ニュース端末の下で、今日も数字が動いていた。
連邦通貨が下がる。
宇宙通貨が上がる。
食料価格が上がる。
燃料費が上がる。
輸送費が上がる。
つまり、上がってほしくないものばかりが上がっている。こういう時に限って、アムロの気分だけは素直に下がるのだから、世の中というものは、なかなか都合よくできていない。
「またお金の話か……」
アムロは、整備用の小さな工具を持ったまま、かなり疲れた声で言った。
その声は、最近よく聞く声だった。FXの時も聞いた。暗号通貨の時も聞いた。部材株のTOBの時にも、ほぼ同じ声だった。アムロは機械の不具合には強い。原因を見つけ、分解し、直せるものなら直す。だが、お金の不具合は、どこを分解すればいいのか分からない。そこがいちばん嫌なのだ。
ミライは湯呑みを両手で包み、画面を見ていた。
「でも、生活費の話でもあるのよ」
「生活費って言われると、逃げ場がないな」
「逃げられないわよ。食べるんだから」
ミライの声は穏やかだったが、内容は容赦がなかった。生活感というものは、たまにビーム兵器より強い。
セイラは端末の金融欄を指で送った。
「連邦債の利回りが上昇。宇宙開発関連債にも売り。コロニー連合債、一部銘柄に売り」
アムロは首をかしげた。
「債券って、株と違うのか?」
その一言を聞いた瞬間、ララァが端末から顔を上げた。
「オジキが話しています」
アムロの表情が、目に見えて曇った。
「またか」
「はい」
ララァは、まったく悪びれずにうなずく。
「今日は紙のお話です」
「紙?」
アムロは、すでに嫌だった。
ララァが紙と言う場合、たいてい本当に紙ではない。株の時も、石の時も、通貨の時も、彼女は妙に簡単な言葉で核心に近いところを刺してくる。だから今回の紙も、たぶんただの紙ではない。たぶん債券だ。債券を紙と言い切る子に金融商品を触らせていいのか。よくない。結論は出ている。しかし、結論が出ていることと、現実が止まることは、残念ながら別だった。
ニュース画面が切り替わった。
アナウンサーが、少し硬い笑顔で横を向く。
「それでは、このインフレと債券市場の動きについて、エコノミストのアサクラさんに解説していただきます」
ララァが、ほんの少し嬉しそうに言った。
「オジキです」
アムロは天井を見た。
「エコノミストのアサクラさん、だろ」
ミライが笑った。
「もう訂正しても勝てないわね」
――――――――――
「いいですか皆さん!」
アサクラさんは、最初から机を叩きそうな勢いだった。
実際には叩いていない。だが叩いていないのに、何かを叩いたような音がする気がする。そういう人である。
「債券というのは難しいものではありません!」
「要するに、お金を貸した証文です!」
「誰かにお金を貸す! すると相手は、毎年利息を払い、期限が来たら元本を返す!」
「これが債券です!」
アムロは少し驚いた。
「珍しく分かりやすい」
「珍しく、は余計じゃない?」
ミライが笑う。
ララァは真顔で言った。
「紙にお金を貸します」
「紙には貸さない!」
アムロは反射的に突っ込んだ。
セイラが、落ち着いた声で補う。
「国や企業やコロニーに貸すのよ。その貸した証拠が債券」
「つまり、借金の紙を売り買いしてるのね」
ミライが言う。
「そう考えればいいわ」
セイラはそう言ってから、少しだけ端末を指で叩いた。
画面の中のアサクラさんは、二枚の紙を取り出していた。片方には二%。もう片方には八%と大きく書いてある。たいへん分かりやすい。分かりやすいのだが、なぜだろう。分かりやすい紙ほど、人を追い詰めることがある。
「いいですか皆さん! インフレになると、現金の価値は減っていく!」
「株は、会社や物の値段についていくことがある!」
「しかし債券は違う!」
「昔、低い利率で発行された債券は、インフレと金利上昇の時代には嫌われる!」
アムロが眉を寄せた。
「何で?」
「ここです!」
アサクラさんは、二枚の紙を画面に近づけた。
「古い債券は年二%の利息!」
「新しい債券は年八%の利息!」
「どちらが欲しいですか!」
ミライが、あっさり言った。
「それは八%の方よね」
「そう!」
画面の中のアサクラさんは、まるでミライから直接正解をもらったかのように、力強くうなずいた。
「だから二%の古い債券は、安くしないと買ってもらえない!」
「債券価格が下がる!」
「すると、その安い値段で買った人にとっては利回りが上がる!」
ララァがぽつりと言った。
「利息が太ります」
「太らせるな!」
アムロが叫ぶ。
セイラは少しだけ笑った。
「でも、意味は近いわ。安く買えば、受け取る利息の割合が大きく見える」
「だから債券は、金利が上がると価格が下がる!」
アサクラさんは止まらない。
「株が上がる横で、債券が叩き売られることもある!」
「インフレ、株高、債券安!」
「これを知らずに投資してはいけません!」
アムロは小さく息を吐いた。
「今日のオジキ、またまともだな」
ララァがうなずく。
「まっすぐです」
「うるさいけどな」
アムロが返した。
その時、ニュース速報の音が鳴った。
ぴん、と高い音がして、画面の下に赤い帯が走る。
部屋の空気が少し変わった。
――――――――――
「速報です。コロニー・ロシュフォール評議会は、コロニー連合からの脱退を検討していると発表しました」
画面が切り替わる。
中規模コロニーの外壁が映る。
港湾ドック。
水再生プラント。
食料区画。
精密部材の工場。
そこには派手なものはなかった。大きな軍港でもない。豪華な議事堂でもない。働く人がいて、貨物が入り、水が再生され、食料が育てられ、部品が削られている。そういう場所だった。明日もきちんと動いていないと、誰かが本当に困る場所。
「ロシュフォール公共債は急落。市場では連合保証対象から外れる可能性が意識され、利回りが急上昇しています」
アムロが聞く。
「脱退って、そんなに大ごとなのか?」
「連合の保証から外れるなら大ごとよ」
セイラが答える。
「今まで“連合が支える”と思われていた債券が、ロシュフォール単独の借金になる」
「つまり、急に信用が落ちるのか」
「そう」
ララァは画面をじっと見ていた。
「このコロニーは、壊れていません」
アムロがそちらを見る。
「え?」
「港も動いています。水も回っています。食べ物も作っています」
セイラが端末で資料を開く。
「確かに、収入はある。港湾使用料、水再生、整備ドック、部材工場……」
ララァは続けた。
「でも、息を止められています」
「また変な言い方を」
アムロが言った。
セイラはすぐに表情を変える。
「借り換えを止められている、ということかしら」
端末に、ロシュフォール公共債の一覧が出る。
港湾整備債。
水再生設備債。
食料プラント更新債。
利率は低い。発行された時には、まだ金利も低く、コロニー連合に加盟していたから信用もあった。だが今は違う。近く満期が来る分がある。借り換えが必要だ。そこへ脱退話が出た。
連合の支えが消えるかもしれない。
市場は怖がって売る。
価格は下がる。
利回りは跳ねる。
新しく借りようとすると、とんでもなく高い利息を求められる。
アムロは画面を見ながら言った。
「動いてるコロニーでも、お金の借り換えができないと詰むのか」
「詰むわ」
セイラの答えは短かった。
ミライが眉を寄せる。
「家計で言うと、収入はあるのに、急に借金の返済日だけ来るみたいなもの?」
「そう。しかも、次の借り換え先が“高い利息じゃないと貸さない”と言っている状態ね」
ララァが言った。
「払えないのではなく、払う場所を閉じられています」
アムロは少し黙ってから言った。
「分かるけど怖い言い方するな」
――――――――――
「話は聞いたよ」
エドワウが入ってきた。
アムロは、もはや驚かなかった。こういう時、エドワウはだいたい聞いている。問題は、どこから聞いていたかである。
「いつからいた」
「“利息が太ります”のあたりからだ」
「一番変なところじゃない」
ミライが言う。
エドワウはロシュフォール公共債の価格表を見た。
短期の借り換え債だけが、特に売られている。
「これは破綻ではないな」
セイラがうなずく。
「資金繰り攻撃ね」
「誰かが脱退騒ぎを使って、借り換え窓口を閉じさせている」
「何のために」
アムロが聞く。
「安く買うためか、支配するためか、あるいは“助けるふり”で入るためだ」
ララァが画面を見た。
「助ける人の顔をして、首に縄をかける人がいます」
アムロが思わず顔をしかめた。
「急に怖い」
セイラは資料をめくった。
ロシュフォールの脱退を煽っているのは、表向きには親連邦派の評議員たちだった。
自治を守る。
連合に縛られない。
連邦との直接取引で発展する。
きれいな言葉は、ここでもまたよく働いていた。きれいな言葉は、いつも働き者である。働き者すぎて、時々とても迷惑だ。
その背後には、ティターンズ寄りの外郭金融機関がいた。
やり方は、軍艦より静かだった。
ロシュフォールをコロニー連合から脱退させる。
連合保証を外す。
公共債を暴落させる。
借り換え不能にする。
そこへ「金融安定化支援」として連邦側資金を入れる。
その代わりに、港湾ドック、通信施設、精密部材倉庫、治安維持協定を押さえる。
ミライが静かに言った。
「軍艦で来ないだけで、やってることは襲撃と変わらないわね」
セイラがうなずく。
「今回は砲撃ではなく、利払い日を使っているのよ」
アムロは嫌そうな顔をした。
「嫌な戦い方だな」
「効くからな」
エドワウが言う。
「肯定するな」
アムロが返した。
ララァは、ロシュフォール公共債の画面を見ていた。
「この紙は、まだ死にません」
「債券を生き物にするな」
アムロが言う。
「利息を払う人たちは、まだ働いています」
セイラが資料を確認する。
「港湾収入も、水再生収入も残っている。短期の資金繰りさえつけば、破綻する理由は薄いわ」
「怖がって売っている人が多いです」
「じゃあ、安くなりすぎているの?」
ミライが聞く。
「はい」
アムロが小さく言う。
「また始まった」
ララァは真顔で続けた。
「安くなった紙を買います」
「紙って言うな!」
アムロが叫ぶ。
セイラが補う。
「今回は株ではなく債券よ。買えば利息を受け取れる」
「利息が太っています」
「だから太らせるな!」
アムロの声は、かなり疲れていた。
――――――――――
エドワウの指示は速かった。
ひとつ目。
ロシュフォール公共債を安値で拾う。ただしララァの口座だけではない。財団側の複数名義で、目立たないように拾う。
ふたつ目。
宇宙通貨建ての借り換え枠を提示する。ロシュフォールの水再生設備と港湾収入を担保に、宇宙通貨建てで再発行を引き受ける。
みっつ目。
個人保有者向けに、旧債から新債への交換条件を出す。利払い日を守る。満期を延ばす。利息の一部を宇宙通貨で受け取れるようにする。
アムロが聞いた。
「それ、助けてるのか、買ってるのか、どっちだ」
「両方だ」
エドワウは正直だった。
「正直ね」
ミライが言う。
ララァは画面を見ながら言った。
「困っている紙を助けます」
「紙から離れろ!」
アムロが言う。
だが、市場は反応した。
ティターンズ寄りの外郭金融機関は、さらにロシュフォール公共債を売っていた。脱退騒ぎで価格を下げ、安く支配するつもりだったのだ。
しかし、宇宙通貨建ての借り換え枠が発表される。
個人保有者が売るのをやめる。
財団側が買い集めていたことも伝わる。
港湾収入がまだ生きていることも報じられる。
債券価格が戻る。
利回りが下がる。
ララァが言った。
「利息が細くなりました」
「太ったり細くなったりさせるな!」
アムロが叫ぶ。
セイラが説明する。
「債券価格が戻ったから、利回りが下がったのよ」
ミライが言う。
「つまり、怖がって売った人が損をしたのね」
エドワウが淡々と答える。
「そして、売り崩していた側もな」
外郭金融機関は損失を抱えた。
ティターンズの「金融安定化支援」は、入口で詰まった。
ロシュフォールは、まだ息ができる。
――――――――――
ロシュフォール内部では、脱退を進めていた親連邦派評議員たちが苦しくなった。
住民から質問が出る。
なぜ今、連合脱退なのか。
なぜ借り換え直前なのか。
なぜティターンズ寄りの金融機関が、同じ時期に債券を売っていたのか。
なぜ連邦側の支援条件に、港湾ドックと通信施設の管理条項が入っていたのか。
ギリアムの記事が効いた。
「ロシュフォール公共債急落、背後に外郭金融機関の売り」
「脱退直後に連邦安定化支援案、港湾管理条項付き」
「住民資産を担保にした支配計画か」
親連邦派評議員は答えに詰まった。
住民投票は延期。
脱退議決は凍結。
コロニー連合との再交渉。
そして数日後、ニュース端末に速報が入った。
「ロシュフォール評議会、コロニー連合への復帰を正式決定」
「連合側、ロシュフォール公共債の一部保証継続を発表」
「宇宙通貨建て借り換え枠も設定へ」
「港湾ドック、水再生設備、通信施設はロシュフォール自治政府の管理を維持」
画面には、ロシュフォールの港が映る。
白い作業艇がドックへ入っていく。
水再生プラントの外壁に、作業員が並んでいる。
食料区画の照明が、少しだけ明るく見える。
派手な勝利ではなかった。旗が振られるわけでも、艦隊が凱旋するわけでもない。ただ、働いている人たちが、明日の朝も同じ場所へ出勤できるという種類の勝ちだった。
ララァが画面を見て言った。
「戻りました」
アムロが聞く。
「連合に?」
「はい」
「首の縄がほどけたんだな」
ララァは少し考えてから、うなずいた。
「はい。息ができます」
ミライが小さく息を吐く。
「よかったわね」
セイラは端末の債券価格を見て言った。
「公共債も戻しているわ。完全ではないけれど、投げ売りは止まった」
アムロが顔をしかめる。
「債券って、ニュースだけでこんなに動くのか」
エドワウが答える。
「債券は、返してもらえると思えば戻る。返してもらえないと思えば落ちる」
ララァが言う。
「信用の紙です」
「だから紙って言うな!」
アムロが突っ込む。
――――――――――
ティターンズ側では、短い報告が上がっていた。
「ロシュフォールへの安定化支援案は失効しました」
「連合復帰により、港湾管理条項は撤回」
「公共債価格は回復」
「外郭金融機関に損失が発生」
「通信補修拠点の確保計画は白紙」
担当官は書類を握りつぶした。
その紙は債券ではなかったが、たぶん同じくらい嫌な紙だった。
サイド7の居間では、ララァが端末を見ていた。
「増えました」
「やっぱり増えるのか!」
アムロが叫ぶ。
「利息も来ます」
「定期的に増えるな!」
ミライが笑いながらも疲れた顔をする。
「株より静かだけど、これはこれで怖いわね」
「債券は静かに怖いのよ」
セイラが言った。
エドワウは満足しているようだった。
「いい場所を残せた」
「また嫌な勝ち方だったな」
アムロが言う。
「砲撃より安い」
「その基準やめろ」
ララァが言った。
「オジキは、利息を見なさいと言っていました」
「そこだけ素直に聞くな!」
端末の中で、アサクラさんがまた叫ぶ。
「いいですか皆さん!」
「債券は値段だけを見るな!」
「利率を見ろ! 満期を見ろ! 誰が返すのかを見ろ!」
「そして、インフレの時代に固定された古い利息だけを信じるな!」
アムロが小さく息を吐く。
「今日は最後まで授業だったな……」
ララァが静かに言う。
「オジキは、まっすぐです」
「うるさいけどな」
外では、搬送車両が短い警告音を鳴らして通り過ぎた。
その夜、ロシュフォール公共債は少し値を戻した。
ララァは端末を閉じた。
アムロは、利息というものが静かに増えることを知った。
そして、静かに増えるものほど、だいたい後で騒ぎを連れてくるのだと、少しだけ思った。
いつの間にかSSで解決されていることを知らぬギレン(主人公)