ダカールの港には、朝から低い機械音が戻っていた。
燃え残った匂いはまだあった。油と潮と火薬が混じり、古い鉄の表面にこびりついている。岸壁の一部は砲撃で欠け、白いコンクリート片が足元に散っていた。港湾労働者たちはそれを避けながら歩き、時々、昨日までそこにあったはずのものを探すように足を止めた。
それでもクレーンは動いていた。
太いワイヤが軋み、医療品のコンテナがゆっくりと岸壁へ下ろされる。誘導棒を持った男が、歯を食いしばるような顔で手を振った。別の男が荷札を読み上げる。コンテナの角が倉庫前の標識に触れそうになり、若い作業員が慌てて走った。
戦争が終わったわけではない。
ただ、港が動き出しただけだ。
しかし、ブレックス・フォーラには、それが大きな違いに見えた。動く港は、人を黙らせる。空っぽの演説よりも、降ろされる薬品箱の方が、時として人の胸に届く。
臨時行政区画に転用された港湾管理棟の一室で、ブレックスは机の上に置かれた名簿を見ていた。武装解除された兵士の氏名、所属、階級、負傷の有無。隣には、港湾復旧計画の草案、降伏兵の身分保護に関する声明案、輸送再開に関する要求書が積まれている。
そこへ、キリマンジャロからの報告が入った。
レビルは通信文を読み、顔を上げた。
「キリマンジャロは落ちた。だが、ジャミトフは逃げた」
部屋の中で、何人かが短く息を吸った。
ブレックスは驚かなかった。
驚かなかった自分に、少しだけ苦いものを覚えた。
「なら、軍だけでは終わりません。議会を動かします」
レビルは、横目でブレックスを見た。
「ティターンズを軍から剥がすだけでは足りんか」
「足りません。予算、人事、輸送、司法、各委員会。そこを握り直さなければ、ティターンズの残党は名前を変えて残ります」
ワッケイン大佐が、窓際で腕を組んでいた。戦闘後も姿勢が崩れない男だった。
「議会側に、そこまで動ける者がいますか」
ブレックスは机の端に置かれた一枚の名簿を指で押さえた。
「います。表には出たがらない男ですが」
秘書官が、細い声で名前を出した。
「ユージン・カーヴァイン議員ですね」
ブレックスは頷いた。
「彼を動かす」
レビルはしばらく黙っていた。
軍人としての彼は、そこから先を砲や艦で処理できないことをよく知っていた。戦場には、撃てる敵と撃てない敵がある。議会の机、委員会の議事録、予算の数字、人事の署名。そういうものは、砲撃では沈黙しない。
「行け」
レビルは短く言った。
「私は港と基地を押さえる。君は議会を押さえろ」
「はい」
ブレックスは名簿を閉じた。
戦場が変わっただけだった。
―――――
臨時議員宿舎は、古いホテルを転用した建物だった。
ロビーの絨毯には薄い染みがあり、エレベーターは二基のうち一基しか動いていない。廊下の照明は半分だけ点いていた。窓の外には軍用車両が走り、遠くで港湾クレーンの音が低く響いている。
ユージン・カーヴァイン議員は、三階の角部屋にいた。
背の高い男ではなかった。六十代前半。白髪が目立ち、目元には疲れがあった。だが、その疲れは逃亡者のものではない。長い時間、議場の奥で票を数え、相手の沈黙の意味を読み続けてきた人間の疲れだった。
部屋には若手議員が数人いた。彼らはブレックスを見ると、少し背筋を伸ばした。カーヴァインだけが椅子から立たなかった。失礼なのではない。無駄な動作を省く人間なのだと、ブレックスは思った。
「ブレックス准将。あなたは軍で勝った。だが、議会は砲撃では動きません」
カーヴァインは、低い声で言った。
ブレックスは帽子を脱ぎ、ゆっくりと頷いた。
「だからあなたを訪ねました」
「私に革命家になれと?」
「違います。議会人に戻っていただきたい」
カーヴァインの眉が動いた。
「議会人?」
「ティターンズの顔色を見て予算を通すのではなく、地球と宇宙を再びつなぐ予算を通す。輸送を戻す。港を動かす。各サイドとの信用を回復する。そういう議会人です」
窓の外で、クレーンの音がした。
カーヴァインはその音を聞いてから、ゆっくりと口を開いた。
「宇宙に譲歩しすぎれば、地球の有権者は黙りません」
「譲歩ではありません。地球は宇宙なしに食えない。宇宙も地球なしに安定しない。ティターンズはそれを憎悪で切った。結果、地球の港も倉庫も痩せた」
若手議員の一人が、目を伏せた。
この数週間、彼らは倉庫の中身を見ていた。輸送の遅れ、燃料の不足、医療品の偏り、港湾労働者の賃金遅配。地球の政治家はしばしば宇宙を遠くの問題として語るが、宇宙からの荷が止まれば、まず地球の港が痩せる。
カーヴァインは、膝の上に置いた手を組み直した。
「ティターンズを一掃すれば、すべてが戻ると?」
「戻りません。だから、あなたが必要です。軍ができるのは、撃つ者を止めるところまでです。その後に、行政を戻す者が要る」
「私は英雄には向きません」
「英雄はいりません。票を数えられる人間が必要です」
カーヴァインは、そこで初めてわずかに笑った。
嬉しそうではなかった。
しかし、相手の言葉が自分の急所に届いたことは認めている顔だった。
「あなたは、軍人にしては嫌な言い方をする」
「政治家に頼む時は、政治家の得意なことを頼むべきだと思っています」
しばらく沈黙があった。
廊下で誰かが走る足音がした。すぐに止まり、遠ざかっていった。
カーヴァインは秘書を見た。
「非公式会合を開く。名前は出すな。場所も変えろ」
秘書が頷く。
カーヴァインはブレックスへ視線を戻した。
「三十人は呼べます。五十人までは、条件次第です」
「十分です」
「十分ではありません。ですが、始めるには足ります」
ブレックスは、深く頭を下げなかった。
ここで必要なのは礼ではない。これから一緒に汚れた机に向かう者同士の確認だった。
「お願いします」
カーヴァインは椅子の背にもたれた。
「お願いではなく、取引です。地球と宇宙をつなぎ直す。そのための票を、私は集める。あなたは、その間に軍を暴走させない」
「約束します」
「なら、始めましょう」
その言葉は小さかった。
だが、港で最初のクレーンが動いた時と似ていた。
小さいが、何かが動き始める音だった。
―――――
BLLダカール臨時活動拠点は、港湾倉庫をそのまま使っていた。
壁には古い荷役番号が残り、床にはまだ油染みがある。そこへ仮設机を並べ、端末を置き、通信ケーブルを這わせ、荷札を吊るした。医療品、食糧、港湾復旧資材、簡易発電機、MS整備部品。ものの種類が多すぎる。行き先も多すぎる。しかも、すべて急ぎだった。
セイラは、緑色の端末板を片手に、通路の中央に立っていた。
「医療品と食糧を同じ車列にしないで。薬品用の冷却箱は先に病院へ。食糧は配布所ごとに分けます」
BLLスタッフが駆け寄ってくる。
「キリマンジャロからも部品要求です。ネモの脚部関節、リック・ディアスの推進系、ベースジャバー固定具」
エドワウが横から声を出した。
「軍需と救難を同じ輸送に積むな。検査で詰まる」
「ホワイトベースから追加要求。通信中継器、野戦医療キット、簡易テント」
通信係の声が飛ぶ。
セイラは一瞬だけ目を閉じた。
眠いのではない。
頭の中の荷物の置き場を、入れ替えているのだ。
「順番をつけて。命に関わるものが先。MS部品はキリマンジャロ向けの別輸送。通信中継器は野戦医療キットと一緒に出して。簡易テントは食糧の後です」
スタッフが走る。
エドワウは、山のような木箱とコンテナの間を見て、短く息を吐いた。
「人手が足りない」
「だからミライさんに頼むわ」
セイラは即答した。
「もう頼んだのか」
「今から頼みます」
「頼む前から答えを決めている顔だな」
「断らない方を知っていますから」
エドワウは何か言いかけたが、結局やめた。
妹は、必要な時には人へ頼れるようになっていた。
それは、強さの一種だった。
―――――
通信室は、倉庫の奥に作られていた。
外では台車の音がしている。通信卓の上には、港湾地図、輸送予定、積載表が並んでいた。セイラは座らずに通信をつないだ。座ると、立てなくなりそうだった。
画面にミライ・ヤシマの顔が映った。
落ち着いた目をしていた。だが、その目は画面越しにセイラの疲れをすぐ見つけた。
「セイラ、声が少し疲れてるわ。休憩、取れているの?」
セイラは少しだけ口元を緩めた。
「……取れている、と言いたいところですけど、あまり」
「でしょうね。あなた、無理をしている時ほど声が丁寧になるもの」
「ミライさんには、隠せませんね」
「隠さなくていいの。必要な荷を言って。こちらで輸送を組むわ」
セイラは、手元の積載表へ目を落とした。
「医療品、食糧、港湾復旧資材、それからMS整備部品です。全部足りません」
ミライが小さく笑った。
「ずいぶん欲張りな妹ね」
セイラは一瞬だけ黙った。
それから、いつもより少し柔らかい声で言った。
「姉のような方に頼む時は、少し欲張ってもいいと思いました」
画面の向こうで、ミライの目が優しくなった。
「いいわ。シャトル輸送を組みます。ヤシマ側で二本、サイド7側で一本。積み替えは減らして、直接ダカールへ降ろす形にしましょう」
「助かります。本当に」
「お礼は、ちゃんと寝てから聞くわ」
「それは……難しい注文です」
「セイラ」
「はい」
「休める時に、十分でも目を閉じなさい。あなたが倒れたら、荷は動かないのよ」
セイラは端末を見つめたまま、少しだけ黙った。
「分かりました。十分だけ」
「約束ね」
横で聞いていたエドワウが、軽く眉を上げた。
「私が言っても聞かないのにな」
セイラは端末から目を離さずに答えた。
「兄さんは命令みたいに言うからです」
ミライが画面の向こうで笑った。
「それは兄として減点ね、エドワウさん」
「手厳しい」
「妹さんを預かるつもりで輸送を出します。だから、あなたも少し休ませてあげてください」
エドワウは一瞬だけ言葉に詰まった。
それから、静かに頷いた。
「分かりました」
通信が切れると、セイラは椅子に腰を下ろした。
ほんの一瞬だけ、背中から力が抜けた。
「十分だけだぞ」
エドワウが言った。
「兄さんが言うと、やはり命令みたいです」
セイラは目を閉じた。
でも、その声には少しだけ笑いが混じっていた。
―――――
ホワイトベース艦内では、別の時間が流れていた。
ブライト・ノアは、レビル大将の随行士官として呼ばれていた。通路には連絡士官が走り、護衛配置の確認、視察順路、通信予定が次々と運ばれてくる。
パオロが書類板を手にやってきた。
「ブライト、レビル大将のBLL視察に随行しろ」
「自分が、ですか」
「大将が君を指名した。現場を見る目が欲しいそうだ」
ブライトは短く敬礼した。
「了解しました」
その時、通信端末が鳴った。
エマリーからだった。
「リック・ディアスの推進系確認で、今日は格納庫を離れられません」
画面の中のエマリーは、整備用の端末を抱えていた。髪に少し油がついている。本人は気づいていない。
「分かった。無理をするな」
「それはこちらの台詞です」
ブライトは少しだけ視線を逸らした。
「……会えないな」
「戦争中ですから」
「分かっている」
エマリーは、画面の向こうで少しだけ目を細めた。
「分かっている顔ではありませんね」
ブライトは返事に困った。
彼は任務を投げ出す男ではない。自分の役目も分かっている。だが、会いたいと思うことまで止められない。そういう自分が子供じみていて、少し腹立たしかった。
「戻ったら、連絡する」
「はい。私も、格納庫が落ち着いたら」
通信が切れた。
ブライトは端末を見つめたまま、しばらく動かなかった。
パオロが咳払いをした。
「若いな」
「……失礼しました」
「悪いことではない。だが、今は大将の随行だ」
「分かっています」
ブライトは背筋を伸ばした。
それでも胸のどこかに、会えないという小さな苛立ちが残っていた。
―――――
アムロは、BLL活動拠点の外にいた。
倉庫街はざわついている。台車が走り、荷役車両が通り、作業員が怒鳴り合う。誰かが壊れた端末を叩き、別の誰かがそれをやめろと叫んだ。
その中に、合わない男がいた。
一度目は港湾入口で見た。
二度目は通信車両の近く。
三度目はBLL臨時拠点の裏手。
作業員の服を着ている。だが、靴が違った。港湾労働者の靴ではない。足の運びも違う。荷物を見る目ではなく、人の出入りを見る目をしていた。
アムロは警備員に近づいた。
「見られている」
警備員が顔を上げる。
「ティターンズ残党ですか」
「違う。もっと静かです」
そこへエドワウが来た。
「連邦軍情報部か」
「たぶん。敵意は薄い。でも、中を知りたがっている」
「BLLが大きく動きすぎた。見に来るのは当然だ」
「秘匿区画へは近づけない方がいい」
エドワウは倉庫の奥を見た。
そこには、単なる物資以上のものがある。見られてはいけないものもある。連邦を勝たせながら、連邦から隠さなければならないものがある。
「ああ。警備区域を二重にする。表向きは物資盗難対策だ」
アムロは頷いた。
敵なら撃てる。
だが、味方の顔をした監視は撃てない。
その厄介さが、彼は嫌いだった。
―――――
レビル訪問の一時間前、BLL拠点はさらに騒がしくなった。
「レビル大将が来るそうです」
スタッフが駆け込んできた。
セイラが顔を上げる。
「今?」
「一時間後です」
エドワウは、周囲の荷札と積み上げられた箱を見た。
「片づけるな」
「え?」
セイラが聞き返した。
「見せるなら、このまま見せる。荷札、走る作業員、足りない人手、壊れた端末。綺麗な部屋を見せても意味がない」
「礼儀としては、少しは整えた方がいいと思います」
「整えたら、ここがどれだけ詰まりかけているか分からない」
アムロが横から言った。
「警備は増やした方がいい」
エドワウは頷く。
「情報部か」
「来るかもしれない。レビル大将の訪問に紛れる」
セイラは短く息を吐いた。
「面倒ね」
「戦争より面倒なものが増えてきた」
エドワウはそう言い、倉庫の奥へ目を向けた。
戦闘は終わっていない。
ただ、弾が別の形になっただけだった。
―――――
レビルは、護衛を最小限にしてBLL拠点へ来た。
その後ろにブライトがいた。若い顔に緊張があり、しかし余計な硬さはない。さらにその後ろから、一人の女性士官が入ってきた。
マチルダ・アジャン中尉。
赤みのある短い髪が、制帽の下からのぞいている。整った大きな瞳。端正で落ち着いた顔立ち。ベージュ系の連邦軍女性士官制服は乱れがなく、赤い襟元と袖口、金色の縁取りと徽章が、倉庫の灯りを受けて小さく光った。黒いベルトの位置も崩れていない。
左脇には、緑色のファイルを挟んでいた。
彼女は部屋に入ると、人の顔より先に荷の置き場を見た。医療品。食糧。復旧資材。MS部品。台車の通路。冷却箱の位置。そういうものを、順番に目で追った。
レビルが言った。
「ここが黒猫ルシファー・ロジスティックスの前線か」
エドワウは軽く頭を下げた。
「前線というより、荷物置き場です」
「兄さん、失礼です」
セイラがすぐに言った。
レビルは口元をわずかに緩めた。
「いや、よい。軍の前線より騒がしい」
マチルダが静かに言った。
「騒がしいのに、荷の流れは止まっていませんね」
セイラがマチルダを見た。
「分かりますか」
「はい。医療品、食糧、復旧資材、MS整備部品が同じ倉庫に入っているのに、行き先が混ざっていません。普通はここで詰まります」
エドワウは即座に答えた。
「詰まる寸前です」
「でも、まだ流れています。軍の補給所なら、もっと早く止まっています」
レビルがマチルダを見た。
「アジャン中尉、どう見る」
マチルダは左脇の緑色のファイルを少し持ち直した。
「この拠点は、補給所ではありません。臨時の港湾司令部に近いです。荷を置くだけではなく、行き先と優先順位をここで決めています」
セイラは頷いた。
「その通りです」
「なら、連邦軍側の要求窓口を一本化しないと、すぐ破綻します。ホワイトベース、キリマンジャロ、ダカール病院、港湾復旧班、全部が直接BLLに要求を投げれば、三日も持ちません」
エドワウが聞いた。
「では、誰が束ねますか」
マチルダは迷わなかった。
「私がやります」
倉庫の音が、一瞬だけ遠くなった。
レビルが、マチルダの顔を見た。
「言ったな、中尉」
「はい。やらなければ、前線が勝っても後方で負けます」
その言葉は、倉庫の空気によく合っていた。
飾りがない。
だが、強い。
ブライトは、レビルの後ろから一歩出た。
アムロの前で足を止める。
「君が、ガンダムのパイロットか」
アムロは一瞬だけ返事が遅れた。
その声を知っていた。
もっと硬く、もっと怒っていて、もっと余裕のない声として。
「はい。アムロ・レイです」
ブライトは小さく頷いた。
「ブライト・ノアだ。レビル大将の随行で来ている。先日の航空戦、見事だった」
「ありがとうございます」
アムロは敬礼した。
こいつ、この頃こんなに柔らかかったっけ。
前の記憶のブライトは、いつも怒っていた。怒っているというより、怒っていなければ立っていられない人だった。少年兵を叱り、艦を守り、死者の名前を飲み込み、自分より年上の顔をしていた。
目の前のブライトは違った。
まだ若い。
疲れてはいる。責任も背負っている。けれど、すべてを抱え込む前の顔をしている。
前の戦争では、自分もブライトも、互いの若さを見る余裕などなかった。
そのブライトの後ろで、マチルダがファイルを開いていた。
アムロは一瞬、視線を止めた。
赤みのある短い髪。
制帽。
大きな瞳。
左脇に挟まれた緑色のファイル。
記憶の中の彼女より、少し若い。だが、声の落ち着きは同じだった。燃料、弾薬、部品、人員。戦場で最初に足りなくなるものを、彼女は最初から知っている顔をしていた。
胸の奥で古い音がした。
ドムの巨体。
黒い機影。
伸びた手。
届かなかったビーム。
壊れていく輸送機。
あの時、自分は間に合わなかった。
初めて大人の女性を綺麗だと思った。優しいと思った。戦場の中で、自分をただのパイロットではなく、一人の少年として見てくれた人だった。
その人を、目の前で死なせた。
今の彼女は生きている。
まだ死んでいない。
それだけで、胸の奥の古い傷が熱を持った。
アムロは何も言わなかった。
言えば、声に前の戦争の後悔が混じると思った。
エドワウは、アムロが一瞬だけ呼吸を止めたことに気づいた。理由は聞かなかった。聞かなくても、おおよその見当はついた。
レビルは倉庫の中を見渡していた。
騒がしい。汚い。通路は狭い。荷札は多すぎる。
だが、動いている。
「ダカールが燃えずに済んだ理由が、少し分かった」
レビルが言った。
セイラが答える。
「燃えたら、ここは動きませんでした」
「そして、ここが動かなければ、軍も動かん」
レビルは静かにそう言った。
軍の前線だけが前線ではない。
そのことを、彼は見ていた。
―――――
視察団が帰った後、倉庫の裏手で一人の男が動線から外れた。
作業員の服を着ている。だが、歩き方が違う。目的のない人間の歩き方ではない。どこへ行くか、最初から決めている。
男は秘匿区画へ向かおうとして、BLL警備員に止められた。
「そちらは立入禁止です」
「補給監査班だ。レビル大将の視察に同行している」
男は身分証を見せた。
アムロは、その身分証を見なかった。男の目を見た。
「監査なら、表の荷捌き場です。そっちは通信機材しかありません」
「確認するだけだ」
「必要ありません」
男はアムロを見た。
「君は?」
「作業員です」
その返事に、男の目が少しだけ細くなった。
後ろからエドワウが来た。
「ここから先はBLLの社内区画です。監査が必要なら正式書類を出してください」
男は一歩下がった。
だが、目だけは残った。
去る時も、完全には背を向けなかった。
アムロはその背中を見た。
「また来る」
「来るだろうな」
エドワウは短く答えた。
「連邦に勝たせているのに、連邦から隠すものがある。面倒な話だ」
アムロは何も言わなかった。
敵なら撃てる。
味方の顔をした監視は、撃てない。
―――――
夜のダカール港には、灯りが戻っていた。
すべてではない。欠けた場所もある。暗い倉庫もある。だが、岸壁には作業灯が点き、車両のヘッドライトが細く動いていた。海面に光が落ち、波で少しずつ崩れる。
セイラが端末を見ていた。
「ミライさんから返信。第一シャトル輸送、明朝出発予定。医療品、食糧、通信中継器、MS整備部品を分けて積むそうです」
エドワウは小さく頷いた。
「助かる」
アムロは倉庫の影を見ていた。
「情報部の目が増えると思う」
「分かっている。目立ちすぎた」
セイラは端末から顔を上げた。
「BLLは隠れる会社ではないわ」
エドワウは少しだけ黙った。
「だが、隠さなければならないものもある」
セイラは、その意味を最後まで聞かなかった。
聞かないことも、信頼の形になる。兄が言わないなら、今は言えない理由があるのだと、彼女は理解した。
遠くで、ブライトがレビルの後ろを歩いていた。
エマリーとは今日も会えない。
ブライトは、それを誰にも言わない。会えないことに苛立つ自分が情けないと思っている。だが、会いたいという気持ちは消えない。戦争の中で、それだけはどうにもならなかった。
港には灯りが戻った。
荷は動いている。
議会も動き始めた。
だが、その灯りの届かない倉庫の影で、別の戦いが始まっていた。