子どもを工廠に連れていくべきではない。
それが一般的な常識だと思う。鋼材は重いし、床は固いし、作業員は忙しい。だいたいどの世界でも、子どもと工場の相性はよくない。ましてそこが、未来の戦争をひそかに組み立てつつある場所なら、なおさらだ。
しかし政治の世界では、一般的な常識というものは驚くほど役に立たない。
役に立つのは、もっと湿っぽくて中途半端な判断だ。連れていかないことで生まれる疑念と、連れていくことで生まれる傷を秤にかけて、まだましな方を選ぶ。国家というものは、そういう消極的な算数の集積でできている。
だから私は、その朝、キャスバルとアルテイシアを工廠へ連れていくことにした。
まるで遠足の引率みたいだったが、もちろん水筒も菓子もなかった。代わりにあったのは警備計画書と避難経路図、それに私のあまりよくない予感だった。
出発前にキシリアが執務室へ現れた。白い手袋をはめ、いつものように、誰かの秘密をもう半分くらい見抜いている顔をしていた。
「本気なのね」と彼女は言った。
「何がだ」
「子どもたちを工廠へ連れていくこと。兄上、時々、信じられないくらい大胆か、信じられないくらい馬鹿か、そのどちらかになるわ」
「両立は可能だ」
「ええ、兄上が証明している」
私は書類から目を上げた。
「お前は反対か」
「反対はしない。ただ、帰ってくるときに人数が減っていたら困るだけ」
「不吉なことを言うな」
「不吉じゃないわ。実務よ」
彼女は机の端の見学許可証を一枚つまみ上げ、眺めた。
「キャスバルはともかく、アルテイシアまで?」
「片方だけ連れていけば余計に物語が生まれる。人は不公平を見つけると、そこに意味を足したがる」
「兄上らしい発想ね。血の通わない優しさ」
「通いすぎた血は掃除が面倒だ」
キシリアは少しだけ笑った。
「ヘルメットは忘れないで。あと、兄上も撃たれないように」
「工廠見学でか?」
「場所は関係ないでしょう。兄上は」
その言い方がひどく正確だったので、私は返事をしなかった。
キャスバルとアルテイシアは、ダイクン家の仮住まいの玄関で待っていた。
キャスバルは濃い色の上着を着て、顔つきだけはすでに少年というより若い裁判官のようだった。アルテイシアは薄い青のワンピースで、落ち着きなく靴先を見ていた。子どもらしさというのは救いだが、同時に大人を試す装置でもある。
「おはよう」と私は言った。
アルテイシアが先に答えた。
「おはよう。ほんとうに行くの?」
「そのつもりだ」
「おおきい機械がある?」
「嫌になるほどある」
「じゃあ行く」
それで話は半分済んだ。
もう半分はキャスバルだった。
「なぜ僕たちを」と彼は訊いた。
「見せたいものがある」
「何を」
「戦争がどうやって始まるか」
彼は少しだけ目を細めた。
「兵士で?」
「違う。兵士が出るのはずっと後だ。もっと先に来るものがある」
「何です」
「見積書と稟議書だ」
アルテイシアが私の顔を見て言った。
「それ、つまんなそう」
「安心しろ」と私は言った。「現物はもっと大きい」
車の中で、キャスバルはほとんど黙っていた。窓の外を流れるサイド3の街路と搬送路、広告灯、空調塔、警備ドーム。それらをひとつ残らず記憶しているようだった。記憶する子どもはやっかいだ。忘れられる子どもより、ずっと。
一方アルテイシアは、なぜ人工空が毎朝少しずつ色を変えるのか、なぜ道路脇の植栽は全部同じ高さなのか、なぜ警備車両はあんなに四角いのかを次々に訊いた。私は答えられるものだけ答えた。答えられないものは、「設計した人間の趣味が悪い」と言えばだいたい通用した。
工廠ブロックに着くと、空気はすぐに変わった。
油と熱と金属粉の匂い。搬送クレーンの低い駆動音。高所作業灯の白さ。現場の空気には、いつだって少しだけ宗教に似たところがある。人は自分の手で巨大なものを作っているとき、妙に敬虔になる。
迎えに出たのはランバ・ラルだった。
まだ若いが、すでに軍服がよく似合っていた。彼は子どもたちを見て、いくらか驚きを隠したあと、すぐに表情を整えた。
「ギレン閣下」と彼は言った。「見学対象が想定より若年です」
「教育方針の変更だ」
「壮大な現場教育ですね」
「現場はたいてい壮大だ。教育はだいたい間に合わないが」
ランバ・ラルはアルテイシアに視線を落とし、少し腰をかがめた。
「危ない場所です。手を離さないように」
「誰の?」とアルテイシアが訊いた。
「……大人の誰かのです」
「じゃあ、このこわい人の?」と彼女は私を指した。
「できれば」とランバは言った。
彼は優秀だった。
子どもに向かって無理に笑わない。笑顔が苦手な人間の無理な笑顔ほど、子どもを不安にさせるものはない。
私たちは見学用の回廊を歩いた。厚いガラスの向こうで、搬送アームが巨大なフレームを吊り上げ、作業員たちがその周囲で小さく動いていた。上から見ると、人間はずいぶん頼りない。しかし、その頼りない生き物がこういうものを作る。そこに文明の可笑しさがある。
「これはなに」とアルテイシアが訊いた。
「作業用の機械だ」と私は言った。
「うそ」と彼女は言った。
私は足を止めた。
「なぜそう思う」
「だって、ぜんぶ、つかむ手がつよそう」
私はランバ・ラルを見た。彼も何も言わなかった。
子どもは、ときどき設計意図より本音を先に見抜く。
キャスバルがガラス越しの機体を見ながら言った。
「作業用なら、こんなに推力はいらない」
「よく見ているな」
「父上は、機械を見るときはまず重心を見ろと言っていた」
「いい教えだ」
「あなたは何を見るんです」
「納期だ」
彼はその返答を面白がらなかった。
私は少しだけ面白かった。
さらに奥へ進むと、試験区画の前で一団の技師が待っていた。設計主任が説明を始めたが、案の定、専門用語が多すぎた。技術者は言葉を節約する一方で、意味は増やしたがる。
「――したがって、各軸可動域におけるトルク偏差を」
「要点だけでいい」と私は言った。
主任は咳払いした。
「動きます。壊れにくくなりました。量産はまだ難しいです」
「その順番で十分だ」
アルテイシアがランバ・ラルの袖を引いた。
「このへや、なんでこんなにさむいの」
「機械の都合です」
「機械って、わがまま」
「人間よりはましです」とランバ・ラルは答えた。
私は彼を見た。
ますますよかった。こういうときに気の利いたことを言える軍人は、兵を無駄に凍らせない。
一通り見学が進んだころ、休憩室に通された。
鉄骨の匂いに慣れたあとだと、そこで出された薄い紅茶の匂いがやけに人間的に思えた。休憩室の壁には安全標語が貼ってあった。安全第一。確認徹底。焦りは事故のもと。戦争準備の現場にぴったりの標語だった。誰も守らないという意味で。
キャスバルは紙コップに触れず、私を見ていた。
「何だ」
「あなたは、これを全部、連邦と戦うために作っているんですね」
「今のところは抑止のためだ」
「抑止が失敗したら?」
「そのときは戦争だ」
「簡単に言うんですね」
「簡単ではない。簡単に言わないと、部下が困るだけだ」
彼は少し考えた。
「父上は、人が変われば世界が変わると言っていました」
「それは半分正しい」
「半分?」
「残り半分は逆だ。世界が変わると、人も変わる」
「あなたはどっちですか」
私は紙コップを手に取った。中身はひどく薄かった。
「私は」と言った。「どちらも信じるほど純粋ではない」
アルテイシアがパンをかじりながら言った。
「このパン、ぱさぱさ」
「工廠だからな」と私は言った。
「工廠って、なんでもぱさぱさになるところ?」
「概ね正しい」
そのとき警報が鳴った。
短く、鋭く、前回の爆破警報とは少し違う音だった。
休憩室の照明が一段落ち、赤い補助灯が点く。空気の流れまで少し変わる。現場は音より先に匂いで緊張する。どこかで焼けた絶縁材の臭いがした。
技師の一人が駆け込んできた。
「試験区画Cでシール破断、加圧漏れです。隔壁が――」
「人は」と私は訊いた。
「二名、取り残しの可能性が」
私は立ち上がった。
「子どもたちは避難回廊へ。ランバ・ラル、お前が連れていけ」
「閣下は?」
「現場を見る」
キャスバルが立ち上がった。
「僕も」
「だめだ」
「見るために来たんでしょう」
「そこまでだ」
彼は私をまっすぐ見た。年齢よりずっと冷たい目だった。
「都合のいいところだけ見せるんですか」
私は一瞬、返す言葉を失った。
その隙にアルテイシアが言った。
「じゃあ、わたしは?」
「お前は絶対だめだ」
「なんで」
「小さいからだ」
「それ、へんな理由」
私はランバ・ラルに目で合図した。彼は迷わず二人を連れ出そうとした。だが、避難回廊へ向かう途中で、別の作業員たちがどっと流れ込み、通路は一気に騒然となった。
嫌な予感は、だいたいこういう混雑の中で現実になる。
数秒後、ランバ・ラルが振り返った。
「アルテイシア嬢がいません」
私は呼吸を一つ無駄にした。
「どこへ行った」
「わかりません。さっきまで確かに――」
キャスバルの顔色が変わった。
子どもが初めて本物の恐怖に触れる瞬間というのは、見ていてあまり楽しいものではない。
「探す」と彼は言った。
「お前はここにいろ」
「嫌です」
「命令だ」
「あなたの部下じゃない」
「そうだな」と私は言った。「その点だけは正しい」
結局、私はキャスバルを連れて探すことになった。
ランバ・ラルには避難誘導を優先させた。現場では、すべてを同時に守ることはできない。だから順番をつける。順番をつけるたびに、誰かに恨まれる。
私たちは補助回廊を走った。
赤い灯が壁を薄く染め、床のガイドラインが矢印みたいに伸びている。遠くで隔壁が閉じる鈍い音がした。宇宙の工場では、空気は貴重品だ。ひとたび漏れはじめると、建物は急に正気を失う。
「なぜこんな場所へ連れてきた」とキャスバルが言った。
「見せるべきだと思った」
「何を」
「現実を」
「これが?」
「その一部だ」
彼は走りながら私を睨んだ。
「あなただけが現実を知っている顔をする」
「違う」と私は言った。「誰も全部は知らない。ただ、知らないまま決めるしかない」
「それが大人ですか」
「残念ながら」
角を曲がると、白い整備用小型ローダーの前にアルテイシアがしゃがんでいた。
ローダーの片アームが床材に引っかかって動けなくなっている。その横で、彼女はまるで迷子の動物でも見るみたいな顔をしていた。
「なにをしている」と私は訊いた。
彼女は顔を上げた。
「このこ、こわれてる」
「それは見ればわかる」
「でも、だれもたすけない」
私は一瞬、言葉を選んだ。
機械の心配をしている子どもを叱るのは、どうにも品がない。
「今は人間が先だ」
「でも、このこ、ずっとここにいる」
キャスバルが妹の肩をつかんだ。
「戻ろう」
そのとき、回廊の向こうから作業員の叫び声がした。
隔壁の一枚が半分だけ閉じ、向こう側に二人取り残されているのが見えた。加圧漏れは小規模だが、猶予は長くない。数秒、いや一分もないかもしれない。
補助端末には二つの選択肢が表示されていた。
非常隔壁を完全閉鎖して区画を捨てるか、試験機材への圧を落として手動で開放するか。後者を選べば、試験中の重要データと一部設備は失われる可能性が高い。前者なら、設備は守れるかもしれないが、人間は危ない。
私は端末を見た。
キャスバルも見ていた。
「迷うんですね」と彼が言った。
「迷わない大人は危険だ」
私は手動開放を選んだ。
警告表示が赤く点滅し、試験ログ損失の可能性が流れる。知ったことではない。隔壁がぎこちなく開き、取り残された二人の作業員が転がるようにこちらへ出てきた。ひとりは足を引きずり、もうひとりは咳き込みながらも、自分の端末だけはしっかり持っていた。技術者にはそういう種類の執着がある。
直後に向こう側の区画灯が落ちた。
高価な試験設備のいくつかは、たぶんもう駄目だった。
アルテイシアが言った。
「たすかった?」
「ああ」と私は答えた。
「じゃあよかった」
実に簡潔な総括だった。
国家予算の損失も、試験計画の遅延も、その一言の前では妙に小さく見えた。少なくとも数秒間は。
避難回廊へ戻る途中、キャスバルはずっと黙っていた。
アルテイシアは今度こそ私の手を握っていた。小さくて、驚くほど温かかった。こういう温度に慣れてしまうと、政治の判断を誤ることがある。だから権力者はしばしば、子どもから距離を置きたがる。
工廠の外へ出たころには、警報は解除されていた。
空気はまだ鉄の味がしたが、空は何事もなかったみたいに人工の青を保っていた。世界はいつも、事故や死や陰謀と無関係な顔をして続いていく。その鈍感さに、人は救われもするし、絶望もする。
ランバ・ラルが駆け寄ってきた。
「ご無事で」
「見ての通りだ」
彼はアルテイシアを見て、短く息をついた。
「次からは必ず手を離しません」
「ええ」とアルテイシアが言った。「でも、あのしろいこも助けてね」
ランバ・ラルは少しだけ困った顔をした。
「努力します」
それが彼にできる最も正しい答えだった。
帰りの車中で、アルテイシアはほどなく眠ってしまった。
工場見学と警報と逃走と救助。子どもには十分すぎる一日だ。彼女の頭が窓にぶつからないよう、私はそっとクッションを差し込んだ。そんなことをしている自分が少し可笑しかった。未来の私はたぶん想像しないだろう。妹に撃たれる直前の私なら、なおさらだ。
キャスバルは眠らなかった。
窓の外を見たまま、しばらく何も言わなかった。そして、屋敷が近づいたころ、やっと口を開いた。
「あなたは父上より現実的だ」
私は答えなかった。続きを待った。
「でも、たぶんもっと危険だ」と彼は言った。
「なぜそう思う」
「父上は理想のために人を動かした。でもあなたは、理想がなくても動かせる」
私は少し考えた。
それは褒め言葉ではないし、たぶん非難としてもかなり正確だった。
「危険なのはお互いさまだ」と私は言った。
彼は初めて、ほんの少しだけ笑った。
子どもの笑いというより、将来きっと人を困らせる男の予告みたいな笑いだった。
屋敷に着くと、夕暮れの人工光が玄関の柱を柔らかく照らしていた。
アルテイシアはまだ眠っていて、使用人がそっと抱き上げた。キャスバルは車を降りる前に一度だけ私を見た。
「また連れていくつもりですか」と彼は訊いた。
「場合による」
「僕は行きます」
「そうか」
「でも妹は連れていかない方がいい」
「なぜ」
「あなた、あの子に少し甘い」
私はその言葉に軽く眉を上げた。
「観察が鋭いな」
「家族ですから」
彼はそう言って降りた。
私はその背中を見送りながら、妙な気分になった。あの少年はいずれ私の敵になるかもしれないし、ならないかもしれない。だが少なくとも今日、私たちは同じ隔壁の前で、同じ二人の命を見ていた。
執務室へ戻ると、キシリアがすでにいた。
私の椅子に座り、勝手にコーヒーを飲んでいる。人の席に座ることにためらいのない人間は、たいてい権力と相性がいい。
「どうだった?」と彼女が訊いた。
「機械は壊れ、人は助かり、子どもは感想を持った」
「要領を得ない報告ね」
「現場はいつもそうだ」
彼女はカップを置いた。
「工廠の試験設備、かなり損害が出たそうよ」
「そうだろうな」
「惜しくないの?」
「惜しい」
「なのに切った」
「お前なら切らなかったか」
キシリアは少し考えた。
本当に少しだけ。
「状況による」と彼女は言った。
「そうだろう」
「でも兄上、今日それをあの子に見せたのは、あまり賢くないかもしれない」
「どの部分だ。私が迷うことか、私が切ることか」
「両方」
私は上着を脱ぎ、椅子にもたれた。
体の奥に、金属の粉みたいな疲労が沈んでいた。
「人間はな」と私は言った。「完全に冷たい相手より、ときどき温度のある相手の方を、ずっと長く警戒するものだ」
キシリアはしばらく黙ったあと、薄く笑った。
「それ、兄上自身の説明としては完璧ね」
「お前も似たようなものだ」
「私はもっと一貫しているわ」
「それが怖い」
「知ってる」
窓の外では、工廠ブロックの灯りが規則的に並んでいた。
今日いくつかは消え、いくつかはまた点いただろう。壊れた設備は交換され、救われた作業員は診療区画で眠り、失われた試験データは報告書の欄外で悔やまれる。世界は、だいたいそうやって帳尻を合わせようとする。
だが、帳尻の合わないものもある。
子どもの記憶だ。
あれだけは、会計科にも工廠にも修理できない。
私は机の上の見学許可証を裏返した。
そこには、朝の自分の字でこう書いてあった。
見せるべきは兵器ではなく、その手前にあるもの。
私はそれを見て、少しだけ笑った。
ずいぶん教育者ぶった文だと思った。
実際には、今日キャスバルに見せたのは兵器の手前ですらない。もっと厄介なものだった。
迷う大人と、切り捨てられる設備と、助けられる人間。
つまり、政治そのものだ。
キシリアが帰ったあと、私は一人で冷めたコーヒーを飲んだ。
まずかった。だがそのまずさは、どこか正直だった。
遠くで工廠の夜間シフト開始のサイレンが鳴った。
戦争はまだ始まっていない。
それでも、そのための夜勤はもう始まっている。