妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第219話 黒猫の倉庫

 

 

 ダカールの港には、朝から低い機械音が戻っていた。

 

 燃え残った匂いはまだあった。油と潮と火薬が混じり、古い鉄の表面にこびりついている。岸壁の一部は砲撃で欠け、白いコンクリート片が足元に散っていた。港湾労働者たちはそれを避けながら歩き、時々、昨日までそこにあったはずのものを探すように足を止めた。

 

 それでもクレーンは動いていた。

 

 太いワイヤが軋み、医療品のコンテナがゆっくりと岸壁へ下ろされる。誘導棒を持った男が、歯を食いしばるような顔で手を振った。別の男が荷札を読み上げる。コンテナの角が倉庫前の標識に触れそうになり、若い作業員が慌てて走った。

 

 戦争が終わったわけではない。

 

 ただ、港が動き出しただけだ。

 

 しかし、ブレックス・フォーラには、それが大きな違いに見えた。動く港は、人を黙らせる。空っぽの演説よりも、降ろされる薬品箱の方が、時として人の胸に届く。

 

 臨時行政区画に転用された港湾管理棟の一室で、ブレックスは机の上に置かれた名簿を見ていた。武装解除された兵士の氏名、所属、階級、負傷の有無。隣には、港湾復旧計画の草案、降伏兵の身分保護に関する声明案、輸送再開に関する要求書が積まれている。

 

 そこへ、キリマンジャロからの報告が入った。

 

 レビルは通信文を読み、顔を上げた。

 

「キリマンジャロは落ちた。だが、ジャミトフは逃げた」

 

 部屋の中で、何人かが短く息を吸った。

 

 ブレックスは驚かなかった。

 

 驚かなかった自分に、少しだけ苦いものを覚えた。

 

「なら、軍だけでは終わりません。議会を動かします」

 

 レビルは、横目でブレックスを見た。

 

「ティターンズを軍から剥がすだけでは足りんか」

 

「足りません。予算、人事、輸送、司法、各委員会。そこを握り直さなければ、ティターンズの残党は名前を変えて残ります」

 

 ワッケイン大佐が、窓際で腕を組んでいた。戦闘後も姿勢が崩れない男だった。

 

「議会側に、そこまで動ける者がいますか」

 

 ブレックスは机の端に置かれた一枚の名簿を指で押さえた。

 

「います。表には出たがらない男ですが」

 

 秘書官が、細い声で名前を出した。

 

「ユージン・カーヴァイン議員ですね」

 

 ブレックスは頷いた。

 

「彼を動かす」

 

 レビルはしばらく黙っていた。

 

 軍人としての彼は、そこから先を砲や艦で処理できないことをよく知っていた。戦場には、撃てる敵と撃てない敵がある。議会の机、委員会の議事録、予算の数字、人事の署名。そういうものは、砲撃では沈黙しない。

 

「行け」

 

 レビルは短く言った。

 

「私は港と基地を押さえる。君は議会を押さえろ」

 

「はい」

 

 ブレックスは名簿を閉じた。

 

 戦場が変わっただけだった。

 

―――――

 

 臨時議員宿舎は、古いホテルを転用した建物だった。

 

 ロビーの絨毯には薄い染みがあり、エレベーターは二基のうち一基しか動いていない。廊下の照明は半分だけ点いていた。窓の外には軍用車両が走り、遠くで港湾クレーンの音が低く響いている。

 

 ユージン・カーヴァイン議員は、三階の角部屋にいた。

 

 背の高い男ではなかった。六十代前半。白髪が目立ち、目元には疲れがあった。だが、その疲れは逃亡者のものではない。長い時間、議場の奥で票を数え、相手の沈黙の意味を読み続けてきた人間の疲れだった。

 

 部屋には若手議員が数人いた。彼らはブレックスを見ると、少し背筋を伸ばした。カーヴァインだけが椅子から立たなかった。失礼なのではない。無駄な動作を省く人間なのだと、ブレックスは思った。

 

「ブレックス准将。あなたは軍で勝った。だが、議会は砲撃では動きません」

 

 カーヴァインは、低い声で言った。

 

 ブレックスは帽子を脱ぎ、ゆっくりと頷いた。

 

「だからあなたを訪ねました」

 

「私に革命家になれと?」

 

「違います。議会人に戻っていただきたい」

 

 カーヴァインの眉が動いた。

 

「議会人?」

 

「ティターンズの顔色を見て予算を通すのではなく、地球と宇宙を再びつなぐ予算を通す。輸送を戻す。港を動かす。各サイドとの信用を回復する。そういう議会人です」

 

 窓の外で、クレーンの音がした。

 

 カーヴァインはその音を聞いてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「宇宙に譲歩しすぎれば、地球の有権者は黙りません」

 

「譲歩ではありません。地球は宇宙なしに食えない。宇宙も地球なしに安定しない。ティターンズはそれを憎悪で切った。結果、地球の港も倉庫も痩せた」

 

 若手議員の一人が、目を伏せた。

 

 この数週間、彼らは倉庫の中身を見ていた。輸送の遅れ、燃料の不足、医療品の偏り、港湾労働者の賃金遅配。地球の政治家はしばしば宇宙を遠くの問題として語るが、宇宙からの荷が止まれば、まず地球の港が痩せる。

 

 カーヴァインは、膝の上に置いた手を組み直した。

 

「ティターンズを一掃すれば、すべてが戻ると?」

 

「戻りません。だから、あなたが必要です。軍ができるのは、撃つ者を止めるところまでです。その後に、行政を戻す者が要る」

 

「私は英雄には向きません」

 

「英雄はいりません。票を数えられる人間が必要です」

 

 カーヴァインは、そこで初めてわずかに笑った。

 

 嬉しそうではなかった。

 

 しかし、相手の言葉が自分の急所に届いたことは認めている顔だった。

 

「あなたは、軍人にしては嫌な言い方をする」

 

「政治家に頼む時は、政治家の得意なことを頼むべきだと思っています」

 

 しばらく沈黙があった。

 

 廊下で誰かが走る足音がした。すぐに止まり、遠ざかっていった。

 

 カーヴァインは秘書を見た。

 

「非公式会合を開く。名前は出すな。場所も変えろ」

 

 秘書が頷く。

 

 カーヴァインはブレックスへ視線を戻した。

 

「三十人は呼べます。五十人までは、条件次第です」

 

「十分です」

 

「十分ではありません。ですが、始めるには足ります」

 

 ブレックスは、深く頭を下げなかった。

 

 ここで必要なのは礼ではない。これから一緒に汚れた机に向かう者同士の確認だった。

 

「お願いします」

 

 カーヴァインは椅子の背にもたれた。

 

「お願いではなく、取引です。地球と宇宙をつなぎ直す。そのための票を、私は集める。あなたは、その間に軍を暴走させない」

 

「約束します」

 

「なら、始めましょう」

 

 その言葉は小さかった。

 

 だが、港で最初のクレーンが動いた時と似ていた。

 

 小さいが、何かが動き始める音だった。

 

―――――

 

 BLLダカール臨時活動拠点は、港湾倉庫をそのまま使っていた。

 

 壁には古い荷役番号が残り、床にはまだ油染みがある。そこへ仮設机を並べ、端末を置き、通信ケーブルを這わせ、荷札を吊るした。医療品、食糧、港湾復旧資材、簡易発電機、MS整備部品。ものの種類が多すぎる。行き先も多すぎる。しかも、すべて急ぎだった。

 

 セイラは、緑色の端末板を片手に、通路の中央に立っていた。

 

「医療品と食糧を同じ車列にしないで。薬品用の冷却箱は先に病院へ。食糧は配布所ごとに分けます」

 

 BLLスタッフが駆け寄ってくる。

 

「キリマンジャロからも部品要求です。ネモの脚部関節、リック・ディアスの推進系、ベースジャバー固定具」

 

 エドワウが横から声を出した。

 

「軍需と救難を同じ輸送に積むな。検査で詰まる」

 

「ホワイトベースから追加要求。通信中継器、野戦医療キット、簡易テント」

 

 通信係の声が飛ぶ。

 

 セイラは一瞬だけ目を閉じた。

 

 眠いのではない。

 

 頭の中の荷物の置き場を、入れ替えているのだ。

 

「順番をつけて。命に関わるものが先。MS部品はキリマンジャロ向けの別輸送。通信中継器は野戦医療キットと一緒に出して。簡易テントは食糧の後です」

 

 スタッフが走る。

 

 エドワウは、山のような木箱とコンテナの間を見て、短く息を吐いた。

 

「人手が足りない」

 

「だからミライさんに頼むわ」

 

 セイラは即答した。

 

「もう頼んだのか」

 

「今から頼みます」

 

「頼む前から答えを決めている顔だな」

 

「断らない方を知っていますから」

 

 エドワウは何か言いかけたが、結局やめた。

 

 妹は、必要な時には人へ頼れるようになっていた。

 

 それは、強さの一種だった。

 

―――――

 

 通信室は、倉庫の奥に作られていた。

 

 外では台車の音がしている。通信卓の上には、港湾地図、輸送予定、積載表が並んでいた。セイラは座らずに通信をつないだ。座ると、立てなくなりそうだった。

 

 画面にミライ・ヤシマの顔が映った。

 

 落ち着いた目をしていた。だが、その目は画面越しにセイラの疲れをすぐ見つけた。

 

「セイラ、声が少し疲れてるわ。休憩、取れているの?」

 

 セイラは少しだけ口元を緩めた。

 

「……取れている、と言いたいところですけど、あまり」

 

「でしょうね。あなた、無理をしている時ほど声が丁寧になるもの」

 

「ミライさんには、隠せませんね」

 

「隠さなくていいの。必要な荷を言って。こちらで輸送を組むわ」

 

 セイラは、手元の積載表へ目を落とした。

 

「医療品、食糧、港湾復旧資材、それからMS整備部品です。全部足りません」

 

 ミライが小さく笑った。

 

「ずいぶん欲張りな妹ね」

 

 セイラは一瞬だけ黙った。

 

 それから、いつもより少し柔らかい声で言った。

 

「姉のような方に頼む時は、少し欲張ってもいいと思いました」

 

 画面の向こうで、ミライの目が優しくなった。

 

「いいわ。シャトル輸送を組みます。ヤシマ側で二本、サイド7側で一本。積み替えは減らして、直接ダカールへ降ろす形にしましょう」

 

「助かります。本当に」

 

「お礼は、ちゃんと寝てから聞くわ」

 

「それは……難しい注文です」

 

「セイラ」

 

「はい」

 

「休める時に、十分でも目を閉じなさい。あなたが倒れたら、荷は動かないのよ」

 

 セイラは端末を見つめたまま、少しだけ黙った。

 

「分かりました。十分だけ」

 

「約束ね」

 

 横で聞いていたエドワウが、軽く眉を上げた。

 

「私が言っても聞かないのにな」

 

 セイラは端末から目を離さずに答えた。

 

「兄さんは命令みたいに言うからです」

 

 ミライが画面の向こうで笑った。

 

「それは兄として減点ね、エドワウさん」

 

「手厳しい」

 

「妹さんを預かるつもりで輸送を出します。だから、あなたも少し休ませてあげてください」

 

 エドワウは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

 それから、静かに頷いた。

 

「分かりました」

 

 通信が切れると、セイラは椅子に腰を下ろした。

 

 ほんの一瞬だけ、背中から力が抜けた。

 

「十分だけだぞ」

 

 エドワウが言った。

 

「兄さんが言うと、やはり命令みたいです」

 

 セイラは目を閉じた。

 

 でも、その声には少しだけ笑いが混じっていた。

 

―――――

 

 ホワイトベース艦内では、別の時間が流れていた。

 

 ブライト・ノアは、レビル大将の随行士官として呼ばれていた。通路には連絡士官が走り、護衛配置の確認、視察順路、通信予定が次々と運ばれてくる。

 

 パオロが書類板を手にやってきた。

 

「ブライト、レビル大将のBLL視察に随行しろ」

 

「自分が、ですか」

 

「大将が君を指名した。現場を見る目が欲しいそうだ」

 

 ブライトは短く敬礼した。

 

「了解しました」

 

 その時、通信端末が鳴った。

 

 エマリーからだった。

 

「リック・ディアスの推進系確認で、今日は格納庫を離れられません」

 

 画面の中のエマリーは、整備用の端末を抱えていた。髪に少し油がついている。本人は気づいていない。

 

「分かった。無理をするな」

 

「それはこちらの台詞です」

 

 ブライトは少しだけ視線を逸らした。

 

「……会えないな」

 

「戦争中ですから」

 

「分かっている」

 

 エマリーは、画面の向こうで少しだけ目を細めた。

 

「分かっている顔ではありませんね」

 

 ブライトは返事に困った。

 

 彼は任務を投げ出す男ではない。自分の役目も分かっている。だが、会いたいと思うことまで止められない。そういう自分が子供じみていて、少し腹立たしかった。

 

「戻ったら、連絡する」

 

「はい。私も、格納庫が落ち着いたら」

 

 通信が切れた。

 

 ブライトは端末を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 

 パオロが咳払いをした。

 

「若いな」

 

「……失礼しました」

 

「悪いことではない。だが、今は大将の随行だ」

 

「分かっています」

 

 ブライトは背筋を伸ばした。

 

 それでも胸のどこかに、会えないという小さな苛立ちが残っていた。

 

―――――

 

 アムロは、BLL活動拠点の外にいた。

 

 倉庫街はざわついている。台車が走り、荷役車両が通り、作業員が怒鳴り合う。誰かが壊れた端末を叩き、別の誰かがそれをやめろと叫んだ。

 

 その中に、合わない男がいた。

 

 一度目は港湾入口で見た。

 

 二度目は通信車両の近く。

 

 三度目はBLL臨時拠点の裏手。

 

 作業員の服を着ている。だが、靴が違った。港湾労働者の靴ではない。足の運びも違う。荷物を見る目ではなく、人の出入りを見る目をしていた。

 

 アムロは警備員に近づいた。

 

「見られている」

 

 警備員が顔を上げる。

 

「ティターンズ残党ですか」

 

「違う。もっと静かです」

 

 そこへエドワウが来た。

 

「連邦軍情報部か」

 

「たぶん。敵意は薄い。でも、中を知りたがっている」

 

「BLLが大きく動きすぎた。見に来るのは当然だ」

 

「秘匿区画へは近づけない方がいい」

 

 エドワウは倉庫の奥を見た。

 

 そこには、単なる物資以上のものがある。見られてはいけないものもある。連邦を勝たせながら、連邦から隠さなければならないものがある。

 

「ああ。警備区域を二重にする。表向きは物資盗難対策だ」

 

 アムロは頷いた。

 

 敵なら撃てる。

 

 だが、味方の顔をした監視は撃てない。

 

 その厄介さが、彼は嫌いだった。

 

―――――

 

 レビル訪問の一時間前、BLL拠点はさらに騒がしくなった。

 

「レビル大将が来るそうです」

 

 スタッフが駆け込んできた。

 

 セイラが顔を上げる。

 

「今?」

 

「一時間後です」

 

 エドワウは、周囲の荷札と積み上げられた箱を見た。

 

「片づけるな」

 

「え?」

 

 セイラが聞き返した。

 

「見せるなら、このまま見せる。荷札、走る作業員、足りない人手、壊れた端末。綺麗な部屋を見せても意味がない」

 

「礼儀としては、少しは整えた方がいいと思います」

 

「整えたら、ここがどれだけ詰まりかけているか分からない」

 

 アムロが横から言った。

 

「警備は増やした方がいい」

 

 エドワウは頷く。

 

「情報部か」

 

「来るかもしれない。レビル大将の訪問に紛れる」

 

 セイラは短く息を吐いた。

 

「面倒ね」

 

「戦争より面倒なものが増えてきた」

 

 エドワウはそう言い、倉庫の奥へ目を向けた。

 

 戦闘は終わっていない。

 

 ただ、弾が別の形になっただけだった。

 

―――――

 

 レビルは、護衛を最小限にしてBLL拠点へ来た。

 

 その後ろにブライトがいた。若い顔に緊張があり、しかし余計な硬さはない。さらにその後ろから、一人の女性士官が入ってきた。

 

 マチルダ・アジャン中尉。

 

 赤みのある短い髪が、制帽の下からのぞいている。整った大きな瞳。端正で落ち着いた顔立ち。ベージュ系の連邦軍女性士官制服は乱れがなく、赤い襟元と袖口、金色の縁取りと徽章が、倉庫の灯りを受けて小さく光った。黒いベルトの位置も崩れていない。

 

 左脇には、緑色のファイルを挟んでいた。

 

 彼女は部屋に入ると、人の顔より先に荷の置き場を見た。医療品。食糧。復旧資材。MS部品。台車の通路。冷却箱の位置。そういうものを、順番に目で追った。

 

 レビルが言った。

 

「ここが黒猫ルシファー・ロジスティックスの前線か」

 

 エドワウは軽く頭を下げた。

 

「前線というより、荷物置き場です」

 

「兄さん、失礼です」

 

 セイラがすぐに言った。

 

 レビルは口元をわずかに緩めた。

 

「いや、よい。軍の前線より騒がしい」

 

 マチルダが静かに言った。

 

「騒がしいのに、荷の流れは止まっていませんね」

 

 セイラがマチルダを見た。

 

「分かりますか」

 

「はい。医療品、食糧、復旧資材、MS整備部品が同じ倉庫に入っているのに、行き先が混ざっていません。普通はここで詰まります」

 

 エドワウは即座に答えた。

 

「詰まる寸前です」

 

「でも、まだ流れています。軍の補給所なら、もっと早く止まっています」

 

 レビルがマチルダを見た。

 

「アジャン中尉、どう見る」

 

 マチルダは左脇の緑色のファイルを少し持ち直した。

 

「この拠点は、補給所ではありません。臨時の港湾司令部に近いです。荷を置くだけではなく、行き先と優先順位をここで決めています」

 

 セイラは頷いた。

 

「その通りです」

 

「なら、連邦軍側の要求窓口を一本化しないと、すぐ破綻します。ホワイトベース、キリマンジャロ、ダカール病院、港湾復旧班、全部が直接BLLに要求を投げれば、三日も持ちません」

 

 エドワウが聞いた。

 

「では、誰が束ねますか」

 

 マチルダは迷わなかった。

 

「私がやります」

 

 倉庫の音が、一瞬だけ遠くなった。

 

 レビルが、マチルダの顔を見た。

 

「言ったな、中尉」

 

「はい。やらなければ、前線が勝っても後方で負けます」

 

 その言葉は、倉庫の空気によく合っていた。

 

 飾りがない。

 

 だが、強い。

 

 ブライトは、レビルの後ろから一歩出た。

 

 アムロの前で足を止める。

 

「君が、ガンダムのパイロットか」

 

 アムロは一瞬だけ返事が遅れた。

 

 その声を知っていた。

 

 もっと硬く、もっと怒っていて、もっと余裕のない声として。

 

「はい。アムロ・レイです」

 

 ブライトは小さく頷いた。

 

「ブライト・ノアだ。レビル大将の随行で来ている。先日の航空戦、見事だった」

 

「ありがとうございます」

 

 アムロは敬礼した。

 

 こいつ、この頃こんなに柔らかかったっけ。

 

 前の記憶のブライトは、いつも怒っていた。怒っているというより、怒っていなければ立っていられない人だった。少年兵を叱り、艦を守り、死者の名前を飲み込み、自分より年上の顔をしていた。

 

 目の前のブライトは違った。

 

 まだ若い。

 

 疲れてはいる。責任も背負っている。けれど、すべてを抱え込む前の顔をしている。

 

 前の戦争では、自分もブライトも、互いの若さを見る余裕などなかった。

 

 そのブライトの後ろで、マチルダがファイルを開いていた。

 

 アムロは一瞬、視線を止めた。

 

 赤みのある短い髪。

 

 制帽。

 

 大きな瞳。

 

 左脇に挟まれた緑色のファイル。

 

 記憶の中の彼女より、少し若い。だが、声の落ち着きは同じだった。燃料、弾薬、部品、人員。戦場で最初に足りなくなるものを、彼女は最初から知っている顔をしていた。

 

 胸の奥で古い音がした。

 

 ドムの巨体。

 

 黒い機影。

 

 伸びた手。

 

 届かなかったビーム。

 

 壊れていく輸送機。

 

 あの時、自分は間に合わなかった。

 

 初めて大人の女性を綺麗だと思った。優しいと思った。戦場の中で、自分をただのパイロットではなく、一人の少年として見てくれた人だった。

 

 その人を、目の前で死なせた。

 

 今の彼女は生きている。

 

 まだ死んでいない。

 

 それだけで、胸の奥の古い傷が熱を持った。

 

 アムロは何も言わなかった。

 

 言えば、声に前の戦争の後悔が混じると思った。

 

 エドワウは、アムロが一瞬だけ呼吸を止めたことに気づいた。理由は聞かなかった。聞かなくても、おおよその見当はついた。

 

 レビルは倉庫の中を見渡していた。

 

 騒がしい。汚い。通路は狭い。荷札は多すぎる。

 

 だが、動いている。

 

「ダカールが燃えずに済んだ理由が、少し分かった」

 

 レビルが言った。

 

 セイラが答える。

 

「燃えたら、ここは動きませんでした」

 

「そして、ここが動かなければ、軍も動かん」

 

 レビルは静かにそう言った。

 

 軍の前線だけが前線ではない。

 

 そのことを、彼は見ていた。

 

―――――

 

 視察団が帰った後、倉庫の裏手で一人の男が動線から外れた。

 

 作業員の服を着ている。だが、歩き方が違う。目的のない人間の歩き方ではない。どこへ行くか、最初から決めている。

 

 男は秘匿区画へ向かおうとして、BLL警備員に止められた。

 

「そちらは立入禁止です」

 

「補給監査班だ。レビル大将の視察に同行している」

 

 男は身分証を見せた。

 

 アムロは、その身分証を見なかった。男の目を見た。

 

「監査なら、表の荷捌き場です。そっちは通信機材しかありません」

 

「確認するだけだ」

 

「必要ありません」

 

 男はアムロを見た。

 

「君は?」

 

「作業員です」

 

 その返事に、男の目が少しだけ細くなった。

 

 後ろからエドワウが来た。

 

「ここから先はBLLの社内区画です。監査が必要なら正式書類を出してください」

 

 男は一歩下がった。

 

 だが、目だけは残った。

 

 去る時も、完全には背を向けなかった。

 

 アムロはその背中を見た。

 

「また来る」

 

「来るだろうな」

 

 エドワウは短く答えた。

 

「連邦に勝たせているのに、連邦から隠すものがある。面倒な話だ」

 

 アムロは何も言わなかった。

 

 敵なら撃てる。

 

 味方の顔をした監視は、撃てない。

 

―――――

 

 夜のダカール港には、灯りが戻っていた。

 

 すべてではない。欠けた場所もある。暗い倉庫もある。だが、岸壁には作業灯が点き、車両のヘッドライトが細く動いていた。海面に光が落ち、波で少しずつ崩れる。

 

 セイラが端末を見ていた。

 

「ミライさんから返信。第一シャトル輸送、明朝出発予定。医療品、食糧、通信中継器、MS整備部品を分けて積むそうです」

 

 エドワウは小さく頷いた。

 

「助かる」

 

 アムロは倉庫の影を見ていた。

 

「情報部の目が増えると思う」

 

「分かっている。目立ちすぎた」

 

 セイラは端末から顔を上げた。

 

「BLLは隠れる会社ではないわ」

 

 エドワウは少しだけ黙った。

 

「だが、隠さなければならないものもある」

 

 セイラは、その意味を最後まで聞かなかった。

 

 聞かないことも、信頼の形になる。兄が言わないなら、今は言えない理由があるのだと、彼女は理解した。

 

 遠くで、ブライトがレビルの後ろを歩いていた。

 

 エマリーとは今日も会えない。

 

 ブライトは、それを誰にも言わない。会えないことに苛立つ自分が情けないと思っている。だが、会いたいという気持ちは消えない。戦争の中で、それだけはどうにもならなかった。

 

 港には灯りが戻った。

 

 荷は動いている。

 

 議会も動き始めた。

 

 だが、その灯りの届かない倉庫の影で、別の戦いが始まっていた。

 

 

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