は、いちばん弱い者を置き去りにすることがある。ギレンはそういうものを信用していないのだろう。

 

 キシリアが横から言った。

 

「一か月で、ずいぶん動くでしょうね」

 

 セシリアは端末を閉じなかった。

 

「人も、物も、金も動きます」

 

 ギレンは短く言った。

 

「動くものだけが、残る場所を選べる」

 

 ガルマは、その言葉を聞いて議場を振り返った。

 

 去る者たちの座席は空いていた。残った者たちは、すでに別の表を見ていた。

 

 この一か月で、多くの家庭が動くのだろう。

 

 誰かが荷物をまとめる。誰かが工場の登記を変える。誰かが病院の薬品契約を見直す。誰かが港の使用権を選び直す。誰かが、住み慣れたコロニーを離れる。

 

 自由という言葉は、美しい。

 

 だが、その自由には輸送費がかかる。

 

 ギレンの言葉が、ガルマの中で静かに沈んでいった。

 

―――――

 

 廊下には、去る者たちの足音がしばらく残った。

 

 足音は少しずつ遠ざかり、やがて空調の音に紛れた。報道席の記者たちは、見出しを作るために端末を叩き続けている。

 

「見出しは?」

 

 一人の記者が隣に聞いた。

 

「宇宙議会、分裂」

 

 別の記者が言った。

 

 少し考えてから、首を振る。

 

「違うな」

 

「では?」

 

「宇宙議会、選別開始」

 

 その言葉は、速報の仮見出しとして端末に打ち込まれた。

 

 議場の中では、残った代表たちの名前で最初の配分表が作られ始めていた。

 

 生命維持物資の最低保証。

 

 工業用エネルギーの暫定量。

 

 港湾使用順。

 

 航路警備への負担。

 

 追加輸送量。

 

 移住申請の受付。

 

 救難・避難用船舶の登録。

 

 それらは、まだ空白の多い表だった。

 

 だが、空白があるということは、そこに何かを書き込めるということでもあった。

 

 ギレンは振り返らずに議場を出た。

 

 キシリアが続き、セシリアが端末を抱えて歩く。ガルマは一度だけ、議場を見た。

 

 残った者たちは、誰も歓声を上げていなかった。

 

 その沈黙が、ガルマには妙に重く、そして少しだけ頼もしく見えた。

 

 一か月の猶予は、猶予というより、宇宙の住民が自分の未来を選ぶための短い呼吸だった。

 

 その呼吸が終わった時、宇宙はもう、同じ議場には戻れない。

 

 

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