夜明け前の海は、灰色に近い青をしていた。
空はまだ暗く、低い雲が海面のすぐ上にかかっていた。雲の切れ間から、降下してきた艦隊の影がゆっくりと降りてくる。ホワイトベース、グレイファントム、サラブレッド。貸与されたザンジバル七隻。そして黒猫ルシファー・ロジスティックス、BLLのザンジバル三隻。
海面には、ワッケイン大佐の海洋艦隊が展開していた。
誘導灯が波間で点滅している。潜水艦の黒い背が、いくつも海面に浮かんでは沈んだ。その上空を、白いバリュートを開いたネモが流されるように降りてくる。リック・ディアスは重く、機体の下でバリュートが大きく震えていた。金色のルシファーは、他の機体よりも見つけやすかった。両肩の黒猫の印が、朝の鈍い光を受けて黒く浮かんでいる。
「レビル大将、降下MSの海上誘導を開始します。風が北へ流れています。回収順を指定願います」
ワッケインの声は通信越しでも硬かった。大佐として、大将に対する礼を崩さない。
ホワイトベース艦橋のレビルは、海上表示を見つめた。
「ネモ隊を先に下ろせ。リック・ディアスはペガサス級で受ける。ルシファーはBLL管制に任せる」
「了解しました。海上回収班、誘導灯を維持。機体を海へ落とすな」
BLL一番艦の管制室では、セイラがモニターに映る金色の機体を見ていた。
「BLL一番艦、ルシファーの回収誘導に入ります。黒猫マーク、視認できました」
その言葉を自分で言ってから、セイラは少しだけ息を止めた。
宣伝になるし、綺麗に目立つ。
そう言って付けさせた黒猫の印が、今は本当に目印になっていた。波間に白いバリュートがいくつも揺れ、機体の識別表示が細かく入れ替わる中で、金色の肩にある黒猫だけは肉眼でも分かる。
アムロは別卓で降下速度と風向を見ていた。
「バリュート切り離しはまだ早い。海面風が強い」
エドワウの声が入る。
「こちらルシファー。姿勢は保てている」
声は平静だった。
だが、機体には熱が残っている。大気圏を抜けた時の震えも、バリュートを開いた時の負荷も、まだ関節と接続部に残っている。人間も同じだった。降りたから終わったのではない。降りたから、次が始まる。
セイラはそのことを、管制表示の赤い小さな警告灯で理解した。
ルシファーの脚部関節、温度上昇。
バリュート接続部、再点検必要。
それでも機体は降りてくる。
黒猫の印を光らせながら。
―――――
ホワイトベースの格納庫には、水と焦げた金属の匂いが混じっていた。
濡れたバリュート部材が床へ引きずられ、整備兵たちの靴が水滴を踏んで音を立てる。ネモの脚部装甲には、まだ熱が残っていた。リック・ディアスの背部推進器からは、冷却材の白い煙が上がっている。
エマリー・オンスは帰投レーンの脇に立ち、端末と機体を交互に見ていた。
「ネモ一番機、バリュート接続部を外して。脚部冷却を先に。装甲の傷は後です」
整備兵が顔を上げる。
「装甲も焼けています」
「動ければいいです。次は空です。脚と推進系を先に見てください」
言いながら、エマリーは別の表示を開いた。
ネモ二番機、脚部関節温度高。
リック・ディアス一番機、右側推進系確認必要。
ベースジャバー接続具、三基使用可能、二基要点検。
戻ってきた機体をそのまま休ませる時間はなかった。降下を終えたばかりの艦隊へ、次の敵が来る。それは誰にも分かっていた。
ブライトが格納庫へ入ってきた。
彼は全体を一度見た。水滴、冷却材、部材の置き方、空けられたレーン。短い時間で何がどこまで整ったかを見る目になっていた。
「再出撃まで、どれくらいだ」
「ネモは早いです。リック・ディアスは重い分、推進系の確認に時間がかかります」
「時間はあまりない」
「分かっています。だから見た目は直しません」
ブライトは少しだけエマリーを見た。
「出せない機体は」
「出しません」
その返事に、迷いはなかった。
ブライトは頷いた。
恋人になったから、ブライトがエマリーの判断を聞くのではない。彼女が正しいから聞く。エマリーはそれを分かっていた。だからこそ、甘える余地を自分から消した。
前世で、彼女はブライトのそばに立てなかった。
今は立っている。
けれど、ただそばにいるだけでは意味がない。彼が艦を動かすなら、自分は機体を戻す。彼が出すと決めた機体を、壊さず、無理をさせず、必要な数だけ送り出す。
それが今の彼女の恋だった。
「ネモ三番機、右脚を先に見て。リック・ディアス二番機はベースジャバー接続具を合わせてください。無理なら外します」
「オンスさん、リック・ディアス三番機は」
「出しません。冷却が戻っていません」
整備兵が頷く。
エマリーは端末から目を上げた。
ブライトはもう艦橋へ戻ろうとしていた。
「ブライトさん」
「何だ」
「格納庫へ降りるより、先に上から状況を見てください。必要なら私が上げます」
ブライトは少し困ったような顔をしたが、反論はしなかった。
「分かった。任せる」
「はい」
短い言葉だった。
それだけで足りた。
―――――
ティターンズ海洋空母群の甲板では、風が強くなっていた。
潮気を含んだ風が、低く平たい三角形の機体の上を流れていく。フライ・ダーツ。薄い翼、鋭い機首、MSとは違う乾いたエンジン音。甲板員たちが退避線の外へ走り、発進灯が一つずつ点灯した。
海洋空母の艦長は、甲板映像と戦術表示を見比べていた。
「敵は降下直後で整備中です。MSが再発進する前に叩きます」
航空隊指揮官が言った。
フライ・ダーツ隊長はヘルメットのバイザーを下げながら答えた。
「第一波は視界外からミサイルを撃ちます。敵艦隊の防空を乱してから突入する」
艦長は頷いた。
「目標はペガサス級三隻とザンジバル列。特にBLL艦を狙え。救難便を止めれば、港は使えん」
港湾基地司令官の声が通信に入る。
「マラサイ隊も準備中だ。航空隊が足を止め、その後MSを出す」
甲板のカタパルトが動く。
フライ・ダーツの一番機が、海へ向かって押し出された。低く構えた機体が、音もなく滑るように加速し、次の瞬間、甲板から離れた。
二番機。
三番機。
薄い三角形が次々と朝の空へ出ていく。
MSとは違う戦い方をする機体だった。
高く上がり、速く刺し、すぐ離れる。
撃ち合わない。
居座らない。
敵が照準を合わせる前に、ミサイルだけを置いて去る。
それがフライ・ダーツの仕事だった。
―――――
BLL一番艦の管制室では、戦術表示の海洋空母方向に新しい線が増えていた。
「高速機群、接近。数、二十四以上。海洋空母方向」
管制員が報告する。
アムロは表示を拡大した。
「フライ・ダーツです。上昇が速い。MS単体では追いつけません」
セイラはすぐに聞いた。
「ベースジャバーは」
「使えます。ただし、まだ完全な実戦運用ではありません」
「試験している時間はないわ」
ララァが奥で目を細めた。
「上から刺してくる。まっすぐ来て、すぐ逃げる」
「一撃離脱か」
アムロはそう言い、別の表示を開いた。
低空。
海面反射。
レーダーの乱れ。
機影だけではない。何かが先に来る。機体より小さく、速いもの。高度が低い。海面の反射に紛れている。
アムロの声が低くなった。
「違う。機影より先に弾が来る」
セイラが振り向く。
「弾?」
「ミサイル。低い。数が多い」
エドワウの通信が入った。
「視界外からか」
「たぶん」
アムロは端末を閉じた。
「僕も出る。ガンダムをベースジャバーに載せる」
セイラの目が少し険しくなる。
「あなたまで出るの?」
「最初の運用だ。誰かが基準を作らないと、ネモ隊が空で迷う」
エドワウが言った。
「敵を落としに行くな」
「分かってる。追わない。艦隊へ届く前に落とす」
その返事に、エドワウは短く黙った。
アムロ・レイ。
昔、敵だった男。
あの男が何をするか、エドワウは知っている。知っているからこそ、軽く褒める気にはならなかった。敵として向き合った時、あの射撃はいつも嫌だった。見えてから避けるのでは遅い。撃たれる場所へ入らないこと。それがアムロと戦う時の最低条件だった。
今、その男が味方側で出る。
頼もしいというより、厄介なものがこちら側にあるという感覚に近かった。
―――――
ホワイトベース、サラブレッド、BLL一番艦の格納庫が同時に動き始めた。
ベースジャバーが整備架から引き出される。平たい機体に、MS固定用の保持具が起こされた。まだ実戦投入の経験は浅い。整備兵たちは、固定具の角度とロック表示を何度も確認する。
ホワイトベース格納庫で、ブライトが命じた。
「ベースジャバーを出す。ネモ隊を優先しろ」
エマリーが即座に答える。
「ネモ三機、出せます。四番機は脚部冷却が足りません」
「三機でいい。無理に出すな」
「リック・ディアスは二機だけです。残りは推進系の確認が終わっていません」
「分かった。二機で出す」
ブライトは迷わなかった。
迷っている時間がなかったというだけではない。エマリーの判断を信じていた。
BLL一番艦では、ガンダムとルシファーのベースジャバー接続が確認されていた。
「ガンダム、ルシファー、ベースジャバー接続確認」
セイラが報告する。
アムロはガンダムのコクピットで、足裏固定具のロック表示を見た。
「ガンダム、出ます」
続いてエドワウ。
「ルシファー、続く」
セイラはモニター越しに金色の機体を見た。
「今度は本当に宣伝になるわね」
「悪目立ちだ」
「味方が見失わないなら十分よ」
エドワウは短く息を吐いた。
ベースジャバーが発進位置へ滑り出す。
ガンダム。
ルシファー。
ネモ。
リック・ディアス。
MSが地球の空へ上がる準備をしていた。
―――――
朝の海の上で、ベースジャバー部隊が展開した。
機体下面に海の光が揺れている。海風がベースジャバーの機首を叩き、MSの脚部固定具が小さく軋んだ。宇宙での姿勢制御とも、地上での歩行とも違う。MSは空を飛んでいるのではない。固定具に足を預け、ベースジャバーの揺れを機体側で抑えながら、海上に高度を保っている。
フライ・ダーツの機影はまだ見えなかった。
最初に来たのはミサイルだった。
「来る。低い。ミサイル」
アムロの声が入った。
ホワイトベース艦橋で、ブライトが戦術表示を見た。
「まだ表示に出ていないぞ」
「海面反射の下です。すぐ上がる」
ガンダムがベースジャバーごと高度を少し下げた。機首を右へ振り、ビーム砲の砲口を海面近くへ向ける。
「BLL二番艦、チャフ準備。三番艦、フレア用意」
セイラが言った。
レビルの声が全艦へ流れる。
「全艦、対空防御。針路を崩すな」
アムロは返事をしなかった。
ガンダムのビーム砲が光った。
一射目。
まだ艦隊の通常管制では確定していない低空のミサイル群。その先頭が、白い射線へ入った。数発が同時に爆発し、後続のミサイルが爆風で姿勢を崩す。海面に細かい火が散った。
二射目。
ガンダムの右腕はすでに右下へ向いていた。海面近くから浮き上がる別の群れへ、ビームが走る。先頭が消え、後続が左右へばらける。
三射目。
まだ表示に完全には出ていない上昇気味の群れへ、砲口が先に向く。ビームが走り、低空から上がろうとしていたミサイルがまとめて爆発した。
ホワイトベース艦橋で、オペレーターが声を上げる。
「ミサイル群、先頭消失。別群も減衰。半数近くが消えています」
ブライトは画面から目を離さなかった。
「今のは、見えてから撃ったんじゃない」
レビルが低く言う。
「先を読んだか」
「はい。ミサイルが入る高度と角度に、先に射線を合わせています」
残ったミサイルが艦隊へ迫った。
ブライトはすぐに命じる。
「チャフ、フレア散布。ネモ隊、ミサイル迎撃。リック・ディアス隊は艦の前へ出せ」
ネモ隊がフレアをばら撒く。白い火の粒が空に散り、ミサイルの一部がそちらへ引かれた。チャフが雲のように広がり、ミサイルの誘導が乱れる。リック・ディアス隊が艦隊前面へ出て、ビームと機関砲で残りを叩く。
数発が近接爆発した。
海面が白く跳ねた。
だが直撃はない。
セイラが報告する。
「BLL二番艦、至近弾。直撃なし。医療品区画、無事です」
ルシファーのコクピットで、エドワウはガンダムの射線を見ていた。
驚きはなかった。
腹立たしいほど、見覚えがある。
「相変わらず、嫌な撃ち方をする」
そう言って、ルシファーを前へ出した。
残った敵は、これから来る。
―――――
ホワイトベース艦橋では、白い機体の映像が拡大されていた。
ガンダム。
その識別名が表示の横に出る。
ブライトは腕を組まず、端末の縁に手を置いたまま見ていた。若い顔に、さっきより深い皺が寄っている。
「何だ、あれは」
思わず出た声だった。
オペレーターが答える。
「BLL一番艦より出撃。アムロ機です。機体識別、ガンダム」
「ガンダム……」
ブライトはその名を繰り返した。
知らない名前のはずだった。
けれど、今の射撃を見れば、名前より先に動きが頭に残る。あの白い機体が高度を変え、ビーム砲を振るたび、ネモ隊の配置がわずかに揃っていく。命令で細かく動かしているわけではない。無線で一つずつ位置を指示しているわけでもない。
あの機体の高度と射撃が、周囲に次の動きを示していた。
レビルが聞く。
「知っている機体か」
「いえ。ただ、動きが違います」
別のオペレーターが報告する。
「ネモ隊、ガンダムの高度変更に合わせて展開しています」
ブライトは頷いた。
「命令で細かく動かしているわけじゃない。あの機体が先に高度を変えると、周囲が合わせている」
「基準になっているか」
「はい。あの白い機体が、艦隊防空の先頭を決めています」
ブライトは、アムロ・レイという名を、名簿上の名前ではなく戦力として覚え直した。
―――――
ミサイルの爆煙が海面に残る中、フライ・ダーツ本隊が低空から入ってきた。
平たい三角形の機体が、海面すれすれを走る。機首を上げた瞬間、速度を殺さずに上昇へ移る。ネモ隊のパイロットが声を上げた。
「速い、追えません!」
アムロの声が短く返る。
「追うな。相手は曲がるために来ていない。艦を撃ってすぐ逃げる。上昇角を読んでください」
そのあと、アムロは何も言わなかった。
ガンダムはベースジャバーの上で機体を前傾させた。右膝をわずかに沈め、足裏の固定具へ重心を預ける。ベースジャバーが海風で揺れる。だが、ガンダムの上体はほとんどぶれない。
敵一番機の上昇角に合わせて、上体を左へ振る。頭部を少し下げる。
頭部バルカンが短く鳴った。
弾は敵機の現在位置ではなく、上昇後に吸気口が入る位置へ散った。フライ・ダーツ一機の左吸気口付近で火花が散る。機体が傾き、海面へ落ちていく。
同じ瞬間、ガンダムの右腕は別方向へ動いていた。
ビーム砲の砲口は、まだ上昇しきっていない別のフライ・ダーツへ直接向かない。その機体が二秒後に高度を上げる位置へ、砲口だけが先に向く。
白い光が走る。
フライ・ダーツの右翼端が切れた。機体は横転しかけ、黒煙を引きながら離脱していく。
ホワイトベース艦橋で、ブライトが息を止めた。
「今のは……別々の敵を同時に撃ったのか」
「一機撃墜、一機損傷。ガンダムです」
オペレーターが答える。
レビルが画面を見る。
「同じ射撃ではないな」
「片方はバルカン、片方はビームです。照準を分けています」
ブライトはそう言ってから、自分の声が少し低くなっていることに気づいた。
一機を落としながら、別の一機の先を読む。
しかもベースジャバー上でそれをやっている。
普通の強さではない。
戦場の見え方が違う。
ルシファーがその横を上がっていった。金色の装甲と黒猫のマークが、フライ・ダーツ隊の視線を集める。
「昔から、そういう男だったな」
エドワウは小さく言った。
セイラの声が入る。
「目立ちすぎているわ」
「目立つようにしたのはお前だ」
「役に立っているでしょう?」
「ああ。腹立たしいくらいにな」
ルシファーは敵隊長機の上方へ出た。フライ・ダーツの照準が金色へ向く。そのわずかなずれで、BLL二番艦へ向かう攻撃軸が崩れた。
―――――
ホワイトベースの格納庫にも、上空の戦術映像が遅れて入っていた。
エマリーはネモ二番機の脚部冷却表示を確認していた。冷却材の圧力、関節温度、ベースジャバー接続具の歪み。見るべき数字はいくつもある。
だが、その白い機体が映った瞬間、視線が止まった。
ガンダム。
識別名を見た瞬間、彼女は手を止めかけた。
止めなかった。
今は止めてはいけない。
だが、胸の奥だけが少し遅れて反応した。
アナハイムにいた彼女には、その機体がただの白いMSではないことが分かった。関節の入り方。姿勢制御の戻り。ベースジャバーの揺れを抑える機体側の制御。どれも高い。
けれど、もっとおかしいのは操縦している人間だった。
ガンダムはベースジャバーの上で機体を前傾させ、右膝をわずかに沈めている。足裏の固定具へ重心を預け、ベースジャバーの揺れを機体側の姿勢制御で抑えていた。
フライ・ダーツが低空から上昇する。
ガンダムは追いかけない。
敵機の上昇角に合わせて上体を左へ振り、頭部をわずかに下げる。
頭部バルカンが短く鳴った。
弾は敵機の現在位置ではなく、上昇してくる先へ散った。フライ・ダーツの機首がその弾幕へ入り、左側の吸気口付近で火花が散る。機体が傾き、海面へ落ちていく。
同じ瞬間、ガンダムの右腕は別方向へ動いていた。
ビーム砲の砲口は、まだ上昇しきっていない別の敵機ではなく、その機体が二秒後に高度を上げる位置へ向いていた。白い光が走り、フライ・ダーツの右翼端を切る。機体は横転しかけながら離脱した。
「……あれが、アムロ・レイ」
エマリーは小さく言った。
前世で聞いた名だった。
ブライトのそばに、いつも重い影のようにあった名前。
英雄で、問題児で、救いで、傷そのもののような名前。
その少年が今、白いガンダムで空を切っている。
「オンスさん?」
整備兵が振り向いた。
エマリーはすぐに端末へ目を戻した。
「ネモ二番機、脚部冷却を続けて。リック・ディアス一番機は推進系を先に見てください。上空の白い機体に気を取られないで」
「はい」
彼女はもう一度だけ映像を見た。
あの白い機体は、敵機の現在位置を撃っていない。
速度、上昇角、旋回半径を読んで、敵機が次に入る高度へ射線を合わせている。
それだけは、技術者の目にも、前の記憶を持つ彼女の胸にも、はっきり分かった。
―――――
ティターンズ海洋空母の艦橋では、管制官の声が荒れていた。
「敵MS、空中機動。何かに搭乗しています」
艦長は表示を見た。
「何だ、あれは」
航空隊指揮官が答える。
「MS用の飛行台座……補助機です。これまでのMS運用ではありません」
フライ・ダーツ隊長の声が入る。
「白い機体が先に射線を合わせてきます。低空侵入でも読まれます」
艦長は歯を食いしばった。
高速で入れば当たらない。
それが前提だった。
だが、敵は速度に反応していない。高度と上昇角を読んでいる。機体がそこへ入る前に、射線が合っている。
「なら白い機体を避けろ。金色も追うな。物資艦を狙え。黒猫の艦を沈めればいい」
「BLL二番艦、位置確認」
管制官が答える。
敵は狙いを変えた。
戦闘で勝てないなら、物を止める。
それは戦争として正しい判断だった。
―――――
低空から、第二波が来た。
今度は最初からBLL二番艦の方角へ向かっている。海面すれすれを走り、雲の影に入り、艦隊の対空火器が撃ちにくい角度へ入る。
ララァが先に反応した。
「海の近く。速い。黒猫の船へ向かっている」
セイラの顔が硬くなる。
「二番艦を狙っているわ。あそこには医療品と水処理部品がある」
エドワウが答えた。
「分かっている。落とさせない」
アムロが管制へ声を入れる。
「ネモ隊、低空へ。追うな。船と敵機の間に入ってください」
ブライトも続けた。
「リック・ディアス隊、対ミサイル射撃」
ホワイトベース格納庫では、エマリーが表示を見ていた。
「リック・ディアス三番機は出せません。冷却が戻っていません」
ブライトはすぐに答えた。
「分かった。出すな」
エマリーはその返答を聞き、短く息をした。
彼は聞いた。
聞いてくれた。
だが、そこで止まってはいられない。
「二番機の推進系、再確認。戻る機体を先に入れます」
上空では、ガンダムが高度を下げた。
低空から上がるフライ・ダーツの上昇角に、ビーム砲の砲口が向く。ネモ隊がBLL二番艦と敵機の間に入る。リック・ディアスが対ミサイル射撃を始める。重い火線が海面の上を横切った。
ルシファーは右上へ上がった。
金色の機体が朝日を受ける。
黒猫のマークがはっきり見えた。
「ガンダム、低空機を見ます。ルシファー、右上へ引いて」
アムロの声。
「了解。派手に行く」
エドワウはルシファーを大きく傾けた。敵の隊長機が金色を追う。ほんのわずかだが、攻撃角がずれる。
そのずれで、BLL二番艦への直線が消えた。
ガンダムのビームが一機の翼を切る。ネモ隊の射撃が別の一機を外へ押し出す。リック・ディアスの火線がミサイルを叩き、海面に白い爆発が並んだ。
セイラが管制表示を確認する。
「BLL二番艦、被害なし。医療品区画、水処理部品区画、異常なし」
エドワウは短く答えた。
「まだ港には入れない」
「ええ。でも守れたわ」
セイラの声は、少しだけ震えていた。
それは恐怖ではなく、自分の仕事が戦場の中心に入ってしまったことへの実感だった。
―――――
フライ・ダーツ第一波は後退した。
すべてを撃ち落としたわけではない。数機を失い、数機が損傷し、残りは海洋空母の方向へ戻っていく。空には細い白い航跡が残った。
こちらも無傷ではなかった。
ネモ一機の左肩が焼けている。ベースジャバー一基が被弾し、姿勢制御に異常を出していた。リック・ディアスの推進系にも負荷が出ている。
ワッケインの通信が入った。
「敵航空隊、第一波後退。ですが海洋空母本隊は進路を変えていません」
レビルが答える。
「次は艦ごと来るか」
ブライトは格納庫へ命令を出した。
「ネモ隊、帰投。ベースジャバー損傷機を優先収容」
エマリーが応じる。
「帰投レーンを空けます。損傷機から入れてください」
セイラはBLL二番艦の表示を見ていた。
「BLL二番艦、被害なし。救難便は守れました」
アムロが低く言った。
「でも、空にMSを上げられることは分かりました」
ララァがその奥で呟く。
「次はもっと多い」
誰も否定しなかった。
ベースジャバーは使えた。
だが、使えたということは、これから使い続けなければならないということでもある。燃料、整備、固定具、帰投レーン、管制。MSを空へ上げるたびに、それらが一気に重くなる。
エドワウはルシファーの姿勢を戻しながら、遠くの海を見た。
海洋空母群が近づいている。
そのさらに奥には、港湾基地がある。
そこには、まだマラサイ隊がいる。
―――――
ダカール沖の海は、朝の光を受けて少しずつ色を変えていた。
灰色だった水面に青が混じり始める。だが、その静けさとは別に、艦隊の中は騒がしかった。ベースジャバーが戻り、損傷したネモが収容される。整備兵たちが走り、冷却材の白い煙がまた格納庫へ広がる。
ワッケイン大佐の声が、ホワイトベースへ届いた。
「レビル大将、敵海洋空母群はなお接近中です。航空隊第一波は退けましたが、本隊は健在です」
レビルは地図を見た。
「分かった。次は海上戦だ」
ブライトが報告する。
「ベースジャバーは使えます。ただし整備負荷が大きい」
エマリーの声が格納庫から入る。
「連続運用は危険です。出す機体を絞ってください」
アムロも続けた。
「特殊送受信機搭載機も、次から本格投入できます。ただしララァに負荷をかけすぎない条件です」
セイラは積載表を確認していた。
「BLL救難便はまだ待機。港が開くまで入れません」
エドワウは、遠くの海を見た。
「なら、次は港を開ける」
ララァが静かに言った。
「港の向こうに、まだ固いものがある」
レビルが答える。
「ティターンズの港湾基地か」
ワッケインの声が続いた。
「はい。海洋空母と港湾基地のマラサイ隊が、次に出てきます」
海の向こうで、ティターンズの海洋空母群が黒い点になって近づいていた。
その上空には、戻っていくフライ・ダーツの細い尾がまだ残っている。ダカールの港は、まだ閉じている。だが、エゥーゴとBLLは、MSを地球の空へ上げる方法を手に入れた。
ベースジャバーの影が、朝の海に細く伸びていた。
それは、MSが地球の空へ戻るための、最初の足跡だった。